2013年05月17日

呉二河球場

 呉、と言っても今や多くの日本人にはピンと来ないかもしれない。かつて軍港として栄えたこの町は、規律を重んじる気風がそうしたのか、昭和の球界に多くの人材を送り込んできた。初代ミスタータイガース・藤村富美男、弱小球団ヤクルト・西武を日本一に導いた広岡達郎、そしてNPB史上最多の1773勝を挙げた鶴岡一人。その彼の業績は、彼が南海ホークスの監督時代、キャンプ地とした二河球場に隣接するスポーツセンターの一室、「鶴岡一人記念展示室」において今に伝えられている。
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 そういう野球史において重要な地で、広島カープは近年、公式戦を毎年開催している。広島市から普通電車で一時間というこの町とその周辺の人々にとって、わが町でのゲームは恒例の楽しみになっているのだろう。この日(5月17日)の交流戦もスタンドは鈴なりで、人びとは地元チームカープの大勝に酔いしれていた。  今年は、3月に横浜発展記念館で「ベースボールシティ横浜」、4~5月に大阪府堺市博物館で南海ホークス展が開催されるなど、近代都市発展史上に野球を位置づける学問的試みがなされている。充実した野球殿堂博物館のあるアメリカにはまだまだ及ばないものの、このような動きがあることはまことに喜ばしいことである。野球という文化を後世に受け継ぐため、こういう流れが継続することを望んでやまない。それを考えると、カープ球団もこの呉での試合の際には、この町出身の野球人をたたえる何かしらのイベントを行なってみればと思うのだが、いかがなものか。
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2013年05月16日

カープ由宇球場にて

 現在のところ、日本のプロ野球、NPBのファームのビジネス化に対する姿勢には各球団で大きな差がある。ファームより格下の独立リーグが勃興し、何球団かは黒字経営を達成しているのも関わらず、アマチュアのトップ選手をドラフトで獲得したこの優良コンテンツであるべきスポーツチームをNPBの球団はいまだ「コスト」としてしかみなしていない。
 
 西日本の5球団の二軍で構成されるウェスタンリーグは、中日が地元での圧倒的人気を生かして、公式戦はおろか、ファームのオープン戦まで1000円の入場料をとり、観客もそれなりに集めているにも関わらず、あとはオリックスが500円の入場料を取るほかは、残りの3球団はファーム戦をファンへのサービス還元と捉えているのか、人気球団の阪神でさえ無料である。

 ファームの現状はどうなのか、広島カープのファームの本拠地、由宇球場を訪ねた。
 この球場は、広島球団が二軍専用球場として1993年に開場されたものである。内外野ともスタンドは造られず、ネット裏の記者席以外は芝生席となっている。基本的には有料観客を入れることは想定していなかったという。

 それでもブルペンなどの施設は充実し、ファームの練習場としては申し分ない。
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 そういうことから、交通の便も極めて悪い。そもそも場所自体が、広島県ではなく隣接県の山口にある。JRの駅からバスもあるが、日に6便。いったいどこに行くのかというくらい山奥までバスは走る。
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 ところが、実際行ってみると、バスには平日の昼間にもかかわらず、数名のファンが乗っている。その上、球場の有料駐車場は満杯になっていた。平日の昼間、この立地条件でも観客は150人ほどいた。正直ここまでやってくるコアなファンから500円ほどの入場料を取ることにしても、彼らは足を運ぶだろう。それならば、このファームというスポーツコンテンツの価値を高めるためにも、入場料を取るべきではないか。「プロ」がするプレーには金がかかることを消費者であるファンにわからせるためにも。  一軍のテレビ放送量が暴落している中、NPBもファームを収益のシステムとして考えていかねば日本のプロ野球も今後明るい展望は描けないのではないか。
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2013年05月14日

地域密着再び

大阪府富田林市の「バファローズスタジアム」のロゴマークが発表された。この大阪南郊の町の名を関西圏在住者以外で知っている人は少ないだろう。かつての「バファローズ」の親会社近鉄電車の走るこの町の野球場は昨年からこの名を使用している。

