2007年10月17日
少し前の話ですが,我がバルセロナのラポルタ会長が以下のような発言をしたそうです。波紋を呼ぶバルセロナのラポルタ会長の代表軽視発言から引用すると,
/*バルセロナのラポルタ会長は7日のアトレティコ・マドリー戦後、フランスのテレビ局カナル・プリュスの取材に応じ、代表戦でクラブを離れることになる代表選手に向けて、次のようなメッセージを残した。
「これからまた、代表ウイークでクラブの試合は小休止となる。それはクラブにとってはプラスとなることではない。われわれのクラブの選手は代表でうまく調節して、筋肉の過負荷なく帰ってきてくれることを願いたい」
ラポルタ会長は9月の代表ウイークの際、代表選手の貸し出しについてFIFA(国際サッカー連盟)やUEFA(欧州サッカー連盟)に金銭的補償を求める発言を行った。いまだクラブが無償で選手を代表に送り出している現状を「恥」とまで言い切った同会長だけに、今回の発言も再び波紋を呼んでいる。*/
だそうです。また,ラポルタ会長「うちの代表選手にはバルサに対する義務がある」では,
/*11日、「代表戦で手を抜くことはない」との反応を示したチャビ、ビクトル・バルデスの発言に対し、ラポルタ会長が「私が言いたいのは、彼らがバルセロナでのプレーを考慮しなければいけないということだ。これはクラブの会長として言わなければいけないことなんだ」との主張を繰り返した。
「前回の中断期間にて、代表戦で怪我をしたためにチームが必要とした選手がプレーできないという事態が起こった。彼らに給料を払っているのはクラブであり、本来選手はクラブのことを考えるべきなんだ」。
彼は全ての選手が代表に呼ばれたいと望んでいることには理解を示しているものの、一方でバルセロナこそ彼らを起用できなければいけないこと、また選手達も「常にバルセロナでプレーできる準備をしておく必要がある」ことを強調している。*/
代表選手は,クラブに配慮して,代表戦(特に親善試合)では怪我をしないように手を抜くべきかどうか,意見が分かれそうな問題ですが,この発言の背景には上記にもあるように,クラブが無償で選手を代表チームに貸し出すことへの不満があるわけです。ここ2週間ばかりは代表ウィークということで,フットボール界は代表の話題が多くなっていますが,代表を考えるいい機会ともいえるわけで,ここでこの問題について考えてみようと思います。なお,ラポルタ会長の9月の発言は,これです。
選手とクラブの間には雇用契約が存在するため,クラブのために選手が働くのは当然です(労働者は,使用者に対して労働義務を負う(誠実労働義務・職務専念義務を含む))が,代表チームと選手は契約関係にはなく,したがって,選手が代表チームのために働くのは,少なくとも法的には当然ではありません。選手が代表チームのために働きたい,と思っても,選手を雇用しているクラブの側はほとんどの場合そうではありません。そこで,代表マッチを行うために,各国協会の規定などに基づいて「強制的に」「無償で」協会がクラブから選手を借りあげて,選手に働いてもらうことになるわけです。例えば,Jリーグクラブの場合,
/*日本サッカー協会基本規定54条
加盟チームは,所属選手が本協会により代表チームまたは選抜チーム等の一員として招聘された場合,当該選手を参加させる義務を負う。・・・
Jリーグ規約41条2項
Jクラブは,所属選手が,代表チームまたは選抜チーム等の一員に選出された場合,当該選手をこれに参加させる義務を負う。*/
などの規定に基づいて,クラブは,自己の意思に反して,選手を代表チームにタダで「出向」させなければならないわけです。なお,選手個人についても,代表チームへの参加義務を負っており,代表チームへの参加を拒否することはできません。
/*Jリーグ規約88条
選手は,次の各事項を履行する義務を負う。
(7) 協会から,各カテゴリーの日本代表選手に選出された場合のトレーニング,合宿および試合への参加*/
最近「代表引退」という言葉がよく聞かれるようになりましたが,あれは,協会と選手,両者の合意の上での紳士協定のようなもので,協会があくまで選手を参加させようとすれば,現役生活をやめない限り選手の側が招集を拒否できないようになっているわけです(選手には,「クラブだけ」でプレーする道を選ぶ自由はない)。後述するように,エトーさんは,代表選手を「戦争に向かう兵士」に例えていますが,同じ兵士でもシステムとしては「志願兵」ではなく「徴兵」に近い感じといえます。
世の中には,確かに,ある種の「公益」に基づいて,自己の意思に反して何かを強制されるということがあります。わかりやすい例でいえば,空港を作るために嫌々ながら農家は自分の土地を手放さなければならない,みたいな話のことです。しかし,その場合においても,農家は何らかの損失補償を受けることができる,というのが社会における常識です。例えば,我が憲法29条3項は「私有財産は,正当な補償の下に,これを公共のために用いることができる」としています。公共の利益のために私有財産の剥奪・制限をする際には,正当な補償が必要だ,という理屈の背景には,「公益,つまり,みんなの利益を得るためにかかるコストはみんなで負担すべきである,そうするのが公平だ」という考え方があります。だから,私有財産を剥奪・制限された人に国が補償をし,税金という形で広く国民に負担を転嫁することになるわけです。
代表チームの活動が,ある種の「公益」に基づくものであるとするならば,その活動を行うにあたり生じるコストは本来みんな(フットボール界全体)で負担すべきものといえるでしょう。代表選手が怪我をしたら,その治療費は広くみんなで負担すべきですし,代表の活動時間分の選手の給料は,広くみんなで負担すべきものといえます。また,代表チームの活動が,ある種の「公益」に基づくものだとしても,一方で,FIFAや各国協会などが自己の経済的利益を追求するビジネスでもあることもまた否定しがたいように思います。そうだとすると,そのようなビジネスにかかるコストをなぜクラブが何の見返りも無しに負担しなければならないのか,ということも当然いえるわけです。
このように考えると,ラポルタ会長のいうとおり,FIFAや各国協会などが,代表の活動で生じるクラブの損失を全く負担しないのは,明らかにおかしいと思います。とりあえず原則的には,FIFAや各国協会などは,選手の給料を日割りにして代表の活動日数分の給料を負担すべきであり,さらには,選手が怪我をした場合にはその治療費も負担すべきだといえるでしょう(なぜなら,モノを借りた人は,借りた時と同じ状態で貸した人にモノを返すべきだからです)。
逆に,なぜ補償しなくていいのか,といわれた場合に,どんな理屈があるでしょうか?
