2008年05月31日
ストライカー、つまり点取り屋の条件を探るには過去の著名なストライカーをつぶさにみればよい。
一例として歴代のワールドカップ得点王をあげてみる。
2002年 ロナウド ブラジル
1998年 スーケル クロアチア
1994年 ストイチコフ ブルガリア
1990年 スキラッチ イタリア
1986年 リネカー イングランド
1982年 ロッシ イタリア
1978年 ケンペス アルゼンチン
1974年 ラトー ポーランド
1970年 ミュラー ドイツ
1966年 エウゼビオ ポルトガル
内訳は南米二人、東欧三人、イタリア二人、イングランド、ドイツ、ポルトガル各一人となっている。東欧の三人はスーケルを除けばストイチコフはゲームメーカー、ラトーは快速ウイングなので除外することにする。
ロナウドを例外として残り七人には、ある共通項がある。それはペナルティーエリア内でシュートをして得点を奪っている点だ。
アルゼンチンのケンペスは長身で長髪をなびかせ、ペナルティーエリア内を高速ドリブルで駆け抜けるストライカーだが、スキラッチとミュラーはゴール前にどっしり構えた、ずんぐりむっくり型、リネカー、ロッシュは相手の前にいつの間にか現れる、細身、小柄なストライカーだ。エウゼビオは黒人特有の身体能力の持ち主で「黒ヒョウ」と呼ばれた。
つまり何がいいたいかといえば、体格的には日本人とあまり変わるところはないということ。
強烈な弾丸シュートを放つ能力はなくても得点は取れるというお手本である。リネカーとスキラッチはJリーグに在籍したから知っている方も多いと思う。
スキラッチはあのずんぐりした体型から想像できにくいが、個人技はしっかりしていた。ミュラーはスキラッチをさらに太めにした体型だが、ポジション取りがうまく、相手をブロックしながら流し込むようなシュートが得意だった。
彼らはロナウジ―ニョのような抜群のテクニックはないが、基本的なボール扱いは実にしっかりしていた。彼らのシュートはゴールに確実にパスをしているという感覚である。
ストライカーは冷静さと相手より一歩先を読む力、そして何よりゴールに飢えたハンターである。
日本人ストライカーは残念ながらその要素が決定的に欠けている。クロアチア戦での柳沢のシュートはその典型だった。自分が点をとる、という執念が見えない。彼はあの場面でも最終パスを通そうとした形跡がみられた。それも無意識に。
ゴールを遮るものがなければ、条件反射でシュートを放つ。この訓練を反復してストライカーを育てるしかないだろう。
釜本二世の呼び声の高かったストライカーは過去に何人もいたが、まだ誰一人として釜本を超えたストライカーは出てこない。
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2008年05月31日
予選最終戦、ブラジル相手に二点差以上で勝利する可能性はもちろんゼロではない。
かつて、日本はマイアミの奇跡といわれたアトランタ五輪でブラジルを破った実績をもつのだから。
しかし、可能性の確率は恐ろしく低いといわざるを得ない。
六月五日の「サッカー談義 その八」でマルタ戦の教訓として、ミドルシュートの効用を説いた。予想通り、今大会の特徴はミドルシュートが勝敗のキーポイントを握っていることがわかった。ボールの性質が変わったことが尚いっそう、その効果を増幅させているが、それ以上に日本と世界との差が、シュート力そのものにあることが鮮明になった。
お隣韓国も決勝点はアンジョンファンのミドルシュートだった。
オーストラリア戦の教訓から、今回は中田、小笠原、稲本らが遠目から何本かシュートを放ったが、やはり力強さと正確さで世界に劣る。さらに残念なのは敵にミドルシュートを見せておいて、サイド攻撃につなげられない点が、相変わらず課題として残った。
ブラジル戦を楽しみにしながら、四年後の課題を見つけようではないか、皆さん。
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2008年05月30日
負けた。
