2007年08月15日

スタジアムにもECOを

 スタジアムに足を運ぶと、大事な試合に限って、よく雨が降る。
W杯前の国内最終戦が行われた2006年5月13日の埼玉スタジアム。
2006年J1J2入替戦第2戦が行われた博多の森。
両試合ともに冷たい雨がピッチを濡らしたが、屋根付きのスタンドで観戦したため、煩わしい思いをすることなかった。

 だが、今年5月6日のJ1昇格組対決、横浜FC対神戸の試合はものすごい土砂降りのなか、身も心もずぶ濡れになった。三ツ沢球技場のメインスタンドは関係者・招待席以外は雨露をしのげる席はなく、まして、ゴール裏は濡れてなんぼの世界だ。

 ただでさえ、観客動員の少ない三ツ沢で屋根を作らないのは自殺行為に等しい。また、最悪のゴール裏席と名高い、博多の森もゴール裏には屋根がまったくない。

 シャープ製の屋根でも設営して、晴れの日は太陽発電にでも生かせばいいのではと考えてしまうが、両チームの不甲斐ない状況を考えると、そんな大金を捻出する余裕はないだろう。
だがしかし、スタジアムに屋根がなければ、熱心なサポーター以外で足を運ぼうと思う人は少ないはずだ。ましてそれが冬場ならなおさらだ。
観客動員数を増加するには、この点はかなりバイタルポイントだということをフロントの人間は自覚しているだろうか。

 そして、僕が本当に言いたいことは、三ツ沢での横浜FC対神戸戦の後のスタンドには自分の席に敷いたと思われるビニール袋が散乱し、売店前のゴミ箱にはいらなくなったレインコートがいくつも捨てられていたという現実である。

 リサイクルや二酸化炭素排出削減が叫ばれる中、スタジアムのECOについて、どれだけ思っている人がいるだろうか。
MOM(マン・オブ・ザ・マッチ)はよく使われるが、近い未来、TOE(チーム・オブ・ザ・エコロジー)が創設されて、毎年、リーグ戦終了後に表彰式を設けられることを願って止まない。

スポーツの世界にもECOを。と本気で僕は思っている。


posted by footballneedsyou |13:22 | コメント(0) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2007年02月24日

刻まれる風雨の記憶

 長い人生、晴れの日もあれば、雨の日もある。
晴天が必ずしも、いい日とは限らないし、雨天が悪い日とも言えない。

この日の博多湾から吹きつけた冷たい雨と風は、神戸イレブンには良き思い出となって脳裏に刻まれるであろうし、福岡イレブンにとっては思い出したくもない天気となるだろう。

年間、何十試合も行われる中で、この一試合の記憶だけは翌年の開幕戦まで決して色褪せることはない。
それは、次に待ち構えているステージに雲泥の差があるからだ。
そう、その一戦とはJ1・J2入替戦のことである。


 あらゆるものを背負って戦うのと同時に、すべてを投げ捨ててでも勝ちたい。
ピッチに立つ22人の選手の誰もがそう思う。
「降格」という事態がどれほど無様で屈辱的であるかということを知っているし、「昇格」というものがどれほど人から称えられ、人に喜びをもたらすかを知っているからである。
J1とJ2では環境面、待遇面をはじめとして、選手の置かれる状況には大きな隔たりがある。
ならば、プロ・スポーツ選手として自分の可能性を広げるためには、力の限りを尽くして、その環境を守ろうとするし、その環境を手に入れようとするのは当然である。

 入替戦は選手たちだけの戦いではない。
サポーターも1年間、胸の内に積み重ねてきた想いをすべてこの日にぶつける。
楽しかった時も、苦しかった時も、晴れの日も雨の日もいつも彼らはチームを見守ってきた。
チームを支える覚悟を決めてからは、時には意見をぶつけ合い、時には厳しいブーイングも浴びせてきた。
彼らにとってスタジアム、スタンドとは家庭と職場・学校以外の第3の居場所なのである。心地よい興奮を与えてくれる、居場所。
そして、チームは彼らにとって何物にも代え難い宝物なのである。

