2012年02月01日
2012年1月3日
○シャルケ(ドイツ)が日本代表DF内田篤人を放出する可能性があるとメディアが報じた
2012年1月10日
○元鹿島で現アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)所属のマルキーニョスが横浜FMに9年ぶり復帰
2012年1月11日
○湘南に期限付きで移籍していた佐々木竜太が鹿島復帰と公式発表
○山形に期限付きで移籍していた川島大地が期間延長と公式発表
2012年1月12日
○新監督就任のジョルジーニョ氏と正式契約
○新コーチにアイルトン、新フィジカルコーチにジョエルトン、新GKコーチに古川昌明が就任
○U-23日本代表DF山村和也(流通経大)が、鹿島と正式契約を結んだとメディアが報じた
2012年1月14日
○元日本代表DFで前京都監督の秋田豊氏が、J2東京Vの新コーチに就任
2012年1月16日
○MFフェリペ・ガブリエルが鹿島残留とメディアが報じた
2012年1月19日
○鹿島がU-17日本代表DF植田直通(熊本・大津高2年)にオファーを出したとメディアが報じた
○日本代表DF伊野波雅彦が、ハイデュク・スプリト(クロアチア)を退団したとメディアが報じた。給与未払いなど条件面の不履行が理由
2012年1月20日
○イゴールが契約満了と公式発表
2012年1月23日
○ロンドン五輪アジア最終予選の第4戦シリア戦のU-23日本代表メンバーに大迫勇也と山村和也が選出
○小笠原満男と本山雅志が、23日から1週間、米国メジャーリーグサッカー(MLS)のサンノゼ・アースクエイクスのトライアウトキャンプに参加
2012年1月24日
○2012シーズン新体制発表と新人選手紹介
○2012シーズン登録選手
○2012シーズンスタッフ
○2012シーズンスローガン
2012年1月29日
○ジョルジーニョ監督来日
2012年1月30日
○ジョルジーニョ監督就任会見
2012年1月31日
○【コラム】ジョルジーニョ新体制で鹿島はどう変わる?
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【鹿島】2012年1月アーカイブ
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2012年01月28日
2012年は元日からビッグニュースが飛び込んだ。1995年に目黒公証役場の当時事務長だった男性を拉致・監禁し殺害・死体遺棄した事件で、指名手配されていたオウム真理教元幹部・平田信容疑者が、年明け寸前の12月31日深夜に都内の警察署に出頭し、元日早朝、逮捕監禁致死容疑で逮捕。この一報はテレビで速報スーパーが、まちでは号外が、翌日の新聞では第一面を大きく飾るなど、17年近くにわたって逃亡を続けていた男の扱いはもちろん小さくなく、忙しない年明けとなった。
その頃、我が家は帰省先の茨城・鹿嶋市で新年を迎え、初詣に初売り、地元の温泉で初風呂など毎年恒例の正月行事を楽しみながら静かに田舎で休養していた。そんな2012年も1月下旬に入り、朝晩きびしい冷え込みが続くなか、都心で平年より約2週間遅れの初雪を観測。交通に大きな乱れはなかったものの、練馬・石神井周辺ではうっすら雪化粧し首都圏の寒さはピークを迎えている。この時期は冷たいビールよりも日本酒の熱燗や焼酎のお湯割りがすすむ季節であるが、その一方で、春到来とともにシーズン開幕をもっとも鶴望するのがこの時期ではないだろうか。
各Jクラブは、1月中旬から2月上旬にかけて、新シーズンの体制発表や新加入選手の記者会見など、チーム始動に向けた動きが目に立つ。「新たな布陣は?新戦力は?新監督の采配は?」。キャンプを前に、自ら新体制をシュミレーションし、意気揚々したり、消沈したり、開幕前から新シーズンを胸算するのはサポーターの心理であろう。もちろん私もその一人だ。開幕への足音が徐々に近づくなか、クラブOBで元ブラジル代表のジョルジーニョ氏を新監督に迎えた鹿島が、先日、カシマスタジアムで2012シーズンの新体制が発表された。
昨年、創設20周年を迎えたクラブスローガンは「FOOTBALL DREAM NEXT」。そして今年は「SMILE AGAIN with PRIDE」(笑顔と誇りをもう一度)となった。昨年は「新たなサイクル元年」と位置づけ、クラブアイデンティティである「FOOTBALL DREAM」に「NEXT」を加えたスローガンを掲げ、節目の創設20周年を迎えた。近年まれにみる大補強も敢行し、アジア制覇と国内3大タイトルを狙う決意だった。だが、それは3月11日の東日本大震災でホームタウンが、ホームスタジアムが、そして茨城が被災してから歯車が狂い始め、かつて経験したことのない窮地に陥った。Jリーグ杯こそ制覇したものの、J1リーグは6位、ACLはラウンドで16でソウルに完敗、天皇杯はJ2クラブに敗れ早々に姿を消すなど不本意なシーズンに終わった。
今もなおホームタウンは復興途上にあるが、被災した本拠カシマが完全復活して迎える新シーズン。今年のクラブスローガン「笑顔と誇りをもう一度」。そのタクトはジョルジーニョ新監督が振ることになった。チームは30日に始動するが、積み重ねてきた歴史と誇りは揺らぐことはなく、また私たち信者との絆も途切れることはない。1月中旬からサンノゼ・アースクエイクス(米MLS)のトライアウトに参加している小笠原満男と本山雅志については、ジョルジーニョ新体制となる今季、できるだけ早く身体を仕上げてチームに合流しようとする並々ならぬ気概の表れと捉えている。新シーズン開幕まであと40日。その到来が待ち遠しい。
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シーズン到来をもっとも鶴望する日
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2012年01月01日
