2008年06月30日

スペイン優勝の意味

世界のサッカーの流れへがいい方向へと向かうためにもスペインには勝ってほしかったが、日本時間の今日未明に行われた2008、ユーロ決勝はスペインの完勝だった。

これまでのスペインは前評判の高さが、結果に結びつかず長い間、見るものの期待を裏切ってきた。古い話だがクライフ率いたオランダが革命的なサッカーを展開して、現在のトータルフットボールの礎を築きながらも、勝負に負けたことを思い出す。

オランダもスペインと同じように前評判を裏切り続けているところがよく似ている。楽しいサッカー、観客を魅了するサッカーが勝つサッカー、あるいは負けないサッカーと同義語となりがたかったのが、これまでのサッカーの歴史だったようにおもう。

しかし、今回のスペインのサッカーはその前歴を覆すような勝利だった。平均身長でドイツに大きく劣り、ことに中盤の4人は170センチそこそこの小さなテクニシャンぞろいだったが、けして当たり負けをせず、最後までスタミナも切らさず、ドイツを圧倒した。

ダイレクトパスが大男のドイツ選手の間を何本となくつながり、小気味よいテンポでゲームはスペイン主導ですすんでいった。サッカーがけしてフィジカルだけのスポーツでないことがよくわかるようなスペインのプレーぶりだった。
スペインは決定機を何度も作り、あとすこし女神が微笑んでくれたら3対0の完璧な勝利を勝ち取ったかもしれない。

ドイツの勝負に対する執念は常に十分賞賛に値するものだが、サッカーの進歩という側面からいえば、スペインの勝利は実に意味深い。
全員で攻めて、全員が守る。空いたスペースを誰かが埋めると、パスが決まりごとのように目の前にやってくる。この動作の繰り返しがゴール前まで連続して、最後のシュートに結びつく。ドイツの守備は完全に翻弄され、崩され、ドイツ選手のエネルーギーの大部分が守備に費やされ、最後の15分はほとんど自陣に釘付けになっていた。
点差は最小だが、勝負の行方は時間がたてば立つほど明らかにスペインに傾いて、ドイツの勝利の確率は相当低いものと感じられた。

ドイツが受けた敗戦のショックは相当根深いものと想像される。
試合後のドイツ代表監督の「選手たちはかなり打ちひしがれているが、われわれが胸を張ってドイツに帰れない理由はない」という試合後のコメントに、多分に虚勢を感じのは私だけだろうか。

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posted by futbolwold |14:55 | サッカー全般 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年06月29日

WCアジア最終予選へむけて

三次予選の結果から見ても、最終予選が厳しい戦いになることは十分予想される。

最終予選の組み合わせが決まったが、その感想をひとこと。
日本のグループはオーストラリア、カタール、バーレーン、そしてウズベキスタンが入ったが、相対的にみて韓国、北朝鮮、イラン、サウジ、UEAのグループに入らなくてよかったというのが正直な感想。
オーストラリアがアジアに組み入れられる以前は日本、韓国、サウジ、イランがアジア4強といわれてきた。4強といわれる所以はWC出場国で、かつアジアカップの優勝国はこの4カ国で大半が占められてきたからである。

しかし、これは過去の実績で、日本の入るグループのカタール、バーレーンの進化のスピードと度合いはすでに実証済みである。現時点では4強との差は小さいと考えるべきだろう。
2008、ユーロでのトルコの躍進は目覚しいものがあったが、イランを含む中近東諸国のレベルが急激に上がっているようだ。イランは民族的にヨーロッパに近く、身体能力はもともと高い。サウジはオシム時代のアジアカップでマレクというストライカーの個人技に阿部、中澤が突破され、打ちのめされた嫌な印象が強い。
地理的な移動が少ないという日本にとってのメリットはあるが、韓国、北朝鮮はやはりやりにくい相手である。
となると、客観的(あくまで私自身のという条件付だが)には、今回の組み合わせはよしとしなければならないだろう。

さて日程的なところを見てみると、9月から3月まで(12月を除く)の各月は1試合の予定が組まれ、移動の有利不利は少ないといえよう。はやり来年6月6日、10日、17日のウズベキスタン、カタール、最終戦のオーストラリアが重要なゲームになるだろう。この3試合でめまぐるしく順位が変わるような混戦が予想される。

今回の3次予選を見る限り、中村俊輔、松井、長谷部の欧州組の力に相当寄りかかっていたという現実を考えると、最終予選全試合を通じて鍵を握るのが欧州組のコンディションの問題であろう。場合によっては上記の3人がそろって出場できるとは限らない。したがって国内組には欧州組の力を借りなくても十分通用するという意気込みで戦うことを望みたい。

この間、日本代表に彗星のごとく若きストライカーが現れることを夢見つつ、9月からの最終予選に熱い視線を送ることになるだろう。

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posted by futbolwold |15:48 | 日本代表 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年06月29日

再開後のレッズの調子?

WC最終予選の組み合わせも決まり、WCアジア予選中断明けのレッズ対レイソル戦を国立競技場で観戦した。
観戦ポイントは長期間、戦列から離れていたポンテ、三都主の調子を確認すること。
阿部、坪井、鈴木敬太、高原の怪我、体調不良など、その後の気がかりな様子をこの目で確かめること。岡田監督になって玉田、大久保、佐藤寿など小回りの利くタイプのフォワードが招集され、結果をそれなりに出しているので、同タイプの田中達がどこまで動けるかも気になっていた。

まず田中達はこの試合、ベンチにも入っておらず、評論外。
問題外は先発するも開始早々に負傷退場した三都主である。特に危険な接触プレーもなかったが、突然倒れこんでしまった三都主。結局、試合に出られるようなコンディションではなかったようだ。完治してゲームにでられるまでには、相当時間がかかりそうだ。

