2010年12月26日

帰るべき場所~高松大樹~

 あの日、2009年10月18日、引分け以下でJ2への降格が決まってしまう大分トリニータは、リーグ戦13試合負けなしで首位の清水エスパルスをホームに迎えた。
 後半5分、セットプレイでエスパルスに先制され、崖っぷちに立たされたトリニータを救ったのは高松大樹の2ゴールだった。
 逆転ゴール後、ジャンプしたあと右腕を上に掲げるのではなく、パンチを放つように水平に伸ばし、力強く握りしめる右拳を震わせていたその姿は、今でも強烈に、ナビスコ杯の決勝の先制ゴールよりも鮮明に、僕の中に残っている。
「やっぱり、トリニータは高松だ」
 多くのトリサポがそう再認識した試合だった。

「僕達には高松大樹がいる」
 誰が、あるいはどれだけの選手が移籍しても、いつも必ず最後はそう思って気持ちを落ち着かせきた。
 僕は勝手に高松だけはずっとトリニータにいるだろう、と思っていた。
 大分トリニータが再びJ1へ復帰するまで何年かかっても高松といっしょに頑張っていくんだ、とある意味現実的問題から逃避するように信じていた。

 口下手で、ややもすると無愛想で熱く何かを伝えるプレイヤーではなく、だけど彼の背中ほど説得力を持ち、信頼できるものもなかった。ここ数年は怪我で満足なプレイができず、08~10年の3年間でリーグ戦合計6ゴール。だけどそういった数字だけでトリニータにとっての高松を語ることはできない。
 ミスタートリニータという呼び名は好きではないけれど、彼が象徴のような存在で、トリニータに限りない愛着を持っていた選手の一人であるのは紛れもない事実である。多くのチームメイトが大分を離れていく中、トリニータ残留を早々に宣言し、「1年でのJ1復帰」とずっと言い続けてきた。ブルーリングを手首につけ、若手や移籍加入した選手を食事に誘い、トリニータを、大分を伝え続けてきた。その矢先に自分が負傷し、どんな気持ちで開幕を迎え、順位を下げていくトリニータをどんな想いで見ていただろう。

 できることならば、1年間通してプレイしたうえで移籍させてあげたかった。昨季、今季と満足なプレイができなかった高松本人が最も悔いを残しているだろう。
 だが、今の大分トリニータは想いや情だけで何かを語ることは許されない。

 それでも、僕は信じる。高松はいつか大分へ帰ってくる、と。
 だから嘆くだけじゃなくて、責めるだけじゃなくて、僕達はやらなければならない。
 試合前の選手入場時、キャプテンマークを付けた高松はいつも先頭で、まず僕達のG裏を見てピッチに入っていた。
 僕達はずっとここにいるから。いつかまた、高松のあのチャントが歌えるその日まで、僕達はずっとここにいるから、高松、安心して行って来い。
 おまえの帰るべき場所大分トリニータは僕達が守り続ける。

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posted by きくりん |22:44 | トリ戦士コラム | コメント(6) |
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2010年12月18日

河原和寿様

 僕はあなたのプレイが大好きでした。
 全力でピッチを駆けるあなたに心熱くなり、試合終了後の挨拶で、いつも最後まで残って深々と頭を下げるその姿に僕は何度あなたの名を叫んだことでしょう。
 もし、大分トリニータに経営危機がなければ、大分FCはきっとあなたに完全移籍を打診したはずです。これからのトリニータにあなたのような選手が本当に必要なのですから。

 僕は、個人的に誰か特定の選手のファンになったり、応援したりするのはもうやめよう、と昨年末決めたつもりでした。昨年、頭ではわかっていても、どうしても心がついていけなかった別れが多過ぎて、チームを愛しても選手に肩入れするのはもうよそう、そう思っていました。
 
