2011年05月08日
GWの数日間、実家のある茨城県鹿嶋市へ帰省した。我が家のGWの定番はホーム観戦で、毎年、それを楽しみに帰省していたが、今年は東日本大震災で損壊したカシマスタジアムが今も使用できない状況にあり、家族全員でのホーム観戦は夏休みへお預けとなった。東日本沿岸部では、大震災から50日余りが過ぎた今もなお余震が続いており、うちの娘・息子が多少神経質になっていたが、東庄(鹿島アントラーズのフレンドリータウン千葉県東庄町)のイチゴ狩りの話をすると大喜び・・・とまではいかなかったが、ようやく行く気になってくれた。そんなわけで我が家は東関道のディズニーランド渋滞を抜けて一路、鹿嶋へ向かった。
実家に着いて軽い昼食をとり、カシマスタジアムへ向かった。大震災後、クラブハウスへは何度か訪れたものの、カシマスタジアムへ足を運ぶのは今回が初めてだ。鹿嶋の丘にそびえ立つ城塞は堂々たる風貌をみせていたが、スタジアム内では現在、応急工事が進められている。今もなおホーム代替を余儀なくされている赤鹿軍団。だが、聖地が深紅で埋め尽くされる日はそう遠くない。試合開始前に食べるモツ煮込みやハム焼き、メロン丸ごとフローズンソーダなど思い出したらお腹が鳴りそうだ。それはさておき、現在修復中のスタジアムでもアントラーズのミュージアム見学は可能だ。損壊に断水と被災したカシマスタジアムだが、ミュージアムに大きな被害はなかったようだ。「サポーターとともに作り上げたミュージアムですから。また遊びに来てください」とツアー案内人役のいつものおじさん。ぜひお越しいただきたい。
鹿島アントラーズのホームタウン鹿行地区。大震災後、鹿島のゴール裏では「震災なんかに負けてらんねーべ。今こそ鹿行魂」と書かれたTシャツを着て応援するサポーターがちらほら見えます。地域再建へ向けた素晴らしいフレーズで、私もぜひ愛着したいと思っていました。が、一部のサポーターの皆さんで製作したオリジナルTシャツと思い込み、市販されているとは全く知りませんでした。早速、車を走らせ、すぎやま工房さん(茨城県潮来市永山)でゲット! 私も「鹿行魂」の一員になることができました。(笑)
今回のメインイベント、千葉県東庄町でのイチゴ狩り。この日は春らしい陽気で、ビニールハウスの室温も上がり、汗かきながらのイチゴ狩りでした。東庄町は鹿島アントラーズのフレンドリータウンとして、毎年この時期、新鮮な野菜や、もぎたてのイチゴをカシマスタジアムに届けてくれる。今年は大震災の影響でそれは叶わなかったが、来年は東庄町のイチゴとともにチームを盛り上げていきたい。
東日本大震災により、鹿島神宮の参道入り口にあった高さ約10メートル、重さ約100トンの石造り大鳥居が根元から折れて倒壊した。ほかにも、約60基の石灯ろうが倒壊したようだが、国宝や重要文化財が損傷するという最悪の事態は免れた。
現在は大鳥居の柱があった場所に砂を盛り、しめ縄を飾るなどして、しるし代わりにしていた。すでに復興に向けた取り組みが成されていることと思いますが、一日も早くかつての堂々としたこの地域の守り神として鎮座されんことをお祈り申し上げます。
万葉集に、鹿島神宮の要石についてこう詠われている。「揺ぐともよもや抜けじの要石、鹿島の神のあらん限りは」と。昔から、鹿島地方は地震が多く、これは地中の大鯰が暴れていると信じられており、鹿島大明神が要石で大鯰の頭部を抑え付けた。そのため、この地方では地震は起きても大きな被害はないとされている。地震の抑止信仰に過ぎないかもしれないが、この日は要石に願をかけてきました。
流通経済大学との練習試合には多くの鹿島サポーターで埋まり、立ち見が出るほどだった。結果はカルロン、イゴールがそれぞれ2ゴールを決めるなど、6-1で勝利。豊富な運動量で献身的にピッチを走り回るイゴールとフェリペ、左サイドを駆け上がってチャンスをつくる柴崎岳が印象的だった。また、小笠原満男の後継者候補ともいわれる増田誓志が攻守の起点となり、好調ぶりを発揮していた。
他にも道の駅めぐりをしてみたり、神栖市と稲敷市にあるショッピングセンターに出かけたり、そう鹿島神宮の森林浴も心地よかった。食事にしても地元の魚介類や、とれたての新鮮な野菜や果物、地元のお米、どれをとっても実に美味しい。この地域はまさに「食の宝庫」だ。しかし、風評被害は今もなお続いており、漁業、農業を営む方たちは苦難を強いられている。そんな中でも地元の農産物が並ぶ道の駅では多くの人で賑わいをみせ、地震発生当初に比べると幾らか活気が戻ってきたように思えた。
復興への道のりは決して平坦ではない。だが、この街には奇跡のJ参入を果たしたプロサッカークラブがあり、その鹿島アントラーズは幾度となく神秘的なパワーを放ち、多くのタイトルを手にしてきた。奇跡の象徴ともいえる鹿島アントラーズ。だが、その原動力は鹿島アントラーズのホームタウンに住むすべての方々である。鹿行地区の人たちが持つその強靭な精神力と、優しさをいつまでも失わなければまた奇跡は起きる。そう信じている。「震災なんかに負けてらんねーべ。今こそ鹿行魂」・・・本当にいい響きだ。
