2007年03月19日
このニュース少なからずショックでした。
デビュー当時J最年少得点を決めてしまったこともあり、変な形でマスコミにチヤホヤされてしまった彼ですが、あの年でイタリアのプロビンチャに移籍して少しずつトップチームにも起用され始めていました。
チームの関係者も所謂「ジャパンマネー」以上のものを彼に期待していたはずです。
またカターニアといえば先頃ありがたくないことで話題に上ったとおり、イタリア南部のお世辞にもあまり上品とはいえない街。
そんな中でユースの世代から揉まれていく「怪物君」に心中結構期待してたんです、私も。
しかし膝十字靭帯断裂となると最低でも3、4か月の離脱は覚悟せにゃならんでしょう。
2007年6月30日から開催されるU20ワールドカップ(以前ワールドユースといわれてたものですね)への出場も厳しくなってきます。
まぁまだ怪我の具合が公式発表されたわけじゃないので、杞憂に終わることを願っております。
posted by コール総統 |15:05 |
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2007年03月19日
まず言います。生で見てません。
「それでもサッカー好きと自称できんのか!!!」と詰られても仕方ありません。
告白します。セカンドレグの日程忘れてました。私は駄目人間です。
そして「ビデオで見るまで結果見ないようにしよう!」という決心さえも一瞬で消え去った意志の弱い人間です。
冒頭から懺悔の嵐ですが、こんな私でもちゃんとファーストレグは見たんですよ。さすがにというか・・・。
ファーストレグの段階から思ってました。
「こりゃヤベェぞ、ベニテスの術中にはまってんじゃねぇの」
ベニテスの基本的なコンセプトはバルサのサイドを封じてしまうことでした。ロナウジーニョはフィナン、ジェラードが、メッシはリーセ、アルベロアが挟み込む。センターのグジョンセンはいい形でボールがもらえず四苦八苦していました。
それでもビボーテに展開力があれば中盤におけるバルサの優位を形成できたはず。しかしこの日使われたのは、共にディフェンダー出身とは思えぬ足技とミドルレンジの両サイドへのパスの配給に秀でたエヂミウソンでもマルケスでもなく、モッタでした。
彼の長所はボール奪取の巧みさとその運動量にありますが、モモ・シッソコとシャビ・アロンゾの激しいプレッシャーの前に、ボールを持った後のビジョンに乏しいという自らの欠点をさらけ出し、せっかく奪ったボールをすぐに相手にお返しする場面が目立ちました。
これらの理由からボール支配率は7・3という圧倒的なものながらアスルグラナの戦士たちが、相手サイドで効果的なアタックを仕掛けることが出来ませんでした。
またリバプールの得点シーンは共にリスタート時のマークのズレを付いたものでした。
私には「カンプノウでアウェイゴールを二つ許して負けた」というあからさまな事実よりも、「おそらくベニテスの戦前のプランどおりに(幾つのプランがあったかはわかりませんが)負けたであろうこと、つまり戦術的にベニテスがライカールトをはっきりと凌駕しているということ」に非常に大きな戦慄と不安を禁じえませんでした。
監督のタイポロジーは別の機会に譲るとして、「勝つべくして勝った」セカンドレグを見ていない私の私見を書き連ねてみました。
posted by コール総統 |14:55 |
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2006年10月30日
「美しいサッカー」と一口に言っても、十人十色のコンセプトがあるだろう。ある者はアリーゴサッキのミランに思いを馳せ、またある者は近年のヴェンゲルが作り上げたチームにイメージを投影する。そしてバルセロナを愛する者は結果以上にクライフの業績を褒め称える。つまり彼の精神を愛する。
一般的に言われる通り、南米の二大強国が抱く夢は実に非科学的だ。ブラジルは多すぎるアタッカーを好み、アルゼンチンはパスを繋ぐことそのものを好む。ラテン系の文化に対するステレオタイプは、(文化人類学者がなんと言おうと)少なくともサッカーにおいては現にあり、そして有効だ。スペインのサッカーにも理想主義の濃厚な色彩を見るのは決して難しいことではない。
