2008年11月10日

器の大きさを見せた西武渡辺監督

第6戦のあの早い回での岸の登板、せいぜい2回くらいを投げさせて、あとは継投で切り抜けるのかな、と思っていた。
しかし、8回まで岸で押し通した。最終回はグラマンで締めくくり、というのがセオリーだと思ったが、なんとそのまま岸に投げさせた。
一度ならず二度も予想を裏切った、渡辺監督の采配に驚かされた。
岸と心中する腹づもりだったのか、渡辺はドンと腰を落ちつけて微動だにしなかった。

昨日の最終戦は、その反対に総力戦で巨人に挑んだ。

先発陣をすべてベンチに入れ、小刻みな継投、豪華リレーで3回以降、巨人重量打線を完封してしまった。
二日の間に渡辺が見せた「静と動」の柔軟な発想に器の大きさを見たような気がする。

巨人が上原、クライシンガーをベンチにも入れなかったのが好対照だ。

細川がスクイズ失敗したときの渡辺の態度が実に堂々としていた。失敗の瞬間、軽く微笑んだようにも見えたほどベンチの渡辺は落ち着いていた。
監督が動揺すれば選手は敏感にそれを察して、萎縮してしまう。監督の落ち着きが無言の好采配につながる。渡辺はそれを実践して見せた。

若い選手が多い今年の西武、一歩間違えばずるずる4連敗する可能性があったが、逆転で最後の2試合を勝ち抜いたのは驚きだった。

一所沢市民として言いたい。「西武 優勝おめでとう」

posted by futbolwold |10:31 | 野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年09月24日

王さん、ほんとにお疲れ様でした

「巨人、大鵬、玉子焼き」世代にとって、巨人の王、長島は超ど級のスーパースターである。人気の長島、実力の王などとも言われ、カリスマ的スタープレーヤー、長島の陰で少し損をしたところがあったけれど、その実直な人間性は女性に特に人気が高かった。
かつて長島監督が成績不振で巨人の監督を解任されたが、その後再び巨人のユニフォームを着た。しかし王監督は頑として巨人のユニフォームを再び着ることがなかった。
二人の性格の違いが際立った監督交代劇だった。

王監督の実家は押上駅前の中華料理店だった。王監督の父親は台湾出身者で、王兄弟に幼いころから二人の将来の役割を明言していた。兄は医者になり、弟の王監督には電気技師になって、故郷台湾の復興と発展に尽くせと、子供のころから説いていたという。
兄さんは父親の希望通り、慶応の医学部に入り、医者になった。王監督は都立墨田川高校(旧制第七中学)からおそらく早稲田の理工を目指すつもりだったのだろう。

しかし野球に夢中になって、墨田川高校を受験したが落ちてしまった。そこで野球入学で早稲田実業に入り、後はご存知の通り、野球人生にどっぷりつかることになった。
あの時、高校受験に失敗していなければ、早稲田大学に進み、優秀な電気技師になっていただろう。世界の王は生まれてこなかったことになる。

王監督に遅れること何年後かに、私は墨田川高校に入学した。当時の体育の授業で長距離走を学外に出て行っていた。学校から隅田川の堤までは近い。堤を東京湾の方角へ走って行く途中に、「言問い団子」の店の前を通るが、その横の小さな野球場が王監督が小、中学で少年野球をしていた場所だ。
そんな小さな王監督とのつながりを、実は誇りに思って生きてきた。だから王監督が巨人に理不尽な辞めさせ方をさせられ、二度と巨人のユニフォームを着るものか、とおそらく思ったであろうことは、同じ下町生まれとして、すごくよく理解できる。