 1戦目を0-0で終え、
「リーグ戦終盤を考えたら、0-0という結果はまずまずだった」
と神戸の松田監督が述べたのに対し、
「1戦目に関しては、ゲームが動かないようだったら、それはそれでいい」
と福岡の川勝監督は口にした。
両監督のコメントからは、共に結果オーライといったニュアンスが感じ取れたが、実際は今年から導入されたアウェーゴール方式が2戦目の明暗をくっきりとわけることになる。

 2006年12月9日、午後4時4分、主審西村の笛が鳴る。
1戦目は三浦淳宏を出場停止で欠いた神戸だったが、この日は主将かつ精神的支柱の彼の復帰により、チームがうまく一つにまとまった。
三浦淳の存在は神戸においては絶対的で、特に彼の蹴るFKは得点を予感させる。
前半1本目のFKこそ、ブレ球シュートを意識しすぎてクロスバーのはるか上を超えていったが、2本目は福岡の久藤の顔面を直撃し、失神させてしまうほどの威力をみせた。
対する福岡も、上半身裸で声援を送る熱狂的なサポーターの後押しを受け、ホームでのアドバンテージは絶大に見えた。

「我慢しながら、どこかで点を取る。時間の経過とともに1点が重くなれば、そのプレッシャーが相手にかかる」
松田監督の構想通り、前半を0-0で折り返したことで、福岡は1点が欲しいが、失点は2倍痛いという葛藤を抱え込むことになる。
福岡の監督、選手がそう思い始めた後半15分、三浦淳の入れたクロスのこぼれ球をFWの近藤が力強く蹴り込み、神戸に貴重な先制点が生まれる。


 追い込まれた福岡は後半17分に田中を投入して、怒涛の猛反撃を開始する。
古賀が左サイドからチャンスを演出し始めると、ついに後半25分、布部が左足でゴールネットを揺らす。
しかし、惜しくもこのゴールはオフサイドとなったものの、粘る福岡はより前がかりになる。
そして、迎えた後半39分、CKから布部が正真正銘の同点ゴールを決める。
「流れが傾いてきていたから、逆転できると思っていたし、絶対に逆転してやろうという気持ちでプレーしたのだが…」
布部のこの言葉通り、後半ロスタイムにはこぼれ球が神戸ゴールを割ったかに見えたが、副審の判定はノーゴール。

 その後、4分あったロスタイムにも決勝点をあげられなかった福岡は1-1のドロースコアーながら、アウェーゴール方式で涙を呑んだ。
「1戦目は0-0でもいいと思っていた。ホームで1-0、もしくは2-1という結果を考えていたが、結果的にアウェーゴールの差がでるとは…」
得点力不足に悩まされてきた川勝監督のとった「ホームで勝つ」というプランはもろく、はかなくも散った。

 福岡は昇格1年目にして降格を味わった。
神戸は降格1年目にして昇格を果たした。
Jリーグ2007シーズン開幕まで、あと1週間。
今年も長く、厳しい戦いが待っている。
だが、どんなにつらくてもチームの灯を決して消してはならない。
サッカー人生、雨の日もあれば、晴れの日もあるのだから。

posted by footballneedsyou |20:26 | アウェーの旅 | コメント(0) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2006年12月27日

フットボールの醍醐味:それはアウェーの旅に出ること【ソウル篇2】

真っ赤に染まったゴール裏。 
発炎筒の煙の中で選手整列
国歌斉唱と共に出現した巨大太極旗、発煙筒。 

セリエAやプレミアリーグにも引けをとらないスタジアムの盛り上がりは、予選とはいえ、アジアの頂点を決めるにふさわしく、またドイツワールドカップでの汚名を返上すべき1戦となった。 

試合当日、現地のスポーツ新聞は、センターバックにJリーグ磐田に所属する金 珍圭の出場を予想したが、実際のスタメンにはキム・サンシクが起用された。言ってみれば、この選手起用が最後の最後でドラマを生むことになるわけなのだが。 

その他に、A3チャンピォンズリーグで得点王を獲得したイ・チョンスやJリーグ横浜Fマリノスでも活躍したアン・ジョンファンも当然スタメン入りするかと思われたが、イ・チョンスはベンチスタート、アン・ジョンファンに至っては代表にも選ばれなかった。 