「今がそうだから」という理屈にならない理屈を除くと,1つには,代表選手を抱えるクラブは,基本的にはビッグクラブであり,そうだとすると,代表選手を抱えることによる負担が存在することにより,中小クラブとの戦力の格差が縮小するので,リーグの戦力均衡に資する,というものがあるかもしれません(他にも何かありますかね?)。もっとも,それは余り説得的な理由付けとはいえません。戦力均衡を考えるなら,ビッグクラブから中小クラブに直接資金を移転した方が効率が良いはずだからです。
ところで,我らがエトーさんは,この件について以下のように述べています。
/*「万が一僕が代表の試合で故障しても、僕の国や協会がその治療費を出せるとは思えない。その点を考慮して欲しい。アフリカには貧しい国がたくさんあるから、こういう費用を捻出することさえ出来ないんだ」と語るエトー。一番の解決法は、保険をかけることだと提案する。「クラブも代表も満足するためには、保険をかけることが一番いいんじゃないかな」とのことだ。*/
/*エトーは「代表が選手を招集するためにお金を払うなんてやりすぎだよ。みんな自分の国のために戦うんだ。大げさだよ」と反論する。「自分の国のために戦う気持ちにお金なんてかからない。それはフットボールにとって一番美しい感情なんだ。国歌が響いて、何百万人もの人たちを代表して戦うのは、戦争に向かう兵士のようなもの。この気持ちはお金で解決することじゃない」とラポルタ会長に反論している。*/
まず,後半部分からいくと,エトーさんの理屈から抜け落ちているものがあるとしたら,それは「戦争するにはお金がかかる」ということでしょう。確かに,祖国のために戦う兵士は,自分の国を思い,裸一貫で招集に応じるなり志願するなりすればそれで済む話ですが,当然ながら兵士の装備,食料,医薬品,給与・・・etcは誰かが調達して用意しなければ戦争なんてのはできないわけです。ラポルタ会長は,いわば「ある国(=各国協会)が,他の国(=クラブ)の予算から強引に戦費(の一部)を調達して戦争(=代表マッチ)をやっている」から問題にしているわけで,したがって,エトーさんの議論は,ラポルタ会長の議論に対する反論にはなっていないと思います。
前半部分ですが,確かに,アフリカなどの貧しい国の協会は,選手の治療費などを出せない可能性は高いと思います(ディウフ選手によれば,帰国のための飛行機代さえ選手の自腹だとか)。したがって,前述の原則通りに,個々の協会に選手の給料の日割り負担とか,治療費の負担をしてもらうのは普遍的な制度としては困難だと思います。そこで,エトーさん提案の保険というアイディアが出てくるわけですが,フットボール選手の怪我の頻度を考えると,民間の保険会社が請け負ってくれるのかは少々疑問なところもあります。そうすると,国連の分担金のように裕福な国にある協会に多くを負担して貰うことを前提に,代表関連のビジネスからあがった利益の一部を各国の協会にプールして貰って基金を作り,その運用益から治療費や給料支払いにあてる費用を捻出するのはどうだろうか,と思います。
なお,ブラウグラナさんのところの記事によると,この問題について話しあうFIFAの検討委員会が,ラポルタ会長を委員長として設置されることになったそうです。
ブラウグラナさんのところに載っているラポルタ提案のうち(第1の提案は既に議論済み),
●親善試合に関しては、参加の可否を選べる。
●親善試合の数を減らす。
のうち,まず後者については,クラブも一緒に親善試合を削減して(集金ツアーをやめるか,大幅に削減する),選手のフィジカルにキチンと配慮した日程を組むべきだと思います。同時にムダに公式戦を増やすこともやめるべきでしょう(CWCみたいな)。
前者については,なかなか難しい問題ですね。親善試合に関する参加義務を撤廃すると,選手が代表チームに参加しなくなるかどうかはやってみないとよくわからないので。とはいえ,単純に「お金をくれるクラブと,お金をくれない代表チーム,どっちに配慮する?」ということを考えると,前者に配慮する選手が増えそうな気がします。もっとも,クラブの損失が補償されるとなると,クラブの代表チームへの抵抗感が弱まり,クラブが選手に代表不参加の圧力をかけることが少なくなることも予想されます。一方で,義務だからという理由で嫌々参加するようなのであれば,別に参加しなくてよい,といえる気もします。そうすると,参加の可否を選手が選べることにしても別によい気がしますね。
posted by coladevaca |09:10 |
スポーツビジネス |
コメント(15) |
トラックバック(0)
2007年10月16日
亀田家への処分が出たそうです。
亀田大毅(18)→ボクサーライセンス停止1年
亀田史郎(42)→セコンドライセンス無期限停止
亀田興毅(20)→厳重戒告
金平桂一郎会長(41)→クラブオーナーライセンス停止3カ月
処分の理由についてですが,
/* 倫理委では試合のビデオ検証の結果、亀田大を「世界戦を冒涜(ぼうとく)した」と断罪。選手生命にも影響を及ぼす処分となった。史郎氏は試合開始前のレフェリーチェックの際に内藤を威嚇した上、反則を指示した可能性があるとされた。今後は指導にかかわることも禁じられる。亀田興は反則の指示ともとれる不適切な言動が問題とされた。一方、統括団体としてのJBCの管理監督責任は問われなかった。*/
初見の感想は,予想より重いな,と思いました。先例がどうなってるのか,一般人にはよくわからないので処分の軽重の是非を論じるのはなかなか難しいと思われますが,「JBCが試合中の反則をめぐり厳罰を下すのは異例」だそうなので,そうだとするなら結構重いかな,という気がしました(クラブオーナーライセンスだけは停止されるとどうなるのか,そのイメージが素人には思い浮かびません)。
ただ,少し眺めてみてよくわからないと思ったのが,史郎さんと興毅選手の処分の差。
史郎さん・・・試合前の威嚇行為+反則指示→セコンドライセンス無期限停止
興毅選手・・・反則指示→厳重戒告
