2008年06月21日

教えていただけませんか? あなたが夢中になった選手を。

 ちょっと前のことに興味があります。特にバレーに関して。
先のような記事を書いたのも、自分が知らないことを知るのが
楽しくてしかたないからです。
バレーを見始めた99年以降のことについては、はっきりいって大体の
ことは分かるつもりです。
でも、それ以前のことは、名前だけは知っているという感じ。
その選手がどんなプレーをしていたのか、どれくらい人気があったのか、など。
知りたいことは山ほどあります。

 バレーファンなら誰でも、とにかく夢中になって応援していた選手が
一人や二人、いるかと思います。
憧れのプレーヤーとしてでも、アイドル的存在としてでも。
私にも、そういう選手が男女一人ずついました(詳しくは後で)。

 もし、この記事を読んでくださっているあなたに、そういう存在の選手、
自分にとっての「永遠のスター選手」がいらっしゃるのなら、
ぜひぜひ教えていただきたいのです。

 ただ、前述のように私は99年以降にプレーしている選手のことなら
それなりに分かります。
なので、70年代か80年代か90年代に現役バリバリだった選手に
限定したいと思います。
そのころ、あなたを最もときめかせていた選手は誰ですか?
もしよければ、どういったところに惹かれたのかも教えてください。
プレースタイルでもルックスでも何でもいいので。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。

 ちなみに、私は泉川正幸と満永ひとみです。
泉川はスパイク・レシーブ・ブロック・サーブとすべてのプレーを
高いレベルでこなしていて、当時バレー部だった私にとって
まさに憧れのプレーヤーでした(もちろん、私はそこまで高いレベルの
選手ではなかったですが)。

 満永はアイドル的存在としてです。
ポイントを決めたあとの「ミツスマイル」が大好きでした。
月バレを買って、満永のページがあったらそれだけで最高に幸せでした。
原宿のバボちゃんショップで下敷きを買いましたが、使いすぎてあっという間に
あちこちが割れてしまうほど。とにかくお気に入りでした。

posted by ganvolley |23:52 | 昔のバレーボール | コメント(21) | トラックバック(0)
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2008年06月17日

80年代のバレーについてあれこれ

 元々、昔のことをよく書くこのブログですが、最近ちょっと話題に
なっているのが富士フィルム・プラネッツの黄金時代。
日本リーグ時代、83年の17回大会から87年の21回大会まで、
日本リーグでは唯一の5連覇を達成しました。
17回大会こそ、17勝4敗だったのですが、それ以降は
20勝1敗・21勝・20勝1敗・14勝とまさに無敵。
80年代の男子バレーの象徴でした。

 メンバーはもちろんタレント揃い。
三橋栄三郎・川合俊一・岩島章博・米山一朋・山田修一
熊田康則・杉本公雄・蘇武幸志・海藤正樹等など。
富士フィルム≒全日本でした。
とは言っても、85年生まれの私は、そのプレーを全くといっていいほど
見たことがありません。
周りの評判を聞いて、すごかったんだろうなあ、と想像するのです。

 女性人気もそうとうなものだったらしいです。
日本リーグの会場には長蛇の列。Vリーグも満員になることはあっても、
長蛇の列って感じはあまりないですよね。
誰かがポイントを決めるたびに会場中から黄色い歓声。
誰が一番人気だったのか気になるところです。
やっぱり“センターのあの人”だったのでしょうか?

 同時代に活躍した他のチームの選手というと、たとえば田中幹保。
80年代が富士フィルムの時代なら、70年代は新日鐵の時代。
田中・小田勝美・辻合真一郎、さらには柳本昌一など。
73年から76年にかけて4連覇を達成しています。
監督はミュンヘン組の中村祐造でした。

 その他に私が名前を知っているのは、花輪晴彦や鳥羽賢二や
藤田幸光や井上謙などです。
とくに印象にあるのが、日立国分の監督もやっていた井上謙です。
中学のころ、県でバレーの上手な選手を集めた合宿があり、たまたま私も
それに参加することができました。
そこで、特別コーチとして来てくださったのが井上さん。
何を教わったか、正直もうほとんど覚えていないのですが、元全日本の方に
指導していただけたのは、いい思い出です。