一方のイランはドイツワールドカップにも出場したカリミやマハダビキア、ハシェミアンなどがスタメンに名を連ねた。

ドイツワールドカップで活躍したイ・チョンスやアン・ジョンファンが出場しないことで、アウェーのイランがペースを握るかと思われたが、やはり満員のホームゲームというアドバンテージは絶大だった。 
さらに、昨シーズンマンチェスターユナイテッドで33試合に出場し、2得点を挙げたパク・チソンの存在感は圧倒的と言うほかなく、彼の姿がスタジアムのスクリーンに映し出される度に、女性の歓声が沸き起こる。 
例えて言うならば、それは人気アイドルグループに送られる歓声に近いものがあった。 

見せ場の直接FK
試合はキックオフと共に韓国ペースで進み、ボランチのキム・ナミルとイ・ホは落ち着いたボール回しを見せる。特に両サイドからの効果的な攻め上がりは、日本代表よりも息が合っていた。 

一方、ドイツブンデスリーガのHSVに所属するイランのマハダビキアもサイドプレーヤーとしてのキレは世界屈指で、前半12分にはカウンターから右サイドを駆け上がり、絶妙のクロスをあげてチャンスを演出する。 

左サイドに流れることの多いパク・チソンと右サイドを縦横無尽に駆け巡るマハダビキアとのマッチアップがこの試合最大の見所になるはずだったが、前半12分の右サイドの突破以降、マハダビキアは試合終了まで眠り続けた。 

逆に言えば、それだけパク・チソンの出来が良すぎたとも言える。イランは前半開始からパク・チソンに右サイドバックとボランチ1人をマークにつけていたが、場面によってはマハダビキアも対応に追われ、イラン最大の生命線である右サイドからの攻撃はほぼ皆無に等しかった。

おまけに韓国の左サイドバックはイ・ヨンピョで、オランダ・PSVの元同僚パク・チソンとの連携はまさにパーフェクトとしか言いようがない出来だった。 

そして韓国ペースのまま、前半44分、ソル・ギヒョンがFKからヘディングゴールを挙げ、韓国が1-0とリードして前半を終える。 
ゴール後の歓喜!

イランにしてみれば、前半は全くいいところがなかったわけだが、相手からのファウルに苛立ちを見せていたカリミが後半は何かやってくれそうな気がしてならなかった。 

そんな私の予想と期待が相まってか、前半はFWのポジションを取っていたカリミが後半はポジションを中盤に移し、ピッチを自由に駆け回りだす。 
そして55分にはキックフェイントから鋭いキラーパスをFWに通し、意地とプライドが彼のプレーから感じ取れるようになる。 

一方の韓国も、前半は1トップであまり見せ場を作れなかったチョ・ジェジンが77分にDFの裏をつくロングボールに反応し、左足で低空ボレーシュートを放つ。がしかし、このシュートはGKの好セーブで得点には至らず。 

その後、84分にはイランが良い形でパスを回し、最後は中盤の24番の選手がシュートを打つも、ゴールマウスの枠の上に外れてしまう。 

そして、両チームとも決定的なチャンスがないまま、ついに運命のロスタイムを迎える。

イランDFがハシェミアンのスピードを生かして、韓国ディフェンスの裏にロングボールを放り込む。 
この日先発出場を果たした23歳のGKキム・ヨングヮンはこのロングボールに反応して前に飛び出すが、DFキム・サンシクが対応するとみると、その場で足を止め、ゴールマウスを空けてしまう。 

確かに、通常であれば何の問題もないのだが、キム・サンシクの思いもがけないプレーでキム・ヨングヮンも失点の責任を負わされることになる。 

裏に抜けたロングボールをトラップしたキム・サンシクは何を思ったか、サイドライン側にボールをキープしようとワンタッチ、ツータッチと軽くドリブルしてしまう。 
その動きを見透かしていたかのように、イランFWのハシェミアンは体をうまく入れると同時に、キム・サンシクからボールを奪う。 

さらに、ボールを奪ったのとほぼ同時に振り向いたハシェミアンはゴールを前にしてループシュートを放つ。 
華麗なループシュートは為す術なく立ちつくしたGKキム・ヨングヮンの頭を超え、ロスタイム93分、ついに韓国のゴールネットを揺らした。
歓喜の瞬間!