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/323
鹿の国散歩と、鹿行魂
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2009年07月21日
麻生首相は21日午前、衆院解散を閣議決定し、午後の衆院本会議で解散に踏み切る。その後の臨時閣議で8月18日公示、同月30日投開票の衆院選日程を決定。自民、民主両党の政権をかけた選挙戦がスタートする。2007年参院選で民主党が参院第1党になって以来、衆参のねじれ現象が起こる事で国会の機能不全が指摘されてきた。戦後初となる8月衆院選で、それが解消できるか否かは開票日まで判らぬが、両2大政党が有権者に政権選択を問う戦いになるのは言うまでもない。「政権選択選挙」。与野党はすでに選挙モードに入っているが、政局の風の行方を見守っていきたい。
さて、国政の話はおいといて、ここで紹介するのは県政を担う一人の政治家、飯泉嘉門(いいずみ・かもん)徳島県知事である。2003年4月に初当選し、現在は二期目迎えている。飯泉氏は当時、選挙公約に「徳島にJリーグ・クラブを作る」という一項目を掲げた。私は投開票日に徳島を訪れ、飯泉氏の初当選を肌で感じる事ができた。当確が決まると選対本部は歓喜に沸き、若い青年達が飯泉氏を取り囲む。旗を振り、チームコール、否、「ドン!ドン!ドドドン!いいずみ・かもん!」をコールし、それはまるでサッカースタジアムでの応援風景を見ているようだった。当選後は公約通り2004年9月8日にプロサッカークラブ「徳島ヴォルティス」を設立し、同年12月6日にJ2参入が承認され、四国初のJリーグ・クラブが誕生する。
就任7年目を迎える飯泉知事が今、どういった県政を目指し、取り組んでいるのか分からない。でも、少なくとも当時は若者の関心を上手く選挙公約に結びつけたなあという印象だった。もちろん、プロサッカークラブ誘致は飯泉氏の掲げる選挙公約の一つにしかすぎず、暮らし・産業・地域社会など他にも「オンリーワン徳島行動計画」と呼ばれる基本政策が掲げられていた。誇りと豊かさを実感できる地元づくりを目指す一方で、飯泉県政に対する批判も少なくないだろう。しかし、四国初のJクラブ・徳島ヴォルティスが、地域の夢、地域の象徴となれば、とても素晴らしい事だと思う。紆余曲折しながらも、地域の後押しや母体となる大塚製薬サッカー部、徳島サッカー協会、そこに県知事が加わってヴォルティスが誕生した。すべてのJクラブは、ホームタウンやサポーターの後押しが不可欠なのは言うまでもない。しかし、サッカークラブやホームタウンをさらに発展させるには、日本サッカー協会やJリーグ・チェアマンではなく、地元政治家の後押しが最も大きなカギと言えるのではないだろうか。
・・・茨城2区。ここは鹿島アントラーズのホームタウンの小選挙区にあたる(※他にも水戸市の一部、笠間市の一部、小美玉市の一部、東茨城郡などが行政区域)。保守王国の茨城選挙区はこの選挙区でも例外ではなく、保守系議員が毎回、大差の当選を果たしている。個人的な評価は差し控えるが、2009年衆院選で、自民党は党としてのマニフェストだけでなく、個別マニフェスト、またはグループ・マニフェストを掲げて選挙戦に挑もうとする議員もみられる。自民党の例を挙げてみたが、茨城2区から立候補する候補者達は、この選挙区に鹿島アントラーズがある事を忘れないで欲しいと思っている。当時は「陸の孤島」と呼ばれていた田舎町に、高度経済成長期に国家プロジェクトによる鹿島灘沿岸地域の総合開発(鹿島臨海工業地帯)が推進され、今やプロサッカークラブが誕生し、さらに国内最多タイトルを獲得するまでのチームに成長した。茨城2区の候補者達に期待するのは、県内や隣接地域のみならず、多くの人達を鹿嶋に迎え入れる施策だ。カシマスタジアムに毎試合、2万人以上のファンやサポーターが訪れれば、選手達の後押しはもちろん、地域への経済効果も得る事ができる。鹿島アントラーズはプロサッカークラブだが、徒のプロサッカークラブではない。地域とともに歩み、地域を最重要視するクラブなのである。候補者達のマニフェストは8月18日の公示後に拝見させて頂くが、個人的にはその辺を選挙公約の一つに掲げて欲しいと期待している。まあ選挙公約は“公約”である事が大前提だが・・・
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/187
Jクラブ設立を選挙公約に掲げた政治家
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(5) |
トラックバック(0)
2008年11月05日
