2008年07月22日
神の引退
先日、僕にとって神様的な存在である、野茂英雄投手が現役引退を発表した。 『自分のなかではやりたい』『悔いがある』というコメントは、いかにも現役にこだわり続ける野茂投手らしいコメントだが、アスリートはいずれこの日が来る。非常に寂しいことだけれども、お疲れ様でした。そして今後の野茂さんの動向を楽しみにしています。 必ず、野球を続ける子供たち、現役選手のための“何か”を興すだろうと、今からワクワクしています。 「プロの選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思う。」というコメントも胸を打ちました。 僕は苦しい時、いつも野茂投手のパフォーマンスに勇気付けられてきました。 1995年5月2日、ドジャーズの野茂投手がサンフランシスコでジャイアンツを相手にデビューした日、僕は社会人2年目で厚木にいた。 社会人1年目ながら、新規事業立ち上げに抜擢されたと表向きには言われていたが、じつは当時の所属部門ごとの左遷。『立ち上げ準備』の名の下に、2ヶ月間仕事がなかった(笑)。 もともとの会社とは明らかに毛色の違う仕事。傍から見れば閑職。他の社員の方からは憐れみの目…。 そんななかでの野茂投手のデビュー、翌日のスポーツ新聞の一面の、バリー・ボンズを相手に投げている野茂投手の写真には鳥肌が立った。 1996年9月17日、野茂投手がコロラド・ロッキーズ戦でノーヒットノーランを達成した日、僕は群馬にいた。 『明日から働けないから戻って来い。』という父の言葉に、入社2年目で会社を辞めるということに気が引けながら、家業を継ぐことを決意し群馬に戻っていた。 『俺はお前に使われる気は更々無い。』という態度がアリアリな社員と一緒に修行の日々。この日の野茂投手の偉業は、まだエアコンが入っていなかったサウナ状態の営業車を運転中にAMラジオで知った。 ピッチャー泣かせの高地コロラドでの快挙に泣きそうになった。 2001年4月4日、ボストンに移った野茂投手が、ボルティモア・オリオールズを相手に2度目のノーヒットノーランを達成した日、僕は変わらず群馬にいた。 その年の1月に登記上、取締役になったがやる事は変わらず、この日も客周りをしていた。変わった事と言えば、父親と母親だけに掛かっていた会社の借金を僕も負担することになった事と、父親時代の社員がついに一人しか残らなくなったこと。そしてこれ以上はヤバイと金融機関に心配されるぐらいの赤字…。 この日までの野茂投手は、決して順調な活躍をしていたわけではない。肘痛、手術を経験し、199年メッツを解雇、カブスとマイナー契約、ブルワーズにトレード、ブルワーズからデトロイト・タイガース、そして2001年にボストンと、所属先を転々とし、『野茂はもうダメだろう』と囁かれていた。 そんななかでも常にマスコミにサービスせず『いつものとおりです。』と憮然と答え、そしてついに両リーグを股にかけてのノーヒットノーランを達成してしまった。 逆境にも不動心で己の道を貫く野茂投手に、自分のおかれた環境を照らし合わせ僕はやってきた。 そして今があります。 いつか現役投手としての野茂投手に、メジャーのボールパークで会う。 これが僕の夢ではありましたが、残念ながらその夢は叶いそうもありません。 それでも、日本人メジャーリーガーのフロンティアを、オンタイムで応援してこれたことは、凄く幸せなことだと思っています。 でもいつか、どこかで野茂さんに会ってみたい。 たぶん、なにも話せないとは思うけど…。(笑)
posted by みのる |20:31 |
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先日、ある方から焼酎を頂きました。
いつだったか、『焼酎だったら芋かな。』なんて話しをしたことがあって、それを覚えていて下さったんでしょう、「これは美味しいよ。」と一つのボトルを頂きました。
「お~、イモですかぁ~。」と銘柄をみると…、
『みのる』と書いてあるじゃないですか!