 90年代の富士フィルムは、92年こそ青山繁や成田貴志などの活躍で
優勝したものの、Vリーグになってから外国人プレイヤーを採用しなかった
ため上位にはほとんど行けず、結局02年に廃部になりました。

 ところで、80年代の世界のバレーで外すことのできない選手といえば、
アメリカのカーチ・キライかと思います。
これも、プレーしている姿は全く見たことがないのですが、キライに
憧れていたっていう選手がけっこう沢山いるんです。
たとえば、ソ連時代のスター選手、ドミトリー・フォーミンなんかです。
FIVBが選ぶ20世紀最高の男子プレイヤーに選ばれたのも、
カーチ・キライなのです(女子はたしかキューバのミレーヤ・ルイス)。
カーチ・キライってそんなに素晴らしい選手だったのでしょうか?

 あっ、もう一つ聞きたいことがあります。
日本リーグで6年連続でレシーブ賞をとった岩島章博と、
私が最もレシーブの上手い選手だと思う青山繁。
どちらのほうがレシーブが上手だと思いますか?

posted by ganvolley |13:10 | 昔のバレーボール | コメント(13) | トラックバック(0)
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2008年06月14日

個人的なバレー名言集

 先の記事で、いくつか西村晃一の言葉を紹介しました。
その流れで、今回は過去の雑誌のインタビューなどで、
印象に残っている発言をピックアップしてみようと思います。
名言って感じじゃないものもありますが、そういうのも含めて
一括りにして名言ってことにさせてもらいます。
まずはこの言葉から。

 「海外の選手はユニフォームなのに、日本の選手は
スーツを着てバレーをやっている」   (00年 加藤陽一)

 これは“深い”です。このころから加藤はこういう気持ちを
持っていたんですね。
協会には協会のやり方がある。規制やら枠やらがある。
それに従わなければならない“窮屈さ”を表現した感じでしょうか。
加藤つながりでもう一つ。

 「毎日が世界選手権みたいなものです」 (03年)
 
 世界のスーパースターが勢ぞろいする、イタリア・セリエAでの
戦いを振り返っての言葉です。 
昔、野茂英雄が「メジャーに行って最も良かったことは?」という
質問に対して、「毎日、一番いい席で最高の野球が見れること」といった
趣旨のことを言っていた記憶があります。
世界最高峰のバレーリーグでプレーする喜びを、加藤なりに表現した
言葉かと思います。

 「自分だけで取ったのはサーブ賞だけです」 (03年 ジルソン)

 サントリー黄金時代を支えたジルソン・ベルナルド。
その間、Vリーグのあらゆる賞を総なめにしてきました。
MVP・得点王・猛打賞・サーブ賞など。
そういったことを聞かれたときの、ジルソンの言葉が上のやつ。
スパイクを打つには、トスやレシーブが必要。
仲間が頑張ってくれたから、たまたま自分が賞をもらえた。
そういった心でプレーしていたジルソンに、とても好感が持てます。
バレーボールはチームスポーツだってことを、改めて痛感します。

 「重要なのは、間違いを認めることであり、決して言い訳をしないことです」
                                      (03年 ジバ)
 
 これはバレーというより、一人のスポーツ選手としてですね。
02年の世界選手権直後のイタリアリーグで、ジバはドーピングで
陽性反応を出してしまいます。
ジバがなぜそんなことをしてしまったのかは分かりません。
ただ、現在、ジバは誰もが認める世界のトッププレイヤーです。
人間なら誰しも間違いを犯すことはあるでしょう。
その状況に真摯に向き合い、過去を乗り越えるだけの努力をすること。
それをジバは今のプレーで示してくれている、そんな気がするのです。



 最後はこの名言で締めくくろうと思います。
 「沙織の声ってさー、オカマみたいな声だよね」 (05年 菅山かおる)

 皆さんもそう思われますか? もちろん、木村沙織のことです。
インタビューの声を聞いてても、特別そうだとは思わないんですけど……。
っていうか、こんなんで締めくくってすいません。 

posted by ganvolley |16:21 | 昔のバレーボール | コメント(3) | トラックバック(0)
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2008年06月06日