試合開始前、サポーターの大きな期待がスタジアムを包む。選手の怪我の状態はどうか、主審は誰か、スタメンは、フォーメーションは、さまざまな想いが交錯する選手紹介。スタジアムDJダニー石尾氏のシャウトと共に気勢を揚げるゴール裏。サポーターとチームが結束する瞬間だ。スタジアムは良い緊張に包まれる。もうすぐキックオフ。両チーム選手入場。さあ共に戦おう!俺達がついている。ゴール裏が歓声で沸き上がる。サポーターがマフラーを掲げてチャントを大合唱する時、スタジアムに膨大なエネルギーが生まれる。
円陣を組んだ両チームの選手達が美しい色彩のピッチに飛散し、監督は決戦前の最後の笑みを浮かべる。主審の笛。試合は始まった。選手達はボールを繋いでゴールを目指し、監督は序盤の立ち上がり、選手の動き、芝の状態などに目を凝らす。ピッチを見守るゴール裏の想いは「声」。チーム愛に満ち溢れたサポーターは、忠誠心を声に変えて選手達にエネルギーを送る。選手達はそれをパワーに変えて勝利をプレゼントしようと懸命になる。スタンドとピッチの一体感は、スタジアム観戦の醍醐味であり、サッカーが齎した芸術の一つと言えるだろう。
「俺達の応援で勝利を呼び込もう」とするサポーター。一方、「サポーターの声援に応えたい」と奮起する選手達。しかし、何をやっても歯車が合わない時がある。選手達の動きにキレがなく、凡ミスが目立ち、シュートは同極の磁石のようにゴールマウスから嫌われ、相手のゴールが決まってしまう。サポーターはその瞬間、必死にチャントを叫ぶ一方で、溜め息と絶望感が漂い始める。それでも選手達は必死に走り回る。しかし、どうしてもボールが言う事を聞いてくれない。長丁場のシーズンを戦っていると、一度や二度、そういう時期が訪れる。
サッカーは幸福と絶望の感情の波が激しくぶつかり合うスポーツだ。サポーターであれば尚更、その波は高いだろう。私にも私のクラブが在り、妻の機嫌を伺いながら可能な限りスタジアムを訪れ、声援を送るようにしている。でも、そんな私も豊かなビール腹に支えられた立派な中年おじさんになった。90分、キーの高い鹿島のチャントを唄い続ければ、翌日は喉が嗄れて仕事にならない。とはいえ、スタンドからピッチにエネルギーを送り、それに応えてくれた瞬間は幸福至極。沸き上がる歓喜は、人間の持つ本能の根幹に触れる事ができる。
・・・私が応援するディープレッドのチームは、最近、元気がない。でも、そんな時だからこそ、力を発揮するのが「サポーターの膨大なエネルギー」ではないだろうか。選手達を後押しする大声援があれば、魂を削ってでも、心臓が破裂しそうになってでも、サポーターに勝利をプレゼントしようと奮起してくれるに違いない。私はそれを信じて、エネルギーを、魂を、喉が嗄れても送り続けたいと思う。選手達を鼓舞する大声援で、赤鹿を勝利へと導くのだ。
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/122
膨大なエネルギー
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(5) |
トラックバック(0)
2008年06月03日
すでに1週間が経ってしまったが、5月25日(日)にTBSで放送された「情熱大陸extra」の感想を少し書いてみようかな、と。今回は500回記念。「ネクスト・ジェネレーションの挑戦」と題して、世界で活躍する9人の若者達が主人公だった。U-25世代を中心に、料理人・画家・酪農家・ジャズピアニスト・写真家・IT・アーティスト・風の職人など、さまざまな若者達の挑戦と未来を描いていたが、ここでは南米で活躍する一人のサッカー選手にスポットを当ててみようと思う。
ペルー1部リーグ・シエンシアーノに所属する澤昌克については、以前、「鹿島『ペルーの宝』に正式オファー」と題してエントリーした事があるが、今回、私が良く観る番組で採り上げられた事は素直に嬉しい。「待ってろ未来!」。タイトルの通り、未来のストライカーとして母国の為に是非、活躍して欲しいと願う。さて、番組の内容だが、無名だった高校時代を卒業して南米アルゼンチンのクラブへサッカー留学。そして、プロ契約したペルーでの活躍と澤の人間模様を描いたものだった。インタビューについては、番組の時間の関係上、良いところだけを編集してオン・エアーしていたが、できれば全てを聞いてみたかった。関心のある選手なだけにあっという間に終わってしまった。これが、私の我侭な感想だ。
