2008年11月28日
石川雅規が、新たに選手会長へと就任しました。これで名実ともにヤクルトというチームを引っ張る立場になった訳ですね。
思えば彼は"エースの座を与えられた男"だったと思います。
彼の投球スタイルは、一般に思われる"エース"の価値観とは全く違うものです。直球で押し、変化球で捻じ伏せる・・・というよりはのらりくらりと凌ぎ、交し、如何にも技巧派といえるその投げっぷりは、石井一久や伊藤智仁といった投手を見てきた側からすれば物足りなく写ったことでしょう。
かく言う私もその一人です。石川がそのキャリアの多くを通じて二桁の勝利を挙げ、7年間で1100を超えるイニングを投げていることからも、彼がヤクルトの投手陣を支えていることは明らかでした。
しかしながら、僕は彼よりも川島亮をエースと考えていました。
投球スタイルのこともありますが、彼をエースと言えなかった所には防御率の問題もありました。4点台に乗ってしまう防御率は「抑えている」とは言いにくく、「先発が揃わないからこそ二桁勝つまで投げさせて貰っている」という悪評を呼ぶもとになっていたと思います。このようにギリギリで勝利を挙げていることから、仮に二桁勝っていても貯金は少なく、時にはマイナスに陥ることもありました。
昨年成績が落ち込んだ時は、彼の限界説まで囁かれたものです。
ところが、どうでしょう。今年の彼の防御率は2.67。セ・リーグの最優秀防御率です。
パ・リーグの岩隈やダルビッシュには及びませんが、それでも立派な数字であることは疑いようがありません。
今ならはっきりと言えます。石川雅規はヤクルトのエースです。少なくとも、それを務めるだけの実力を持っています。
今年もあまり貯金を稼ぐことは出来ませんでしたが、この防御率を見るからに援護に恵まれていなかったと言えるでしょう。はっきりとした数字は見つかりませんが、簡単に考えれば三点とれば勝てるはずなので、やはり援護さえあればさらに貯金を伸ばすことも可能だと思われます。
もともと球威をあまり必要としない為衰えによる影響は少ないと思いますので、怪我さえなければこれからも毎年安定した成績を残してくれるでしょう。
来年からの石川雅規にも、期待しています。
・・・そういえば、彼はWBCの候補に入っているのでしょうか?少し気になります。
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posted by えんをる |17:39 |
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2008年11月15日
五十嵐亮太が残留を決めた。
http://www.sanspo.com/baseball/news/081113/bsf0811131448001-n1.htm
単年契約。年棒9000万+出来高。来季のメジャー挑戦に含みを持たせた契約になった。
FA行使やメジャー挑戦をチラつかせながらの交渉だったからか、ファンからの意見はどちらかというと辛辣な部類に入るものが多い。二年間休んでおいて、今年即FAなんてよく言えたものだと、そのような意見が多かった。
正直交渉というものをよく解ってないのではないかと思わないでもないが、気持ちは解る。ニュースの情報だけで全貌を理解するのはたぶん不可能だから、切れ端だけを見れば印象が悪くなるのも仕方がない。
ただ、僕は五十嵐亮太がどのような人なのか知らない。
たぶん五十嵐亮太を批判している人も擁護している人も、ほとんどは彼がどのような人なのか知らない。交渉の席を誰が主導し、どんな雰囲気だったのか。五十嵐はどこまで本気だったのか。それをファンはみな、想像で語り合うしかない。
だから時々、水掛け論が巻き起こる。その度に、ファンとしての限界を少し感じてしまう。
僕は五十嵐亮太という投手が好きだ。
批判する人も、少なくとも彼が球界随一のセットアッパーor抑えであることは認めると思う。優勝したときも、それ以前もそれ以後も、彼がヤクルトの中継ぎとして多大な貢献をしてきた。
それは、この二年で全て潰されてしまう様な功績では無いと思うのだ。
僕は五十嵐亮太に期待し続ける。FA宣言をしても、メジャーに行っても、たぶん応援し続ける。これが、「ファン」である僕の意見です。
だから、「五十嵐が嫌いになった」的な意見を聞くと、僕は少し悲しいのです。ちょっと甘いのかもしれないけれど。
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posted by えんをる |10:14 |
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2008年11月12日
2001年10月24日。日本シリーズ第四戦。
相手は今は無き近鉄バファローズ。
1-1。同点。
イニングは7回。ノーアウト。走者なし。
対峙するは右腕、岡本晃。
2-1からの、四球目。
それが、副島孔太が最も輝いた瞬間だ。
副島孔太は1996年に、ドラフト五位でヤクルトに入団している。
一言で言えば、長距離砲だった。
巡り会わせが悪かったように思う。
この頃はヤクルトが黄金時代最後の残り香を放っている時期で、外野手は真中、佐藤、飯田、稲葉と駒が揃っており、新人選手の出る幕など無かった。
それでも副島は多くのチャンスを得ていた。
彼にとって決定的だったのは、ラミレスの加入だ。
ラミレスが加入したことにより、外野の層はさらに厚みを増した。守備面を考えれば、彼とラミレスを同時に起用するのはリスクがあった。
結果、副島はスタメン候補から代打へとそのポジションを下げることになった。
それが、2001年の話だ。
彼はこの年、代打として活躍したとは言いがたい。二年後、戎とのトレードでオリックスへと去る。
現在のヤクルトに彼がいれば、どうなっていただろう。
加入するのがあと五年遅かったならば、どうなっていただろう。
今のヤクルトに絶対的に欠けているであろう、長距離砲。今ならば、常時スタメンで使うことが出来るだろう。2000年に、三割を超えた打棒である。
