2012年02月06日
リンク先の「現地リポーターが伝える海外の生活・旅行・エンタメ情報」で、士林夜市の行き方案内の記事で2月5日付けのデイリーランキング3位になりました。
先週のウィークリーランキングでは、その士林夜市の行き方案内で2位、ダルビッシュの懐かしい写真を紹介した記事で7位になりました。
ダルビッシュの写真は、2004年9月に台北で開催されたAAA世界野球選手権時のものです。
この頃のダルビッシュは高校3年生。
どんな様子だったかは、読んでいただければ分かって頂けると思います。
士林夜市に関しては、紹介してからアクセスが増え続けています。
ただただ感謝です。
閲覧していただいた皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
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2012年02月03日
リンク先の「現地リポーターが伝える海外の生活・旅行・エンタメ情報」で、ダルビッシュ有の懐かしい写真をアップした記事で2月2日付けのデイリーランキング2位になりました。
ダルビッシュの写真は、2004年9月に台北で開催されたAAA世界野球選手権時のものです。
この頃のダルビッシュは高校3年生。
どんな様子だったかは、読んでいただければ分かって頂けると思います。
閲覧していただいた皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
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2012年02月02日
リンク先の「現地リポーターが伝える海外の生活・旅行・エンタメ情報」で、ダルビッシュ有の懐かしい写真をアップした記事で2月1日付けのデイリーランキング2位、士林夜市の移転先案内で4位になりました。
士林夜市に関しては、行かれる方が多いからなのかな…という感じです。
スマートフォンの普及状況も微妙に反映されているのでしょうか?
ダルビッシュの写真は、2004年9月に台北で開催されたAAA世界野球選手権時のものです。
この頃のダルビッシュは高校3年生。
どんな様子だったかは、読んでいただければ分かって頂けると思います。
閲覧していただいた皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
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2012年02月01日
リンク先の「現地リポーターが伝える海外の生活・旅行・エンタメ情報」で、ダルビッシュ有の懐かしい写真をアップした記事で1月31日付けのデイリーランキング2位になりました。
ウィークリーランキングでは、新しい士林夜市の行き方案内で6位、その紹介記事で14位でした。
1月のマンスリーランキングでは、新しい士林夜市の行き方案内で4位、その紹介記事で10位、高雄・夢時代の花火の写真をアップした記事で12位、総統選挙の蔡英文氏敗因分析の記事で14位になりました。
士林夜市に関しては、連休等で行かれる方が多いからなのかな…という感じです。
総統選挙が一段落し、今は蔡英文氏が台湾各地をまわり、選挙時の支援のお礼まわりをしています。
高雄・夢時代の花火の写真は喜んで頂ければ幸いです。
ダルビッシュの写真は、2004年9月に台北で開催されたAAA世界野球選手権時のものです。
この頃のダルビッシュは高校3年生。
どんな様子だったかは、読んでいただければ分かって頂けると思います。
閲覧していただいた皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
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2010年07月13日
本来ならMLBのFutures Gameに出場した陳俊秀や、オールスターゲームに急遽出場が決まった郭泓志の事を取り上げるべきだと思います。もしくは、来月判決が出る中込伸氏の事を扱うべきだと思います。
しかし、個人的にはやっぱりこれを取り上げない訳にはいきません。
ヤンキースの名物オーナーであるジョージ・スタインブレナーが、心臓発作で亡くなりました。
享年80歳でした。
こちらでは、その足跡が詳しく紹介されています。
ジョージについては、ドジャースのジョー・トーリ監督が共同で執筆した「さらば、ヤンキースー我が監督時代ー」の中で、衰えが顕著になってきている事が記載されていました。そして、ここ数年、球団の経営の第一戦から退いて、表舞台に出てくる事が少なくなっていましたので、薄々感じてはいました。
ただ、まさかこういう事になるとは…という感じです。
色々文献を読んだところ、ジョージは私がヤンキースファンになる前に、色んな事をやらかしたみたいです。
