2008年07月09日
最も輝き、その将来性を期待されながら、わずかの間に一転してプレーから輝きを失い、並の選手になったある選手を思い出す。
登りつめた栄光の頂が最も高い選手ほど調子が落ちたときとの落差が大きいが、その代表的な例といえば私は前園真聖を第一に思い浮かべる。
全盛期の前園のドリブルは確かに魅力的だった。どの国際試合だったか思い出せないが、ゴール正面やや左から、壁パスを使ってドリブルでペナルティー内に進入した前園は相手DFのタックルをきれいにはずして、ゴールした。あのシーンは不思議と鮮明に脳裏に焼きついている。
ゴールネットを揺らすあらゆる得点シーンはおしなべて美しいものだが、とりわけ前園のそれは強烈な印象を受けた。おそらくその理由の一つは、前園を超えるドリブラーにいまだめぐり合っていないかもしれない。こう書くと大分に移籍した家長、松井大輔ら何名かをあげる人が必ず出てくるが、それはそれでかまわない。
前園の栄光から挫折への落差が大きいほど、私の気持ちの中では彼のドリブルが一番、と勝手に思いが膨らむだけだから。
前園は鹿児島実業高校から横浜Fに入団したが、97年海外への移籍を希望する本人と横浜F側との意見の相違から海外移籍に理解を示すヴェルディ川崎へ移ったと巷間伝え聞く。実際同年に希望がかなってブラジル・サントスでプレーすることが出来た。しかし名門サントスからゴイアスというチームに早々に代わり、2000年には日本に戻り湘南ベルマーレ、翌年には古巣年東京ヴェルディへとチームを転々とした。
2000年からの2年間のプレーからは、かつての切れ味鋭いドリブルは陰も形も消えてなくなっていた。相手の執拗なマークに耐え切れず、そこには簡単にボールを奪われ、倒され、振り切られる惨めな前園しかいなかった。
Jリーグで満足のいく結果を残すことが出来ず、2003年に韓国Kリーグの安養LGに好条件で移籍したが、ここでも活躍をすることが出来ず、翌2004年は仁川へ移り、ぼろぼろになって日本に戻ってきた。そしてOFKベオグラードのテストにも落ちて2005年5月、31歳の若さで引退してしまう。
前園の転落の理由はいくつか取りざたされてきた。いわく弟分だった中田英と対比され、プロスポーツ選手としての自覚の無さをあげる人もいた。中田英とおなじ事務所に所属していた前園は一時期、コマーシャル出演が引きも切らず、時代の寵児と祭り上げられた。鹿児島の片田舎出の青年が分不相応な年収に踊らされ、自分を見失い、練習を怠ったのが最大の理由ともいわれている。
確かにその若さに起因するところは多いかもしれないが、前園の行動からは金におぼれたというところは見えてこない。
スポーツ選手にありがちなことだが、微妙に歯車が狂いだし、調子を崩すことはよくある事例だ。久保竜彦は日本人離れした運動能力で一時期、ゴールを量産したが、不調の原因は持病の腰痛であることがはっきりしている。ドイツから帰ってきた高原は以前、エコノミー症候群で選手生命が危ぶまれたが、それを克服して目覚しい活躍をしていた。ところが現在、いつまでたっても何故か彼本来の輝きを取り戻せないでいる。
前園の早すぎる引退はあまりにもドラマチックで、かつミステリアスだ。あのドリブルが輝けば輝くほど、人生の縮図を見せられているようで、選手としての前園の最後が惨めでならない。
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2008年07月06日
1999年、ナイジェリアで行われたワールドユース選手権で日本代表が準優勝した。
決勝の相手は先の“ユーロ2008”を制したスペインだった。決勝戦のスコアは4対0の完敗だったが、次代を担う若い日本代表の面々は間違いなく、今後のワールドカップでの大活躍と好結果を予感させる成績を残した。
この世代を代表する中田英、小野、稲本、中村、高原らを中心に彼らを黄金世代と呼んでいる。野球の「松坂世代」、それに引っ掛けた陸上の「松坂世代」も最近注目を集めているが、いずれもある時期に固まって有力選手を輩出する現象を言い表したものである。
ナイジェリアワールドユースが行われた3年後、日韓共催のワールドカップが開かれたが、日本は韓国とともに開催国として無条件でフランス大会に続き、2大会連続でワールドカップに出場することが出来た。そして2006年、ドイツ大会は黄金世代が選手として年齢的に最も輝き、活躍できる大会となるはずだった。しかし、期待に反して世界との差をまざまざと実感させられた大会になってしまった。
そのショックもあったのだろう、黄金世代のシンボル的存在だった中田英が傍目には十分すぎるほどの余力を残しつつ、サッカー界から忽然と姿を消してしまった。
小野はオランダから期待されて浦和レッズに戻ってきたが、本来の輝きを取り戻すことなく再びヨーロッパへと旅立った。小野と入れ替わるように高原が浦和レッズに加わったが、ここまでのJリーグにおける活躍度は目を覆いたくなるほど、期待を裏切り続けている。
稲本はヨーロッパに渡っていくつかチームを渡り歩いたが、いまだにレギラーとして確固たるポジションを獲得できずにいる。唯一、中村俊輔が所属チームの主力選手として活躍しているが、ヨーロッパの各リーグにおいて、けしてレベルが高いとはいえないスコットランドリーグでの活躍である。
ワールドユース選手権で活躍した世界の選手の多くは、おおむね順調に成長して世界的プレーヤーとして活躍しているが、同じように日本の黄金世代の中からも世界のトッププレーヤーの一員として成長してもおかしくないはずだ。それだけの実績を過去、残してきたのだから。しかし、現実はそうなっていない。
日本の6歳から15歳くらいまでのジュニア世代は世界のジュニア世代に比べても、能力的にはほとんど遜色ないと内外から評価されている。もちろんトップクラスとはいわないまでも、それに準じる力を発揮している。しかし、その上のクラスになると、それまでの右肩上がりの成長線が急激になだらかなカーブになってしまう印象が強い。
ここのところ日本代表のゲームを見ていると、じりじりするようなゲーム展開が多い。パスはつながるが、攻撃的で勝負を挑むようなパスは少なく、ゴール前でのプレーの精度は低く、ゴールに直結するような迫力が感じとれない。
