阿佐智の「アサスポ・ワールド・ベースボール」

世界を駆け巡る放浪者が世界の野球を紹介します

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さまざまな世界の野球、野球界の「すきま」を紹介します。
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最新の記事

その後のサムライたち 矢島正徳(元シダックス)編 2

ともかくも、矢島はこの番組に参加することになった。フロリダ・マーリンズ(現マイアミ・マーリンズ)のテスト生としてアメリカに渡り、3か月の間、現地のアカデミーで汗を流した。期待に胸をふくらませたが、2月に入り、いよいよメジャーのキャンプが始まるというときに通告されたのは、不採用通知だった。  この時、矢島とともに海を渡ったのは、ふたりだった。そのうち、番組が好みそうな、高校を中退した16歳の少年が、潜......続きを読む»

その後のサムライたち 矢島正徳(元シダックス)編 1

そろそろ師走を迎えようかという11月終わり。甲子園球場は、季節がひと月戻ったのではないかという暖かさに包まれていた。この絶好の野球日和に季節外れのユニフォーム姿がフィールドに散らばっていた。マウンドの投手は小気味いいストレートをキャッチャーのミットに叩き込む。ボールをリリースする瞬間、ロージンの白い粉が帽子の斜め上で散った。ネット裏で見ている分には、これだけで十分な迫力だった。 しかし、それだ......続きを読む»

オーストラリア野球のおおらかさ(ブリスベン・バンディッツ対パース・ヒート:1月4日)

今回の遠征取材最終戦は、前日に続いてブリスベン、ハロウェイ・フィールドでの対パース戦。 バンディッツがこの球場に移転したのが昨年であることはすでに述べたが、野球場としては、1964年建造のここは、ブリスベン野球にとって非常に歴史ある場所である。オランダナショナルチームがキャンプで使用することもあるというから、豪州でも屈指の施設と言っていいだろう。周囲は古くからの住宅地で昼間は球場近くのショッピングセ......続きを読む»

ブリスベン・バンディッツ対パース・ヒート(ブリスベン)

 ABLは年末も正月も試合をしている。他の国のウィンターリーグはクリスマスや年末年始は休みになることが多いが、さすがに週末にしか試合をしないこのリーグではそういうこともできない。  今日訪れたのはブリスベン。ここでは昨日から年明けの試合が始まっている。今年はさすがに元旦からの試合は避けたようで、通常の木曜からの4連戦ではなく、今日土曜にダブルヘッダーを入れてパース・ヒートとの4連戦を消化する。 ......続きを読む»

豪州野球レポート2 オーストラリアン・ベースボール・リーグCEO、ベン・フォスターに聞く

 オーストラリアン・リーグ(ABL)の本部はシドニーにあるが、ゴールドコーストにも事務所がある。ここには、オーストラリア人メジャーリーガーのサインバットや、アテネ五輪の銀メダルが飾られていることを考えると、むしろこっちのほうがメインオフィスなのかもしれない。  こことシドニー、さらにはリーグが開催されている各都市を忙しく動き回っているのがCEOのベン・フォスターだ。彼自身、1999年に......続きを読む»

豪州野球レポート MLBスカウトに聞く

「道が混んじゃって。年末年始は一番込み合うシーズンなんだよ」  ボルチモア・オリオールズの環太平洋スカウト、ブレット・ワードは、私に遅刻をわびた。彼とはオーストラリア野球リーグ(ABL)が再興した2010-11年シーズンからの付き合いである。 クィーンランド州、ゴールドコースト。日本人にはおなじみのリゾート地だ。バブル華やかなりし頃、ここは日本人であふれかえっていた。近年は中国人、アラブ人の姿が目立......続きを読む»

オーストラリアウィンターリーグ シドニーブルーソックス対ブリスベンバンディッツ(12月26日)

ひさびさのオーストラリア。この前に来たのは、プロリーグ、オーストラリアン・ベースボール・リーグ発足の2010年だから4年前になる。その頃と比べて、このリーグを取り巻く環境も、随分と変わっていた。 シドニー郊外、ブラックタウンにあるスタジアムは、チーム名をとって、ブルーソックススタジアムと名を変え、スタンドを増設していた。それだけ野球人気も上がっているのだろう。スタンドを見ても以前には見られなかったチ......続きを読む»

