2008年07月15日
慰める相手の性格、人柄、そして慰めるときの相手の状況にもよるのだが、かける慰めの言葉の選択は難しい。
相手がどの程度落ち込んでいるのか、慰める側がそれを見極められるかどうかにかかっているが、それによってかける言葉は違ってくるであろう。
好きな人にふられ、傷深く心に刻み込まれ、それを生涯引きずる人と、ふられた直後は自殺しかねんばかりに落ち込むのに、次に出会ったら新しい恋人と楽しそうにしている恋多き人にかける言葉の選択は違ってくる。
私なら後者の恋多き人へは「ふった相手は君にふさわしくない。君にふさわしい相手をがんばって探そう」と声をかけることが出来る。
前者は難しい。しかし「がんばって君にふさわしい相手を探そう」とは言いにくい。なぜならふられた相手以上の人はいないと思い込んでいる人に、(結果的に一生、そう思い込んでいる人に)別な相手を推していることになり、これでは慰めにならないばかりか、傷口に塩をすりこむに等しいことになるから。
心に深い傷を負った人には、その人と同じ次元に立って、いっしょに大泣きしてやればいい。傷を心から共有して相手の傷の何分の一かを背負ってやる。そうすれば相手が背負う傷の深さ、重さが幾分なりかこちら側に乗り移り、その分軽くなるような気がする。「がんばれ」という励ましの言葉は逆効果であり、禁句である。
輝きを失った前園はチームを転々と移るたびごとに、何故、どうしてと自問し、苦しんだことだろう。自分のプレーに切れがどんどん無くなっていくことへの焦りと空恐ろしさに、押しつぶされる毎日だっただろう。弟分のような中田は順調に階段を上っていく。イタリアでの中田の活躍を見たであろう前園は、本人がどれほど中田を意識していたかは知る由もないが、眩しすぎて中田の雄姿を直視できなかっただろう。そう、前園は己のサッカー選手としての「惨め」さを十分味わっていたはずだ。自信もプライドもずたずたに引きちぎられて・・・。
そんな前園が目に前にいたら、あなたは「がんばって!」と無味乾燥な記号のような言葉をかけられるだろうか?OFKベオグラードのテストにも落ちて、プロの資格なしと最後通牒を突きつけられた前園に、それでも「がんばれ!」といえるだろうか。
私には言えない。前園の「惨め」さにとことん無言で付き合うことを選択するだろう。
それが適切な慰めだと、私はおもう。
posted by futbolwold |09:19 |
サッカー全般 |
コメント(4) |
トラックバック(0)
2008年06月30日
世界のサッカーの流れへがいい方向へと向かうためにもスペインには勝ってほしかったが、日本時間の今日未明に行われた2008、ユーロ決勝はスペインの完勝だった。
これまでのスペインは前評判の高さが、結果に結びつかず長い間、見るものの期待を裏切ってきた。古い話だがクライフ率いたオランダが革命的なサッカーを展開して、現在のトータルフットボールの礎を築きながらも、勝負に負けたことを思い出す。
オランダもスペインと同じように前評判を裏切り続けているところがよく似ている。楽しいサッカー、観客を魅了するサッカーが勝つサッカー、あるいは負けないサッカーと同義語となりがたかったのが、これまでのサッカーの歴史だったようにおもう。
しかし、今回のスペインのサッカーはその前歴を覆すような勝利だった。平均身長でドイツに大きく劣り、ことに中盤の4人は170センチそこそこの小さなテクニシャンぞろいだったが、けして当たり負けをせず、最後までスタミナも切らさず、ドイツを圧倒した。
ダイレクトパスが大男のドイツ選手の間を何本となくつながり、小気味よいテンポでゲームはスペイン主導ですすんでいった。サッカーがけしてフィジカルだけのスポーツでないことがよくわかるようなスペインのプレーぶりだった。
スペインは決定機を何度も作り、あとすこし女神が微笑んでくれたら3対0の完璧な勝利を勝ち取ったかもしれない。
ドイツの勝負に対する執念は常に十分賞賛に値するものだが、サッカーの進歩という側面からいえば、スペインの勝利は実に意味深い。