明るい材料はなんといってもポンテの復帰だ。残り15分で永井と交代したポンテだが、随所に好調時のプレーを髣髴させる動きを見せてくれた。数試合、怪我をせず出場していけば、ゲーム感を取り戻し、昨年のような活躍をしてくれるだろう。また怪我が心配された阿部は唯一の得点を決めるなど、不安を払拭させてくれた。寡黙な男だがやるべきところはしっかり仕事をしてくれる、頼もしい存在である。

代表シンドロームの影響で不調をかこっていた坪井が久々にピッチに戻ってきた。動きはまだまだだが、大きなミスもせず、無難にプレーが出来ていた。これをきっかけに、輝きを取り戻して欲しい。同じように体調を崩していた鈴木も同様に無難にプレーをしていた。
高原もゴール前での動きに鋭さを見せていた。結果がついてくれば立ち直りの兆しが見えてくるだろう。

しかし、試合全体をとおして考えさせられたのは、闘莉王をボランチに起用し続けるのかという疑問が残ったことである。
ポンテも復帰し、鈴木も90分動ける目途が立ったのに、なぜ闘莉王を本来のポジションに下げないのだろう。
柏の得点は2点だったが、あと3点くらいは入っておかしくない内容だった。その原因はセンターバックの役不足である。浮き球の処理を何度か誤り、簡単にシュートを打たれていた。

エンゲルスはフォワードの得点力不足を闘莉王が補うことを期待したものだろうが、まず守りがしっかりすることがレッズの特徴である。攻撃好きの闘莉王が、仮定の話だがエンゲルスにボランチを直訴したとしても、許すべきではないだろう。

2位の名古屋が鹿島に敗れ、順位に変動は無かったがレッズは4敗目を喫し、Jリーグは混戦模様を呈してきた。復調した鹿島が首位戦線に再度躍り出てきた。ただ、鹿島はガンバとともにACLの闘い方によってこの好調さをどこまで維持できるかが課題である。

この日の国立は3万7千人弱の観客だった。今年に入って代表の試合の不入りの原因は、観客の目が肥えてきたこと、ユーロ2008のレベルの高い試合を見てきた客が、真剣勝負でない国際試合に興味を向けなくなったことが大きな原因だろう。今回のWCアジア予選についてもひところの観客動員を稼げていない。この傾向は今後も続くであろう。
キリンカップの当初の意図である、代表強化はすでに有名無実化している。首都圏での開催から地方での開催へと転換したほうがよさそうだ。親善試合的なゲーム、ならびに強化試合に関しては、ほとんど見る機会の少ない地方での開催を考えたほうがよい。

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posted by futbolwold |10:32 | Jリーグ | コメント(5) | トラックバック(0)
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2008年06月26日

世界になくて日本にあるもの

前回、このタイトルとは真逆のテーマで日本サッカーに欠けるところを書き出してみた。
“世界にあって日本に欠けるもの”の代表が「判断」のスピード、濃密なコミュニケーション、全体状況の把握、の三点である。
この三点に共通することは、サッカーという競技に特有なものではない。あらゆるスポーツに通じているかどうかは明言できないが、団体競技に限れば相当程度、重なり合う部分が多いのではないかと思う。
同時に、この点に関してはスポーツの領域のみならず、現在の日本社会全体が弱さとして抱える点であることも、“世界にあって日本に欠けるもの”に寄せていただいた多くのコメントのなかで指摘していただいた。
したがって、この3点の克服にはそれ相当の時間と知恵を要するであろう。しかしワールドカップ本大会は4年に一度、確実にやってくる。せめてサッカーという領域では早急かつ果断に弱点の克服をめざさねばならない。

サッカーというスポーツのテクニカルな領域での“世界にあって日本に欠けるもの”についてもすこし触れておかねばならない。「判断」のスピードと相関関係にあるプレーのスピードにおいて世界との差は大きい。
今回のアジア3次予選においても多くの人が指摘していたことだが、日本選手はシュートを打なすぎる、慎重すぎる、積極性がたりない、失敗を恐れすぎる、というあまたの批判のコメントをいただいたが、相当程度、批判の内容は正鵠を得ていると思う。
私自身、「シュートを打てるのにあえて打たず」パスに逃げてしまうというシーンにサポーターの一人として過去何度、天を仰いだことか。

選手のメンタルな部分に問題があるということだが、はたしてそれだけであろうか。
私は日本選手がトラップ、パス、シュートの一連の基本動作において、まだまだ精度が世界レベルに届いていないことにも問題があると考えている。
Jリーグで活躍する外国人フォワードはおしなべて基本動作が俊敏かつ迅速で確実である。どんなパスも体のあらゆる部分を使いトラップをして、シュートの体勢につなげる位置にボールをピタッと置く、この技術は日本人選手にはない基本動作である。
つまり敵がシュートコースに入る寸前に、シュートを放つのは、メンタル以前の基本技術の問題ではないだろうか。
また膝下の部分を小さな振幅でふりぬき、早くて強いシュートを打つ技術があれば、やや遠目からでもシュートを放つことが出来る。しかし日本選手にとって“ゴールが見えたらシュートを打て!”といわれてもシュートまでのモーションが大きすぎて、その間にシュートコースをふさがれてしまう。ここでもやはりメンタルな面もさることながら基本技術に大きく左右されてしまう。

フォワードの得点力不足は世界的な潮流の様子だが、南米も欧州もその原因にストリートサッカーの衰退を挙げている。1個のボールさえあれば、貧しい家庭の子供でも日がな一日、スタープレーヤーに憧れを抱きながらボールを蹴って遊んでいた。遊びのなかでサッカーに必要な基本動作が自然に身につけていった。裸足でボールに触れる感触は大人になっても皮膚感覚としてしっかり残っている。どんなボールがきても体細胞が勝手に反応する。この差は想像以上に大きい。
日本人フォワードの名誉のためにあえて弁護をすれば、フォワードというポジションは好不調の波が大きいという点において、野球における打者に似ている。好打者としての目安が確率30%とはいかにも低いが、サッカーはさらに世界の一流ストライカーでさえ得点確率は驚くほど低いものと思われる。

