2008年09月30日
26人という少し多めの代表メンバーが発表された。
北京五輪メンバーからの選出、好調、大分から2名の選出、ならびに鹿島から3名の選手が選ばれたことが目立つ。
小笠原が怪我で戦線離脱しなければ、累積警告の松井に代わって選ばれてもおかしくなかった。
そしてさらに特徴的なことは混戦のJ1を象徴するように、所属チームに偏りがないこともあげられるだろう。鹿島の3名をトップに、大分を含む7チームが各2名、G大阪を含む4チームから各1名、J2からは広島、C大阪から各1名となっている。J1の18チーム中12チームから選ばれている。
鹿島は昨年の優勝チームであり、今季も首位戦線に踏みとどまっているに、これまで成績の割りに鹿島から選ばれる選手が少なかった。浦和は代表を辞退した坪井、体調がいまいちの鈴木啓太、怪我の達也、いまだに調子が上がらない高原が抜けて2名と少なめである。
今回、若手のフォワード、森島、岡崎、興梠が選ばれた。最終まで残るか、残っても起用されるかは解からないが、新しい力も期待したい。
posted by futbolwold |11:52 |
日本代表 |
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2008年09月27日
北京五輪の総括が報道陣に公開されたそうだが、その全文を公開しているメディアが見当たらない。仕方がないから各メディアがちょろちょろと小出しにしている要約文を拾い上げ、つなぎ合わせ、自分なりに全文の意味するところを推測してみたい。
拾い上げた情報は大きく分けて2つに区分される。
その一、「何事も遅かった!」という解かったような解からぬような変な結論。
その二、「厳しい環境に対応するタフさが足りなかった」に代表される妙な抽象論。
「何事も遅かった!」は・・・・
■最終メンバー決定が遅れた
■OA枠問題の結論を出すのが遅れた
■ボールを受けてからシュートまでが五輪出場国のなかで一番遅かった
■2年間という準備期間が短かった(取り組みが遅かった、という意味だろう)
最終メンバーの決定プロセスと決定権者は誰なの、とまず問いたい。反町監督が独断でメンバーを決定したわけではなく、協会に理解と同意を求めながら二人三脚で最終的なメンバーを決定したのであろう。であればそのあたりの責任の所在をはっきりさせずに、曖昧にしておけば、同じ過ちは今後とも必ず繰り返される。
OA枠問題に関しては代表監督がJリーグの監督と常にコンタクトを取り、互いの理解と信頼を構築していなければならない。OA枠問題の結論が遅れたことはJリーグとの関係がうまくいっていなかったことが最大の問題で、ひたらたく言えば反町監督のコミュニケーション能力、交渉力不足と年齢的なことも加味した役不足が最大のネックだったのだろう。であれば、反町監督を選んだ側の責任も大きいということだ。
シュートを打つまでの時間が0,7秒で遅いという結論も考えてみると、おかしな話だ。
お手軽TV番組にありそうな「早撃ちシュート選手権」でもあるまい。得点機を逸したシーンを思いうかべてれば解かることだが、森重が合わせそこなった印象的な場面、はずしまくったシュートは「速さ」ではなく「正確さ」ではなかったか?
