2007年05月15日
☆清水三羽烏
清水のサッカーを象徴するものとして、これからもずっと語られ続けていく存在に「清水三羽烏」があげられます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%9D%B1%E4%B8%89%E7%BE%BD%E7%83%8F ウィキペディア(Wikipedia)参照 この「清水三羽烏」とは静岡県立清水東高等学校の主力メンバーとして、1982年の第61回全国高校サッカー選手権大会で全国優勝、翌年の第62回大会で準優勝を成し遂げた長谷川健太、大榎克己、堀池巧の同級生3人のニックネームです。 彼らの出身、清水東高校は、多くのJリーガーを輩出してきたサッカー強豪高であり、県内有数の進学校でもあります。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%9D%B1%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 ウィキペディア(Wikipedia)参照 清水東高校の青(ブルー)一色の伝統のユニフォームは、日本にプロサッカーリーグのない時代、当時のサッカー少年たちの憧れの的でした。清水東の伝統の青(ブルー)のユニフォームを着るために、サッカーだけでなく勉強も頑張って進学することを目指さなければならないのです。 その意味で、清水のサッカー強豪高の中でも、清水東は特別な存在であった、と言える訳です。 このサッカー少年たちの憧れの存在であった清水東高校の「三羽烏」は、清水東高校卒業後、長谷川選手は筑波大学から日産自動車へ、大榎選手は早稲田大学からヤマハ発動機、堀池選手は順天堂大学から読売サッカークラブへと進みましたが、3名とも日本代表に選ばれ、国内を代表するプロサッカーとなっていったのです。 この3人に転機となったのが1991年の「清水FCエスパルス」のJリーグ加盟決定です。 まず大榎克己がチームの契約第一号選手として入団、すぐに長谷川健太、堀池克己も続きます。こうして地元清水に誕生することになったプロチームに再び三人が集結することになります。 こうして高校時代に一時代を築いた清水東の「三羽烏」は、再び清水に帰り、清水エスパルスを象徴する「清水三羽烏」となったのです。
こうして清水エスパルスの主力選手としてチームを支えた「清水三羽烏」ですが、長谷川選手が堀池巧選手が1999年に、大榎選手が2002年に現役引退しています。 長谷川選手は「ケンタ」の愛称でサポーターから愛され続けていた選手でした。強引な右サイドのドリブルと強烈なシュート、どんなに汚いファールを受けても何も言わずに立ち上がる姿がとても印象的で、ちびまる子ちゃんの作者さくらももこさんと同級生だったことは有名ですよね。原作漫画の7巻にも登場しています。また筑波大学時代、2年後輩に中山雅史選手が入学して来ます。中山選手は藤枝東高校ではFWをやっていましたが、高校3年時の静岡県高校選抜で清水東高校の武田修宏選手がエースストライカーだった影響でストッパーにまわっており、入学後も同期の井原正巳選手と左サイドバックのレギュラーポジションを争っていました。当時筑波大学は、右ウィングに長谷川選手、左ウィングに鋤柄選手がいましたが、センターFWに適任がいなかったので、長谷川選手が中山選手を推薦し、再びFW中山が復活、現在の姿があるんですよね。現在、長谷川選手は清水エスパルスの監督としてチームに再び戻って来てくれました。 大榎選手は母校早稲田大学サッカー部の監督として未来のプロサッカー選手を育成しています。堀池選手はサッカー解説者としてブラウン管でよくお見かけしますよね。今日の「巧」、とっても楽しみです。 それぞれの道を再び歩き始めた「清水三羽烏」。 もう一度彼らが集結する日はあるんでしょうか。
posted by おおちゃん |03:03 |
☆王国列伝 |
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