2008年08月17日
実家がある旧浦和市に帰ると、浦和の街の変貌ぶりに戸惑うことがある。以前はJR浦和駅前は伊勢丹とコルソ(デパート)ぐらいしかなかったが、東口にはパルコができた。
最近のサッカー少年はどこでボールやらスパイクやらユニフォームを購入するのだろうか?
僕がサッカー少年の頃は、JR浦和駅西口を高砂小学校の裏から調神社に抜ける道沿いにあったミユキスポーツでサッカー用品を調達していた。小学校4年から6年生ぐらいの時期である。
ミユキスポーツはかなり小さい店の割りに、商品は比較的充実していたような氣がする。プーマのスパイクのガタログを最初にもらったのもミユキスポーツだった。初めて自分のスパイクを買ってもらったのもこの店だった。前にも書いたヤスダのダイナミックイエロー。
名前は忘れてしまったが、女性がオーナーで、扱っていた商品もサッカーに限らず、スポーツ全般だった。ただし、野球用品だけはなかったような。僕の記憶違いか?ま、当時からサッカーの街ってことで。
扱っていたサッカー用品のブランドを思い出すまま上げてみるとプーマ、ヤスダ、ヤンガー、ミツナガ、オニツカ、タチカラ、モンブラン(ブランドか?コーチャーだしてた会社)などだ。
買いもしないのに時間があると押しかけ、販促グッズのポスターやカレンダーをもらったりしていた。いま考えるとあの女性オーナーも、たいした買い物もしない子供にずいぶん付き合ってくれたなあ~って思う。
そんな地域密着のミユキスポーツだったが、70年代の終わりごろから、サッカー専門誌に広告が出るような大手サッカーショップが埼玉に進出してからは、シロウトの子供の目にも元気がなくなって行ったのがわかった。
同時期に、ミユキスポーツと同じ様に地域密着でがんばっていた浦和市内のスポーツ店が店を閉めていった。
いつだったか正確な時期は忘れたがミユキスポーツも店を閉めた。正確には商売変え。ある日からクリーニング店になっていた。あの女性オーナーはクリーニング店の店主になっていた。
あれから30年ぐらい経つけど、ミユキスポーツがクリーニング店になってからあの女性オーナーとは一言も話す機会がなかった。浦和の街もずいぶん変った。ミユキスポーツの前にあった味噌ラーメンの華菊も店を閉めた。あのクリーニング店はまだ続いているのだろうか?
posted by 弁天小僧 |19:37 |
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2008年07月26日
いまから10年以上前、旧浦和市の、ある中学校サッカー部OB会の話です。浦和レッズが低迷している時期のことです。
旧浦和市内の、ある中学校サッカー部のOB会が、企画されたそうです。幹事が、当時あるJリーグ・チームの監督をしていたその中学のOBに連絡を入れました。用件は当然、中学のサッカー部OB会出席のご案内です。
連絡を入れる幹事は一つのことが気がかりでした。そう、愛するレッズの低迷です。
「OBの○○氏に連絡を入れて、もし出席になったら逆に気まずいのではないか?全員、レッズファンだし、それに引き換え○○OB率いる△△△スは比較的好調だし、駒場の△△△ス戦のヤジはボロカスだし」と考えたみたいです。
結局、幹事はJリーグ監督OBに電話を入れました。
以下、幹事とJリーグ監督OBの会話。
幹事 「○中サッカー部のOB会のことですが?」
Jリーグ監督OB 「お前ら全員レッズファンだろ。今回は止めとくよ。」
結局、Jリーグ監督OBは不参加だったそうです。後日、Jリーグ監督OBからは多めの会費が送られてきたそうです。
以上、10年ぐらい前に浦和の某飲屋で聞いた話です。本当の話かどうか確認はしていませんが、こんな話あってもいいなと思い書いてみました。
posted by 弁天小僧 |20:33 |
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2008年07月25日
浦和のさくら草通りが旧中仙道と交差する一角に「娘娘」浦和店はありました。娘娘と書いて「にゃんにゃん」と読みます。とても勢いのあるラーメン店でした。店の前を通るとニンニク・しょうがと醤油の焦げた香ばしい匂いに食欲が刺激されました。
僕が娘娘にはじめて訪れたのは中学3年の夏です。いまから30年ぐらい前のことです。娘娘にはじめて訪れる何日か前、県庁前にあった友人の家で試験勉強をしていた時です。友人と「ラーメンでも出前しようか」って話になり、そう言えばさくら草通りにある娘娘を思い付きました。早速、電話帳で調べて電話すると、怒られた、怒られた。正確には怒っていないのかも知れませんが「出前(怒)?やんないよ、ガシャ」でした。かなり、ショックでしたが次の日に行ってみることにしました。
