2009年01月25日
このブログ「大きな蒼の木の下で」を始めて、半年ちょっと。
諸事情により、休載させていただきます。
短い間でしたが、多くの方々とやり取りさせていただき、
本当に有意義な日々でした。
このブログを書いていなかったら、みなさんとお会いしていなかったら
僕はきっと国立には行っていなかった、と思います。
あの素晴らしい舞台にいられたこと、一生の宝物です。
また、コメントをいただいたみなさんとの交流、国立と同じくらい、
僕の中に残っています。
できることならば、これまでどおり、書き続けていきたいのですが、
どうやらそれはできそうもありません。
休載が1ヶ月になるのか、半年になるのか、このまま自然消滅するのか、
それは僕にもわかりません。
僕達には日常という現実があります。その日常に勝ち続けていかなければ、
サポーターでいることさえできないという現実があります。
僕はこれからの1ヶ月、僕の持てる全ての力を日常に注ぎ込もうと思います。
そして目途が立ち次第、帰ってきます。
このまま何も書かず更新せずに、とも思ったのですが、拙いこのブログをお気に入りに
してくださってるみなさんにやっぱり何か一言伝えたいと思い、エントリーした次第です。
ありがとうございました。
posted by きくりん |00:47 |
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2009年01月22日
2009年末、大分市内での記者会見。
「昨年の躍進のおかげで今シーズンは各クラブからのマークもきつくなり、非常に厳しく
タフなシーズンでした。そんな中でも選手達は本当にベストを尽くしてくれました。
残念ながら優勝には手に届きませんでしたが、我々はACL出場という昨年果たせなかった
ミッションのひとつを達成しました。
これもひとえに選手、スタッフ、そしていつも我々を暖かく支えてくれるサポーターが
団結して手にした、家族の勝利です。
正直に言いますといくつかのクラブからオファーが来ていました。それも魅力的な
クラブから魅力的なオファーがです。シーズンを戦いながら、私はどうするべきか、
自分が何をしたいのか、ずっと考えてきました。
ある日、考える私にヤノさんが言いました。「アジア各地には今まで食べたことの
ない美味しいアイスクリームがたくさんあるよ」と。どんなオファーよりも魅力的
な言葉でした。まあ、これは冗談ですが……。
そしてひとつの結論に達しました。私は来年2010年も大分トリニータで指揮を取ります。
ブラジルのことわざに「自分で開いたドアは自分で閉めろ」というのがあります。
我々はアジアへの扉を開きました。そしてその先には世界がある。扉の向こうに何が
待ち受けているのか、私は知りたい。そしてその扉を誰かほかの人に閉めてもらうべき
ではありません。意地の悪い方はACL出場が決まっていなかったら辞めていたのか、と
訊いてくるでしょう。
しかし、その質問は何の意味も為しません。なぜなら我々はその扉を既に開いている
からです。
我々が作り上げたトリニータのサッカーがどこまで通用するか、それを最も知りたいのは
今日集まっていただいたみなさんではなく、私自身であり、選手達自身です。厳しい戦い
になるのはわかっています。無謀な戦いになるかもしれません。しかし、夢とはそういうもの
なんだ、と私は思います。こんな素晴らしい夢を誰かに譲るほど、私は出来た人間ではありません」
ということで今季のトリニータの目標をACL出場権獲得に僕は設定します。
妄想会見中に出てくることわざは創作です。実際にはありません。
何か良いことわざがないか、探しましたが適当なものがありませんでした。
「貧乏人の夢は長くは続かない」ということわざがブラジルにはあるそうです。
なんかズキンときました。嫌なことわざです。
posted by きくりん |00:47 |
大きな妄想の木の下で |
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2009年01月20日
「勝ててよかった。楽しかったです。大きな拍手もあって、オールスターサッカーなん
だな、と実感しました。なかなかガツガツいけないところはありましたけどね。僕だけ
でもいってやろうかな、と思っていたんですけど(笑)。1番よかったのは同じプロ同士、
クラブの垣根を越えて話せる機会がもてたこと。ゲーム中も藤田選手(名古屋)と
話したりできたし、それはよかったと思っています。自分にプラスになりました。
クラブに戻ったら、1週間で試合があります。しっかり切り替えていきます」
