2008年04月30日
4月16日、今シーズン3度目となるオールドファーム・ダービー(セルティックホームでは初めての開催)を現地取材。世界で最も古く、熱いダービーと言われるだけあって、スタジアムはキックオフ前から、異常とも感じられる熱気で包まれていた。
引き分けでもほぼレンジャーズの優勝が決まる、という状況だけあって、セルティックの選手たちは序盤から非常に気持ちの入ったプレーを見せる。そして前半20分、右後方からのパスを受けた俊輔は、ゴールに向かってあえて大きくトラップ、そのままボールに走り込んで左足を振り抜いた。左足アウトにかけたボールは、GKの手から逃げようとするような弾道で大きく左に弧を描き、ゴールネットに突き刺さった。試合後、本人も肯定していたが、おそらく現時点ではキャリア最高のゴールと言っていいだろう。
セルティック・パークを埋めたサポーターは、ゴールが決まった瞬間、飛び上がって叫び、ゴールの喜びを表現していた。その瞬間、スタジアム全体が確かに大きく揺れた。こんな環境でやってたら、なかなか日本へ帰れないと思う。
その後、後半54分にミスから失点して同点へ追いつかれてしまったものの、後半23分、再び俊輔の左足が炸裂する。左サイドからのクロスボールが流れ、そのボールがエリア内にいた俊輔に渡ると、俊輔は迷わず左足を振り抜く。ボールは確かにゴール左スミを捉えた。逆転ゴール——誰もがそう思った瞬間、信じられないことが起こった。レンジャーズDFクエジャルが、右手を伸ばしてゴールに入る寸前でゴールをはじき出してしまったのである。レフェリーは当然、クエジャルにレッドカードを提示、そしてセルティックにはPKが与えられた。
ボールを持って、ペナルティスポットへ向かったのは、FWのマクドナルド。正直、「あれ?」と思ったが、きっとストラカン監督の指示なのだろう、決めてくれれば問題ない、そう思った。いつものように、一度GKに背を向けて立ったマクドナルドは、ゴール方向に振り向くと同時に猛ダッシュ、そのままの勢いでシュートを放つ。ボールは、吸い込まれるようにGKへ……。今シーズン、得点ランキングでダントツトップの選手とは思えない稚拙なキックでPKを失敗してしまったマクドナルドは頭を抱える。当然、6万人のセルティック・サポーターも頭を抱える……(あとで俊輔に聞いたところによると、PKキッカーは、フェネホールオフヘッセリンクが1番手、俊輔が2番手とのこと。だが、この時は、フェネホールが蹴らないと俊輔が聞いた時には、すでにボールを持ったマクドナルドがペナルティスポットへ向かっていたそうだ……)。
セルティックの3連覇の可能性は潰えてしまうのか……スタジアム中にそんな雰囲気が漂い始めたロスタイムに、劇的なフィナーレは用意されていた。後方からのロングボールを、マクドナルドが頭で落とし、最後はフェネホールオフヘッセリンクがダイビング気味に頭で流し込んだ。2-1。今シーズン、3度目のオールドファーム・ダービーは、セルティックの劇的な勝利で幕を閉じた。
このゲームのマン・オブ・ザ・マッチは、当然、中村俊輔。試合後、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた選手は、VIPルームでVIPたちと写真撮影後、さらにVVIPとスタンドの中央でピッチをバックに記念撮影。それが終わると、日本人記者、通信員たちのカコミ取材。見事なゴール&劇的な勝利もあって、この日の俊輔はいつも以上に饒舌だった。
スタジアムからの帰り、セルティック・サポーターとすれ違うたびに、「ナカ!」「ナカムーラ!」と声を掛けられる。久しぶりに、日本人であることを誇りに思えた、そんな夜だった。
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19:40
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欧州サッカー |
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2008年03月14日
つい先ほど、欧州チャンピオンズリーグ・準々決勝の組み合わせが決定した。
(1)アーセナル(イングランド)vs.リバプール(イングランド)
(2)ローマ(イタリア)vs.マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
(3)シャルケ(ドイツ)vs.バルセロナ(スペイン)
(4)フェネルバフチェ(トルコ)vs.チェルシー(イングランド)
※準決勝の組み合わせは、(1)の勝者vs(4)の勝者、(2)の勝者vs(3)の勝者
我がローマは、なんと昨シーズンと同じく、準々決勝でマンチェスター・ユナイテッドと激突。正直、マンUとだけは当たりたくなかった……。それは単に昨シーズン、ボコボコにされたからだけではない。実はうちの会社はマンUのオフィシャルサイトを運営している他、彼らのプロモーションにも協力するなど、非常に関係が深いのだ。しかも、うちの会社は、クラブW杯のオフィシャルパブリッシャーでもある。クラブW杯的には、現在、日本のサッカーファンの中でも、1、2を争う人気を誇るマンUに、ぜひとも来てもらいたい。だから、仮に我がローマがマンUに勝った場合、素直に喜べないわけで……。