外国人から見た日本サッカーの特徴はきれいなサッカーはしているが、プレーの判断と早さ、闘争心、ゴールに対する執着心の希薄さを感じるという。ジュニアの頃までは世界との差は縮まっているのに、その後の伸びしろが少なく、結果的に世界との差が広がってしまうのはなぜなのだろう。
この負の特徴は日本サッカーの制度的な問題なのか、サッカーを取り巻く日本社会全体の問題なのか、あるいはそのいずれにもかかわっているものなのか、正直よくわからないことは多い。
制度的な問題に関してみると、日本のスポーツはサッカーに限らず学校での体育との結びつきが強い。というよりスポーツが民間のスポーツクラブやスポーツジムのように学校以外に頼るケースがようやく市民権を獲得し始めたところというのが現状である。
Jリーガーの出身母体の7割は高校サッカーである。Jリーグの下部組織やそれ以外のユースチーム出身は3割とまだまだ少数派である。
イギリスの場合、FA公認で全国に2500余りある「チャータースタンダードクラブ」、その上位クラスにあたる約500の「FAコミュニティクラブ」があるが、能力の高い子供たちは選抜され階段を上るように二つのクラブを駆け上がり、最終的にはプロチームのユースへと引き上げられていく。
ヨーロッパのスポーツに対する姿勢は「楽しさ」に重きを置くといわれるが、同時に一握りの子供たちにとってトッププロへの道は競争につぐ競争であり、常にスカウトの目を意識しながら目の前の勝負にこだわるという。競争心や闘争心は自ずと身についていくというわけだ。
日本の学校スポーツはその歴史の長さから一朝一夕にはなくなることは無いだろう。一部のトッププロを育てるにはさして効率的ではないかもしれないが、高校野球にしても高校サッカーにしてもこれだけの規模と盛り上がりを見せる全国的な大会は外国にもあまり例をみないそうだ。多くのプロ野球選手が高校野球のOBであり、そのOBたちがメジャーリーガーとして活躍をしている現状をみても、一概に日本の学校スポーツに大きな欠陥があるとも思えない。サッカーについていえばJFAがなすべきことは下部組織としてのクラブの充実に協力を惜しまず、同時に学校との良好な協力関係を築き上げるというのが、最も日本的な現実的方法であろう。
他方、サッカーを取り巻く日本の社会環境そのものはどのような影響を及ぼしているのだろう。
ここ10数年来の学校、とりわけ小学校に顕著であるが、過度の平等意識によって本来適度にあるべき競争心が好ましくないものとして、あらゆる場面で排除されてきた。
徒競走に順位をつけてはいけないとか、学芸会の主役を希望者全員に演じさせるなど、馬鹿馬鹿しさもことここに極まった感がある。一般社会での「平等」とは「機会の平等」を意味するのであって、あとは本人の能力にゆだねるのが世の常識である。
足の速い子は算数が苦手かもしれないし、国語の得意な子は絵がうまくないかもしれない、算数が得意な子は手先が不器用かもしれない。人間社会はじゃんけんのように、絶対的な勝者などいない。大人の社会でも「勝ち組と負け組み」などと一つの物差しですべてを計る愚を冒している。つまり日本社会は子供から大人まで、どこかボタンのかけ違いをしているようだ。子供の頃から「競争心」と「闘争心」を卑なるものと教え込まれていれば、ゴール前の動きが鈍るのも致し方ないのだろう。
2010年の南アフリカ大会に日本が出場できるという前提でいえば、黄金世代で代表に残るのは、中村俊輔一人の可能性が高い。代表の主力は皮肉にも黄金世代のあとの「谷間の世代」が中心になるであろう。
結局、黄金世代は当初の輝きをそのまま持続、発展したかと問われれば、首を縦に振ることは出来ない。第二、第三の黄金世代が最後まで輝きを失わなければ、ワールドカップで上位に食い込むことも夢ではない。
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2008年07月02日
2010年、南アフリカWC、アジア最終予選で日本が戦う相手に「カタール」が同じ組に入った。
「カタール」の首都はドーハ。あの「ドーハの悲劇」で日本には因縁深い土地である。
初のWC出場をかけた最終戦、その悲劇的な決着は深夜テレビで見た方も多いと思うが、お化けのような視聴率は48%を超えていた。
カタールはアラビア半島の中ほどに位置し、ペルシャ湾に瘤が突き出たような形をした小さな半島国家である。人口、その数わずか84万人、日本の都市を引き合いに出せば大阪、堺市より若干大きく、東京世田谷区の86万人に及ばない、小さな国だ。
しかし、石油と天然ガスの産出で国民一人当たりのGDPは世界のトップクラスの金持ち国家でもある。
カタールは他のアラブ諸国と同じように、サーニー家という部族長が支配する事実上の絶対君主制下にある。サッカーにおいては潤沢なオイルマネーを使って、強化に努め、カタールリーグにはあのアルゼンチンのストライカー、バティストゥータ、スペインのイエロもそれぞれ2年ほど在籍していた。バティは日本がワールドカップに初めて出場したフランス大会で日本から先制点を奪った男である。
そして、元浦和に在籍し、Jリーグ得点王にもなったエメこと、エメルソンが前触れもなく移籍した先がカタールリーグである。
浦和時代にも遅刻常習犯で何かと問題を起こしたエメルソンだが、その後、年齢詐称、パスポート偽造、ブラジル代表歴隠し、カタール国籍取得問題など、彼にはトラブルが常に付きまとう。いまのところWC最終予選出場資格に引っかかり、エメルソン出場の可能性は低そうだが、中東世界は何が起きるかわからない。エメルソン自身も何をしでかすかわからない人物なので9月まで、まだまだ不可解なことがおきる可能性が無きにしもあらずだ。
砂漠の国、カタールと緑豊かな日本とはあまりにも気候が違いすぎる。そしてアジアは広すぎる。ホームアンドアウエー方式を改め、アジアカップのように場所と期間を決め、短期集中式に予選を行うか、あるいは文化圏の違い、民族的な異質性を考慮してアジアを東西に分ける方式も考えてもよさそうな気がする。