誰が時間を計っていたのか知る由もないが、そんな暇があったら、他のやるべきサポートをちゃんとせよ!といいたい。
「2年間という準備期間が短すぎた」にいたっては、なにをかいわんやである。4年間なら本戦の予選を突破できたとでも言うのか、ロンドン五輪の監督が誰になるかわからないが、次期監督は就任当初から相当なプレッシャーを受けることだろう。4年の準備期間をいただいたのだから。代表監督は各クラブに選手の育成をゆだねなければならない宿命にある。初年度に選出した選手が4年後にどう育っているかは、全く予想がつかない。素材はよくても伸び悩みもあるだろうし、怪我もある。むしろ選手の見極めは直近の2年のほうがよいこともある。反町監督は直前まで選手のみきわめを伸ばしすぎて失敗したが、かといって4年では長すぎるような気がする。
次に抽象論であるが・・・
■厳しい環境に対応するタフさが足りなかった
■失敗を恐れさせない“指導”に問題がある
■核となる選手の固定を誤った
かつて日本代表監督トルシエはアフリカ遠征のときに、クーラーのないホテルを選び、あえてアフリカでは常識的な状態に選手を慣らすように仕組んだ。これは試合を戦う前に環境に負けては元も子もないという現実的な対策を採用した結果だ。このトルシエの経験から協会も反町監督も、何も学習していなかったことを自ら暴露していることになる。
「失敗を恐れさせない“指導”に問題がある」
全文がわれわれに公開されておらず、前後の文章とのつながりがわからないので、推量に過ぎないが、額面どおりに受け取れば、総括の中で監督批判をした唯一の文脈である。
監督が戦う前に敵を恐れ、消極的な戦術を取るようなシステム、ポジショニングを採用すれば選手に敵を恐れてはいけないなどと、口が裂けてもいえないはずだ。何でこんな言葉を総括のなかにいまさら入れたのか、協会の考えをきちんと教えて欲しいくらいだ。
核となる選手の固定だが、具体的に核となる選手が誰だったのかを、明らかにしなければ議論は先に進まないし、総括にもなっていない。単なる結果論であり、愚痴にしか聞こえない。あまりにも一般的、かつ抽象的な結論である。
結論を急げば今回の断片的な総括の内容から判断できることは、一歩も二歩も踏み込んだ議論がなされていないという印象が強い。その背景には誰も傷つけたくない、誰からも傷つけられたくないという関係者相互の気持ちがそのまま反映されているようである。
優しく、責任を取らない大人たちに育てられた子供たちは失敗を恐れ、議論することを避け、問題を先送りにする体質を受け継いでいく。
ロンドン五輪は本当に大丈夫なのか?
posted by futbolwold |09:31 |
アンダー23代表 |
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2008年09月25日
このところ、すっきりしない空模様と同じようなレッズの戦いぶりだったが、昨晩のアルカディシア(クウェート)をホームに迎えたACL第2戦は、久々にすっきりとした勝利を手にすることができた。
相馬のほぼゴール正面からのボレーシュートが敵味方の選手の間をすり抜けるようにゴールネットに突き刺さった。
ファインゴールに思わず飛び上がり、周りの見知らぬサポーターとハイタッチ。
後半は闘莉王がスペースのないところを左からのクリーンシュートを放って2点目。
開始早々に、エジミウソンのシュートがバーに当たった惜しいシュートもあり、試合展開はレッズが主導権を握って押し進めた。相手キーパーのキック力とその精度は、ほとんど中学生レベルでレッズの選手に直接パスするような場面が2度ほどあった。こんなお粗末なキーパーがいるチームに負けるはずがない。
失点の臭いすら感じないままゲームはレッズペースだったが、後半に決定的な守備のミスであわやゴールというシーンを招いてしまう。相手選手のシュートが幸いにも枠をはずして、事なきを得たが、直後、都築が細貝に向かって猛ダッシュしてマークミスに怒りをぶつけていた。ミスをした味方を叱り、チームに活を入れるいい判断だった。
交代は高原から永井に、点差を考えてポンテを下げて鈴木啓太を入れ、守備を固める。
