2008年05月12日
閑話休題
この土日、1泊旅行で家を空けていました。私自身も言えることですが、スポーツに限らずファンはいつも熱いですね。特にいまや人気を二分する野球とサッカーのファンは特に熱いことが今回よくわかりました。 話題をすこし転じて、今回は私がもっとも苦手としてきた武道について話をします。 私が某都立高校に入学したときの遠い昔、体育の授業の必修として「柔道か剣道」のいずれかを選択しなければなりませんでした。 上半身、特に腕力が弱かった私は、どう考えても柔道は強くなれないことがわかっていたので、投げ飛ばされて痛い思いをするくらいなら、剣道のほうがまし、と思い選択しました。上着と袴は自前で用意して、面、胴、小手の防具3点は学校の常備品を使うことになっていました。 つまり、剣道を選択した生徒が防具を使い回しするのですが、これがなんとも曲者でした。 面をつけようと顔に近づけたとたん、臭ッさ~い臭いが鼻につくのです。息をできるだけ鼻から吸わないようにしながら、つけると今度は何人もの交じり合った汗の湿り気がひんやり、ねっとり顔面にまとわりつくのです。 もっと嫌だったのが、小手。汗の逃げ場がない小手に手を入れると、グチャグチャ、ヌルヌル、臭いは面の比ではありません。 剣道にあまりいい思い出がなく、なんとなく武道全体にしっくり感がもてないままいたずらに年を重ねてしまいました。2年前、岡山に仕事がらみで出かけたついでに、吉備の国の一宮神社、吉備津彦神社を訪れたとき、神社の敷地内に弓道場を見つけました。そこでは老若男女が白の上着に黒の袴をつけ、粛々と矢をつがえ、弓を振り絞り、的めがけて矢を放っていました。的に当たっても、そうでなくても表情を変えず淡々と所作を繰り返していました。 神社というロケーションもあったのでしょう、いたく神聖ですがすがしい気持ちにさせられました。武道も捨てたもんじゃないな~、という気持ちになりました。 現在、私はM大の社会人向け歴史講座を受けているのですが、テーマが「日本中世の戦争と平和」。戦のありかたを通して日本の中世社会を見直すという意図ですが、そこで弓矢の話が出てきました。 中世(鎌倉時代以降)の戦の主力部隊は騎馬で、馬に乗った武将の武器が弓矢でした。武士が身につける鎧は大きく分けると騎馬武者用と歩兵用の二種類で、大きな相違点があります。騎馬武者用は矢が貫通しないよう頑丈であることが優先され、動きやすさはあまり考慮されていません。反対に歩兵用のそれは動きやすさが優先され、頑丈さは騎馬武者用ほど重要視されていません。 騎馬武者用の鎧の前部は馬の鞍に固定するようになっていて、馬の上にちょうどドラム缶をくくりつけ、その中に武者が入るような感じだそうです。したがって、武者はドラム缶のなかで意外に自由に体を動かせたといいます。 そして肝心の弓ですが、モンゴル族が馬上で短い弓(短弓)を自由自在にあやつるに対して、鎌倉武士は大きな弓(長弓)を用いていたので、馬の首が邪魔になり左右に弓を動かせなかったそうです。したがって左手に弓を持ち、右手に矢を番えるため進行方向左側の敵だけにしか攻撃をすることができないということになります。 騎馬戦のセオリーはいかに敵を自分の左側に置くように馬を扱うかが第一のポイントとなります。 そして、左側の敵のどの部分に矢を命中させればいいかというと、分厚い鎧のウイークポイントは一つしかなく、それは敵の顔面でした。 互いにすれ違いざまに相手の顔面に矢を打ち込めるかどうかが勝負の第二のポイントになります。 この光景から連想できるものは各神社の神事「流鏑馬」です。 長い馬場を走ってきて、小さな板の的に矢を打ち込むあのシーンは意外なことに中世の戦をかなり忠実に再現していたのでした。大鎧こそつけていませんが、敵を左手に見る、長弓ですれ違いざま、顔面に矢を打ち込む、流鏑馬が様式化された儀式と思っていたらそうではなかった。 武道を見る目がすこし変わってきたように感じます。
posted by futbolwold |18:19 |
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