2008年10月30日

『三木肇。』

三木肇




とにかく打てなかった。


三木肇。内野手。右投右打。



彼が表舞台に出てきたのは、2001年。

優勝したあの年。
ヤクルトにおける二塁手の代名詞ですらあった土橋勝柾が、衰えを見せ始めていたあの頃。

故に三木は現れた。土橋の後を継ぐかもしれない存在の一人として。当時はその立ち位置に抜きん出た存在が居たわけでは無かった。そこには野口祥順と城石憲之が共に居て、その三人がセカンドで入れ替わりながら試合に出ていた。

三木は24歳。野口が20歳で、城石は27歳。あの時、彼らには皆未来があった。土橋の後継者は、この三人の中から恙無く生まれ出でるのだと。そう無邪気に信じていた。


彼は控えという立場でありながら、その中でもさらに二番手であったと思う。

野口こそ怪我により遠回りを強いられていたものの、彼の前には常に城石がいた。より重宝されていたのは城石だったし、絶対的ではなかったものの、レギュラーを一時的に奪取したのも城石だった。


そして、田中浩康が土橋の後を継いだ。


三木の場所は、いつの間にか無くなっていた。

嘗て彼の役割だった場所には、河端、野口、梶本といった彼より若い選手が座っていた。あの頃若手だった彼もいつしか30歳になっていた。両打ちへと転換し、それでも尚向上することは無かった打棒と年齢は、彼の状況を少しずつ変えていった。


しかし、彼にはまだ脚が残っていた。

地位を固めることも叶わず、後輩は自分の前に行き、後から来た存在にポジションを奪われた。
でも彼は、グラウンドに立っていた。自らの両足で、その存在を周囲に発し続けていた。

頻繁に、という訳では無かった。ミスだって少なくなかった。
だからこそ、代走として登場したその一瞬一瞬には、とても、とても大きな意味があったと思う。


三木肇はそうやって、ヤクルトで12年という時間を築いて行ったのだと思う。



今年、彼は日ハムへと去っていった。結果として今年でユニフォームを脱ぐことになってしまったけれど、彼がプロで残した13年の日々は、三木肇という選手が如何なる存在であったかを静かに示してくれている。


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posted by えんをる |07:47 | 選手の話。 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年10月22日

『石堂克利。』

石堂克利



右投げ右打ち。松坂世代。

誰が彼の名前を覚えているだろう。


松坂大輔が持て囃された98年。ヤクルトのドラフト一位入団選手。
スカウトは「松坂以上の才能」と言った。
しかしそんな彼が残した足跡は、同じ時代の旗手が残したものとは比べることが出来ないくらい乏しかった。


怪我、という逆風もあった。

入団してから何年か、彼の名前は聞いたことが無い。
始めて聞いたのは、既に2001年の優勝も通り過ぎた後。優勝に貢献していた多くの投手が、いつの間にか、悉く姿を消してしまったあの頃だ。