「美しいサッカー」はそれぞれの文化圏に属する人々にとって重要な規範だ。プレーヤーは常にその観点から批判されることから免れない。だが規範が必ずしも現実と合致しないことは言うまでも無く、そのために我々は(たとえ陳腐な結果になるとわかっていても)毎年国会を開催し、その修正の可能性を検討する。ここで興味深いのは、サッカーにおいては往々にして規範が目的でもあるということだ。少なくとも自由主義者の目には、規範が自己目的化した社会は悲惨だ。だがサッカーでは誰もそんな風には考えない。誰も規範自体に問題があるとは思わないのだ。
こういう風に見てみると「宗教」と「サッカー」の間にどんな質的差があるというのか?(驚くべきことにマラドーナは本当に「神」になった。現在彼を教祖兼神とする教団が実際に活動しており、マイケル・オーウェンもその信者になったそうだ。)
敗者は殉教者となるか、異端とみなされるかのどちらかだ。大抵は後者だが・・・。
しかし時折確信犯的な異端者が現れる。彼らは新たな宗派を打ち立てる。そうなると彼らは最早異端とはみなされず、新たな宗祖としての地位に納まることになる。
結局のところ「美しいサッカー」とは純粋にプロセスのことであるはずなのだが、「ゴール」がその先にあると信じられている。ゴールと結びついたプロセスは実は相対的で壊れやすい。そのことを知っている監督も選手も稀だ。知ってはいても皆「安住の地」を求めてしまうのだろう。つまりそれが「最強のシステム」「最高の戦術」ということになる。
リッピはドイツの地でそのことを証明して見せた。最強のチームは全ての戦い方を時に応じて遂行できるチームだと。彼はサッカー界の無神論者といえる。
posted by コール総統 |04:42 |
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2006年10月19日
さぁさぁみなさん大一番ですね!いろいろ異論はあるかと思いますが、少なくとも(ポテンシャルとしては)今一番質の高いゲームになる可能性が高いということは認めていただけるのではないでしょうか。チェルシーVSバルサです!
ブログタイトルで「論理的に」といってる割には随分感情的じゃないかとお思いでしょう。えぇそりゃ感情的にもなりますよw こういう試合の前はしょうがないんです。他の事やってても勝手に笑みがこぼれてくるんです。
ところがなんと・・・私今日見れないんです(T_T)。
こんな馬鹿な話がありますか!関西では明日の民法放送も無いんですよ。関西テレビは無理やり自前の番組作らずにフジにおんぶに抱っこで行けばいいのに・・・馬鹿ヤロー<<o(>-<)o>>
取り乱しましたが、地方メディア批判はこれくらいにして今日はチェルシーについての私の印象について話したいと思います。
近年のチェルシーを語る際に見逃せないキーワードは「カネ」ですね。2003~2004シーズン前に就任したアブラモビッチ会長の下、バブルの弾けたサッカー界では規格外の予算を毎年市場に投下してます。これはもう、どこに出しても恥ずかしくない「金満クラブ」といっていいでしょう。
この点が多方面から批判を浴びるところなんですが、私個人としてはそんなに否定的には感じないんですよ。
私はサッカーのスポーツとしての美点は、「優秀な選手を集めれば、勝てるわけではない」というところだと思うんです。さらに限定すれば
「優秀な選手」=「一般受けのするスーパースター」
=「テクニックの有る攻撃的な選手」
というところです。
つまり選手補強には
1.チームに必要な選手を見極める能力の有るスタッフ
2.それに基づいた一貫性の有るチーム戦略を立てられるフロント陣
の存在が不可欠で、その上で手段としてお金が必要となってくるわけです。
1.2.を同時に得ることはほとんど奇跡に近い僥倖です。そういう例をそうそう頻繁に見れるわけではありません。リッピとモッジ(晩節を汚しましたが)、リヨンのルグエンとオラスといったところでしょうか。
ですからチェルシーの成功の背景にはTDのケニヨンとモウリーニョの存在が大きいと思っています。彼らは毎年大変な額のポンドを消費しましたが、同時に必要な場所に必要な選手(過度にプライドも高くなく、それでいて実力のある選手)を補強していきました。未だにレアルの方が、日本のテレビでは素直に「スター軍団」といえるのではないでしょうか?