(Jリーグ公式サイト:2007JOMO ALLSTAR SOCCER:ニュース&レポートより)
森島康仁と前田俊介の大分完全移籍決定でトリサポが沸く中、元大分トリニータ主将・
三木隆司が名古屋から徳島ヴォルティスへ移籍した。
冒頭のコメントは、根本に代わって出場した一昨年のオールスター試合後の三木のコメント
だ。三木という名前、文字、顔を見ると、僕は胸が熱くなってしまう。決して三木ファン
ではなかったのに……。
僕の勝手な思い込み、というか印象なんだけれど、一昨年の残留危機の責任を一身に背負った
のが三木のような気がした。
たぶんそれは、6月30日のサポーター居残りが起きたマリノス戦終了直後に他の選手を制して
一人深々と頭を下げていた、その残像が僕の中に強烈に残っているからだ、と思う。
以前も書いたけれど、昨年9月7日ナビスコ杯準決勝第2戦名古屋戦、長いアディショナルタイムの時、
ふいに見た大型ヴィジョンの横に、三木隆司の断幕を見つけて、僕は涙が止まらなくなった。
あの6月30日、僕達が戦う姿勢の見えない選手にブーイングし、三木が頭を下げたこの場所で、
僕達はこれまでに経験したことのない高揚感に包まれていた。
あの時の降格覚悟の絶望感とここまで来たんだという達成感、あの時の殺伐としたG裏と眼前
に広がるスタンド全体が一体化した光景に、僕は様々な感情が入れ乱れていた。
この喜びを三木と分かち合えず、相対している現実に無情さを感じずにはいられなかった。
このシーズンオフ、大分を離れた選手達の動向がずっと気になっていた。深谷の長期離脱が
わかった時、三木が帰ってこないかな、とあり得るはずもないのに、どこかで願っている自分
がいた。でも、良かった、本当に。
2007年オールスター後、三木が大分のスタメンに名を連ねることは二度となかった。
オールスターでのプラス面を徳島で活かしてほしい、と心から願う僕達である。
posted by きくりん |00:48 |
元トリ戦士コラム |
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2009年01月17日
大分の家長昭博がプリマスへの移籍を断念したようだ。
MF家長大分残留、イングランド移籍断念
正直言って、家長のプリマス移籍の報道が出た時、僕は「大分に何しに来たん?」と思った。
同じ職場のトリサポも半ば呆れ半ば憤慨していた。「大分でまだ何もしていないではないか」と。
レギュラー争いで敗れたわけでもなく、試合の勝敗に家長の存在が左右したものもない。
結局昨年は、冬の加入決定が最もインパクトのある瞬間だった。
ガンバからレンタル移籍してきた昨年は、家長にとっては苦しい1年だったに違いない。
主力の多くが抜けた大分トリニータを自分が強くする。それが結果的に北京五輪へ近づくことに
なる。そんな青写真だったのではないだろうか。しかし、右膝前十字靱帯損傷という大怪我を
負い、長期離脱を余儀なくされ、北京五輪はもちろんシーズンの殆どを棒を振ることになった。
自分が不在でも躍進する大分トリニータ。代役である金崎夢生のブレイク。同世代との
競争はもちろん下の世代からも抜かれていくのではないか、という不安が焦りを生むのは
想像に難くない。そんな中で彼は必死に怪我と戦ってきた。いっしょにリハビリしていた
高橋大輔が一足早く復帰し、右サイドを駆け回った。復帰後も完調時には程遠いプレイで、
途中出場ばかりで、チームが勝利した試合はひとつもなかった。
僕は家長の焦りを理解できるような気がする。先を行く同世代、下の世代に追いつき、
追い抜くには今の環境では果たせないという想いがあったのだろう、と思う。元来から上昇志向
もあるのかもしれない。全てを取り戻すために……。
プリマス移籍はそんな想いだったのではないだろうか。
日刊スポーツの記事ではプリマス行きがダメになった今、大分残留の可能性が高いらしい。
海外がダメになったから大分残留……僕はそれでもかまわない。きっと多くのトリサポは家長の
本当のプレイを観たいと願っている。
残ってくれたら嬉しい。そして大分トリニータでの2年目が始まる。それ以上でもそれ以下でもない。
昔、僕がまだ十代で反抗期だった頃、よく親と喧嘩をした。いい争いをしては父の原チャリに
無断で乗り、家を飛び出していた。翌日の夜、帰宅してこっそり2階の部屋に行こうとする僕に
母は何事もなかったかのように「おかえり」と言った。「お腹空いているでしょ、晩御飯できてる
わよ」と言い、父は席に着く僕に「冷めるぞ、早く食え」と言った。
いつもと変わらぬ両親と妹弟との夕食だった。家族とはそういうものだ。