あけましておめでとうございます。
昨年は未曾有の被害をもたらした東日本大震災が発災し、鹿島アントラーズのホームタウンである茨城・鹿行地区も大きな被害を受けました。
まちは少しずつ復旧が進んでいるとはいえ、まだ不便な生活を強いられている方も少なくなく、あらためて被災された皆さまやその家族、関係者の方々には謹んでお見舞い申し上げますとともに一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。
さて、今季鹿島はクラブOBのジョルジーニョ氏を新監督に迎え、新たな船出を切ろうとしている。
「鹿島は常勝でなければならない」
震災で一部損壊した本拠カシマスタジアムはオフシーズンの完全復旧を目指しており、2012シーズンは難攻不落の城砦として蘇る。
1996~1998、2000~2002、2007~2011
新たな黄金期が2012年であることを願いつつ、新春のご挨拶とさせていただきます。
今年もよろしくお願いします。
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謹賀新年
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2012年01月01日
2011年12月2日
○神戸が来季の戦力補強として、野沢拓也の獲得に動いているとメディアが報じた
2011年12月3日
○J1リーグ最終節 鹿島 1-1 横浜FM(日産ス)
32' 大迫勇也(鹿島)、66' 大黒将志(横浜FM)
GK:曽ヶ端準
DF:西大伍・新井場徹・青木剛・アレックス
MF:増田 誓志・柴崎岳・野沢拓也・本山雅志
FW:大迫勇也・興梠慎三
SUB:杉山哲・岩政大樹・當間建文・遠藤康・土居聖真・小笠原満男・イゴール
2011年12月4日
○野沢拓也が、2011Jリーグ優秀選手賞受賞
○杉山哲が契約満了と公式発表
2011年12月5日
○オリヴェイラ監督が今季限りで退任と公式発表
2011年12月6日
○オリヴェイラ監督の後任候補に、鹿島OBで元ブラジル代表のジョルジーニョ氏ら4人をリストアップしたとメディアが報じた
2011年12月7日
○J2に降格した山形の新監督に、鹿島コーチ兼サテライト監督の奥野僚右氏が最有力とメディアが報じた
○オリヴェイラ監督が、ボタフォゴの監督就任と同クラブが公式発表。チーム合流は来年1月。また同じく今季限りで鹿島との契約を満了するリカルド・フィジカルコーチ、ルイス・アルベルトGKコーチの就任も決まった
2011年12月9日
○天皇杯3回戦富山戦で左足関節遊離体を負傷した田代有三が手術を受け、全治6週間と公式発表
○今季限りで鹿島を退任するオリヴェイラ監督を功労者として特別表彰し、ミュージアムの殿堂に掲額するとメディアが報じた。殿堂入りは12人目で、現役または在任期間中の受賞は初。監督としては故・宮本征勝氏(1992-1994)、トニーニョ・セレーゾ氏(2000-2005)に続き3人目
2011年12月11日
○来季の鹿島選手会の新会長に増田誓志、副会長に西大伍と柴崎岳が就任するとメディアが報じた
2011年12月14日
○オリヴェイラ監督の後任候補は3人とメディアが報じた
○神戸が野沢拓也へオファーを出したとメディアが報じた
2011年12月15日
○元鹿島監督のセレーゾ氏がヴィトーリア(ブラジル)の監督に就任したとメディアが報じた
2011年12月16日
○JFAの小倉会長は、2012年のクラブW杯で東日本大震災の被災地を会場の一つとする方針を固めた
○鹿島は来季の新戦力候補に元川崎FWジュニーニョをリストアップしたとメディアが報じた
○鹿島が来季の新監督候補をOBでブラジル代表のジョルジーニョ氏に一本化したとメディアが報じた
2011年12月17日
○第91回天皇杯4回戦 鹿島 0-1 京都(香川・丸亀競技場)
GK:曽ヶ端準
DF:新井場徹・岩政大樹・青木剛・アレックス
MF:増田誓志・柴崎岳・野沢拓也・本山雅志
FW:大迫勇也・興梠慎三
SUB:杉山哲・西大伍・當間建文・遠藤康・小笠原満男・タルタ・イゴール
○スルガ銀行チャンピオンシップ2012の対戦カードが決定したと公式発表
鹿島アントラーズ(2011Jリーグ・ナビスコ杯王者)vsウニベルシダ・デ・チリ(コパ・スダメリカーナ2011王者)
2011年12月18日
○今季限りで退任するオリヴェイラ監督に功労賞を授与
○奥野僚右氏が今季限りで鹿島のコーチを退任し、来季から山形の監督に就任すると公式発表
○リカルド・フィジカルコーチ、ルイス・アルベルトGKコーチが今季限りで退任すると公式発表
2011年12月19日
○オリヴェイラ監督、リカルド・フィジカルコーチ、ルイス・アルベルトGKコーチがブラジルへ帰国
「監督かどうかは分からないが必ず戻ってくる。だからさよならとは言わない。また会おう」(オリヴェイラ監督)
2011年12月21日
○来季の新監督として交渉しているクラブOBで元ブラジル代表のジョルジーニョ氏と条件面で大筋合意したとメディアが報じた
2011年12月22日
○田代有三が神戸に完全移籍と公式発表
「サポーター、ファン、スタッフ、そして鹿島アントラーズに関わる全ての皆様、7年間本当にありがとうございました。小さい頃から憧れだった鹿島に入団でき、最高の環境でサッカーをやらせて頂いて本当に幸せでした。凄く悩んだのですが、自分が成長する為には環境を変える事が一番だと思い、今回の移籍を決断しました。鹿島は第二の故郷みたいなもので本当に寂しい気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。自分で決めたからには、後悔なく、そして鹿島の名に恥じぬよう、新天地でもさらに努力していきたいと思います。これからも応援していただけたら幸いです。本当にありがとうございました」(田代有三)
2011年12月24日