 オリックス球団は、かつてブルーウェーブ時代に、ファームにスポンサーをつけ、「サーパス神戸」を名乗らせ、神戸北郊のあじさいスタジアムを
本拠として、二軍をなかば独立させて運営を行なっていた。この時期、横浜、西武球団も二軍のチーム名を別にして、いよいよ日本でも本格的なファームリーグの独立かと思われたものだ。
 しかし、現在においてファームが集客ビジネスとして定着していない中、この流れもストップし、3球団は結局ファームのユニフォームを一軍のそれと同じに戻してしまった。

 オリックス球団は、周知のとおり阪急・近鉄という関西の電鉄2球団を受け継ぐ系譜をもつ。しかし、一旦は神戸に定着を果たしたものの、イチロー退団後、チームの低迷もあってせっかく獲得したファンを老舗球団の阪神に奪い返され、関西エリアで近鉄とファンを奪い合った結果、半ば共倒れ状態になった。これを打開すべく9年前に合併をしたのだが、その結果、せっかく地域密着を果たした神戸を離れ、吸収相手の本拠地大阪にフランチャイズを移転するということになった。しかし、愛する球団を失った旧近鉄ファンにはいまだこの新生球団に対するアイデンティテイを持てない人も多い。地域密着が進む日本球界にあって、ビジター側のファンの方が多いことが常という京セラドームのスタンドがなによりもこのことを物語っている。
 
 そこで、オリックスはまずは地元ファンを増やそうと、ファームチームに大阪府下各地、あるいは近鉄沿線で試合興行を行なわせ、あわせて選手による野球教室を開くことで、地元の子どもをファンとして取り込む戦略に出た。独立リーグが勃興する中、最近ではファームのゲームにも興行的価値が出てきているようで、この目論みはある程度成功し、各球場には常時1000を越える観客が足を運んでいる。

 とくにこの富田林市は、このファームの誘致に熱心で昨年行われた試合では、前売り時点でチケットは完売した。
 地方都市が過疎によって活気を失う中、大都市郊外の衛星都市も危機感を募らせているのだろう。この試みが、最終的にはバファローズのファームチームの本格移転、そして地元スポンサー、あるいは親会社による完全独立採算性につながれば、現在のNPBの閉塞感を打開するとともに、日本のプロ野球に新たな文化の息吹を吹き込むことになるだろう。

posted by gr009041 |15:50 | 国内野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2013年05月10日

久々の中国

1年ぶりに中国を訪ねた。今回はスポーツ目的ではなかったが、先日地震のおこった四川に入った。最大の都市、成都は中国の大都市の御多分にもれず、建設ラッシュで、地下鉄もできていた。
この国にもようやく都市文化らしきものがあらわれ、この成都にしても、帰りに寄った上海にしても、表通りは先進国の都市と変わらない様相を呈している。いや、建物が新しい分、近未来都市に足を運んだような気分になってくる。
ただ、何かが違う。町をゆく人々からはスポーツの香りがしないのだ。たしかに、夕方の河畔沿いの公園や遊歩道では、ジョギングをする人や、太極拳、はたまた野外エアロの風景を見ることはできる。しかし、若者のファッションからは、サッカーやバスケットなどの影響はほとんどみられないし、新聞や雑誌の表紙にもスポーツの風景は見られない。テレビでスポーツを見ることもない。つまり、いまだ中国にはスペクテイター・スポーツの文化が浸透していないのだ。
数年前、中国野球リーグのマネージメント会社の人間と話した際、この国には、スポーツ観戦に金を払うという習慣がないと言う話を聞いた。サッカーなどは確かにプロ化が軌道に乗り、それなりに観衆も集めているのだが、彼が言うには、観客のほとんどは無料チケットで入っているのではないかということだった。そういう中、マイナースポーツの野球が木戸銭をとって収益を得るようなことができるはずもなく、この国の「プロ野球」は、入場料無料。選手は他のスポーツと同じく、国家から給与を受け取り、リーグの運営費をスポンサー収入によってまかなうという、いわば「官製プロ野球」として運営されていた。2008年の北京五輪までは、スポーツをマーケット拡大のツールとみなした日系企業がスポンサーにつき、リーグもそれなりの運営をできていたが、五輪後はスポンサー獲得に四苦八苦し、2012年度からはついにリーグ戦が開かれない事態が続いている。
今年も開催される予定のアジアシリーズに中国も参戦する予定らしいが、リーグの開催されない現状にあって、中国の参加を許すべきかには大いに疑問を感じる。2011年大会から参加のオーストラリアは、大会が始まった当初から参加を熱望していたものの、プロリーグがないことを理由に参加が認められず、2010年の冬季プロリーグ再開を受けてようやく参加に至った経緯を考えると、やはり中国にも早期にプロリーグを再開させて、チャンピオンを決めた上での参戦を求めたい。とはいえ、政治的に微妙な関係にある台湾での開催を考えると、そもそも参加しない可能性も考えられるが。
現地で知り合った中国人も、「日本人はサッカーより野球だね」と野球の存在はしっているものの、地元成都にプロ球団があることは全く知らなかった。もっとも、彼はサッカーに関しても、チームがあることは知っていても、その名は知らなかったので、スポーツにあまり興味がないようだったが。
しかし、根本の問題は、それだけスポーツ文化がいまだこの国には浸透していないことだろう。野球の国際化が叫ばれている今、数年前まで行われていた日本からの野球普及の努力を途切れさせてはならない。この大国に野球文化が根付くか否かには、野球の将来がかかっているのではないか。久々の中国で感じた次第である。