1-1でタイムアップ。
苛立ちを抱えながらも粘り続けた、カリミが報われた瞬間でもあった。 

メインスタンドの前方、100人にも満たないイランサポーターは総立ちで歓声を上げ、わずか4,5旗しかないイランの国旗は小ぶりながらも激しくはためく。 
20061227-05.jpg
ドイツワールドカップでの屈辱を晴らすにふさわしいハシェミアンの執念のゴールは第3国人の私の心も激しく揺さぶった。そしてそのゴールはアジアカップ予選ラウンドで、もたついていたイランを救う奇跡のゴールでもあった。

20061227-06.jpg
試合終了後、うだる暑さの中で見上げた韓国の月は、半分欠けていた。




posted by footballneedsyou |10:21 | アウェーの旅 | コメント(0) | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2006年12月26日

フットボールの醍醐味:それはアウェーの旅に出ること【ソウル篇】

まさかの光景が目の前には広がっていた。 
クリアミスを犯したDFはピッチに膝をつき、得点を決めたFWはサポーターに向かって拳を高々と突き上げる-。 

ここまでの話なら、ごくありふれた光景である。
しかし、ミスを犯したのはホームチームのDFで、得点を決めたのはアウェーチームのFWだった。と言えば、「まさか」の光景に値するだろうか。
 
いやいや、歴史に残る「ドーハの悲劇」を経験した私達には「まさか」というには、まだまだ物足りない。
伝統のいでたちで入場
「まさか」と思わせる理由はここからである。 2006ドイツワールドカップ初戦のトーゴ戦では憎たらしいほどのしたたかさ(ボール回し)で決勝点を守りきった韓国だが、3ヵ月後のホーム・ソウルで行われたアジアカップ予選のイラン戦では、ロスタイム93分に痛恨の同点ゴールを喫してしまったのである。 スタジアムの95%を真っ赤に染めた韓国サポーターに対し、イランサポーターはメインスタジアムのわずか一角100人にも満たない状況だった。 2006年9月2日、ソウル・ワールドカップスタジアムで行われたアジアカップ予選、韓国対イラン戦はアジアNo1を決めるに相応しい内容となった。
圧巻のレッドデビルズ
つづく


posted by footballneedsyou |18:21 | アウェーの旅 | コメント(0) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2006年12月22日

6年ぶりの再会と涙 ~後編~

あれから、6年-。 

2006年6月22日。 
僕は背番号8の英雄とドイツ・ドルトムントで再会を果たした。 
試合前の整列
彼は本来の背番号7のユニフォームを身にまとい、チームの精神的支柱として
ピッチを所狭しと駆け回っていた。 
えんじのユニフォームはブルーに変わり、ポジションはトップ下からボランチへと
変わっていた。 

6年の月日を経て、あの日ドルトムントのスタジアムにいたのはナカタではなく中田英寿だった。 
20061222-01.JPG

4-1。 
試合結果について、今さら述べること何もない。 

ただ、前半34分に玉田がゴールを決めてからの11分間はこの上なく幸せだった。 
一方で、後半14分にブラジルに3点目を決められた時、中田の気持ちは半分きれてしまったかのようで、悲しみがこみ上げてきた。

全てが終わった今、僕とナカタと中田英寿には3つの11分間の思い出がある。 

'ローマ・オリンピコでの興奮と歓喜の11分間。 
ドルトムントでブラジル相手にリードを奪った、至福の11分間。 
そして、ブラジル戦終了後、ピッチで泣き崩れた11分間。'

左上隅にご注目
喜び、幸せ、悲しみの11分-。 
一人の日本人サポーターが感じた3つの11分。 
ナカタは、いや中田英寿は、僕が感じたそれぞれの11分をどう振り返るだろうか。