ライセンス無期限停止と厳重戒告というかなりの処分の重さの違いを生んだのが,試合前の威嚇行為というのはちょっと筋が通らない気がするので,史郎さんの処分は,今までの不適切な行為の積み重ねを評価したものかもしれませんが(確か前にも何かの処分を受けていてその処分期間中だったとかいう話があった気がする),逆にいうと,反則指示それ自体は,厳重戒告程度の処分にしか相当しないとJBCは考えているといえるわけで,そうするとちょっとそれは?という気もします。まあ,それを説明するとしたら,反則を指示されても,反則するかどうかは選手本人次第であるから,反則指示自体はさほど重大なものではない,という考え方が背景にあるのではないかといえそうです。あるいは,急所攻撃,眼付近の傷口への肘打ちなど,指示を確認できた反則は実際には実行されていない点を考慮したのかもしれません。後者の観点をつきつめていくと,じゃあ処分自体できないのではないか,ともいえるわけで(なぜなら,確認できる反則指示と反則行為が結びついていないわけで,結局,それによって何らの被害も起きていないといえるから)微妙なところですが。
理屈を考えてみましたが,実際のところ興毅選手への処分については,興行的な配慮が影響したと考えるのがおそらくは正しいのでしょう。良い悪いは別として,その意味ではJBCらしさが現れた処分といえるかと。JBCの責任が棚上げされているという批判は当然ありうるところですが(肉親をセコンドに入れてはいけないとのWBCの規定に違反している点など),そこを議論の俎上にまでもっていく程の世論のパワーは無い気がしますね。
まあ,これでこの騒動は(ひとまず)終息に向かうのでしょう。それと共にボクシングもまたお茶の間から姿を消していくことになるんでしょうね。内藤選手とか,ひっそりと次の防衛戦をやってそう・・・。
(追記)
今日の新聞の記述によると,私の考えとは異なり,JBCが史郎さんのライセンスの無期限停止処分を決めたのは,反則行為の指示どうこうよりも,威嚇や恫喝がけしからんというのが主たる理由みたいですね。安河内剛JBC事務局長によれば,反則行為の指示については「不正な指示があったと100%いえるものではない」と結構どうでもいい扱いになってる一方で,「威嚇や恫喝はあるまじきこと。看過できない」とか。これにはちょっとびっくり。反則行為を指示する方が問題あるような気がするけどなー。威嚇や恫喝は一種のパフォーマンスともいえるのに比べ,反則行為の指示は,間接的にせよ,反則行為による相手選手への怪我なりなんなりの結果を引き起こす可能性があるわけだから。
「試合前の威嚇,恫喝の方が,反則行為の指示よりも悪質」
こういう考え方をとっているのなら,興毅選手の反則行為の指示が厳重戒告止まりなのもそれはそれなりに筋が通っている,妥当な処分ということがいえますね。本文では,バランスがとれてないのでは?と書きましたが,彼らなりのバランスはとれているようです。後は,「試合前の威嚇,恫喝の方が,反則行為の指示よりも悪質」というJBCの根本的な考え方に賛同できるかどうかですね。
また,前にも書いた通りJBCは,反則行為の指示を否定している興毅選手に直接話を聞いておらず,反則行為の指示が100%あったとは言えない,という状況認識だとか。つまり,ライセンス停止などの厳しい処分を,当事者の話を聞かず,反則行為の指示があったかどうかも確信が持てない状態で出しているわけで,これはいかがなものかと思います。世論にひっぱられる形で解決を急いだのだろうけど,こういうところにも組織としていい加減なところが露呈しているように思います。なんか相撲の時と似てますね。
ある部屋がおかしいと思ったら,実は協会もおかしかった。
ある家族やジムがおかしいと思ったら,実は協会もおかしかった。
posted by coladevaca |08:03 |
スポーツ文化 |
コメント(8) |
トラックバック(3)
2007年10月13日
ボクシングとかルールさえよくわかりませんが,とりあえず内藤vs亀田戦は,世間の盛り上がりに乗って見てしまったので,それについて書いてみようかと思います。
まず,試合を見てて最初に思ったのは,とりあえず亀田選手のボクシングスタイルというか戦術はつまらないな,ということ。あれは両者の地力の違いを前提にしたスタイルなんでしょうけど,余りに手を出さないのでビックリしました。亀田選手といえばビッグマウスですが,その口ぶりからしてもうちょっとおもしろいボクシングをするのかと思ってましたが,あれでは。4Rの採点後に,やっとちょこちょこ手を出し始めましたが,内藤選手に見切られているのか,なかなかパンチが当たりません。一方,内藤選手は,トリッキーな動きでうまく相手の攻撃をかわしつつ,固く閉じられたガードの隙間からパンチを入れるなど,さすがに王者,素人眼からみてもうまさが目立ちました。クリンチの多さにはいらいらしましたが。
うーん,なんでこんなに力の違う両者が「世界戦」という頂点(タイトル)を賭けた戦いが出来るのでしょうか?それは,(格闘技全般に言えることだと思いますが)対戦カードが実力で決定されるのではなく(例えば,フットボールのように,リーグの成績とか,予選トーナメントを勝ち抜くなどのある程度客観的で公平なシステムによって決定されるのではなく),専ら興行主によって決定されるからなんでしょう。そこで,今回のようなお客さんの要望には応えるかもしれないけど,実力的にはわけのわからないカードが組まれることもありうるわけです。思えば,亀田家がメディアの後押しを受けてのし上がってこれたのは,その「キャラの強さ」だけではなく,最大限にこのいい加減な対戦カード決定システムを利用してきたからであって,いろいろ批判を浴びている亀田家とは,実はボクシング界のいわば「身から出た錆」といえる気がしますね。
ところで,亀田選手が反則を重ね,おまけに,そのセコンドについた父でありトレーナーである史郎さんや兄興毅選手が反則行為を指示した疑いにより処分される可能性が出て来たそうです。
資格停止も!亀田陣営4人に厳罰
亀田家3人に処分も JBC15日倫理委