オーストラリアの高さと、意外にしっかりした足もと、シュートの確実性で日本は明らかに劣っていた。
直接的な敗因は日本の得点力不足。
オーストラリアがあせって前掛かりになったとき、速攻で追加点が取れなかったこと、後半の後半、暑さでばて気味のオーストラリアの裏を取れなかったこと。
しかし、まだ諦めることはない。日本、オーストラリア、クロアチアが三すくみで一勝一敗になる可能性がある。
そのとき、そのときである。今日の三点目の失点がなんとなくいやな予感がする。得失点差できまるかもしれないからだ。
日本と世界との差は今日の試合内容からみても、残念ながら相当あるといわざるを得ない。
もし、三連敗となれば次の代表監督の仕事は日本サッカーのスタイルを模索すべきだ。
たとえば絶対的なストライカーを育てること、守備を重視してカウンター攻撃に徹すること。ひとつの完成形をめざし、これからの四年間で作り上げてもらいたい。
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2008年05月29日
サッカーに限らず、欧州のスポーツは地域に密着した市民スポーツとして根付いてきた。他方、日本のスポーツは学校教育との密接なつながりのなかで、スポーツを楽しむという発想がすっぽり抜け落ちてしまった。スポーツは教育、精神鍛錬の道具として日本的「スポーツ道」に組み込まれてきた。
最近の日本のスポーツ選手が海外で活躍できるのも、スポーツを楽しむ感覚を身に付けたからだ。マラソンの円谷幸吉は日本を背負ってその重さに耐えかね、自殺した。生まれた時代が悪かったとしか言いようがない。
円谷の遺書は何度読み返しても、その文章は痛々しく、そして美しすぎる。マラソンという苦行を課せられた修行僧のようだ。
遺書は「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。」で始まり、「父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」で終わる。
日本サッカーは野球、体操、バレー、水泳、卓球などに比べ人気の点で後発だった。
それが幸いして、欧州の地域密着型をめざすスポーツとしてJリーグを発足することができた。これには川渕三郎という稀有なリーダーの存在が大きかった。(詳しくは「日本サッカーが世界一になる日 川渕三郎」・日本放送出版協会刊)
川渕の念願だったヨーロッパ型のスポーツクラブがこの日本の浦和に「レッズランド」誕生で現実になった。目の前に広がる広大なグランドとスポーツ施設。「レッズランド」のオープンセレモニーで挨拶に立った川渕は思わず永年想い描いてきた地域密着型のスポーツクラブの設立に立会い、涙してしまう。
その川渕が今回のワールドカップアジア予選のシンガポール戦でジーコへの信頼をうしないかけた時があった。格下のシンガポールに手を焼き後半三十六分に藤田が勝ち越し点を入れて勝ち越すまでの十数分の間、川渕の脳裏にジーコ解任がちらついたことを告白している。しかし、この一瞬を除いて川渕のジーコへの信頼は揺らがなかった。
ジーコのワールドカップは泣いても笑っても、あとわずかで結論がでてしまう。ジーコの成果と限界が見えたとき、日本サッカーは次なるステップへ踏み出すことになる。
posted by futbolwold |16:15 |
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2008年05月29日
ミスの多い試合だった。
中田は試合後のコメントで苛立ちを隠さなかった。そしてチームを鼓舞するかのようにメンバーの戦う姿勢のなさを批判していた。
しかし、中田自身の動きもほめられたものではなかった。中田のまずいところはいらいらすると、味方がトラップできないほどパスのスピードが極端に強くなりすぎることだ。味方がフリーの時にはもっと丁寧なパスを出さねばならない。サイドチェンジのパスも大きすぎてタッチを割る場面もあった。
中田の自分勝手なパスが目立ったゲームだった。
