2008年06月14日
サッカー王国静岡の中でも、藤枝は清水と並んでサッカーの街として有名である。
現在も全国的に県立藤枝東高等学校(以下、藤枝東高校)はサッカーの強豪高校として有名であるが、その藤色のユニフォームは藤枝を象徴するものである。現在もジュビロ磐田の中山雅史選手や浦和レッズの山田暢久選手をはじめ、数多くのJリーガを輩出してきました。また藤枝東高校は県内でも有数の進学校。まさに文武両道の精神を伝統にした学校である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9E%9D%E6%9D%B1%E9%AB%98 ウィキペディア(Wikipedia)参照
またアビスパ福岡は、中央防犯藤枝ブルックスという社会人チームが前身となっていることも忘れないでもらいたい。
藤枝のサッカーの歴史については、藤枝市役所のHPで概略が紹介されています。
http://www.city.fujieda.shizuoka.jp/asp/f0040.asp?eno=L698184462
藤枝のサッカーの歴史は大正13年(1924)にまで遡る。
ある一教師の英断によって、藤枝にサッカーが定着することになるが、歴史的にはサッカー王国静岡を牽引しリードして来たのは藤枝であった。
清水は全国的に日本のサッカーをリードする存在であった藤枝を目標とすることによって、自らをサッカーの街としていったのである。
近年、こうした歴史を持った藤枝の位置づけが曖昧にされてしまっているように思えたので、まとめて見ました。
posted by おおちゃん |00:15 |
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2008年05月05日
今日は清水のサッカーの歴史について、簡単ですが整理しておきます。
まず(NPO法人)清水サッカー協会のHPを参考にしたいと思います。
http://www.nposhifa.net/info/history.html
清水のサッカーのルーツは大正8年にまで遡るとしています。これは多分にサッカーの街 藤枝の存在を意識したものでしょうか。
但しこの頃、小花不二夫氏が静岡県にサッカーをもたらした一人であって、この小花氏が清水のサッカーのルーツであるとしています。
小花氏の功績によって、大正12年以降、県内中学校にいくつかサッカー部が誕生します。大正14年には第1回近県中等学校大会が開催され、清水から、当時の庵原中(現在の県立清水東高等学校)が出場しています。
昭和30年代、日本サッカー界は「サッカー御三家」と呼ばれていた広島・浦和・藤枝を中心に展開していました。この頃まだ清水はごく平凡なレベルの一地域に過ぎなかったのです。
清水がサッカー王国静岡の中で、サッカーの街として発展していくことになるのは、昭和30年代と昭和40年代に清水に登場しサッカーに携わることになった2人の人物の存在が大きい。
この清水のサッカーの歴史を語る上で欠かすことのできない人物とは、堀田哲爾先生と綾部美知枝先生。
勿論この2人以外にもたくさんの方々が清水のサッカーの発展に関わってきたことは言うまでもない。しかし、この2人の存在が清水サッカーへ寄与した役割の大きさに異論を挟むものはいないだろう。
posted by おおちゃん |01:11 |
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2008年04月13日
新年初めに高校選手権で準優勝を果たした藤枝東高校サッカー部に、今春激震が走った。
本日放送の第一テレビのキックオフによると、13年間チームを指揮してきた服部良雄監督が、何と県教育委員会へ移動となってしまったということである。
近年の静岡県高校サッカー界は、藤枝東高校と静岡学園の両雄によってリードされ、そこに浜名高校や清水商業などの古豪が対抗し、常葉橘や浜松開成館などの新興勢力が台頭する、という感があるが、まさにその静岡県高校サッカー界をリードして来たのが、服部監督率いる藤枝東高校のパスサッカーだっただけに、この退任情報の衝撃は大きい。
今後、服部前監督が県教育委員会でどのような仕事に携わるかはわからないが、静岡県の高校サッカー界を牽引する仕事ができるようなら幸いである。
県職員は、せっかくの人材であっても移動によって、別の職場でその才能が埋もれてしまうことも有り得るだけに、そうならないことを願いたい。
新たに藤枝東高校サッカー部監督に就任したのは大石和孝氏。
静岡工業サッカー部時代に全国で名は馳せ、その後JFLでも活躍、引退後は清水エスパルスユースやジュニアユースなど、クラブチームでも指導歴が豊富な方である。
この大石新監督であるが、公立高校である藤枝東高校には特別教諭という立場で赴任することになるとのことである。
特別教諭とは、教員免許をもたない人材に対して、県が特例で教諭の職務に任命するという制度で、これまでラグビーで任命された事例はあったそうだが、サッカーで行われるのは初めての試みであるという。
