2009年12月10日
岩本輝雄の挑戦(2006クラブワールドカップ回顧)
本日は、クラブワールドカップ(アブダビ開催)の開幕戦、アル・アハリvsオークランドシティが行われる(日本時間9日25時キックオフ)。 残念ながら、現在、ヨーロッパ出張中のため、今日の試合は観られないが、アル・アハリvsオークランドシティと言えば、3年前のクラブワールドカップ開幕戦を思い出す(もっとも、今年のアル・アハリは開催国UAEのクラブ、3年前のアル・アハリはエジプトのクラブと、全く別のクラブではあるが)。 というわけで、当時、別のブログに書いた原稿を転載。オークランドシティの一員として、クラブワールドカップに出場した岩本輝雄についての文章だ。当時は大変だったけど、今思い起こすとやっぱり楽しかった思い出のほうが多いかも。
始まりは一本の電話だった。 「ヨーロッパのクラブの練習に参加したいんだけど。スペインやイタリアのクラブだったら最高だけど、もちろん、そうじゃなくてもかまわない。1部のクラブじゃなくてもかまわない」 “テル”こと岩本輝雄は、とにかくプレーする場所を欲していた。とりあえず、彼の現状を聞くため、8月下旬に五反田の豆乳鍋屋で会った。久しぶりに会った彼は、自分の人生にかなり焦りを感じているように見えた。聞けば、足の痛みはもうほとんどなく、Jリーグ復帰への道を模索していたとのこと。実際、獲得を前提にJ1アビスパ福岡の練習へ参加することが決定していたそうだが、アビスパ福岡フロント内部のトラブルにより、一方的にその話は立ち消えとなったという。Jリーグの登録期限は9月15日。8月下旬のこの時期に“持ち駒”のなくなったテルにとって、Jリーグ復帰への道は事実上閉ざされたと言ってよかった。 2004年5月、名古屋グランパスに在籍していたテルは、ナビスコカップ・新潟戦の試合中、右足首を痛めた。最初に診察をした医師の診断は、靱帯の一部損傷、全治にそれほど時間はかからないだろう、というものだった。その診断により、テルは痛みを抱えながらもすぐにピッチへ復帰した。プロサッカー選手は、医師が「大丈夫」と言えば、基本的にピッチへ立たなければならない。そうしなければ、チームへの背信行為と受け取られる。しかし、いつまで経っても痛みはひかない。それどころか、日増しに痛みは増し、まともに走ることさえできなくなった。テルは自分の意志により、チームを離れ、信頼する医師の診断を受けに千葉へと足を運んだ。 診断結果は右足首の靱帯断絶。当然、ピッチへ復帰するためには、すぐに手術が必要になる。しかし、この時、所属クラブの名古屋グランパスから、耳を疑うような要求を突きつけられる。「この時点(10月)で手術をするならば、来シーズンの契約は結ばない。もし、手術しないで頑張るのならば、前向きに考える」。足首の靱帯が切れている選手に対して、手術しないで何を頑張れと言うのか。テルは迷いなく名古屋を後にした。ちなみに、名古屋グランパスは、テルが退団した時点ではそれを発表せず、契約満了となる1月31日の直前に、岩本輝雄の退団を発表した。うがった見方をすれば、クラブが取った非人道的な対応を隠蔽するために、最も目立たない時期に発表したとも考えられる。 右足首の手術は成功したものの、6時間を超える大手術だったこともあり、術後約2カ月の間、入院を余儀なくされた。自分も何度か千葉の病院に足を運んだが、テニスボールのように腫れてしまった右足首を見て、言葉を失ったことを覚えている。退院後、6月の復帰を目指し、ひたすらリハビリに励むも、なかなか痛みは治まらない。靱帯が少し良くなったと思いきや、今度はその周辺箇所が痛み出した。これではいつまで経ってもピッチへ復帰できない。そう考えたテルは、4月、知人の紹介で元日本代表ドクター・竹井経憲医師を訪ねる。竹井医師の診断では、右足首の患部に、おそらく抜糸時に残ってしまったと思われる糸があり、その糸の周りの肉が腐敗して癒着してしまっているという。手術によって癒着していた肉をはがすと、痛みは嘘のように消えてなくなった。 その年の11月、テルはプレーするチームを求めて、メキシコに渡った。知人の紹介で、メキシコ1部リーグのトルーカに、入団を前提として練習参加出来ることになったのだ。しかし、またも右足首の痛みがテルのチャンスを奪う。再び右足首が痛み出したため、満足にプレーすることすら出来ず、結局、実質3週間ほどで帰国することとなった。帰国後、すぐに武井医師のもとを訪ねると、右足首のくるぶし部分に2カ所のヒビ(亀裂骨折)が確認された。「とりあえず、様子を見よう。2カ月間はトレーニングしないほうがいい」。度重なるアクシデントに、さすがのテルも復帰へのモチベーションを失いつつあった。 翌年(2006年)1月、テルは気分転換も兼ねて、スペインへ渡る。昼は語学学校へ通い、夜はトレーニング、週末はリーガ・エスパニョーラ観戦という生活を1カ月ほど続けると、再び、ピッチへ立ちたい、という気持ちが沸き上がってきたという。加えて、ある人物との出会いも、復帰への気持ちをかき立てることになった。その人物とは、あのロベルト・バッジョの専任トレーナーであったナンニ医師である。知人の紹介でボローニャにあるイソキネティック・センターにナンニ医師を訪ねたテルは、そこで驚くべき診断結果を聞く。「リハビリによって癒着している患部を柔らかくすれば治るかもしれない。イソキネティック・センターで1カ月ほどリハビリを行えば治る可能性はかなり高い」。