澤昌克(さわ・まさかつ)。1983年生まれの25歳。茨城県出身。今でも知る人は数少なく、当時は全くの無名選手だった。Jリーグを夢見るも叶わず、高校卒業後、新たに始めたサッカー人生は、アルゼンチン・リバープレートの5軍。しかし、サッカー王国アルゼンチン。5軍とはいえ、東洋人の澤は全く相手にされず、パスが回ってこない事も何度かあったという。2003年には大怪我も経験。挫折の繰り返しだったが、澤は諦める事無く、自分の信念を貫き通す。現在、澤の所属するシエンシアーノは、アンデス高原地帯を中心に栄え、かつてはアンデス文明史上最大の帝国を築いたインカの首都、クスコをホームタウンとするチームだ。標高3500mに在るクスコ。澤はその薄い酸素の中でも90分走れる能力を持ち、適応力に優れた選手である。日本の裏側に在る南米で、ストレス無く順応できるのは一つの才能だと、私は思う。澤の成功の鍵は、強靭なスタミナと適応力、そして気魄。これに尽きるような気がした。
私も十数年前、仕事でペルーのクスコへ訪れた事がある。しかし、街で売られている地の食べ物は、私の口には余り合わず、酸素が薄いクスコでは、長く風呂に浸かる事を注意された記憶がある。数ヶ月程の滞在なら未だしも、何年もそこに住み、時に孤独と戦いながらプロとしてサッカーを続けてきた、澤。情熱大陸で観た輝いた眼・笑顔。さらに、クスコ住民からも愛されていた人気者。そこに至るには、適応力と気魄が無ければ成し得る事はできなかった。また、富士山九合目と同様に位置するクスコ。この薄い気圧の中で鍛えられた心臓は、必ずや日本サッカーのチカラとなってくれるだろう。スピードとスタミナを兼ね揃えた澤昌克。クラブ・代表と共に、母国での活躍を期待する。最後に、南米のサッカーに挑戦し続けた澤の信念ともいえる言葉。「楽しみながら頑張っていれば人生なんとかなる」。簡単なようで難しい。
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/75
「待ってろ未来!」澤 昌克
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(6) |
トラックバック(0)
2008年05月02日
「サッカー王国といえば」との問いに、「静岡」と答える人が最も多いだろう。私もその一人である。高校サッカーでは、国体・少年男子優勝が22回と2位の埼玉の13回を大きく引き離し、高校選手権や全国高校総体(インターハイ)でも藤枝東や清水商、清水東・静岡学園・東海大一・浜名が全国優勝している。日本代表に選ばれた選手数も他の追随を許さず、2002年日韓W杯では、23人の代表選手の内、11人が静岡勢で占めた。
Jリーグ公式サイトによると、静岡県生まれのJ1登録選手は58人(2008年4月18日現在)と全国一で、J1の1割以上だ。2位は東京の53人で以下千葉40人、埼玉37人、神奈川31人、大阪府31人と、首都圏が上位を独占しているようだ。ただ、J2まで含めた全Jリーガー数では東京が93人でトップ、静岡は87人で2位になる。静岡県出身のJリーガーも挙げれば切が無い。横浜FCの三浦和良、ジュビロ磐田の中山雅史・川口能活・名波浩や浦和レッズの高原直泰・鈴木啓太・山田暢久、清水エスパルスの伊東輝悦・市川大祐・西沢明訓、東京ヴェルディの服部年宏など、本当に多くの選手をJリーグに輩出している。鹿島アントラーズに於いても、大岩剛・内田篤人・笠井健太などが静岡出身だ。
一般的に、日本プロサッカーリーグができる前の人気スポーツは野球であり、公園ではキャッチボールをする親子を多く見受けた中、静岡では当時からサッカーボールを使って遊ぶ子供達が多かったという。余談になるが、今でも愛されているサッカー漫画「キャプテン翼」の主人公、大空翼も少年時代は静岡が舞台だった。「ボールは友達」という言葉はあまりにも有名で、今となっては本当に懐かしく想う。話は戻って、サッカー王国の背景には施設が整い、子供の頃からサッカーに馴染める環境があった。現在、静岡県内の小学生登録者数は1万7279人で、東京都の3万2466人に次いで2位のようだ。人口1000人当たりの競技人口は全国一になるという。
静岡は今も昔も変わる事無くサッカー王国として栄えているが、それが言われるようになったのは、藤枝東・清水商・清水東・静岡学園・東海大一などが高校サッカーで全国優勝した事が大きい。私も当時、憧れの高校チームとして冬の選手権はテレビに釘付けだった。しかし昔と較べ、今はJリーグができ、サッカーに馴染む環境も昔とは全く違うように思う。それぞれ各Jクラブも地域に根付く為の努力を弛まず行い、サッカークラブと街が共に歩もうとしている。Jリーグが存在しなかった数十年前では有り得ない話だ。もしかしたら、静岡は王国の元祖となり、新たなサッカー王国が誕生するのかもしれない。その可能性はJ2のクラブも含め、全ての地域にあると思う。そして、その可能性への挑戦こそがJリーグの更なる発展に繋がるのかもしれない。
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/50
サッカー王国
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(4) |
トラックバック(0)
2008年02月07日