以前ワイルドナイツの感謝の会で鏡開きが行われて、その銘柄が『野武士』だったんですが、『みのる』という銘柄があるのかと思ったらそうじゃなく、わざわざラベルを作ってもらったようなんです。
感激です。というか、飲めなくなってしまいそうで怖いです。(笑)
どうもありがとうございました。
さて、ワイルドナイツの動きが活発になり、また、先日の群馬県中学生選抜セレクション~合宿に参加させてもらったからか、ここ連日、県内ラグビー関係者や保護者さんなど色々な方から、色々なところで色々な手段でご連絡を頂いております。
先日の選抜に関係する方から、全く関係のない学年、小学生の子供を持つ親御さん、ワイルドナイツの選手やファン…、環境の違う方々からの話しを伺って感じたことを、また性懲りもなく、徒然と書きたいと思います(笑)。
群馬中学生選抜に関しては、幸運にも選抜に選ばれ、合宿の初日には猛暑のなか、ワイルドナイツの選手と身体をぶつけ合い、翌日には先輩高校生に勝利しと、今までに無いほどの充実感と手応えを話してくれた選手や保護者さんや指導者さんのそれぞれの言葉を聞き、そして、残念ながら今回選抜に名を連ねることが出来なかった候補生の悔しい気持ち、親御さんの落胆した話し、それでも、自分は選抜に選ばれるためにラグビーをしているわけじゃないと気持ちを新たにしているという話しを聞き、そしてそれらについて、ワイルドナイツの選手と『普及と強化』の可能性や難しさの話しをしました。
まず最初にひとつ、繰り返し確認しますが、中学生群馬選抜は今回のセレクションで今年度が全て決定ではありません。
今回のセレクションはあくまでも、近く菅平で行われるジャンボリーのための暫定的なセレクションです。
ジャンボリー後に一旦解散されます。
その後、いつかは知りませんが、全国大会に向けてのセレクションが再び行われるようです。
すなわち、今回が最後のチャンスではないんです。
群馬選抜としてプレーしてみたいという願望を持っている中3生プレーヤーは、是非引き続き努力をして下さい。あきらめるな。
実際に毎年数名の選手は選抜に選出されるかされないかで、各スクール(クラブ)の指導者さんの間で激論が交わされるそうです。指導者さん方やジュニア委員会の方々の間では、1人でも多く選抜チームに選出したいが、やはり登録できる人数には限度があるので悩まされるようだ。
確かに選抜もひとつの『ふるい』にはなってしまう。
しかし、選手のみんなは、プレーヤーとして何時、何がきっかけで伸びるのか判らないのである。
トップアスリートとして活躍するとしたら、おそらく35歳位までがひとつの区切りではないだろうか?まだ中学3年生の15歳では、その半分にも達していない。無名の学校でプレーを続け、トップリーグでも下積みを経験し、急激に頭角を現した選手だっている。逆に、小さい頃から将来を嘱望され、しかし消えていってしまったプレーヤーだっている。
ラグビーが好きで、強く、上手くなりたいのであれば、あきらめてはいけないのである。
例えば今回の選抜チームにだって、穴は多々ある。
農大二高に胸を借りた試合でも、素人の僕でも解るほどの課題点がいくつかあった。
例えばラインアウト。例えば個人個人のタックル。
ラインアウトはコンビネーションが合わなかったり、ボールが真っ直ぐ入らない場面が多かった。
ディフェンスにしても気持ちがこもり、高校生を零封し、大いに自信を持って良いのだけれど、それでも個々のタックルには課題があった。
例えばそこで、ラインアウトで100%狙い通りのスローインが出来るプレーヤーがいたら。必ずマイボールをしっかりとキャッチできるジャンパーがいたら。
例えばサイズに恵まれなくてもタックルだけは誰にも負けず、すぐにフォローが出来る態勢が整えられるプレーヤーがいたら。
それだけでも僕は選抜されるべきプレーヤーなのではないかと思う。
それを各スクール(クラブ)の指導者さんは、日々(週に一度ですが)しっかり見ていると思う。仮に見ることが出来ていなければ、それは指導者としての怠慢だ。
逆に選抜された選手も、努力を怠ったらその資格は無いと思う。そしてなぜ自分が選抜されたのかを考えて欲しい。
選抜チーム監督の星野さんの『敬意と感謝』の意味を考えて欲しい。
ワイルドナイツの相馬選手も言っていたが、代表としての意識、敬意と感謝を意識できなければ、そこに居るべきではないということだ。
それでも現実は残酷で、中学時代というタイムリミット、高校時代というタイムリミットでも思うようにプレーできず、トップアスリートへの願望をあきらめなければならない時が来たとしよう。自分の競技者のピークばかりではなく、他に家庭的なものであるとか、色々な要因でトッププレーヤーをあきらめなければならない場面もある。
世の中の多くのプレーヤーは、どこかで区切りをつけなければならないものだ。
僕もそうだった。僕も高校時代に大きな挫折を経験し、挫けたひとりだ。僕は野球だけどね。
「選抜のために(または勝つためだけに、花園のために、トップリーガーになるためだけに等々、色々言えると思う。)ラグビーをやってるわけじゃない。」
そのとおりだと思う。
その言葉を、悔しさの後にではなく、徐々にで良いけど、より具体的なプランを抱えて言ってみて貰いたい。
例えば自分が花園に行けなくても、トップリーガーになれなくても、いつか技術ばかりではなく色々な知識と経験を抱えて自分が育ったスクール(クラブ)に戻り、かつて自分がそうだったように強くなりたい子供を指導し、その子が花園へ出場したりトップリーグで活躍したら、それは自分がプレーしたのと同じ価値があると思う。
例えばプレーヤーでは出場できなくても、知識を磨いてマネージャーとして選手を支えてチームが勝つのなら、自分もプレーしたことと同じだと思う。
例えばプレーヤーとして限界を感じても、大胆に針路変更し、レフリーとして生まれ変わり、国際試合で笛を吹けたとしたら、そこでプレーしたのと何ら変わりは無いと思う。
可能性なんていっぱいある。あきらめないで欲しい。
ちょっとした悔いを残しているオジサンのお願いである。
インタビュアーは三宅選手が務めて下さいました。豪華布陣でしょ?
それでは早速スタート。
三宅選手 : 改めてお帰りなさい。春の日本代表シーズンはどうでしたか?
おっとぉ~…、以下自粛します。
オイシイなぁ~。見たかったなぁ~。
新聞の写真を見たら、警察の制服着てるし。
田邊選手、反則だよなぁ。オイシイなぁ。

