2008年05月23日
【競馬】ライスシャワーの最期~第36回宝塚記念プレイバック~
全く当たらないGI予想とは別の観点で、私の記憶に残っているレースを振り返ってみようと思います。今回は第36回宝塚記念(1995年)です。
1995年、日本は未曾有の災害に見舞われました。「阪神・淡路大震災」が発生したのです。通常宝塚記念を開催する阪神競馬場も震災により被害を受け、この年の宝塚記念は京都競馬場で開催されることとなりました。 ファン投票1位で選出されたのはその年の天皇賞(春)を制したライスシャワーでした。宝塚記念の鞍上はいつもの的場騎手。当時ライスシャワーが好きだった私は、ライスシャワーを軸にインターライナー(横山典)、チョウカイキャロル(小島貞)、ナリタタイシン(山田)を絡めた馬券を東京競馬場で購入し、同競馬場内の中継TVで宝塚記念を観戦することにしました。 ゲートが開き、17頭が綺麗にそろったスタートを切ります。注目のライスシャワーは後方待機で最後の直線で捲くる作戦を取るようです。やや長めの一団が3コーナーの下りに差し掛かったで突然アクシデントが発生しました。ライスシャワーがつんのめる様に転倒し、的場騎手も馬から放り出されたのです。中継TVを見入っていた東京競馬場の観客も一瞬凍りつき、そしてざわめきました。 ライスシャワーは前足をガタガタさせながら懸命に歩こうとしていました。すぐに診断されましたが、粉骨骨折という重傷を負っており予後不良ということでその場で安楽死処置されます。ターフ上でシートをかけた状態での安楽死処置は非常に残酷で衝撃的なものでした。競馬を見て本当に泣いたのは後にも先にもライスシャワーの最期を見たこの時だけです。 的場騎手に幸い大きな怪我はありませんでしたが、このアクシデントの際にライスシャワーは的場騎手を下敷きにしないように転倒したと述べています。約3年の間主戦騎手として騎乗した的馬騎手とライスシャワーの絆の強さが、結果的に的場騎手の命を救うことになったのでしょう。また当時超高速馬場と呼ばれた京都競馬場の硬い馬場がライスシャワーの故障を生んだと言われ、JRAに非難が集中したといいます。 ライスシャワーはミホノブルボンの三冠を阻止し、またメジロマックイーンの天皇賞(春)三連覇を阻むなど当初はヒールとしてイメージされていましたが、2年ほどのスランプから復帰して二度目の天皇賞(春)を制してからはその悪役としての人気ではなく、復活した古豪というような形で人気を得ることになりました。小さな馬体ながらその凛とした出で立ちが美しい馬でした。最後の純粋ステイヤーであったライスシャワー以後、日本競馬はますますスピード化が進み、ステイヤーの血を活かすレースが非常に少なくなってきているのが残念でなりません。 ★第36回宝塚記念★ (1995年6月4日京都芝2,200m) 1着:ダンツシアトル 2着:タイキブリザード 3着:エアダブリン 4着:トーヨーリファール 5着:アイルトンシンボリ
posted by dongking |15:51 |
競馬 名馬 |
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Re:【競馬】ライスシャワーの最期〜第36回宝塚記念プレイバック〜
ライスシャワー懐かしいですね。最初はニクたらしいキャラでしたが、あの黒い馬体はキレイでした。
スポナビの競馬記事は予想が多いので、こういう読みものもいいですね。
posted by 懐古主義 | 2008-05-23 21:21