イタリアでいうプロビンチャは、日本には存在しません。一部のスポーツジャーナリストらが、本質的な所を省いて悪戯にJリーグクラブに当てはめているだけであります。どうでも良い格付けです。私たちは、そういった序列や格付けなど気にせず、純粋にサッカーというスポーツを楽しむだけです。また、『プロビンチャ』に対して誤解を招くような文章を書くジャーナリスト様。サッカーの先進国である欧州から何かを学び、そして伝えるのなら、『欧州で使われているサッカー用語』ではなく、『なぜ、サッカーは世界に愛されるスポーツになったのか』という原点を学び、伝えた方が有益だと思います。
サッカーは、人種や宗教といった差別がありません。スタジアムに集結する、すべての人達が皆平等であります。これが、世界のスポーツになった一つの理由です。日本では、人種や宗教といったことは、現実的にあまり馴染みが無いかもしれません。しかし、差別が無く皆平等だ、ということは、本当に素晴らしいことであります。サッカーをプレーすることや応援することに地位や名誉など全く関係ないですからね。
また、ビッグクラブやプロビンチャといった格付け、序列を作るよりも、全てのクラブが『おらがチーム』であった方が、Jリーグは熱く、そして日本サッカー文化を更に前に進めることができると思っています。高度な情報社会で時代の近代化が進んでも、サッカーの歴史を創るのはピッチ上の選手・チームであり、文化を創るのはスタジアムに集まる私達であります。何でも、序列や格付けといった、型にはめ込もうとする情報社会の『見えない魔力』に流されてはいけません。
Jリーグを振り返りましょう。唐突ですが、今からJリーグが開幕した年のサッカーファンに『今のJリーグ』を伝えに行きます。ドラえもんからタイムマシンでも借りましょう。1993年は、Jリーグが開幕したばかりですので、数年経った1995年か1996年辺りにタイムスリップすることにします。こんなことは現実的に有り得ませんが、一先ずタイムマシンに乗って過去に到着しました。スタジアムでは、チアフォーンが鳴り響いています。懐かしいですね。私は、そんな当時のサッカーファンに伝えることは二つあります。
「J1・J2と日本のプロサッカーリーグも2部制になり、あのヴェルディがJ2に降格します。2年の月日を経て、再び2008年にJ1へ昇格するのです。クラブも、東京ヴェルディと名前を変えました」。
「Jリーグのお荷物と言われていた浦和レッズ。あのレッズが、2007年にアジア王者になりました。もちろん、Jリーグ王者も経験し、今や強豪クラブです」。
注目すべきは、15年という歴史で、強豪クラブと弱小クラブが逆転したことです。この月日が、長いか短いかは、皆様のご判断にお任せしますが、いずれにしても、当時のサッカーファンから見れば有り得ないようなことが、15年という月日で現実に起きたのです。浦和レッズは、まさに、これからなので分かりませんが、ヴェルディは当時の強さを維持することができませんでした。これに限らず、当時からすれば有り得ないと思うようなことが、今後再び起こるかもしれません。
今年で16年目を迎えるJリーグ。人生で例えれば、大人の手前。やっと思春期に入った訳ですから、まだまだこれからです。Jリーグ各クラブのアイデンティティー確立も、もう少し時間が必要だと思います。
最後に、『おらがチーム』が地域に根ざし更に発展していけば、『日本独自のサッカー文化』が生まれるかもしれません。私は、そう期待します。
(完)
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/20
日本における「プロビンチャ」という偏見(後編)
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年02月05日
プロビンチャとは、実際にどういったクラブを差すのか幾つか挙げてみました。
1.地方に存在する中小クラブ
2.ビッグクラブと比べて資金力に劣る
3.ビッグクラブと比べて戦力的に劣る
4.若手選手の育成
5.ピークを過ぎた選手の受け皿
6.フロントもサポーターも、自らのクラブが置かれている立場を弁えている
以上に該当するのが、イタリア・プロビンチャであります。
日本において、一般的にプロビンチャとは。
1.地方のクラブ
2.資金力が乏しい
上記に挙げた二つが、それに該当すると思います。
私が注目すべきは、4.若手の育成であります。
有望な若手を育成し、ビッグクラブへ輩出する。もちろん、輩出ばかりしていると、自らのクラブが戦力ダウンしてしまうので、上手くバランスを取りながら、といった感じです。バランスの失敗は、降格を意味する訳ですから、フロントの采配がクラブの戦力を大きく左右します。まさに腕の見せ所と言えましょう。毎シーズン、順位的には、決して上位に食い込むこと無く、中位、または下位でシーズンを終えることが多いプロビンチャですが、長い歴史を持つ、イタリア・セリエAで存在・存続していくクラブ経営力は、やはりプロであります。サラリーマン的に言うと、『中小企業の優秀な経営陣』。と言った所でしょうか。私は、プロビンチャが存続していく為には、この若手育成こそが、何よりも大事であり、重要な肝であると考えます。