彼らの存在が移籍市場を混乱に導いている、という人もいますが、果たしてそうでしょうか。彼らだけが圧倒的な資金力を誇っているだけで、それに金銭面で追従しようなんて身の程知らずは今のところいないと思いますが・・・w
それに既に中小のクラブは選手を育てて売るというシステムが出来上がっているわけで、一方的に「持てる者」を責めたところで益するところはないと思います。
というわけで私はチェルシーに大きな希望を持っていたんですが、今シーズンは・・・、ちょっと心配です。シェフチェンコとバラックの獲得がその原因です。
一つには、今までのチェルシーの基本システム4-3-3のCFに向いていないと思われるからです。このポジションにはフィジカルとインテリジェンスに裏打ちされたポストプレー、すなわち利他性が何より要求されます。両サイドのウィングの攻め上がりをスムーズにするためです。その意味でドログバとクレスポは完璧でした。
もう一つには二人とも「即戦力」ではありますが「未来を見据えた補強」とはお世辞にも言えないからです。シェバはともかくバラックには注目しているチームは多々あったでしょう。現代最高のセンターハーフがフリーだったのですから。殊にマンチェスター・ユナイテッドが手控えたのは示唆的です。
今期の決断が会長の横槍によるものなのか、モウリーニョの焦りによるものなのか、現時点の私の持つ情報量では判断が付きませんが、どちらにしてもこの2シーズン、チェルシーで見られた幸福な調和が乱れつつあるのは間違いないのではないでしょうか。
それでは皆さん、存分にお楽しみ下さい。チキショー!!!
posted by コール総統 |00:36 |
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2006年10月15日
インド戦以後のメディア、ブログ等での発言を追ってみますと私見ですが論調に変化が見られるように思います。システム、戦術論から個人能力の方へ皆さんの関心がシフトしているのではないでしょうか。
一方で以前から日本人の特徴として「基礎能力が押しなべて高い」ということが、様々な人々の口で(海外のサッカー関係者も含めて)語られてきたと記憶しています。私は彼らが幾分かのリップサービスが含まれているにしても、みな一様に嘘やおべんちゃらの類を垂れ流してきたとは思いません。実際三大リーグでも下部のほうでは、日本人選手と比べてもお世辞にもテクニカルとはいえない選手がごろごろいます。
しかし同時に日本代表選手たちの技術面に不安の眼差しが向けられつつあるのも事実なのです。私自身もそうゆう風に考えています。この矛盾は何なのか。今回はここのところを考えてみたいと思います。
この問題に対してこういう解答を想定することが出来ると思います。「日本人は良きにつけ悪しきにつけ均質性が高く、飛びぬけた選手が生まれにくい土壌がある」と。これもひとつの日本サッカーの大きな問題だと考えていますが、私自身はこの問題に対しては全般的な技術の問題というよりは、ある種の技術とそのバックにある精神面での問題が影響していると考えています。
それはトラップです。インド戦のみならずガーナ戦でも顕著でしたので多くの方はすでに注目なさっておられます。ここで気になるのは先ほど見たとおりボールを扱う技術自体がダメなわけではないということです。
トラップは動いているボールに対するアプローチ。誰のものでもないボールを自らが保持し、同時に自らに優位な形へと固定するアクションです。その後のテクニックはそういう意味ではボール保持者の絶対的な優位の上に成り立つものだといえましょう。さらに自らの優位な形でというところが重要です。 ここに二つの選択肢があります。一方は確実にボールをキープできる方向へのトラップです。誰も選手はいませんし、ボディシェイプも完璧です。もう一方は少しリスクを伴います。今までの経験から言って成功率は50パーセント以下かもしれません。しかし直接決定機を迎えるとはいえなくとも二手三手後にはチャンスを演出できる可能性が大です。
このような状況に対応するための判断力が選手個々人に必要なのは言うまでもありません。しかしそれよりも高次の、その判断力自体を制限するメンタリティーがあると思います。つまり「どのようにして勝つか」ではなく「どのようにしてミスをしない試合運びをするか」という強迫です。
無論ミスをしないことが大前提なのはいうまでもありません。状況を無視したひらめきに頼るプレーをされてもゲームが壊れるだけです。重要なのは目的から逆算する思考です。得点を取らなければならないなら、そのためのリスクを犯す勇気を持つということです。そしてそれが成功しなかった時の責任を負う覚悟を持つということです。
今の日本では殊にパサータイプの選手がもてはやされます。「ベルベットパス」「受け手に優しい」等の修辞は掃いて捨てるほど目にすることが出来ます。別にパサーはいらないといっているわけでもパスと言う技術を軽視しているわけでもありません。ただ目的から逆算して考えるならばトラップもまたパスと同等に重要な技術であるということなのです。たとえスピードが少々速かろうが、変化が付いていようが問答無用におとなしく出来る技術を持っているという選手は海外では名選手と呼ばれます。日本ではそのような視点が欠けているのではないかと思います。「パス」と「トラップ」の間にある観る側の質的バランスの偏重が解消されれば、パスを出す側にも判断を下す上で大きな勇気を与えることになるのではないでしょうか。
posted by コール総統 |04:38 |
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