2007年07月13日
感涙!バイブル。
ここのところ、仕事で出張が続いているのですが、それが楽しみでなりません。 というのも、最近の僕のラグビーと人生の先生である方に、一冊の本を頂いたのです。『一読すると…更に三洋ラグビーを応援できます。本当に欲しい方にプレゼントでき、良かった!!』という一文と共に。 富永俊治さん著『無冠のジャージー』がそれである。更に、『宮地軍団』を自任する僕は、三洋ラグビーの師に我侭を言ってサイン入りにしてもらった。
じつに5度目の県外出張の果てに本日、読みきった。 いや、終わって欲しくなかった。 まだまだ続いて欲しかった。 本は、昭和35年7月に、畑敏郎・平尾隆雄・大塚保というたった3人の若者による創部から、平成9年度の第50回全国社会人大会での神戸製鋼戦勝利までを、“ミスター三洋”宮地克実を中心に丹念な取材をもってじつに38年間の三洋ラグビー部の歴史を綴った名著です。 もちろん、書の中には、我々三洋ファンが忘れることが出来ない、1991年1月8日の社会人決勝・神戸製鋼戦のイアン・ウィリアムスのトライと、第48回決勝のサントリー戦、同点優勝となった尾関弘樹のトライというエピソードが入っているのだが、そんなことはどうでも良くなってしまうほど、魅力のあるエピソードが随所に盛り込まれている。 この書の主役は、神戸製鋼という華に後塵を拝し、砂を噛み続ける万年2位の三洋電機ではないのである。群馬県邑楽郡大泉町という、都会から離れた辺鄙な地で、素朴で粗野で不器用で、しかしラグビーを心から愛し、高校生である熊谷商工から始まり、松戸自衛隊、近鉄、新日鉄釜石、そして神戸製鋼と、時々に目の前に立ちふさがる大きな壁に、真正面から愚直に、FWからのサイド攻撃を頑なまでに信じてぶつかっていった、東京三洋の若者たちなのである。 右肩上がりの経済成長を背景に、エネルギーの有り余った若者たちが、懐の深い経営者と、どこか好い加減な社風と、のどかな土地柄と住民に支えられ、疾風の如く一気に駆けぬける青春群像なのである。 中学高校時代より三洋を見続け、自分が一番の三洋ファンであると思っていた自分が恥ずかしくなりました。僕が知っているのは、三洋電機ラグビー部47年の歴史の、ほんの一瞬でした。しかし、なぜ自分が、この頂点をなかなか獲れない不器用なチームを愛するのか、解った気がします。 そして奇妙な運を感じます。 僕が一ファンでなく、“記者”としてこの三洋電機ワイルドナイツに初めて取材したのが、2005-2006シーズンの2005年12月18日のワールド戦です。そう、悲願のトップリーグ首位の座を自ら逃した地元敷島での一戦です。 その前にチームへの取材はしていましたが、試合を取材したのはその試合が初めてでした。 1991.1.8の、こちらはブラウン管の前でしたが、あの宮地監督の唖然とした顔を見た時の衝撃と同じものをこの時感じました。 もっとこのチームを知りたいと感じたのも、この時でした。 尊敬する熱きコーチ・飯島均さんと最初に言葉を交わした時も衝撃でした。 僕にとって、宮地克実同様、飯島均、宮本勝文、シナリ・ラトゥは雲の上の存在。憧れの元プレーヤーを前に、ガチガチになり、あろうことか、『あの試合』のことをいきなり尋ねたのです。 「そんな誰でも注目する事を書きたがるんじゃないよ。注目することはもっと他にあるんだ。これからアンタが何かを書くんだったら、そんな表面に現れた誰でも分かりきった事ではなく、本当に書くべきものを見つけろ。」 一言一句正確ではないかもしれないけど、『あの一瞬』には答えてくれず、たしなめられた。それ以来、あの試合のことには触れていない。いや、触れる必要がない。だって、話しに事欠かないから。 この本を読んで、今は飯島コーチに言われたことが理解できるような気がする。 三洋ラグビーの歴史を優しく教えてくれる師・大平功さんの『更に三洋ラグビーを応援できます』という一文のように、イアンのトライも同点優勝も、この愛すべきチームを応援するためのスパイスなんだろう。 僕は見続ける。このチームを、群馬に三洋電機ワイルドナイツを無くしちゃいけない。 そしていつか、2005-2006シーズン、奇跡の東芝撃破、ワールドにまさかの敗戦から始まる、現在の野武士の青春群像を書いてみたい。