特別教諭は、一般の教諭と同じように出勤し、その中で授業など同じ業務を全てこなすことになる。大石新監督は保健体育を担当するようであるが、ただ特別教諭ということで一人で授業を行うことはできず、必ず免許のある教員がサポートでつかなけえばならないという。
とはいえ、今回の藤枝東高校での特別教諭任命によって、外部の人材を招くという試みが、どのように展開していくのかは大変に興味深い。
静岡県高校サッカー界、藤枝東高校をはじめ、清水東高校、清水商業高校、浜名高校など強豪、古豪の学校に公立高校を多く含んでいるからである。
近年、特別枠などもあるようだが、藤枝東高校や清水東高校は、静岡県有数の進学校でもあり、サッカーで将来を切り開いていこうと考えている少年たちには、なかなかどうしてハードル高く、門戸を狭くしてしまっており、クラブチームへの人材の流れを加速させている一因である。
今後の藤枝東高校サッカー部、大いに注目である。
posted by おおちゃん |08:40 |
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2008年04月07日
以前のブログ記事で、名門静岡工業サッカー部の消滅という話を書きました。
「☆名門静岡工業サッカー部最後の選手権」(2007年9月14日)
静岡工業は行政の小子化対策の一環として、清水工業と合併して新学校「静岡県立科学技術高校」が誕生するために消滅しました。
そして何とこの流れは、名門清水商業高校サッカー部にも押し寄せています。
この話題、もう多くのブログなどでも語られているようですが、久々のブログ更新を決意させたのも、僕もこの計画にはかなりの衝撃を受けていたからです。
「キヨショウ」の愛称で親しまれている静岡市立清水商業高等学校の歴史についてはこちらを御覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%95%86%E6%A5%AD%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1「ウィキペディア(Wikipedia)」参照。
言わずもがな、サッカー部は多くのプロ選手を輩出しており、サッカー王国静岡を象徴する名門高校な訳です。
posted by おおちゃん |17:44 |
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2008年03月30日
====世界に名だたるビッグクラブの多くは、都市名がそのままクラブ名になっていますから、どこの国にどんな都市があるのか、行ったことはなくても名前だけは結構頭に入ってしまうもんですよね。
ですので、ついビッグクラブのある都市=大都市と思ってしまいがちなんですが、実際には例えばマンチェスターもリバプールも人口は約45万人規模の都市です。
どちらの都市にもマンチェスター・ユナイテッドとリバプールというビッグクラブがありますし、またどちらの都市にもマンチェスター・シティとエバートンという永遠のライバルクラブが別に存在しています。
そう考えると、エスパルスの本拠地・静岡市の人口が約72万人(清水区は約25万)ですから、決して人口が多い都市にあるからビッグクラブとなって、少ない都市だから地方クラブ、という訳ではないのです。
posted by おおちゃん |00:39 |
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2008年02月03日
JFA旗やエンブレムに八咫烏(ヤタガラス)がデザインされていることはもうすっかり有名ですよね。
JFAのHPをみるとこの八咫烏がデザインされたシンボルマークが誕生したのはもう70年以上も前のことのようです。
http://www.jfa.or.jp/fanzone/faq/jfa/answer/index.html#answer1
このシンボルマークを僕が最初に見たのは少年団でサッカーを始めた頃でしたが、少年の心にも「何でこのカラス三本足なの?」、いやいやそれ以前に「何でカラスなの?」と思ったもんです。
結局何で八咫烏を採用したのかは、もう随分前の話で理由はよくわからなくなっているみたいですね・・・。じゃあ、ついでに八咫烏についてもう少し調べてみます。何かのヒントがあるかも知れません。
posted by おおちゃん |23:55 |
☆エッセイ・雑感 |
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2008年01月15日
清水のサッカーを象徴するものとして、これからもずっと語られ続けていく存在に「清水三羽烏」があげられます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%9D%B1%E4%B8%89%E7%BE%BD%E7%83%8F ウィキペディア(Wikipedia)参照