これでベスト4進出、ガンバ大阪と戦うことになった。ガンバ大阪は春先のいざこざを招いた因縁の相手。ますます勝たなければならない状況になってきた。昨年のACLチャンピョンとしての自覚と意地がいい方向に影響したこの日のゲームだった。
平日の19:30キックオフにもかかわらず、42000人を超えるファンが集まった。このACLの勢いが、このままリーグ戦へとつながる予感がする。
posted by futbolwold |15:03 |
浦和レッズ |
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2008年09月24日
「巨人、大鵬、玉子焼き」世代にとって、巨人の王、長島は超ど級のスーパースターである。人気の長島、実力の王などとも言われ、カリスマ的スタープレーヤー、長島の陰で少し損をしたところがあったけれど、その実直な人間性は女性に特に人気が高かった。
かつて長島監督が成績不振で巨人の監督を解任されたが、その後再び巨人のユニフォームを着た。しかし王監督は頑として巨人のユニフォームを再び着ることがなかった。
二人の性格の違いが際立った監督交代劇だった。
王監督の実家は押上駅前の中華料理店だった。王監督の父親は台湾出身者で、王兄弟に幼いころから二人の将来の役割を明言していた。兄は医者になり、弟の王監督には電気技師になって、故郷台湾の復興と発展に尽くせと、子供のころから説いていたという。
兄さんは父親の希望通り、慶応の医学部に入り、医者になった。王監督は都立墨田川高校(旧制第七中学)からおそらく早稲田の理工を目指すつもりだったのだろう。
しかし野球に夢中になって、墨田川高校を受験したが落ちてしまった。そこで野球入学で早稲田実業に入り、後はご存知の通り、野球人生にどっぷりつかることになった。
あの時、高校受験に失敗していなければ、早稲田大学に進み、優秀な電気技師になっていただろう。世界の王は生まれてこなかったことになる。
王監督に遅れること何年後かに、私は墨田川高校に入学した。当時の体育の授業で長距離走を学外に出て行っていた。学校から隅田川の堤までは近い。堤を東京湾の方角へ走って行く途中に、「言問い団子」の店の前を通るが、その横の小さな野球場が王監督が小、中学で少年野球をしていた場所だ。
そんな小さな王監督とのつながりを、実は誇りに思って生きてきた。だから王監督が巨人に理不尽な辞めさせ方をさせられ、二度と巨人のユニフォームを着るものか、とおそらく思ったであろうことは、同じ下町生まれとして、すごくよく理解できる。
プロ野球の監督業ほど、男冥利に尽きる職業はないといわれているが、また心労も想像できないくらい多い。監督婦人は夫以上に大変のようで王監督、長島監督、星野監督の奥さんは、ともに早死にしている。
王監督はWBCの監督を引き受け、それが原因だろうか体調を崩し、胃を摘出した。近頃の王監督の表情には,ほとんど生気が感じられない。近頃はユニフォーム姿が似合わなくなってきた。体調が心配だ。
無責任な野球関係者はそれでも王監督を再びWBCに引っ張り出そうと画策していた。王監督を殺す気か!といいたい。いつまで王、長島のお二人におんぶに抱っこを決め込んでいるのだろう。
王監督、しばらく野球を離れ、ゆっくり静養してください。
posted by futbolwold |15:44 |
野球 |
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2008年09月22日
春先の浦和・大阪戦のサポーター同士の小競り合い現場に居合わせ、今度は柏・鹿島戦のさわぎをTVで見ていて、サポーターの応援・観戦スタイルについて一言。
幼いときから熱狂的な野球ファンだった私だが、あるときから応援団のほとんど騒音としか思えない鐘と太鼓の応援の仕方に疑問を持って以来、球場から足が遠のいた。とても試合に気持ちが入り込めず、けして安くない入場料を払って野球観戦をすることをあきらめてしまった。
ゲームの流れを一切無視したのべつ幕なしの応援の仕方と、画一的な応援パターンにファーストフード店の接客マニアルを連想してしまい、昨今の応援スタイルにファンの熱い気持ちが通った一人一人のメッセージがどうも感じられない。