全員で攻めて、全員が守る。空いたスペースを誰かが埋めると、パスが決まりごとのように目の前にやってくる。この動作の繰り返しがゴール前まで連続して、最後のシュートに結びつく。ドイツの守備は完全に翻弄され、崩され、ドイツ選手のエネルーギーの大部分が守備に費やされ、最後の15分はほとんど自陣に釘付けになっていた。
点差は最小だが、勝負の行方は時間がたてば立つほど明らかにスペインに傾いて、ドイツの勝利の確率は相当低いものと感じられた。
ドイツが受けた敗戦のショックは相当根深いものと想像される。
試合後のドイツ代表監督の「選手たちはかなり打ちひしがれているが、われわれが胸を張ってドイツに帰れない理由はない」という試合後のコメントに、多分に虚勢を感じのは私だけだろうか。
posted by futbolwold |14:55 |
サッカー全般 |
コメント(2) |
トラックバック(0)
2008年06月13日
実は前回(その十八)でひとまず、「サッカー談義」を終えようと思っていた。そのとき、中田の突然の引退声明が飛び込んできた。
で、思い直しもう一度書くことにした。
ひでは孤高の存在としてひときわ異彩を放っていた。若者の理想とする一人として抜群の人気があった。ひではその才能から、サッカー以外でも十分成功する逸材だと思う。勝手な憶測だが、サッカーを一時忘れて別な世界で活躍するのではないか。
ひでの引退については多くの人がこれからも語るであろう。だから私は今回のW杯におけるひでの発言に的を絞って注目したい。
引退宣言の言葉で冷静なひでの発言とは思えない意外な言葉をみつけた。
「おれは今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。いまの日本代表選手の技術レベルは本当に高く、そのうえスピードもある。」
その前日、事実上日本代表監督に就任したオシムの次の言葉と比べてみてほしい。
「今の日本代表はできるサッカーと、やろうとしているサッカーにギャップがありすぎる。W杯一次リーグで敗退して、みんなガッカリしている。その気持ちは分かる。だが、日本はW杯に出場できただけで満足すべきだった。なぜなら他の国も着実に力をつけているからだ。今やアジアの中でも「この国には絶対に勝てる」といえる国は少なくなっている。世界のサッカーは発展しているのだ。」
どちらが日本の現実を正確に言い表しているか一目瞭然だ。
引退という感傷的な気分が、きっとひでを支配していたのだろう。W杯以前のひではいまの日本では本大会を戦い抜く実力はない、と言い切っていたではないか。
いまとなっては遅きに失したが、ひでに望みたかったことは、彼の正しい危機感を他の選手に共有させるように努力して、そこをばねに全員で戦ってほしかった。
しかし、ひでがそれをできなかったことをひで自身が一番歯がゆく感じていたはずだ。それが引退を決断した最大の理由なのかもしれない。
<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>
<終わり>
posted by futbolwold |16:05 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年06月12日
FIFAの世界ランキングをそのまま信じる馬鹿なマスコミ関係者がいる。
ゴルフは賞金獲得額とショットごとの詳細な個人データという判断基準がある。
テニスは四大大会をはじめとして多くの冠大会が行われ、トップ十人くらいが互いに頻繁に対戦しているから、世界ランキンは選手の実力をかなり正確に表しているといえよう。
しかしサッカーの世界では代表チームの真の実力は測りにくい。
代表同士の試合は思いのほか少ない。四年に一度のW杯本戦に向けた予選、その準備のためのナショナルマッチ、その結果を総合的にFIFAが勘案して世界ランキングを決めている。そもそも各国とも国内リーグ所属の選手だけで代表チームを編成することが難しい状況では、代表同士のゲームは多くはない。
したがって、少ない事例による世界ランキングはあまり、というかほとんど参考にならないと考えたほうがよい。
ならば、ほかに各国のより客観的な実力を測る物差しはないのか?