posted by gr009041 |01:05 | 中国 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2013年04月30日

アフリカ人選手受け入れについて球団代表に聞く

ウガンダからの初めての独立リーガーの受け入れについて兵庫球団代表の高下沢氏に話を聞いた。高下氏はこれまで、選手と球団運営の二足のわらじを履いてきたが、この日、4月27日の試合をもって引退を決意。7年に及ぶ独立リーガーとしての選手生活にピリオドを打った。この日はスタメン4番で出場し、4打数2安打とまだまだ現役でもやれるとことを見せたが、球団運営に奔走する毎日で、「体はボロボロ」。それに今年からは球団に二軍もできたこともあって、「若い選手にチャンスを」という気持ちが強くなっての決断だと言う。
高下選手、お疲れ様。この場をお借りしてエールを送ります。

高下氏は今回の選手受け入れのきっかけをこう語る。
「うちの職員の先輩に元JICAの協力隊員がいて、その彼を通じてこういう選手がいるのでどうかって打診が来たんですよ。性格も日本向きでまじめだから絶対大丈夫だって。それで、こっちとしても、そういうアフリカでの野球普及に貢献できるならやってみようと。独立リーグもいろんな可能性を模索していかなければなりませんから。」
 一見軌道に乗りつつあるように見えるが、実際は独立リーグの観客動員は下降線をたどる一方、どのリーグ、どの球団も球団の維持には四苦八苦している。特にリーグ発足以来、ゴタゴタ続きの関西リーグは、選手報酬がないなど事実上プロリーグであることを放棄した状態であり、地域リーグとしてかろうじて存続している状況である。
 高下氏は、今後は球団経営に専念し、選手に再び報酬の支払えるくらいにチームを活性化させ、「どこにいっても恥ずかしくないチーム、リーグを育てたい」と意気込みを語る。今回のアフリカからの選手受け入れもその一つの方策なのであろう。
 「独立リーグの新しいステージ」これが高下の目指す場所だと言う。
「僕も世界に出ていかないと、国内だけだと生き残っていけないってわかってますから。ただその出方というのを選手、スタッフに向けてしっかり考えたいと思っています」
確かに球場に観客を入れ、グッズやフードの販売だけを行なっているのでは、日本では独立リーグの経営は成り立たないだろう。リーグ、球団の存在価値のアピールはスポンサー、公的支援を得るための重要な方策である。そう考えた時、野球を通じた国際交流というのは独立リーグの価値を高める一つの方法論であろう。