この「清水三羽烏」とは静岡県立清水東高等学校の主力メンバーとして、1982年の第61回全国高校サッカー選手権大会で全国優勝、翌年の第62回大会で準優勝を成し遂げた長谷川健太、大榎克己、堀池巧の同級生3人のニックネームです。
彼らの出身、清水東高校は、多くのJリーガーを輩出してきたサッカー強豪高であり、県内有数の進学校でもあります。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%9D%B1%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 ウィキペディア(Wikipedia)参照
清水東高校の青(ブルー)一色の伝統のユニフォームは、日本にプロサッカーリーグのない時代、当時のサッカー少年たちの憧れの的でした。清水東の伝統の青(ブルー)のユニフォームを着るために、サッカーだけでなく勉強も頑張って進学することを目指さなければならないのです。
その意味で、清水のサッカー強豪高の中でも、清水東は特別な存在であった、と言える訳です。
このサッカー少年たちの憧れの存在であった清水東高校の「三羽烏」は、清水東高校卒業後、長谷川選手は筑波大学から日産自動車へ、大榎選手は早稲田大学からヤマハ発動機、堀池選手は順天堂大学から読売サッカークラブへと進みましたが、3名とも日本代表に選ばれ、国内を代表するプロサッカーとなっていったのです。
この3人に転機となったのが1991年の「清水FCエスパルス」のJリーグ加盟決定です。
まず大榎克己がチームの契約第一号選手として入団、すぐに長谷川健太、堀池克己も続きます。こうして地元清水に誕生することになったプロチームに再び三人が集結することになります。
こうして高校時代に一時代を築いた清水東の「三羽烏」は、再び清水に帰り、清水エスパルスを象徴する「清水三羽烏」となったのです。
posted by おおちゃん |03:03 |
☆王国列伝 |
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2007年12月25日
僕がこのサッカー王国静岡の記事をまとめる際、どうしても細かい年度であったり、選手の名前であったりなど、記憶が曖昧で思い出せない場合も多々あります。
そういう時にいつも参考にさせていただいているサイトがあります。
「Forza Shizuokan!」です。
http://www1.ocn.ne.jp/~miwa.i/
ここはまさに 静岡サッカーアーカイブス!
他に比類のない幅広い年代を対象とした情報を全てカバーしつつ、膨大な情報量を誇っているという何とも素晴しいサイトだと認識しています。
はっきり言って、これ以上のサイトはもう誰もつくれない(笑)
静岡サッカーは、今もこういう熱意ある方々によって支えられているんですよね。
僕もこのサイトを見て「あぁそうだったそうだった」「へぇ~そうだったんだ」などなど、いつも一喜一憂させてもらっています。
美和さん、これからも静岡サッカーの歴史資料室としてあり続けていただけることを願いつつ、影ながら応援しています。
既にリンクに貼らさせていただいておりますが、日頃の感謝の意味を込めて紹介させていただきます。
posted by おおちゃん |01:23 |
☆サッカー王国静岡 |
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2007年11月12日
本日より、NHKのBS1(アナログ)にて、イングランドプレミアリーグの録画中継がはじまることになった。
今日の試合はリバプール対フルハム戦。
ちなみに15日木曜日にはマンU対ブラックバーンに試合が放送される。
思えば城彰二がスペインのバジャドリードでプレーしていた頃、BSアナログでスペインリーグが中継されていました。
あの頃は、レアルもまだ銀河系チームではなかったですが、ラウルとモリエンテスのコンビは素晴しかったし、バルサもファンファールによるきっちりと組織されたあまり面白みのないチームでしたが、肝心のセンターFWクライフェルトがうまいのにシュートが決めきれないなぁ・・・という面白みがあった記憶があります。
一番注目していたのはイルレタ監督のスーベル・デポルことデポルティボ・ラコルーニャでした。監督の戦術が浸透していたとてもいいチームでした。
4-2-3-1のシステムがどうしてこんなにも機能するんだろう、と不思議な感動を覚えました。
それからスペインリーグも注目されるようになり、有料放送に権利をもっていかれてからは、NHK BSでは代表チームの試合が中継されることはあっても、各国リーグ戦が中継されることはありませんでした。
そんなこんなで昨今、国内のJリーグの贔屓のチームの中継をみるにも有料放送でないと見れないという時代です。
世界のリーグの試合中継をBSに期待することはもう無理かと思い、考えてもいなかった中で、何とプレミア中継じゃないですか!