 土岐田に続き、あなたのレンタル移籍での加入が決まったのが8月11日。僕は大分FCのこの状況での選手獲得に否を唱えていました。補強すべきではない、と。
 だけど、あなたに魅せられるまでそれほど時間はかかりませんでした。それはたぶん、あの頃のトリニータに欠けている全てをあなたが体現していたからかもしれません。

 あれから4ヶ月、いっしょに闘ったのはわずか4ヶ月でしかないのです。時間にしたらわずかですが、随分と濃密な4ヶ月でした。
 だけど、僕はもっとあなたのプレイを見たかった。もっとあなたといっしょに闘いたかった。もっとあなたのゴールで喜びたかったです。

 これからも続くあなたのサッカー人生の中で、この4ヶ月がどんな意味を持つのか、僕にはわかりません。最終戦、試合終了後ピッチに座り込んだあなたの姿を今でも時々思い出します。あの時のあなたの気持ちを考えるたびに胸が締めつけられます。もし、大分でやり残したことがあるとするならば、あの終了間際のチャンスを決め切れなかった悔しさがあるとするならば、この4ヶ月があったから選手として成長できた、と思えるようなサッカー人生を今後歩まれることを切に願っています。

 月並みですが、僕はあなたという選手が大分トリニータにいたことを決して忘れません。僕にとって2010年はあなたといっしょに闘った年なのです。

 恐らく、このブログであなたのことを触れるのはこれが最後でしょう。
 何の面白みもない、何の捻りもない、ありふれた内容になってしまいましたが、でもこれが僕の真っ直ぐな想いです。

 今日12月18日、練習場であなたに握手してもらって、結局言えなかったこの言葉を伝えたくて、このブログを書きました。
「僕はあなたのプレイが大好きでした」

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posted by きくりん |22:32 | トリ戦士コラム | コメント(4) |
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2010年12月07日

走馬灯◆大分トリニータ 2010 J2第38節vs横浜FC◆

 「さあ行こうぜ 俺達の誇り 愛しているぜ ララララ ララララ 前を向き突き進め」
 このチャントを歌い始めた時、前半途中だというのに目頭が熱くなった。

 柏戦、このチームならやれると感じた手応え。
 ホーム開幕戦を迎えられたあの喜び。
 ひとり車を走らせた富山戦。
 崩壊の予兆があった栃木戦。
 生まれて初めて四国の地を踏みしめた、今季ベストゲームの徳島戦。
 桃太郎チャントの応酬が楽しかった岡山戦。
 刀根と東に未来を感じた草津戦。
 バトルオブ九州の順位予想に何の迷いもなく「1位 大分トリニータ」と書き込んだ北九州戦。
 トリニータの実力がどれだけのものか思い知った横浜FC戦。
 カテゴリーが変わっても勝てず、点差以上の差を感じたジェフ戦。
 ジョンハンがハットトリックを決めても勝てなかった鳥栖戦。
 高松が復帰し、森島が光った札幌戦。
 試合開始早々の失点での敗戦に昨季を思い出させた愛媛戦。
 トリサポで良かったと思った熊本戦。
 参戦しなかった東京V戦。
 会う人みんなに頭を下げて回った福岡戦。
 相手のシステム変更に対応できなかったファンボ采配の甲府戦。
 惨敗のジェフ戦。
 高松のゴールでやっと、本当にやっと勝利した富山戦。
 河原が加入するも土岐田の退場も響き敗れた栃木戦。
 ダニエル選手のオウンゴールで勝てた草津戦。
 シーソーゲームの末引き分けた甲府戦。
 裕大の初ゴールで同点の甲斐なく負けた、雷雨再試合の水戸戦。
 灼熱のホーム鴨池で逆転負けを喫した札幌戦。
 全くいいところのなかった岐阜戦。
 河原初ゴールで前半を終わるも後半開始早々追いつかれた水戸戦。
 土砂降りの雨の中、試合終了直前に追いつかれた北九州戦。
 首位のチームには強いぜ、と久々に鼻高々だった柏戦。
 後半途中から参戦し、何とか東のゴールに間に合った徳島戦。
 河原がゴールを決め、関東のトリサポが久しぶりに「大分よりの使者」を歌えた東京V戦。
 最も楽しみにしていたアウエーだったのに、何かしら消化不良で負けた岡山戦。
 簡単にJ1には行かせないと意気込んだ福岡戦。
 体調不良も重なって不参戦の愛媛戦と熊本戦。
 原点回帰、あの幸せを伝えたいと思った鳥栖戦。