○小谷野顕治が新潟に完全移籍と公式発表
「『ありがとうございました』という言葉では表現できないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。小学校1年生の頃から17年間、スタッフやファンの方々を含め、本当にいろいろな人たちにお世話になりました。自分を育ててくれたクラブで十分にチームに貢献できなかったことは残念ですが、アントラーズでの経験を次のステップに生かしたいと思います。鹿島は僕のルーツであり、ここでサッカーをできたことは誇りです。この先どこに行ってもアントラーズへの気持ちは変わりません」(小谷野顕治)
○當間建文が栃木SCに完全移籍と公式発表
「プロに入ってから5シーズン、いろいろな経験をさせてもらい、感動を味わわせてもらいました。もっともっと試合に出て恩返ししたかったのですが、それができなくて申し訳なく思っています。次のチームで活躍して、またアントラーズに帰って来られるような選手になりたいと思います。応援ありがとうございました。また皆さんに応援していただけるよう頑張ります」(當間健文)
○フルミネンセから半年間の期限付きで移籍していたタルタが契約満了と公式発表
2011年12月25日
○2012ユニフォームが公式発表
2011年12月27日
○ジュニーニョが川崎から完全移籍と公式発表
○岡本英也が福岡から完全移籍と公式発表
「アントラーズという素晴らしいチームでプレーできることに本当に感謝しています。1試合でも多く、チームの勝利に貢献できるよう、精一杯頑張りますので応援よろしくお願いいたします」(岡本英也)
○仙台に1年間の期限付きで移籍していた川俣慎一郎が、鹿島に復帰と公式発表
「1年間忘れることのなかった鹿島で再びプレーできることをとても嬉しく思います。仙台で学んだことを生かし、チームの優勝に貢献できるよう頑張っていくので、応援よろしくお願いします」(川俣慎一郎)
○杉山哲選手が札幌へ移籍と公式発表
「このような形で鹿島を離れることになりましたが、8年という長い間いろんな仲間とサッカーができて幸せでした。サポーターやファンの皆さんに温かく応援してもらい、充実した8年間でした。心残りはリーグ戦に出場することがかなわなかったこと。この経験を生かして、これから違うチームでしっかり結果を求めてやっていきたいと思います。引き続き応援していただければ幸いです」(杉山哲)
2011年12月28日
○宮崎智彦(2011年は横浜FCに期限付き移籍)が、2012年シーズンは磐田に期限付き移籍と公式発表
「自分自身が成長するために、もう1年期限付きで磐田に移籍することになりました。早く鹿島で必要とされるよう、もっと力をつけて戻ってきたいと思います」(宮崎智彦)
○栃木SCに期限付き移籍中の鈴木修人が、同クラブに完全移籍と公式発表
「ジュニア、ジュニアユース、プロと、ずっと育ててきてくれたアントラーズには本当に感謝しています。栃木SCをJ1に上げてカシマで戦えるよう、鹿島での経験を活かしてこれからも頑張っていきたいです」(鈴木修人)
○野沢拓也が神戸に完全移籍と公式発表
「僕はジュニアユースからユース、そしてトップチームとアントラーズでプレーしましたが、すべてが順風満帆ではなく、葛藤、不安、緊張、プレッシャーのなかでサッカーをしてきました。偉大な背番号8番をもらったことは大きな喜びでしたが、一方でそれは大きな重圧でもありました。その責任を果たすため、できる限りのことをしてきたつもりです。
悩みに悩んで移籍を決断しましたが、これからの人生は、さらにプレッシャーや不安でいっばいです。良くも悪くも、遠まわりしてもいい、それが糧となり財産にもなり、僕の人生は常にそうだったと思います。新天地ではアントラーズの素晴らしさを伝えつつ、もう一度チームの為に努力し、汗をかき、戦います。長く険しい道のりだけど、それらを力にかえて覚悟をもって戦います。
最後になりますが、アントラーズをサポートしてくださるスポンサーさん、選手が最高な環境でできるために頑張っている会社の皆さん、スタッフ、特に12番サポーターの皆さんに、苦しい時幾度となく助けてもらい、自分の成長も、皆さんと「時には怒り、悲しみ、笑顏、喜び」があり、一緒に戦ってきました。横断幕と応援歌、すごく嬉しかったです。ありがとう。そして、日々共に努力し、競い合い、汗を流しあったチームメイトのみんな、サッカーは一人ではできません。みんながいるから成長できたことを誇りに思い、感謝しています。アントラーズに在籍して今日までの17年、ここまで育ててくれてありがとうございました」(野沢拓也)
2011年12月30日
○U-23日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに大迫勇也と山村和也が選出
2011年12月31日
○ジョルジーニョ氏の来季監督就任について合意に達したと公式発表
○ゆく年くる年:今年の漢字「壊」
いろいろなものが壊れてしまった1年だったように思う。東日本大震災によりクラブの活動は休止。キャンプで積み上げたものが壊れたままAFCチャンピオンズリーグが始まり、しばらくするとJ1リーグ戦も再開。オフに加入した新戦力が融合する時間もとれないまま、シーズンが終わってしまった。
また、ホームのカシマスタジアムは地震で甚大な被害を受け、使用できるようになったのは6月から。国立競技場での代替開催の影響もあってか、毎年5割以上を保ってきたホームでの勝率も、クラブ史上初めて割り込んでしまった。鹿島が誇ってきた神話が「崩壊」。今季でオズワルド・オリヴェイラ監督も退任し、来季からは新たな監督を迎えることが決定している。一つの時代が終わったことを告げる1年だった。
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【鹿島】2011年12月アーカイブ