特に興味深いのは、5回も監督を解任したビリー・マーチンとのやりとりです。
お互いに気が強い方だったらしく、色々バトルがあったそうです。
以下、文献を読んで知ったものを紹介させて頂きます。
いずれも有名らしいです。
当時のジョージは、TV中継を見ながら選手の身だしなみや立ち振る舞い等でおかしなところがあると、ベンチにある電話に直接電話をして、きちんと整えるよう、コーチングスタッフに注意していたそうです。
ある時、ビリー・マーチンがその電話に出た際に「なんだ、スタインブレナーの名を語ったいたずら電話か、忙しいから切るぞ!」と言って、本当に電話を切ってしまったそうです。
気に入らない上司の電話に使えそうですね…ではなく、本当にこういう事をできるビリー・マーチンもすごいですが、ジョージが電話口で地団駄を踏んで悔しがる姿が想像できて、読んでいて笑ってしまいました。
また、ヤンキースは今でも大枚をはたいてFAやトレードで大物選手を獲得する傾向にありますが、当時の大物だったレジー・ジャクソンを獲得した時、ビリー・マーチンはものすごい痛烈な皮肉をもって”歓迎”したという話を読んだ事をあります。
ジョージはビリー・マーチンとそんなやり取りをしながら5回も解任していますが、腐れ縁のようなものがあったと感じていたみたいです。事あるごとに噛みついてきたビリー・マーチンが1989年に交通事故で亡くなった時、自費で彼のお墓を用意してあげたそうです。
ジョージは、豪腕かつ独裁的で無茶苦茶やっているように見えて、実はものすごく繊細で、情にもろいリーダーだったようで、それが周囲の人々を引きつけていた魅力だったのかもしれません。
しかしながら、前回紹介したボブ・シェパードさんが亡くなって時間が経たないうちに、ジョージ・スタインブレナーも亡くなりました。
前回、ボブさんが亡くなった事で「旧ヤンキースタジアムで築き上げた歴史や色んな思い出に一つの区切りを付け…」と書き込みましたが、これで本格的に一つの時代の終焉を迎える事になりそうです。
さて…ヤンキースはこの時代の終焉を受け、これからどんな足跡を残していくのでしょうか?
ジョージ・スタインブレナー氏のご冥福を心からお祈りします。
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2010年07月12日
夜中、ドイツのタコ兄さんの予想が当たるかどうかチェックするために、起きて…と思っていたら、試合時間の殆どを寝て過ごし、気がつけばスペインが勝って優勝していました。
タコ兄さんの予想が当たりましたが、好ゲームを見られなかった私は複雑な心境です。
それはさておき…
ヤンキースタジアムで、1951年から2006年まで4500試合以上で場内アナウンスを務めていらしたボブ・シェパードさんが、お亡くなりになりました。99歳だったそうです。
ボブさんは、Voice of Yankeeと呼ばれるほどの声が売りの名物アナウンサーで、私も大好きでした。
過去に旧ヤンキースタジアムに10回通いましたが、ボブさんの落ち着いたアナウンスがヤンキースタジアムやニューヨークという街の雰囲気に合っていたような気がして、すぐにひかれました。
他のスタジアムですと、盛り上げるためにホームの選手を誇張して読み上げるところを、ボブさんは読み方を選手に聞いて、それに基づいて忠実に読み上げ、試合や球場の雰囲気を壊さないようにしていました(こちらの動画を参照下さい)。
ジーターが、自分の打席に入る際にボブさんの声が入ったアナウンスを今でも使うのは、そういう心配りや温もりが、たまらなく好きだったからなのかもしれません。
*こちらのHot Stove:Bob Sheppardでは、ボブさんだけでなく、ジーターもあれこれ語っています。
かつてヤンキースに入団した選手が、ボブさんに名前を呼ばれたがっていた、という話を聞いた事がありますが、それも何となくうなずけます。ボブさんの事は、機会があったら王建民に聞いてみたいですね。
旧ヤンキースタジアムには、もう1人1967年から2003年までオルガンを弾いておられたエディ・レイトンさんもボブさん同様に名物になっていましたが、そのエディさんも2004年にお亡くなりになっています。
昨年からヤンキースタジアムは新しくなり、旧スタジアムは取り壊されてしまいました。
旧スタジアムで名物だったオルガン弾きのエディさんも、声が素敵なボブさんも亡くなりました。
私がヤンキースを更に好きになるきっかけになった名物が無くなってしまいました。
とても寂しいです。
この寂しさは、ジーター、ポサダ、ペティット、バーニー辺りは同じように感じているのかもしれません。
ボブさんの他界は、旧ヤンキースタジアムで築き上げた歴史や色んな思い出に一つの区切りを付け、ヤンキースと新ヤンキースタジアムが、本当の意味で新しい歴史に向かって歩みだす第一歩になりそうです。ただ、選手だけでなく人の入れ替わりが激しい現代で、ヤンキースと新ヤンキースタジアムは、これからどんな歴史を築いていくのでしょうか?