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2008年06月30日
世界のサッカーの流れへがいい方向へと向かうためにもスペインには勝ってほしかったが、日本時間の今日未明に行われた2008、ユーロ決勝はスペインの完勝だった。
これまでのスペインは前評判の高さが、結果に結びつかず長い間、見るものの期待を裏切ってきた。古い話だがクライフ率いたオランダが革命的なサッカーを展開して、現在のトータルフットボールの礎を築きながらも、勝負に負けたことを思い出す。
オランダもスペインと同じように前評判を裏切り続けているところがよく似ている。楽しいサッカー、観客を魅了するサッカーが勝つサッカー、あるいは負けないサッカーと同義語となりがたかったのが、これまでのサッカーの歴史だったようにおもう。
しかし、今回のスペインのサッカーはその前歴を覆すような勝利だった。平均身長でドイツに大きく劣り、ことに中盤の4人は170センチそこそこの小さなテクニシャンぞろいだったが、けして当たり負けをせず、最後までスタミナも切らさず、ドイツを圧倒した。
ダイレクトパスが大男のドイツ選手の間を何本となくつながり、小気味よいテンポでゲームはスペイン主導ですすんでいった。サッカーがけしてフィジカルだけのスポーツでないことがよくわかるようなスペインのプレーぶりだった。
スペインは決定機を何度も作り、あとすこし女神が微笑んでくれたら3対0の完璧な勝利を勝ち取ったかもしれない。
ドイツの勝負に対する執念は常に十分賞賛に値するものだが、サッカーの進歩という側面からいえば、スペインの勝利は実に意味深い。
全員で攻めて、全員が守る。空いたスペースを誰かが埋めると、パスが決まりごとのように目の前にやってくる。この動作の繰り返しがゴール前まで連続して、最後のシュートに結びつく。ドイツの守備は完全に翻弄され、崩され、ドイツ選手のエネルーギーの大部分が守備に費やされ、最後の15分はほとんど自陣に釘付けになっていた。
点差は最小だが、勝負の行方は時間がたてば立つほど明らかにスペインに傾いて、ドイツの勝利の確率は相当低いものと感じられた。
ドイツが受けた敗戦のショックは相当根深いものと想像される。
試合後のドイツ代表監督の「選手たちはかなり打ちひしがれているが、われわれが胸を張ってドイツに帰れない理由はない」という試合後のコメントに、多分に虚勢を感じのは私だけだろうか。
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2008年06月29日
三次予選の結果から見ても、最終予選が厳しい戦いになることは十分予想される。
最終予選の組み合わせが決まったが、その感想をひとこと。
日本のグループはオーストラリア、カタール、バーレーン、そしてウズベキスタンが入ったが、相対的にみて韓国、北朝鮮、イラン、サウジ、UEAのグループに入らなくてよかったというのが正直な感想。
オーストラリアがアジアに組み入れられる以前は日本、韓国、サウジ、イランがアジア4強といわれてきた。4強といわれる所以はWC出場国で、かつアジアカップの優勝国はこの4カ国で大半が占められてきたからである。
しかし、これは過去の実績で、日本の入るグループのカタール、バーレーンの進化のスピードと度合いはすでに実証済みである。現時点では4強との差は小さいと考えるべきだろう。
2008、ユーロでのトルコの躍進は目覚しいものがあったが、イランを含む中近東諸国のレベルが急激に上がっているようだ。イランは民族的にヨーロッパに近く、身体能力はもともと高い。サウジはオシム時代のアジアカップでマレクというストライカーの個人技に阿部、中澤が突破され、打ちのめされた嫌な印象が強い。
地理的な移動が少ないという日本にとってのメリットはあるが、韓国、北朝鮮はやはりやりにくい相手である。
となると、客観的(あくまで私自身のという条件付だが)には、今回の組み合わせはよしとしなければならないだろう。
さて日程的なところを見てみると、9月から3月まで(12月を除く)の各月は1試合の予定が組まれ、移動の有利不利は少ないといえよう。はやり来年6月6日、10日、17日のウズベキスタン、カタール、最終戦のオーストラリアが重要なゲームになるだろう。この3試合でめまぐるしく順位が変わるような混戦が予想される。
今回の3次予選を見る限り、中村俊輔、松井、長谷部の欧州組の力に相当寄りかかっていたという現実を考えると、最終予選全試合を通じて鍵を握るのが欧州組のコンディションの問題であろう。場合によっては上記の3人がそろって出場できるとは限らない。したがって国内組には欧州組の力を借りなくても十分通用するという意気込みで戦うことを望みたい。
この間、日本代表に彗星のごとく若きストライカーが現れることを夢見つつ、9月からの最終予選に熱い視線を送ることになるだろう。
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15:48
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2008年06月29日
WC最終予選の組み合わせも決まり、WCアジア予選中断明けのレッズ対レイソル戦を国立競技場で観戦した。
観戦ポイントは長期間、戦列から離れていたポンテ、三都主の調子を確認すること。
阿部、坪井、鈴木敬太、高原の怪我、体調不良など、その後の気がかりな様子をこの目で確かめること。岡田監督になって玉田、大久保、佐藤寿など小回りの利くタイプのフォワードが招集され、結果をそれなりに出しているので、同タイプの田中達がどこまで動けるかも気になっていた。
まず田中達はこの試合、ベンチにも入っておらず、評論外。
問題外は先発するも開始早々に負傷退場した三都主である。特に危険な接触プレーもなかったが、突然倒れこんでしまった三都主。結局、試合に出られるようなコンディションではなかったようだ。完治してゲームにでられるまでには、相当時間がかかりそうだ。