スポーツの応援というより、日常のフラストレーションを球場を借りて発散しているように思えてしょうがない。
しかし、それもまた応援のひとつのスタイルだから、そのスタイルを止めろとはもちろんいえない。
浦和のホームゲームのすべてとは言わないまでも、用事が重ならない限りできるだけ埼スタには足を運んでいる。友人の年間チケット席で通常は見ているが、この席のいやなところは、真後ろに90分間ぶっ通しで応援歌を歌っている若い男がいることだ。松崎しげるばりのかなりの声量で歌はうまい。しかしその歌声を聞いているうちに、いつも徐々に不愉快になっていく。そんなに大声を出し続けていたいならゴール裏に行ってよ、と正直思う。そこで何で不愉快になってしまうのか考えてみた。
グループでカラオケに行くと、必ず最低一人は歌がうまい奴がいて、最初はそのうまさに感心するのだが、延々とそいつがマイクを離さず、歌いっぱなしになると、なんだか不愉快になった経験をお持ちでしょう。そう、あれと同じなんですよ、奴のレッズ応援歌を歌いぱっなしの不愉快さは。
奴はとても気持ちよく、満足してスタジアムを後にするのでしょうけど、その陰でいたく気分を害するサポーターもいることを、せめて知っていて欲しい。
このところの小競り合いというか暴行というか、これも一部のサポーターであることはまず間違いない。ただ、画一的な応援を続けていると、たぶん勘違いしてくるのだろうと推察するが、応援のための応援にのめりこみ、肝心の試合に気持ちが集中しなくなる傾向が出てくるのだろう。試合に集中していれば、時として旗を振る手が自然と止まるはずである。同様に歌声も気がつけば止まっているはずである。
これだけ多様性が尊ばれる社会なのに、なぜ画一に流れてしまうのだろう。不思議だ。
posted by futbolwold |16:34 |
Jリーグ |
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2008年09月20日
日本代表の人気にかげりが出てくる一方、Jリーグの観客動員数は増え、2007年度のJ1の公表された決算では経常赤字のクラブが5クラブにとどまり、Jリーグ人気が本物になりつつあるような報道が目に付く。
Jリーグサポーターとしては結構なことではあるが、決算内容をよくみてみると「ちょっと待てよ!」というのが偽らざる印象である。
収入については広告、入場料、配分金、その他の4項目が示されているが、入場料収入の全収入に対するウエイトならびに費用項目での人件費の収入割合を注目してみたい。
まず、入場料収入の売り上げ割合だが、全18クラブのうち広告収入と入場料収入のバランスが取れているのが浦和と新潟の2クラブだけである。浦和は入場料収入が広告収入を大きく上回った。(収入比で入場料収入が38%を占め、広告収入は30%になっている)
新潟は入場料収入と広告収入がほぼ同額でバランスが取れている。しかし新潟は営業利益段階で2億9千万円の赤字のため、広告収入の増収努力をしなければならないという皮肉な結果になっている。
今シーズン上位につけている鹿島、G大阪、名古屋、川崎の4クラブの広告収入は入場料収入を大きく上回り、それぞれ2,6倍、2,7倍、3、0倍、3,5倍となっている。
広告収入の割合が高いということは株主、地元企業などから宣伝費の名目で収入を得ているのだろう。クラブの営業努力と地元企業の支援努力は評価するが、はやり基本は入場料収入がもっと増えなければ、健全な姿とはいえないだろう。企業からの広告収入はその企業の業績に大きく左右され、継続性の点できわめて不安定だから。
ただし入場料収入はホームのスタジアムの収容人数に比例するため、現状においては物理的に増収が難しいという面もある。スタジアムの収容人数を増やせば入場料収入も増えるという単純な話ではない。横浜FMのように入れ物の大きさの割りに入場者数が少ないという悩みを持つクラブもまた存在する。スタジアムの大きさと入場者数をどう見積もるかが、なかなか難しいところだろう。しかし、鶏が先か卵が先かの議論になってしまうが、器を大きくしなければ、これ以上の入場料収入は見込めないのは紛れもない事実だ。経営手腕、努力に最終的には帰結する。