ルール違反であれば,何らかの処分が出されてしかるべきでしょう。それはいいとして,では,どのぐらいの処分が出るのか,という話になるとなかなか微妙な話のような気もします。上記で「身から出た錆」といいましたが,そもそもボクシング界にとって「錆」といえるかどうかわからないからです。例えば,今回の世界戦は,なんと関東では視聴率28%もとったそうで,マイナープロスポーツといってもいいボクシング界としては本来であれば諸手で喜ぶべき結果をもたらしています(プロ野球やJリーグもこんな数字はほとんどとれないでしょう)。いわば,亀田家はボクシング界にとって「金のなる木」であって(内藤選手もおそらく,亀田絡みでなかったらこれほど注目を浴びることも無かったでしょうし),ある面では「錆」とはいえないわけです。そこで,JBCとしては,亀田家を潰してしまわないよう処分を出すにあたっては配慮せざるをえないことになります。一方で,亀田家を潰さないようにしつつ,一方で,アンチ亀田で盛り上がる世論を沈静化させつつその「憎悪パワー」をうまく持続して貰えるような処分。追放はありえず,ライセンス停止,問題はその期間ということになるんでしょう。
ところで,内藤選手は,自分の体が大事なので次の興毅戦はやらない,というようなことをいっていましたが,来るべき興毅戦は,いわば「亀田退治の本丸」であって,おそらく今度以上の盛り上がりが期待でき,内藤選手にとっては大金が掴めるまたとないチャンスといえます。今回の結果により,間違いなく内藤選手の価値は,日本国内では上がったからで,それがファイトマネーの交渉においても反映されると考えられるからです。私は,内藤選手は,次の大勝負に出てくる可能性はあるのではないか,と予想しています。
posted by coladevaca |15:10 |
その他 |
コメント(66) |
トラックバック(2)
2007年10月09日
川崎Fの時に色々議論がされているようでしたが,「天皇杯より昇格?J2“4強”敗退」との記事にあるように物議を醸しそうなことがまた起きたようです。今度は4チーム揃ってということで,こりゃまたおもしろいと思い,これを機会に自分の意見をまとめてみようかと思います。
まず,ベストメンバー規定(Jリーグ規約42条)の趣旨についてですが,サッカーを面白くする“サッカー用語” 第6回 「ベストメンバー規定」では,
/*この規定はJリーグ発足当時に規約を検討していた中、初代チェアマンである川淵三郎が、
「プロになったからには最高水準のゲームを提供していかなければならない」
という観点のもと、川淵氏の強い要望でJリーグ規約に盛り込まれた条文です。この規定の裏側には、Jリーグがいかにファン、サポーターを強く意識しているのか、そして日本のサッカーを強くしていくことを考えているかが透けて見えますし、当時のJリーグは大会毎にメインスポンサーがついていたことから(1st ステージを「サントリーシリーズ」、2ndステージを「日本信販・NICOSシリーズ」、カップ戦は「ヤマザキナビスコカップ」)、プロ野球のような消化試合を極力なくさなければならないとの思惑も見えてきます。・・・Jリーグ側の反応の真意は、Jリーグバブルが弾け減退傾向にあった情勢と、先にも述べたようにカップ戦の権威の失墜イコールスポンサー離れに拍車がかかることを危惧しての行動といった側面が強くあらわれたものでした。*/
としています。「プロとはかくあるべし」のような道徳論を除けば,ようするに,大会毎の冠スポンサー撤退につながる大会(実質的には,専らナビスコカップ)の権威低下を防止しようとする趣旨である,ということでしょう。
フットボールの真実 - 第110回 アビスパの「規約違反」に断固たる制裁をでは,
/*ではなぜこのような規約が存在するのでしょうか。
第1に、公平さを保証するためです。たとえば、リーグ戦の終盤に優勝争いをしている1チームの試合相手が、「もう順位争いに関係ない」と、完全リザーブのチームを出したら、優勝争いのライバルチームにとっては大きな打撃となります。下位争いでも同じことです。
第2に、ホームであろうとアウェーであろうと、観客にできる限り最高の試合を見せるのが、プロの責務であるということです。観客は、プロとしてのサッカーの試合に入場料を払い、プロのサッカーはその入場料で成り立っているのです。最大限の努力をするのは当然のことです。
第3に、アウェーでこのような違反をすれば、それは相手チームに金銭的な損害を与えるということです。この日の平塚競技場の入場者はわずか2261人でした。
そして第4に、来年からスタートするサッカーくじを考えれば、クラブが勝手に試合の重要性を判断してリザーブチームを出すようなことがあったら、大きなスキャンダルになります。
以上のような、それぞれ重要な理由から、この規約第42条があると私は考えています。*/
としています。次回でご本人がまとめていらっしゃるように,
1.公平性
2.プロとして勝利のために最善を尽くすこと
3.アウェーチームの金銭的損害
4.サッカーくじとの関連
ということです。これで5つ出そろったわけで,まあ,こんなとこだろうな,とは思います。
さて,では何でこのような「プロ精神に見合った素晴らしい規定」を逸脱するような行為が出てくるのか(今回のケースは,天皇杯ですのでこの規定がストレートに適用されるわけではなく,違反があったとはいえませんが,少なくともその掲げる理念には真っ向から反対する行為といえるでしょう),ということを考えますと,まず根本には,ごく当たり前のことながら,やはりリーグの利益とクラブの利益に決定的な違いがあるといえます。
ここで前々から当ページで言及してきた,アメリカン・プロスポーツとヨーロッパ・プロフットボールの違い(例えば,これを参考にしてください)を思い出すとわかりやすくなると思いますが,いわゆる合理的な行為主体として,リーグとしては,リーグの利益を第一に考えるし,クラブとしては,クラブの利益を第一に考えるのだとすると,リーグとしては,(ナビスコカップや天皇杯を含めて)リーグを盛り上げてリーグの繁栄を,といっても,クラブとしては,リーグの繁栄の前に「自分のクラブが生き残ること(あるいは繁栄)」を当然第一に考えるわけです。Jリーグ/フットボールの場合,1部リーグでプレーすることが,クラブの死活問題に直結します(スポーツ的にも,経済的にも)ので,リソースが限られる各クラブは当然のことながら,1部リーグでプレーするために最善の措置をとろうとする,そのためにリソースを集中することが起るわけです。ベストメンバー規定は,いわば,生き残るために最善の手段を尽くそうとする各クラブに,最善の手段を講じさせないために存在するわけで,各クラブにとっては「残酷な規制」といえるでしょう。サポーターの中でリーグの見解に賛同する者が少ないのは,このように考えると当たり前だといえます。サポーターも,各クラブと同様に,自分が応援するクラブが生き残ることを第一に考えるのが通常だからであり,それを制限するようなリーグの姿勢に反発を覚えるのは至極当然だからです(サポーターは,リーグとかフットボールの繁栄を第一に考えるものではない,これを理解していれば, 川崎Fの問題の時に犬飼理事が「サポーターへの裏切り」というトンチンカンな発言をすることも無かったでしょう)。