明るい材料はなんといってもポンテの復帰だ。残り15分で永井と交代したポンテだが、随所に好調時のプレーを髣髴させる動きを見せてくれた。数試合、怪我をせず出場していけば、ゲーム感を取り戻し、昨年のような活躍をしてくれるだろう。また怪我が心配された阿部は唯一の得点を決めるなど、不安を払拭させてくれた。寡黙な男だがやるべきところはしっかり仕事をしてくれる、頼もしい存在である。
代表シンドロームの影響で不調をかこっていた坪井が久々にピッチに戻ってきた。動きはまだまだだが、大きなミスもせず、無難にプレーが出来ていた。これをきっかけに、輝きを取り戻して欲しい。同じように体調を崩していた鈴木も同様に無難にプレーをしていた。
高原もゴール前での動きに鋭さを見せていた。結果がついてくれば立ち直りの兆しが見えてくるだろう。
しかし、試合全体をとおして考えさせられたのは、闘莉王をボランチに起用し続けるのかという疑問が残ったことである。
ポンテも復帰し、鈴木も90分動ける目途が立ったのに、なぜ闘莉王を本来のポジションに下げないのだろう。
柏の得点は2点だったが、あと3点くらいは入っておかしくない内容だった。その原因はセンターバックの役不足である。浮き球の処理を何度か誤り、簡単にシュートを打たれていた。
エンゲルスはフォワードの得点力不足を闘莉王が補うことを期待したものだろうが、まず守りがしっかりすることがレッズの特徴である。攻撃好きの闘莉王が、仮定の話だがエンゲルスにボランチを直訴したとしても、許すべきではないだろう。
2位の名古屋が鹿島に敗れ、順位に変動は無かったがレッズは4敗目を喫し、Jリーグは混戦模様を呈してきた。復調した鹿島が首位戦線に再度躍り出てきた。ただ、鹿島はガンバとともにACLの闘い方によってこの好調さをどこまで維持できるかが課題である。
この日の国立は3万7千人弱の観客だった。今年に入って代表の試合の不入りの原因は、観客の目が肥えてきたこと、ユーロ2008のレベルの高い試合を見てきた客が、真剣勝負でない国際試合に興味を向けなくなったことが大きな原因だろう。今回のWCアジア予選についてもひところの観客動員を稼げていない。この傾向は今後も続くであろう。
キリンカップの当初の意図である、代表強化はすでに有名無実化している。首都圏での開催から地方での開催へと転換したほうがよさそうだ。親善試合的なゲーム、ならびに強化試合に関しては、ほとんど見る機会の少ない地方での開催を考えたほうがよい。
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2008年06月26日
前回、このタイトルとは真逆のテーマで日本サッカーに欠けるところを書き出してみた。
“世界にあって日本に欠けるもの”の代表が「判断」のスピード、濃密なコミュニケーション、全体状況の把握、の三点である。
この三点に共通することは、サッカーという競技に特有なものではない。あらゆるスポーツに通じているかどうかは明言できないが、団体競技に限れば相当程度、重なり合う部分が多いのではないかと思う。
同時に、この点に関してはスポーツの領域のみならず、現在の日本社会全体が弱さとして抱える点であることも、“世界にあって日本に欠けるもの”に寄せていただいた多くのコメントのなかで指摘していただいた。
したがって、この3点の克服にはそれ相当の時間と知恵を要するであろう。しかしワールドカップ本大会は4年に一度、確実にやってくる。せめてサッカーという領域では早急かつ果断に弱点の克服をめざさねばならない。
サッカーというスポーツのテクニカルな領域での“世界にあって日本に欠けるもの”についてもすこし触れておかねばならない。「判断」のスピードと相関関係にあるプレーのスピードにおいて世界との差は大きい。
今回のアジア3次予選においても多くの人が指摘していたことだが、日本選手はシュートを打なすぎる、慎重すぎる、積極性がたりない、失敗を恐れすぎる、というあまたの批判のコメントをいただいたが、相当程度、批判の内容は正鵠を得ていると思う。
私自身、「シュートを打てるのにあえて打たず」パスに逃げてしまうというシーンにサポーターの一人として過去何度、天を仰いだことか。
選手のメンタルな部分に問題があるということだが、はたしてそれだけであろうか。
私は日本選手がトラップ、パス、シュートの一連の基本動作において、まだまだ精度が世界レベルに届いていないことにも問題があると考えている。
Jリーグで活躍する外国人フォワードはおしなべて基本動作が俊敏かつ迅速で確実である。どんなパスも体のあらゆる部分を使いトラップをして、シュートの体勢につなげる位置にボールをピタッと置く、この技術は日本人選手にはない基本動作である。
つまり敵がシュートコースに入る寸前に、シュートを放つのは、メンタル以前の基本技術の問題ではないだろうか。
また膝下の部分を小さな振幅でふりぬき、早くて強いシュートを打つ技術があれば、やや遠目からでもシュートを放つことが出来る。しかし日本選手にとって“ゴールが見えたらシュートを打て!”といわれてもシュートまでのモーションが大きすぎて、その間にシュートコースをふさがれてしまう。ここでもやはりメンタルな面もさることながら基本技術に大きく左右されてしまう。
フォワードの得点力不足は世界的な潮流の様子だが、南米も欧州もその原因にストリートサッカーの衰退を挙げている。1個のボールさえあれば、貧しい家庭の子供でも日がな一日、スタープレーヤーに憧れを抱きながらボールを蹴って遊んでいた。遊びのなかでサッカーに必要な基本動作が自然に身につけていった。裸足でボールに触れる感触は大人になっても皮膚感覚としてしっかり残っている。どんなボールがきても体細胞が勝手に反応する。この差は想像以上に大きい。
日本人フォワードの名誉のためにあえて弁護をすれば、フォワードというポジションは好不調の波が大きいという点において、野球における打者に似ている。好打者としての目安が確率30%とはいかにも低いが、サッカーはさらに世界の一流ストライカーでさえ得点確率は驚くほど低いものと思われる。
野球の例をもう一つ引き合いにだせば、打撃成績は相手投手によって大きく左右され、あてにならないところがあるが、走塁と守備には不調が無い、といわれる。
これをサッカーに当てはめるとどうなるか?