posted by みのる |19:34 |
三洋電機ワイルドナイツ |
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更に、『宮地軍団』を自任する僕は、三洋ラグビーの師に我侭を言ってサイン入りにしてもらった。
じつに5度目の県外出張の果てに本日、読みきった。
いや、終わって欲しくなかった。
まだまだ続いて欲しかった。
本は、昭和35年7月に、畑敏郎・平尾隆雄・大塚保というたった3人の若者による創部から、平成9年度の第50回全国社会人大会での神戸製鋼戦勝利までを、“ミスター三洋”宮地克実を中心に丹念な取材をもってじつに38年間の三洋ラグビー部の歴史を綴った名著です。
もちろん、書の中には、我々三洋ファンが忘れることが出来ない、1991年1月8日の社会人決勝・神戸製鋼戦のイアン・ウィリアムスのトライと、第48回決勝のサントリー戦、同点優勝となった尾関弘樹のトライというエピソードが入っているのだが、そんなことはどうでも良くなってしまうほど、魅力のあるエピソードが随所に盛り込まれている。
この書の主役は、神戸製鋼という華に後塵を拝し、砂を噛み続ける万年2位の三洋電機ではないのである。群馬県邑楽郡大泉町という、都会から離れた辺鄙な地で、素朴で粗野で不器用で、しかしラグビーを心から愛し、高校生である熊谷商工から始まり、松戸自衛隊、近鉄、新日鉄釜石、そして神戸製鋼と、時々に目の前に立ちふさがる大きな壁に、真正面から愚直に、FWからのサイド攻撃を頑なまでに信じてぶつかっていった、東京三洋の若者たちなのである。
右肩上がりの経済成長を背景に、エネルギーの有り余った若者たちが、懐の深い経営者と、どこか好い加減な社風と、のどかな土地柄と住民に支えられ、疾風の如く一気に駆けぬける青春群像なのである。
中学高校時代より三洋を見続け、自分が一番の三洋ファンであると思っていた自分が恥ずかしくなりました。僕が知っているのは、三洋電機ラグビー部47年の歴史の、ほんの一瞬でした。しかし、なぜ自分が、この頂点をなかなか獲れない不器用なチームを愛するのか、解った気がします。
そして奇妙な運を感じます。
僕が一ファンでなく、“記者”としてこの三洋電機ワイルドナイツに初めて取材したのが、2005-2006シーズンの2005年12月18日のワールド戦です。そう、悲願のトップリーグ首位の座を自ら逃した地元敷島での一戦です。
その前にチームへの取材はしていましたが、試合を取材したのはその試合が初めてでした。
1991.1.8の、こちらはブラウン管の前でしたが、あの宮地監督の唖然とした顔を見た時の衝撃と同じものをこの時感じました。
もっとこのチームを知りたいと感じたのも、この時でした。
尊敬する熱きコーチ・飯島均さんと最初に言葉を交わした時も衝撃でした。
僕にとって、宮地克実同様、飯島均、宮本勝文、シナリ・ラトゥは雲の上の存在。憧れの元プレーヤーを前に、ガチガチになり、あろうことか、『あの試合』のことをいきなり尋ねたのです。
「そんな誰でも注目する事を書きたがるんじゃないよ。注目することはもっと他にあるんだ。これからアンタが何かを書くんだったら、そんな表面に現れた誰でも分かりきった事ではなく、本当に書くべきものを見つけろ。」
一言一句正確ではないかもしれないけど、『あの一瞬』には答えてくれず、たしなめられた。それ以来、あの試合のことには触れていない。いや、触れる必要がない。だって、話しに事欠かないから。
この本を読んで、今は飯島コーチに言われたことが理解できるような気がする。
三洋ラグビーの歴史を優しく教えてくれる師・大平功さんの『更に三洋ラグビーを応援できます』という一文のように、イアンのトライも同点優勝も、この愛すべきチームを応援するためのスパイスなんだろう。
僕は見続ける。このチームを、群馬に三洋電機ワイルドナイツを無くしちゃいけない。
そしていつか、2005-2006シーズン、奇跡の東芝撃破、ワールドにまさかの敗戦から始まる、現在の野武士の青春群像を書いてみたい。
高崎はなんだかラグビー絡まりの講演が多いような気がします。昨年は高崎のJCが主催だったと思うのですが、平尾誠二さんを招いていました。
記念講演の題目は、『ワセダの知と熱』。
講演後ある方が、「

