2008年10月01日
『度会博文。』
度会博文。 頼りになる控え。右打ち。一度聞いたら二度と忘れぬ名前。 草野球から見出された、ヤクルトの独特なドラフトを象徴する一人。 始めのころはなんと読むのか解らず、ウグイス嬢の声に必死で耳を欹てていた。 この人は常に控えだった。僕がヤクルトを見始めてから、彼がレギュラーに定着した年は一回も無かった。 だからウグイス嬢のコール自体が稀で、だから僕はいつまで経っても名前を覚えられなかった。 ただ「度会」という名前だけは、僕の目からはっきりと脳みそに刻みついていた。「度会」と「わたらい」が別の選手だと、そう勘違いしていた時期もあった。 友達に「ドアイ」と言って、「お前ほんとにファンなのか?」と問いただされた、実に笑えない昔話もある。 彼は実に多彩な場所を守っていた。それは逆に言うと、器用であるが故に使いまわされた感があった。守備が下手だったとは思わないけれど、かといって上手かったのかは疑問だ。 ベテランが築いてきた経験が、様々なポジションを守らせていたのだと思う。そこには背負ってきた時間があって、立ち姿は何故か見てると安心できた。 度会博文は、僕にとって代打だった。僕にとって代打といえば、度会博文だった。 彼から代打としての凄みを感じたことはあまり無い。でも、根拠はなくとも、何かをやってくれそうな打者だった。 何故かそんな思いを抱かせてくれた。それはやはり、打者として生き抜いた、その日々の重みなのかもしれない。 いつだっただろうか。 確か、若松が監督であっただろうか。度会の一振りで、試合が決まったことがあった。サヨナラだったはずだ。 お立ち台には度会が上った。そして言った。 「この瞬間のために、俺は代打をやっている」 いつからだっただろうか。 僕にとって度会博文は代打だった。僕にとって代打と言えば、度会博文その人だった。 彼は常に控えで、器用貧乏で、ついぞヤクルトでスタメンを奪い取ることは無かった。 明らかに二軍には納まらない実力がありながら、一軍で力を存分に発揮することは無かった。 しかし、彼は時々そこにいた。僕は彼に期待した。 出てくるだけで諦めがつくような、そんな切ない打者が何人も居る中で、僕は度会に対して期待し続けた。 彼ならば打ってくれる様な、そんな気がした。 度会博文。 代打。切り札。信頼できる男。 一度聞いたら二度と忘れぬ、名前。 恐らくは僕の中に長らく残るであろう、名前。 人気blogランキング 日本ブログ村東京ヤクルトスワローズ
posted by えんをる |11:40 |
思い出の選手。 |
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