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2011年12月31日
歴史に深く刻まれる2011年。国内では観測史上最大となるマグニチュード9.0の巨大地震とその直後に襲った大津波が発災し、同時に日本列島を、いや世界中を震撼させた福島第一原発事故。海外においては世界各地で相次いだ大規模な水害に、国際テロ組織アルカイダ指導者オサマ・ビンラディン、リビア最高指導者カダフィ大佐、そして北朝鮮キム・ジョンイル総書記らが死するなど、今年は国内外ともに大きなニュースが飛び交った。なにが起きてもおかしくなかった2011年。来年は平和な年であることを心から祈りつつ、ひとまず平穏に年が越せることを切に願っている。
さて、今年の日本サッカー界。震災の影響により大幅な日程変更を余儀なくされたものの、その後は順調に消化し、Jリーグ杯は鹿島、Jリーグは柏が戴冠。残す国内主要タイトルは天皇杯のみとなった。同杯も29日に準決勝が行われ、元日の決勝はFC東京と京都の、史上初となるJ2勢同士の対戦となった。今大会はかつてないほどのジャイアントキリング相次ぎ、J2以下のクラブがベスト16に5チーム、ベスト8に3チーム、ベスト4に2チームが勝ち残り、その2チームが決勝進出。格上に伍して健闘する格下クラブだが、今季最後のタイトルをJ2クラブ同士で競うとは予想だにしなかった。どちらが優勝しても初の快挙。元日決戦は静かに見守りたい。
天皇杯連覇を逃した鹿島は早々に2011シーズンの幕を閉じた。オリヴェイラ監督のラストゲームとなった同杯4回戦京都戦後にこう述べている。「私がやろうとしたことに対し努力を惜しまない選手たちに本当に感謝している。これだけ勝者のメンタリティーを備えたチームはまれだし、私がいなくなっても同じような気持ちを持続してほしい。指導者としてこれだけ充実した環境で仕事が出来るのはまれであり、本当に幸せなこと。3連覇も達成できたし、その日が偶然にも自分の誕生日だったというのも感慨深い。1月1日に国立で戦うという気持ちが強かっただけに今は失望を感じているが、後々この5年で得た多くの喜びをしみじみと感じられるだろう」と。
今季はゼロックス・スーパー杯準優勝、J1リーグ6位、ACLベスト16、そして9年ぶり単独最多となる4度目のJリーグ杯優勝と国内3大タイトルを5年連続で獲得し通算15冠を達成したものの、東日本大震災の影響により、本拠カシマスタジアム損壊、チーム一時解散、新戦力不発、決定力不足など多くの苦難・重圧が最後まで圧し掛かったシーズンだったように思う。今季まで5シーズン指揮を執ったオリヴェイラ監督は来季、ボタフォゴ(ブラジル)の監督就任が決まっており、後任監督の公式発表が近づいているようだが、鹿島にとって一つの時代の節目がこの2011年だったのは言うまでもない。
来季の構想は後任監督に委ねられるが、今季最大の課題であった決定力不足を、川崎からジュニーニョ、福岡から岡本英也らが加入することで、現有の興梠慎三と大迫勇也の良さが引き出せればゴール量産が期待できる。またMFにおいては、世代別にみても厚い選手層がJ屈指の中盤を形成し、流動的、有機的なサッカーで相手を制圧。DF陣も来季からU-22日本代表の山村和也が加入し、SBではポスト内田篤人として期待される伊東幸敏や、鈴木隆雅らユーストリオの加入もまた楽しみな逸材である。今年はこの上ない多くの苦難があった。2012年は本拠カシマスタジアムが完全復旧し、またあの場所に歓喜と笑顔が戻ってくることを心から願っている。それでは良いお年を。
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【天皇杯】FOOTBALL DREAM NEXT(最終章)
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2011年12月18日
当節、日本開催のクラブW杯でバルセロナ、サントスに注目が集まるなか、17日に天皇杯4回戦が各地で行われ、準々決勝へコマを進める8チームが決まった。「ハッピーエンド…」。それはディズニー映画やおとぎ話、恋愛ドラマなどでよく聞く言葉で、この天皇杯でもと願っていたが、それは叶わなかった。私のハッピーエンド、つまり有終の美とは、今季限りで退任する名将オリヴェイラの最後の大会、来季ACL出場権を獲る唯一の大会、クラブ創設20周年のメモリアルイヤーといった数々の華を、天皇杯賜杯を持ち上げて飾ることだった。下のカテゴリーのクラブに敗れるのは、1994年大会の東京ガス(現FC東京)戦以来17年ぶり。今シーズン通した課題は顕然としているが、そこは次期監督に委ねられる。久々に長いオフシーズンを過ごすことになるが、最後にオリヴェイラ監督へ感謝の意を表したい。「『オズの魔法』本当にありがとう」と。
さて、話題を変えて今回は1960年代から1990年代初頭まで日本サッカー界を牽引した実業団時代を振り返ってみたい。Jリーグの前身であるJSL(日本サッカーリーグ)が誕生したのは1965年。終戦から20年。その年は東京オリンピック開催、東海道新幹線開通の翌年で、日本経済が飛躍的に成長を遂げながら先進国の仲間入りを果たす時期でもあった。戦後の復興から高度成長の波に乗って誕生した実業団リーグ。そのきっかけは日本代表の礎を築いたデットマール・クラマー氏の提言からであったのは有名な話で、当時、強い影響力を持っていた古河電工(現千葉)や三菱重工(現浦和)、日立製作所(現柏)らを中心とする8チームで国内初の実業団による日本サッカーリーグが発足した。