次に費用の中に占める人件費の割合である。どのくらいの人件費割合が適正なのかは一般企業との比較は難しい。年棒の高い人気プレーヤーが大活躍して、入場料収入が増えればそれに越したことはない。がしかし、人件費割合がある程度の範囲内でおさまらなければクラブ経営の健全性は保たれない。そこで、目安として人件費割合のボーダーラインを全収入比50%に仮定してみる。
すると18クラブ中、8クラブが50%を超えてしまっている。最悪なのが神戸で71%、ついでG大阪の60%となっている。残り6クラブは50%台である。反対に浦和は35%、清水40%、千葉の42%が目立つ。
2007年度のJ1の1試合の入場者数が19081人でわずかながら史上最高を記録した。
中身を見ると相変わらず東高西低傾向が続きG大阪は実力の割りに観客は少ない。神戸は大きいスタジアム(34000人収容)の割りに平均12000人しか入らず、ホーム観客動員率は37%と極端に悪い。広島にいたっては23%と同様に低い。低調な西日本にあって健闘しているのが今季絶好調な大分で、人口の割りに2万人の観客数は大健闘である。これだけの応援があったから強くなったとも言えるかもしれない。
東日本では浦和の46000人と新潟の38000人が飛びぬけて大きい。成績の割りに低迷しているのが鹿島で16000人とややさびしい。さびしいといえばサッカー王国、静岡勢の磐田と清水もともに16000人である。カズやゴンのような人気・実力が備わった全国区スターが現れないことも低迷の一因か。
日本代表の試合よりも地元のJリーグを応援するという傾向が本物かどうかは、まだまだわからない。もう少し様子を見なければなんともいえないだろう。
posted by futbolwold |09:35 |
Jリーグ |
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2008年09月11日
北京市内は7日、深夜2時ごろから明け方まで激しい雷雨に見舞われていた。
ホテルのベットで熟睡していると、近くに落雷したのか、部屋の中でも振動が伝わるくらい、大きな雷鳴に見舞われた。それからうとうととして、5時に再び目が覚める。相変わらず外では雷が聞こえてくる。
日本との時差が1時間だから、バーレ-ン戦は終わったころだ、と思ったら結果が気になり、目がさえてしまった。
薄暗いロビーにPCが1台置いてあり、「YAYHOO Japan」を検索して、結果を知った。得点「3」は意外だったが、詳細を知ると後半40分過ぎのたてづづけの「2」失点に、さらに驚いた。
9日深夜に自宅に戻り、翌午後になってとりだめしたVTRを見ることが出来た。
1点目は日本唯一の得点パターン、セットプレーだった。俊輔のこれまでとは一味違う、グランダーの早いシュートが左隅みに決まった。得点の時間帯といい、シナリオどおりの得点だ。
2点目もセットプレーだが敵味方双方が密集するゴール前に遠藤からのパスをシュートした俊輔のキックが相手のハンドを誘った。やはりこれまで見せたことがないような思い切ったシュートだった。おそらく以前の俊輔ならばふわっとパスを誰かに合わせるか、サイドにボールを散らすか、いずれかを選択していただろう。
3点目も憲剛の思い切ったミドルシュートが敵に触れ、コースが変わったものだ。
必要以上に手をかけたこれまでのプレーからシンプルなシュートが結実したような結果だった。前線の達也、玉田もよく動き回り、相手守備陣をかき回し、大きな相手にはこま鼠のように動き回るプレーが有効だった。
岡田監督は高原招集にこだわりを見せているようだが、二人に大久保を加えたFWの組合せのほうがよいのではないだろうか。
直前のウルグアイ戦を見ている限り、これで本当に大丈夫なの?と心配したのが杞憂に終わった3得点だった。
課題として残ったのが守備。
人数は足りているのに、1本の敵のパスで簡単にマークがずれてしまう欠点は相変わらずである。2失点目は結果としてキーパーとの連携ミスではあるが、それ以前の問題は焦る必要のない時間帯に、加えて一人少ない相手で彼らの疲れ具合を冷静に考えれば、闘莉王の冷静さを欠いたバックパスが失点につながってしまった。
