2007年08月26日

☆「攻撃的MF」藤田俊哉

藤田俊哉は、昨日8月25日の大宮アルディージャ戦でJリーグ史上4人目で、フォワード以外の選手としてははじめて、つまり彼のポジションであるMFでは初のJリーグ通算100得点を達成した。

今シーズンは、6月30日のヴァンフォーレ甲府戦で、前人未到のJリーグ通算400試合出場を達成するなど、記録尽くめの一年であるが、それも彼がこれまでずっと、トップ選手としてリーグを戦い続けてきた証に他ならない。

藤田俊哉はMFに求められるセンスや能力をまんべんなく高いレベルで備えている稀有なプレーヤーだ。
ドリブル、パス、スペースへ飛び出す動き、フリーランニングできるスタミナ、そして守備時には厳しいチェック・・・などなど。

チーム事情もあり名古屋グランパスでは、昨シーズンよりボランチの位置をつとめているが、ベテランといわれる年齢になってもいまだにつきないスタミナと、パスをさばける能力がなければつとめるものではない。
現在は「水を運ぶ役割」を担っている、と言えよう。
ただ藤田俊哉というプレーヤーのポテンシャルは、攻撃的なポジションで起用された時に大いに発揮されるということは、現在も間違いないだろう。

今シーズンも6月9日の川崎フロンターレ戦で得点を挙げ、中山雅史に次いで史上2人目のJ1リーグでの14年連続ゴールという記録を達成した。
藤田俊哉は、ジュビロ磐田の黄金期の中心選手として活躍し、Jリーグ・ベストイレブンに3度選出、2001年にはMVPも獲得している。つまり選手間では「最高の選手」として評価された選手である。
しかし、日本代表ではファルカン、加茂周、トルシエ、ジーコと召集されたがいずれも定着できず、A代表歴は24試合出場3得点。
彼ほど得点能力に長けた攻撃的MFは、その同時期の日本代表選手を見ても存在していなかったはずだ。その稀有な才能が重用されなかったのが残念でならない。

攻撃的MFはファンタジスタとしてのプレーも期待される花形のポジションである。ただこのポジションはFWに美しいスルーパスを出したり、ミドルレンジからシュートが打てればそれで良いというポジションではなく、ドリブルで1対1の勝負を仕掛けるプレーや、前線のスペースに飛び込んでいって、パスやシュートを瞬時に選択するといった、ぺナルティエリア内でのプレーの質や技術の高さをも求められなければならないポジションだ。

藤田俊哉のプレースタイルの大きな魅力とは、攻撃的MFとして常に果敢にスペースに飛び込んでいく姿勢と、そこから生まれる高い得点能力にある。スルーパスでゴールを演出し、自らも勝負を決めるゴールを奪う、それが真のファンタジスタであって、日本人の描く理想像「大空翼」に一番近いプレーヤーと言えるのではないだろうか。

彼が攻撃的MFとして活躍したジュビロ磐田時代、日本代表がオシム監督だったならば、きっと間違いなく召集され、スタメンに名を連ねていた選手だったはずだ。

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posted by おおちゃん |09:28 | ☆王国列伝 | コメント(8) | トラックバック(0)
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2007年05月15日

☆清水三羽烏

清水のサッカーを象徴するものとして、これからもずっと語られ続けていく存在に「清水三羽烏」があげられます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%9D%B1%E4%B8%89%E7%BE%BD%E7%83%8F ウィキペディア(Wikipedia)参照

この「清水三羽烏」とは静岡県立清水東高等学校の主力メンバーとして、1982年の第61回全国高校サッカー選手権大会で全国優勝、翌年の第62回大会で準優勝を成し遂げた長谷川健太、大榎克己、堀池巧の同級生3人のニックネームです。

彼らの出身、清水東高校は、多くのJリーガーを輩出してきたサッカー強豪高であり、県内有数の進学校でもあります。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%9D%B1%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 ウィキペディア(Wikipedia)参照

清水東高校青(ブルー)一色の伝統のユニフォームは、日本にプロサッカーリーグのない時代、当時のサッカー少年たちの憧れの的でした。清水東の伝統の青(ブルー)のユニフォームを着るために、サッカーだけでなく勉強も頑張って進学することを目指さなければならないのです。
その意味で、清水のサッカー強豪高の中でも、清水東は特別な存在であった、と言える訳です。