このように考えてきますと,ベストメンバー規定を誰しもが納得するように運用するためには,アメリカン・プロスポーツのようなシステムをとること,特に昇格・降格システムをやめることが必要なように思います(ヨーロッパ・プロフットボールシステムからの脱却)。複数タイトルを争う形式をやめ(このような形式をとると,リソースが限られている中では,タイトル(あるいは目標)に優先順位をつけて,リソースをそれに応じて振り分けるという「常にベストメンバー」な考え方から逸脱した行為をとる方が,各クラブにとって合理的だといえるから),どんなに負けても奈落の底に落ちることはないよう1部リーグから脱落することが無いようにする(各クラブが生死をかけて戦わなくて済めば,リーグの利益とかプロ選手道徳論のような「余興」につきあう余裕が各クラブに生まれるから)ということです。
では,最後に上記の5つの個別の趣旨について,論評してみたいと思います。
A. 大会の権威低下の防止について。
リーグがこのような行為をとるのは,合理的だといえますが,クラブにとってそうではないのは前述のとおりです。まあ,これは規制する根拠にはなりうると思います。
B. 公平性+アウェーチームの金銭的損害について。
おそらく何の規制もないヨーロッパ・プロフットボールにおいても,リーグ戦の終盤に優勝争いをしている1チームの試合相手が, 「もう順位争いに関係ない」と,完全リザーブのチームを出すことなどはまずありません(私の記憶では,似たようなことでこういうのがありましたが)。なんで無いのか,といえば,降格争いやヨーロッパカップ出場権争いなど,優勝争いをしていないクラブでも最後まで全力で戦うべき材料が残るのが普通ですし,何より「相手の報復が恐ろしいから」でしょう。自分のクラブの大して利益にもならないことを,相手の恨みまで買ってやるというクラブは,なかなかいません(そのような行為をする合理性が無い)。フットボールクラブ相互の関係というのは1シーズンで終わるものではなく,サポーターの熱狂度を考えれば,命だって狙われかねないでしょう。したがって,この手のことは自然に任せておいても弊害は無く,規制する根拠にはなりえないと思われます。
C. プロとして勝利のために最善を尽くすことについて。
これは結局,どこを向いて商売をしているか,という話でしょう。普通のクラブのサポーターならば,天皇杯やナビスコカップにリザーブチームが出ていようと,代わりにリーグやACLのタイトルをとったり,1部残留できるのであればそのような措置にも納得するでしょう。たまたま試合を見に来たお客さん,バルサでいえば「ロナウジーニョを見に来た!!」みたいなお客さんは激怒するかもしれませんが,そのような人達を向いて商売するよりも,クラブのサポーターに向いて商売する方がクラブとしては合理的です。プロとしての最大限の努力は,1つの試合へ向けてではなく,1つのシーズン,そのシーズンに(具体的に)獲得可能なタイトル・目標に向けてなされるべきものといえます(少なくとも,クラブのサポーターにとっては)。リーグの利益については,A.で既に議論されているので,したがって,これも規制する根拠にはなりえないと思われます。
D. サッカーくじとの関連について。
クラブが勝手に試合の重要性を判断してリザーブチームを出すようなことがあっても,大きなスキャンダルにはならない場合もありえます。仮にリザーブチームを出しても,そういうこともありうるということをくじ購入者が想定できるような場合には(出してもかまわないというルールになっているのであれば),そのような可能性も織り込んでくじ購入者は予想できるから(予想すべきだから)です。リザーブチームを出すようなことはあってはならない,というルールの元に,リザーブチームを出す場合に,予想外のことで期待を裏切られた,と問題になるわけです。ようするに,くじ購入者の予見可能性を確保しているかどうか,ルールがどうなっているか,が問題であり,ルール通りに運用されているならば,リザーブチームが出ようと出まいと関係ありません。単に予想が難しくなりそうというだけの問題です(売り上げには響くかもしれませんが)。というわけで,これも規制する根拠にはなりえないでしょう。
このように,結局,ベストメンバー規定の根拠としては,「大会毎の冠スポンサー撤退につながる大会の権威低下を防止」,これに尽きる気がします。これを尊重して,我がクラブの行動を制限することに我慢できるかできないか,この規定に対するスタンスはこれで決まる気がしますね。
本記事を書くにあたっては,bunchousannさんの記事を参考にさせて頂きました。ベストメンバーを決めるのは,協会やリーグではなく,クラブの監督であるべきだ,というもっともなことをおっしゃっていますが,ここまで述べたようにベストメンバー規定の根拠が「大会毎の冠スポンサー撤退につながる大会の権威低下を防止」,これに尽きるのだとしたら,結局のところ,この規定は「最強チーム(ベストメンバー)」という言葉を持ち出しているものの,実際にはそんなものは何の問題にもなっていない,という気がします。ようするに,スポーツ的にベストメンバーでチームを編成せよ,というより,今まで試合に出ている選手=(少なくともリザーブの選手よりは)メディア受け,一般受けする選手でチームを編成せよ,という規定なのであって,だから,新鮮なリザーブチームメンバーより,疲れきったトップチームメンバーで試合に臨むことを強要するわけです。それは規制根拠からすると当然であり,そうだとするならば,協会やリーグが「ベストメンバー」を決めてもある意味問題ないのかもしれません。ここでいう「ベスト」はスポーツ的なベストではないから,協会やリーグが判断してもかまわない,というわけです。