「サッカー談義 その五」で取り上げたように、ヨーロッパリーグでの各国選手の活躍度、評価を参考にすることである。
緒戦のオーストラリアの実力を甘く見たこと、日本の実力を過信したこと、特に日本の海外組みの実力度を正確に知ろうとしなかったことは悔やまれる。
海外で活躍している代表格の中田の例を挙げると六月現在(ワールドカップ開幕直前の試合結果)でボルトンは四十六試合消化して、中田がフル出場したのはたった十試合、途中出場、退場が十七試合、そして全く試合に出なかったのが十九試合もある。あげた得点はたったの一点。ちなみにボルトンはプレミアリーグで二十チーム中八位のチーム成績である。
けしてトップチームといえないボルトンでレギュラーも確保していない中田が日本の中心選手という現実。
マスコミの情緒的な報道に惑わされずに、自分なりの判断はいくらでもできる。インターネットでその気になれば一昔前には考えられないくらい情報はあふれている。
ブラジルも負けてアルゼンチンも舞台から去った。ヨーロッパで開かれる大会で、南米勢は勝ち目が薄い。ジンクスは情報の量と正確性を凌駕してしまう。
これだから真剣勝負は面白い。
<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>
posted by futbolwold |14:11 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年06月10日
トルシエが管理教育だとすれば、ジーコは自由放任教育だった。
トルシエの管理教育の限界は前回大会のW杯のトルコ戦ではっきりした。攻撃力に難のある日本にトルシエが要求したひとつの戦術が、アーリークロスといって早めにセンタリングをすることだった。相手の守備陣が整う前に、ゴール前に早めにボールをけりこみ、合わせる戦術だ。
ところが日本の手の内を知ったトルコ守備陣がその早目のセンタリングに足を出してカットしてしまう。日本人選手はセンタリングと見せかけたフェイントをひとつかませて、ボールをけろうとしない。何度もこれに似たシーンを眼にして、「これでは世界に勝てない」と実感した。
ジーコが代表監督に就任した直後から、いまのいままで、ゲームプランを事細かに指示しないことに異論を唱える人たちがいた。フォーメンションをつくりあげないジーコを監督失格とまで言う人もいた。その典型はスリーバックかフォーバックかのエンドレスな論争である。
いったんピッチにたてば選手の判断にゆだねるしかないサッカーというゲームでは、個人の自由度と創造性にゆだねるのが常識だ。なぜなら、試合ではひとつとして同じ状況に遭遇することはない。だから個人の状況にあわせた早い判断が不可欠である。その意味で選手個人の自由度と創造性そして能力の高さを求めたジーコはけして間違ってはいない。
しかし、大きな誤算はその選手個々の能力と意識の高さにおいて世界と大きな隔たりがあったことだ。この大会でこのことがこれほど鮮明になるとは正直、思わなかった。
ジーコの功績は日本がこれからめざす方向を愚直なまでに示し続けたことにある。登るべき頂ははっきりしたのだから、次期代表監督のオシムがなすべきことは、その頂にできるだけ速くそして確実に到達できることを求めたい。オシムのやり方はジェフを見ればおおよそ予想がつく。九十分走り続ける体力、激しいコンタクトに耐える力強さ、強くて正確なキック力、スピードに乗った攻守の切り替えである
<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>
posted by futbolwold |15:52 |
サッカー全般 |
コメント(4) |
トラックバック(0)
2008年06月09日
川渕三郎はなかなか愛すべき存在だ。
W杯直後の記者会見で、次期監督候補に話題が移ったそのとき、まだ交渉中の次期監督名をポロッと口にしてしまった。その失態に気付いて弱わりきった表情を浮かべて「この話、聞かなかったことにはならんだろうな」と発言した。もちろん会見場は大爆笑だったことは言うまでもない。
ジーコの後継は千葉ジェフの現監督・オシムにきまりそうである。
オシムはサラエボ生まれの六五歳。旧ユーゴスラビア代表監督として名古屋グランパスに在籍したピクシーも信頼する名監督である。
Jリーグのお荷物とまで言われた弱小ジェフ千葉」を率いて、常に上位に食い込むチームに仕立て上げた手腕は相当評価してよい。