エース級の投手を崩すには足を絡めた攻略がよく選択される。サッカーにおいては強力な相手DF陣から点を奪い取るには、相手の守備体形が整う前にゴール前にボールを運ぶことが求められる。幸い日本人選手の走力の持続性は世界になくて日本にあるものだ。後半の残り15分は相手のスピードががくんと落ちて、日本の得点チャンスは増える。
あとはフィニッシュの精度頼みだが、これが基本技術の問題で思うにまかせないところがいまのところなんとも悩ましい。
世界になくて日本にあるものの一つに日本人の小さな体形がある。意外なことと思われるかもしれないが、日本選手には大きな外国人選手には無い俊敏性が備わっている。こま鼠のような動きは玉田、大久保、そして元日本代表の森島らは大男ぞろいの欧州勢を相手にある程度機能していた。ペナルティー付近での小さな相手に対するディフェンスは意外にやりにくそうにみえる。時にファウルねらいの強引なドリブル突破を仕掛けることも必要である。
アフリカ諸国の代表監督を歴任してきたトルシエが日本代表を指揮して感じたことは、日本選手の規律性、勤勉性、理解力の速さにおいて優れている点だった。
個々の能力は劣っても、集団で成し遂げる力、集中力には見るべき点が多い。この良さは特に守備において顕著である。複数でボールをとりにいく、攻撃的な守備を徹底すればゲームをコントロールすることも可能だ。
Jリーグの中でこの戦術をとっているのが浦和レッズと今シーズンの名古屋グランパスである。今シーズン、まだデータは少ないが両チームとも少ない失点と後半勝負のゲームプランを徹底して追求している。浦和は総得点の90%弱を後半にあげている。名古屋も同じように60%が後半の得点である。相手チームの動きが鈍くなった後半に一気に勝負を決める展開で、ともにリーグ1位と2位の位置につけている。
鹿島アントラーズも同様の得点パターンを示している。堅守、後半勝負型のチームがJリーグのトップクラスを形成しているのは、「日本的サッカー」のヒントになるのではなかろうか。
フィジカル面で世界に遅れをとる日本としては、集団的規律性を前面に押し出し、1対1の不利を数的優位で補い、組織だった攻撃と守備で相手が疲れる後半に勝負をかけること、これが現時点では最も理にかなった戦術ではないだろうか?
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2008年06月23日
6月17日にアップした「バーレン戦にのぞむこと」で書いたように、表面的には「消化試合」であっても、それを額面どおり受け取る監督、選手はまずいない。
特にWC本大会をめざし、出場に手が届きそうな国々であればなお一層、「消化試合」を理由に手を抜くことなどまず考えられない。
なぜなら、選手であれば誰もが、代表に選ばれるだけでは満足せず、試合のピッチに立つことをめざして、互いにしのぎを削っているからだ。チーム内のポジション争いが激しいほど、代表生き残りを試合でアピールしなければならない。
アスリートの本能からみても、万が一、心の片隅に「消化試合」の4文字が浮かんだとしても、ピッチにたって敵の選手から激しいチャージを受ければ、闘争本能がふつふつと煮えたぎってくる。
昨晩のバーレン戦は松井、長谷部を累積警告の関係で出場を見合わせたが、「消化試合」の影といえばそんなところぐらいにしか見えなかった。怪我が心配された中村俊輔はおそらく本人の強い意志で、ピッチにたったのだろう、最終予選に向けて戦力温存など歯牙にもかけた様子はついぞ見られなかった。
さて真剣勝負のバーレン戦の収穫はなんだったのか、そして最終予選に向けてなすべきことは何か。
一つ目は最終予選が毎試合、ハラハラどきどきの連続になるであろうという予想が、確信に変わったこと。軽率なプレーは確実に失点につながるという教訓を若い安田が感じてくれたこと。(本当に感じたかどうかは本人に聞いてみなければわからないが・・)
二つ目はゴールへの執念をもっと強く持たなければ、得点ははいらないこと。まずもってシュートを打たなければ得点に結びつかないことことである。ゲームの主導権は日本が終始持っていたが、はっとするようなシュートはバーレンに一日の長があった。遠目からでも、シュートコースが見えたら思い切って打つ、積極性がたりないことが目についた。
三つ目は松井不在の影響もあろうが、サイドからの崩しがまだまだ少ない。若い両サイドの二人は上がりも遅れ気味で、ユーロのオランダ、ロシアの試合で見せくれたロシアのサイドからの崩しを学んでほしい。危険なエリアにドリブルで入り込むシーンが、PKに結びついた佐藤のワンプレーと右サイドの内田の切れ込みぐらいだった。
最終予選のメンバーは今週末から再開されるJ1の試合の中で、三次予選からみえた課題を克服するプレーを見せた選手の中から選ばれるであろう。
選手にとっては一瞬たりとも気の抜けない日々が即座に始まる。
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2008年06月22日
日本サッカーのよさの一つにスピードの速さをあげる人は多い。
一口にスピードといってもいくつかの状況で意味は変わってくる。
例えば、ボールを持ったときのスピードなのか、ボールを持たないときのスピードなのか。
ボールを持たないときのスピードとはむしろ走力といったほうがよいかもしれない。サイドを駆け上がるときの長い距離を走るスピードと、ペナルティーエリアに入り込む短い距離での一瞬のスピード。これは走力の質、つまり持続力と瞬発力の違いからくるスピードの違いと考えられる。先日のオマーン戦の後半、コンディション的には有利なホームのオマーン選手が暑さと疲労で足をつる選手が続出した。日本選手はアウェイのハンディにもかかわらず、「スピード」は極端に落ちなかった。こうした傾向は今回のオマー戦に限らずたびたび目にする。長友の90分間の衰えを知らぬ走力に象徴されるとおり、日本選手は外国人選手より走力の持続性において優れていると思う。
したがって「スピード」と「走力」は分けて考え、サッカーにおいてはボールを持ったときのスピードに限定して考えてみたい。
サッカーにおける「スピード」は2種類ある。「走る」スピードと「判断」するスピードである。日本選手は一昔前に比べると格段にボール扱いがうまくなった。ボールを持ったときのスピードとそうでないときのスピードの差がほとんどなくなった。ジダンやロナウドのようにはいかないけれどボールが足にくっついたようなコントロールが出来るようになった。