posted by coladevaca |00:18 |
スポーツ文化 |
コメント(7) |
トラックバック(0)
2007年10月07日
FIFAのブラッター会長が,「1チームの先発メンバーに国内選手を6名起用、すなわち外国人選手は5人までに制限する」ことをEUに提案するそうです。その趣旨について,
/*フットボールクラブの国民性を守る必要がある。それに、外国人選手の人数を制限することにはメリットがある。クラブの下部組織で育った選手がファーストチームに昇格するチャンスを与えられる機会が増えるだろうし、自前の選手を使うことで補強費がうんと安くなるはずだ*/
と述べています。もちろん,FIFAの「代表利権」を守る意図も当然ながらあるでしょう。
どこの国のリーグにも外国人選手についての出場制限がある一方で,EUにおいては,EU加盟国の選手は,EUの労働者として移動の自由を保障されているため(労働者の自由移動の原則,ローマ条約39条,これには差別待遇禁止の原則が含まれる),外国人選手としての出場制限も適用されない,という仕組みになっています。そこから,アーセナルのような「外国人だらけのイングランドのフットボールチーム」が出来上がってしまうこともあるわけです。そこで,この仕組みの変更を訴えているわけですが,さてこれをどう考えるべきでしょうか?
まずEUの立場からすると,いわばEU成立以前(厳密にいえばEC成立以前,ローマ条約はEC設立条約なので)に時計の針を戻し,「フットボール選手のみ」労働者の自由移動を保障したローマ条約の適用の免除しろといわれているわけですから,当然ながら受け入れられるものではないでしょう。この記事によると,ブラッター会長は「サッカー選手を労働者と同列に扱えない」と主張しているようです。確かに,ローマ条約には労働者という言葉はあっても,その厳密な定義が載ってないのでフットボール選手を労働者から除外することも考えられないではないですが,しかし,スポーツ選手が労働者であることは,ボスマン判決はいうに及ばず,1970年代から欧州司法裁判所の判例により認められています(なお,(EU加盟国の)外国人の出場を制限する国籍条項は,選手の雇用関係への制限であって,ローマ条約39条により禁止される,との趣旨のことをボスマン判決は明確に述べています)。したがって,我が国でいえば,最高裁判所の判例に違反した処理をしろ,とブラッター会長はいってるようなもので,およそ馬鹿げているということになるでしょう(仮にそうしたとしても,選手に欧州司法裁判所に提訴され,敗訴して制度をひっくり返される可能性が高いわけです)。そもそもEUは,(将来的に欧州合衆国になるかはともかく)超国家を志向する国際機構なのであって,そこに「フットボールクラブの国民性」という概念を持ち出すのはちょっとナンセンスではないかと思います。
このようにブラッター会長の提案はおよそ現実的で無いように思える(現実はさらに進んでいて,リーガでは,アフリカ人選手がEU枠内選手として扱われることになるそうです)のですが,思考実験として,果たしてそれが可能であったとして,そうするのが望ましいか,を考えてみましょう。
まず,ブラッター会長のいうように,下部組織出身の選手のプレー機会は増えそうですし,補強費用も安く済む可能性はありますし,ビッククラブと中小クラブとの格差が縮小するかもしれません(もっとも,青田買いがより一層進み,結果的には大して変わらないかもしれません)。まわりまわって代表チームのレベルも上がるかもしれません。これらがメリットだと考えられます。
ではデメリットはというと,サポーターは,今と比べればレベルの低いリーグの試合を見せられることになりそうだ,ということでしょう(資金力が豊富なリーグ/クラブでは特にレベルが低下することが予想されます)。政府によって市場が制限された時に消費者は高い値段でモノを買わなければならない,というのと同じようなものです。それによってフットボール市場自体が縮小してしまうかもしれません。もっとも,レベルが低くなっても,戦力が均衡する方向に働くのだとすれば,サポーターはより楽しく試合をみることができるかもしれません。
最後に,よくやり玉に挙がっているアーセナルのベンゲルさんの言葉を紹介しておきたいと思います(ベンゲル徹底反論「イングランドの弱体化は私の責任じゃない」,ベンゲル監督、プラティニの「外国人枠」構想をけん制などをから)。
/*「イングランドがブラジルに勝ちたいなら、アーセナルに所属するイングランド人選手が、ブラジル人選手からポジションを奪うことだ。」「スタメンを選ぶときにパスポートなど見ない。パスポートのおかげで出られる選手がいるなら不公平だろう。」*/
個人的には,パスポートによって,ではなく,実力によって編成されたチーム同士の試合の方を見たいと思いますが,皆さん,どうお考えになりますか?
posted by coladevaca |10:15 |
スポーツ文化 |
コメント(13) |
トラックバック(2)
2007年10月05日
以前もとりあげた大相撲リンチ死亡事件。どうやら相撲協会は,ビール瓶で殴るなどの暴行を働いた等の理由により時津風親方を解雇したらしいです。
まあ,それはいいとして,どうもよくわからないのはおそらく斉藤さんの死亡という結果につき多大な影響を与えたと思われる兄弟子達について何らの処分も下さなかった点です。彼らについては,警察や検察,裁判所などの判断を待って処分する,みたいなことを言っていましたが,そもそも,時津風親方を処分するについては,
/*北の湖理事長は、時津風親方が師匠としての安全配慮を怠り、自らビール瓶で殴るなどした上、弟子が斉藤さんに暴行するのを黙認したこと、相撲協会の名誉を著しく汚したことを主な解雇理由に挙げた*/
そうなのですが,ということは,兄弟子達が斉藤さんに対しリンチを行った事実を認めることが時津風親方の解雇処分の前提なわけです。そうだとすると,相撲協会としては,リンチをした人達を処分(解雇?)するつもりはまだありません,といってるようなもので,それはフツウに考えておかしいのではないのでしょうか?