ジェフはここ何年間、チームのスター選手を他チームに引き抜かれ、財政難でその穴を埋めるトレードもままならなかった。しかし毎年、現有勢力でコンスタントにチームの成績を維持している。
毎期、契約更新時期になるとオシムは辞めてしまうのではないかと、ファンをやきもきさせたが、そのつど踏みとどまって今日まできた。
「オシムの話」によればオシムは経済的な理由からサッカー選手になったが、周囲からは数学の教師になることを期待されていた。オシム自身も教師を目指していたくらいだから人に教えることが得意なのだろう。
数学が得意といえば中田も数学が得意だ。中田は平面のグラウンドに立っていても、立体的にパスコースが見えてくるという。数学好きの思考回路は物事を俯瞰的にとらえることができるのだろう。
四年後は六九歳のオシムの年齢を心配するむきもあるが、「オシム語録」のとおり、含蓄のあるコメントがこれから頻繁に聞かれることが楽しみだ。楽しみといえばオシムの選ぶ代表の顔ぶれである。オシムのこれからの四年間の基本的な考え方が見て取れる。
走ることをチーム作りの基本においてきたオシムは技術はあるがスピードに難点のある、小野や俊輔を選ばない可能性もある。
走り負けた日本代表の意識を変えてくれることを期待したい。
<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>
posted by futbolwold |14:22 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年06月06日
昨日のYHOOのトップニュース「W杯日本代表 その目は赤かった・・・中田選手のW杯終わる」(毎日新聞)のなかで「中田とイチロー」を比べる記載があった。
世界を相手に戦うアスリートとして二人を単純比較したものだが、ちょっと異論がある。
野球とサッカーの競技の違いはひとつの大きな違いを除けばあまり問題ではない。その大きなひとつの違いとは試合中の監督と選手の関係である。
野球は監督が一球ごとに選手に事細かに指示を出す。他方、サッカーはピッチ上のプレーヤーの判断にほとんどすべてをゆだねてしまう。監督のピッチ上でのプレーヤーへの唯一の指示は送り出した三人の交代選手によってのみ表現される。三人のホワードを投入すれば「攻めろ!」という指示である。
サッカーは一定の約束事を普段の練習の中で、互いに確認しあうが、いざ試合が始まれば選手同士のあうんの呼吸で、プレーは行われる。ひとつのボールを効率的に敵のゴールへ運ぶために十一人が有機的に動かねばならない。ここが野球と決定的に違うところだ。
常に孤高のスタンスを取り続けるイチローと中田。同列に扱いたくなるが、実はそうはいかない。イチローがWBCで発揮したリーダーシップはプレーの前後であり、プレー中は監督の指示を忠実に守らねばならない。一選手という点でイチローたりとも他のプレーヤーと同格である。
しかし、サッカーはピッチ上の十一人が一つの意思を共有せねばならない。サッカーは十一人の共通意思と信頼で有機的につながっていなければいいチームとはいえない。
試合が始まれば監督が口を挟むことができない。だから選手同士がひとつの意思を共有することは重要である。
つまり中田が他の十人とひとつの意思を共有しなければならないか、もしくは中田の意思に全員が沿うようにならなければいけない。
誰が悪いのか、残念ながらジーコジャパンはチームとして大きな欠陥を抱えて、W杯本番を迎えてしまった。
イチローと中田の似て非なるところは、チームメイトの二人に対する評価が微妙に異なる点である。イチローはメジャーの中でも偉大な記録を打ちたて、大きな実績を積み上げてきている。メジャーのトップバッターとして押しも押されぬ地位を築いている。
かたや中田は衝撃のセリエAデビューの二得点はあるものの、それ以後の活躍は並以下である。中田は人気先行、サッカー以外での話題に事欠かないサッカーカリスマタレントである。
中田のマスコミ向けの選手批判はいただけない。中田はチームメイトから信頼と尊敬は得られない。むしろ反発を買うだけだ。イチローと中田は野球とサッカーにおける役割と、プレーヤーとしての実績の点で決定的に異なる。
単純な比較は禁物だ。
posted by futbolwold |14:38 |
サッカー全般 |
コメント(4) |
トラックバック(0)
2008年06月02日
世界がもっとも遠く感じられた一日だ。