ドイツ戦は守りを固めてカウンターを狙う日本の攻めが成功した。一方、マルタ戦から見えてくるのは、本戦で先取点を入れた相手が引いて守りを固めたとき、日本はどう点を取るのかということだ。しっかり守られると攻撃のバリエーションのなさが気にかかる。日本サッカーが世界水準に達していないところはミドルシュートの強さと精度である。引いた相手を引きずり出すにはミドルシュートが有効だ。ミドルシュートはサイド攻撃もひきだす。いまの日本はサイド攻撃に頼りすぎている。
泣いても笑ってもオーストラリア戦は目の前に迫っている。先取点が勝負の分かれ目になるだろう。
posted by futbolwold |15:15 |
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2008年05月28日
今大会のドイツの前評判は総じて低い。
若手への切り替えが遅れて、このところの国際試合は苦戦の連続だ。サポーターの批判は監督クリンスマンに向けられ、彼の端正な顔も曇りがちだ。そして守護神GK、カーンも不調が伝えられ、第二キーパーに甘んじている。
今朝のゲームも後半、高原に立て続けに2ゴールを奪われた。1点目は中村が起点になって、柳沢、高原とダイレクトパスをつなげられ、あっさりゴールネットを揺らされた。二点目も同じ高原に、ディフェンダー2人がマークを振り切られ、右の角度のないところから左隅に強烈なシュートを叩き込まれた。
日本は後半三十分あまりを残して2対0とリードしたが、日本のバック陣がドイツの高さのある攻撃を抑えきることができなかった。最初の失点はセットプレーで宮本が相手フォワードにせり負け、右足で流し込むようにゴールを入れられてしまう。2点目も同じセットプレーから長身選手にマークの前で勝負され、ヘッドで失点してしまった。
このゲームで柳沢と駒野が競り合いのなかでユニフォームを引きちぎられた。一点目の失点も宮本が相手選手の巧妙なファウル(ユニフォームを引っ張っぱられていた)で倒されて、ゴールを決められていた。
ゴール前での大きな選手との競り合い方、セットプレーのマークの確認、これが今回の教訓だった。オーストラリアも大きな選手ぞろいで、しかもイングランド仕込みの激しいプレーはドイツ以上かも入れない。要警戒だ。
毎度のことだが、柳沢と大黒、それぞれ絶好の得点チャンスが二度あったが、決められなかったことである。本番の真剣勝負では早々チャンスは作れない。少ないチャンスを生かす冷静な判断と確実性をこれからでも修正してもらいたい。
しかし収穫もあった。流れの中でパスをまわし、相手の守備を完璧に崩したプレーは好材料だ。前半負傷退場の加地に代わった駒野が右サイドから何度もチャンスを作ったのも明るい材料だった。
このゲームでいくつかの課題が浮き彫りになった。その意味で収穫の多いテストマッチだった。
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2008年05月28日
パラグアイ戦はコートジュボアール戦のメンバーから大幅に変えて(7人を入れ替える)別のオプションを試した戦いだった。
ポジション別に2つの試合を比較してみよう。
まず手始めにフォワードだが、玉田、大久保の2トップから巻のワントップに変更したが、これは思惑が大いに外れた。巻のワントップはほとんど機能しなかった。これは巻の役者不足というより、そもそも日本人フォワードでワントップを任せる人材はいないということだ。巻に代わって後半から高原が交代したが、巻以上に機能せず、問題外。
山瀬をトップ下に起用したが、これは山瀬のミドルシュートを期待したものだろう。しかし、ワントップが機能しなければトップ下も動きようがない。
この時点では、細かな動きを繰り返す、玉田、大久保コンビのほうが明らかにベター。
個人的には怪我が治ればもう一つのオプションとして前田と玉田か大久保のどちらかを組み合わせた2トップもありかな、とも思う。
コートジュボアール戦では全体的に下がり気味なところが気になったが、パラグアイ戦は特に後半、ゲームの流れを変える展開が意図的になされた形跡がないのが悔やまれる。
