2008年07月06日
黄金世代が輝きを失った理由
1999年、ナイジェリアで行われたワールドユース選手権で日本代表が準優勝した。 決勝の相手は先の“ユーロ2008”を制したスペインだった。決勝戦のスコアは4対0の完敗だったが、次代を担う若い日本代表の面々は間違いなく、今後のワールドカップでの大活躍と好結果を予感させる成績を残した。 この世代を代表する中田英、小野、稲本、中村、高原らを中心に彼らを黄金世代と呼んでいる。野球の「松坂世代」、それに引っ掛けた陸上の「松坂世代」も最近注目を集めているが、いずれもある時期に固まって有力選手を輩出する現象を言い表したものである。 ナイジェリアワールドユースが行われた3年後、日韓共催のワールドカップが開かれたが、日本は韓国とともに開催国として無条件でフランス大会に続き、2大会連続でワールドカップに出場することが出来た。そして2006年、ドイツ大会は黄金世代が選手として年齢的に最も輝き、活躍できる大会となるはずだった。しかし、期待に反して世界との差をまざまざと実感させられた大会になってしまった。 そのショックもあったのだろう、黄金世代のシンボル的存在だった中田英が傍目には十分すぎるほどの余力を残しつつ、サッカー界から忽然と姿を消してしまった。 小野はオランダから期待されて浦和レッズに戻ってきたが、本来の輝きを取り戻すことなく再びヨーロッパへと旅立った。小野と入れ替わるように高原が浦和レッズに加わったが、ここまでのJリーグにおける活躍度は目を覆いたくなるほど、期待を裏切り続けている。 稲本はヨーロッパに渡っていくつかチームを渡り歩いたが、いまだにレギラーとして確固たるポジションを獲得できずにいる。唯一、中村俊輔が所属チームの主力選手として活躍しているが、ヨーロッパの各リーグにおいて、けしてレベルが高いとはいえないスコットランドリーグでの活躍である。 ワールドユース選手権で活躍した世界の選手の多くは、おおむね順調に成長して世界的プレーヤーとして活躍しているが、同じように日本の黄金世代の中からも世界のトッププレーヤーの一員として成長してもおかしくないはずだ。それだけの実績を過去、残してきたのだから。しかし、現実はそうなっていない。 日本の6歳から15歳くらいまでのジュニア世代は世界のジュニア世代に比べても、能力的にはほとんど遜色ないと内外から評価されている。もちろんトップクラスとはいわないまでも、それに準じる力を発揮している。しかし、その上のクラスになると、それまでの右肩上がりの成長線が急激になだらかなカーブになってしまう印象が強い。 ここのところ日本代表のゲームを見ていると、じりじりするようなゲーム展開が多い。パスはつながるが、攻撃的で勝負を挑むようなパスは少なく、ゴール前でのプレーの精度は低く、ゴールに直結するような迫力が感じとれない。 外国人から見た日本サッカーの特徴はきれいなサッカーはしているが、プレーの判断と早さ、闘争心、ゴールに対する執着心の希薄さを感じるという。ジュニアの頃までは世界との差は縮まっているのに、その後の伸びしろが少なく、結果的に世界との差が広がってしまうのはなぜなのだろう。 この負の特徴は日本サッカーの制度的な問題なのか、サッカーを取り巻く日本社会全体の問題なのか、あるいはそのいずれにもかかわっているものなのか、正直よくわからないことは多い。 制度的な問題に関してみると、日本のスポーツはサッカーに限らず学校での体育との結びつきが強い。というよりスポーツが民間のスポーツクラブやスポーツジムのように学校以外に頼るケースがようやく市民権を獲得し始めたところというのが現状である。 Jリーガーの出身母体の7割は高校サッカーである。Jリーグの下部組織やそれ以外のユースチーム出身は3割とまだまだ少数派である。 イギリスの場合、FA公認で全国に2500余りある「チャータースタンダードクラブ」、その上位クラスにあたる約500の「FAコミュニティクラブ」があるが、能力の高い子供たちは選抜され階段を上るように二つのクラブを駆け上がり、最終的にはプロチームのユースへと引き上げられていく。 ヨーロッパのスポーツに対する姿勢は「楽しさ」に重きを置くといわれるが、同時に一握りの子供たちにとってトッププロへの道は競争につぐ競争であり、常にスカウトの目を意識しながら目の前の勝負にこだわるという。競争心や闘争心は自ずと身についていくというわけだ。 日本の学校スポーツはその歴史の長さから一朝一夕にはなくなることは無いだろう。一部のトッププロを育てるにはさして効率的ではないかもしれないが、高校野球にしても高校サッカーにしてもこれだけの規模と盛り上がりを見せる全国的な大会は外国にもあまり例をみないそうだ。多くのプロ野球選手が高校野球のOBであり、そのOBたちがメジャーリーガーとして活躍をしている現状をみても、一概に日本の学校スポーツに大きな欠陥があるとも思えない。サッカーについていえばJFAがなすべきことは下部組織としてのクラブの充実に協力を惜しまず、同時に学校との良好な協力関係を築き上げるというのが、最も日本的な現実的方法であろう。 他方、サッカーを取り巻く日本の社会環境そのものはどのような影響を及ぼしているのだろう。 ここ10数年来の学校、とりわけ小学校に顕著であるが、過度の平等意識によって本来適度にあるべき競争心が好ましくないものとして、あらゆる場面で排除されてきた。 徒競走に順位をつけてはいけないとか、学芸会の主役を希望者全員に演じさせるなど、馬鹿馬鹿しさもことここに極まった感がある。一般社会での「平等」とは「機会の平等」を意味するのであって、あとは本人の能力にゆだねるのが世の常識である。 足の速い子は算数が苦手かもしれないし、国語の得意な子は絵がうまくないかもしれない、算数が得意な子は手先が不器用かもしれない。人間社会はじゃんけんのように、絶対的な勝者などいない。大人の社会でも「勝ち組と負け組み」などと一つの物差しですべてを計る愚を冒している。つまり日本社会は子供から大人まで、どこかボタンのかけ違いをしているようだ。子供の頃から「競争心」と「闘争心」を卑なるものと教え込まれていれば、ゴール前の動きが鈍るのも致し方ないのだろう。 2010年の南アフリカ大会に日本が出場できるという前提でいえば、黄金世代で代表に残るのは、中村俊輔一人の可能性が高い。代表の主力は皮肉にも黄金世代のあとの「谷間の世代」が中心になるであろう。 結局、黄金世代は当初の輝きをそのまま持続、発展したかと問われれば、首を縦に振ることは出来ない。第二、第三の黄金世代が最後まで輝きを失わなければ、ワールドカップで上位に食い込むことも夢ではない。
posted by futbolwold |12:24 |
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