前述のとおり、JSLは長年月、古河電工・三菱重工・日立製作所といった丸の内御三家、そして関西の雄ヤンマーが覇を競っていたが、創始期に頭角を現したのは東洋工業(現広島)だった。65年の開幕シーズンでは12勝2分0敗と無敗で優勝すると翌シーズンまで23連勝を記録するなど、不滅のリーグ4連覇(1965-1968)の金字塔を打ち建てた。その勢いはオイルショックによる経営悪化で弱体化に陥るものの、JSL27シーズンの歴史で最多タイの5回の優勝を飾っている。また天皇杯では、1965年大会で初優勝すると、1965年から1970年までの6大会で決勝に5度進出し3度優勝。さらに国際舞台では、1969年大会のアジアクラブ選手権(現AFCチャンピオンズリーグ)に日本勢として初出場し3位入賞を果たしている。
前回第二章では、日本サッカー界の元祖クラシコは早慶戦であると述べた。では、日本サッカー界の「古豪」とは果たしてどこだろうか。創設年だけでみると、1922年に京都師範学校(京都教育大学)のOBチームとして誕生した京都紫郊クラブ(現京都)であるが、1965年創設のJSLに初年度から所属し、不滅のリーグ4連覇や歴代最多タイの通算5回優勝、また後身のサンフレッチェ広島を含めた2011年1月までに国内最多60回の天皇杯本大会出場や、決勝進出も国内最多の13回と名実ともに実績十分の東洋工業こそが日本サッカー界の古豪中の古豪といえるだろう。
JSLが2部制となった1972年以降は丸の内御三家とヤンマー、1980年代に入るとプロリーグ構想に積極的な読売クラブや日産自動車ら新興勢力が台頭し、天皇杯でもその様相は変わらなかった。その後、1991年にJリーグが正式に発足すると、JSLは1992年3月29日の最終節を持って27年の歴史に幕を閉じるわけだが、当時、そんなことには見向きもせず、私の関心事は週末のダイヤモンドサッカーと冬の高校選手権だった。また世界のビッグプレイヤーを目の当たりにしたのもこの時期で、1983年5月29日に国立競技場で行われたジャパンカップ・キリンワールドサッカー(現キリンカップ)の日本代表対ニューカッスル・ユナイテッド戦。ちなみに国立での観戦はこの試合が初めてだった。
当時、約5000人収容の住金グラウンドで観たJSL2部の住友金属戦でも感奮していたのに、2年連続バロンドールを受賞したケビン・キーガン(ニューカッスル)が、国内最大のスタジアム(当時)東京国立で日本代表と対戦するのはある種、田舎育ちの私にとって夢の変事だった。今まで経験したことのないチアホーンの大音量と満員の観衆に埋もれながら、ダイヤモンドサッカーで観るビッグプレイヤーが目の前に。あっという間の90分だったが、試合開始早々に決めたキーガンの先制点が、大きな歓声に包まれるより先に、国立を揺るがしたどよめきは今でも私の耳に鮮明に残っている。ちなみに田舎者のシャイな私が唯一叫んだコールは「(日本代表GKの)タグチ」。その意は覚えてないが、おそらく日本代表でもっともボールに絡んでいたのが田口選手だったのだろう。結果は0-4で日本惨敗であった。
早いものであれから約30年が経ち、時代変遷とともに日本サッカー界は大きく様変わりした。国内最古のカップ戦である天皇杯も、ACLへとつながるビッグトーナメントとなり、またJリーグ発足以降、プロとアマチュアが対戦できる唯一の大会になり、毎年、サプライズチームが生まれるようになった。近年では、2007年の第87回大会で同年のACL覇者浦和を破ったJ2愛媛や、今大会においても来季J2昇格を決めた松本山雅FCの大物食いが深く印象に残っている。私にとって今大会は下部リーグのクラブに敗れ連覇の夢が潰えたが、そういったジャイアントキリングもこの大会の醍醐味の一つといえるのかもしれない。次回はJリーグ創設の1993年以降の天皇杯と、今シーズンの鹿島を振り返る。
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【天皇杯】FOOTBALL DREAM NEXT(第三章)
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2011年12月01日
2011年11月3日
○J1リーグ第31節 鹿島 0-1 G大阪(万博)
57' ラフィーニャ(G大阪)
GK:曽ヶ端準
DF:西大伍・新井場徹・中田浩二・アレックス
MF:増田誓志・柴崎岳・野沢 拓也・フェリペ ガブリエル
FW:大迫勇也・興梠慎三
SUB:杉山哲・昌子源・當間建文・本山雅志・遠藤康・小笠原満男・田代有三
○J1残留を決めた神戸が、来季の新戦力に田代有三の獲得を目指していることが明らかになった
2011年11月8日
○J1実行委員会は来季Jリーグをロンドン五輪期間中も実施し、来年20回の記念大会となるJリーグ・ナビスコ杯は従来どおり予選リーグを勝ち抜いたチームと、ACL参加チームで決勝トーナメントを行うと決めた
2011年11月9日
○ロンドン五輪アジア最終予選のU-22バーレーン代表戦(11/22@バーレーン)、U-22シリア代表戦(11/27@国立)のU-22日本代表メンバーに大迫勇也が選出
2011年11月12日
○練習試合 鹿島 6-0 国際武道大学
大迫勇也、野沢拓也、田代有三、小谷野顕治、そしてイゴールの2ゴールで6-0と勝利
2011年11月16日
○第91回天皇杯3回戦 鹿島 2-1 富山(カシマ)
28' 興梠慎三(鹿島)、42' 福田俊介(富山)、101' 野沢拓也(鹿島)
GK:曽ヶ端準
DF:新井場徹・青木剛・中田浩二・アレックス
MF:増田誓志・柴崎岳・野沢拓也・フェリペ ガブリエル
FW:大迫勇也・興梠慎三
SUB:杉山哲・昌子源・當間建文・本山雅志・遠藤康・小笠原満男・田代有三
2011年11月19日
○中田浩二が天皇杯3回戦富山戦で痛めた左もも裏の精密検査を受け、重度の肉離れと診断された。また、同戦で左足首を痛めた田代有三は、関節内遊離体が原因であることが分かった
○J1リーグ第32節 鹿島 1-1 大宮(NACK)
67' 李天秀(大宮)、90' 興梠慎三(鹿島)
GK:曽ヶ端準
DF:西大伍・青木剛・新井場徹・アレックス
MF:増田誓志・柴崎岳・野沢拓也・遠藤康・フェリペ ガブリエル
FW:興梠慎三