Vリーグ助っ人列伝

 オーストラリア戦、バイトのためただの1セットもリアルタイムで
観ることができません。
悔しいので、また最終予選に関係ない思い出話を書いてみます。
例のごとく、かなりマニアックな内容です。

 毎年、Vリーグが始まるころ、気になるのは各チームの助っ人。
何シーズンも同じチームでプレイした選手もいれば、ネームバリューに
ふさわしい活躍が出来なかった選手もいます。
何人か印象に残っている助っ人を挙げてみます。

 個人的に、一番記憶に刻まれているのが松下に来たパスカルです。
最初、来日を知ったときは本当に驚きました。
えっ、あのスペインの貴公子、パスカル様が日本でプレーするの!?
みたいな感じです。まだ現役バリバリでしたから。
すごいと思ったのはプレーだけではなく、そのサービス精神。
ファンからのサインや写真のお願いに、笑顔で気さくに応じる姿。
負け試合の後でも、そういった光景を見ることが出来ました。
プロだなあ、と思いました。
生でプレーを観られて本当に良かった、いい思い出です。

 もう一人、印象に残っているのが東レのボール・ロイ。
セッターの助っ人ですからね。珍しいです。
サーブランキングの常連でもありました。
久しぶりに、セッターの助っ人なんて見てみたい気もします。 
  
 同様に、大物が来てびっくりしたことが何回かあります。
主に男子ですが、堺のウラジミール・グルビッチや東レのフォーミンなど。
ただ、名前負けというか、体調が万全でなく満足なプレーが出来ないって
ことが多かったように思います。
まあ絶好調なら、わざわざ日本でプレーする必要はないのかもしれませんが。

 最近、助っ人はどのチームも毎年のように入れ替わっている気がします。
10年くらい前は、けっこう何年もそのチームでプレーしている助っ人が
いたものですが。近年は流れが速いというか。
たとえば男子なら、ジルソン・ベルナルド、サベリエフ・イリア、ホフ・トーマス、
イエルツェン・ヒド、ファンダールミューレン・オロフ、シャトーノフ・オレークなど。
女子なら、イエリッチ・バーバラ、アルタモノワ・イェブゲーニャ、
フールマン・フランシーヌ、など。
最近は、たった一年でサヨナラの助っ人ばかりで、何だかさびしいです。

 というわけで、最終予選と全く関係の話を書いてきました。
土曜の試合も観れません。
テレビ観戦できる方々、手に汗握って応援がんばってください。
そのころ私は、きっと手にお金を握ってコンビニで接客をしているでしょう。
他の皆様方のブログが、私の情報源であります。
バレーのブログは全部見てますので。ブロガーの方々もがんばってください。

posted by ganvolley |01:08 | 昔のバレーボール | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年05月07日

パナソニック優勝で思い出した8年前

 黒鷲は男子がパナソニック、女子はデンソーが制しました。
デンソーが勝って、もちろんうれしいはうれしいですが、やっぱり
Vリーグで優勝してほしかったって思ってしまいます。
あと、眞の出番がほとんどなかったのも個人的に残念。
来年こそはレギュラー奪取だ、眞!

 全日本不在の黒鷲といえば、最近では8年前がそれにあたります。
ちょうどシドニー予選のころですね。すこし懐かしいです。
当時の男子決勝は、サントリー対松下。
サントリーは朝日・佐々木の強力センターラインを全日本で欠くも、
圧倒的な存在感のジルソンを軸に勝ち進みました。
一方の松下は、正セッターの紫和が全日本で不在でしたが、
宮崎・イエルツェンの両エースに、ベテラン白数・若手の北川の
センターと充実した布陣で同じく勝ち進んでいきました。

 決勝戦はとんでもない試合になりました。
おぼろげな記憶ですが、たしかサントリーの全得点の7割くらいを
ジルソン一人がたたき出したような覚えがあります。
サントリーには荻野がいましたが、他は若い小阪・阿南・福田など。
打ち手が少ないといえば少なかったですが、それでも極端なトス配分でした。