具体的には右サイドに偏りすぎて、右でコチョコチョパスをこねくり回し、バックパスを受けた後ろもまた右サイドにパスをつなげてばかり。どこかで逆サイドへ展開すればいいものを、チームとしての流れを変えるアイデア不足が気になるところだ。
寺田、闘莉王の高い壁は中東のような単純に放り込んでくるチームには効果的であろう。寺田は長身を活かしことごとくハイボールをはじき返していた。
阿部を右サイドに起用したが、これは阿部の特徴を活かしきっていない。阿部の危険察知能力と前線へフィードするパスセンスの確かさはボランチ向きだ。鈴木の守備は安心してみてられるが、パスと攻撃センスでは阿部に大きく見劣りがする。特に鈴木の攻撃参加で時折見せるミドルシュートは「なでしこジャパン」クラスではなはだ心もとない。
途中交代した松井はやはり本職の左サイドで使うべきだろう。右の長友との両サイドを使った攻めはコートジュボアール戦で有効だったことが明らかだったから。
GKは楢崎の安定性がよく出ていた。川口から正GKの座を奪ったと見ていいだろう。
結論から言えばパラグアイ戦でこころみたオプションは見るべきところが少なかったというところだろうか。
posted by futbolwold |14:43 |
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2008年05月27日
1964年の東京オリンピックと68年のメキシコオリンピックを率いたのは、現サッカー協会最長老の長沼健だった。
1962年から代表監督を務めてきた長沼はメキシコ大会三位の快挙を土産に1969年秋に代表監督の座を知将、岡野俊一郎に譲った。
岡野は上野の老舗和菓子店、岡埜栄泉の御曹司で、東大卒のエリートだった。理論家らしく歯切れのよい口調は当時、多くの女性ファンをひきつけていた。周囲の期待を一身に受けて代表監督についた岡野だったが、代表チームの成績は芳しくなく、一年半で監督の座を下ろされてしまった。
長沼は日本サッカー再建をゆだねられて、再度代表監督に復帰し、それから四年の長きにわたって指揮をとった。通算で十一年も代表監督をつとめたのは後にも先にも長沼ただ一人だ。
1992年、オフトが就任するまで代表監督は猫の目のように代わり、森孝慈、横山健三を除けば、十年間に六人もの監督が交代したことになる。これでは代表監督に長期的視点にたった指導なぞ望むべくもない。
案の定、監督交代のたびに日本サッカーがめざす方向性がクルクル変わった。ソ連型の組織サッカーから南米型の個人技サッカー、そして激しいイングランドサッカーに振り子がぶれた時もあった。さらにドイツ人コーチ、クラマーを思い出し、ドイツサッカー復活を掲げたこともあった。
こうしてメキシコ大会以降、日本サッカーは成績不振と協会中枢部の指導力不足で、長い混乱・停滞の時代を強いられてきた。
そんななか、三浦カズ、ラモスがプロ選手として代表に選ばれたが、プロ意識の高い選手とアマチアの代表監督(横山健三)との間に、さまざまな確執が表面化しだしてきた。
協会が下した結論は、プロ選手をコントロールするにはプロの監督を据えるしかない、だった。ヤマハのコーチ経験もあり、日本人選手をよく知るオランダ人のオフトに代表監督をゆだねることになった。
オフト起用は代表チームにとって最良の選択だった。練習方法や選手の起用法にあれこれと口をはさむ我の強いラモスも、オフトの前では次第におとなしくならざるを得なかった。
オフトのもとで代表チームは意思統一がはかられ、チーム戦術も明確になり、徐々に一つのチームへと変貌していった。その結果は既述の通り、アメリカ大会の切符を九分九厘手にするまで、日本代表は急成長する。
サッカーにおける監督の仕事とは試合前までの準備段階が全てといって過言でない。なぜならサッカーは試合がはじまればピッチ上のキャプテンが実質的な監督の役割を果たすスポーツである。時々刻々変化する状況に応じて、選手同士が個々にジャッジを下し、ゲームの流れを読んで組織的なプレーを心がけねばならない。
監督が試合中に選手に指示すべき余地はごくごくわずかだ