SUB:杉山哲・昌子源・當間建文・本山雅志・土居聖真・小笠原満男・タルタ
2011年11月22日
○来季からジュニアユース以下の世代を担当する専属スカウトを配置するとメディアが報じた
2011年11月26日
○J1リーグ第33節 鹿島 3-0 清水(カシマ)
50' フェリペ・ガブリエル(鹿島)、69' 野沢拓也(鹿島)、73' アレックス(鹿島)
GK:曽ヶ端準
DF:西大伍・當間建文・青木剛・アレックス
MF:増田誓志・小笠原満男・野沢拓也・本山雅志・フェリペ ガブリエル
FW:興梠慎三
SUB:杉山哲・昌子源・遠藤康・梅鉢貴秀・土居聖真・田代有三・イゴール
2011年11月27日
○オリヴェイラ監督に、母国ブラジルリーグのボタフォゴが来季監督としてオファーを出しているほか、中東や中国、豪州の複数クラブが獲得に動いているとメディアが報じた
2011年11月28日
○練習試合 鹿島 0-2 水戸
15時からクラブハウスで行われた水戸との練習試合は0-2で終了
2011年11月29日
○オリヴェイラ監督が来季続投の条件提示を保留したとメディアが報じた
○天皇杯3回戦富山戦で負傷した中田浩二が、左脚ハムストリング筋挫傷で全治約3カ月と公式発表
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【鹿島】2011年11月アーカイブ
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2011年11月19日
北日本で今季一番の寒さが伝えられた11月16日、天皇杯3回戦が各地で開催された。前大会王者の鹿島は初対決となった富山を延長戦の末2-1で降し4回戦へコマを進めたものの、J1勢8チームが姿を消す波瀾が相次いだ。J1に所属するG大阪、磐田、広島、神戸、山形がJ2クラブに破れ、さらに甲府、福岡も敗退。またJFLの松本山雅(長野県代表)がJ1の新潟をアウェイで撃破。2回戦の横浜FCに続いてJクラブを倒し、初の16強進出を決めた。松本山雅は4回戦で横浜FMと対戦。両クラブは今年8月に急逝した元日本代表DFの松田直樹氏が所属したクラブでもあり、注目のカードになりそうだ。4回戦は12月17日に行われる。
さて、第二章で挙げるのは時代変遷の2強考察と、国内のクラシコおよびナショナルダービー論。その前に、90年に上る天皇杯をそれぞれ3時代に分けておく。まずは同杯創設の1921年から1960年代初頭まで覇権を握っていた大学蹴球部時代、初の全国サッカーリーグ「日本サッカーリーグ(JSL)」が誕生した1960年代中旬から1980年代後半までの実業団時代、そして日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)創設の1993年から無窮のJクラブ時代とその勢力図は3つの時代を経て現在に至っている。まずは創成期から約40年間、時代を築いた大学チームに焦点を当ててみたい。
「このたび大日本蹴球協會主催(現日本サッカー協会)の蹴球大会を開催するに至りたるを喜ぶ。蹴球はひとり英国の運動のみならず、今や世界的の競技となりつつあり。この競技の精神は今さらこれを説くに要せじ。諸君、願わくば紳士的にして本競技の精神をますます発揮せられることを」
1921年11月26日、第1回天皇杯(当時ア式蹴球全國優勝競技會)。場所は日比谷公園運動場。大日本蹴球協會の今村会長が上述のように挨拶し、13時20分、記念すべきキックオフの笛が鳴った。当時日本ではサッカーというスポーツが広く一般に普及してはいなかったため、開催地である東京以外では関心はもたれず、メディアの扱いも小さかったようだ。しかし、朝日、毎日両紙や、新愛知(現中日新聞)が大々的に広報したことや、決勝戦当日が晴天の日曜日ということもあって、日比谷公園には大勢の観客でいっぱいになったそうだ。
記念すべき第1回大会で優勝を飾ったのは東京蹴球団。その9年後、地球の裏側ウルグアイではFIFAワールドカップ第1回大会が開催されるわけだが、当時の日本はアマチュアの国際大会オリンピック至上主義で、それはあくまでも遠い異国の出来事の一つに過ぎなかったようだ。そんななか、日本サッカー界を牽引する大学チームは全日本蹴球選手権、東西学生蹴球対抗王座決定戦、そして関東・関西の両大学リーグが主要大会として存在し各地で熱戦を繰り広げていた。
大学サッカー界は東京高等師範、東京帝国大学がその礎を築いてきたが、長きに渡って覇権争いを演じたのはやはり早稲田大学と慶應義塾大学であろう。関西の2強と呼ばれた関西学院大学と京都帝国大学もそれには及ばなかった。当時、全日本蹴球選手権(天皇杯)よりも重要視されていた東西学生蹴球対抗王座決定戦(1929年から1965年まで行われていた東西両リーグのチャンピオンマッチ)の成績をみると、関西勢がその頂に立ったのはわずか9回で、一方の関東勢は24回とその差は歴然。大学サッカー界はその後、変遷を重ねるも関東優位の図式は今も昔も変わっていない。
実業団チームが天皇杯の歴代優勝に名を刻むには1960年代まで待たなければならなかったが、当時の情勢を振り返るとサッカーの環境が整っていなかったことや、社会人となったあとに選手生活を続けるのが困難だったことから、隆盛を極めた大学サッカー界がそのまま日本サッカー界を牽引する存在となっていったのはある意味では当然の流れだったかもしれない。天皇杯90年史で大学チームが築いた一時代。それは約40年で実業団時代へと移行するが、この時代の2強は紛れもなく早慶戦であろう。さらには日本サッカー界の“元祖2強”であり、“元祖クラシコ”といえる。20年のJリーグは大学40年の歴史には到底及ばない。Jでクラシコと呼ばれるカードが誕生するにはまだまだ時間が必要だろう。次回第三章は実業団時代を振り返る。
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【天皇杯】FOOTBALL DREAM NEXT(第二章)