 松下も結局、サントリーにやられたというより、ジルソン一人にやられた
格好になりました。そのときのジルソンの気迫たるやすごかったです。
第2セット途中の段階で、すでに肩で息をしていましたが、最後まで
パワーや高さが落ちることはありませんでした。

 市川さんのブログにもありましたが、松下のセッターは若い牛尾でした。
8年前のコート上の風景が、まるでデジャヴュのように今と重なります。
今年、宇佐美と岩田の穴を埋めたのが、同じく若い大竹。
フィリッペ・川村・今井というそれぞれタイプの違うアタッカーを
上手く使い分けていたように思います。

 たった10人しかいない、代わりがいないなかで、優勝という最高の
結果を残したパナソニック。
ひょっとしたら、これからパナソニックの黄金時代が始まるかもしれません。

posted by ganvolley |00:19 | 昔のバレーボール | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年04月16日

五輪を知る選手がまた一人コートを去った

 この記事は、大学の授業の空き時間に書いてます。
本を読んだり、勉強したり、ブログを書いてみたり…。
意外と持て余してしまう空き時間の有効活用法…かな。

 山本(大友)愛の復帰で、全日本女子候補を知ったときの
虚脱感がすこしぬぐえたかと思ったのですが、ちょっと残念な
ニュースが入ってきました。

 南克幸、現役引退。

 先のリーグでは、ブロック部門で北川に次ぐ2位の成績を
収めていたので、ひょっとしたら全日本候補に選ばれるかと
思っていたのですが、その名前が載ることはありませんでした。
年齢的にも本当に最後のチャンスだったので、これで一区切りという
ことなのでしょう。24年間のバレー人生にピリオドを打ちました。

 南は全日本男子が最後に行った五輪、バルセロナのメンバーの
一人です。私は勝手に当時のメンバーを“バルセロナ世代”と
呼んでいますが、もうその世代の現役選手も少なくなりました。
荻野と泉川、2人っきりです。
すでに現役を退いたメンバーは、
中垣内・青山・大竹・成田・松田・植田・大浦など。
監督や指導者になった方もいれば、青山のように、いずれは
指導者になるでしょうが、今は社業に専念している方もいます。
あれから16年、バルセロナもずいぶん遠い出来事になりました。

 男子は3大会連続で五輪出場を逃しています。
かつて、日本のお家芸とまでいわれたバレーボール。
しかし気づけば、現役選手に五輪経験者がいなくなるかもしれない
ところまで来てしまいました。もしそうなってしまったら、何か悲しいです。

 植田監督は就任当時、こんなことを言っていました。
「自分たちが歴史を作るんだ」と。
今年ほど、歴史を作るのに適した年はありません。
久しぶりの五輪出場を決め、再び男子バレーを活性化させてほしい。
荻野や泉川でギリギリ保ってきた歴史を、越川や石島たちが
受け継いでいく。そのために残された時間は約一か月。
バレーファンが「歴史の証人」になれるよう、全日本男子には頑張ってほしいです。

posted by ganvolley |13:41 | 昔のバレーボール | コメント(1) | トラックバック(0)
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2008年03月21日

時代を超えた全日本を作れるとしたら

 前に私の好きな選手を集めて、仮想全日本を作ったのですが、
いくらなんでも全日本と呼ぶのはまずいだろうと思われてしまう
ようなチームだったので、あれは私が好きな現役選手を集めた
ただのチームということでお許しいただきたいと思います。
 
 よくプロ野球で、年代を超えた最強のベストナイン
というようなものを見ることがあります。
ファーストは王か落合でサードは長嶋、
セカンドは篠塚でライトはイチロー・・、といった感じのものです。
これをバレーでやったらどうなるのでしょう。
正直、昔の選手はそのプレーを見たことがほとんどありませんが、
想像で作ってみます。多少、プレー以外の部分も考慮します。