世界最強の前評判の高いブラジル相手に、これだけミスを重ねて、よくぞこの点差ですんだというのが私の実感。
ミスの第一はディフェンス。前半のロスタイム、ボールを追いかけて、ロナウドをフリーにしてしまった、中沢のミス。
第二はミドルシュートを防げなかった川口のミス。キーパーのミスは決定的だ。それまでファインセーブをしていただけに悔やまれる。
第三は全員のミス。ミスパスが二桁以上あった。ボールを前に出そうとして、簡単に相手にボールを渡していては、ゲームにならない。このレベルではひとつのミスが致命傷になるほど、精度の高いサッカーをしなければならないのに、おそまつすぎる。
ブラジルは明らかに本気モードではなかった。日本は絶対勝利しなければならないのに、気の緩んだ相手に完敗した。残念ながら日本の今のレベルはオーストラリアに完敗した時点で今日の結果は見えていた。
ゴールが見えたらシュート、ブラジルは約束事のようにくりかえしてきた。日本の選手たちは・・・。
期待の俊輔はカタツムリのように動きが遅い。中田も闘志が空回りするシーンが何度か見られた。玉田のシュート以外、得点の臭いのするシュートが飛んでいかない。
日本サッカーの弱点がすべて炙り出されたようなゲームだった。
日本では中田を代表格に、俊輔、伸二、稲本など欧州組に過大な期待を寄せてきたが、欧州のトップリーグのそれもトップチームで、どれだけレギュラーで活躍していたか、マスコミを含め冷静に判断できていなかった。
これがオーストラリアに無残な負け方をした原因のひとつだろう。世界との比較に海外組の活躍度を十二分に考慮する視点をこれからは是非もちたい。
ユースの頃から世界と互角以上に戦ってきた海外組の彼らすれば、世界はもっと身近にあったはずだ。しかし、世界はさらに進歩していた。
中田の試合後の涙、俊輔の無言インタビュー、この意味するものは「こんなはずじゃなかった」という想いだろう。なぜ他国で黄金世代が順調に育って活躍しているのに、日本はフル代表の活躍へとつながらなかったのか、今後の大きな課題だ。
posted by futbolwold |11:29 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年05月31日
ストライカー、つまり点取り屋の条件を探るには過去の著名なストライカーをつぶさにみればよい。
一例として歴代のワールドカップ得点王をあげてみる。
2002年 ロナウド ブラジル
1998年 スーケル クロアチア
1994年 ストイチコフ ブルガリア
1990年 スキラッチ イタリア
1986年 リネカー イングランド
1982年 ロッシ イタリア
1978年 ケンペス アルゼンチン
1974年 ラトー ポーランド
1970年 ミュラー ドイツ
1966年 エウゼビオ ポルトガル
内訳は南米二人、東欧三人、イタリア二人、イングランド、ドイツ、ポルトガル各一人となっている。東欧の三人はスーケルを除けばストイチコフはゲームメーカー、ラトーは快速ウイングなので除外することにする。
ロナウドを例外として残り七人には、ある共通項がある。それはペナルティーエリア内でシュートをして得点を奪っている点だ。
アルゼンチンのケンペスは長身で長髪をなびかせ、ペナルティーエリア内を高速ドリブルで駆け抜けるストライカーだが、スキラッチとミュラーはゴール前にどっしり構えた、ずんぐりむっくり型、リネカー、ロッシュは相手の前にいつの間にか現れる、細身、小柄なストライカーだ。エウゼビオは黒人特有の身体能力の持ち主で「黒ヒョウ」と呼ばれた。
つまり何がいいたいかといえば、体格的には日本人とあまり変わるところはないということ。
強烈な弾丸シュートを放つ能力はなくても得点は取れるというお手本である。リネカーとスキラッチはJリーグに在籍したから知っている方も多いと思う。
スキラッチはあのずんぐりした体型から想像できにくいが、個人技はしっかりしていた。ミュラーはスキラッチをさらに太めにした体型だが、ポジション取りがうまく、相手をブロックしながら流し込むようなシュートが得意だった。
彼らはロナウジ―ニョのような抜群のテクニックはないが、基本的なボール扱いは実にしっかりしていた。彼らのシュートはゴールに確実にパスをしているという感覚である。
ストライカーは冷静さと相手より一歩先を読む力、そして何よりゴールに飢えたハンターである。
日本人ストライカーは残念ながらその要素が決定的に欠けている。クロアチア戦での柳沢のシュートはその典型だった。自分が点をとる、という執念が見えない。彼はあの場面でも最終パスを通そうとした形跡がみられた。それも無意識に。