野球の例をもう一つ引き合いにだせば、打撃成績は相手投手によって大きく左右され、あてにならないところがあるが、走塁と守備には不調が無い、といわれる。
これをサッカーに当てはめるとどうなるか?
エース級の投手を崩すには足を絡めた攻略がよく選択される。サッカーにおいては強力な相手DF陣から点を奪い取るには、相手の守備体形が整う前にゴール前にボールを運ぶことが求められる。幸い日本人選手の走力の持続性は世界になくて日本にあるものだ。後半の残り15分は相手のスピードががくんと落ちて、日本の得点チャンスは増える。
あとはフィニッシュの精度頼みだが、これが基本技術の問題で思うにまかせないところがいまのところなんとも悩ましい。

世界になくて日本にあるものの一つに日本人の小さな体形がある。意外なことと思われるかもしれないが、日本選手には大きな外国人選手には無い俊敏性が備わっている。こま鼠のような動きは玉田、大久保、そして元日本代表の森島らは大男ぞろいの欧州勢を相手にある程度機能していた。ペナルティー付近での小さな相手に対するディフェンスは意外にやりにくそうにみえる。時にファウルねらいの強引なドリブル突破を仕掛けることも必要である。

アフリカ諸国の代表監督を歴任してきたトルシエが日本代表を指揮して感じたことは、日本選手の規律性、勤勉性、理解力の速さにおいて優れている点だった。
個々の能力は劣っても、集団で成し遂げる力、集中力には見るべき点が多い。この良さは特に守備において顕著である。複数でボールをとりにいく、攻撃的な守備を徹底すればゲームをコントロールすることも可能だ。
Jリーグの中でこの戦術をとっているのが浦和レッズと今シーズンの名古屋グランパスである。今シーズン、まだデータは少ないが両チームとも少ない失点と後半勝負のゲームプランを徹底して追求している。浦和は総得点の90%弱を後半にあげている。名古屋も同じように60%が後半の得点である。相手チームの動きが鈍くなった後半に一気に勝負を決める展開で、ともにリーグ1位と2位の位置につけている。
鹿島アントラーズも同様の得点パターンを示している。堅守、後半勝負型のチームがJリーグのトップクラスを形成しているのは、「日本的サッカー」のヒントになるのではなかろうか。
フィジカル面で世界に遅れをとる日本としては、集団的規律性を前面に押し出し、1対1の不利を数的優位で補い、組織だった攻撃と守備で相手が疲れる後半に勝負をかけること、これが現時点では最も理にかなった戦術ではないだろうか?

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posted by futbolwold |14:12 | 日本代表 | コメント(5) | トラックバック(0)
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2008年06月23日

バーレン戦から最終予選を展望すれば・・・

6月17日にアップした「バーレン戦にのぞむこと」で書いたように、表面的には「消化試合」であっても、それを額面どおり受け取る監督、選手はまずいない。

特にWC本大会をめざし、出場に手が届きそうな国々であればなお一層、「消化試合」を理由に手を抜くことなどまず考えられない。
なぜなら、選手であれば誰もが、代表に選ばれるだけでは満足せず、試合のピッチに立つことをめざして、互いにしのぎを削っているからだ。チーム内のポジション争いが激しいほど、代表生き残りを試合でアピールしなければならない。
アスリートの本能からみても、万が一、心の片隅に「消化試合」の4文字が浮かんだとしても、ピッチにたって敵の選手から激しいチャージを受ければ、闘争本能がふつふつと煮えたぎってくる。

昨晩のバーレン戦は松井、長谷部を累積警告の関係で出場を見合わせたが、「消化試合」の影といえばそんなところぐらいにしか見えなかった。怪我が心配された中村俊輔はおそらく本人の強い意志で、ピッチにたったのだろう、最終予選に向けて戦力温存など歯牙にもかけた様子はついぞ見られなかった。

さて真剣勝負のバーレン戦の収穫はなんだったのか、そして最終予選に向けてなすべきことは何か。
一つ目は最終予選が毎試合、ハラハラどきどきの連続になるであろうという予想が、確信に変わったこと。軽率なプレーは確実に失点につながるという教訓を若い安田が感じてくれたこと。(本当に感じたかどうかは本人に聞いてみなければわからないが・・)
二つ目はゴールへの執念をもっと強く持たなければ、得点ははいらないこと。まずもってシュートを打たなければ得点に結びつかないことことである。ゲームの主導権は日本が終始持っていたが、はっとするようなシュートはバーレンに一日の長があった。遠目からでも、シュートコースが見えたら思い切って打つ、積極性がたりないことが目についた。
三つ目は松井不在の影響もあろうが、サイドからの崩しがまだまだ少ない。若い両サイドの二人は上がりも遅れ気味で、ユーロのオランダ、ロシアの試合で見せくれたロシアのサイドからの崩しを学んでほしい。危険なエリアにドリブルで入り込むシーンが、PKに結びついた佐藤のワンプレーと右サイドの内田の切れ込みぐらいだった。

最終予選のメンバーは今週末から再開されるJ1の試合の中で、三次予選からみえた課題を克服するプレーを見せた選手の中から選ばれるであろう。
選手にとっては一瞬たりとも気の抜けない日々が即座に始まる。

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posted by futbolwold |15:08 | 日本代表 | コメント(5) | トラックバック(0)
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2008年06月22日