家長、きみはもしかしたら、まだそうは思っていないのかもしれないけれど、きみもトリニータの
家族なんだよ。今年もいっしょに頑張ろう。そして全てを取り戻そう。
posted by きくりん |22:44 |
トリ戦士コラム |
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2009年01月17日
書くことがなくて、更新できずにいたけれど、ようやく書きたいと思わせるニュースが
あった。既報通り、デカモリシこと森島康仁が大分に完全移籍した。
昨年夏、「大分は日本一になれるチーム」と言って来てくれた時の気持ちを
今でも僕は忘れていない。
夏場の苦しい時期、チームに活力を与えてくれ、試合後の選手とG裏の距離を
縮めてくれた森島だけど、正直終盤戦のプレイに僕は満足していない。
ちょっと雑なプレイが目についたり、周囲とのコンビネーションが上手くいっていない
場面も見受けられた。たぶん、それは彼自身最も感じているだろう。
大分には高松とウェズレイがいる。彼にとっては高い壁である。
もし、森島が出場機会だけを求めているのなら、大分から去っていたかもしれない。
大分の何かを気にいり、高松とウェズレイに勝負を挑むことによって得るものの大きさを
知っているからこそ、大分への完全移籍を選択したのだろう、と思う。
昨年の大分はこと得点に関しては良くも悪くもウェズレイ次第というチームだった。
そのウェズレイも今年37歳、昨年以上の活躍を望むのは酷な年齢である。
僕は今年の大分の鍵は脱ウェズレイだと思う。
ウェズレイが控えに回らざるを得ない状況になった時、大分はきっと昨年に優るとも
劣らない成績を上げられる。
スーパーサブではだめだよ、森島。70分過ぎ、高松と交代で出てきてはだめだよ。
森島、そして前俊も、ウェズレイを越えろっ!
森島、僕はG裏前でなくて、ピッチで暴れるきみが見たい。
posted by きくりん |00:18 |
トリ戦士コラム |
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2009年01月11日
柏からレンタル移籍していた小林亮が契約満了で大分を去り、山形へレンタル移籍する模様。
大分にはわずか1年の在籍だった。
開幕当初はスタメン出場を続けたが、高橋大輔が復帰してからは出番が減っていた。フロントは
慰留に努めたようだが出場機会を求めて大分を去る。選手層の薄い大分にとって亮の移籍は
かなり痛い。
藤田義明ほどではないにしても複数のポジションをこなすことのできる選手の流出でもあるのは
もちろんだけど、またしても「出場機会を求めて」が理由であることが悩ましい。
サポとしては常にスタメンでなくても、できるだけ計算できる選手、レギュラー級の選手が控えに
いることに越したことはない。誰かが怪我、出場停止で出場できない時に、チームレベルが
急激に下がるのは極力避けてほしい。だからスタメンが何試合だとか、得点が何ゴールだとか、
数字では計れない存在価値が選手にはある。
でも、当然のことながら選手自身の存在理由はプレイすることにある。
だからといって出場機会を求めてばかりいられると、控えの層は薄くなる。
存在価値と存在理由の隔たりは、選手も僕達サポも苦悩する。
もっと積極的なプレイを、とG裏観ていて思うことの多かった亮は、できることならばその課題を
大分で克服してほしかった。
たった1年しかいっしょに過ごせなかったけど、亮の笑顔に僕達は魅了された。
色がよく変わった髪、新潟戦での相手選手とのワンツーでのゴール、試合前スタンドに入れる
はずのボールを国体の聖火台に入れてしまったこと。……そしてブログ。
トリニータの素顔が垣間見えて楽しませてもらった。
昨年練習見学で、「写真、いいですか?」と訊いた時に「はい、どうぞ」と言ってくれた亮の笑顔を、
僕は忘れない。
1年間、ブログの右上の写真のように九石を支え続けれてくれてありがとう。
僕達トリサポは、大分トリニータ No.2 RYO KOBAYASHIのブログをこれからも
楽しみにしているから。
posted by きくりん |00:29 |
トリ戦士コラム |
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2009年01月08日
昨年の11月30日に「待ってるぞ、福元洋平」と呼びかけたけれど、
大分からガンバへレンタル移籍中だった福元は千葉に行くことが正式に決まった。
福元のブログには複雑な胸中が少しばかり語られていた。
ガンバに残りたい気持ち
大分に帰りたい気持ち
ジェフで気持ち新たにでスタートしたい気持ち