ボブさんのご冥福を心からお祈りします。
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2010年02月06日
現在、元レッズの名選手バリー・ラーキンと元エクスポズの投手ジョセフ・ローガンが米国在台湾協会(日本でいう交流協会のようなところ)の招待を受け、台湾各地をまわって子供たちに野球を指導しています(こちらより)。
昨日5日は高雄・澄清湖棒球場でしたので、そちらへ行ってました。
そのときの様子
大体、6箇所に分けて練習と指導を行っていましたが、講師であるラーキンたちの周囲には笑い声や笑顔が目立つ楽しい雰囲気が漂っていました。
左側で腕立て伏せをしているのは、エラーしたペナルティです。
でも、選手たちは笑顔です。
ラーキンたちの指導で、特に目立ったのは、選手たちとの距離感の短さです。丁寧に自分が習得してきた基礎を教えてはいるものの、選手たちの練習中にちょっかいを出してからかうのは当たり前で、一緒になってはしゃぐこともしばしば。
また、↓のようにじゃれあうことも多々ありました。
こういうことを通じて学んだことは、簡単に忘れることは無いはずで、選手たちにとっては間違いなく貴重な経験になったはずです。
どんなことであれ、人にモノを教えるのは大変難しいことだと思いますが、ラーキンたちはそれを楽しんでいるようにも見えました。同時に、選手たちもラーキンたちから楽しませてもらっている、という感じでした。しかし、実際は、選手たちが楽しんでいる姿を見て、講師であるラーキンたちが楽ませてもらっていたのかもしれません。
日本では、「講師は講師。受講者は受講者」という区分をどうしても明確にしたくなるため、こういう光景はあまり見かけないので、大変新鮮に見えました。
今回の訪台で、ラーキンたちが指導した選手たちだけでなく、同行していたコーチたちに伝えたかったことは、
野球は本来楽しいもの。練習も、自分が楽しく(この定義は人によって違いますが)野球をするために行うもので、必ずしも苦痛を伴うものとは限らないんだよ
ではないかと思います。
何事も楽しくなければ持続できないので、この辺りをラーキンたちはあの場で自然体で表現していたように見えました。
以下、個人的な感想を
お互いが平等に楽しみ、楽しませてもらう関係をつくる、というのは、本当に容易ではないと思います。
まず、教える側が楽しくなければ、教わる側はいくら頑張っても楽しくならないからです。また、必ずといていいほど、どちらかに偏ってしまい、どちらかの心が「置いてけぼり」になってしまうからです。おそらく、そこから生まれるものは、「傲慢」だとか「独りよがり」といったものではないか、と思います。
この時のラーキンたちの姿を見ていますと、お互いが平等に楽しみ楽しませてもらう関係を自然に作り上げていましたので、こういうのが本当の「プロフェッショナル」なのかな…と思わずにいられませんでした。