世界にあって日本に欠けるもの

日本サッカーのよさの一つにスピードの速さをあげる人は多い。

一口にスピードといってもいくつかの状況で意味は変わってくる。
例えば、ボールを持ったときのスピードなのか、ボールを持たないときのスピードなのか。
ボールを持たないときのスピードとはむしろ走力といったほうがよいかもしれない。サイドを駆け上がるときの長い距離を走るスピードと、ペナルティーエリアに入り込む短い距離での一瞬のスピード。これは走力の質、つまり持続力と瞬発力の違いからくるスピードの違いと考えられる。先日のオマーン戦の後半、コンディション的には有利なホームのオマーン選手が暑さと疲労で足をつる選手が続出した。日本選手はアウェイのハンディにもかかわらず、「スピード」は極端に落ちなかった。こうした傾向は今回のオマー戦に限らずたびたび目にする。長友の90分間の衰えを知らぬ走力に象徴されるとおり、日本選手は外国人選手より走力の持続性において優れていると思う。
したがって「スピード」と「走力」は分けて考え、サッカーにおいてはボールを持ったときのスピードに限定して考えてみたい。

サッカーにおける「スピード」は2種類ある。「走る」スピードと「判断」するスピードである。日本選手は一昔前に比べると格段にボール扱いがうまくなった。ボールを持ったときのスピードとそうでないときのスピードの差がほとんどなくなった。ジダンやロナウドのようにはいかないけれどボールが足にくっついたようなコントロールが出来るようになった。

問題は「判断」のスピードである。これは世界にあって、まだまだ日本に欠けるところの一つである。マイボールになってディフェンダーからMFへのビルドアップの時間がかかりすぎる。その原因はいくつかの要素が絡み合っているが、一つはボールを受ける体勢の悪さがある。敵のマークが厳しくなければ半身になってすぐ前を向けるようにすべきところを、相手ゴールに完璧に背を向けてボールを受けている。さらに前に向き直って味方を探す、つまりボールをもらう前にあらゆる状況を把握すべきなのに、判断が後手にまわってスピードアップが遅れる。もちろん周りの味方が、同時並行してパスを受けやすいポジションに先回りして動いていなければならない。パスの出し手と同じように受け手側も常に「判断」のスピードを心がけなければならない。

こうしてみると、日本のサッカーはけして守から攻、攻から守への切り替えのスピードが速いとは思えない。世界の一流同士のスピーディで流れるようなゲームを見た直後に、日本代表の試合を見ると、コマ送りが何テンポか遅れたような印象を強く持つ。

日本が世界を相手に戦うために欠けるもの、それは選手同士のコミュニケーション不足があげられる。
オシムがその著書「日本人よ!」で書いていることをすこし長めだが以下に引用してみる。
「ジェフの監督として来日した当初、試合のある局面で不可解なことが頻繁に起こり、何かがおかしい、私がこれまで見てきた試合と違うと不思議に思ったことがあったが、その原因は二人の選手間のコミュニケーション不足だった。そのコミュニケーション不足がもっと多くの選手間で起きていたら、どうなっていたか。」
これまで日本代表の選手たちがピッチの内外で濃密なコミュニケーションをとってこなかったことが、マスコミ報道で明らかになっていた。合宿先での夕食後、選手はすぐに自室にこもりTVゲームに興じていると報じられていたことを思い出す。
オフトが代表監督をしていたときの左サイド、都並は当時の代表の雰囲気をこう証言している。
ラモス、柱谷、カズら、いいたいことをはっきり自己主張する連中の間に入って、食事中もそのあとの飲み会でも延々とサッカーの話をしていた。翌日の練習では、前夜の話をひとつひとつなぞるようにプレーに心がけ、ラモスの鼻をあかしてやりたい一心で努力したという。
一人一部屋、部屋にはTVもあり、さらに携帯電話の普及によって人はますます「孤立化」していった。社会的環境が人と人とのつながりを希薄化していくなかで、サッカー選手もその影響に無縁ではない。先輩や上司が飲み会を誘うと「うざい」の一言で逃避してしまう若者が増えた。同世代の仲良しグループの中で互いに傷つけあうことを恐れる優しい若者たち。価値観の違う人やグループと積極的に交わることをのぞまなくなって、熱い議論もディベートもどこかに置き忘れてしまった。
でも、サッカーを職業にするプロはこれではダメだ。ダメだとわかっていても長年の習慣や価値観はおいそれと変えることが出来ない。
そこで協会はとりあえず若年層を対象にしたエリート養成のなかで、コミュニケーションの上手なとり方を一から教え始めた。これが世界との距離を縮める最初の一歩と信じて。

ここでのブログのいくつかを覗いてみて気がついたことがある。それは先のタイ戦を評論したもので、予選敗退が決まって、やる気のないタイ相手に、90分間、一本調子で攻め続けた日本代表を嘆いていたブログがあった。イタリアやブラジルのような世界の強豪国のように、攻めと守りのアクセントを自由自在にコントロールすべきだという主張である。

確かにそのとおりであろう。ただ現在の日本代表に試合をコントロールするだけの実力と、自信が備わっているかどうかは疑問である。さらに3対0の試合結果はまさに結果論であって、真剣勝負では何が起きるかわからない。試合に臨んでタイ代表が果たして「消化試合」と思っていたかはわかりかねる。仮にそう思っていたとしてもタイ選手が放ったミドルシュートがディフェンダーにあたってコースが変わり早い時間帯に日本のゴールを割ったとしたら、タイは「もしかしたら勝てるかも」と思うかもしれない。「消化試合」の裏返しで何とか日本に一泡吹かせようとモチベーションを高めるかもしれない。真剣勝負ほど何が起きるかわからない。特にサッカーというゲームおいては。
日本とタイ、あるいはその他の三次予選の相手チームとの間に超えがたいほどの実力差があれば、試合を自由自在にコントロールできるかもしれない。しかし現実はそうなっていない。はっきりいって「ないものねだり」をしても意味がない。それよりも「ないもの」をはっきりさせ、どうすれば「あるもの」になるかを評論すべきだろう。