時津風親方への処分=相撲協会による事実認定に基づいて処分
兄弟子達への処分=警察や検察,裁判所などの事実認定に基づいて処分
この違いを生む原因がなんなのかよくわかりません。この違いを生んだのは,単に世論の逆風の強さの違いだけではないか,と疑われても仕方がない気がします。つまり,本来であれば,自分達で事件を調査して証拠を収集し,証拠から事実を認定し,処分を行うというプロセスをやりたくない,けれど,世論の反発が強い時津風親方に対しては仕方が無くやった,このような自主的に問題を解決しようという姿勢に欠けるのではないか,と疑われるということです。
どうせ自主的に問題を解決しようという姿勢に欠けるのであれば,時津風親方への処分についても,警察や検察,裁判所などの事実認定を待ってから処分する方が筋が通っているというものです。その場合は,社会に対しては「相撲協会は,自分達の団体内で問題を解決する能力はありません」といって説明すべきだったでしょう。社会の方は「国技を自称するくせになんとだらしない,開き直るのか」と怒るかもしれませんが,だらしないものはだらしないのだからしょうがないといえます。だらしないのに,さもキッチリしているフリをしようとするからこんな中途半端な処分を生んでしまったといえるでしょう。
posted by coladevaca |21:48 |
その他 |
コメント(3) |
トラックバック(0)
2007年10月04日
シュツットガルト戦は,とりあえず結果オーライな試合でした。前半の終盤は,相当ヤバく,聖ビクトルが降臨しなければ,相手があそこで1点でも決めていれば,結果がひっくりかえっていたことも充分ありえたでしょう。ピンチを招いたのは,相手のカウンターですが,予想通り,ヤヤの欠場はかなり大きかったと思います。最初に攻撃の目を詰みにいく彼が抜けたため,球の出所をうまくつぶせず,フィジカルに優れた相手に押される形で中盤がずるずると後退する形が目立ちました。やはり,中盤をデコ・チャビ・イニエスタのフィジカルが比較的強くない,テクニックに優れた攻撃的な選手で固めるのはリスクが大きすぎる気がします。ヤヤの代役を任されたイニエスタは,球を貰いにいって運んだりと頑張ってたんですが,やはりヤヤと比べると守備面ではやっぱダメですねー。イニエスタ本人としても,3トップの一角でやってた方が生き生きとプレーできたので,おそらくはそっちでの起用を望んでいるでしょう。とはいっても,怪我人が出すぎて他の選択肢が実質的に無いのでどうしようもないままこのまんま続きそうですが・・・(マルケスも1~2ヶ月いなくなるらしいので)。クロサスを使うなら3人組の方が良い,となるだろうし。ディフェンスラインは,カピタンプジョーも点をとった後,退場したことで,今後もアビダルがセントラルをやるという異常事態が心配されましたが,カピタンの怪我はライカーによれば軽いらしいのでまあ一安心ですが,さらに欠員が出るとヤバいのが明らかなので(ミリートはいつ戻ってくるのか?),今後も順調に勝ちを拾っていけるかは,微妙になってきている気がします。ロニーの「復帰」も間違いなくそのような気分にさせる原因になっています(後述)。
さて,日本のメディアでは,ロニーが点に絡んだ「活躍」をみせたことで「ロナウジーニョ,復活!!」みたいなノリで報道されているものが見受けられますが,観戦した感じでは,「?」てな感じです。なんというか,あんま変わらないというのが私の印象です。怪我(?)をした前の姿・同じような調子(それは,クレからブーイングを浴びたわけですが)で戻ってきたという意味では確かに「復活」ですが,クレが望む姿に帰ってきたわけではないという意味では「復活」ではない,という感じですね。まあ,1週間やそこらで変身できるわけもないのは当たり前といえば当たり前ですけど。
端的にいえば,量的にも質(スピード)的にも走らない(走れない)姿はどこも変わってない。だから,1vs1で勝てない。勝てないから,勝負を試みることをやめてしまった。これが「最近のロニー」だと思うんですが,それでは最早クラックでは無いのか,といえば,そうではないとも思います。私の印象では,今のロニーは,ボールをキープできないリケルメ,って感じなんですよね。リケルメは,1vs1の勝負はしない(できない)けど,点に絡むパスはうまいし,FKもうまい。リケルメとロニーの違いは,リケルメは相手に囲まれても(厳しいプレッシャーを受けても)ボールをキープして,周囲の動きを待つことができるし,パスも出せるが,今のロニーにはそれができない。でも,フリーなら(プレッシャーが外れた状態なら)点に繋がる決定的なパスは出せる能力がある。これをどう評価するかによって,ロナウジーニョ肯定派と否定派の意見が分かれる気がします。
また,守備をしないのは相変わらずです。これも走らない(走れない)ところから来るものもあるのかと思ったりもします(調子がいい時も守備はしないので関係がないとも思ったりもします)が,ロニーが戻ってきたことで,守備をしない選手が1人増え,かつ,今は守備専従のヤヤが抜けているため,バルサの守備は明らかにヤバくなるでしょう。
私的結論。ロニーは「復活」していない。今のところ,全体のバランスを崩してまで起用するレベルの選手とはなっていない。バルサのためには,少なくともヤヤが戻ってくるまでは,ロニーはベンチに置き,全体のバランスを崩してでも攻撃にいかなければならなくなった時に投入する,という感じで使うのがいいと思います(クライフ御大がいうように)。イメージとしては,かつてのラーションのような感じで。ラーションも,決定的なプレーをして試合を決めるという意味でクラックだったわけで,クラック=スタメンでなければならない,という理屈はないと思う。
スタメン3トップは,
ボージャン
アンリ メッシー