posted by futbolwold |10:22 |
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2008年05月26日
コートジュボアールは長距離移動と中1日のゲームにもかかわらず、動きは日本より勝っていた。
単に身体能力の違いで片付けていいものか、引っかかるものがある。
前半の日本は玉田のゴール以外にも得点の臭いを感じさせる場面が2度あった。
コーナーキックからの大久保のシュート。左サイド、長友からのグラウンダーのセンタリングにあわせそこなったやはり大久保のシュート。玉田、大久保の似たもの同士の組み合わせはオプションのひとつとして有効だったことが証明された。
かたやコートジュボアールの決定的なゴールシーンはゴールほぼ中央からのフリーキックとポスト直撃のシュートぐらいだが、楢崎が2本ともファインセーブをして事なきをえた。
コートジュボアールの決定機はこれくらいだったが、全体的な印象は前半の終わりから後半にかけて、日本が押されっぱなしの印象が強かった。
その理由(わけ)は2つ。
バックパスを含めミスパスをかっさらわれて、ゴールまで一気にボールを運ばれたシーンが何度かあり、ひやっとされたたこと。
もう一つはMFを含め相手を恐れるあまり、守備ラインが下がりすぎたこと。日本のラインが下がり気味になれば相手はまえがかりになる。ピッチの半分に相手キーパーを除くほぼ全員が日本陣内に集まっているのだから、スペースはどんどん小さくなっていく。マイボールになっても狭いスペースをすり抜けるような個人技のない日本はボールを前に運べない。苦し紛れに大きく前にボールをけり返し、またボールは相手に渡ってしまう。
大雑把にいえば、後半を通して、この二つが繰り返されたため、押されっぱなしの印象を強く感じさせてしまった。
ゲームの悪い流れを断ち切るには一人のゲームリーダーが今すぐやるべきこと、修正すべきことをチームに指示、徹底することである。さらに自らゲームを落ち着かせ、タメを作り、ゲームをコントロールすること。
ゲームリーダーは年齢、キャリアから言えば後ろが中澤、中は中村俊輔に期待したい。
またこのゲームで言えば、後半玉田に代わった矢野が大きく相手ゴール前にフィードされたハイボールに食らいつき、マイボールにしたがこういったプレーが悪い試合の流れを断ち切るきっかけとなる。同じように代表初先発の長友の精力的な突進、思い切りのいいミドルシュートなども同様である。
明日のパラグワイ戦は別のオプションを試すのか、コートジュボアール戦の前半のイメージをさらに深化させようとするのか、注目してみたい。
posted by futbolwold |10:21 |
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2008年05月25日
六月十二日、オーストラリアを初戦相手に迎え日本のワールドカップの幕が切って落とされる。
続くクロアチア、ブラジル戦の結果如何で、日本が決勝トーナメントに進めるかどうか予想してみよう。
まず初戦のオーストラリア戦の結果が予選突破のキーワードになるのは誰しも認めるところだ。勝敗の確率は正直、フィフティー・フィフティーと予想している。
ジーコがヨーロッパ組みを重用するのは、彼らが世界のレベルを肌で経験していることを重要視したからだ。では対するオーストラリア代表に何人の海外組みがいるのか調べてみた。すると今回のオーストラリア代表二十三人のうち、なんと二十一人がイングランドを中心にヨーロッパ各国リーグでプレーしている。これだけを取り上げればオーストラリアが断然有利だ。だだし、二十一人がどの程度の活躍をしているかは、私は残念ながら、いまのところ情報は持ち合わせていない。
かたや日本の海外組みで最も活躍しているのは中田英と中村くらいだが、中田はイングランドのプレイスタイルに合わず、常時ゲームに出ていない。中村の所属するスコットランドリーグはJリーグと同じレベルだから、中村の活躍はある意味当然である。大黒の所属するチームはフランスの二部リーグだから、そこでの活躍がワールドクラス相手に通じるかは未知数だ。小野の評価は浦和時代から「ガラスの伸二」といわれ怪我に弱いのが欠点だった。小野のオランダでの評価はこの怪我の多さから戦力として計算がたてにくかったのだろう、結局レッズに戻ってきた。
