2008年05月29日

第九回 スポーツの考え方

サッカーに限らず、欧州のスポーツは地域に密着した市民スポーツとして根付いてきた。他方、日本のスポーツは学校教育との密接なつながりのなかで、スポーツを楽しむという発想がすっぽり抜け落ちてしまった。スポーツは教育、精神鍛錬の道具として日本的「スポーツ道」に組み込まれてきた。

最近の日本のスポーツ選手が海外で活躍できるのも、スポーツを楽しむ感覚を身に付けたからだ。マラソンの円谷幸吉は日本を背負ってその重さに耐えかね、自殺した。生まれた時代が悪かったとしか言いようがない。

円谷の遺書は何度読み返しても、その文章は痛々しく、そして美しすぎる。マラソンという苦行を課せられた修行僧のようだ。
遺書は「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。」で始まり、「父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」で終わる。

日本サッカーは野球、体操、バレー、水泳、卓球などに比べ人気の点で後発だった。
それが幸いして、欧州の地域密着型をめざすスポーツとしてJリーグを発足することができた。これには川渕三郎という稀有なリーダーの存在が大きかった。(詳しくは「日本サッカーが世界一になる日 川渕三郎」・日本放送出版協会刊)
川渕の念願だったヨーロッパ型のスポーツクラブがこの日本の浦和に「レッズランド」誕生で現実になった。目の前に広がる広大なグランドとスポーツ施設。「レッズランド」のオープンセレモニーで挨拶に立った川渕は思わず永年想い描いてきた地域密着型のスポーツクラブの設立に立会い、涙してしまう。

その川渕が今回のワールドカップアジア予選のシンガポール戦でジーコへの信頼をうしないかけた時があった。格下のシンガポールに手を焼き後半三十六分に藤田が勝ち越し点を入れて勝ち越すまでの十数分の間、川渕の脳裏にジーコ解任がちらついたことを告白している。しかし、この一瞬を除いて川渕のジーコへの信頼は揺らがなかった。

ジーコのワールドカップは泣いても笑っても、あとわずかで結論がでてしまう。ジーコの成果と限界が見えたとき、日本サッカーは次なるステップへ踏み出すことになる。

posted by futbolwold |16:15 | サッカー全般 | コメント(0) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

トラックバックURL
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/futbolwold/tb_ping/59
コメントする


(表示は許可制となっています)