畠山と同様か、それ以上の結果を出していたのではないだろうか。
まあ、所詮は妄想でしかない。
四球目。今となってはどこか儚げな輝きに見える、あの年。
打球は、高く、高く空に打ちあがった。勢いはギリギリで微妙ではあったけれど、かといって平凡なフライに留まるような物でもなかった。
祈るように、願うように。打球がなんだかゆっくりと、遠くへ、遠くへと運ばれている。
いつまでも落ちてこないような気がしたボールが、少しずつ、少しずつ落ちてくる。
落ちた場所は、フェンスをギリギリで乗り越える。
勝ち越しのホームラン。
2001年10月24日。日本シリーズ第四戦。
最後のバッターを高津が抑える。試合が終わる。
お立ち台に、副島孔太が上がる。背番号25が輝く。
副島孔太は既に、プロの世界から去った。
しかし、今も社会人野球で選手としてその人生を送っている。それを聞くたびに、僕はあの年のホームランを思い出す。
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posted by えんをる |08:23 |
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2008年11月08日
あまりに異様な投手だった。
右投げ。何故か両打ち。
サイドスローでありながら150km/hを超える剛速球。そして気持ちが良くなる位のノーコン。
そんな素質からかドラフトでは日米の球団が争奪戦を繰り広げた。
その注目度から新聞で取り上げられていた。その記事を読んだのが、僕が平本学という投手を認識した一番初め。
「こんな凄い新人が入ってきたのか」ととんでもなく期待した覚えがある。でも「体が硬い」とコメントしていて、ホントにそれで大丈夫なんだろうかと疑問にも思った。
様々な期待を胸に見たオープン戦。
ホントに、びっくりするぐらい四球が多く、あっという間に無死満塁。速球派投手のステレオタイプと言えるような投球内容に、むしろ爽快さを感じてしまった。期待に背かず不安定な投球内容。
その後三者三振で無失点で抑えたのも、平本がすごいというよりは古田に対する畏敬を新たにした。
それからしばらく見なかった。
久々に名前を聞いたのが二、三年前の春キャンプ。確か中継ぎが居なくなっていたからたぶん五十嵐と石井弘寿が既に怪我をしていた年だと思う。代わりとなる中継ぎ候補の一人として、何年か振りに懐かしの名前を聞いて毎日のオープン戦結果に一喜一憂していた。
しかし、その年も表に出ることはなかった。
次の年、彼はアンダースローに挑戦していた。
「体硬いのに大丈夫なんだろうか・・・」と少し心配になった。
そんな実に、実に解りやすい投手だ。直球のスピードに対する気持ちよさを、再認識させてくれた投手。
今振り返ると、あの直球は子供が投げる球みたいだな、と思う。
野球を始めたばかりの子供が、少しでも球速を出そうと全身の力をこめて投げる。その他に何も考えず、全力で。
コントロールとか、ペース配分とか、打者への攻め方とか、そういった細々とした物を全て忘れて、ただ投げる。速い球が、投げたくて。
そんな球が少しずつ速くなっていった結果、平本学という投手が生まれたような気がする。そんな純粋さが、あの球にはあった。
平本は、投げた。
純粋で、真っ直ぐで、しがらみのような物を突き抜けていくような、そんな直球を投げ続け、彼はヤクルトでの六年という時間を駆け抜けて行った。
ただ、一つ。
最晩年で取り組んだ、あのアンダースロー。
あの転向は、彼が野球少年では無く野球選手としてプロに向き合わざるを得ない出来事だったはずだ。
彼はそれをどう受け止めたんだろうか・・・いつか機会があったら、そんなことを聞いてみたい。
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posted by えんをる |09:39 |
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2008年11月04日
石井一久が、打たれた。
石井一久といえば、大舞台で図抜けた強さを発揮する投手だ。2001年優勝時、日本シリーズでの快投は未だ記憶に新しい。いてまえ打線と恐れられた近鉄の打者陣をまさに手玉に取ったあの試合は、まさに石井一久の面目躍如と言える場面だった。
メジャーから戻ってきてからの彼は、そこまで絶対的ではない。昔よりも不安定な面が大きくなっていて、今年の西武ライオンズで残した結果もらしくないものだった。
しかし、冒頭で言ったように彼は大舞台での異様な強さを持っている。そして西武ライオンズはポストシーズンへ進み、その能力を発揮する機会を石井一久は得た。
西武ファンの友人に、僕は常に言った。石井一久は、絶対に抑えると。彼が投げたときは必ず勝つ。だから西武は既に一勝しているも同然だと。
クライマックスシリーズ。彼は圧巻の投球を見せ、西武は日本シリーズへと出撃することになった。
僕は思った。
まだ彼の神通力は衰えていない。石井一久は未だに、いつも不安定なくせに大事な試合では完璧なピッチングをする、ヤクルト時代の彼のままだ。そう思った。
一勝一敗で西武ドームへと戻ってきた第三戦。
石井一久は投げていた。
変化球が、高く浮いていた。僕に解ったのはそれくらいだ。
あっという間に一点取られた。
気づいたら、四点取られていた。らしく、無かった。
その後しばらく無失点を続けた。序盤の失点は出会い頭だったんだな、やっぱり大舞台には強いな。そう思い始めたそのとき、ラミレスがそのバットを振りぬいた。
その瞬間、ヤクルトと石井一久をつないでいたものの一つが途絶えたような気がした。
それは僕が勝手につないだ何本もの糸の内の、ほんの些細な一本だったけど、なんだか無性に寂しかった。
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posted by えんをる |22:50 |
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