「判断」のスピードとかかわることだが、世界にあって、日本に欠けるものは全体状況の把握が不十分であることだ。あらゆる団体競技に共通することだが、ゲームのなかにある一定のリズム、あるいは流れというものが確かに存在する。
自分たちのリズムを90分のなかでどれだけ長く保てるかが重要になってくる。このリズムを自在にコントロールすることが試合を支配することになるのだが、そのためにはいくつかの能力を身につける必要がある。
それは「全体状況の把握」とそれを論理立てて言葉で表現する「論証力」である。
サッカーエリート養成のプログラムの一つに「絵の分析」というトレーニングが行われている。
一枚の絵を見せて場所、季節、時間帯、人物構成、周りの風景をすばやく正確に読み取り、それを言葉で適切に表現する訓練である。
常に状況がめまぐるしく変化するサッカーのゲームでは、瞬時に全体状況を把握して次にやるべきプレーの準備をしておかねばならない。
同時に11人全員の状況把握がばらばらでは意味がない。人の感じ方には温度差がある。
選手全員がラインを下げすぎて相手のリズムにはまっていると感じとっていても、もう少しラインを下げたまま、様子を見ようと考える選手もいるだろう。反対に即刻思い切ってラインを押し上げるべきと感じる選手もいる。チームの総和としての意思が一つになれば試合の流れを自分たちのほうへひき付けることが出来る。

それぞれの意思を一つにまとめるためには、ピッチ上で声を掛け合い、チームとしてのやるべき方向性を決めなければならない。コミュニケーション能力がいまこそ必要になる。
イレブンの意思統一にはリーダーシップを発揮できる選手がその鍵を握る。ピッチ上の最終的な判断は強烈なキャプテンシーを持った男にを委ねるほうがベストだ。しかしおしなべて日本選手はピッチ上でおとなしすぎる選手が多い。これもまた日本に欠けるものの一つだ。

世界にあって、日本にないものはまだまだ数えればでてくる。フィジカルの弱さ、1対1の弱さ、基本プレーの精度の低さなどなどである。応急処理的なことで、ある程度解決できることもあるだろう。コミュニケーション能力のように長めの時間が必要な事柄もある。
しかし世界になくて、日本にあるものも当然ある。長所を活かして短所を隠してしまう方法もある。
折を見て「世界になくて、日本にあるもの」を考えてみたい。

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posted by futbolwold |12:18 | 日本代表 | コメント(10) | トラックバック(1)
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2008年06月17日

バーレン戦にのぞむこと

バーレン戦を残してアジア三次予選を勝ち抜き、最終予選進出を決めた日本代表。
最終予選の組み合わせは、三次予選の成績とは無関係に抽選で決められることになっている。
したがってバーレン戦は最終予選に向けての、絶好のテストと位置づけることができる。
佐藤寿が代表に呼ばれた理由は明らかである。先のキリンカップの第2戦で巻と高原を起用してワントップを試したが、全く通用しなかった。これで玉田、大久保の事実上のツートップが決まったが、二人と同タイプの佐藤はツートップの一画として呼ばれたのだろう。

DFは中澤、闘莉王のコンビがタイを完封し、かつセットプレーで、攻守両面で二人の高さが大きな武器だった。どのポジションにもいえることだが、怪我や警告の累積で二人のどちらかが欠けることはありうる。そこでバーレン戦では前後半で中澤、闘莉王と誰を組ませるのがベストなのかを試してみたい。

サイドについては期待の長友が怪我で戦線離脱したのは痛かった。怪我が癒えた安田が長友の代わりとして、運動量豊富なサイドをこなすことができるかどうかが試される。
中盤は守備もできる長谷部、攻撃に変化をつけられる松井、この二人の働きは十分効果的だったことが証明された。二人の中村と遠藤、得点能力の高い山瀬と、中盤のタレントは豊富だ。

正GKに関しては楢崎で決まりだろう。バーレン戦では川島にチャンスを与えたい。
しかし、バーレン戦はテストに徹してはならない。きっちり勝って、しかもバーレンに日本コンプレックスを植えつけるような勝ち方をしてもらいたい。戦う気持ちを全面に出して勝ちにこだわるべきだ。なぜなら、最終予選でバーレンと同じグループにはいる可能性があるからだ。

バーレン戦は事実上の最終予選緒戦である。

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posted by futbolwold |08:17 | 日本代表 | コメント(7) | トラックバック(0)
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2008年06月15日

ピッチ上での大人しい選手

まずは、昨晩のタイ戦でワールドカップアジア最終予選へすすむことが決まったことを素直に喜びましょう。

さて話は本題へ。
いつ頃からでしょうね、日本代表やU-23代表が普段からあまり選手間でのコミュニケーションをうまくとっていないといわれたのは。ピッチ上でも互いに声を掛け合い、プレーの修正を確認しあうこともなく、いわゆる「大人しさ」が目立つとマスコミで批判され始めたのは?
反対に思い出すのが、ジュビロのドゥンガ。確か若き福西をプレー中に大声で叱咤して、身振り手振りのゼスチャー入りであるべきプレーをガミガミ指示していた。

「アエラ」最新号(6月23日号)を読んでいたら、16年間オリンピック出場を逃していた男子バレーの植田監督の記事が載っていた。
「バレーボールはコート上でのコミュニケーションが何より大事なのに、(中略)返ってくる答えは“微妙っす”とか“なんとなく”。まともに自分の考えも表現できない」若い選手たちのふるまいに植田はいたく驚かされたといっている。

