2008年08月20日
【プロ野球】無冠の名打者、ついに現役引退へ ~清原和博
2007年のキャンプ中に左ひざを痛め、軟骨除去手術を受けた清原。昨年はプロ入り初の出場試合数ゼロという結果に終わりました。今季後半に一軍登録され代打を中心に出場していますが、41歳の誕生日であった8/18の試合後には今季限りでの現役引退を示唆する発言をしました。今回は清原の今までの打撃成績を振り返ってみようと思います。
■無冠の帝王 打者部門の三冠タイトルである首位打者、本塁打王、打点王を獲得したことがないために、清原はしばしば「無冠の帝王」と呼ばれています注1。しかし、各年度の三冠タイトルを獲ったことがないとはいえ、清原は通算2000本安打、500本塁打、1500打点を達成(他は王貞治、野村克也、門田博光、張本勲、落合博満)しており、プロ野球界に燦然と輝く名打者であることは異論がないところでしょう。 ※注1:新人王、最高出塁率(2回)、最多勝利打点(1回)、ベストナイン(3回)、ゴールデングラブ賞(5回)は獲得。 ■通算本塁打ランキング 王貞治 868本 野村克也 657本 門田博光 567本 山本浩二 536本 清原和博 525本 ★ 落合博満 510本 張本勲 504本 衣笠祥雄 504本 大杉勝男 486本 田淵幸一 474本 ※★印:現役(2008年8月19日現在) ■ブライアント、デストラーデの影響 通算本塁打歴代トップ5のプロ入り年数ごとの累積本塁打数は以下のようになっています。7年目までは王(212本)を抜くペース(222本)で本塁打を量産していた清原ですが、8年目(1993年)以降はそのペースが鈍っていきます。デビュー当時こそ三振数が109→88→102でしたが、1989年から1992年までは100三振を超えることもありませんでした。しかし通算本塁打数のペースが鈍りだした1993年以降、清原の三振数は激増します(1993年から巨人へ移籍した1997年まで120、117、111、122、152三振)。三振数を減らす方向にあった清原に何があったのでしょうか。それを考える上で重要だと考えられるのが、1989年以降1994年までパ・リーグの本塁打王はブライアント(近鉄)とデストラーデで占められていたという事実です。 【1989年~1994年パ・リーグ本塁打王】 1989年 ブライアント(近鉄)49本 ⇔ 清原 35本 1990年 デストラーデ(西武)42本 ⇔ 清原 37本 1991年 デストラーデ(西武)39本 ⇔ 清原 23本 1992年 デストラーデ(西武)41本 ⇔ 清原 36本 1993年 ブライアント(近鉄)42本 ⇔ 清原 25本 1994年 ブライアント(近鉄)35本 ⇔ 清原 26本 ブライアント、デストラーデは本塁打を量産する一方で三振数も多い打者でした。彼らが毎年本塁打王を獲得するのを目の当たりにした清原は三振数を少なくすることよりも、三振を恐れずに強振する事で自らの本塁打数を増やす道を選択したのではないでしょうか。 しかしその選択は清原にとって良い結果が出たとはいえませんでした。その後西武時代の清原の本塁打数は1996年に31本塁打をマークした以外、年間30本塁打を超えることはありませんでした。但し、1995年以降数年のパ・リーグ本塁打王は非常に少ない本数での戦い(=投高打低)でした。 ■三振と本塁打数の関連性 三振数と本塁打数の関連性を見るために「三振÷本塁打数(SO/HR)」の数値を見てみます。この数値が低ければ少ない三振数でありながら本塁打を稼いだことになります。逆に数値が高ければ1本塁打を打つために多くの三振をする結果になったことを表します。清原のグラフを見ると、プロ入り8年目(1993年)以降のSO/HRが非常に悪化していることが分かると思います。 ■肉体改造と怪我 巨人に移籍した1997年、清原は打率.249、32本塁打、95打点、152三振という成績でした。本塁打、打点はなかなかの数字ですが、打率の悪さと三振の多さから期待はずれというレッテルを貼られてしまいます。この成績はブライアントやデストラーデの成績と非常に酷似しています。皮肉にも清原が目指したかもしれない彼らのようなスタイルを、ファンは清原に期待していなかったことを表しているのかも知れません。 1999年怪我に泣いた清原は渡米しケビン山崎の元で肉体改造に着手します。巨人との複数年契約最終年であった2001年には打率.298、29本塁打、121打点という巨人入団以来最高の成績を残しました。肉体改造は彼の打撃に対してメリットを産んだことは確かだったと思いますが、これにより急激な体重増を引き起こしてしまったデメリットのほうが大きかったのではないでしょうか。怪我対策で肉体改造を行った清原でしたが、その後も度重なる故障に悩まされていくことになります。 ■私見 ファンとは贅沢なもので、鮮烈なデビューを果たした清原に対して安定した本塁打と打率の両方を求めていたと思います。当初ファンの期待に応えるかのようなスタッツを残しましたが、「一番」を獲れなかった清原は自らの打撃の方向修正を図りました。しかし、それにより更に安定を欠く成績を残す方向に向かっていきました。 また非常に多くの怪我に悩まされ続けていることも残念で仕方がありません。外角球に踏み込んでいくスタイルのために出会い頭的な死球が多く、それに対する有効な対策を取れなかったこと、マシンを使用した急激な肉体改造によって故障しがちな身体バランスになってしまったことが、清原の多発する怪我に繋がってしまったのだと思います。 それでも清原は通算2000本安打、500本塁打、1500打点を達成しました。「中長距離打者として三振数を減らす方向を継続していたら…」「怪我に悩まされていなければ…」。清原は一体どんな打者になっていたのでしょうか。 今季限りでの現役引退を表明しましたが、残り試合で1本でもいいので右翼へ高く美しい放物線を描く本塁打を放ってくれたらと思います。無冠ではありましたが、記録にも記憶にも残る名選手だったと思います。
posted by dongking |03:10 |
野球 名選手 |
コメント(0) |
トラックバック(0)