ちなみにウガンダにはまだ足を運んでいないという。
「今年中には行きたいと思っているのですが。」
高下には、実はこれに関してひそかな夢がある。
「いつかはチームで行ってみたいですね。ウガンダへ」
スポンサーを募り、ウガンダに遠征。ナショナルチームと対戦するのか、紅白戦になるのか、そこまではわからない。しかし、これがもし実現すれば、NPBにはできない野球を通じた国際貢献をするスポーツコンテンツとして、ブルーサンダーズが「独立リーグの新たなステージ」に立つことになるだろう。

 日本の独立リーグには練習生を含めると、これまで計3人のアフリカ出身の選手が在籍した。2006年にアイランドリーグ、香川オリーブガイナーズでデビューし、その後BCリーグの福井ミラクルエレファンツに移籍したシェパード・シバンダがパイオニアで、今年このワフラ・ポールとアイランドリーグの高知ファイティング・ドッグスに西アフリカのブルキナファソの少年が練習生として参加している。いずれも、球団側の選手獲得戦略からなされたものではなく、日本のNGO団体からの働きかけがきっかけとなったものである。
 高下は、今回の選手受け入れについて、球団の営業面でのメリットはあまりないと言う。
「そういう意図がないわけではないですけど、実際ポールについても、テレビで一度取り上げられただけですからね。このことがそんなに営業面にプラスになっているわけではないです。球団にアピールもあるが、彼のような選手を受け入れて育てて返すというのは日本の野球界のつとめだと思います」
という言葉からは、独立リーグによる野球界への貢献活動としての色彩が強いことが伝わる。

 グローバルな視点に立ったとき、野球を取り巻く環境は決して楽観視できない。サッカー中継において、国際戦のテレビ視聴率がJリーグのそれを大きく上回ることは、スポーツというコンテンツがもはや国内だけでは商品になりにくいことを示している。そう考えた時、世界的普及に対する疑問点からの五輪競技からの除外という野球に突き付けられた現実は、今後の野球ビジネスに暗い影を落としていることは間違いない。
 そう考えた時、独立リーグが野球途上国の選手を受け入れ、その選手たちが世界最高峰の日本の野球を母国に持ちかえることは、野球界全体の利益につながるのではないか。

posted by gr009041 |00:49 | 独立リーグ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2013年04月27日