 セッターはまずはやはり猫田勝敏さんでしょうか。
松平康隆さんがよく月バレの対談の連載で、
「彼はセッターの神話のような存在」と仰っていました。
大古誠司さんもあるとき、「全日本の合宿で初めて見た
猫田さんと南さんの速攻の素晴らしさが忘れられない」と
仰っていました。
その時代にまだ産まれてすらいなかった私ですが、猫田さんは
私にとって一度でいいからプレーを生で見てみたっかたと
最も思わせてくれる人です。
もう一人のセッターは、真鍋政義さんにします。
旭化成や松下のころのプレーを何回か見ましたが、オーバーは
もちろん、たとえアンダーでも正確無比なトスを上げる凄さ。
サべリエフやファンダール・ミューレン・オロフが月バレの
企画で最も素晴らしい選手に挙げていたのも頷けます。

 センターはまずは森田淳悟さん(森田さんってセンターで
いいんでしょうか?少し自信ないです)。
何といっても一人時間差の考案者ですし。その功績だけでも
十分です。あと、最近知ったのですが強烈なドライブサーブを
持っていたとのことで。見てみたいです。

 川合俊一さんも入れたいですね。男子バレー界で初めて
アイドル的な人気があった方ではないでしょうか。
当時は富士フィルム全盛期で、富士フィルム=全日本でした。
川合さん以外に、三橋栄三郎・岩島章博・熊田康則・米山一朋など。
その頃の日本リーグの映像を少しだけ見たことがありますが、
川合さんが決めるたびに、満員の会場からは割れんばかりの
黄色い声援が飛び交っていました。


 もう一人は朝日健太郎にします。インドアで全日本の選手が
ビーチへ転向というのはびっくりしました。その頃は私の中で
ビーチはマイナーな競技という印象しかなかったので。
今でこそ浅尾美和効果で注目されていますが、その流れを作った
一人ということで。

 サイドアタッカーはまずミュンヘン組の大古誠司さん。
なんてったって「世界の大砲」ですし。
更には田中幹保さん。日本リーグで11年連続ベスト6は
私の調べが間違ってなければ連続記録の一位のはずです。
その間に最高殊勲選手賞を5回、ブロック賞やサーブ賞も
とっています。時代の象徴的な存在です。
そして90年代の象徴といえば中垣内祐一さん。
決めてほしいところで決めるのがエース。
ならばエースという言葉は彼のためにあるのでしょう。
そう言っても過言でないほど、ここぞという場面で
必ず決めてくれる印象があります。

 あと3人ほどサイドを。青山繁さんも外せません。
私はよく青山さんを「バレーのお手本」と呼びます。
ブロックを利用した打ち方、正確なレシーブ、強力なサーブ。
バレー選手にとって、これほど見習うべき点を多く持った
選手もいないのではないでしょうか。
更には宮崎謙彦さん。たしか、Vリーグでの総決定本数、
スパイク・ブロック・サーブ全ての得点を足した合計で
トップなのが宮崎さんのはずです。
そのタフネスさが素晴らしいと思います。
最近の選手も入れたいので越川優さんを。
あのサーブを見せられたら、それはそれは。

 リベロは岩島章博さんに。
日本リーグで6年連続レシーブ賞。見てみたかったなあ。
どんなレシーブをするのだろう。

 まとめてみると、猫田・真鍋・森田・川合・朝日・大古
田中・中垣内・青山・宮崎・越川・岩島ですね。
それなりに強烈なメンバーが揃ったのではないでしょうか。

posted by ganvolley |00:04 | 昔のバレーボール | コメント(1) | トラックバック(0)
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2008年01月11日

グッとくる試合

黒鷲旗の話題が続きましたが、あとひとつだけ。

ある年の男子決勝。新日鉄vsJT。
この試合の一番の見所は、当時ルーキーの中垣内と、
80年代のスーパーエース田中幹保の共演でした。
田中にとっては、この試合が引退試合。
まさに、日本を代表するエースの世代交代の場でした。
新日鉄のマッチポイント。
セッター真鍋は、バックライトの中垣内に2本続けて
トスを上げるも決めきれず。
3本目を要求する中垣内。
しかし、真鍋はレフトの田中に上げ、見事それを決めたのでした。