一時は諦めかけた復帰への道が再び開けたことに、テルが歓喜したことは言うまでもない。 ただ、諸処の事情から、すぐに1カ月間、イタリアに滞在することは無理だったため、とりあえず一時帰国し、再度イタリアを訪れて手術を行うという段取りになった。帰国後、ナンニ医師の診断を持って武井先生のところを訪れたテルは、癒着している患部に応急処置として痛み止めの注射を打ってもらった。すると、痛みはほとんど取れた。時を同じくして、NHKから『街道てくてく旅』という番組で、東海道五十三次を歩かないか、というオファーが舞い込む。足の状態がかなり良くなっていたこともあって、テルはこのオファーを受けることを選択。そして、番組が終わる6月にイタリアに渡って手術を受ける、という計画を立てた。 『街道てくてく旅』の収録は4月3日から6月16日まで行われた。約2カ月半という長丁場の間、収録の合間を縫って、テルはリハビリに励んだ。そして、6月に入った頃、右足首の痛みが消えた。テルは痛みが消えた理由について、「約500キロ歩くのはかなりハードだから、歩くこと自体がリハビリになって、癒着していた部分が柔らかくなったんじゃないかな」と語ったが、おそらくそのとおりだろう。右足で片足ジャンプすることすら出来なかった状態から、ボールを蹴っても痛みを感じなくなる状態まで回復する——長年、痛みと戦い続けたテルが、これを奇跡と感じたのも当然のことだろう。 6月から本格的にピッチ復帰へ向けたトレーニングを始めたテルは、コンディションがある程度まで回復後は、近所の大学や静岡FC(JFL)、そして韓国Kリーグの仁川FCなどの練習に参加し、実戦感覚を養った。そして、8月末にはアビスパ福岡と契約直前までこぎ着けた。しかし、冒頭にも記したように、今シーズン中のJリーグ復帰の道は閉ざされた。五反田で会ったテルは、時折、自嘲気味に、「もうダメでしょ。これだけやって入るチームが見つからないなら、もう引退するしかないよね」と口にした。 どうにかして、テルをピッチに立たせる方法はないか。イタリアやスペインのクラブは、練習には参加出来たとしても、2年以上もピッチから離れている選手と契約を結ぶとは思えない。そこで思いついたのが、クラブワールドカップにオセアニア代表として参加するオークランドシティFCだった。自分の所属している会社が、クラブワールドカップのオフィシャル・パブリッシャーである関係で、オークランドシティFCとはつながりがあった。しかも、オークランドシティFCが昨年のシドニーFC同様に、日本人選手を欲しがっているという前情報もあった。 すぐさま、電通及び日本サッカー協会に可能性を打診すると、答えはNGだった。理由は、「昨年のシドニーFC×カズのように、クラブワールドカップのための移籍を画策するのは今年はやらない」という方針になった、ということだった。しかし、テルはクラブワールドカップに出ることが目的ではない。もう一度、ピッチに立つことが目的なのだ。その点を再度説明すると、電通及び日本サッカー協会は「積極的に協力することは出来ないが、かと言ってピッチに立ちたいという岩本選手の移籍を禁じることも出来ない」と、ほぼ容認に近い返答をくれた。 こうなれば、あとはオークランドシティFCとの直接交渉あるのみである。幸い、交渉は順調に進み、クラブワールドカップの抽選会(10月12日)に合わせて来日するオークランドシティFCの会長と東京で会い、そこですべてを決定しようということになった。アポイントの日時は、抽選会の前日である10月11日。場所はウェスティンホテル東京。まず、我々(自分+社長、通訳)が会長と交渉し、大筋でまとまれば、近くで待機しているテルを呼んで、会長に紹介する。条件面でほぼ合意していることからも、交渉は簡単に済むはずだった。 しかし、ここで大きなアクシデントが我々を襲う。会長が約束の時間が過ぎても現れないのである。結局、4時間近くが経過しても会長は現れず。もちろん、待ちぼうけをくらったテルは、怒り心頭だった。このまま連絡が取れなければ、移籍そのものが流れてしまう……。誰もが最悪の結果を頭に浮かべた直後、会長から連絡が入った。聞けば、ホテルのバーで我々のことを待っていたという。フロントだけでなく、部屋にもメッセージを残してもらっていたことから、彼が本当に待っていたのかどうかは定かではないが、とりあえず、まだオークランドシティFC側もテルを獲得したがっているという意思だけは確認出来た。 翌日の深夜、再びウェスティンで待ち合わせ、今度は時間どおりに会長がやってきた。条件面もほとんどもめることなく合意。テルと会長はその場でがっしりと握手をかわした。 ———————————————————— 12月10日、テルはトヨタスタジアムのピッチに立つ。おそらく、オークランドシティFCは、アフリカの強豪、アル・アハリの前になすすべなく敗れてしまうだろう。両者のチーム力には、残念ながら、それだけの大きな差がある。しかし、それでもなお、自分はテルが何かやってくれるのではないかと期待してしまっている。ワンプレーだけでもいい。観る者の印象に残るようなプレーをやってほしい。クラブワールドカップという最高の舞台で、最後の輝きを放ってくれることを、友人の一人として願ってやまない。
posted by from1 |00:23 |
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