こうしてみると日本にとってオーストラリアは世界ランキングで格下といっても、けして侮れない相手であることがおわかりだろう。
おそらく勝敗を分ける要因は両チームコンディションの差と、勝つことへの執念、ゲームでの集中力の持続、つまり心理的な差で勝負はきまるだろう。
初戦も大事だが、それよりも勝ち試合でどれだけ点を取れるか、負け試合でどれだけ失点を抑えられるかが、決勝リーグ進出のキーポイントになる。つまり三試合ともそれぞれ気を抜かずに戦ったチームが一次リーグを突破する。
真剣勝負の場では何が起きるかわからない。勝負は心の強さで大きく左右されるという教訓は、ドーハで、そして二年前のアジア大会で経験済みである。ジーコジャパンの特色は先制されても落ち着いてゲームを進め、終盤で点を取れることにある。
あわてず、あせらず、一戦一戦を大事に戦えばおのずと結果は後からついてくるだろう。
私の予想は最終の日本対ブラジル戦の勝敗と四チームの得失点差により、ぎりぎり決勝進出チームがきまる混戦模様をイメージしている。
さて皆さんの予想はいかがでしょう。
posted by futbolwold |11:28 |
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2008年05月23日
東京オリンピックの翌年、1965年に日本リーグが八チームで発足した。
アマチュア競技で全国レベルのリーグ戦を行ったのは日本ではサッカーが初めてである。ちなみに参加八チームは古河電工、三菱重工、日立製作所の丸の内御三家を核にトヨタ、ヤンマー、マツダ、新日鉄、名相銀が参加した。
しかし、サッカー人気はまだまだ地に足が着いておらず、国立競技場は土曜の午後の試合にもかかわらず、客は五百名いるかどうかだった。その大半は企業関係者だから、お金を払って足を運んだ客はさらにその半分いたかどうか。
当時のサッカーの注目度は元旦の天皇杯決勝や五輪、ワールドカップアジア予選の国際試合に興味が集まる程度だった。そして日本サッカーの実力はタイ、シンガポールと拮抗して、ライバル韓国とのレベルの差は歴然としていた。
そんな日本サッカーにとってワールドカップは夢のまた夢だった。日本サッカーは1993年のJリーグ開幕でプロ化が実現し、やっと世界をめざすスタートラインにたつことができた。そしてその五年後、信じられないスピードでフランスワールドカップの切符を手にした。アジアのサッカーレベルを考慮しても日本サッカーの急成長は世界をおどろかせるに十分だった。
知っての通り、1994年のアメリカ大会の最終予選がカタールのドーハで行われた。そして最終戦のイラクに勝利すれば念願のワールドカップ初出場が夢から現実になるはずだった。試合は一点リードでアメリカ行きを九十九パーセント確信したそのとき、ロスタイムで同点に追いつかれ、得失点差で韓国に出場権をさらわれてしまった。
この瞬間、私は深夜、NHKの衛星放送を見ていたが、あまりの結末に放心状態にあった。画面は現地映像からスタジオに切り替わったが、解説の田嶋幸三、岡田武史と女性司会者の三人がカメラの前でしばし無言のまま身を硬くしていた。
はっと、われに戻った司会者が岡田に感想を求めてきた。岡田は二言三言、言葉を選びながら重い口を開き始めたが、突然顔を伏せて話を進めることができなくなってしまった。冷静さを取り戻した田嶋が横から助け舟を出して後を継いだが、この間、岡田はずっと下を向きっぱなしだった。田嶋がそのとき何をしゃべったのか、私もまったく記憶にない。
「ドーハの悲劇」は日本サッカー史上、もっともセンセーショナルな出来事として、サッカーファンに語り継がれていくだろう。
そして今回、日本サッカーは三大会連続で本大会に出場する。
posted by futbolwold |09:42 |