問題は「判断」のスピードである。これは世界にあって、まだまだ日本に欠けるところの一つである。マイボールになってディフェンダーからMFへのビルドアップの時間がかかりすぎる。その原因はいくつかの要素が絡み合っているが、一つはボールを受ける体勢の悪さがある。敵のマークが厳しくなければ半身になってすぐ前を向けるようにすべきところを、相手ゴールに完璧に背を向けてボールを受けている。さらに前に向き直って味方を探す、つまりボールをもらう前にあらゆる状況を把握すべきなのに、判断が後手にまわってスピードアップが遅れる。もちろん周りの味方が、同時並行してパスを受けやすいポジションに先回りして動いていなければならない。パスの出し手と同じように受け手側も常に「判断」のスピードを心がけなければならない。
こうしてみると、日本のサッカーはけして守から攻、攻から守への切り替えのスピードが速いとは思えない。世界の一流同士のスピーディで流れるようなゲームを見た直後に、日本代表の試合を見ると、コマ送りが何テンポか遅れたような印象を強く持つ。
日本が世界を相手に戦うために欠けるもの、それは選手同士のコミュニケーション不足があげられる。
オシムがその著書「日本人よ!」で書いていることをすこし長めだが以下に引用してみる。
「ジェフの監督として来日した当初、試合のある局面で不可解なことが頻繁に起こり、何かがおかしい、私がこれまで見てきた試合と違うと不思議に思ったことがあったが、その原因は二人の選手間のコミュニケーション不足だった。そのコミュニケーション不足がもっと多くの選手間で起きていたら、どうなっていたか。」
これまで日本代表の選手たちがピッチの内外で濃密なコミュニケーションをとってこなかったことが、マスコミ報道で明らかになっていた。合宿先での夕食後、選手はすぐに自室にこもりTVゲームに興じていると報じられていたことを思い出す。
オフトが代表監督をしていたときの左サイド、都並は当時の代表の雰囲気をこう証言している。
ラモス、柱谷、カズら、いいたいことをはっきり自己主張する連中の間に入って、食事中もそのあとの飲み会でも延々とサッカーの話をしていた。翌日の練習では、前夜の話をひとつひとつなぞるようにプレーに心がけ、ラモスの鼻をあかしてやりたい一心で努力したという。
一人一部屋、部屋にはTVもあり、さらに携帯電話の普及によって人はますます「孤立化」していった。社会的環境が人と人とのつながりを希薄化していくなかで、サッカー選手もその影響に無縁ではない。先輩や上司が飲み会を誘うと「うざい」の一言で逃避してしまう若者が増えた。同世代の仲良しグループの中で互いに傷つけあうことを恐れる優しい若者たち。価値観の違う人やグループと積極的に交わることをのぞまなくなって、熱い議論もディベートもどこかに置き忘れてしまった。
でも、サッカーを職業にするプロはこれではダメだ。ダメだとわかっていても長年の習慣や価値観はおいそれと変えることが出来ない。
そこで協会はとりあえず若年層を対象にしたエリート養成のなかで、コミュニケーションの上手なとり方を一から教え始めた。これが世界との距離を縮める最初の一歩と信じて。
ここでのブログのいくつかを覗いてみて気がついたことがある。それは先のタイ戦を評論したもので、予選敗退が決まって、やる気のないタイ相手に、90分間、一本調子で攻め続けた日本代表を嘆いていたブログがあった。イタリアやブラジルのような世界の強豪国のように、攻めと守りのアクセントを自由自在にコントロールすべきだという主張である。
確かにそのとおりであろう。ただ現在の日本代表に試合をコントロールするだけの実力と、自信が備わっているかどうかは疑問である。さらに3対0の試合結果はまさに結果論であって、真剣勝負では何が起きるかわからない。試合に臨んでタイ代表が果たして「消化試合」と思っていたかはわかりかねる。仮にそう思っていたとしてもタイ選手が放ったミドルシュートがディフェンダーにあたってコースが変わり早い時間帯に日本のゴールを割ったとしたら、タイは「もしかしたら勝てるかも」と思うかもしれない。「消化試合」の裏返しで何とか日本に一泡吹かせようとモチベーションを高めるかもしれない。真剣勝負ほど何が起きるかわからない。特にサッカーというゲームおいては。
日本とタイ、あるいはその他の三次予選の相手チームとの間に超えがたいほどの実力差があれば、試合を自由自在にコントロールできるかもしれない。しかし現実はそうなっていない。はっきりいって「ないものねだり」をしても意味がない。それよりも「ないもの」をはっきりさせ、どうすれば「あるもの」になるかを評論すべきだろう。
「判断」のスピードとかかわることだが、世界にあって、日本に欠けるものは全体状況の把握が不十分であることだ。あらゆる団体競技に共通することだが、ゲームのなかにある一定のリズム、あるいは流れというものが確かに存在する。
自分たちのリズムを90分のなかでどれだけ長く保てるかが重要になってくる。このリズムを自在にコントロールすることが試合を支配することになるのだが、そのためにはいくつかの能力を身につける必要がある。
それは「全体状況の把握」とそれを論理立てて言葉で表現する「論証力」である。
サッカーエリート養成のプログラムの一つに「絵の分析」というトレーニングが行われている。
一枚の絵を見せて場所、季節、時間帯、人物構成、周りの風景をすばやく正確に読み取り、それを言葉で適切に表現する訓練である。
常に状況がめまぐるしく変化するサッカーのゲームでは、瞬時に全体状況を把握して次にやるべきプレーの準備をしておかねばならない。
同時に11人全員の状況把握がばらばらでは意味がない。人の感じ方には温度差がある。
選手全員がラインを下げすぎて相手のリズムにはまっていると感じとっていても、もう少しラインを下げたまま、様子を見ようと考える選手もいるだろう。反対に即刻思い切ってラインを押し上げるべきと感じる選手もいる。チームの総和としての意思が一つになれば試合の流れを自分たちのほうへひき付けることが出来る。
それぞれの意思を一つにまとめるためには、ピッチ上で声を掛け合い、チームとしてのやるべき方向性を決めなければならない。コミュニケーション能力がいまこそ必要になる。
