2010年01月20日

きょうはきょうについて書きます

「論語」小路篇のなかに「狂なるは進取」なる言葉があるそうです。
「狂なる精神からこそ、新しいものは生まれない」といったような意味でしょうか。

そして、碩学の漢字学者・白川静は「生きることは一種の狂である」と言います。
漢字の源流を辿り、その意味を詳らかにすることに全人生を賭けた白川静の生き方は、まさに「一種の狂」なのかもしれません。私なりに解釈すれば「とことんまで何かを追求しなければ、物事は成し遂げられない」。「とことんまで何かを追求しない人生なんて、いかほどの意味があるのか」という峻烈な意味が込められているように受け取れます。

さらには、かの吉田松陰は自らを「狂夫」と名乗り、「志を打ち立てるためには、人と異なることを恐れてはならない」と言っています。

我々の日常生活のなかでは、ネガティブな意味で用いることが多いのでしょうが、偉大なる先達はむしろ「狂」のなかに「新しいものを生み出す力」があると言っています。ちょっと恰好つけて言うのであれば、先駆者や変革者と呼ばれるような精神性がある、ということでしょうか。念のために書いておくと、この「狂の精神」が、昨今よく耳にする「人と違うことをやりたい」とか、「平凡は嫌だから、変わったことをしたい」みたいなお手軽な個性(と呼ばれるもの)を指しているのではないことは、言うまでもありません。


DREAMのなかにも「狂」をまとっている格闘家の顔が思い浮かびます。
果たして彼らが、単なる一個性的なファイターで終わるのか、それとも時代を動かす変革者たりえるのか。より正確に言うのであれば、「狂」をまとっているだけではダメなのでしょう。それが身体のなかから滲み出るようにならなければ。

2010年は、日本人ファイターもそうですが、外国人ファイターに、こうした精神性を体現するような選手が出現してくれれば、と思っています。個人的に期待しているのはアンドリュース・ナカハラとマリウス・ザロムスキーの二人。

アンドリュースからは強くなることへの飽くなき探究心のようなものを感じます。ザロムスキーは、まだ「狂」をまとっている状態なのかもしれませんが、発光体になる可能性を充分に秘めているように思います。

狂ったようにその道を極めようとする。格闘技で言えば、研鑽と鍛錬の果てにこそ真の強さがあるのでしょう。本当の「強」は、「狂」から生まれるのかもしれません、という今日のお話でした。

posted by dream_sasahara |16:37 | トラックバック(0)
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