しかし、バルセロナは決勝トーナメント1回戦のセルティックといい、今回のシャルケといい、どう考えてもドローに恵まれてる。チェルシーも、決勝トーナメント1回戦がオリンピアコス、準々決勝がフェネルバフチェと、同様に恵まれてる。これはもしや、決勝はバルセロナvsチェルシーになるんじゃ……。こういう予想をしてる時が、一番楽しかったりして。
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22:46
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2008年02月27日
週末は、「ジャンルカ・カップ 2008」に出場。今年で2回目の開催となった「ジャンルカ・カップ」は、富樫さん(富樫洋一/ニックネーム:ジャンルカ・トト・富樫)を偲んで、生前、富樫さんと一緒にボールを蹴った人々が集まり、一緒にフットサルをやるという大会である。
今年は昨年の8チームから12チームに拡大して行われた。自分は主催者でもある、フロムワンチームの一員として参加。結果は、5位と、残念ながら昨年(3位)より順位を下げてしまった。もっとも、個人的には、予選リーグの最終戦以降の3試合で6点、しかも2試合で終了間際に同点ゴールを決めることができたので、大満足。また、会場では、昨年、八丈島に伺った際によくしてもらった、八丈島サッカー協会の奥山会長夫妻にもお会いすることができた。会長夫妻には、今年中に世維子さんらと訪れることを約束。
ちなみに、優勝は富樫さんの奥様である世維子(せいこ)さんのチームである「チーム世維子」。息子の理(おさむ/スカパー!勤務)とその仲間、特にイラストレーター・肥塚さんの仲間たちは上手すぎ……。2位は昨年に続き、電通チーム、3位は昨年より順位を1つ挙げたスカパー!チーム。スカパー!チームでは、元日本代表の遠藤雅大さんや、お馴染みDJジャンボ(中村義昭)さん、そしてタレントの松原渓ちゃんもプレー。他のメンバーも、皆、富樫さんとつき合いのあった方々で、ホントに天国の富樫さんは、喜んでるだろうな(いや、もしかしたら、自分がプレーできなくて悔しがってるかも(笑))。
というわけで、午後からの突然の春一番による砂嵐にも負けず、またケガ人もなく、とても楽しめた一日だった。自分も、富樫さんにお世話になった人間として、この大会を末永く続けていきたいと思う。
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草サッカー&フットサル |
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2008年02月21日
東アジア選手権の中国vs日本戦。とにかく、すごい試合だった。中国のラフプレーもすごいが、それに対して適切なジャッジをしない、北朝鮮のレフェリーもひどい。ホームで負けられないのはわかるが、あれはもう、サッカーではない。安田理大含め、選手生命に関わるようなケガをした選手がいなくてホントに良かった。今後、日本サッカー協会は、Jリーグ開幕前の重要な時期に、このような危険の伴う大会への参加は、検討を見直すべきだと思う。それくらい、中国のラフプレーは、完全に常軌を逸脱していた。
そういった普通の状況ではない中で、日本の選手は本当によくやったと思う。試合終了後、中澤がチームメートとハイタッチしていたシーンで、この試合で日本が得たものが大きかったことが伝わってきた。個人的なMVPは中村憲剛。独特のタイミングで出される彼のパスは、中国の選手たちを混乱に陥れていた。
また、実はこの試合は試合内容以外でも、気になることがあった。福岡に住んでる友人S(妻の大学時代の親友)のダンナさんが中国人なのだが、現在、そのダンナさんのご両親が3カ月の予定で滞在しているのだという。日本中が餃子事件で持ちきりの中、ただでさえ大変だろうに、その上、サッカーにおいても日本と中国が「絶対に負けられない戦い」をするとは、何とタイミングの悪いことか……。聞けば、先日の日本vs北朝鮮戦の時でさえ、夕食の場はかなり気まずい空気になったという。直接対決となった今回は、荒れた試合内容もあり、いったいどんなことになったのか、他人事ながら心配していた。友人Sはもちろん、両親と妻の間で苦しむダンナさんは果たして無事に修羅場を切り抜けることができたのか。
野次馬半分、いやいや、心配しながら昨日の状況を聞いたところ、突然、家族で外食することになったため、夕食を食べながら一緒に観戦するという事態は避けられたとのこと。いや~ホントに良かった。もし、あの試合を一緒に観ていたら、険悪どころの騒ぎじゃ済まなかっただろう。「北朝鮮戦では不完全燃焼だったから、中国戦では『ゴ~~~ル!』と叫びたかったわ」と友人Sは語っていたが、そんなことしてたら、離婚話になっていた可能性すらある。これは推測だが、そんな最悪の事態を避けるために、ダンナさんは急きょ外食することにしたのではないだろうか。きっと、そうに違いない。とにかく、友人S家族の平和が守られて良かった。と思ったら、2月24日には女子の中国vs日本があるのか……。荒れた試合にならないことを、友人S家族のためにも願いたい。
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20:21
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日本代表 |
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2008年02月20日
スコットランドプレミアリーグ、デビュー!