前回のバーレ-ン戦での川口のミスを思い出す。あの時も確か相手1人に川口を入れて3人で守っていたはず。
闘莉王はその前のプレーでも、ゴール前の相手のセンタリングを頭で真後ろにクリアーしたが、中途半端なクリアーで相手にパスを出す格好になった。楢崎のキャッチで事なきを得たが、失点してもおかしくないシーンだった。
岡田監督が常に口にしていることのひとつに“切り替えの早さ”があるが、そのベースにはまず慌てないことだ。
以前、「なぜ慌てる、日本の守備」<2008年4月15日書き込み>で書いたので、詳しくは参照していただきたいが、守備は攻撃の起点というセオリーが、日本人選手には残念ながら活きていない。守備の仕事はボールを跳ね返す、止めるから、前線につなぐことまでが求められる。中沢も闘莉王も高さと強さはあるが、つなぐという点ではいまいちである。
ゴール前で数的優位を保っているのに失点を食らうということは、集中力を切らしたとしか言いようがない。この試合の失点シーンとよく似た光景を過去何度も見てきたが、学習能力に欠いた点が大いに気になる。
posted by futbolwold |10:30 |
日本代表 |
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2008年09月04日
今月中に先の北京五輪、U23代表の敗因を検証し、その内容と今後の強化策を盛り込んだレポートが公表されることが予定されている。
関係者による検証作業の具体的な内容と経緯がどんなものか、興味津々である。
すでに、一部報道ではその内容を示唆するような関係者の発言が断片的に流れてきている。
問題点の洗い出し作業がすでにまとまり、試合の采配、チーム戦術からさかのぼって選手選考の段階まで細部にわたって検証したようだ。
次の段階は反町、佐々木両監督を招集して、直接意見を聞くことになっている。反町監督はその場でどのような発言をし、協会としてどのような判断を下すのか、大いに注目したい。
監督といえばWBCの監督選びはコミッショナー一任に決まったようだ。というよりもコミッショナーに丸投げした感が強い。強面星野に気兼ねしたのだろうか、サッカー協会のようにきちんと惨敗の検証も行わず、密室の中でのあやふや対策がこれだった。
長年のプロ野球機構の談合体質はなかなか改まりそうもない。王監督を再び引っ張り出そうとする意見も一部にはあった。
王監督を殺す気かと、私などは憤懣やるかたない。
posted by futbolwold |09:35 |
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2008年09月02日
いろいろなブログをのぞいてみていると、「日本のサッカー」という言葉が頻繁に目がとまる。
気のせいかもしれないが、「日本のサッカー」をテーマに関して書かれた文章には、寄せられるコメントもまた多い。
サッカーは日本人、特に若年層に受け入れられて久しいが、スポーツ文化として社会的に認知され定着してきたと思う。
日本を除く諸外国で自国のサッカースタイルを日本人ほど熱心に論じることが好きな国があるのかどうか、よく解からない。
ただ、「日本人とは“日本人論”が大好きな人」と言われるくらい“日本人論”をテーマにした書籍の発行点数は群を抜いて多い。記憶が間違っていなければ確か1万数千点はあるはずだ。
ということで、日本人は「日本のサッカー」を論じることが好きなんだなーと、改めて考えてしまう。
膨大な発行点数がいみじくも証明しているように「日本人とは何か」への正解はいまだ出てきてない。
かく言う私も「日本のサッカー」に関する事柄を何度かここで書いてきたから、典型的「日本人」なのであるが・・・。
そこで、再度自分の考えを整理するためにも「日本のサッカー」について書いてみようと思う。
「日本のサッカー」という言い方はきわめて抽象的である。そもそも「日本」あるいは「日本人」とは何ぞやというところが、ぼんやりしているのだから「日本のサッカー」も然りである。
そう言い切ってしまってはこれ以上話が進まないので、ここは便宜的に「日本のサッカー」を「日本人のメンタリティーにフィットしたサッカー」と言い換えて考えてみることにした。ぶっちゃけて言えば「日本人が好きなサッカースタイル」とも言える。