ウガンダ初の独立リーガー、ワフラ・ポール

4月終わりだというのにまだ肌寒い兵庫県三田市・キッピースタジアム。たくさんの選手が試合前練習に励んでいるなか、レゲエヘアの褐色の肌の選手がファールグランドでストレッチをしていた。
 彼の名は、ワフラ・ポール。西アフリカ・ウガンダからやってきた19歳。物腰の柔らかさが印象に残る好青年だ。知的な話しぶりも、西アフリカ一の名門、首都カンパラのマケレレ大学に籍を置いていると言われれば納得できる。社会科学を専攻するというキャンパスライフを一旦休止して、日本球界に挑戦した。
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 野球を始めたきっかけは、日本の援助活動だったという。これまでもJICAの青年海外協力隊によるスポーツ普及活動の一環として野球の普及が行なわれていたが、近年、そのOBによって普及活動が継続化されている。彼も2002年、8歳の時に野球に出会った。初めて見た未知のスポーツは非常に印象的だったという。 「ウガンダで一番の人気スポーツは、もちろんサッカーなんだけど、初めて目にした時から野球の面白さに夢中になったよ。ルールも難しいとは思わなかったね。やっぱり新しいゲームってところに魅力を感じたね」  2004年には、日本のNPO、アフリカ野球友の会の招待によって来日している。そこで初めて日本のプロ野球を目にした。 「千葉マリンスタジアム(当時)で観たんだ。ファンの応援がすごかったね」  この時の感動が、彼をますます野球に誘ったことは想像に難くない。  目標はNPBときっぱり言う。その可能性があるかぎりは日本でプレーし続けたいとも。それが実現不可能な夢物語でないことは、MLBのアフリカアカデミーに参加経験があることが示している。2011年、南アフリカ共和国のケープタウンにアフリカ各国の金の卵を集めたキャンプに他の5人のウガンダ人少年とともに招待されたのだ。40人の選手が2週間、連日午前の練習と午後の試合をこなすこのキャンプでは、残念ながらスカウト陣の目にとまることはできず、野球の本場への切符を手にすることはできなかったが、今回の来日で夢の第一歩をしるした。  慣れない日本の暮らしは大変だろうと思うのだが、問題はないという。故郷の主食、ウガリ(とうもろこしの粉をふかして練ったもの)、マトケ(バナナをふかしたもの)はないけれど、自分でスーパーで買ってきた米とパスタがあれば十分だと彼は笑って言う。こういう順応性が外国でのプレーには一番必要なのだが、彼にはその素養は十分にあるようだ。  しかし、コミュニケーションにはやはり困っているようだ。彼の母国ウガンダの公用語は英語。英語での会話には不自由しないのだが、いかんせん、チームメートたちが片言の英語しか話さない。自分の思いをなかなか伝えられない状況にフラストレーションもたまるようで、先日、アフリカ野球の支援者が様子を見に来た際は、ここぞとばかりにおしゃべりに興じたという。  半ば「野球留学」という形で日本にやってきたポールだが、十分に戦力としてもチームに貢献している。現在ブルーサンダーズには提携大学の学生選手主体の二軍がある。無論学生選手であっても実力次第で一軍に昇格できるし、調子が悪ければ一軍選手も選手登録を抹消される。この競争の中、ポールは堂々と一軍入りしている。アフリカ人選手という物珍しさからゲタを履かされたわけではない。実力的に一軍で十分通用するものをもっていることをチームメートも認めている。  実際の練習を見ていても、ティーバッティングでは、打ち返したボールがなかなかネットに入らないなどまだまだ課題はあるが、バットスウィングはしっかりしている。守備の方でもシートノック前の球回しを見ていると、スローイングもしっかりしていて、かつしなやかだ。小柄な日本人選手が精いっぱい投げる以上の早い球をスナップの効いた軽いスローで正確に投げ込んでいる。  今日は偶然にも初スタメン、9番・ライトの大抜擢。初打席は当てにいった力ないスウィングで三振、第二打席もスライダーにバットは空を切りここでお役御免となった。しかし、守備では3回表、ゼロロク2番中田の真芯にとらえたライナー気味の飛球を敗走して好捕。ベンチに戻るとチームメートから祝福を受けていた。  現在ウガンダではシニアレベルで4チームほどが、それ以下のレベルでも多くのチームがプレーしているという。この国の野球の裾野の広がりは、彼の双肩にかかっていると言っても過言ではない。  ガンバレ!ワウラ・ポール
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2013年04月18日

マイナーリーグ回顧1995:ウィルミントン(デラウェア州):ダニエル・S・フラウレイ・スタジアム)