プロ野球の監督業ほど、男冥利に尽きる職業はないといわれているが、また心労も想像できないくらい多い。監督婦人は夫以上に大変のようで王監督、長島監督、星野監督の奥さんは、ともに早死にしている。
王監督はWBCの監督を引き受け、それが原因だろうか体調を崩し、胃を摘出した。近頃の王監督の表情には,ほとんど生気が感じられない。近頃はユニフォーム姿が似合わなくなってきた。体調が心配だ。
無責任な野球関係者はそれでも王監督を再びWBCに引っ張り出そうと画策していた。王監督を殺す気か!といいたい。いつまで王、長島のお二人におんぶに抱っこを決め込んでいるのだろう。

王監督、しばらく野球を離れ、ゆっくり静養してください。

posted by futbolwold |15:44 | 野球 | コメント(3) | トラックバック(0)
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2008年08月18日

星野ジャパン、メダル取りに黄信号!

2012年のロンドンオリンピックから正式種目よりはずされる野球。それもあって星野監督率いる日本代表の試合を注目して見た。

カナダ相手の今日の試合を見る限り、メダル取りは相当厳しいものになるだろう。投手陣はかなり踏ん張っているが、打線の破壊力のなさは重症だ。カナダの左腕リリーフ(デイビット・デビットソンという変わった名前、さしずめ日本では金子兼子のようなもの?)に面白いように日本のバッターがひねられていた。特に森野、新井、村田はボールになるチェンジアップをぶんぶん振り回して、自分のバッティングをさせてもらえない。

アナウンサーの説明によるとデビットソンは2Aの選手というではないか。ノーアウト3塁のチャンスに敬遠された稲葉を除いて先の3人が外野フライも打てず、無得点に終わる。
初めての対戦では投手が有利かもしれないが、それにしてもひどすぎた。

イチロー、二人の松井、城嶋、福留らメジャーリーグ組とこれまで代表の常連組だった高橋由、小笠原、谷、松中のような経験豊富な国内組も出場しておらず、打撃陣はずいぶん小粒なメンバー構成である。
日本の得意とする緻密な野球、俊足巧打の1,2番、クリーンアップの長打力、上位につなぐ下位打線、そしてバントと足を絡めた最少得点を強力な投手陣が守り抜く、というゲームがまだ出来ていない。

格下カナダに日本の野球を見せられなかったが、キューバ、アメリカ、韓国相手に今日のようなゲームをしていてはメダル取りもかなわぬ夢になりそうだ。

ふんばれニッポン、星野ジャパン。

posted by futbolwold |16:28 | 野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年05月15日

記憶に残るエラー

「野球は筋書きのないドラマ」とはよく言ったものだが、野球に限らず「筋書きのないドラマ」はスポーツ全般にそのシナリオが用意されている。
勝利を九分九厘この手に握りながらするりと勝利の女神が逃げてしまい、その直後に劇的な幕切れを迎える。スポーツシーンにはしばしば見られるドラマだ。

その意味で野球の「逆転満塁さよなら本塁打」ほど劇的なものはない。しかも打ったバッターが代打というケースは長いプロ野球の歴史の中でたった7人しかいない。

私がテレビを通して目の当たりにした七分の一は1971年、巨人の広野功選手が対ヤクルト戦で放った一打だった。広野はこの年、西鉄からトレードで移籍してきた選手だが、5対3のスコアで迎えた9回無死満塁の場面で代打として登場した。相手投手は前年入団した会田照夫だった。会田は5月の時点ですでに5勝をあげており、有力な新人王候補だった。しかし広野に劇的なホームランを打たれたショックからか、その後1勝しかあげられず、シーズンを終わってみれば新人王は巨人の関本にさらわれてしまった。