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2008年05月22日
ローマの知り合いは永年イタリアに滞在していた日本人だが、精神構造は限りなくイタリア人になっていた。
ローマオリンピックのメイン会場になった陸上競技場めざして彼とその家族とともにタクシーで駆けつけた。が、しかし競技場周辺がやけにひっそりと静かだった。親子ずれが三々五々散歩を楽しんでいるだけで、熱狂的なサポーターの姿が一人として見当たらない。
異変に気付いた知人がタクシーの運転手に聞くところによれば、地元チームはアウエイの試合で、ローマにいないことがわかった。
「それ!いわんこっちゃない」と心でつぶやいたが、あとの祭りだ。
「今日は試合無いんだって。しかたがない、残念ですね」
悪びれた様子もなく、大げさに両手を広げるしぐさはイタリア人そのもので、文句をいう気にもならなかった。
諦めてローマを後に、フランクフルトにむかった。ドイツ滞在二日目の夜、地元フランクフルトのチームが郊外にあるクラブ専用スタジアムで試合を行うことを知り、やっと本場サッカーを見ることができた。
専用スタジアムといっても陸上競技場兼用で、クラブの敷地には体育館もあり、市民がサッカー以外の運動を楽しんでいる。サッカーはいくつかのスポーツなかの一つにすぎない。
子供から大人まで会費を払って、思い思いのスポーツをしている。クラブ内でのサッカーでいえば、地元の子供たちはジュニア・ユースを経験して、そのなかのひとつかみの有望選手がプロ契約を結んでブンデスリーガで活躍する、というのが大まかな仕組みである。
したがって、市民にとって地元フランクフルトの選手たちは小さい時から同じクラブで育ってきたクラブの代表である。応援もおのずと力の入れ方が違ってくる。
スポーツが地域にしっかりと根付いているから、熱狂的ファンがチームを支える。ちょっと成績が落ちると、どこかの国のように他の人気チームに鞍替えする不届きなサポーターはここにはいない。
肝心の試合だが、広い陸上競技場の六割程度がファンで埋まっていた。相手チームの得点シーンでは声をあげるもの誰一人なく、スタジアムはシーンと静まり返っている。地元チームの得点シーンでは全く逆で、天を突くばかりの大声で歓喜を表す。
試合は一点差で地元フランクフルトが敗れたが、観客の中で日本人は自分ひとりだけ。帰りに子供たちがものめずらしそうに群がってきた。日本のメディア取材と勘違いされたようだった。
posted by 第三回 ヨーロッパサッカーとの出会い |08:20 |
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2008年05月21日
メキシコオリンピック三位の日本サッカーがブレイクした同じ年に、イギリスのBBC制作「マッチ・オブ・ザ・ディ」を翻訳した「三菱ダイヤモンドサッカー」が東京12チャンネルで放映されはじめた。金子アナウンサーの「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか」ではじまる、三十分番組である。
語学堪能な東大出の岡野俊一郎が解説で、二人の名コンビは長らく続く。
サッカー情報に飢えていた団塊サッカーファンはこの番組を食い入るように見ていた。というのも当時の海外サッカー事情を知りたければ、この番組が唯一の情報源だったからだ。江戸時代の長崎出島のような役割を果たしていたのがこの番組だった。サッカー情報誌がわんさか出版される今となっては隔世の感がある。
この名物番組は二十年ものながきにわたって続き、1988年に一旦終了するが、スタートから十年たった1978年に私は会社の仕事にかこつけて、三週間あまり休暇をもらいヨーロッパ旅行をするチャンスに恵まれた。
欧州各国のサッカーリーグは週末の土曜に試合が組まれていたので、三週間の滞在中に三試合は本場サッカーを観戦できる計算になる。ところが、その試合情報が簡単に手に入らない。さるスポーツ関係の雑誌社に連絡をとって、欧州各リーグの試合スケジュールを教えてもらい、どうやらイタリアとドイツで試合が見られそうなことがわかった。