日本の場合はどうでしょうか。Jリーグの場合、育成された優秀な選手達は自国に治まらず、皆海外へと移籍して行きます。日本のJリーグより、さらに高いレベルのリーグで挑戦してみたいと思うのことは、ステップアップや経験として当然のことだと思いますし、歓迎すべきことです。例えば、中田英寿氏。いまさら説明する必要も無いと思いますが、日本のサッカー史に残る、素晴らしい選手でした。当時、中田英選手は、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に在籍し、自身の欧州への初挑戦は、イタリア・ペルージャでした。その際、中田英選手を獲得する為に、ペルージャが3億円の移籍金をベルマーレに支払ったと言われています。ペルージャで活躍した中田英選手は、その後、ローマからオファーが来ました。その時の移籍金は、10億円と言われています。つまり、ペルージャは、中田英選手を通して、7億円もの利益を得たことになります。ご存じの通り、ペルージャは、プロビンチャと呼ばれるクラブです。他にも、中村俊輔選手。イタリア・レッジーナから始まった欧州への挑戦は、その後、スコットランド・セルティックに移籍しました。セルティックが、ビッグクラブかどうかは、皆様のご判断にお任せしますが、一つ言えるのことは、スコットランドリーグのレベルは、Jリーグよりも上、ということです。他にも、鹿島・小笠原選手が在籍していた、イタリア・メッシーナ。京都・柳沢選手はイタリア・サンプドリアと。他にも沢山の日本人選手が欧州への挑戦をしてきましたし、今後も、この挑戦は続きます。
注目すべきは、日本人選手が海外に移籍するクラブ。以外とプロビンチャへの移籍が多いということです。イタリア・プロビンチャは、自らクラブ存続の為に、日本人選手を一つのマーケットと考え確実な利益をもたらす。経営戦略と戦力維持。プロビンチャと呼ばれるクラブは、『地方のクラブ』、『資金力が乏しい』といったことだけで無く、『若手育成』、『着眼点』、『クラブ経営』など、日本のJリーグクラブは、欧州のビッグクラブから学ぶことよりも、このプロビンチャから学ぶことの方が多いのでは、と思いました。プロビンチャと呼ばれるクラブのサポーター達が納得して応援するのも分かる気がします。やはり、プロビンチャとは、歴史あるリーグで生まれたクラブであり、しっかりとした基盤が構築されているのです。また、プロビンチャとビッグクラブは提携関係にある、と言うと誤解を招きやすいのですが、何と言いますか、リーグの歴史を築いていく中で、お互い無くてはならない存在だったのですね。
今、日本メディアが伝える、Jリーグクラブ関連の報道は、ビッグクラブもプロビンチャも、すべて日本版です。言葉の持つ意味。欧州で使われている言葉を、そのまま日本に持ってきても、使い方を誤ると、時に誤解を与え、言葉自体が一人歩きしてしまいます。高度な情報社会だからこそ、各媒体の持つ影響力は多大にあります。
もう一つ。大まかにですが、歴史教科書に書かれていること。それは、権力と闘ってきた民衆の物語です。歴史を前に進めたのは民衆です。同様に、日本サッカーの歴史文化の創造は、権力でも無く、メディアでも無い。私達、サッカーを愛する全ての日本人にあるのだと思います。
(最終章・後編に続く)
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/21
日本における「プロビンチャ」という偏見(中編)
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年02月03日
プロビンチャには明確な目標と、プロビンチャでしか果たし得ない『重要な役割』があるという。既に、ご存知の方もいると思いますが、改めて記します。プロビンチャとは、イタリアの地方に存在する中小プロサッカークラブのことです。大都市の有力クラブと比べると大抵は戦力的・資金的に劣りますが、それでも地元ではサポーターの支持を集めています。また、戦略上、安価で有望な若手を発掘し、活躍させて有力クラブチームに売るということもあるそうです。そのプロビンチャの目標ですが、タイトルを狙うことではありません。日本のJリーグで例えるならば、J2に降格しない、J1では一桁の順位が目標など、決して高望みはしません。それだけ、プロビンチャと呼ばれるクラブもサポーターも、自らのクラブが置かれている立場というのを弁えています。そして、プロビンチャの『重要な役割』。それは、若手選手の育成と、ピークを過ぎた選手の受け皿となることです。結果、若手とベテランでチーム編成をする場合が多く見受けられます。若い選手にとってプロヴィンチャは、ビッグクラブへのアピールとステップアップの場として存在し、クラブ側としては若く有能な選手は、資金調達の為の大事なモノ。という意味も含めて、持ちつ持たれつの関係を築いてきました。これが、プロヴィンチャの『重要な役割』であります。