田中の最後の意地のスパイク、決めた後の笑顔が印象的でした。
一方の中垣内は、当時を振り返って、
「3本目を上げてほしかった」と。

その試合後、90年代のスーパーエースとして、
幾多のスパイクを決めてきた中垣内ですが、
あの日のスパイクを決められなかったことが、
後の大エースを生む一つの要素となったのかもしれません。

この試合は、断片的にしか見ていないのですが、
それでも強く心に残っています。
たまには、こういう世代交代をいい意味で象徴するような
試合を見てみたいなと思ったのでした。

posted by ganvolley |18:16 | 昔のバレーボール | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年01月07日

08年はこんな試合を見てみたい

不思議なもので、物事は期待しなかったときのほうが
かえって良い結果が出るものです。
なんとなくテレビを見ていたら、G+で天皇杯を
放送していました。
Vリーグの期間中とか、それ目当てでチャンネルを
いろいろ回しても、大抵は放送していない。
“なんとなく”テレビを見たほうが、バレーにありつける
のかもしれません。
これからは、前もって“期待”しないでテレビの前に
座ってみることにしてみます。

天皇杯の話を先の記事でしたことで、それがきっかけとなって
黒鷲旗のことを少し思い返しました。
特にこれといった理由があるわけではないのですが、
自分の中では地味な大会という印象があったりもします。
長期に渡って戦い、王者を決めるVリーグと違って、
トーナメント方式の短期決戦というのが、
優勝の説得力に欠けるのかなと、あえて理由を考えるとしたら
それかもしれません。

ただ、トーナメントという一発勝負の形式は、時に予想外の
結果を生みます。
よくあるのが、格下のチームが格上の相手を撃破するシーン。
いわゆる下克上というやつでしょうか。
それについて、非常に有名なものが黒鷲旗にはあります。

80年代の全日本男子は、ほぼイコール富士フィルムでした。
川合、三橋、岩島、米山等など。
日本リーグ時代に5連覇を達成するなど、国内では敵なし。
そんな富士に、ある年の黒鷲旗で立ちはだかったのが、
なんと実業団ではなく、法政大学でした。

当時の法政は、現全日本コーチの大竹や、男子ビーチバレーの
パイオニア高尾などがいました。
こちらも大学バレーでは無敵の存在で、その頃は法政のユニフォームを
見ただけで、相手が萎縮するような雰囲気があったそうです。

しかし、いくら大学で最強といっても、相手はある意味で全日本。
当然、富士が格の違いを見せ付けるかと思われました。
ところが蓋を開けてみれば、むしろ圧倒していたのは法政。
結局、富士は法政に大金星を献上したのでした。
最後のポイントを自らのミスで与えてしまった川合は、当時の
ことを振り返って、
「一発勝負の怖さを知った。いい勉強になった」
と述懐していました。

いまの全日本を見ていて歯がゆいのが、格上の相手に対して
勝てる気がしないということです。
男女共に、ブラジルには果たして何連敗しているでしょう。
実力差はもちろんあります。
でも、たまには下克上を見てみたい。
今年のバレーに求めるテーマ、ずばり「大どんでん返し」。
久しぶりに日本のバレーが、世界をアッと言わせるような
光景を期待しようと思います。
物事は期待しなかったときのほうが、かえって良い
結果が出るのかもしれませんが・・。

posted by ganvolley |01:00 | 昔のバレーボール | コメント(1) | トラックバック(0)
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2007年11月23日

あの4人を超えられるか?~約10年前のエースたち~

アルゼンチン戦では、久々に思いっきりのいい気持ちよいバレーを
見ることができました。

わたしは女子より男子に期待しています。
それは北京へ、というよりもむしろ北京のあとについてです。
12年の五輪では越川や石島あたりが大体20代後半の
年齢になります。
いまはアスリート寿命がすごく伸びていますが、一番いい動きが
できるのがこの辺のころじゃないかなという気はします。
なので12年はいまの選手にとって“いい時期”に迎えられるのです。

もちろん期待する理由は年齢だけじゃありません。
わたしにはいまの、越川・石島・清水・山本(福澤もあり)の4人が
日本男子史上、最強ではないかと思える、ある4人を超えられるかも
しれないという期待というか、超えてほしいという希望があるからです。