イタリアは地元ローマのチームがオリンピック会場で試合をするという情報を得て、現地の知り合いにチケット購入を頼んだが、「大丈夫、大丈夫、当日簡単に買えるから」がその返事だった。
ところがこれがとんだ曲者だった。
posted by futbolwold |15:11 |
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2008年05月20日
団塊世代とサッカーの出会いは1964年の東京オリンピックにさかのぼる。
人間の手は脳に負けないくらい緻密にできている。その手を使わせないのが、サッカーという不思議なスポーツである。
球技スポーツをゲーム仕立てにしたテレビ番組があった。(今でも時々放映しているかもしれない)
野球の場合、ストライクゾーンに見立てた正方形の的を9分割して、何球ですべての的をぶち抜けるかというもの。テニスや卓球の場合はコートもしくはテーブルの対角線線上に小さな目標物をおいて、それにサーブのボールをどのくらいの確率で当てることができるかを競うもの。
手で直接ボールを投げる、手に道具をもたせて間接的にボールをなげる、いずれにしても人間の手はかなり精巧に作られていて、相当高い確率でボールを目標物に的中させてしまう。
この器用な手を使わせないのがサッカーだ。手に比べれば圧倒的に不器用な足を使ってボールをコントロールする、その発想の面白さにはまった。
サッカーは他のボールゲームのように体格差で優劣が決まるポーツではない。小さな体の南米やアジアの選手でも大男ぞろいの欧米人と伍して戦える唯一のスポーツである。だからサッカーは世界で最もポピュラーなスポーツになった。
サッカーは広く機会の平等を与えてくれるスポーツである。
日本サッカーは東京オリンピックから四年後の1968年のメキシコオリンピックで大ブレイクした。このとき団塊世代は大学生になっていた。釜本、杉山の二大スターの活躍で三位という奇跡的な大偉業を達成してしまった。しかし皮肉にもそれからの日本サッカーは長い停滞のトンネルに迷いこんでしまう。
posted by futbolwold |16:20 |
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2008年05月19日
ちょうどいまから2年前の6月、ワールドカップドイツ大会が行われ、2006年6月12日、日本は緒戦のオーストラリアに屈辱的な敗北を喫した。
そして来月6月から約1ヶ月、2010年の南アフリカ大会へむけて日本は4回連続ワールドカップ本大会出場を目指して、アジア予選にのぞむ。
2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
あれから2年、このブログのコメントのなかで6月のアジア予選を「ぬるい戦い」と表現したものもあった。この発言が多数意見なのかどうかは容易に判断することはできない。しかし、先のバーレン戦で内容のない敗北にショックを受けた多くのサッカーファンは、相当厳しい岡田批判を展開した。批判は当然といえば当然だが、私から見れば少々激しさの度合いを超えているように、正直感じたくらいだ。
深読みしすぎかもしれないが、「ワールドカップを少し、甘く見ているような」2年前と同じ心理状況を引きづり、格下バーレン相手に敗れたショックの反動が岡田批判を一層増幅したとも考えられる。6月2日の横浜スタジアムのオマーン戦チケットはいまだ完売しておらず、「日本がワールドカップに出るのは当然」と考えているとすれば2年前の教訓はどこに行ったのだろう、と考えてしまう。
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、明日から転載させていただくことにしました。
posted by futbolwold |15:47 |
日本代表 |
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