2006年12月30日
伊東輝悦選手は、身長168cm、72kg、ずんぐりむっくりした体型とドリブルフォームから「清水のマラドーナ」というニックネームを与えられるほど、彼はまさに清水が生んだ「神童」だったのである。
今シーズンの伊東選手はまさに不動のボランチだった。リーグ戦全34試合に出場して、うち33戦にフル出場。エスパルス4位躍進のMVPを選べと言われれ、彼と答えるサポーターは断然多い。ベストイレブンにノミネートされなかったのが非常に残念に思う。
今シーズンの伊東選手は、ボランチでも「アンカー」と呼ばれるような中盤の底でバランスをとる役目をつとめることになった。センターハーフでコンビを組む枝村選手がより攻撃的に前に前に行くようになり、伊東選手が主として守備を担当する第1ボランチをつとめたのである。
今まで彼は「清水のマラドーナ」というニックネームからも、周囲はずっと彼のオフェンス能力の爆発を期待し続けていた。
しかし、彼の本当の才能は実は類稀な危機察知能力にあったのである。その才能は、彼を攻撃に絡む仕事を求められる第2ボランチでありながらも、その仕事よりもスペースを埋めたり、カバーリングをしたり、という危機回避へと忙殺させていたのである。
今シーズンは、枝村選手という第2ボランチとしての才能を持った選手とのコンビが確立され、伊東選手は危機回避の「バランサー」としての仕事に専念できたのである。
長谷川健太監督も伊東選手なくしては現在のチームはなりたたないと思っているようだ。実際、今のエスパルスのシステムに伊東選手は必要不可欠、その仕事ぶりはまさに「必殺仕事人」だ。
「清水のマラドーナ」のニックネームは「テルドーナ」という愛称となり、その仕事ぶりからさらにチェルシーのマケレレを模した「テルレレ」に変化して呼ばれることにもなった。
でも、やっぱり、それはそれで複雑な感じなんですよね・・・。
posted by おおちゃん |10:10 |
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2006年12月28日
齋藤俊秀選手の湘南ベルマーレへの移籍が決まりそうだ。オフィシャルからはまだ発表はないが、近日中に正式発表があるらしい。
齋藤選手は、日本が初出場した1998年のフランスW杯の日本代表で、激しいマークとカバーリング能力に長けた非常にクレバーなセンターバックです。フランスW杯ではレギュラーを獲ることはできませんでしたが、井原正巳の次に日本代表のDFラインをコントロールするのは彼しかいない!と思っていました。現在までAマッチ19試合出場していますが、そのセンスを活かす良いタイミングにめぐまれなかったことが残念に思います。また膝に大怪我を負ってからは、苦しいリハビリをこなす日々が続き、今期もまた膝の手術することになりました。
レギュラーポジションは失っていましたが、清水東高校の先輩である長谷川健太監督の齋藤選手に対する信頼は厚いものがあり、常に控えDFの一番手と考えていたようです。実際リーグ戦でも「抑えのDF」のような形で試合終盤にマンマーカーとして起用されていました。
エスパルスは現在、このポジションにスタメンでDFリーダーとなっている高木和道選手を中心として、日本代表にも選出された青山選手、そして青山選手と同期でオリンピック代表を狙う平岡選手・岩下選手もレギュラー候補です。そして来期はこのポジションにユニバ代表の廣井選手も加入することになっています。
非常に若い将来性のあるセンターバックが揃っている訳ですが、チームとしてはこの若手に経験を伝えていけるベテランDFとして斎藤選手に来期も残留を要請していました。
齋藤選手は、11年間チームを支えてくれた功労者。
チームもそんな斎藤選手に控えという立場であっても残留を願った訳です。しかし、一人のサッカー選手として出場機会を求めての移籍を志願したようです。何とも潔い、プロフェッショナルな決断でしょうか。
posted by おおちゃん |23:15 |
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2006年12月27日
横浜F・マリノス社長が大変らしい。
車のタイヤがパンクさせられるなど、悪質な嫌がらせを受けているようだ。
社長の方には面識のない人物から嫌がらせを受けるような理由はないだろうが、やってる方には一方的な勝手な言い分があるのだろう。
ただしそんな嫌がらせをしていてもマリノスはよくはならないよ、と思う。
堂々とクラブや社長に意見を出してみたら、どうですか。
マリノスは今、傍から見ている分には大変な状態にあるように思う。
チームの主力として活躍してきたベテラン選手を中心とした年俸の高い選手を自由契約とし、財政難から来期移転予定の施設も縮小する計画のようですね。
マリノスサポーターではない僕でも、奥・中西・平野・下川・ドゥトラ・榎本達といった主力級の選手を大量に放出したのには驚きました。
僕と同学年になる中西選手から「もう人間関係につかれた・・・・」というコメントがあったのがとても悲しかったですし、川口能活選手退団後に長く正キーパーをつとめてきた榎本達也選手が「自分が納得して移籍した」というコメントをわざわざ出さなければならない状態にもマリノスの大変な状況があるように思います。
選手は一線でプレーできる期間は短く限りあるものであるが、クラブは潰れない限りはずっと続いていくもの。
であるから、チームの切り替えの時期にベテラン選手が放出されることは有り得ることなのだが、マリノスは若手に切り替えてやっていける、と判断したのだろう。少なくともそこにビジョンがあることを祈りたい・・・。そうでなければ契約を打ち切られた選手に全く一分の救いもないよ。
こうした思い切った経営刷新、後々うまく行った時点にはじめて掌返したような大拍手が起こるかも知れないが、それまで経営陣はひたすら苦しい日々を過ごさなければならないだろう。それくらいの覚悟は当然もってマリノス経営陣は今回行ったのでしょう。
但し、こういう経営刷新をしたチームはこの先ずっと選手たちにとってマイナスイメージが定着する覚悟は必要だと思う。
やっぱり「あそこのチームは成績が悪ければすぐにクビになる」「何年もチームのために頑張って来ても最後はお払い箱なんだろうな」って当然思うでしょう?