実際に来てみて怒られた理由がわかったような気がしました。昼時ってこともありましたが店内は満員で戦場のようです。ただ、その割には不思議な客と店員との一体感があり独特の雰囲気がありました。店主らしいオールバックのおじさん(当時はそう見えた)と目が合った瞬間、有無を言わさず「何にする?スタミナ?」と、半分強制も含んだニュアンスで注文を聞いてきます。思わず「はい」と答えた僕の注文は「スタミナ?」ってことになったみたいです。待つこと7~8分で「スタミナ?」が出てきました。これがある世代の浦和市民にとても愛されたスタミナラーメンと娘娘との出会いです。
娘娘のメニューや味に関してはいろんなところで書かれているので、あまり説明することもないと思います。あえて、僕の印象を付け加えるなら、中学以降、娘娘の味が中華系の食、特に麺関連の食の基準になってしまいました。あまり行きませんが都内の有名ラーメン店でも「娘娘より旨いか不味いか」が基準になります。「娘娘より旨い」と思ったところはありません。
その娘娘もJリーグ開幕前に店を閉めてしまいました。理由はいろいろあると思いますが中仙道の拡張工事もその理由の一つだと思われます。この時点で北浦和店、与野店は健在だったとは言え、一部の浦和市民にはとても悲しい出来事でした。みんな口にこそ出さなくても娘娘は間違いなく彼らの聖地だったのですから。
旧浦和市は浦和レッズ以前から、サッカーが盛んな街でした。レッズ以前の浦和のサッカー好きの話題は、市内にあるサッカー名門校の活躍だったように思います。そんなサッカー好きやサッカー部の高校生・中学生が愛したのも娘娘でした。夕方になると市内の高校・中学の運動部らしき生徒でにぎわったものです。
個人的な妄想・思い込みの類ですが、もしJリーグ開幕以降も「娘娘」浦和店が続いていたらどうだっただろう?もしかしたら居酒屋・力じゃなく娘娘がレッズサポーターの聖地になっていたかも、なんてことが頭を過ぎったりします。ま、聖地なんて人それぞれで他人やマスコミが決めるものでもないですよね。僕にとっては「娘娘」浦和店は間違いなく聖地でした。
2007年に「娘娘」浦和店で店長をされていた永井氏(あの日、僕にスタミナを強制したオールバックのおじさん)がさいたま市内に○永娘娘として店を再開しました。中学3の夏に初めて食べた伝統のスタミナラーメンの味も健在です。
posted by 弁天小僧 |11:27 |
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2008年07月23日
レッズサポーターの聖地?ずいぶん大げさなキャッチ・コピーですが、浦和駅西口、コルソ裏の居酒屋・力が有名ですよね。よくマスコミにも取り上げられてます。それを見てさらに客が集うという成功のスパイラルに完全にはまり込んだ羨ましいお店です。
当然、浦和の住人だった僕も知ってるのですが、今日は居酒屋・力の話題を少し。
まず、力は大昔から浦和にありましたが、以前は浦和駅西口、さくら草通りの郵便局裏に地味にありました。今は居酒屋と呼ばれることが多いようですが、以前は完全なもつ焼きの一杯飲み屋。サッカーファンなんて寄り付きもしませんでした。もちろんお客のひとり一人に確認した訳ではないので完全な決めつけですが。
僕の知る限りでは力の経営者(大将?)が、特にサッカー好きとか、そんなことはなかったように思います。もちろん知り合いではなく確認した訳ではないので完全な決めつけです。
では、なぜ「レッズサポーターの聖地」(大げさ)になったのかと言うと、結構知られた話で、Jリーグ開幕直後に駒場帰りのサポーター集団が店の軒先で焼鳥(多分、焼きトン)を肴に飲みだしたってのが始まりだったみたいです。
だけど、僕の周りでは不思議と力が好きなんてサポーターいなんですよ~。中にはレッズのおかげで儲かってるなんてヤツもいます。僕もそれに近い意見ですけど・・。事実、試合当日は店は満員ですし、何年か前から武蔵浦和に支店までできたんですから。たぶん、繁盛しているのでしょう。
ネチネチと続けて、何が言いたいのかと言うとあんまり美味しくないんですよ、力。昔から。値段もそう安くないですし。
明日は、今はレッズにはあまり関係ないですけど、めぐり合わせさえ良ければもしや、「レッズサポーターの聖地?」になったかも?って浦和のお店を紹介したいです。
posted by 弁天小僧 |22:19 |
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