全く同じことが田嶋幸三の「「言語技術」が日本のサッカーを変える」に書かれている。
「自分の求めたコミュニケーションが環境や状況に合致しない場合には「ビミョー」「うざい」といった曖昧なことばを使って、その場をやりすごしてしまいます。」
つまり互いの意思・意見を伝えるべき会話・コミュニケーションが成立しにくい傾向が一般化している、と警告している。

そこで植田と田嶋の二人が若い選手に対してとった指導は、コミュニケーションの第一歩である、挨拶をしっかりできるようにすることだった。
うがった見方かもしれないが、若い選手がピッチ上で「大人しい」のは、コミュニケーションのとり方がわからなかったから?だとすればこれは由々しき問題である。

しかし現実にはJFAアカデミー福島でのエリート養成の基本にコミュニケーションをとるための「言語技術」を重点的に教育していることをみると、サッカーやバレーボールの選手に限定された問題ではなく、日本社会全体の問題と考えたほうがよさそうだ。

なんとなく、背筋が寒い。

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posted by futbolwold |16:35 | 日本代表 | コメント(5) | トラックバック(0)
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2008年06月14日

負けるな!坪井、戻って来い坪井

「(代表で)試合に出られない悔しさと、それを押し殺してチームのためにやらないといけないという葛藤(かっとう)の中、ストレスを感じていた」こういい残して、坪井は代表から去っていった。生涯レッズの一員として、これからは原点である浦和レッズに戻り、専念するといっていた。快足のDFとして新人王を獲得した坪井のサッカー人生はこれまで順調そのものだったが、先の代表辞退はけがを除けば始めて味わう大きな挫折だった。

しかしレッズに戻った坪井は次第に輝きを失い、先発メンバーから名前が消えてずいぶん時間がたった。どのチームにも存在する、厳しいチーム内のポジション争いの結果とも、すこし違う理由から坪井は輝きを取り戻すことができないのだろうか。
体の切れが回復していないのか、精神的な弱さがプレーに反映しているのか、外からはうかがい知れない。
昨シーズン、固定メンバーでJリーグ、ACLを戦い、多かれ少なかれ大半の選手はポンテのように肉体は悲鳴を上げてぼろぼろになった。肉体同様、リーグチャンピョンになれなかった精神的ダメージも想像以上に深かった。
代表のメンバーになっても金銭的な恩恵は少ないと、漏れ伝え聞いている。日の丸を背負うという個人的プライドのために、そして一部の選手にとっては世界に自分を高く売り込む、もっとも有効な手段としての代表入りである。

結果的に坪井はその二つに自ら潔く決別したわけだが、残念ながら所属チームへの貢献もままならない状態にある。代表にとっても所属チームにとっても、二重の不幸である。

代表入りしてもピッチに立てるのは最大14名。14名から外れたメンバーは坪井と同じジレンマを抱えている。控え選手はいつか自分の出番のあることを唯一心の支えとして、ジリジリと待っている。弓を限界までふりしぼるように、いつでも強くて早い矢を放てるように、控え選手はベンチで満を持している。ワンチャンスをものにして一流選手の仲間いりを果たすたくましい選手もいれば、競争のプレッシャーを避けて通る選手もいる。

エリートほど逆境に弱いといわれるが、坪井よ、君の快足をもう一度みたい。香車のようにサイドを上下する背番号「2」を見てみたい。負けるな!坪井。戻ってこい坪井。

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2008年06月13日

第最終回 ひでの引退

実は前回(その十八)でひとまず、「サッカー談義」を終えようと思っていた。そのとき、中田の突然の引退声明が飛び込んできた。
で、思い直しもう一度書くことにした。

ひでは孤高の存在としてひときわ異彩を放っていた。若者の理想とする一人として抜群の人気があった。ひではその才能から、サッカー以外でも十分成功する逸材だと思う。勝手な憶測だが、サッカーを一時忘れて別な世界で活躍するのではないか。
ひでの引退については多くの人がこれからも語るであろう。だから私は今回のW杯におけるひでの発言に的を絞って注目したい。

引退宣言の言葉で冷静なひでの発言とは思えない意外な言葉をみつけた。

「おれは今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。いまの日本代表選手の技術レベルは本当に高く、そのうえスピードもある。」

その前日、事実上日本代表監督に就任したオシムの次の言葉と比べてみてほしい。
「今の日本代表はできるサッカーと、やろうとしているサッカーにギャップがありすぎる。W杯一次リーグで敗退して、みんなガッカリしている。その気持ちは分かる。だが、日本はW杯に出場できただけで満足すべきだった。なぜなら他の国も着実に力をつけているからだ。今やアジアの中でも「この国には絶対に勝てる」といえる国は少なくなっている。世界のサッカーは発展しているのだ。」

どちらが日本の現実を正確に言い表しているか一目瞭然だ。
引退という感傷的な気分が、きっとひでを支配していたのだろう。W杯以前のひではいまの日本では本大会を戦い抜く実力はない、と言い切っていたではないか。

いまとなっては遅きに失したが、ひでに望みたかったことは、彼の正しい危機感を他の選手に共有させるように努力して、そこをばねに全員で戦ってほしかった。
しかし、ひでがそれをできなかったことをひで自身が一番歯がゆく感じていたはずだ。それが引退を決断した最大の理由なのかもしれない。
  

<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>
                                             <終わり>

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2008年06月12日

第十八回 世界ランキングで戦力比較はできるるのか

FIFAの世界ランキングをそのまま信じる馬鹿なマスコミ関係者がいる。

ゴルフは賞金獲得額とショットごとの詳細な個人データという判断基準がある。
テニスは四大大会をはじめとして多くの冠大会が行われ、トップ十人くらいが互いに頻繁に対戦しているから、世界ランキンは選手の実力をかなり正確に表しているといえよう。