またアマチュアレベルの指導者にとってもそのチームに対する拒否反応を生む結果となりかねません。
やっぱり手塩にかけたかわいい教え子の未来は、しっかりと責任もって面倒見てくれるチームにお願いしたいと思うでしょうから。
posted by おおちゃん |18:03 |
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2006年12月26日
サイドバック・・・。
この一見地味な響きを感じるこのポジションに適当な人材を備えているチームは、安定したチーム力を発揮できている。
逆にこのポジションに適材を欠いているチームは、何年もチームのウィークポイントしてこのポジションに問題を抱えなくてはならない。
サイドバックはただ前線と最終ラインを上下動できるフリーランニングの能力を備えていれば良いと言う単純なものではない。
求められる仕事は多彩だ。
当然最終ラインに入り、相手チームのサイド攻撃を防ぎ、サイドのスベースを埋める仕事をしなくてはならない。
また相手チームが中央突破を図って来た場合は中央のスペースを絞る仕事も必要になってこよう。当然この時にサイドのスペースを空けてフリーな選手をつくってはならない。
サイドバックに求められる仕事はこれだけではない。
機を見ては最前線に飛び出していかなくてはならない。今度はサイドバック自らが相手チームのサイドのスペースに駆け上がりセンタリング、あるいは中に切れ込んでシュート!
相手チームの選手をなるべくエリア内から少なくするためにマークを引きつける囮の動きも求められる。
サイドバックの仕事は判断力が必要なのである。
当然肉体的にも90分間トップスピードを何度も繰り返せるような持久力は勿論必要だ。マーカに振り切られない、あるいは振り切るための走力、センタリングを正確にエリア内にあげられる技術力、中央に切れ込んでもシュートをゴールマウス内にきっちり入れられなければ怖い存在とは言えないだろう。
それくらいサイドバックというポジションには高いレベルで要求される要素が多いのである。この要素を全て高いレベルで持っている選手はそうそういるものではない。
サイドバックをこなせる選手、あるいは経験したことのある選手は決して少ない訳ではない。しかしスペシャリストという意味でサイドバックは常に人材難 なのである。
posted by おおちゃん |12:33 |
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2006年12月25日
横浜FC J2優勝 & J1昇格おめでとうございます。
「横浜フリューゲルス」が消滅してしまってもう8年になるんですね。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%82%B9#.E6.AD.B4.E5.8F.B2.E3.83.BB.E6.A6.82.E8.A6.81 ウィキペディア(Wikipedia)参照
横浜フリューゲルスは、サポータなんぞ知らんという企業スポーツの感覚そのままに親会社の一存のみで横浜マリノスに吸収合併をした訳ですが、その後「横浜F・マリノス」という何とも奇妙奇天烈な・・・足して2で割りゃいいだろうみたいな・・・サポーターの心を逆なでするようなチーム名になったんですよね。
現在、横浜F・マリノスの運営会社に全日空は出資していないはずですので、もう「F」の文字、とりましょうよ。
1998年、消滅したフリューゲルスですが、その後、熱心なサポーターの方たちが中心となってフリューゲルス復活を目的として横浜FCが立ち上がったんですよね。
クラブ設立当初、僕は正直ここまで活動が続くとは思いませんでした。
数々の苦労があっただろうと思いますが、今その活動はリーグ最高峰へと到達した訳です。しかし、まだ結実した訳ではないでしょう。
そんな経緯で立ち上がった横浜FCですので、やっぱりフリューゲルスという名称の使用を当初からずっと念頭に置いていたはずです。
残念ながら未だに実現の至りにはなっていません。
僕は横浜FC&フリューゲルスサポータではないので詳細はわかりませんが、この名称問題はいったいどうなってしまったんでしょうか。
もう横浜FCでいいだろう、と諦められてしまったんでしょうか・・・。
横浜FCは「横浜フリューゲルス」なのか・・・。
現状では横浜FCは横浜フリューゲルスだった、訳ではありません。歴史的には全く別のチームです。ただ設立の経緯を知る多くの人の目には、横浜FCは横浜フリューゲルスに映っているでしょうし、やっぱりそうならないといけないんじゃないか・・・と思う訳です。
posted by おおちゃん |00:37 |
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2006年12月24日
12月22日のスポルトで放送されていたフローラン・ダバディ氏によるオシム監督へのインタビューの中で、オシム監督は指導者レベルの海外移籍について、意見を述べていました。
ようするにもっと海外で経験を積んで来い と。
今、アマチュアレベルを含めていったいどのくらいの人数の人たちが海外で指導者として経験を積んでいるんでしょうか?