と言っても、この冬、セルティックに移籍した水野晃樹のことではないのであしからず。
先週末の土曜日(日本時間深夜)に行われたセルティックvsハーツ戦にて、スコットランドプレミアリーグ(SPL)中継の解説デビューした。正直、今シーズンのSPLは、中村俊輔がケガで欠場することが多かったこともあり、それほどチェックできていなかったため、オファーをいただいた当初は不安もあったが、スカパー!のデータマンF本さん始めスタッフの方々、WSK編集部のM田くん、そして何より実況担当の加藤暁さんの手助けもあって、何とか無事にこなすことができた(はず)。今後は、セリエAと同等の情熱を持って、SPLをやっていきたいと思うので、スカパー!でSPLを観ている皆さん、どうぞよろしくです。
というわけで、本日は19時15分から、東アジア選手権の中国vs日本戦、そして深夜28時45分からはUEFAチャンピオンズリーグのセルティックvsバルセロナ戦。代表戦では、今日こそバンドゴールが見たい! また、セルティックvsバルセロナ戦では、水野晃樹がベンチ入りという情報もあるし、何より、バルサ相手に中村俊輔がどこまでやれるか、楽しみでもあり、不安でもある。他には、アーセナルvsミランやリヨンvsマンチェスター・ユナイテッドもあるし、とにかく忙しい夜になりそうだ。
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17:02
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欧州サッカー |
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2008年02月04日
1月27日(日)、富樫さんの三回忌に出席後、15時キックオフの「城彰二引退試合」(横浜FCオールスターズvsJO DREAMS)を取材するため、横浜・三ツ沢球技場へ。キックオフには間に合わなかったものの、城さん(JO DREAMS)の先制点にはギリギリ間に合うことができた。
試合はほのぼのとした雰囲気の中にも、時折、各人の意地とプライドがぶつかり合う、面白いゲームになった。注目は、やはり98年フランスワールドカップのメンバーと、96年アトランタ五輪のメンバーがずらりと顔を揃えたJO DREAMS。個人的に楽しみにしていたのは、名波&相馬の左サイドコンビの久々の復活。相馬さんは現役を引退したとは思えないほど走れていて、きっとかなりのトレーニングをして臨んだことがうかがえた。他の引退組で目立っていたのは、前園さんのドリブル。それから、山口モトさんがキレキレだった。まだまだ十分に現役でやれると思うのだが……。
それから、こういう試合になると、さすがの存在感を発揮するのが、カズ&ゴンコンビ。一つひとつのプレーに華があって、観客も沸いていた。また、独走状態で抜け出したのにもかかわらず、GKとの一対一を外した岡野のプレーも観客にはウケていた。しかし、あの一対一で枠を外すなんて……いかにも彼らしいが。
試合は城さんのハットトリック(JO DREAMSとして1ゴール、横浜FCオールスターズとして2ゴール)で終了。ファンの温かい声援に包まれた、とても素晴らしい引退試合だった。ほとんどの選手がこうした引退試合の機会すらなく、さみしく引退していく世界だけに、城さんのキャリアがいかに素晴らしいものだったかわかる。ちなみに、個人的な城彰二のベストプレーは、月並みだが、やはりジョホールバルでのヘディングでの同点ゴール。あの瞬間に感じた興奮は今でも鮮明に覚えている。
というわけで、城さん、改めて本当におつかれさまでした。今後はサッカー界を盛り上げるためにも、一緒に頑張りましょう! 『Jリーグサッカーキング』の連載も、末永くお願いします(笑)。
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2008年02月04日
1月27日(日)は、富樫さんの三回忌に出席。新橋でセルジオ越後さんらと合流して、清澄白河にある雲光院へ向かう。この日はとても良い天気だったのだが、そう言えばこれまでも富樫さんの法要が行われた日は常に好天に恵まれていた。いつも笑顔のたえなかった富樫さんにふさわしい天気で、なんだかうれしくなる。
会場に着き、奥さんの世維子さん、息子の理くんらに挨拶。理くんの長女、はるちゃんが8カ月にもかかわらず、もうつかまり立ちで歩けていたことに驚く。1カ月前に会った時には、立ってさえいなかったのに……。子供の成長はホントに早い。
出席者はスカパー!の国武さんや広瀬さん、フォート・キシモトの松原さん、イラストレーターの肥塚さんら、サッカー関係者が半数近くを占める。今回は、アフリカ・ネーションズカップを取材中の清水和良カメラマンに加え、インフルエンザによって他にも数名が欠席されたのが残念だった。
富樫さんは自分にとって、単なる上司ではなく、言わば父親のような存在だった。サッカー業界に足を踏み入れたばかりで、右も左もわからなかった自分を、いろいろな人に紹介してくれたのも富樫さんだった。そして、雑誌作りをする上では、「こだわりを持ち続けることの大切さ」、そして「現場で取材し続けることの重要性」を教えてくれた。また現在、自分がスカパー!で解説等をやれているのも、富樫さんという先人の存在なしにはあり得なかったと思っている。
富樫さんが亡くなられてからはや2年。創刊から一緒に創り上げてきた『CALCIO 2002』は、今年で創刊10周年を迎える。富樫さんに教わった“こだわり”を忘れずに、今後もより良い雑誌づくりを心がけていきたいと思う。
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生活 |
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