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   デラウェア州の州都、ウィルミントンは州第一の都市である。と言っても、この州自体がメリーランド州に隣接する小さな州で、この州都も50キロ北東に位置するメガロポリスの一都市、フィラデルフィアの衛星都市のような存在である。  この町に、カンザスシティ・ロイヤルズのA級チームがやってきたのは1993年のことであった。この年私は、メリーランド州のフレデリックで、このチームのユニフォームを目にしている。球場はこの移転時にできたもので、私が訪れた1995年当時、スタジアムはまだ新品同様といった感じだった。
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   5500席を備えた内野スタンド中央には(現在は6532人収容)、メインのレンガ造りの外観をもつ建物があり、その最上階の上層スタンドはガラス張りの部屋のあるクラブボックスになっていた。また、スタンドの一部、500席は、アメリカらしくアルコール禁止のファミリーシートになっている。  球場の名は、1993年の資料によると、ネーミングライツを50万ドルで売り出しているとあった。このころからすでにアメリカでは命名権ビジネスは始まっていたようだ。当時のレートでの邦貨で5000万円。スタジアムの名のダニエル・S・フラウレイはこの権利を買った個人のものなのだろうか。  スタジアムは、アメリカの多くの町同様まちはずれにあった。とは言っても、比較的小さな町なので、駅、バスターミナルの集まるダウンタウン中心部から歩いて30分ほど。駅前から延びる広い道路を進んでいくと、左手に照明塔が見えてき、そこから横道に入ると間もなくスタジアムにたどり着いた。    この日のゲームは、A級カロライナリーグ北地区チャンピオン、キンストン・インディアンズとのファイナルシリーズとあって、スタンドには大勢のファンが詰めかけていた。プレーオフ記念のTシャツなどもショップに並んでいて、いやがおうにも雰囲気は盛り上がる。
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 マイナーも最下層に近いA級だが、球場の立派さにアメリカの野球の奥深さを思い知らされる。フードショップやスベニアショップの充実ぶりは、日本の一軍並みと言っていいほどだった。シートもゆったりしていて見やすく、フィールドに目を転じてみてもホームベース後ろに「BR」のロゴと、デラウェア州の形をデザインしたブルーロックスのマークが描かれていて何ともおしゃれだった。
ウィルミントン2
 試合の方は、始終アウェイのインディアンスのペースで進み、残念ながら地元のブルーロックスは負けてしまったが、地元ファンの熱心な応援がなんとも印象に残った。地域密着型のアメリカでは、地元チームに対するファンの愛着は日本の比ではない。  この後、私はヨーロッパへ渡った。その時、ウィルミントンで買ったブルーロックスのジャンパーを着ていたのだが、1組の白人夫婦がうれしそうに私に声をかけてきた。聞けば、ウィルミントン在住だと言う。異国の地で、しかも日本人が自分の町のマイナーリーグのチームのジャンパーを着ていたことがうれしくて声をかけてきたらしい。  そのジャンパーは今も私の部屋にかかっている。
ウィルミントン


posted by gr009041 |01:29 | マイナーリーグ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2013年04月16日

伝統の一戦inカリフォルニア

 NPBが発足80周年を迎える来年、伝統の巨人阪神戦をアメリカで開催する方向で調整中であると報じられた。この計画はすでに前回WBCの直後にも取沙汰されていたが、この度、いよいよ実現の方向に舵が切られたようだ。

 これに対するネットでの意見は、おおむね否定的である。せっかくの人気カードを集客が見込めるかどうか不透明なアメリカで開催するメリットは果たしてあるのか?あるいは、採算など取れるはずもないだろうという意見が圧倒的多数を占めている。

 たしかに、MLBのチームの来日興業には多くのスポンサーがつくし、バカ高いチケットも飛ぶように売れる。それになによりも、MLBという商品のプロモーションに大きなプラスの効果を与えている。テレビ放送権やグッズのその後の売り上げにも貢献するのだ。
 そもそも日本でのMLB公式戦は、基本的に集客に困っている球団の救済措置として行われている。昨年のアスレチックス・マリナーズ戦などは海を渡れば閑古鳥の鳴くカードである。松井秀喜擁するヤンキースの来日の際も、主催球団のデビルレイズ(現レイズ)は、MLBきっての不人気球団である。
 
 NPBもかつては、ダイエー球団がオリックスを連れて台湾での公式戦を開催したが、日本の球場に比べ収容人数の少ない台湾の球場を満員にしたところで、経済格差から日本よりも安い価格に設定されたチケットからの収入やスポンサー収入だけでは、ビジネスとしてのうまみはないようで、翌年計画されたロッテ球団による韓国遠征も結局は中止されている。

 それらを経験しての今回のアメリカ開催だが、前向きに考えれば、日本の野球の魅力を本場でみせつける大きなチャンスではある。しかし、いくら日系人が多いとはいえ、ロサンゼルスやアナハイムの球場を満員にできるかどうかは甚だ疑問ではある。
 NPBはビジネスとしてのリスクは回避されそうだとしているが、日系企業のスポンサーのめどがついたのだろうか。