その4人とは、W杯95で日本を5位に導いた原動力である
中垣内 祐一
荻野 正二
泉川 正幸
青山 繁

95年はキューバを破る大金星を挙げるなど、男子が非常に元気でした。
ひょっとしたら、五輪でメダルも夢ではない、と思わせるだけの
力がありました。
アトランタ予選ではまさかの敗北を喫し、そこから男子バレーの
暗黒時代が始まってしまいましたが、わたしの中では変わらず
最高のメンバーだったと思っています。

この4人のなかで一人はベンチに置かなければならない。
なんと贅沢な悩みでしょう。
90年代の絶対的エースの中垣内。
今も昔も大黒柱の荻野。
パワーと高さとここ1番での決定力を持つ泉川。
バレーボールのお手本のような存在の青山。
だれを外すか、わたしには選べません・・。

いまコートで戦っている4人なら、きっと超えてくれると信じています。
というか、超える選手が12名のなかに揃わない限り
日本復活はありえないと思っています。

余談 現在わたしは22歳。95年当時は10歳。
当時の記憶はおぼろげ。後にビデオであの4人のすごさを知りました。

posted by ganvolley |01:29 | 昔のバレーボール | コメント(10) | トラックバック(0)
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2007年09月24日

ワールドカップの思い出

11月からワールドカップが始まります。
ここ2大会は、女子が好結果を残し、男子が厳しい結果に終わっています。
北京への切符をかけた最初の大会ということで、これまで以上に気合を
いれて応援しなければ、なんですが、まだ少し気が早いので、思い出話に
花を咲かせてみようかと思います。

かすかに記憶に残っている95年大会。
この年はなんと言っても男子ですね。キューバを破る大金星をあげました。
とにかくメンバーが豪華で、中垣内・泉川・荻野・青山・南・佐々木
大竹・真鍋など。大げさじゃなく奇跡的なメンバーです。
中垣内・泉川・荻野・青山のサイド陣で一人はベンチに置かなければならない
という贅沢さ。監督もいい意味で頭が痛いというものです。
またこの頃は、選手のほとんどが20代後半から30代前半という
アスリートとしておそらくは最もいい時期でした。
ひょっとしたら、このメンバーなら五輪でメダルも夢ではない・・
と多くの人が思ったでしょう。
しかし、出場すらできませんでした。勝負事の怖さを知りました。

99年大会はいろいろありすぎます。
女子はまず葛和監督という強烈なキャラが思い出されます。
「最大集中や!」なんて言葉も流行りました。
大懸・熊前の両エース。オールラウンドプレイヤー満永。
いまはビーチのシンデレラガール鈴木。
アメリカ戦では2セットダウンからの大逆転。
イタリア、クロアチア、中国などの強豪国からの勝利。
とてもいいチームだったと思います。
しかし、シドニーへは行けず・・。W杯で活躍した江藤・鈴木の両センターが
怪我でまともに働けなかったのが1番痛かった。

男子は加藤・朝日・西村の“ビッグ3”フィーバー。
スペインのパスカルとのプリンス対決なんてのもありました。
アルゼンチン戦ではゴッドハンド吉永がブロックで活躍。
データバレーに対抗し、メンバーを入れ替えたアメリカ戦。
そんな中で1番印象に残っているのはイタリア戦。
日本はボロボロにやられました。何もできませんでした。
ジャーニ・トフォリ・パピなど90年代最強のイタリアが容赦なく
襲ってきました。特にジャーニは怪我を抱えながらも出場し、いったい
どこを怪我してるんだよといった超絶プレーを連発し、世界最高峰の
プレーヤーであることを証明しました。

03年は実はあまり見ていなかった。
女子はやっぱりメグカナでしょうね。アテネ以来の2人の共演はいつに
なることやら。
このころのチームもバランスがよくて好きです。
インタビュアーが泣いたポーランド戦を観にいった人がうらやましいです。

男子は山本。それくらいです。
翌年の最終予選とメンバー変わりすぎです。

今年は女子ももちろんですが、久しぶりに男子にいい結果を期待します。

posted by ganvolley |13:44 | 昔のバレーボール | コメント(0) | トラックバック(0)
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