2008年05月10日

サッカー観戦における個人的なこだわり

 さてさて、我が浦和もかのような難しいAwayの試合を、憎らしくPKの一点で守りきるという昨年途中までの勝負強さが戻ってきた。頼もしい限りである、、。
 あとは明日何とかWest Hamが、Tottenhamよりも上の位置をキープさえしてくれれば、完璧なWeekendの終わりとなることだろう、、。

 さてさて、今日話題にしてみたいのは、僕自身のサッカー観戦における「こだわり」である。いろいろあるのだが、そのうちの一つはサッカー場の「雰囲気」であろう。

 何万人もの人(メインは大の大人)が、たったひとつのボールの行方を見守るのがスポーツ観戦の基本である。とんでもないミスパスに3万人が一斉にため息をつき、そのミスを繰り返す選手には野次を入れ、レフリーの不利な判定にはみんなで激高する。そしてゴールの際には一斉に3万人が立ち上がって歓喜し、ロスタイムに逆転弾を許した際には、3万人が一斉に頭を抱える。
 と、ここまでは別に野球だろうと、バスケだろうと、バレーボールだろうと基本は変わらないのだが、何故僕がここまでサッカー観戦を好むかは(自分が今でも毎週やっていて最も仕組みが分かっていて、見ていて単に最も面白いと思えるスポーツであるという当然のことはさておき)、サッカーの観衆が最もワイルドで、幼稚で、感情的で、さらにはドラマチックな試合では、何万人もの人が一斉に大合唱するというユニークさがあるからだ。  
 この野蛮とも言えなくない大観衆の一部として身をゆだねることの心地よさ。これこそが僕が良い「雰囲気」をもとめて現地での観戦にこだわる理由である。

 何ゆえに野蛮か?例を挙げてみよう。

 バレーボールの試合で、へぼプレーを繰り返す一人の選手に向かって「You f*ckin’ stupid c*nt !」(非常に汚い英語で、「このボケナス」的な意味)と観衆の一人が立ち上がって声を上げたとしたらどうだろうか?まわりはきっと大きな不快感を示すだろうし、もしアメリカなんかで、声をあげた人がアラブ系だったら、Guantanamoの収容所に即連行されるかもしれない。
これがサッカーだったらどうだろう。試合とリーグ、観戦しているエリアにもよるだろうが、一般的にはこの「Stupid F*ckin' c*nt !」と叫んでいる人はスタジアムでは決して一人ではないだろうし(時には何万もが一斉に同じことを叫ぶ)、まわりで座っている人たちも、不快感を示すどころか、きっと同意してうなずいているに違いないのだ。

 僕個人としても、猿人類系の顔をしたArsenalのMartin Keownに向かって、他の3万人のWest Hamファンと共に、「He's got a monkey’s head, Keown !」(サルの頭を持ったKeown!)と大合唱していたし、静まり返るManUファンに対して他の何百人ものHammersファンと共にWanker Gesture(イギリス特有の相手を屈辱するジェスチャー。アメリカの中指を立てるものとほぼ同じ)をかましたし、日本では横浜マリノスと対戦するたびに当時極めて野次に弱かった川口に対して、ゴール裏から散々ちゃちゃを入れていた。
 僕はこれでとてつもない反逆児扱いをされるのか?答えはNoである。世界的な見地では、僕はごくごくOrdinaryなサッカーファンだ。

 しかし、日本では、これらの行為をスポーツマンらしくないとして断罪する動きがあることも知っている。僕はこの意見には同意できない。

 僕自身は、他の多くに人と同じように、サラリーマンをやっている。よって、会社で仕事を進めていく上で、自分がやりたいと思うことを、理路整然とレポートに書き上げ、上司やパートナーに説明しなければならない。ストレスも多分にある。

 ところがそれと比べてサッカー場ではどうだろう。浦和ファンは、山瀬に対して大ブーイングと、ありとあらゆる屈辱的な言葉を浴びせることが許されている。その理由を上司に対して、道筋を立ててプレゼンする必要も無いのだ。「あいつは俺達のチームを裏切って出て行ったからだ」という、きわめて幼稚園児的な発想が、堂々とまかり通ってしまう。
 そして一部の鹿ファン達は、英語辞典片手に夜なべをして、「Fuck Reds」の絵文字を作り上げた(最後で失敗してしまったが。彼らには北朝鮮に行って、マスゲームのレッスンを受けることをお勧めする)。理由は単に「浦和が憎たらしいから」だけである。全然けっこうなことじゃないか。

 僕は秩序と法の遵守をもとめられる現代社会において、たった90分だけ、少しばかり治外法権になれる場所、そして、悪がきに戻れる場所があることが素晴らしいと思う。そこで、気の合う仲間と酒を飲み、素晴らしいプレーに酔い、エジミウソンのスタンドの最上階目指して放ったシュートを見て頭を抱えれることにありがたみを感じている。
 そしてこんな幼稚な人たちが作り上げるサッカーにしかない雰囲気が大好きである。

 そんな一方で、前回書いたように、その「雰囲気」が日本、そしてイギリスでもどんどん崩れていることに危機感を感じているのも事実だ。

 僕は、サッカーなんて、感情の赴くままに見ればいいと思っている。逆に言えば、浦和vs 広島の試合を、浦和 vs 鹿島と同じテンションで見ることなんて不可能だと思うし、何よりも大切なピッチ上での出来事を全く無視して、ただただ歌い続ける今日の日本の応援スタイルもあまり好きではない。もっとUp and Downがあるべきではないかと思う(ただ、先日のボスニア戦では、観客はピッチ上の出来事に全く関心が無いように感じたし、結果、上手く説明は出来ないが、長い日本代表観戦履歴の中で、「こりゃまずいな」とあそこまで思ったこともそうは無いほどひどい「雰囲気」であったのだ)。

 自然な感情のローラーコースターに身を任せて、それがたまたま最高潮に達したときのサッカー場の雰囲気は本当に気持ちが良い。しかし昨今こうしたサッカー観戦の基本が少し崩れてきているような気がしてならないのだ。きっと僕と同じような危機感を持っている人も多数いるだろう、、。
 
 とまあ、以上はあくまで僕の個人的な考えである。もしかしたら、様々な批判、罵倒、僕と僕の家族へのDeath Threatが届くかもしれないが、以前あった「もし日本のサッカー場で死人が出たら責任を取ってもらえるのか?」という問いには明らかにNoとお答えしておこう。たかがBlogでの発言で、何の権力も無い小市民が責任を取らなければならない法的根拠などどこにもないのだから。

 最後に、僕は極右勢力などがサッカー場をプロパガンダにサッカーを利用すること、フーリガンが一般のファンを襲うこと、人種差別発言などは絶対に容認できないことだけは最後にクリアにしておきたい。

posted by fareasthammer |23:12 | General | コメント(6) | トラックバック(0)
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