この3つの気持ちの中で福元が選んだのは千葉だった。
僕もまた複雑な気持ちだ。
例えていうなら、クラス替えで自分の親友と好きな娘が同じクラスになってしまった
ような心境だ。
親友の良さを知っているだけに、あの娘はもしかしたらあいつのことを好きになるのでは……、
なんて不安になってしまう。
12月28日の「あの夏の明暗」で期待した福元、森重の二人がスタメンに名を連ねる3試合目は
2010年以降に持ち越しになった寂しさを抱きつつも、黄色い福元を僕は応援する。
大分に帰りたい気持ちを福元が持ち続けていることがわかっただけでも僕は救われる。
千葉サポのみなさん、福元を鍛えてあげてください。
涙脆く熱い男です、彼は。そんな彼だけにフクアリに魅せられるかもしれませんが、
よろしくお願いします。
返してくださいね……決めるのは福元自身ですが……。
最後になりましたが、ガンバサポのみなさん、我々トリサポと共に千葉の
福元を応援いていただけたら、と思います。
家長はもう1年お貸しいただけたら……。海外かなぁ……。
posted by きくりん |00:07 |
大分トリニータ |
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2009年01月07日
僕はある疑念を抱いている。
大分トリニータのシャムスカ監督に、である。
みなさん、経験はないだろうか。
誰にも話せない秘密を誰かと共有したら、なんだかその人に対し、急に仲間意識が
芽生えたことがないだろうか。
僕にはある。
それは……、いや誰にも話せない秘密だから、ここで明かすわけにはいかない。
大分トリニータのキーワード、家族、絆。
僕はトリニータというクラブの、そして選手達の絆は一体どこから生まれてくるのか、
常々不思議に思っていた。
そしてひとつの結論に達した。
シャムスカは実は日本語を話せるのだ。
ここで1本のmovieを観ていただきたい。
【ヤマザキナビスコカップ:決勝 大分 vs 清水】祝勝会の様子~J's GOALより~
シャムスカの最初の挨拶に注目してほしい。なんて流暢な日本語のアクセントだろう。
思えばホーム最終戦後の挨拶も、同じようにまるで日本人のようなアクセントだった。
逆にそのあとポルトガル語で話し始めたことに違和感を覚えたくらいだった。
スカパーでの試合終了後のインタビューでは、通訳の矢野さんを気遣い、
ある程度話しては一呼吸置き、矢野さんが喋るタイミングを作るシャムスカだが、さすがに
ナビスコ杯優勝で興奮気味なのか、movieのシャムスカは饒舌である。
そして矢野さんが「ちょっと長くなったんですが頑張って通訳します」と苦笑しながら
言っているが、シャムスカはまるで矢野さんの言葉がわかるように笑っている。
いや、まるでではない。わかっているのだ、シャムスカは、日本語を。
そして、トリニータのスタッフ、選手達はシャムスカが日本語に堪能なことを知っている。
その秘密を共有することによって、大分は絆を深め、結束を固めていった。
言いたくて言いたくて仕方がないけど、話せない。この感覚がたまらないのだ。
ではなぜ、シャムスカは日本語を話せるのに喋らないのか。
通訳の矢野さんの出番が減ってしまうからである。
矢野さんはトルシエの通訳フローラン・ダンディ氏ほどではないかもしれないけれど、
目立つ通訳さんである。トリサポにも人気がある。シャムスカが何も言っていないのに
抗議していたり、ナビスコ杯準決勝では試合終了直前、主審の岡田さんにそろそろ試合
終了ではないか、と自分の腕時計を指差し何度もアピールしていた。
前俊が歯を折った時も矢野さんは真面目に、だけどどこか嬉しそうに通訳していた。
矢野さんのTV出場回数を減らさないためにシャムスカは公式な場ではポルトガル語を話し続けている。
ミーティングではきっと流暢な日本語でみんなに指示しているはずだ。
地域活動にも熱心なシャムスカはアウエー試合翌日でも大分に帰ってきて笑顔で
イベントに参加している。病院訪問、始球式、護衛艦の一日艦長etc。
その傍らには必ず矢野さんの姿がある。
シャムスカがブラジルに帰国中の今、矢野さんも短い休暇を取っているのかもしれない。
昨年のJリーグアウォーズでは鹿島の通訳さんがなかなか目立っていたけれど、
今年のアウォーズ、矢野さんをあの場に立たせてあげたいな、と思う。
それまでは、シャムスカ、日本語が話せること、絶対にバレちゃだめですよ。
トリニータがゴールした時、勝利した時に見る矢野さんの笑顔が、シャムスカと抱き合う光景が
僕は大好きです。
posted by きくりん |00:41 |