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2011年11月12日
「国内最大・最古のカップ戦」と呼ばれる天皇杯。その歴史は90年前まで溯る。第1回大会は大日本蹴球協會(現日本サッカー協会=JFA)創設と同じ1921年に「ア式蹴球全國優勝競技會」の大会名で幕を開けた。初回の参加チームはわずか4チーム(中国・九州地区代表の山口高校は棄権)、試合会場は日比谷公園の運動場だった。その当時を歴史的な視点で見てみると、国内では原敬首相暗殺事件が起き、隣国上海では共産党設立大会が開催。また、アインシュタインがノーベル物理学賞を受賞し、アドルフ・ヒトラーがナチス党首に選出されたのもこの年だった。これらの出来事を振り返るだけでも天皇杯の歴史の深さというものが実感できる。
第一次世界大戦の戦火が収まってから2年後に開幕した天皇杯。その歴史は前述したとおりだが、私の人生のなかでも一時代の変遷を垣間見ることができた。少年期にはJリーグの前身JSL(日本サッカーリーグ)が全盛で、三菱重工やヤンマー、フジタ工業、古河電工らが日本サッカー界を牽引し、同杯でもその様相は変わらなかった。話は逸れるが、高校サッカーで当時、藤野監督率いる茨城・古河一高が黄金期を迎えていたのもこの時期だった。エンジのシャツに漢字で縦に「古河一」と。私の憧れのユニフォームの一つであった。あの頃は天皇杯よりも地元茨城の常勝軍団が、韮崎、帝京、清水東ら名門とぶつかる全国高校サッカー選手権に夢中だったのを記憶している。
さて話を戻して80年代に入ると、日産自動車と読売クラブといった新興勢力が2強時代を築いていった。天皇杯は83年から92年までの10年間で、9回(日産6回、読売3回)、この2チームで賜杯を分けあっている。当時はリーグ戦の読売、カップ戦の日産という勢力図が描かれ、印象に残るのは読売クラブの応援席から聞こえてくるサンバのリズム。80年代の応援はチアホーンと呼ばれるラッパを鳴らすのが定番のなか、読売だけはサンバを響かせる異彩な存在だった。私はその華やかな両者を、遠い雲の上の世界を唯々テレビから眺めていた。数年後、ジーコ氏が鹿島アントラーズ(当時住友金属)に入団するとは夢にも思わず……
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が発足すると、各チームの実力が拮抗し毎年優勝チームが変わる戦国時代となった。J創設19シーズンのなかで、賜杯を持ち上げたのは11チーム。その混戦ぶりは今もなお続いている。参考まで、J創設以降の天皇杯通算優勝回数は鹿島が4回、横浜F、名古屋、東京V、G大阪、浦和が2回、清水、磐田、横浜FM、湘南、京都が1回となっており、2連覇達成は浦和、G大阪の2チームだ。ただ、意外なことに、90年の歴史ある天皇杯で3連覇を遂げたチームは未だかつて存在しない。2連覇は9チーム(鯉城蹴球団、関学大、慶応大、東京大、古河電工、読売クラブ、日産自動車、浦和、G大阪)もあるようだが、3連覇は前人未到の偉業である。
J創設19年で、2連覇を遂げたのは浦和とG大阪の2チームだ。惜しくも3連覇を狙う大会では、浦和は4回戦、G大阪は準決勝で敗退し両者ともその偉業は成し得なかったが、Jが群雄割拠を呈するなか、しかも一発勝負のカップ戦で2年連続賜杯を持ち上げた功績は、鹿島信者の私にとっては羨望する事実だ。ただ、以前からよく耳にする「クラシコ」「ナショナルダービー」といった言葉は両者には当てはまらない。それはかつての2強である三菱重工とヤンマーや、読売クラブと日産自動車。また、Jで7年間、リーグタイトルを分けあった鹿島と磐田も同様といえるだろう。時代とともに変遷した「2強」は、日本サッカー史を語るうえで大きなファクターとなる。それについては同杯3回戦を終えたあと、第二章で述べたい。
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【天皇杯】FOOTBALL DREAM NEXT(第一章)
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2011年11月01日
2011年10月1日
○カシマスタジアムで創設20周年記念シンポジウム
井畑滋社長が50年後を視野に入れた経営ビジョン「ビジョンKA41」を発表
○創設20周年を記念した巨大写真集「鹿島アントラーズ・オーパス」を作製。縦90cm、横72cm、厚さ5cmで重さは約50キロ。全50ページ。定価50万円でシリアルナンバー入りの限定20冊を受注販売。サッカークラブが発行する書籍としては世界最大で、ギネス申請も検討
2011年10月2日
○J1リーグ第28節 鹿島 0-1 柏(カシマ)
31' 工藤壮人(柏)
GK:曽ヶ端準
DF:西大伍・岩政大樹・中田浩二・アレックス
MF:増田誓志・青木剛・野沢拓也・遠藤康
FW:興梠慎三・田代有三
SUB:杉山哲・新井場徹・フェリペ ガブリエル・柴崎岳・小笠原満男・大迫勇也・タルタ
2011年10月5日
○Jリーグ・ナビスコ杯準々決勝 鹿島 3-2 横浜FM(カシマ)
1' オウンゴール(横浜FM)、11' 渡邉(横浜FM)、49' 興梠(鹿島)、73' 大迫(鹿島)、111' 田代(鹿島)
GK:曽ヶ端準
DF:新井場徹・岩政大樹・中田浩二・アレックス
MF:柴崎岳・小笠原満男・野沢拓也・遠藤康
FW:大迫勇也・興梠慎三
SUB:杉山哲・西大伍・昌子源・青木剛・小谷野顕治・タルタ・田代有三
○来季新加入の伊東幸敏(静岡学園高)が静岡市内の同高で仮契約
「日本を代表するクラブの一員となれて光栄。Jでもボールを持ったら必ず1対1を仕掛けて観客をワクワクさせたい。当たり負けしないフィジカルを身につけるのが課題。目標は同県出身の日本代表SB内田篤人選手(独シャルケ、前鹿島所属)。内田選手のように鹿島でスタメンに定着して日本代表入りし、W杯に出場したい。(鹿島入りを決断した理由は?)内田選手のように、素晴らしい選手を羽ばたかせてくれるから」(伊東幸敏)