KANO

野球映画はヒットしないというジンクスがあるらしい。 とはいうものの、過去には、日本のメジャーリーグブームの火付け役となったその名も「メジャーリーグ」(あの頃、巷はインディアンスの帽子であふれかえっていた)をはじめとする人気作品は結構出ている。 それらと比べて、近年の野球映画は、社会派というか、単に野球をスポーツとしてとらえるだけでなく、野球を通してみた社会現象という視点で描かれたものが多いように思う......続きを読む»

村田透(元巨人・インディアンス・マイナー)語る(後篇)

シーズン後、2Aと3Aの二つのホームステイ先を訪ねたあと、村田はつかの間の帰国をした。「つかの間」というのは、11月の半ばにはベネズエラに飛んだからだ。渡米1年目のオフのパナマを皮切りに彼は例年、オフシーズンはラテンアメリカのウィンターリーグで過ごすことにしている。ベネズエラに渡るのはこの冬で3度目になる。 「外国人選手はけっこうベネズエラに行きたがってますね。あそこはメキシコと並んでウィンターリ......続きを読む»

村田透(元巨人・インディアンス・マイナー)語る(前篇)

インディアンスのマイナーチームに所属する元巨人ドラ1の村田透選手については、すでに『週刊野球太郎』でご紹介しました。今日からは、2回に分けて、ウェブマガジンで紹介できなかった、インタビュー内容をアップしていきます。  渡米4年目を終えた村田透は、今年は昨年までのチームメイトとのルームシェアをやめ、ホームステイを選んだ。 「A級とか低いレベルでは当たり前のようですよ。さすがに2A位だとチームメイトと......続きを読む»

北米独立研究:1995年を振り返って アメリカ独立リーグの厳しい現実

メジャーリーグから完全に独立した独立リーグは、その制約を受けない代わりに選手獲得や経営の面で多くの困難に直面している。  メンバー表からも、選手獲得には苦労していることがうかがえる。ラボックの場合、選手名鑑に掲載されていた23人の内、前の年にMLB参加のマイナーでプレーしていた選手は10人過ぎなかった。これに元メジャーリーガー1人含んだ元プロ野球選手、つまり一旦引退していた7人を加えても、プロ......続きを読む»

北米独立研究:1995年を振り返って独立リーグ―マイナーリーグの新しいかたち―(ラボック・クリケッツ/テキサスルイジアナリーグ)

 ラボックはテキサス北西部、ダラスから約500キロのところに位置する小都市である。ダラスから西へ向かうグレイハウンドバスに乗ってスィートウォーター、あるいはオデッサという田舎町でローカルバスに乗り換え、朝出発し丸一日かかるようなところだ。人口は8万8千。小さな町ではあるが、1940~50年代にはテキサス=ニューメキシコリーグのHubbersのホームタウンであった。その後、マイナーリーグの縮小によ......続きを読む»

北米独立研究:1995年を振り返って独立リーグ―マイナーリーグの新しいかたち―

 いわゆるマイナーリーグは基本的にメジャーリーグの傘下に入り、ピラミッド型の組織を形成しているが、1993年以降、その傘下に入らないプロリーグが出てきている。それが独立リーグだ。  1990年代までは、A級やルーキー級では、メジャー球団に属さない球団はいくつかあったが、それもメジャーリーグの下部組織としてのナショナルアソシエーションの加盟球団としリーグ戦に参加していた。  それに対し、この年、19......続きを読む»

億万長者の花相撲

8年ぶりということで楽しみにしていた日米野球。サムライジャパンとの本戦を前に今夜は阪神巨人連合軍との一戦だったが、こんな試合観に来るなら、京セラドームで社会人野球の決勝にでも行けば良かったと思えてくる凡戦だった。 開催が晩秋ということもあり、ドームシリーズが定番となっていたが、この日の試合はあの野茂英雄が凱旋登板した1996年以来18年ぶりの甲子園での試合。しかし、当時のデーゲームと違い、ナ......続きを読む»

その後のサムライたち 長坂秀樹編 最終回

「ヘタクソの集まり」  長坂はこの年、2005年にプレーしたサムライベアーズを評してこう言う。それは結局「プロ入り」できなかった自分も含めての表現だ。自分が本来あの場でプレーするべき存在ではなかったことは自身一番分かっている。その一方で、なぜ実力がありながら自分がそのような場に身を置かねばならなかったのかということも自覚している。そして、結局のところ、自分も同じ穴のむじなであったのだ。トップレベルを......続きを読む»

