2006年10月30日

ドラゴンズ落合投手引退

数少なくなった同い年の選手がまた現役引退してしまったという感じでした。中日ドラゴンズ落合英二投手の現役引退が発表されました。

落合投手の存在を知ったのは日本大学時代でした。当時東都大学2部リーグに所属しておりました日本大学に「剛速球」を投げる投手がいるということを聞きました。そして1部に昇格した落合投手を見たときに「速いし重そう」と思いました。同級生の駒澤大学若田部投手の「快速球」も凄いと思いましたが・・・。

その落合投手も順風満帆ではなく大学4年生の時に右肘骨折という重傷を負ってしまいました(落合投手の代わりに主戦で投げたのが1年後輩でした元読売巨人軍の門奈投手でした)。在学中の復活は厳しいのではと思われましたが平成3年秋、4年生で最後の東都大学野球秋季リーグ戦で復活を果たしました。

たまたまそのとき自分は神宮球場におりましたが平日日中開催でまばらな観客でありながら「ピッチャー落合君」と言うコールに対して大きな暖かい拍手が起こりました。敵味方関係なく・・・。自分もまさか見れるとは思いませんでしたのでびっくりしたと同時に「頑張れ!」と思いました。

ストレートは初めて見た「剛速球」では決してありませんでしたが慣れ親しんだ神宮球場のマウンドを楽しげに投げる姿にはジーンと来てしまいました。

その年のドラフトでは多分無理だろうということで社会人入りと噂された落合投手でしたがドラゴンズは1位で指名しました。その年は駒澤大学からは若田部投手(当時の福岡ダイエーホークス)と竹下投手(西武ライオンズ)、専修大学からは町田選手(広島東洋カープ)と東都大学リーグから4人も1位指名されました。その他東洋大学の桧山選手(阪神タイガース)等も指名され東都大学野球リーグのレベルの高さを改めて感じてそのレベルの高い試合を毎週のように見ていた自分は幸せだったと思いました。

プロに入った落合投手は主に中継ぎ、抑えとリリーフで活躍し通算成績は463試合に登板し37勝45敗、24セーブ、防御率3.29でした。記録よりも記憶に残った落合投手、常に怪我との戦いで苦しかったと思います。本当にお疲れ様でした。今後については書かれておりませんでしたが思いやりのある指導者になるのではと思っております。

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posted by cptafpiwasaki |15:55 | 野球 |
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2006年10月30日

高校野球九州大会・豊後大野連合敗れる

ある時、新聞で見かけそれから注目をしていた甲子園出場を目指す九州3つの高校の連合チームがあります。その名は「豊後大野連合」です。

それからはネットでも検索をかけいろいろと調べました。昨年、大分県の5町2村の合併で誕生した人口42,000人の豊後大野市の3つの高校の連合チームということが分かりました。言わば「豊後大野市オールスターチーム」であります。九州大会を迎えるにあたっての記事が日刊スポーツの記事読売新聞の記事で紹介をされております。

その豊後大野連合が大分県の秋季大会で準優勝し九州大会に駒を進めました。例年通りいきますとベスト4に進出しますと翌年春のセンバツ大会に出場が出来ます。2つ勝てばという初戦の相手は宮崎県の都城泉ケ丘との対戦となりましたが結果は残念ながら7-2で豊後大野連合は敗れてしまいました。ランニングスコアは日刊スポーツの記事で確認が出来ます

これにより来年春のセンバツ大会の通常枠での出場は絶望的となってしまいましたが21世紀枠の可能性が残されております。豊後大野連合が甲子園の土を踏めるかどうかを楽しみにしております。

97年から導入されました連合チームについては個人的には賛成であります。自分達の頃は生徒数が多く学校も新設校がよく出来ましたが時が流れ少子化の時代となりそもそもの生徒数の問題や学校の統廃合の問題等から単独の高校で部員が揃わなくなるというところも出てきました。

試合をする喜び等を多くの生徒に味合わって高校時代のよい思い出を作って欲しいということを考えましたらこの制度はありなのではと思いました。連合チームでも試合を出来た生徒は卒業後も野球やスポーツを愛し続けてくれるのではと思っております。

posted by cptafpiwasaki |00:35 | 野球 |
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