しかしサッカーの世界では代表チームの真の実力は測りにくい。
代表同士の試合は思いのほか少ない。四年に一度のW杯本戦に向けた予選、その準備のためのナショナルマッチ、その結果を総合的にFIFAが勘案して世界ランキングを決めている。そもそも各国とも国内リーグ所属の選手だけで代表チームを編成することが難しい状況では、代表同士のゲームは多くはない。
したがって、少ない事例による世界ランキングはあまり、というかほとんど参考にならないと考えたほうがよい。

ならば、ほかに各国のより客観的な実力を測る物差しはないのか?
「サッカー談義 その五」で取り上げたように、ヨーロッパリーグでの各国選手の活躍度、評価を参考にすることである。
緒戦のオーストラリアの実力を甘く見たこと、日本の実力を過信したこと、特に日本の海外組みの実力度を正確に知ろうとしなかったことは悔やまれる。

海外で活躍している代表格の中田の例を挙げると六月現在(ワールドカップ開幕直前の試合結果)でボルトンは四十六試合消化して、中田がフル出場したのはたった十試合、途中出場、退場が十七試合、そして全く試合に出なかったのが十九試合もある。あげた得点はたったの一点。ちなみにボルトンはプレミアリーグで二十チーム中八位のチーム成績である。
けしてトップチームといえないボルトンでレギュラーも確保していない中田が日本の中心選手という現実。

マスコミの情緒的な報道に惑わされずに、自分なりの判断はいくらでもできる。インターネットでその気になれば一昔前には考えられないくらい情報はあふれている。
ブラジルも負けてアルゼンチンも舞台から去った。ヨーロッパで開かれる大会で、南米勢は勝ち目が薄い。ジンクスは情報の量と正確性を凌駕してしまう。
これだから真剣勝負は面白い。


<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>

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posted by futbolwold |14:11 | サッカー全般 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年06月11日

第十七回 人は経験の生き物

技術は年々進化を続け、かつ継承されていく。したがって技術は初歩的な段階に逆戻りしたり、後退することはまずない。

一方、人は一から経験を積み上げるも、その経験のすべてを伝えきることなく死とともに墓場にもっていってしまう。
「戦争は悪」と先人から学んでいても、いつもどこかで戦争は繰り返し行われている。残念ながら人は自ら戦争を体験してはじめて、「戦争は悪」を真に学ぶ。ゆえに人は経験の生き物たる所以である。

ジーコジャパンのサッカーも選手としてのジーコの経験が色濃く投影されていた。

ジーコの活躍していた頃のブラジル代表は四人のMFがゲームを組み立て、攻撃重視のサッカーを展開していた。

当時ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョセレーゾのMFは「黄金のカルテット」と呼ばれていた。ジーコが中田、中村、小野、稲本を重用したのは、日本版「黄金のカルテット」を思い描いていたふしがある。しかもこの四人はヨーロッパ組みだ。
ジーコは選手がハイレベルな欧州で経験をつむことを重視し続けてきた。ジーコのオフィシャルサイトに日本人選手がヨーロッパでプレーすることの意味を説いていた。試合に出られなくとも、在籍するだけで得がたい経験を身に付けることができる。そのひとつにJリーグでは感覚的にとらえきれないフィジカルの違いを肌で体得できることをあげていた。

意外なことにジーコ自身、ブラジル以外でプレーをしたのは83年~85年のシーズンをセリエAのウディネーゼで過ごしただけである。この短い海外経験がヨーロッパ組み重視につながったかどうかは簡単に判断がつきかねる。

ジーコのブラジル仕込みの攻撃重視はサントスの起用法によく表れている。サントスのディフェンス能力は目を覆いたくなるほど世界水準とかけ離れているが、ジーコはそれに勝る彼の攻撃センスを評価し続けた。

ジーコがディフェンス面を軽視したとは言わないが、人に弱い宮本を使い続けてきたのは彼のキャプテンとしての能力の高さを重視した結果だろう。宮本は一時期、西野監督から所属のガンバ大阪でもレギラーをはずされていたことがあった。宮本の特徴は、身体的能力の劣勢をプレーの先読みでカバーしていくタイプのディフェンダーだ。一対一のプレーは苦手にしている。

ジーコは母国ブラジルの強さの源泉を家族に模した結束力にあると信じていた。宮本が中田とチームメイトとの融和にかなりのエネルギーを費やしていたが、ジーコはそんな宮本のピッチを離れたところでの調整役としてのリーダーシップに期待していたのかもしれない。

ジーコの代表選びに際しては、これまでかなりの数の選手をセレクションしてきたが、最終的な二三人はほぼチーム結成当初の固定メンバーと大きく変わらなかった。ここでもブラジル流の結束力重視の傾向が読み取れる。

ジーコは選手選考、ならびに前日練習から先発メンバーにいたるまで、常にオープンにしてきた。その意味で外から見るとジーコのサッカーは相当わかりやすい。もちろん対戦相手からもわかりやすかったはずだ。オーストラリアを率いた百戦錬磨の曲者、ヒディングと何かと比較される所以だ。

ジーコは日本人選手に欠けている点の一つに「マリーシア(ずる賢さ)」をあげていた。いい意味での狡猾さ、試合なれしたかけひきとでも言うのだろう。
ジーコはこれまで見てきたように監督として正々堂々と振舞ってきた。しかし監督としてのジーコがブラジルでの体験をひきずらなかったものは皮肉にも「マリーシア」だった。

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posted by futbolwold |16:13 | サッカー全般 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年06月10日