この境地に達するには、私は全然修行が足りないようです。
ラーキンたちは子供たちを教えていましたが、私も間接的に多くのことを学んでいたように思います。
そんなことを考えながら、高雄を後にし、台北に移動してきました。
次回以降は、HBLの紹介が中心になると思います。
それでは失礼します。
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2009年09月23日
現地時間で、既に4日目に入っておりますが、体調不良でダウンしたため、まとめて紹介したいと思います。
2日目は、2人でもう一度ニグロリーグ博物館へ訪問し、館長代理の研究者の方から、色々お話を伺いました。
師匠に当たる方は大変有意義なお話を聞くことができただけでなく、私には、昭和2年に刊行された野球雑誌(「野球界」という日本語でありながら、ロサンゼルスで出版されたものでした)を見せていただくことができたのが大きかったです。
私の記憶が確かならば、この頃の日本は、まだプロ野球が無く、六大学野球が花形だった時代。その当時の六大学野球の看板選手や、五輪を目指す当時の陸上競技の選手たちの若かりし日の姿を見ることができました。
また、この頃の雑誌広告は、今の雑誌のように華やかではないのですが、手作りでどこかぬくもりがあったように見え、「いとをかし」という感じでした。
そんな雑誌を、なぜニグロリーグ博物館が保管されていたのか気になるところですが、この頃、ニグロリーグの選抜チームが来日して六大学野球のチームと親善試合を行った時の様子が紹介されているので、資料として保管していたようです。
時間が経ちすぎているだけでなく、紙質も今ほどいいものではないため、ケースにしまわれ、扱いも手袋を使用してました。
このニグロリーグ博物館訪問後は、3日目の朝まで完全にダウン。
途中、カージナルスVSカブスをTVで見ていましたが、結局そのままベッドで寝ていました。
3日目は、ロイヤルズのホーム球場のカウフマン・スタジアムへ行きました。目的は、今季からレフトスタンドにできたロイヤルズの殿堂の訪問(下の写真参照)。
館内を、スタッフの方から説明して頂きながらの参観でしたが、途中で、この殿堂の管理者の方が私たちの元へ来てくださいました。
この方には、ロイヤルズの歴史だけでなく、ずっとさかのぼってニグロリーグやメジャーリーグ創世記時代のカンザスシティの野球史をじっくり語って頂きました。
ロイヤルズは、球団の歴史そのものは浅いのですが、1800年代後半からのカンザスシティが持つ野球史を、自分たちが未来へ受け継ぐ気概をもって球団を運営していることを、お話を聞きながら感じました。
注:ここまで、「おまえ、英語分かるんか!!」なんて突っ込みを受けそうですが、すべてフィーリングです!それで何とかなるバイ!