藤井は肘を壊した。前田と入来にはあの頃の面影など無く、石井一久は既にアメリカのマウンドに居た。

みんな居なくなった。


そして石堂の怪我が癒えた。ついに石堂克利が、ヤクルトのマウンドに登った。


皆切望していた。優勝時の先発陣が崩壊した後、新しいサイクルが生まれることを。
そしてその象徴になる選手の出現を、皆求めていた。

少なくとも僕はそうだった。



彼はとにかく、続かなかった。

開幕当初は素晴らしい。しかし、それは絶対に長続きしなかった。すぐに不調に陥っていく。

それが二年続いた。それすらも、二年しか続かなかった。



彼は一度、打者に転向したことがある。確か一昨年の秋季キャンプだ。
しかし、最後には再び投手として投げていた。

「もう一度、投手として勝負したい」と、そう言った。そこには、投手としてのプライドが垣間見えた。





石堂克利。

彼は自分の人生を歩んできたけれど、その足跡の多くは僕らの目に見えない場所にあった。


松坂がアメリカで躍動する中、彼は今ヤクルトの打撃投手を務めている。



隠れた場所にある足跡を、少し日のあたる場所に誘う。そんな仕事を、彼は今している。


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2008年10月16日

『由規、』

由規。



10月8日 vs横浜ベイスターズ 先発・八回1失点。。


僕は、由規が今期活躍するなどとは一度も思ったことが無かった。

単純に力不足だと思っていた。たぶん、殆どの人もそう考えていたのではないだろうか。
もちろん当初先発陣はスカスカだったから、出番自体はあるだろう。しかし、だからといって高卒の選手がいきなり二桁勝つような、そんな楽観的な予想をそれこそ無邪気に信じていたファンが、一体何人いたんだろう。

由規は田中や松坂のように並外れた怪物性を甲子園で見せ付けたわけでは無い。ただ150km/hのストレートを投げることが出来ただけだ。もちろん他にも色々と持っているものはあったけれど、手に入れたものは優勝旗では無い。

しかし、記憶は残った。多少なりとも鮮烈なその記憶。僕はその記憶を、未来にとって置く事にした。直ぐには躍動することは無いだろう。もしかしたら、そのまま怪我で消えていってしまうかもしれない。
しかし怪我さえなければ、恐らくは。


それすらも、恐らく。世界というのは、たぶんそういうものだ。


そんな中、由規は今望外の結果を出すに至っている。

僕が想像していたようなひ弱さなんて、笑い飛ばすくらいに打ち破る、そんな姿が今マウンドにはある。

たまたま調子がいいだけかもしれない。来年はまた、長い二軍暮らしが待っているのかもしれない。



まだ二勝。されど二勝。


ゆっくりでいい。

乗り越えながら、迂回しながら、大きな柱になってほしいと。僕は素直にそう思う。


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2008年10月11日

『河端龍。』

河端龍



中継ぎ。鮮烈なる右腕。

如何にもヤクルトらしい、細身できしゃなその出で立ち。


2001年。21世紀の始めの年に、新しくなるヤクルトの産声を上げたあの年。
確かに新しいサイクルが始まったと、そう思ったあの年。

ヤクルトの、今現在最も新しい優勝。

そこに河端龍は居た。


中心に居た、といっても過言ではない。

それまで殆ど名前を聞いたことの無い投手だったけれど、彼なくしてあの年の優勝は無かったのではないだろうかとすら思う。絶対的な存在では無かったのかもしれないが、本当に無くてはならない存在だった。
絶対的な抑えに高津がいたが、それだけで勝てる訳では無い。

ロケットボーイズが未ださほどの脅威では無かったあの年に、君臨したあの姿がどれほど頼れる背中だったことか。

ことに河端に関しては、崩れたという記憶が無い。
それくらい、大きな中継ぎだった。昨今のヤクルトの低迷は、ロケットボーイズの不在もさることながら河端も同時に潰れてしまった事だと思う。
この三人のうち誰か一人でも健康体であれば、あるいは。
それは叶わぬ願いではあったけれど、あるいはヤクルトはまた別の姿を見せていたかもしれない。
そんなことを考えてしまった。


結局のところ、僕は五年ほどしか河端龍を見ることが出来なかった。
その間彼はいつも勝ち試合で投げていた。
中継ぎの切り札としてマウンドに登り、ファンの期待を背負ってその右腕を振り回した。


あれから、たった七年。
たった七年で、彼は居なくなってしまう。あれほど頼りがいがあって、あれほど僕らの期待を背負ってくれた河端龍が、たった七年で居なくなってしまう。

どうしようもない。
怪我なのだ。どうしようもない。去年も一昨年も、彼が一軍で投げることは無かった。戦力外通告があったという話は聞いていない。だとすれば、本人の決断なのかもしれない。全ては僕の勝手な想像だ。