私は、このプロビンチャに関して、皆様のブログやコラムなどを参考にさせて頂きました。日本に措きましても、格付けがもっと明確で鮮明になれば良いと思いますし、同時に各クラブのアイデンティティーの確立も必要だと思いました。しかし、結論から申しますと、プロビンチャとは、イタリア風であり、欧州風である。つまり、サッカーの先進国に言える言葉なのです。今、日本で一般的に使われているプロビンチャとは、単なる『地方のクラブ』だけで捉えられているように思います。この見方は、決して間違いではありません。しかし、本質的には違うのではと思いました。客観的に見ると、このプロビンチャといわれるクラブがあるからこそ、その国のサッカーの強さ・成長があるように思います。地方のクラブに対し、安易にプロビンチャという言葉を使って差別化を図ろうとする、日本の一部スポーツジャーナリスト達に異議を申し述べたいと思います。例えば、「あのクラブは田舎のプロビンチャだ」。これは、日本の場合だと見下した感じに受け取れるのではないでしょうか。他にも、『にわか』という言葉を美化して使い、日本独特の差別用語にしたのも、愛のないサッカーファンよって作られた言葉だと思います。以前、『サッカーを楽しむカタチ』と題して、にわかサッカーファンという言葉の差別に対して、批判するコラムを投稿したことがありますが、このプロビンチャも誤解された言葉として使われることの危惧。『にわかサッカーファン』という言葉は、日本が生んだ『差別用語』。そして、『プロビンチャ』とは、日本が誤解して使う『差別用語』。つまり、本来意味するプロビンチャではなく、相手を見下す為の差別用語として使われていることを危惧しています。サッカーの歴史・文化が成熟していない日本では、プロビンチャと呼べるクラブは、“まだ”存在しない、と私は思う。これもまた歴史が創るモノである。長い歴史を持つ、欧州のクラブやリーグ事情を参考にしても、やはり日本独自の文化創造が、これまた一番大事なことでは無いか。
(中編に続く)
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/22
日本における「プロビンチャ」という偏見(前編)
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年01月25日
■1863年10月26日、FA(=イングランド・フットボール協会)創立。
1927年、フットボールの試合が初めてラジオ中継される。カードは、アーセナル vs シェフィールド。1863年のFA創立だけを見ても本当に歴史を感じさせる年数だ。同年のFA創立時、日本は江戸時代で、薩英戦争(生麦事件に対し、英国が鹿児島湾を砲撃する)が勃発していた。こういう時代である。当時の情報源は、人からの口コミと新聞位ではなかろうか。当然の事だが、テレビもインターネットも無い時代である。興味深いのが、1927年にフットボールの試合が初めてラジオ中継された事である。フットボールというスポーツは、当時のイングランドにおいて、最高の娯楽であり、中小労働者の生甲斐であり、民衆の喜びであっただろう。初のラジオ中継も、一つのラジオを沢山の人達が囲み、耳を傾ける。リアルタイムで試合を実況する解説者。ゴールが決まると、大男達は“音の出る小さな箱”の前で大騒ぎ。興奮しすぎてビールがこぼれ、“音の出る小さな箱”はビール漬け。そんな光景が思い浮かぶ。そして大男達は、フットボールというスポーツに感動を覚える。ラジオ観戦だけでは物足らず、夢を求めてスタジアムへ足を運んだ。その大男達の行為こそ、イングランド・フットボール文化の始まりであった。後に、この大男達は、お爺さんになり、母国イングランドのフットボール愛は、子に孫に受け継がれて行く事になるのである。・・・「大男達」とは、架空の話でありますが、当時娯楽の少なかったイングランド人にとっては、フットボールが、明日への活力、希望、勇気になっていた事と思う。日本においては、プロ野球誕生時、夢や希望を求めて足を運んだ野球場の様に。私も当時の事は、話や写真でしか知る事ができないが、そこには満員で人が溢れる野球場があった。まさにドリームボックスである。
■これから歩む日本のJリーグ。