その後のサムライ達 長坂秀樹編 その6

「その次だっけなあ、湘南シーレックス(横浜ベイスターズのファーム)との試合あるからって連絡があったんです。それも面倒臭くて行く気なかったんですけどね(笑)。僕と同時期にサムライに合流してすぐにクビになった橋本(剛)って奴が行きたいって言うもんだから。僕が一緒でないと行きづらいって(笑)。あいつは僕がサムライ入ってすぐに仲良くなった奴だしね。結構打ってたんですけど、ほら、クロマティとそりが合わなくて切......続きを読む»

その後のサムライたち 長坂秀樹編5

サムライの短いシーズン後、帰国した一行は再集合し、「サムライ・ファイヤーバーズ」として日本各地を転戦した。この時期、まだ日本には独立リーグがなく、アメリカでのプレーをスカウトにアピールするためには「見本市」を開く必要があったのだ。 「僕も参加しましたよ」 と長坂は言うが、初戦の相模原クラブ戦には足を運ばなかった。 「会場が、東海大のグラウンドだったんで、じゃ行かないって」 と初め彼は参加しなか......続きを読む»

その後のサムライたち 長坂秀樹編4

 サムライベアーズの選手たちが口をそろえるのは、監督であった往年の名選手、クロマティとの確執だった。長坂もこの御多分にもれることはなかった。 「僕はクロマティに対しても批判的だったていうか、僕が初めてユマに着いて、2,3日経って先発した日があったんですよ。やっぱりそこでもエラーが出るんですよね。フライを落としたりとか、ゴロを捕れなかったりとか。それで、点も取られるんですよ。僕はそういうことに対......続きを読む»

その後のサムライたち 長坂秀樹編 3

実際に目した新興リーグのレベルはトップ独立リーグでプレーしていた長坂の眼にはどう映ったのだろう。 「非常に低かったと思います。正直大学生レベルだったですね。日本の大学と比べたら?うーん良くわかりませんね。ただ、若い選手が多かったのと、遠くから選手を呼び寄せるっていうより、地元ですごかったんだよっていう選手が多かったですね。早い話が、遠くから名の知れた選手を連れて来るようなレベルではなかったってことで......続きを読む»

その後のサムライたち 長坂秀樹編 2

サムライ入団を嫌がったという長坂だが、彼もまたサムライのメンバーたちと同じドロップアウト組だった。  高校時代は、少しは名の知れた存在だった。166センチの身長が心配だったのか、NPBのスカウトは「大学でもう少し鍛えておいで」と言って、将来を嘱望した。進学先の東海大では早々に頭角を現し、2年の時には、主力投手として大学選手権準優勝に貢献した。ここまでの長坂は、確実に野球エリートだった。NPBはばくぜ......続きを読む»

その後のサムライたち 長坂秀樹編 1

 長坂秀樹という男に初めて会ったのは、何年前のことだろう。長崎県平戸。遠くに海を望む高台にある球場のベンチ裏のことだった。この年彼は初めて日本のプロ球団のユニフォームに袖を通していた。この年、彼は海外での最後のシーズンをカナダのカルガリーで送っていた。シーズンを終え、帰国した長坂に、サムライの元メンバー、根鈴雄次が「ウチでやらないか」と声をかけてきたのだ。根鈴が属する長崎セインツは来たるべきプレー......続きを読む»

青木智史(BCリーグ・新潟アルビレックス)インタビュー 3

伝説の日本人チーム、サムライベアーズ ――それで、2005年のシーズン途中に再びアメリカのプロ野球に復帰でしたね。独立リーグのサムライベアーズに。 「前のシーズンはビザの問題でいろいろやってたんですけど、冬にまたオーストラリアへ行ったんです。そしたら、オーストラリア人を日本に連れてって、都市対抗野球目指そうというチームをやるから、それに参加しろっていう話が出てきたんです(ウェルネス魚沼)。自分......続きを読む»