第十六回 ジーコの四年間

トルシエが管理教育だとすれば、ジーコは自由放任教育だった。

トルシエの管理教育の限界は前回大会のW杯のトルコ戦ではっきりした。攻撃力に難のある日本にトルシエが要求したひとつの戦術が、アーリークロスといって早めにセンタリングをすることだった。相手の守備陣が整う前に、ゴール前に早めにボールをけりこみ、合わせる戦術だ。
ところが日本の手の内を知ったトルコ守備陣がその早目のセンタリングに足を出してカットしてしまう。日本人選手はセンタリングと見せかけたフェイントをひとつかませて、ボールをけろうとしない。何度もこれに似たシーンを眼にして、「これでは世界に勝てない」と実感した。

ジーコが代表監督に就任した直後から、いまのいままで、ゲームプランを事細かに指示しないことに異論を唱える人たちがいた。フォーメンションをつくりあげないジーコを監督失格とまで言う人もいた。その典型はスリーバックかフォーバックかのエンドレスな論争である。

いったんピッチにたてば選手の判断にゆだねるしかないサッカーというゲームでは、個人の自由度と創造性にゆだねるのが常識だ。なぜなら、試合ではひとつとして同じ状況に遭遇することはない。だから個人の状況にあわせた早い判断が不可欠である。その意味で選手個人の自由度と創造性そして能力の高さを求めたジーコはけして間違ってはいない。
しかし、大きな誤算はその選手個々の能力と意識の高さにおいて世界と大きな隔たりがあったことだ。この大会でこのことがこれほど鮮明になるとは正直、思わなかった。

ジーコの功績は日本がこれからめざす方向を愚直なまでに示し続けたことにある。登るべき頂ははっきりしたのだから、次期代表監督のオシムがなすべきことは、その頂にできるだけ速くそして確実に到達できることを求めたい。オシムのやり方はジェフを見ればおおよそ予想がつく。九十分走り続ける体力、激しいコンタクトに耐える力強さ、強くて正確なキック力、スピードに乗った攻守の切り替えである

<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>

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2008年06月09日

第十五回 オシムへの期待

川渕三郎はなかなか愛すべき存在だ。

W杯直後の記者会見で、次期監督候補に話題が移ったそのとき、まだ交渉中の次期監督名をポロッと口にしてしまった。その失態に気付いて弱わりきった表情を浮かべて「この話、聞かなかったことにはならんだろうな」と発言した。もちろん会見場は大爆笑だったことは言うまでもない。

ジーコの後継は千葉ジェフの現監督・オシムにきまりそうである。
オシムはサラエボ生まれの六五歳。旧ユーゴスラビア代表監督として名古屋グランパスに在籍したピクシーも信頼する名監督である。
Jリーグのお荷物とまで言われた弱小ジェフ千葉」を率いて、常に上位に食い込むチームに仕立て上げた手腕は相当評価してよい。

ジェフはここ何年間、チームのスター選手を他チームに引き抜かれ、財政難でその穴を埋めるトレードもままならなかった。しかし毎年、現有勢力でコンスタントにチームの成績を維持している。
毎期、契約更新時期になるとオシムは辞めてしまうのではないかと、ファンをやきもきさせたが、そのつど踏みとどまって今日まできた。

「オシムの話」によればオシムは経済的な理由からサッカー選手になったが、周囲からは数学の教師になることを期待されていた。オシム自身も教師を目指していたくらいだから人に教えることが得意なのだろう。
数学が得意といえば中田も数学が得意だ。中田は平面のグラウンドに立っていても、立体的にパスコースが見えてくるという。数学好きの思考回路は物事を俯瞰的にとらえることができるのだろう。

四年後は六九歳のオシムの年齢を心配するむきもあるが、「オシム語録」のとおり、含蓄のあるコメントがこれから頻繁に聞かれることが楽しみだ。楽しみといえばオシムの選ぶ代表の顔ぶれである。オシムのこれからの四年間の基本的な考え方が見て取れる。

走ることをチーム作りの基本においてきたオシムは技術はあるがスピードに難点のある、小野や俊輔を選ばない可能性もある。

走り負けた日本代表の意識を変えてくれることを期待したい。


<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>


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2008年06月08日

オマーン戦、2試合を見て

オマーンをホームに迎えた試合と昨日のアウェーの試合を、日産スタジアムとTVでそれぞれ観戦したが、オマーンはこれが同じチームかと思うほど違って見えた。
日本での試合は主力5人が欠場したためか、あるいは監督のマネイジメントの違いからか、オマーンはほとんど死んでいた。日本の得点時間帯が、サッカーのセオリー通りに奪い、オマーンは日本ゴールを一度も脅かすことなく、すぐすごとピッチを後にしてし帰国してしまった。

観客とはきわめて勝手なもので、あまりの日本の快勝に緊張感がわいてこず、後半の終わり近くではあくびが出てしまったほどだった。3点の得点はセットプレー、ミドルシュート、流れのなかでのシュートと理想的なパターンだった。

しかし、昨晩の試合は楢崎の安定した守備に救われ、大久保のいつもの不用意なレットカードに憤りを通り越して、情けなさを感じる。<何度もおなじ過ちを繰り返すなよ~>ゲームはほとんど日本ペースだったのに、決定機をことごとくはずしまくった攻めは、一つ歯車が狂ったときの、試合の恐ろしさを垣間見た気がする。

外国のチームはホームとアウェーでの戦い方の落差が激しい。これはどう考えればいいのだろう。日本語に「内弁慶」という概念がある。かつての日本のスポーツ界はここぞというときに実力が発揮できず、ふがいない思いをし続けてきた。諸外国に「内弁慶」なる概念が存在するのかどうか知らないが、日本としては敵地に乗り込んだときは相手を通常よりワンラ、ツーランク上のチームと考えてのぞんだほうがよい。

タイ戦もゆめゆめ侮ることなかれ、といいたい。

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posted by futbolwold |18:14 | 日本代表 | コメント(2) | トラックバック(0)
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