大分トリニータ |
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2009年01月05日
マラソン、他の駅伝をTVで観ることはないけれど、箱根駅伝だけは観てしまう。
山の神を超えた走りよりも、20人のごぼう抜きよりも、印象に残ったのは、最後の10区、
10位に位置していた東農大主将の倉持選手が学連選抜・佐野選手に抜かれていくシーン
だった。東農大久々のシード権獲得まであと少しだった。しかし抜かれていく。抜かれる
もんか、離されるもんか、と歯を食いしばっても、もう脚がついていかない。
その間にも離れていく佐野選手の背中。主将としてみんなを引っ張ってきたであろう、
倉持選手の気持ちを思うと、僕は胸が締めつけられそうになった。
少なくとも箱根でリベンジする機会は、4年生の彼には、もうない。
全ては箱根のために……、きっとそんな想いで1年間仲間と切磋琢磨してきたに違いない
選手達の走りを観ながら、どことなく箱根駅伝とJリーグを重ね合わせた。
昨年の栄光は一切関係なく、11位以下であればシード権を失ってしまう点や選手が入れ替
わっていくサイクル、タスキを繋ぎ、決して一人の力だけではゴールできず、チームの
総合力が問われたる。
いささかこじつけになってしまうけれど、僕は重ねてしまった。元来、物事の例えをすぐに
J、あるいはサッカー、トリニータに例える傾向の僕だからかもしれないけれど……。
夏場にごぼう抜きし、27節以降失速した大分トリニータ。
僕達も昨年離れていく背中を呆然と見ていた。それは優勝の二文字なのか、鹿島そのものだったか、
たぶん両方であったのだろうと思うけれど、あの日たしかに大分から離れていく背中があった。
既にフォームは乱れ、足取りも重くなっていたけれど、僕達は、初めて見えたあの背中を抜けると
信じていた。だけど、あの背中は追えども追えども離れていった。
一瞬は見え、離れていったあの背中を今季、僕達はまた見ることができるだろうか。抜くことが
できるだろうか。あるいは全く見られないのだろうか。
昨年からのタスキを受けて、2009年が始まった。
優勝するチャンスも降格するピンチも18クラブ、全て平等な今、開幕が既に待ち遠しい。
posted by きくりん |22:43 |
大分トリニータ |
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2009年01月02日
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
TOSという大分ローカルTV局で「TOS新春スペシャル 絆」という番組の放送が
元旦にあった。
ローカル局製作と侮ることなかれ、非常に良質の内容だった。
フロント、スタッフ、選手、サポーター、様々な角度から「絆」に焦点を
当て追っていくものだった。
僕が最も印象に残ったのがサポーター、大分トリニータのコールリーダーを
されている方の話だった。
G裏の真ん中でいつもキャップをかぶっているあの人である。
ホーム最終戦、九石を満員にして選手にお礼を言いたい。
たくさんの人に大分トリニータに興味を持ってもらい、スタジアムに足を運んでもらいたい。
その想いからチラシ2万枚を作成し、大分の企業に足を運び、頭を下げ、そのポスター掲示の
協力をお願いしていた。
最も偉大な人は、行動する人である。
誰の言葉かは忘れたけれど、その言葉を思いだした。
中にはそういうのは、TVの取材なんて受けずに人目を忍んでするものだよ、と
おっしゃる人もいるかもしれない。でも、それでもいい、と僕は思う。
あの番組を観た人の誰かが心を動かされるかもしれない。
誰かが行動するかもしれない。少なくとも僕は考えさせられた。
僕はサポータークラブにも属していないし、何の力もないし、ただG裏で応援することしか
できないと決めつけてしまう。こうしてPCの前に座り、言葉を連ねることしかしていない。
トリニータが好きでもなかなか試合を観ることができない人もいる。僕は大分に住み、九石
での試合が観られ、年に何回か練習見学にも行ける。
「Jのある街」にいる恩恵を受けている分、何かできることはないのだろうか。
試合に参戦し、ブログを書いているだけでいいのだろうか。
一トリサポとして、このブログで書いてきた想いが本物ならば、それでいいのか、と
考えさせれた2009年の始まりだった。
posted by きくりん |20:55 |
大分トリニータ |
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