河端龍が表舞台から去ってしまう。


恐らくは10月12日に。

間違いなく明治神宮球場で。

彼がいろんな物を賭け、僕らが彼にいろんな物を願ったその場所で。


河端龍は、表舞台から、去る。



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2008年10月06日

『小野公誠。』

小野公誠


捕手。右投げ右打ち。

ヤクルトには古田敦也がいた。
ヤクルトの捕手には常に古田敦也がいた。
チームがグラウンドに散ったとき、彼は必ずホームベースの近くに立っていた。

故に、小野公誠が表舞台に立つことは少なかった。


しかし彼は、古田敦也が居ないときには常にグラウンドにいた。
控えという立場ではあった。代役という役割ではあったが、そこは間違いなく小野公誠の居場所だった。
彼は常に古田の影にいた。だけど、彼は常にヤクルトと共にいた。


彼が最も輝いていたのは、恐らく2001年だった。ヤクルトが優勝した、あの年。
中盤で古田が膝を壊し、故に回ってきたその座。やはり代役ではあったけれど、常にスタメンで出続けた。
彼は打った。古田の影を感じさせないほどに、打った。
あの時、彼は希望だった。古田がいなくなっても、小野がいれば何とかなる。そう思った。

それは間違いだった、とは僕は思わない。あの年結局は、小野は古田の穴を埋めることはできなかった。
古田は膝の水を抜きながら、グラウンドに戻らなければならなかった。
でもあの時、小野は間違いなく古田の後を継ぐような、そんな姿を見せてくれていた。



小野公誠。

古田敦也の影に生きた選手。ただ、彼は決して影そのものでは無かった。

そんな彼もまた、今年ヤクルトを去る。


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2008年10月01日

『度会博文。』

度会博文。


頼りになる控え。右打ち。一度聞いたら二度と忘れぬ名前。
草野球から見出された、ヤクルトの独特なドラフトを象徴する一人。

始めのころはなんと読むのか解らず、ウグイス嬢の声に必死で耳を欹てていた。
この人は常に控えだった。僕がヤクルトを見始めてから、彼がレギュラーに定着した年は一回も無かった。
だからウグイス嬢のコール自体が稀で、だから僕はいつまで経っても名前を覚えられなかった。

ただ「度会」という名前だけは、僕の目からはっきりと脳みそに刻みついていた。「度会」と「わたらい」が別の選手だと、そう勘違いしていた時期もあった。
友達に「ドアイ」と言って、「お前ほんとにファンなのか?」と問いただされた、実に笑えない昔話もある。


彼は実に多彩な場所を守っていた。それは逆に言うと、器用であるが故に使いまわされた感があった。守備が下手だったとは思わないけれど、かといって上手かったのかは疑問だ。
ベテランが築いてきた経験が、様々なポジションを守らせていたのだと思う。そこには背負ってきた時間があって、立ち姿は何故か見てると安心できた。

度会博文は、僕にとって代打だった。僕にとって代打といえば、度会博文だった。
彼から代打としての凄みを感じたことはあまり無い。でも、根拠はなくとも、何かをやってくれそうな打者だった。
何故かそんな思いを抱かせてくれた。それはやはり、打者として生き抜いた、その日々の重みなのかもしれない。


いつだっただろうか。

確か、若松が監督であっただろうか。度会の一振りで、試合が決まったことがあった。サヨナラだったはずだ。
お立ち台には度会が上った。そして言った。

「この瞬間のために、俺は代打をやっている」




いつからだっただろうか。

僕にとって度会博文は代打だった。僕にとって代打と言えば、度会博文その人だった。
彼は常に控えで、器用貧乏で、ついぞヤクルトでスタメンを奪い取ることは無かった。
明らかに二軍には納まらない実力がありながら、一軍で力を存分に発揮することは無かった。

しかし、彼は時々そこにいた。僕は彼に期待した。
出てくるだけで諦めがつくような、そんな切ない打者が何人も居る中で、僕は度会に対して期待し続けた。
彼ならば打ってくれる様な、そんな気がした。




度会博文。


代打。切り札。信頼できる男。

一度聞いたら二度と忘れぬ、名前。

恐らくは僕の中に長らく残るであろう、名前。


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