以前のこのブログにも書きましたが、何よりプレミアリーグの試合はドキドキワクワクしてしまいます。
今年、マンUのルーニーが来日して浦和レッズとやりましたよね。
背番号も8番から10番になりました。
正直8番はあまり似合っていないなぁと思っていたので、10番はとてもしっくりきてかっこいいです。
ルーニーが出てきた頃、彼の実力に懐疑的な目をもってみていましたが、今一番好きなプレーヤーは誰かと聞かれた時に、誰だろう?と考えてみるとルーニーなんじゃないか、と最近思うようになりました。
彼のアグレッシブな突破と思い切りの良いシュートは目を見張ります。
何よりシュートに躊躇がない。
他にも見所は、いっぱいあるでしょうね。
アンリが抜けてヤングタレントで快進撃を続けるアーセナル。
スペインの至宝フェルナンド・トーレスが加入したリバプール。
タレント的には群を抜いているマンUとチェルシー。
エリクソン監督のマンチェスターCとロイ・キーン監督のサンダーランドなんかも注目でしょうか。そうそう、セビージャでいい采配をしていながら、突如辞任してトッテナムの監督に就任したファンデ・ラモス監督のトッテナムなんかも面白そうですね。
かつてのスペインリーグの中継の時のような新鮮な発見があることを期待しています。
サッカーの本場のスタジアムの雰囲気をみんなで味わいましょう。
posted by おおちゃん |18:48 |
☆エッセイ・雑感 |
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2007年10月07日
5日金曜日、サッカー北京五輪アジア最終予選C組第4戦のカタール戦にのぞむ21名の代表選手が発表された。
今回の代表選考では、前節で中盤のスタメンだった梶山選手が怪我、本田拓也選手が出場停止となる点、得点力不足を指摘されているFWを中心とした攻撃陣へのテコ入れ、具体的にはカタニャーの森本選手の招集はあるのか、といった注目点があった。
結局、中盤の選手としては清水エスパルスの枝村選手が復帰し、FW陣はFC東京の平山選手、柏レイソルの李選手、エスパルスの岡崎選手、セレッソ大阪の森島選手という前回と同じ顔ぶれとなった。
カターニャの森本選手は、左ひざの状態が万全でないことと、今まで召集をしていないことのリスクから見送られた。
この召集見送りに関しての反町監督の判断は理解できる。
次節のカタール戦はアウェーゲームである。連携のとれていない選手を招集、まして起用することなどは、とてもリスクの大きいものと判断できよう。
しかし考えてみれば、攻撃陣の顔ぶれは、前節得点をとって勝ち点3が要求されたゲームで、課題を残したメンバーのままである。
勿論、準備期間に前節の課題を修正し、連携を高めてゲームに望めば事態は好転するかも知れない。反町監督の選考に、前節のメンバー以上のプラスアルファを望める戦力が見当たらなかったという切実な問題があったのか、この点は監督の心中なのでわからない。
得点力不足なんて永遠の課題だよ・・・と言ってしまえば、それまでなのだが、メンバー選考からはアウェーのカタール戦対策という部分が特にうかがえなかったのが心配だ。
現在までの五輪代表の試合に、相手がどこであろうと、同じシステム、スタメンで戦って、勝利を期待できるほどの内容あるゲームがみられていないからである。
posted by おおちゃん |19:07 |
☆日本のサッカーに思う |
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