 それぞれの試合、その時々の自分がどんな状況だったのかが思い出された。
 良い時と悪い時とで全く別のチームになってしまったトリニータ。先制し同点に追いつかれると、もう負けているような雰囲気になってしまったトリニータ。まるでシュートを打つのを恐れているようにパスを回したトリニータ。
 もどかしく、歯がゆく、不甲斐なかった2010年の大分トリニータ。ため息をつき、呆然とし、言葉を失い、それでもやっぱり僕はこのチームが切ないくらいに愛しくて、「さあ行こうぜ」と歌う時に左手を高く広げるたびにこみ上げるものがあった。
 
 後半、東が同点ゴールを決めたあとの大銀ドームは錯覚かもしれないけど、まるで昨季までの2万人前後入っていた頃のような雰囲気になっていたように思えた。決定的な場面で河原のシュートは決まらなかった。終了直前、ゴール前に菊地が駆け上がってきた。完璧なフリー。インサイドで丁寧なシュート。決まった、と思い、僕は飛び上がった。しかしボールは無情にもゴール右にそれていき、掲げた両手は頭にいき、僕はしゃがみ込んだ。

 決めさせてあげたかった。決めてほしかったではなく、河原にも菊地にもゴールさせてあげたかった。もし決まっていれば、彼らのこれまでの苦しみ全てが報われないにしても、彼らの大分トリニータが昇華できたかもしれない。
 動けず立ち上がれない二人を見ていたら、我慢していたものが溢れてきた。タオマフで何度拭ってもピッチの光景が歪んで見え、座り込んでうつむいては、最後なんだから見届けないと、と立ち上がり、だけどまた座り込んでを繰り返した。二人の名をコールし、そのあとも何度も二人の名を呼んだ。ただただ、二人の名を叫び続けた。


 
 セレモニーもホベルトとの再会も終わって、僕はいっしょに応援していた人達から離れた。どうしても一人になりたかった。少し離れた場所から一緒に応援していたみんなの姿を見ていた。
 2月、宮崎でのマリノスとの練習試合を観に行った時、トリニータの選手が誰が誰だかわからなかったとこから始まって、約10ヶ月苦しかった時も、打ちのめされた時も、やっと抜け出した時も、僕達はずっとトリニータと一緒だった。昨季より華がなくても、どんなに勝てなくても、今季ピッチを駆けた選手達は僕の大好きな大分トリニータだった。

 2010年、本当に苦しかった。トリサポはみんな苦しかったと思う。けど僕は胸を張って言おう。幸せだった、と。アウエーの試合に参戦したのは過去最多で、振り返ればトリサポの素敵な人達との思い出は語っても語り尽くせない。大分トリニータがなければ、こういう言いかたはどうかとは思うけど、もしトリニータが存続危機にならなければ、出会わなかったかもしれない人達だ。この人達と歩み続ける限り、大分トリニータがどんな状況であろうと笑顔で立ち向かっていける。

 僕達は大分トリニータが好きでトリサポになった。
 だけど、今はね、こう思うんだ。
 僕達トリサポがいるから大分トリニータなんだって。
 大分トリニータの未来は僕達の手の中にある。

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posted by きくりん |15:03 | 2010観戦コラム | コメント(2) |
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2010年12月05日