このサッカー少年たちの憧れの存在であった清水東高校「三羽烏」は、清水東高校卒業後、長谷川選手は筑波大学から日産自動車へ、大榎選手は早稲田大学からヤマハ発動機、堀池選手は順天堂大学から読売サッカークラブへと進みましたが、3名とも日本代表に選ばれ、国内を代表するプロサッカーとなっていったのです。

この3人に転機となったのが1991年の「清水FCエスパルス」のJリーグ加盟決定です。
まず大榎克己がチームの契約第一号選手として入団、すぐに長谷川健太、堀池克己も続きます。こうして地元清水に誕生することになったプロチームに再び三人が集結することになります。
こうして高校時代に一時代を築いた清水東「三羽烏」は、再び清水に帰り、清水エスパルスを象徴する「清水三羽烏」となったのです。

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posted by おおちゃん |03:03 | ☆王国列伝 | コメント(0) | トラックバック(1)
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2007年01月07日

☆「天才レフティー」名波浩

名波浩選手は今シーズンは東京ヴェルディで13年目のシーズンを迎えることになりそうだ。
昨年、11年半を過ごしたジュビロ磐田から、シーズン途中に出場機会を求めてセレッソ大阪に移籍をした。移籍が決まりかけた時期にジュビロが山本昌邦監督からかつて一緒にプレーをしたアジウソン監督になった。
アジウソン監督は名波選手を慰留したようだが、彼の描くサッカー観はアジウソンのものとは違っていたようで、結局ジュビロを出ることになった。サッカーを分析する目には自信を持っている名波選手であるだけに、アジウソン監督就任後に好調を取り戻すことになったジュビロに復帰するという選択肢は彼のプライドが許さないのかも知れない。いや、そんなことよりも若手への切り替えを試行錯誤していた山本監督の下、実力でスタメンが決まらない状態の中、出場機会を求めてチームを出た。山本監督も苦悩の中、辞任という決断をした。山本監督はチームが長期政権を期待する切り札だっただけに、名波選手は今、自分だけがジュビロ復帰するという道を選べなかったのかも知れない。
またジュビロには高校時代コンビを結成して魅力的なサッカーを演出してきた藤田俊哉選手はもういない・・・。

「天才レフティー」と言えば、僕にとってはやっぱり名波浩である。日本代表の10番として一時代を築いた彼を説明する必要はないかも知れない。左足から柔らかに繰り出される正確無比なパスは、まさに「ゲームメーカー」という表現がぴったりである。
決して足は速い訳ではないし、フィジカルが優れている訳ではない。ドリブルだって凄い訳ではない。持久力は意外や意外にあったりする。
しかし彼がこのポジションで日本を代表する選手になれたのは、何といってもその視野の広さ「周囲を活かす」プレーにあったように思う。
彼がサッカーを分析する目に自信を持っているという発言をする裏には、常にフィールドの様々なところに目が行き届いているそのプレースタイルがあってのものであろう。
非常に戦術眼の優れた選手であり、その意図したようにゲームを組み立てる高い技術を持っている。まさに考えながらゲームができる選手である。

僕が彼を初めて知ったのは、1989年・・・清水商業2年生にしてレギュラーを獲得し、頭角をあらわし始めた時である。

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posted by おおちゃん |01:07 | ☆王国列伝 | コメント(3) | トラックバック(0)
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2007年01月04日

☆伝説のオーバーヘッドキック

誰しもその脳裏に強烈に印象に残っているプレーってあると思います。
時間と共にプレーの記憶は薄れてきても・・・その時受けた衝撃が大きい程、いつまでも最高のプレーとしてカウントされる・・・。

僕にとってのそういうプレーは、もう18年前になるんですが、第68回全国高校サッカー選手権予選の静岡県大会決勝戦決勝点となったオーバーヘッドキックでした。まさに伝説のオーバーヘッドキック
・・・。
その後多くの試合で素晴しい選手たちのオーバーヘッドキックを見てきましたが、あそこまできれいに決まったシュートは見たことがありません。
いや、その時受けた衝撃が大きかったからこそ、未だにそう思っているだけなのかも知れません。
その伝説のプレーをした選手は清水東高校、成田選手。
この衝撃的な決勝点となるシュートで清水東高校は東海大一高校を破って高校選手権全国大会出場を決めました。

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posted by おおちゃん |20:00 | ☆王国列伝 | コメント(11) | トラックバック(0)
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2006年12月30日