 ちなみにアメリカ国内での他国プロリーグ公式戦の事例はあるにはある。
 かつてテキサスの国境の町、ヌエボラレドに本拠を置いていた、メキシカンリーグのテコロテスは、ダブルフランチャイズとしてアメリカ側のラレドにもホーム球場を持ち、公式戦をたびたび開催していたが、現実は私が足を運んだ名門チーム・モンテレー戦でさえ観客は数えるほどしかいなかった(おまけにこの日は無料招待デーだった)。
 また、もう7年近く前になるだろうか。当時パドレスと業務提携を結んでいたメキシコシティ・ディアブロスロッホスが、パドレスの本拠ペトコパークで公式戦を行ったが、この試合も観客は数千人しか集まらなかった。メキシコ系の多いこの町でも、「マイナーリーグ」の試合にファンは興味を示さなかったのだ。

 果たして、日本のプロ野球がアメリカ人にとって「海の向こうのメジャーリーグ」なのか、「マイナーリーグ」のひとつにすぎないのか。この伝統の一戦の動員数がそれを教えてくれることだろう。

 個人的には、アジア系の集まるカリフォルニア。集客的には、毎回観客動員に悩んでいるアジアシリーズをここで開催した方がいいのではないかなとも考えたりしてしまう。
 

posted by gr009041 |22:53 | 国内野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2013年04月15日

ウエスタンリーグ公式戦(オリックス・中日戦)

橿原
 14日、奈良県橿原市の佐藤薬品スタジアムでオリックスのファーム戦があった。同球団は、昨年から吸収した大阪府を中心に近鉄球団沿線を含む近畿圏一円でファームの公式戦を組んでいる。これまでも在阪球団による本拠地球場以外の球場での試合開催はあるにはあったが、いずれも戦略的なものには見えず、そもそも在阪球団は東の球団に比べ、二軍を収益のシステムに組み込むという意識があまりみられなかった。  合併後も、成績の不振とあいまって、人気が下降気味のオリックスだが、ファームの地方開催で少年ファンを取り込み、将来の集客につなげようというこの試みは、いまだ人気球団の阪神が、二軍の試合をファンへのサービスとして基本無料で開催し、ビジネスのコンテンツにしようとしていない中、先進的な試みと言える。  今回の開催も、開催権を地元の奈良テレビに売り、奈良テレビはこのゲームを自社の番組コンテンツにするというある意味ウィン・ウィンの関係を構築しながらのものと捉えることができ、今後のファームチームのビジネスとしての有用性に希望を持たせてくれる。  「プロ野球」の開催に地元ファンも集まり、スタンド席はほぼ満員、内野外野の芝生席も解放され、賑わいを見せた。  試合は、オリックスが終止試合を優位に進め、4対3で勝利した。 私が注目したのは、オリックス先発のハモンド。アメリカでは3Aまで登りつめながらも、メジャーには昇格できず、若手に押しやられる形でオーガナイズドベースボールを追われ、その後は、北米独立リーグ最高峰のアトランティックリーグでプレー、2010年シーズン途中には台湾の新興チーム、ラニュー・ベアーズに入団した。翌2011年は、名前をラミゴ・モンキーズに変えた同球団で9勝を挙げるも、自由契約となり、ドミニカのウィンターリーグで新たなプレー先を模索した。そして出した決断が日本の独立リーグでのプレーだった。  2012年シーズン、彼はBCリーグの石川ミリオンスターズでプレーした。ドミニカや台湾でもプレーしたとは言え、それらはあくまでその国での「メジャーリーグ」。独立リーグの環境は満足いくものではなかった。金沢郊外にアパートを借りながらのマイナーリーグ生活。美しい北陸の城下町を散策することもなく、ひたすら野球に打ち込んだ。日本にはNPBに上がるためだけに来たというハモンドは、その目的が達せられなくなる7月末にはアメリカに帰ると語っていたが、結局シーズン終了までミリオンスターズのエースとして投げ抜き、11勝5敗、防御率1.85の成績を残した。  この年、ミリオンスターズにはジャパニーズドリームを叶えるため、実に8人の外国人選手が入団した。そのうちシーズン通してプレーしたのは彼一人だった。 「ダメならさっさと帰ろうと思ったんだけど、結局僕だけだね。最後までいたのは」
hamonndo isikawa
(石川時代のハモンド) 昨年9月。ハワイ球団との交流戦に投げたあと、自嘲気味に彼は語っていた。 そんな彼に野球の神様は大きなチャンスを与えた。オリックスの秋季キャンプに参加。ここでその投球が認められ、念願のNPB入りを果たした。
ハモンド
 オープン戦序盤は持ち味を出していたものの、開幕一軍はならなかった。ずば抜けたストレートがないぶん、球のキレとコントロールで勝負せねばならないのが、レベルの高さとプレッシャーのせいか、力みが入ると細かなコントロールができなくなってしまったのだ。  私が今年彼を最初に見たのは、WBC強化試合のブラジル戦。格下相手のはずが、連打で失点を喫してしまった。相手を飲んでかかることができていないようだった。  この日は無難な立ち上がりをみせたものの、ランナーを出すとボールが高めに浮き、3回には2アウトから追い込みながらレフト前にタイムリーを打たれて1失点を喫した。ランナーじたいはレフトの落球とサードの緩慢な守備(記録はともに安打)で出したもので、一軍クラスなら本来出していないものである。しかし、首脳陣が見るのはここからのピッチングである。この場面で追い込んでからのあわせられてのタイムリーは、ランナーを出してからの制球の乱れとともに、今後の課題だろう。昨年までは、多少甘いとことにいっても打ち損じが多かっただろうし、そのため余裕ももてたのだろうが、「格上」相手にどれだけのピッチングをするかが、一軍の戦力としての試金石になるであろう。  それでも5回を1失点に抑え、勝ち投手に。ファームではあるが、NPB初勝利をおさめた。
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2013年04月13日