実質、この責任者の方はアポなしだったのですが、熱心に話を聞く
私たちの事を気に入って頂いたらしく、ご多忙の中長時間お付き合いしてくださいました。
また、別の球団の方からは、その夜に行われたレッドソックス戦のチケット購入の際にも、朝から降っていた雨に濡れなくて比較的本塁に近い席を、ご好意で用意して頂きました(ただ、レッドソックス戦なので、価格が割高に設定されてました…)。
この日は、こんな感じで、朝からずっとロイヤルズ球団の皆様に本当にお世話になりっぱなしでした。
この場を借りて皆様にはお礼申し上げます。
ありがとうございました。
こんな感じで、カンザス滞在は過ぎていきました。
カンザスシティ…というよりも、アメリカそのものが持つ野球の歴史の奥深さに、改めて脱帽した、という感じの滞在になりました。
今は、一眠りついた後に待つ約1日かけた移動に備えているところです。
到着は、台湾時間の24日の23:55の予定。
次は、「すごろく」が復活するか否か…
期待しないで、お待ちください。
posted by |11:14 |
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2009年07月13日
現地時間の12日に行われたMLBのフューチャーズゲームで、羅嘉仁(Chia-Jen, Lo)が6回ウラに登板し、無失点に抑え、勝利投手になりました。
*こちらと、こちらを参考にしました。
3年連続の台湾人選手MVP受賞とはなりませんでしたが、いい経験が出来たのではないかと思います。
雨で4時間以上の中断、MLBの球場での登板…
なかなか経験できることではありません。
羅嘉仁も目一杯楽しめたのではないかと思います。
内容は、エラーと2四球で満塁のピンチを作ってヒヤヒヤものだったみたいですが、変化球を少なくして自信のある直球で押しまくって打者に向かっていったのは、「アイツらしいな〜〜〜」という感じです。
しかし…
その一方で、先発の田澤純一が、マウンドに上がる前にあった4時間以上の雨の中断が響き、1球も投げないまま交代した、というのを知り(こちらより)、複雑な気持ちになりました。
仕方がないとはいえ、「そんな蛇の生殺しみたいな事せんでもええやん…」という感じです。
田澤本人も楽しみにしてたでしょうに。
きっと、日曜日朝の番組で、御大お二人から「喝!」が入るでしょう。
そこで、レッドソックス球団に対して手厳しい言葉が並ぶでしょう。
羅の勝利を祝福しながらも、日曜日朝の番組を期待して待ちたいと思います。
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2009年07月01日
昨日紹介した倪福徳が、現地時間の29日、オークランドで行われたアスレチックス戦で2番手で登板し、メジャーデビューを果たしました。
1−5とリードを許した5回裏途中からの登板で、1回2/3を投げライアン・スウィーニーにソロ本塁打を打たれた1失点のみ。ジェイソン・ジオンビからのを含む奪三振3と好投を見せ、リーランド監督からもなかなかの評価を受けたようです。
こちらの動画で、本塁打を打たれたシーンを見ました。
高さはいいと思いますが、ちょっと真ん中に入ってきた分、バットの芯にあたりやすかったのかな…という感じでした。
過去2年、倪を台湾で見ていた時の印象ですと、選手層が薄かったチーム事情から、先発(通算35試合)でもリリーフ(通算34試合)でも使い回されて、顔に元気がなく、豪快にくたびれた様子で投げていた感じでした。
アメリカに行ってからは、起用法が明確になり、調整もしやすくなったのかもしれません。それだけでなく、台湾よりも野球に専念できる環境が整っている事も作用しているようにも見えます。
こちらにある写真や、前出の動画を見ていると、表情も活き活きしていますし、躍動感も感じられ、見ていて気持ちのいいものでした。
この後も、このような形で登板機会がまわってくるはずです。
デビュー戦で見せたような姿を、台湾のファンに見せて元気を与えてくれる事を願います。
posted by |00:03 |
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2009年06月29日
以前、こちらで紹介した倪福徳(Fu-Te, Ni)のメジャー昇格が決まり、デトロイト・タイガースの公式HPにアップされました。
こちらが、タイガースの25人ロースターのHP。
…で、こちらは倪福徳個人を紹介しているHP