「逆転満塁さよなら本塁打」は確かに劇的だが、悲劇なのは野手のエラーである。
エラーによる「筋書きのないドラマ」は1961年の日本シリーズ、巨人対南海戦で起きた。
巨人2勝1敗で迎えた第4戦目、南海が3対2とリードして、9回2アウトまでこぎつけ、巨人は藤尾を代打に送り出した。リーリーフのスタンカが投じた内角球につまらされた打球はふらふらと一塁ベース前の小飛球となり、誰もがゲームセットと思ったその瞬間、一塁手寺田のファーストミットから白球がポロリと落ちた。
一塁方向から捉えられたこの瞬間のテレビ映像には南海ファンが撒いた紙ふぶきが映っていた。南海ナインはこの落球に動揺したのか、続く長島の平凡なサードゴロを今度は三塁手小池がハンブルして一打さよならの場面を迎えてしまう。
さらに南海にとっては信じられないことが起きる。次打者宮本に投じたボールがきわどいところで円城寺球審にボールと判定される。マウンドから血相を変えたスタンカが走り降りてくる。キャッチャー野村は判定への不服をなんども飛びはねて、全身で抗議する。
球場全体が異様な雰囲気に包まれる。信じられない二度のエラー、そしてきわどいボールの判定、目の前にありえないことが続けて三度も起こったのである。
この試合の結末は宮本のライト前ヒットで南海は逆転負けを喫し、4勝2敗で巨人が日本シリーズを制した。

痛恨の落球を苦にした寺田は自らトレードを志願して、翌年中日に移籍したものの、この一件が重荷になったのか満足な活躍もできず、シーズン終了後、寂しく引退してしまった。

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posted by futbolwold |16:37 | 野球 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年05月14日

昔、投手のバッティングも楽しみだった

社会の進化に伴って野球の質が変化していくのは当然といえば当然のことです。

野球はもともと選手の役割分担が細かく決められたスポーツとして発展してきました。
たとえば代打、代走のように交代の目的がはっきりしていること。野球は役割分担が細分化されたスポーツで、選手の交代枠はサッカーの3人に比べると大きなひらきがあります。野球は分業化のすすんだスポーツといえます。

現在では投手は先発・中継ぎ・ストッパーのいずれかを担当させられます。さらにDH制は投手を投げることに専念させる制度といえます。セリーグは現在、DH制を採用していませんが、将来はどうなるかわかりません。
プロ野球選手の多くはかつて「四番で投手」としてチームの大黒柱的存在でした。だから投手の打撃センスはもともと優れています。
往年の金田、稲尾は長打力もあり、その打撃センスを買われ野手に代わって代打に指名されることもしばしばありました。

バッターボックスなかの投手で印象に残る選手は二人。
一人は阪神の村山実。その投球はザトペック投法と形容され、躍動するような投球フォームで、最後の打者まで手を抜かず、全力投球する投手でした。バッターボックスでも村山はバットをぶんぶん振りまわし、力余ってボックスに尻餅をつく姿が印象的でした。

もう一人は社会人野球から巨人に入団した、堀本です。1961年に入団した年に29勝18敗の成績で強烈な印象をファンに焼き付けました。堀本の巨人在籍はたったの3年でしたが、彼のバッティングセンスには目をみはるものがありました。近年では桑田投手のバッティングセンスのよさが目立ちますが、投手で100打数以上打席に立って、,219の打率を記録したのは堀本くらいでしょう。
記録以上に記憶に残るのが堀本の打席に入るまでの一連のしぐさです。
ベンチからバットをグラウンドにズルズル引きずりながら、打ち気のなさそうなしぐさでバッターボックスに入ります。ボックスの後ろ目に立ち、バットを肩に担ぎボールをまちます。しかしボールが来れば内外角無関係に一二塁間へはじき返す技術は目をみはるものがあります。相手投手は堀本の流し打ちを十分警戒するのですが、打ち返されたボールはスケールで計ったようにファーストとセカンドの狭い空間を抜けていきます。

投手が投手に打たれる、打たれた投手の心理はいかばかりか、察して余りあります。
しかし見る側のファンにとって、これほど痛快で面白いことはありません。
緻密化する一方の野球に個性豊かな選手の意外性のあるプレーは強烈なアクセントとなるでしょう。

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posted by futbolwold |21:17 | 野球 | コメント(1) | トラックバック(0)
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