2011年10月9日
○Jリーグ・ナビスコ杯準決勝 鹿島 2-1 名古屋(瑞穂陸)
10' 大迫勇也(鹿島)、80' 田中マルクス闘莉王(名古屋)、107' 柴崎岳(鹿島)
GK:曽ヶ端準
DF:新井場徹・青木剛・中田浩二・アレックス
MF:柴崎岳・小笠原満男・野沢拓也・遠藤康
FW:大迫勇也・興梠慎三
SUB:杉山哲・西大伍・昌子源・本山雅志・梅鉢貴秀・タルタ・田代有三
2011年10月10日
○鹿島アントラーズユースの鈴木隆雅、中川義貴、宮内龍汰の3選手(いずれも鹿島学園高3年生)が来季よりトップチームへ昇格すると公式発表
2011年10月12日
○Jリーグ・ナビスコ杯準々決勝・横浜FM戦で負傷した岩政治大樹が精密検査を受け、左外側広筋挫傷と診断された。復帰まで約1カ月
○第91回天皇杯2回戦 鹿島 2-0 筑波大(カシマ)
33' 田代有三(鹿島)、38' 大迫勇也(鹿島)
GK:曽ヶ端準
DF:西大伍・昌子源・青木剛・當間建文
MF:増田誓志・柴崎岳・タルタ・遠藤康
FW:大迫勇也・田代有三
SUB:杉山哲・新井場徹・野沢拓也・本山雅志・小谷野顕治・梅鉢貴秀・興梠慎三
2011年10月13日
○U-22日本代表候補トレーニングキャンプに大迫勇也、柴崎岳、昌子源が選出
※柴崎岳、昌子源は初選出
2011年10月14日
○柴崎岳がJリーグ規定である公式戦出場時間450分に達したため、A契約に移行
2011年10月15日
○J1リーグ第29節 鹿島 2-1 磐田(ヤマハ)
54' 田代有三(鹿島)、68' 金園英学(磐田)、70' オウンゴ-ル(鹿島)
GK:曽ヶ端準
DF:新井場徹・青木剛・中田浩二・アレックス
MF:柴崎岳・小笠原満男・野沢拓也・遠藤康
FW:大迫勇也・田代有三
SUB:杉山哲・西大伍・昌子源・本山雅志・増田誓志・小谷野顕治・興梠慎三
○来季新加入のU-22日本代表MF山村和也(流通経大)が、16日に仮契約を結ぶとメディアが報じた
2011年10月18日
○AFCがアジアU-22選手権を新設し、2016年リオデジャネイロ五輪から五輪予選を兼ねるとメディアが報じた
2011年10月22日
○J1リーグ第30節 鹿島 1-1 神戸(カシマ)
54' ポポ(神戸)、63' 野沢拓也(鹿島)
GK:曽ヶ端準
DF:新井場徹・青木剛・中田浩二・アレックス
MF:柴崎岳・小笠原満男・野沢拓也・遠藤康
FW:大迫勇也・田代有三
SUB:杉山哲・西大伍・本山雅志・フェリペ ガブリエル・増田 誓志・興梠慎三・タルタ
2011年10月24日
○練習試合 鹿島 6-0 流通経済大学
興梠慎三の2ゴール、タルタ、小谷野顕治、ユースの鈴木と西室のゴールで6-0と勝利
○Jリーグ・ナビスコ杯決勝へ向け、鹿嶋市内のブラジル料理店で決起集会
2011年10月26日
○26日から2日間、カシマスタジアムで非公開練習
2011年10月28日
○Jリーグ・ナビスコ杯決勝前夜祭
「浦和とともに決勝の舞台に立てることを光栄に思う。多くのサポーターが国立に足を運んでくれると思うし、高いレベルの試合をお見せしたい」(オリヴェイラ監督)
2011年10月29日
○Jリーグ・ナビスコ杯決勝 鹿島 1-0 浦和(国立競技場)
105' 大迫勇也(鹿島)
GK:曽ヶ端準
DF:新井場徹・青木剛・中田浩二・アレックス
MF:柴崎岳・小笠原満男・野沢拓也・遠藤康
FW:大迫勇也・興梠慎三
SUB:杉山哲・西大伍・昌子源・本山雅志・フェリペ ガブリエル・増田誓志・田代有三
※鹿島は9大会ぶり4度目の優勝(Jクラブ最多)
※MVP大迫勇也
※南米カップ王者と対戦する来夏のスルガ銀行チャンピオンシップ出場
○Jリーグ・ナビスコ杯優勝コメント
オズワルド・オリヴェイラ監督
「決勝にたどり着くまでの道のりは厳しかった。準々決勝は悪天候、立ち上がりの2失点という非常に厳しい状況の中、120分戦い、逆転勝利を収めた。準決勝では湿度が高く苦しみ、またしても120分の戦いを強いられることとなった。そして今日も120分の戦いになったが、相手に主導権を握られたわけではなく、自分たちが主導権を握っているにもかかわらず得点できずに自分たちで厳しい状況に持って行ってしまった。ただ120分戦い切り、勝利できたことは素晴らしいことだと思う。
このヤマザキナビスコカップに賭ける思いはあった。残念ながらJリーグで優勝する可能性はなくなって、それでも我々にはタイトルを獲る義務があるのだから、この大会に集中させることを優先的に考えた。そして選手たちは私の要求を受け入れてやり通してくれた。献身と犠牲がなければ試合を制することはできないということ、最後まで諦めないということを選手たちは実践してくれた。個人的にはこのタイトルは初めて獲れたものなので大変嬉しく思う。皆さん、ありがとうございました」
2011年10月30日
○鹿島がクラブの「活動区域」を千葉県に広げることを目指し、Jリーグに要望書提出の準備を進めているとメディアが報じた
2011年10月31日
○鹿島ユースが選手強化のため、来年3月に欧州遠征を計画しているとメディアが報じた。スペインなどが候補地に挙がっており、バルセロナユースとの対戦も視野に入れ、調整に動いている
○今季限りで契約が切れる小笠原満男、本山雅志に来季の契約延長オファーを出す方針を固めた
「一気に、強引に進めるとチームが崩壊する。伝統やプロ意識をしっかり受け継がせた上で進ませなければいけない」(クラブ幹部)
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【鹿島】2011年10月アーカイブ
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