ゴールを遮るものがなければ、条件反射でシュートを放つ。この訓練を反復してストライカーを育てるしかないだろう。
釜本二世の呼び声の高かったストライカーは過去に何人もいたが、まだ誰一人として釜本を超えたストライカーは出てこない。
posted by futbolwold |16:16 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年05月31日
予選最終戦、ブラジル相手に二点差以上で勝利する可能性はもちろんゼロではない。
かつて、日本はマイアミの奇跡といわれたアトランタ五輪でブラジルを破った実績をもつのだから。
しかし、可能性の確率は恐ろしく低いといわざるを得ない。
六月五日の「サッカー談義 その八」でマルタ戦の教訓として、ミドルシュートの効用を説いた。予想通り、今大会の特徴はミドルシュートが勝敗のキーポイントを握っていることがわかった。ボールの性質が変わったことが尚いっそう、その効果を増幅させているが、それ以上に日本と世界との差が、シュート力そのものにあることが鮮明になった。
お隣韓国も決勝点はアンジョンファンのミドルシュートだった。
オーストラリア戦の教訓から、今回は中田、小笠原、稲本らが遠目から何本かシュートを放ったが、やはり力強さと正確さで世界に劣る。さらに残念なのは敵にミドルシュートを見せておいて、サイド攻撃につなげられない点が、相変わらず課題として残った。
ブラジル戦を楽しみにしながら、四年後の課題を見つけようではないか、皆さん。
posted by futbolwold |16:15 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年05月30日
負けた。
オーストラリアの高さと、意外にしっかりした足もと、シュートの確実性で日本は明らかに劣っていた。
直接的な敗因は日本の得点力不足。
オーストラリアがあせって前掛かりになったとき、速攻で追加点が取れなかったこと、後半の後半、暑さでばて気味のオーストラリアの裏を取れなかったこと。
しかし、まだ諦めることはない。日本、オーストラリア、クロアチアが三すくみで一勝一敗になる可能性がある。
そのとき、そのときである。今日の三点目の失点がなんとなくいやな予感がする。得失点差できまるかもしれないからだ。
日本と世界との差は今日の試合内容からみても、残念ながら相当あるといわざるを得ない。
もし、三連敗となれば次の代表監督の仕事は日本サッカーのスタイルを模索すべきだ。
たとえば絶対的なストライカーを育てること、守備を重視してカウンター攻撃に徹すること。ひとつの完成形をめざし、これからの四年間で作り上げてもらいたい。
posted by futbolwold |16:04 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年05月29日
サッカーに限らず、欧州のスポーツは地域に密着した市民スポーツとして根付いてきた。他方、日本のスポーツは学校教育との密接なつながりのなかで、スポーツを楽しむという発想がすっぽり抜け落ちてしまった。スポーツは教育、精神鍛錬の道具として日本的「スポーツ道」に組み込まれてきた。
最近の日本のスポーツ選手が海外で活躍できるのも、スポーツを楽しむ感覚を身に付けたからだ。マラソンの円谷幸吉は日本を背負ってその重さに耐えかね、自殺した。生まれた時代が悪かったとしか言いようがない。
円谷の遺書は何度読み返しても、その文章は痛々しく、そして美しすぎる。マラソンという苦行を課せられた修行僧のようだ。
遺書は「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。」で始まり、「父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」で終わる。
日本サッカーは野球、体操、バレー、水泳、卓球などに比べ人気の点で後発だった。
それが幸いして、欧州の地域密着型をめざすスポーツとしてJリーグを発足することができた。これには川渕三郎という稀有なリーダーの存在が大きかった。(詳しくは「日本サッカーが世界一になる日 川渕三郎」・日本放送出版協会刊)