いつか、どこかで彼に会える日まで、その答えはわからない。 

そして、その日が来るまで僕は中田英寿というサッカー選手と同じ時代を生き、巡り会えたことを感謝し続けずにはいられない。 

その日まで、ありがとう、「中田英寿」。 
さようなら、「ナカタ」。 




posted by footballneedsyou |11:55 | 中田英寿 | コメント(2) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2006年12月21日

6年ぶりの再会と涙 ~中編~

ローマに着いた翌日、僕はついに満員のオリンピコでナカタのプレーを目にすることとなった。
チケット

開幕から好調を維持していた2000シーズンのASローマは王子トッティを中心にバティストゥータ、デルベッキオといった攻撃陣がうまく機能していた。 

この日のナカタはベンチスタートではあったが、先日のUEFAカップ戦ではフル出場の上に1ゴールを決めており、試合前の練習を見る限り、コンディションは上向いているのが僕にも感じ取れた。 

20061221-07.JPG
キックオフまでまだ時間があるにも関わらず、スタジアムの熱気はさすが本場セリエA。 
試合前から発炎筒は焚かれ、メンバー発表のアナウンスがながれるとサポーター達の大拍手が沸き起こる。 
僕は控えで名前を呼ばれたナカタの出場に祈りをささげ、キックオフの時を待った。 

午後3時、ローマVSレッジーナ戦のキックオフの笛が鳴る-。 
ローマは序盤から試合を優位に進め、労せずしてトッティのPKで先制点をあげる。 

ハーフタイムの中田
1点のリードではナカタの出番はないかと思われたが、ハーフタイムのナカタの表情は明るく、2日前のカップ戦フル出場の疲れはないように見えた。 


そして、ハーフタイムを挟んで迎えた後半34分。 
ついにナカタは背番号8に袖を通して、ピッチに姿を現した。 
20061221-08.JPG
12分間という限られた出場時間だったが、デルベッキオへのクロスは絶妙で、彼がヘディングの名手であれば間違いなくゴールを陥れただろうというシーンもあった。
試合はナカタの投入でリズムを良くしたローマが、モンテッラの見事なボレーシュートで追加点をあげ、2-1で勝利を収めた。 

試合終了後、気を良くした僕は地元ロマニスタと「ナカタ!」の大合唱でスタジアムを後にした。 
陽気な彼らが、一人の日本人プレーヤーの活躍を認め、共に喜んでくれたことが何よりもうれしかった。 

7ヵ月後の2001年6月18日。
2000-2001シーズン最終節のこの日、ASローマはホームでパルマを3-1で降し、18年ぶり3回目のスクデットを獲得した。



posted by footballneedsyou |11:30 | 中田英寿 | コメント(0) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2006年12月20日

6年ぶりの再会と涙 ~前編~

-ナカタが中田英寿になった日-

男は泣いていた。
6年前ASローマでスクデットを獲得した時でさえ涙を見せなかった男が、
6月22日ドルトムントのピッチ中央で涙した。 

これはそんな一人の日本人ジョカトーレと僕の物語。 

BA548便-。 
2000年11月11日、当時イギリスに留学していた僕はナカタの試合を見るためにロンドン・ヒースロー空港を発って、ローマに向かっていた。 

イギリスに留学して6ヶ月。
僕は外国語を身につけるということが、底なし沼に足を踏みいれていくような気がし始めていて、正直、滅入った気持ちを抱えていた。 

そんな中、異国で、しかも世界最高峰リーグ・セリエAで活躍しているナカタの奮闘ぶりは、僕の鬱憤を晴らし、同時に強く励ましてくれるものだった。 

ペルージャでの活躍が認められて、ASローマに移籍していたナカタのイタリアでの知名度は高く、空港や街中でローマの人たちは僕に向かって「ナカター!」と声をかけてくる。 

イギリスではコートが必要な11月中旬だったが、ローマの上着一枚をはおるだけの温暖さに心が弾む。生暖かい空気が僕の興奮を駆きたてる。

そして僕はローマ、レオナルド・ダヴィンチ空港に到着した。 


ローマ到着



posted by footballneedsyou |17:19 | 中田英寿 | コメント(0) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加