日本のサッカーは、これから先どういった道を歩んで行くのだろうか。今は、スタジアムに行かなくても、パソコンや携帯電話などを使って、スタメン発表からキックオフ、試合終了まで全てライブで知る事ができる。またテレビゲームも非常にリアルで、自分なりのドリームチームを編成してみたり、若手選手を育成したりと、サッカーの楽しみ方は多様になった。誤解を招かないように申し上げますが、私もパソコンや携帯電話などを利用して、試合速報を見ますし、テレビゲームで遊んだ事も有ります。実際にやってみると、時間を忘れて夢中になり、サッカーゲームも本当に楽しいですね。さてさて、話は戻りますが、イングランド・サッカー協会が設立した当時と比べ、文明の発達した現在は、サッカーへの価値観、または楽しみ方も多様になりました。非常に素晴らしい事だと思います。日本のJリーグがこれから“歩む道”は、イングランドが歩んできた道”とは違います。それは時代、社会背景が大きく異なるのが大きな要因です。いずれにせよ、日本のサッカー文化は発達した高度な社会の中で育つのです。
■原点は、日本もイングランドも一緒。
確かに、サッカーの楽しみ方は多様になり、今後もいろんな楽しみ方が増えるでしょう。楽しみ方が沢山ある、というのは本当に素晴らしい事です。しかし、本能から出る「声」と「歓喜」。そして、「臨場感」。スタジアムから湧いてくる独特の「気」。これもサッカーです。言うなれば「元祖」であります。“音の出る箱”では物足りなかったイングランドの大男達のように夢を求めてスタジアムへ。まだ、ピッチを目の前に観戦した事がない方、久しく観戦していない方、是非、足を運んでみては如何ですか?
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/26
夢を求めてスタジアムへ
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2008年01月11日
「にわかサッカーファン」。
サッカーを楽しむカタチは皆さまざまであるのに、この言葉はいつ頃から使われているのだろうか。この相手を見下したような言い方は、以前から良い言葉では無いと思っていました。同じサッカーファンを差別する「にわかサッカーファン」という言葉。私は、この言葉が使われなくなった時、日本のサッカー文化が発展途上から先進国へと変わる。こう思っています。
2002年のW杯日韓大会。
この大会は、サッカーのお祭りとして、日本でも非常に大きな盛り上がりを見せました。サッカーを知らない人でも、このお祭りを“雰囲気”として楽しんだ方もいるでしょう。いろいろな楽しみ方があるとはいえ、W杯のサッカー熱とその冷めようは、日本のサッカーレベルだけでなく、サッカー文化の途上な所も見る事ができました。私は、学生時代、そして社会人になってもサッカーを続けてきましたが、プレーするだけでなく、サッカーを“雰囲気”として楽しむ事も非常に大切な事だと思っています。
その、“雰囲気”から始まり虜になっていった身内のお婆さんの話を少し・・・。
生まれて初めて観戦したのは、鹿島アントラーズvs浦和レッズ。お互い熱狂サポーターで、スタジアムは真っ赤に染まる。ちなみに、そのお婆さん、ボールがゴールに入ると1点。知っているルールは、これだけです。また、このクラブで知っている選手は、鹿島は残念ながらゼロ、浦和は小野選手だけです。それも何となくという程度・・・。試合前の練習で、選手がピッチに入る。それまで静かだったスタジアムに響く、サポーターの大ブーイング。お婆さん、目が点になり苦笑い。試合が始まると、「ギャー!キャー!!」叫びまくり。しかし、サッカーだけを見るのではなく、サポーターの応援も気になって見ていました。後で聞くと、一体感に感動していた様です。試合の後、テレビで見るよりも迫力がある。また行きたいと言ってくれました。
今もサッカーのルールは、ボールがゴールに入ると1点。相変わらずではありますが、お婆さんも立派なサッカーファンだと思っています。サッカーを知るきっかけは、人それぞれ違います。今も、代表戦やカップ戦の決勝位にしか興味がありません。テレビで放送するのを見ている、といった感じです。多少知恵がつくと、何だか一人前に解説する事もあります。しかし、その意見を決して潰す事無く、サッカーって楽しいね、また観に行こうね、と話しています。
毎回ゴール裏に詰め掛けるサポーターの方達には敬意を表しても、サッカーファンに序列はありません。サッカーが好きという理由だけでOKであります。好きという意識、個の意識が高まり、スタジアムに集結する。これが“サッカー文化発展の一歩”に繋がるものと思っています。好きなら「にわか」でも何でも良いじゃないですか。と、個人的には思っていますが・・・。
mixiチェック
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/football_dream/article/31
サッカーを楽しむカタチ
posted by 鹿太郎 |00:00 |
Football Dream Symphony |
コメント(0) |
トラックバック(0)