☆「清水のマラドーナ」伊東輝悦

伊東輝悦選手は、身長168cm、72kg、ずんぐりむっくりした体型とドリブルフォームから「清水のマラドーナ」というニックネームを与えられるほど、彼はまさに清水が生んだ神童だったのである。

今シーズンの伊東選手はまさに不動のボランチだった。リーグ戦全34試合に出場して、うち33戦にフル出場。エスパルス4位躍進のMVPを選べと言われれ、彼と答えるサポーターは断然多い。ベストイレブンにノミネートされなかったのが非常に残念に思う。
今シーズンの伊東選手は、ボランチでも「アンカー」と呼ばれるような中盤の底でバランスをとる役目をつとめることになった。センターハーフでコンビを組む枝村選手がより攻撃的に前に前に行くようになり、伊東選手が主として守備を担当する第1ボランチをつとめたのである。
今まで彼は「清水のマラドーナ」というニックネームからも、周囲はずっと彼のオフェンス能力の爆発を期待し続けていた。
しかし、彼の本当の才能は実は類稀な危機察知能力にあったのである。その才能は、彼を攻撃に絡む仕事を求められる第2ボランチでありながらも、その仕事よりもスペースを埋めたり、カバーリングをしたり、という危機回避へと忙殺させていたのである。
今シーズンは、枝村選手という第2ボランチとしての才能を持った選手とのコンビが確立され、伊東選手は危機回避の「バランサー」としての仕事に専念できたのである。
長谷川健太監督も伊東選手なくしては現在のチームはなりたたないと思っているようだ。実際、今のエスパルスのシステムに伊東選手は必要不可欠、その仕事ぶりはまさに「必殺仕事人」だ。
「清水のマラドーナ」のニックネームは「テルドーナ」という愛称となり、その仕事ぶりからさらにチェルシーのマケレレを模した「テルレレ」に変化して呼ばれることにもなった。

でも、やっぱり、それはそれで複雑な感じなんですよね・・・。

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posted by おおちゃん |10:10 | ☆王国列伝 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年12月23日

☆「フィールドの狩人」戸田和幸

戸田和幸はどこか憎めないキャラである。
彼は自分を卑下した言い方をインタビューではしていたが、それは本心であり、本心でもないような感じがしていた。
際立った個性から、へそ曲り、個人主義、協調性がない、そんなイメージで捉えられてしまっていた彼であるが、発言そのものを聞いていると自分勝手な意見を主張しているのではなく、それなりに筋の通ったものが多かった。移籍に関してはゴチャゴチャした印象は度々あったが、それは当事者ではないのでわからない、としておこう。
ただ素直な言い方が出来ないシャイな男であることは確かである。熱い思いをあまり口にする方ではない。度胸が座っているように見えて意外にビビリである・・・。

彼は「あぁやっぱりな」と、エスパルスへの熱い思いを口にして監督に就任した長谷川健太監督の構想外になり、東京ヴェルディに移籍するが、そこでもまたチームへの熱い思いを口にするラモス監督体制化となり、「あぁ戸田、かわいそう・・・でも自業自得なのかも??」と思ったもんでした。
そんな経緯を経て、今シーズンの「サンフレッチェ広島」期限付き移籍となった訳です。
この度、サンフレッチェへの正式移籍が決定しました。ようやく彼自身のキャラを受け入れてくれるチームが見つかったんでしょうか。
それが隠れ戸田ファンだった僕には嬉しくてたまりません。

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posted by おおちゃん |12:59 | ☆王国列伝 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年12月17日

☆「バナナシュート」アデミール・サントス

アデミール・サントス 
皆さんは覚えているでしょうか。
ちょっとしたサッカーファンであれば覚えていると思います。1986年、第65回高校サッカー選手権大会に静岡県代表の東海大一高校(現:東海大翔洋高校ですね)のメンバーとして出場し、初出場・初優勝しました。
当時東海大一高校には、2年生に澤登選手(MF)、平澤選手(FW)がおり、アデミール・サントス選手は平澤選手と2トップを組んで得点王になりました。
この大会のハイライトは何と言っても、このサントス選手のフリーキックからゴールが生まれたバナナシュートのシーンですよね。

彼は当時交歓留学生として日本に来た訳ですが、意外な接点はキング・カズこと三浦知良選手との繋がりです。

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posted by おおちゃん |00:10 | ☆王国列伝 | コメント(4) | トラックバック(0)
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