マイナーリーグ回顧1995:アメリカンドリームを求めて

 大きなスタジアムと最高級のプレー。メジャーリーグには常に「華」があり、そこれプレーしている選手には、「成功者」としてプール付きの家や優雅な生活が保障されている。
 しかし、今をときめくメジャーリーガーたちもはじめからそういう成功を約束されていたわけではない。彼らのほとんどはマイナーリーグと呼ばれるファームからたたき上げられたものである。
 選手層の厚い北米プロ野球では、プロ1年目でいきなりメジャーリーグという最高の舞台に立つことはまずない。一軍のベンチに入るだけでも珍しいくらいだ。この点、大物ルーキーがいとも簡単に一軍で主力になることもある日本とは大きく違う。
 MLBのファーム組織の充実ぶりは日本の比ではない。ひとつのメジャー球団が7.8つのファームチームを持ち、それらが親球団とは別の球団として全米とカナダに散らばっている。3Aからルーキーにまでクラス分けされたそれらファームチームから選手たちはメジャー目指して這い上がっていくのである。それに加えて、現在ではメジャー球団はカリブ海のドミニカ共和国、ベネズエラにもルーキー級のファームチームを保有している。この年、1995年のクリーブランド・インディアンズの優勝に貢献したクローザー、ホセ・メサはベネズエラのルーキー級チームからメジャーリーガーにまで登りつめた好例である。

 マイナーリーグは、独立した球団として各地方都市をフランチャイズとして毎年リーグ戦を行い、ペナントを争っている。各球団は、親球団からの預かりというかたちで選手を受け入れチームを運営する。さらにこの当時は、メジャー球団から全く独立して、フリーエージェントの選手を雇う「インディペンデント」の球団や、複数のメジャー球団からあぶれた選手を受け入れる「コーポレイト」の球団もあった。

 近年になって、親球団の本拠地でマイナーチームが試合を行なうような企画もなされるようになったが、広大な国土をもつアメリカでは、長い移動距離もあってか、フランチャイズ制は厳格に守られ、本拠地球場以外で試合が開催されることはほとんどない。その分、200近くあるマイナー球団が全米に散らばっているので、アメリカ国民は「ナショナル・パスタイム」を生で観る機会にあぶれることはない。

*これから折にふれ、私の原点である。1995年の北米大陸野球放浪について述べていきます。お楽しみに。

posted by gr009041 |11:23 | マイナーリーグ | コメント(0) | トラックバック(0)
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