台湾人選手では、2007年の胡金龍(現ドジャース3A)以来、6人目のメジャー昇格となり、CPBL出身では初めて(MLBの球団に入団したのも初めてです)となりました。
倪は、3月のWBC終了後(2連敗であっさり終わったけど)は主に3Aで調整を行ってました。
3Aでの成績は、24試合いずれもリリーフで登板し3勝、防御率は2.40。奪三振は32で、被打率は0.240。
昇格の決め手になったのは、タイガースの左投手の層が薄くなっている事でしょうか。
倪を含め、現時点でのタイガースの25人ロースター中、投手は12人いますが、その内、左投手は2人しかいません。40人ロースターを見ても、21人投手がいる中で、左投手は大型トレードで入団したドントレル・ウィリスを含め4人のみ(内2人はDL入り)。
↑色々聞いてはいるけど、ドントレル・ウィリスには何が起きているんだろうか…
そんなチーム事情で、目に留まったのが、倪の3Aでの対左打者の成績。
防御率は0.63、被打率は0.184、失点は1(本塁打によるもの)。
アメリカ渡航後は見ていないので何とも言えませんが、彼の投球を見た担当者には、十分期待を持たせてくれるものだったようです。
とりあえずタイガースで担うであろう役割は、「対左打者のワンポイント」ではないか、と台湾では報じられています。
私も、現行のロースターを見る限り、そんな気がします。
MLB昇格に舞い上がる事なく、左打者を確実に打ち取る事で、好調なタイガースを更に盛り上げ、チームの中で自分の地位を確立してほしいと願います。
posted by |22:56 |
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2009年06月27日
以前、ここで紹介した羅嘉仁(Chia-Jen, Lo)(アストロズAA)の、フューチャーズゲーム出場が決まりました。台湾人選手では7人目となります。
*その記事は、こちらより
ルーキーの羅は、Aでは12試合に登板して1勝1S、奪三振36防御率1.78の好成績を残し、5月下旬からAAに昇格。A在籍時と同様に、AAでも主にセットアップで起用され、8試合で防御率0の快投を見せた事が、選出の決め手になったようです。
本人には大変申し訳ありませんが、WBC代表の台湾での壮行試合と練習試合の埼玉西武戦でのピッチングを見ている限り、「これは、相当時間かかるな…」と思っていました。
1年前の北京五輪世界最終予選と北京五輪の時よりは進歩はあったのですが、気が短くて自分の感情をうまく制御できていないところがありました。これは、本人も少なからず認めている事でもあります。そういう時は、単調でムキになって直球ばかり投げてことごとく打たれる、という悪循環にハマるのですが、どうやらアメリカでは落ち着いてやっているようです。
羅嘉仁は世界選抜チームの一員として出場する事になりますが、チームメイトにはレッドソックスAAにいる田澤純一も入っているので、日本のMLBファンの皆さんにも関心を持って頂ければ…と思います。
ちなみに…
フューチャーズゲームのMVPは、過去2年は台湾人選手が受賞しています。
*胡金龍(2007年)と林哲瑄(2008年)
果たして、羅嘉仁は彼らに続く事ができるでしょうか?
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2008年11月08日
既に日本でも報道されましたが、北京五輪代表で3月の五輪世界最終予選ではクローザーを務めた羅嘉仁(中國文化大學)が、契約金25万ドルでアストロズと契約を交わしました。
こちらを参照しました
先日、台湾シリーズの傍らで観戦した大学野球の選手権・梅花旗。
そこで、文化大の試合を2試合観戦しましたが、いずれも最後のシメは羅嘉仁。
こんな感じでした(10月29日・天母棒球場で開催の決勝、VS台湾體育大學・桃園校より)
危ない場面は全くなく、格の違いを見せつけ、しっかり抑えて文化大學の3連覇に大きく貢献しました。
彼は本来なら卒業しているはずで、「卒業を延ばした」という話を聞いていたのですが、こういう事情があったからなのかなぁ、という感じです。
3月15日の早稲田大との親善試合でも格の違いを見せ付けていましたが(この時、球場で観戦していた日本の記者の方々は、彼の事ちゃんと覚えてるんやろか?)、基本的に走者がいないイニングの頭から登板すると力を発揮するタイプです。
北京五輪の中国戦のように、走者を出したところから登板するには非常に厳しい投手です。
また、気はめっちゃ強く、自信を持っている直球をビシバシ投げる反面、変化球はイマイチ。