イレブンの意思統一にはリーダーシップを発揮できる選手がその鍵を握る。ピッチ上の最終的な判断は強烈なキャプテンシーを持った男にを委ねるほうがベストだ。しかしおしなべて日本選手はピッチ上でおとなしすぎる選手が多い。これもまた日本に欠けるものの一つだ。
世界にあって、日本にないものはまだまだ数えればでてくる。フィジカルの弱さ、1対1の弱さ、基本プレーの精度の低さなどなどである。応急処理的なことで、ある程度解決できることもあるだろう。コミュニケーション能力のように長めの時間が必要な事柄もある。
しかし世界になくて、日本にあるものも当然ある。長所を活かして短所を隠してしまう方法もある。
折を見て「世界になくて、日本にあるもの」を考えてみたい。
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2008年06月17日
バーレン戦を残してアジア三次予選を勝ち抜き、最終予選進出を決めた日本代表。
最終予選の組み合わせは、三次予選の成績とは無関係に抽選で決められることになっている。
したがってバーレン戦は最終予選に向けての、絶好のテストと位置づけることができる。
佐藤寿が代表に呼ばれた理由は明らかである。先のキリンカップの第2戦で巻と高原を起用してワントップを試したが、全く通用しなかった。これで玉田、大久保の事実上のツートップが決まったが、二人と同タイプの佐藤はツートップの一画として呼ばれたのだろう。
DFは中澤、闘莉王のコンビがタイを完封し、かつセットプレーで、攻守両面で二人の高さが大きな武器だった。どのポジションにもいえることだが、怪我や警告の累積で二人のどちらかが欠けることはありうる。そこでバーレン戦では前後半で中澤、闘莉王と誰を組ませるのがベストなのかを試してみたい。
サイドについては期待の長友が怪我で戦線離脱したのは痛かった。怪我が癒えた安田が長友の代わりとして、運動量豊富なサイドをこなすことができるかどうかが試される。
中盤は守備もできる長谷部、攻撃に変化をつけられる松井、この二人の働きは十分効果的だったことが証明された。二人の中村と遠藤、得点能力の高い山瀬と、中盤のタレントは豊富だ。
正GKに関しては楢崎で決まりだろう。バーレン戦では川島にチャンスを与えたい。
しかし、バーレン戦はテストに徹してはならない。きっちり勝って、しかもバーレンに日本コンプレックスを植えつけるような勝ち方をしてもらいたい。戦う気持ちを全面に出して勝ちにこだわるべきだ。なぜなら、最終予選でバーレンと同じグループにはいる可能性があるからだ。
バーレン戦は事実上の最終予選緒戦である。
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08:17
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2008年06月15日
まずは、昨晩のタイ戦でワールドカップアジア最終予選へすすむことが決まったことを素直に喜びましょう。
さて話は本題へ。
いつ頃からでしょうね、日本代表やU-23代表が普段からあまり選手間でのコミュニケーションをうまくとっていないといわれたのは。ピッチ上でも互いに声を掛け合い、プレーの修正を確認しあうこともなく、いわゆる「大人しさ」が目立つとマスコミで批判され始めたのは?
反対に思い出すのが、ジュビロのドゥンガ。確か若き福西をプレー中に大声で叱咤して、身振り手振りのゼスチャー入りであるべきプレーをガミガミ指示していた。
「アエラ」最新号(6月23日号)を読んでいたら、16年間オリンピック出場を逃していた男子バレーの植田監督の記事が載っていた。
「バレーボールはコート上でのコミュニケーションが何より大事なのに、(中略)返ってくる答えは“微妙っす”とか“なんとなく”。まともに自分の考えも表現できない」若い選手たちのふるまいに植田はいたく驚かされたといっている。
全く同じことが田嶋幸三の「「言語技術」が日本のサッカーを変える」に書かれている。
「自分の求めたコミュニケーションが環境や状況に合致しない場合には「ビミョー」「うざい」といった曖昧なことばを使って、その場をやりすごしてしまいます。」
つまり互いの意思・意見を伝えるべき会話・コミュニケーションが成立しにくい傾向が一般化している、と警告している。
そこで植田と田嶋の二人が若い選手に対してとった指導は、コミュニケーションの第一歩である、挨拶をしっかりできるようにすることだった。
うがった見方かもしれないが、若い選手がピッチ上で「大人しい」のは、コミュニケーションのとり方がわからなかったから?だとすればこれは由々しき問題である。
しかし現実にはJFAアカデミー福島でのエリート養成の基本にコミュニケーションをとるための「言語技術」を重点的に教育していることをみると、サッカーやバレーボールの選手に限定された問題ではなく、日本社会全体の問題と考えたほうがよさそうだ。
なんとなく、背筋が寒い。
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2008年06月14日
「(代表で)試合に出られない悔しさと、それを押し殺してチームのためにやらないといけないという葛藤(かっとう)の中、ストレスを感じていた」こういい残して、坪井は代表から去っていった。生涯レッズの一員として、これからは原点である浦和レッズに戻り、専念するといっていた。快足のDFとして新人王を獲得した坪井のサッカー人生はこれまで順調そのものだったが、先の代表辞退はけがを除けば始めて味わう大きな挫折だった。
しかしレッズに戻った坪井は次第に輝きを失い、先発メンバーから名前が消えてずいぶん時間がたった。どのチームにも存在する、厳しいチーム内のポジション争いの結果とも、すこし違う理由から坪井は輝きを取り戻すことができないのだろうか。
体の切れが回復していないのか、精神的な弱さがプレーに反映しているのか、外からはうかがい知れない。
昨シーズン、固定メンバーでJリーグ、ACLを戦い、多かれ少なかれ大半の選手はポンテのように肉体は悲鳴を上げてぼろぼろになった。肉体同様、リーグチャンピョンになれなかった精神的ダメージも想像以上に深かった。
代表のメンバーになっても金銭的な恩恵は少ないと、漏れ伝え聞いている。日の丸を背負うという個人的プライドのために、そして一部の選手にとっては世界に自分を高く売り込む、もっとも有効な手段としての代表入りである。