選手とサポの友情~ホベルトとの再会~

 ホベルトの横浜FC加入が決まった5月、僕の嫌いな人(以下嫌いな人)は「今回のホベルトのケースは特別。最終節、ホベルトコールをしたい」と言っていた。
 人にはそれぞれの考え方、価値観がある。
 嫌いな人とはいろんなことを話すけれど、当然のことながら価値観の相違が多々あって、そのひとつが試合前のスタメン発表でトリニータから対戦チームに移籍した選手への拍手だった。
 闘う前に拍手するのはその選手、対戦チームにもリスペクトを欠く行為であって、スタメン時の拍手はするべきではない、というのがその嫌いな人の持論で、だからどんなに好きだった選手にも試合前拍手はしない。僕は試合中以外は相手チーム、サポーターへ歓迎の気持ちを表現してもいい、と思っている。だけど、嫌いな人も試合が終われば話は別で、例えば徳島戦の時は試合終了後に三木のチャントを歌っていたし、甲府戦では試合後に甲府のバスを出待ちし、即席ダンマクを掲げ、レンタル移籍中の松橋優のチャントを歌っていた。
 そんな嫌いな人が「コールしたい」と言っても僕はどこかしら半信半疑だった。

 ホベルトのことはその後話すことはなく、時が流れて12月4日最終節横浜FC戦を迎えた。
 いつものようにスタメン、ベンチ入りの選手コール。ベンチに入れなかった選手コールのあと、「Roberto, Sinto que a nossa amizade é verdadeira!!」( ホベルト、僕達の友情は真実だよ!)という即席ダンマクがG裏に掲げられ、ホベルトのチャントが歌われた。大型ヴィジョンにはピッチ内アップ中のホベルトがアップにされる。ホベルトの少しはにかんだような笑顔が冬の日差しに映え、こちらに向かって手を振る。

 2008年大分トリニータ最大の功労者で、2009年大分FC経営危機最大の被害者がホベルトだった。
 怪我で一旦退団の形を取らされ、負傷は癒えても大分FCの不手際で再登録されず、鳥栖へレンタル移籍。その後の経営危機、彼の退団さえオフィシャルには発表されぬまま、背番号3はギョンジンの番号になった。僕達トリサポはホベルトがいつ大分を去ったのかさえ知らないままだった。
 あんなに大分トリニータのために闘ってくれたホベルトを、こんな形で去らせてしまった。さよならとありがとうを言えない別れはいくつもあった。だけど、ホベルトには「ごめんね」も僕は伝えたかった。
 シーズンが始まり、5月に入って横浜FCへの加入が決まった。J1のクラブではなくて、ホームでの対戦を終えたJ2のチームじゃなくて良かった。彼といっしょに闘ったホームで再会できる。こればかりはアウエーじゃ駄目なんだ、と思った。もしかしたら、ホベルトは大分を嫌いになってるかもしれない。嫌われても仕方がない。でも、だからこそ僕達は今でもホベルトのことが大好きだし、ホーム大銀ドームでそれを伝えなきゃいけないんだ、と多くのトリサポがその日を心待ちにしていた。

 シーズン終了のセレモニーのあと、しばらく経ってホベルトがG裏前に来てくれた。「ホベルトーッ!」僕は何回そう叫んだだろう。今は話さなくなったホベルトファンだったサポ友は、ホベルトが大分を離れた時のことをあとから教えてくれたサポ仲間は、どんな想いでホベルトを見ていただろう。きっと以前のゲーフラを掲げて、僕よりも大きな声で何度も彼の名を呼んだに違いない。
 
 嫌いな人がホベルトの退団にどんな想いを抱いていたのか、僕は知らない。だけど、試合前に相手チームの選手への拍手はしない、と言っていた人が、ダンマクを掲げ、チャントを歌うという行動を取ったのは、やはりホベルトの退団に対して何かしら特別な想いがあったからだろう。「俺が、俺が」の人だから、あんまり持ち上げるのも癪なのだけれど、この場を借りて伝えておきたい。素晴らしかった。

 2010年12月4日、僕達のあの2009年がこうしてようやく終わりを告げた。

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posted by きくりん |22:31 | 元トリ戦士コラム | コメント(2) |
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