2009年07月05日

10代の有望プレーヤーが伸び悩むわけ

鹿島の大迫、浦和の原口、山田、G大阪の宇佐美ら有望な10代選手が目に付く今シーズンだが、かつてマスコミにもてはやされた若手が20代になると、途端に色あせて、ただの選手になっていく例を散々見せられてきた。

20歳を過ぎても順調にステップアップできたのは中田ヒデと俊輔くらいである。
ヒデもセリエAの下位チーム、ペルージャだったからレギラーで活躍できたものの、ペルージャ退団後はお世辞にも欧州リーグのトップチームでレギラーを張って大活躍していたとはいいかねる。

一つの身近な成功体験例を物差しにしようとすれば、京都からステップアップして、いまや世界のトップレベルのクラブ、マンUで安定的に活躍するパクチソンを挙げてみたい。
しかし残念ながらパクのようなシンデレラボーイは日本人選手のなかからはいまだに現れない。

これまで多くの期待される若手が、尻つぼみ状態で並みかそれ以下の活躍しかできずに、消え去った例を散々私たちは見せられてきた。
こうした例はサッカーに限ったことではなく、プロ野球のドラフト1位指名選手が活躍できないまま球界を去った例は枚挙の暇もない。
だからサッカー界でも、注目された10代の有望選手が伸び悩みという厚い壁に跳ね返され、ぼろぼろになるのは至極当たり前なのかもしれない。

だから大げさに取り上げるほどの問題でもないといわれると逆に反発心がわき上がってくる。若手の底上げがないリーグや国の代表なんて、いつまでたっても世界に追いつかないではないか。この国のサッカーという競技自体が尻つぼみになっていってしまう。「サッカーを愛する」一人としてこれはやっぱり由々しき問題である。

私は若手の伸び悩みについて、日ごろからモヤモヤしたものを感じ、考えてきたが、目からうろこの雑誌記事が目に付いたのでご紹介したい。
その記事はスポーツ、なかんずくサッカーとは全くお門違いの音楽の分野を取り上げた記事だった。

タイトルは“「二流のピアニスト」だらけの日本”というショッキングなものだった。
盲目のピアニスト、辻井伸行(20歳)がヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝したその直前に掲載された記事だったから余計気になった。

私は音楽、特にクラシックは全くの門外漢なので、クライバーン国際ピアノ・コンクールがどのくらい権威があるものなのか、そして辻井伸行のピアノ演奏がどれほどすばらしいものなのか、全く想像がつかない。世間では大騒ぎして連日TVで取り上げられているが、その大騒ぎ振りが大きければ大きいほど“「二流のピアニスト」だらけの日本”にひきつけられた。

記事の内容をかいつまんで要約するとこうである。

日本のピアニストで上原彩子という女性がいる。彼女は02年、チャイコスキー国際コンクールのピアノ部門の日本人初の優勝者だそうだが、彼女のレベルは「テクニック一流、音楽三流」だそうである。その真意は彼女に限らず日本のピアニストは「難しい曲をやすやすと弾きこなす技術がある」が「演奏家の個性が感じられない、無味乾燥でつまらない」のだそうだ。

教育熱心な親と、長時間の練習に耐える子供、器用な国民性の三つがあいまって、正確無比なテクニックを小さな頃から身に着けてしまい、若くして国際コンクールで優秀な成績をおさめることを可能にしている。
また、才能を認められた子供は無味乾燥な練習曲ばかり練習するので、鍵盤を強く正確にたたくことには長けているが、弱く柔らかい音を出すことができなくなる。あたかもピアノ演奏をスポーツのように扱いがちになる。

日本のピアニストは演奏者の個性、独創性、創造性、芸術性を置き忘れた演奏家になってしまい、「20歳を過ぎるとただの人」になってしまう。

工場労働者を量産するかのような現在のピアノ教育は個性を殺すことはあっても伸ばすことはない。

以上が要約だが、ピアニストをサッカー選手と置き換えると、日本のサッカーが置かれている状況と酷似していることに気づかされるだろう。

そう、日本人のテクニックは世界に通じる、小さなスペースをスピードに載せてこきざみに動ごくことは優れている。しかしいざゴールに近づくと、練習どおりのパスをペナルティーのなかで交換することだけしか頭をよぎらず、肝心のシュートを打つ気配がない。
殻を破る勇気とクリエイティビティーのなさがゴールを選手自ら遠ざけてしまっている。

この国の子供教育の悪しき一面を見せられたような記事だった。
視野狭窄になりがちな国民性、あるいは木を見て森を見失いがちな傾向、スポーツは教育で遊びではないという改まらないスポーツ観、良いところを伸ばさず、悪いところを矯正する性癖、責任を取りたがらない大人に教育された小心な子供たち、平等と競争を取り違える大人たち、個の能力には差があるとういう紛れもない現実を直視しない社会風潮、これらが絡み合い、負の連鎖におちいっている。

天才的プレーヤーと持ち上げられ、欧州へ移籍した選手は多い。しかし前述のようにパク・チソンのレベルに達する選手はまだ出てこない。
10代で能力を目いっぱい使い果たしたような選手を日本のピアニストに重ね合わせてしまう。

この出口の見えない閉塞状況を打破する条件は二つ。
一つは「世界に通用する選手の育成」という目標を明確にすること、そしてその具体的な方法論はスポーツ以外の分野の協力を得て、多角的視点で問題究明を探ること。

二つ目は型にはまらない一人の突然変異的天才が現れるのを待つしかないのだろうか。

posted by futbolwold |14:15 | Jリーグ | コメント(13) | トラックバック(1)
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