結果的に坪井はその二つに自ら潔く決別したわけだが、残念ながら所属チームへの貢献もままならない状態にある。代表にとっても所属チームにとっても、二重の不幸である。
代表入りしてもピッチに立てるのは最大14名。14名から外れたメンバーは坪井と同じジレンマを抱えている。控え選手はいつか自分の出番のあることを唯一心の支えとして、ジリジリと待っている。弓を限界までふりしぼるように、いつでも強くて早い矢を放てるように、控え選手はベンチで満を持している。ワンチャンスをものにして一流選手の仲間いりを果たすたくましい選手もいれば、競争のプレッシャーを避けて通る選手もいる。
エリートほど逆境に弱いといわれるが、坪井よ、君の快足をもう一度みたい。香車のようにサイドを上下する背番号「2」を見てみたい。負けるな!坪井。戻ってこい坪井。
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2008年06月13日
実は前回(その十八)でひとまず、「サッカー談義」を終えようと思っていた。そのとき、中田の突然の引退声明が飛び込んできた。
で、思い直しもう一度書くことにした。
ひでは孤高の存在としてひときわ異彩を放っていた。若者の理想とする一人として抜群の人気があった。ひではその才能から、サッカー以外でも十分成功する逸材だと思う。勝手な憶測だが、サッカーを一時忘れて別な世界で活躍するのではないか。
ひでの引退については多くの人がこれからも語るであろう。だから私は今回のW杯におけるひでの発言に的を絞って注目したい。
引退宣言の言葉で冷静なひでの発言とは思えない意外な言葉をみつけた。
「おれは今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。いまの日本代表選手の技術レベルは本当に高く、そのうえスピードもある。」
その前日、事実上日本代表監督に就任したオシムの次の言葉と比べてみてほしい。
「今の日本代表はできるサッカーと、やろうとしているサッカーにギャップがありすぎる。W杯一次リーグで敗退して、みんなガッカリしている。その気持ちは分かる。だが、日本はW杯に出場できただけで満足すべきだった。なぜなら他の国も着実に力をつけているからだ。今やアジアの中でも「この国には絶対に勝てる」といえる国は少なくなっている。世界のサッカーは発展しているのだ。」
どちらが日本の現実を正確に言い表しているか一目瞭然だ。
引退という感傷的な気分が、きっとひでを支配していたのだろう。W杯以前のひではいまの日本では本大会を戦い抜く実力はない、と言い切っていたではないか。
いまとなっては遅きに失したが、ひでに望みたかったことは、彼の正しい危機感を他の選手に共有させるように努力して、そこをばねに全員で戦ってほしかった。
しかし、ひでがそれをできなかったことをひで自身が一番歯がゆく感じていたはずだ。それが引退を決断した最大の理由なのかもしれない。
<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>
<終わり>
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2008年06月12日
FIFAの世界ランキングをそのまま信じる馬鹿なマスコミ関係者がいる。
ゴルフは賞金獲得額とショットごとの詳細な個人データという判断基準がある。
テニスは四大大会をはじめとして多くの冠大会が行われ、トップ十人くらいが互いに頻繁に対戦しているから、世界ランキンは選手の実力をかなり正確に表しているといえよう。
しかしサッカーの世界では代表チームの真の実力は測りにくい。
代表同士の試合は思いのほか少ない。四年に一度のW杯本戦に向けた予選、その準備のためのナショナルマッチ、その結果を総合的にFIFAが勘案して世界ランキングを決めている。そもそも各国とも国内リーグ所属の選手だけで代表チームを編成することが難しい状況では、代表同士のゲームは多くはない。
したがって、少ない事例による世界ランキングはあまり、というかほとんど参考にならないと考えたほうがよい。
ならば、ほかに各国のより客観的な実力を測る物差しはないのか?
「サッカー談義 その五」で取り上げたように、ヨーロッパリーグでの各国選手の活躍度、評価を参考にすることである。
緒戦のオーストラリアの実力を甘く見たこと、日本の実力を過信したこと、特に日本の海外組みの実力度を正確に知ろうとしなかったことは悔やまれる。
海外で活躍している代表格の中田の例を挙げると六月現在(ワールドカップ開幕直前の試合結果)でボルトンは四十六試合消化して、中田がフル出場したのはたった十試合、途中出場、退場が十七試合、そして全く試合に出なかったのが十九試合もある。あげた得点はたったの一点。ちなみにボルトンはプレミアリーグで二十チーム中八位のチーム成績である。
けしてトップチームといえないボルトンでレギュラーも確保していない中田が日本の中心選手という現実。
マスコミの情緒的な報道に惑わされずに、自分なりの判断はいくらでもできる。インターネットでその気になれば一昔前には考えられないくらい情報はあふれている。
ブラジルも負けてアルゼンチンも舞台から去った。ヨーロッパで開かれる大会で、南米勢は勝ち目が薄い。ジンクスは情報の量と正確性を凌駕してしまう。
これだから真剣勝負は面白い。
<2006年のドイツ大会期間中、私はあるブログに20回にわたり、サッカーに寄せてきた私の思いを交えながら、「これまでの四年、これからの四年」と題した話を書き綴った。
そのあとがきにはこう書いた。(一部抜粋)
「Jリーグ発足以降にサッカーの虜になった人たちは、それまでの日本サッカー受難の時代を知る由もない。この人たちになかにはワールドカップを少し、甘く見ているような気がしてならなかった。若手で人気のあるサッカー評論家の発言や著作の端々に「日本がワールドカップに出るのは当然」というニュアンスが感じ取れたのも引っ掛かっていた。マスコミの取り上げ方も、日本の実力を結果的に過大評価していたと思う。というより、正確な情報を知ろうとしなかったように感じる。この一文はその事に警鐘を鳴らすつもりで書いた」
そんな思いから2年前の6月を思い出して、当時の文章を一切手を加えず、転載させていただくことにしました。>
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