例えばJリーグのS級ライセンス取得には、海外クラブへの研修が義務づけられていますが、それも一週間程度だったと思います。
ここではそのような指導者をめざして何らかのライセンス資格を取得中の方々は除き、監督あるいはコーチといった指導者として迎えられている人物に限ります。
例えば今シーズンJ1で8チームが外国人監督でシーズンインをしましたが、彼らはいわばサッカー先進国から求められて、迎えられた訳です。
日本の指導者の海外移籍は、選手の海外移籍以上に困難であることは明らかですよね。
posted by おおちゃん |00:05 |
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2006年12月23日
戸田和幸はどこか憎めないキャラである。
彼は自分を卑下した言い方をインタビューではしていたが、それは本心であり、本心でもないような感じがしていた。
際立った個性から、へそ曲り、個人主義、協調性がない、そんなイメージで捉えられてしまっていた彼であるが、発言そのものを聞いていると自分勝手な意見を主張しているのではなく、それなりに筋の通ったものが多かった。移籍に関してはゴチャゴチャした印象は度々あったが、それは当事者ではないのでわからない、としておこう。
ただ素直な言い方が出来ないシャイな男であることは確かである。熱い思いをあまり口にする方ではない。度胸が座っているように見えて意外にビビリである・・・。
彼は「あぁやっぱりな」と、エスパルスへの熱い思いを口にして監督に就任した長谷川健太監督の構想外になり、東京ヴェルディに移籍するが、そこでもまたチームへの熱い思いを口にするラモス監督体制化となり、「あぁ戸田、かわいそう・・・でも自業自得なのかも??」と思ったもんでした。
そんな経緯を経て、今シーズンの「サンフレッチェ広島」期限付き移籍となった訳です。
この度、サンフレッチェへの正式移籍が決定しました。ようやく彼自身のキャラを受け入れてくれるチームが見つかったんでしょうか。
それが隠れ戸田ファンだった僕には嬉しくてたまりません。
posted by おおちゃん |12:59 |
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2006年12月20日
サッカー日本代表のユニフォームと言えば、すっかり「青(ブルー)」のカラーリングが定着しています。
ユニフォームに留まらす、フラッグやらメガホンやら何なら関連グッズもみんな「青(ブルー)」。日本代表の愛称はSAMURAI BLUEだって!?
2006年ドイツ大会は気分もブルーになったけど・・・。
だから今さら間があって、声を大にしていいにくかったんですが・・・。
代表のユニフォームって青でいいんですか?
posted by おおちゃん |00:20 |
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2006年12月19日
昨日は2006年Jリーグアウォーズが開催されました。
Jリーグの一年間の総決算、選手にとっては華ばなしい晴れ舞台ですよね。
この晴れ舞台で我れらが清水エスパルスの藤本淳吾選手が新人王に選ばれました。
こんなに嬉しいことは最近なかったよ、僕は。
ありがとう淳吾選手、エスパルスに来てくれて!
posted by おおちゃん |01:58 |
☆清水エスパルス |
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2006年12月17日
アデミール・サントス
皆さんは覚えているでしょうか。
ちょっとしたサッカーファンであれば覚えていると思います。1986年、第65回高校サッカー選手権大会に静岡県代表の東海大一高校(現:東海大翔洋高校ですね)のメンバーとして出場し、初出場・初優勝しました。
当時東海大一高校には、2年生に澤登選手(MF)、平澤選手(FW)がおり、アデミール・サントス選手は平澤選手と2トップを組んで得点王になりました。
この大会のハイライトは何と言っても、このサントス選手のフリーキックからゴールが生まれたバナナシュートのシーンですよね。
彼は当時交歓留学生として日本に来た訳ですが、意外な接点はキング・カズこと三浦知良選手との繋がりです。
posted by おおちゃん |00:10 |
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