この辺りは本人も気にしているところですが、今後メジャーを目指す場合、この辺りをどう改善していくかが、ポイントになるでしょう。
先日会ったばかりの彼が、アストロズのユニホームを着て会見に臨む姿を見て、ただただ驚くばかりです。
今年は大学でいい思い出を作りましたが、来年以降はアストロズでもっといい思い出を作れるよう、祈ってます。
posted by giants3so |22:10 |
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2008年09月18日
こちらで、既に紹介されていますが、王建民の母校である台北體育學院の李振昌(下の写真)が、インディアンスと契約しました。
(注)「台湾の田沢」と書かれていますが、台湾のアマチュアの有望株がCPBLを経ずにMLBを目指すのは、よくあることです。その辺りは、ここや、1月に発売されたスラッガーの文章を参考にして頂きたいと思います。
それ故、私は、田沢純一選手のMLB挑戦が、いろんな意味で大きな話題になっている事がものすごく不思議な気がします。
すみません、小さくて… 5月22日のVS國立體育學院より
インディアンスでは、増菘瑋(投手)、陳俊秀(捕手)に次ぐ、3人目の台湾選手となります。
詳しいことは前記にペーストしたところで記載されているので省略しますが、7月のハーレム大会と8月の北京五輪のキューバ戦で好投したことが、契約へ後押しになったのかもしれません。
李は、来年から1Aのキンストン・インディアンスでMLBを目指すことになります。
あと、思い出したことを…
8月の五輪代表の壮行試合のときでした。
初戦の米迪亞T-REX戦で先発し、5回を投げて無失点と好投しましたが、これをTV観戦していた小林亮寛さん(兄弟)が、「彼、いいですね!」と絶賛していました。
サイドスロー(見方によってはスリークウォーター)から150km前後の直球と切れのいいスライダーを投げ込む李は、台湾ではお目にかかれないタイプだけでなく、思いっきりのよさもあるので、それが亮寛さんの目には魅力的に映ったのかもしれません。
来年のWBC、台湾では王建民がエントリーするか否かが話題になっていますが、彼も代表入りして、もしかしたら日本戦で登板するかもしれないので、皆さんには是非覚えていただきたいと思います。
posted by giants3so |01:25 |
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2008年07月15日
ニューヨーク時間の7月13日に行われたMLBフューチャーズゲームで、以前私が紹介した林哲瑄(レッドソックス1A)が、昨年の胡金龍(ドジャース3A)以来の台湾人選手2人目のMVPを受賞しました!!
この試合、林は先発出場ではなく、6回ウラの中堅手の守備から出場。
7回表2死一塁で回ってきた打席で、ライアン・マシューズ(ロッキーズ2A)が投じた初球のシュート回転してインコースに入ってきた直球を振り抜き、レフトスタンドへ運びました。
更に9回表の打席も遊撃手への内野安打を記録。
投手は、両チームとも1人1回の使い切りモードでやっていたこともあってか、2点本塁打を放ち、強烈なインパクトを残した林がMVPを受賞しました。
林は取材に対して、
「メジャーで使用しているヤンキースタジアムという事で、始まったときから少し緊張していた。(本塁打の打席は)好球必打を心がけていた」
と通訳を交えてコメント(英語はまだアカンみたいです)。
ここでは、レッドソックスの一員である林が、憎っくきヤンキースのホーム球場で本塁打を打った、という事で、レッドソックスのファンが大喜びしているみたいよ、なんてアナウンサーが声をかけているようです(ワシもこれくらいの英語は分かるんよ!)が、実際どうなのでしょうか?
ただ、相手のアメリカ選抜は北京五輪の代表候補なので、そのメンバーから結果を残せた事は、五輪を控える彼に大きな自信と勇気をもたらす事でしょう。
「くどいわ、ボケ〜〜〜〜!」
と言われそうですが、この林哲瑄は本当に台湾代表の「キーマン」になり得るだけでなく、そう遠くない時期に松坂大輔や岡島秀樹のチームメイトとして日本のファンの皆さんの前に登場しそうです。
日本のファンの皆さん、どうか彼の名前を覚えておいて下さい。
お願いします。
posted by giants3so |00:09 |
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