川渕の念願だったヨーロッパ型のスポーツクラブがこの日本の浦和に「レッズランド」誕生で現実になった。目の前に広がる広大なグランドとスポーツ施設。「レッズランド」のオープンセレモニーで挨拶に立った川渕は思わず永年想い描いてきた地域密着型のスポーツクラブの設立に立会い、涙してしまう。
その川渕が今回のワールドカップアジア予選のシンガポール戦でジーコへの信頼をうしないかけた時があった。格下のシンガポールに手を焼き後半三十六分に藤田が勝ち越し点を入れて勝ち越すまでの十数分の間、川渕の脳裏にジーコ解任がちらついたことを告白している。しかし、この一瞬を除いて川渕のジーコへの信頼は揺らがなかった。
ジーコのワールドカップは泣いても笑っても、あとわずかで結論がでてしまう。ジーコの成果と限界が見えたとき、日本サッカーは次なるステップへ踏み出すことになる。
posted by futbolwold |16:15 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年05月29日
ミスの多い試合だった。
中田は試合後のコメントで苛立ちを隠さなかった。そしてチームを鼓舞するかのようにメンバーの戦う姿勢のなさを批判していた。
しかし、中田自身の動きもほめられたものではなかった。中田のまずいところはいらいらすると、味方がトラップできないほどパスのスピードが極端に強くなりすぎることだ。味方がフリーの時にはもっと丁寧なパスを出さねばならない。サイドチェンジのパスも大きすぎてタッチを割る場面もあった。
中田の自分勝手なパスが目立ったゲームだった。
ドイツ戦は守りを固めてカウンターを狙う日本の攻めが成功した。一方、マルタ戦から見えてくるのは、本戦で先取点を入れた相手が引いて守りを固めたとき、日本はどう点を取るのかということだ。しっかり守られると攻撃のバリエーションのなさが気にかかる。日本サッカーが世界水準に達していないところはミドルシュートの強さと精度である。引いた相手を引きずり出すにはミドルシュートが有効だ。ミドルシュートはサイド攻撃もひきだす。いまの日本はサイド攻撃に頼りすぎている。
泣いても笑ってもオーストラリア戦は目の前に迫っている。先取点が勝負の分かれ目になるだろう。
posted by futbolwold |15:15 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年05月28日
今大会のドイツの前評判は総じて低い。
若手への切り替えが遅れて、このところの国際試合は苦戦の連続だ。サポーターの批判は監督クリンスマンに向けられ、彼の端正な顔も曇りがちだ。そして守護神GK、カーンも不調が伝えられ、第二キーパーに甘んじている。
今朝のゲームも後半、高原に立て続けに2ゴールを奪われた。1点目は中村が起点になって、柳沢、高原とダイレクトパスをつなげられ、あっさりゴールネットを揺らされた。二点目も同じ高原に、ディフェンダー2人がマークを振り切られ、右の角度のないところから左隅に強烈なシュートを叩き込まれた。
日本は後半三十分あまりを残して2対0とリードしたが、日本のバック陣がドイツの高さのある攻撃を抑えきることができなかった。最初の失点はセットプレーで宮本が相手フォワードにせり負け、右足で流し込むようにゴールを入れられてしまう。2点目も同じセットプレーから長身選手にマークの前で勝負され、ヘッドで失点してしまった。
このゲームで柳沢と駒野が競り合いのなかでユニフォームを引きちぎられた。一点目の失点も宮本が相手選手の巧妙なファウル(ユニフォームを引っ張っぱられていた)で倒されて、ゴールを決められていた。
ゴール前での大きな選手との競り合い方、セットプレーのマークの確認、これが今回の教訓だった。オーストラリアも大きな選手ぞろいで、しかもイングランド仕込みの激しいプレーはドイツ以上かも入れない。要警戒だ。
毎度のことだが、柳沢と大黒、それぞれ絶好の得点チャンスが二度あったが、決められなかったことである。本番の真剣勝負では早々チャンスは作れない。少ないチャンスを生かす冷静な判断と確実性をこれからでも修正してもらいたい。
しかし収穫もあった。流れの中でパスをまわし、相手の守備を完璧に崩したプレーは好材料だ。前半負傷退場の加地に代わった駒野が右サイドから何度もチャンスを作ったのも明るい材料だった。
このゲームでいくつかの課題が浮き彫りになった。その意味で収穫の多いテストマッチだった。
posted by futbolwold |16:27 |
サッカー全般 |
コメント(0) |
トラックバック(0)