日本人の代表的“メンタリティー”のキーワードを私なりに三つあげてみる。
「忠臣蔵」、「国連」、そして「桜」である。
「忠臣蔵」は若い人でも知っているだろう。ただ年配者に比べるとあまり詳しくは知らないはずだ。私が小学生のころは映画全盛時代で年末になると毎年決まりごとのように邦画五社(5社の映画会社があった)のいずれかの映画会社が自社お抱え俳優総出演で「忠臣蔵」を制作し上映していた。
ストーリーは手垢がびっしりついていたように決まりきっているのだが、観客は毎年、「忠臣蔵」を楽しみにしていた。「水戸黄門」は毎回ストーリーが異なるが、「忠臣蔵」は史実にのっとっているから勝手にストーリーを変えるわけにいかない。
日本人が「忠臣蔵」を好むメンタリティーは忍耐、辛抱、我慢が飽和点に達したときの暴発に言うに言われぬ快感を感じるからである。静から動への落差が大きいほど快感度は大きい。
サッカースタイルで言えば「カウンターサッカー」に通じるものがある。敵の猛攻にじっと耐え、溜めに溜めたエネルギーを一気に爆発させ、相手を倒す。力に勝る相手を打ち倒す常道である。「武士の一分」のキムタク演じる役どころを連想すればよいだろう。
二つ目の「国連」は少し説明が長くなる。
日本人は明治以来「国際法」をどの国よりも尊重してきた歴史がある。体外的評価を大切にする日本人の性のようなもので、戦後は「国連」至上主義をくそまじめに貫いてきた。
「国連」はご存知のように第二次世界大戦の戦勝国連合のことで日本は規定上、敗戦国として現時点でも屈辱的な扱いを受けている。日本は敗戦の反動からか「国連」を神聖な国際組織としてあがめてきた。長らくアメリカについで「国連」への拠出金額第二位を誇りにして、まじめに血税を出してきた。アメリカはなんやかんや理屈をつけて拠出金を出し渋り、滞っているというのに。
サッカーではないけれど、第1回のWBCのアメリカ戦で主審が明らかな身びいき判定をしたことを覚えているだろう。犠牲フライでタッチアッププレーをした三塁ランナー西岡(?)がアウトと判定を覆されたとき、王監督がとった抗議は実に紳士的だった。ルールはルールを体現した抗議だった。あれが中国か韓国チームであったら、おそらく放棄試合かさもなくば主審に暴行を加え、没収試合になったであろう。
日本はサッカーの国際試合でフェアプレー賞を幾度となく受けてきた。汚いプレーは日本人が好むところではない。たとえ負けても堂々たる正攻法の戦い方に拍手を贈るのが日本人である。
最後の「桜」である。
「桜」の散り際の潔さを日本人は大いに好む。花の命の短さに美を重ねて見てしまう。こんな国民性は世界を見渡してもあまりない。花は愛でるもので一日でも長くその美しさを鑑賞していたいと、思うのが一般的であろう。
「武士道とは死ぬこととなりと見つけたり」
葉隠れは滅びのなかに美を見る思想だが、反面、美しい生き様にこだわりを求めたものでもある。切腹のシーンに「桜」は欠かせない。
「美しいサッカー」、「美しいパス回し」「美しいゴール」を賛美する傾向は相変わらず根強い。サッカーといわず勝負の究極は勝つことであるが、勝ち方の美しさにもこだわりを見せる日本人。トルシエが自国流文化を押し付けて日本人には不人気だったが、オシムは「日本的なるもの」をサッカーに求め、多くの日本人の共感を誘った。オシム人気が一向に衰えを見せないのは「ピッチの上で死ぬのが本望」というオシムの言葉に、日本的なるものを見出すからか。
「日本のサッカー」はひとつではない。日本人のメンタリティーにフィットしたサッカーが「日本のサッカー」であるとすれば、いまのところ「日本のサッカー」は限りなく「桜」的なるもののようだが、何かのきっかけで「忠臣蔵」へとゆり戻しが起きる可能性は否定できない。
その直近のきっかけとはアジア最終予選になるかもしれない。あるいは予選を突破して本戦に出ても、結果がドイツ大会の二の舞になったときかもしれない。
posted by futbolwold |09:46 |
日本代表 |
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