青木智史(BCリーグ・新潟アルビレックス)インタビュー 2

アメリカ野球への挑戦 ――台湾とか韓国は考えなかったのでしょうか? 「いいや、考えなかったです。アメリカでやっぱりやりたいって気持ちは強かったですね。野球の本場ですし。テスト受ければ受けるほど、こういう環境でやってみたいなって思いましたし」 ――その甲斐あってマリナーズと契約を結ぶことができました。 「あの頃、2001年くらいからですかね。冬の間はオーストラリアに行ってたんですよ。季節が逆ですか......続きを読む»

青木智史(BCリーグ・新潟アルビレックス)インタビュー 1

夢を追いかける場である独立リーグで、「引退宣言」が立て続けに発表されている。元来無名の選手が集まるここでは、そのようなものは必要ないはずなのだが、ここ数年、メジャーリーグでプレーした経験を持つベテランや、NPBのスター選手なども再チャレンジをもくろんで独立リーグに身を投じることが多くなってきた。彼らの去就は、NPBの選手やメジャーリーガー同様に衆目の集めるところとなっており、そのことが「引退宣言」に......続きを読む»

その後のサムライたち:関連太郎(元赤べこ野球軍団、ENEOS)編

都心にあるある賑わった居酒屋。店内はサインボールやユニフォームで埋め尽くされている。サムライのエースピッチャー、関連太郎は現在ここ「西麻布鉄腕」で店長をしている。一見さんが見れば、頭にタオルを巻いたユニフォーム姿の少々大柄なこの男は、ただの野球好きの居酒屋の若親爺でしかないかもしれない。  しかし、彼が、例えば東京ドームのマウンドに立っていたとしても、それは何の不思議もない。いや、ひょっとすると、ド......続きを読む»

鷹の祭典in大阪に思う

今夜ホークスが26年ぶりにホームチームとして大阪に帰ってきた。 ホークス夏恒例の「鷹の祭典」の大阪開催という体裁で、今年使用の「勝どきレッド」の赤ユニフォームが来場者全員に配布された。 前夜までの首位攻防三連戦では、好調の地元チーム、オリックスのファンにおされて少数派だったホークスファンも、この夜は来場者の8割方を占め、スタンドは真っ赤に染まった。 試合中、ビジョンに映し出された来場ファンのイン......続きを読む»

その後のサムライたち 根鈴雄次編 最終回

サムライベアーズに話を戻した。神宮で全員そろった時の様子を思い出してもらった。 「うーん、ちょっとなあ。昔のことだからよく覚えてねえんだけど。大阪の人たちとのからみがあるんだねっていうのがそこでやっと分かったんですね。俺たち以外にもいるんだなって。あっちにはコーチ陣もいるしね。河野(和洋)さんだけじゃなかったんですよ。事前に、監督です、コーチですって言われて来た人が何人もいたんですよね。ほか、お金い......続きを読む»

その後のサムライたち:根鈴雄次編 3

「あの頃、ちょうどそういうの、あったんですよ。日本人の有望な選手もっていって、メジャーに売れねえかなって。俺がいたエルマイラ(パイオニアーズ)もそう。団野村さんが実質オーナーで、メジャーリーガーの野茂さん、伊良部さん、マック(鈴木)さんが名を連ねていた。あそこも日本人けっこう獲ってましたから。佐野滋樹(元近鉄など)さんもあそこでやってでしょ」  確かに1990年代の終わりから2000年代の初めにか......続きを読む»

その後のサムライたち:根鈴雄次編2

 根鈴にとって、マイナー5年目のシーズンが終わったあとだった。この年、根鈴は野茂英雄ら日本人メジャーリーガーと代理人の団野村がオーナーを務めるエルマイラ・パイオニアーズの指名打者として、.351、6本塁打という成績を残していた。翌年も契約のオファーがかかることは予測できた。実際、シーズン終了後、球団からは翌年のプレーの打診を口頭で受けている。しかし、契約社会のアメリカ、単年契約が当たり前の独立リーグ......続きを読む»

その後のサムライたち:根鈴雄次編1

「コーチだけってのがつまんなくなったんですよ」  選手としては、すでに前年に引退していた。決して本意ではなかったという。しかし、育成を目的とする独立リーグという場にあって、40代を目の前にした選手をいくら力があるとは言え、現場は置いておくという選択はしなかった。 「それに、独立じゃ、選手より指導者の方がもらえるでしょ」  根鈴には、養わなければならない家族がいた。 「選手の時は、家族も徳島に呼び寄せ......続きを読む»

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