でどうですかねえ。アンリは左の方が明らかに生き生きしてる(ロニー左,アンリ中央から,アンリが左に流れると,ロニーは行き場所を失って試合から消えるように思う)し,ボージャン,ちゃんと守備してくれるし,あちこち動き回ってくれるのでいいと思うんだけどなー。ロニーのようなパスは出せずとも,ロニーにはない得点感覚がある(と思う。リーガやCLでは結果として出てるわけではないけど。)し。
posted by coladevaca |07:50 |
バルサ |
コメント(7) |
トラックバック(0)
2007年10月01日
とりあえずCLも含めて4連勝。記事は「快勝」になってますが内容は今ひとつで,疲れてたのか,レバンテのグダグダ具合につきあってしまったのか,運動量が少なく,ホームなのに中盤がユルユルだった謎なレバンテに対して,効果的に崩すことができませんでした。しかし,チームが今イチでもアンリやレオの個人技で何とかなっちゃうのが今のバルサです。アンリは,先のサラゴサ戦もディフェンスをぶっちぎったりとアーセナルでの姿を彷彿とさせるプレーを披露していましたが,ゴールだけは決まらず,本人も心穏やかではなかったでしょうが,その不満を一掃するかのようにこの試合で爆発。今後,どこまで調子を上げていくのか楽しみですね。
それでもリーグ4位。首位のマドリーやヴィジャレアル,バレンシアも勝ってますので。マドリーが内容が今イチながら(試合は見てませんが,報道で伝えられるところによれば)も勝ちを拾ってるのが嫌な感じです。
気になるのは,チームの大黒柱(といってもいいと思う)ヤヤが1ヶ月怪我で消えること。バックアップであるエジミウソンも怪我してるし,次のCLシュツットガルト戦はどうするのか。マルケスでいくか,それともちびっ子三銃士でいくのか。とりあえず,1月の補強では,ヤヤのバックアップの獲得(フィジカルに優れた若い選手)を考えて欲しいところですね。怪我はやはり怖いですよね。レオが怪我したら,とか考えると怖すぎです。
話題は変わって,最近,世間を賑わせている例の大相撲リンチ死亡事件について。報道されていることが概ね事実とすると,大相撲の古色蒼然というか,古くさい体質にはびっくりしますね。「伝統」なるものを売りにしてるから古くさくてある意味当然なんですが,そうはいってもその古くささが,現代の社会秩序/法秩序などにそぐわないものであることは問題が多いといわざるをえません。
私見では,このような暴力行為を許容する「古くささ」は,大相撲に固有のものとは思いません。スポーツにおける体育会気質,教育における「体罰容認論」などと似ているような気がします。端的にいえば,どれも「愛のムチだったら暴力もOK」という表の理屈(もっとも,これが表といえるかは微妙ですが),暴力による秩序統制の必要性が裏の理屈,以上のようなものを背景にしている気がします。これらをまとめて「暴力肯定派」と呼ぶことにして以下議論をすすめます。
今回の事件は,その暴力の程度から客観的にみて「愛のムチとはいえない」し,秩序統制の観点からも不必要に過大なもので,「暴力肯定派」からしても肯定できない事例といえるでしょう。「暴力肯定派」が問題にする点は,暴力の行使における相当な程度を超えてしまったことであり,逆にいうと,暴力を行使すること自体は問題ではない,というわけです。
しかしながら,暴力を行使すること自体を問題視しないことには,以下の疑問があると思います。
まず,第一に,暴力の行使は,基本的に犯罪であること。暴力の行使は,暴行罪(刑法208条),怪我をさせれば傷害罪(刑法204条),今回の事件のように殺すつもりがなくても人を死亡させれば傷害致死罪(刑法205条)にそれぞれ基本的に該当します。「教育のため」とか「愛のムチ」なら暴力もOKという理屈は,法の世界には存在しません。教育的見地ないし後見的見地から暴力を肯定する人は,それを主張する己自身が犯罪行為を犯しているにもかかわらず,他人を説教するなり指導するなりする資格があるかどうか考えてみるべきでしょう。どうしてもやりたいのであれば,暴力をふるわれる人の同意をとってから暴力をふるうべきでしょう(あるいは,法を改正してからやるべきです)。教育的効果を望むのであれば,暴力をふるわれる人がその暴力の行使に対して納得していることの方が望ましいはずです。
第二に,暴力をふるうのは,ようするにコストの問題であり,その程度の意義しかないこと。上記で,暴力をふるう人間は,暴力をふるわれる人の同意と理解をとってから暴力をふるうべきだ,と述べましたが,現実にそのようなことをする人はいないでしょう。教育的効果がより期待できるにもかかわらず,そうしないのは,言葉で他人に説明し,理解を得るのは面倒だからだと思います。そこから,そのような面倒を省く=時間と労力を省く,つまりコストを削減して自分のメッセージを相手に伝えるために暴力をふるうと考えることができ,そうだとするならば,暴力はその程度の意義しかないことになるでしょう。ようするに,暴力の行使は,暴力をふるう側のもっぱらコスト削減のために行われるわけです。「愛のムチ」というのは,自分の負う負担をいかに少なくして他人に自己のメッセージを伝えられるか,という観点から出てくる自己中心的な(ある意味合理的な,だからそれを支持する声が根強いのでしょう)行為といえるでしょう。
第三に,暴力の行使が主張される場面においては,暴力をふるう側とふるわれる側には立場に差があること。今回の事件のような親方と弟子,あるいは体罰でいえば教師と生徒など,暴力をふるう側と暴力をふるわれる側には立場に差があるというか,上下関係にあることが多いといえます。つまり,暴力をふるう側と暴力にふるわれる側の線引きははっきりしており,その立場が入れ替わることは原則としてなく,したがって,暴力をふるう側は暴力をふるわれる側のことを想像することが難しくなるという構造的な問題があるといえます。そうすると,暴力をふるう側が,往々にして自制がきかなくなることもいわば予想できること(自分が絶対に殴られないのであれば,相手の反撃を予想して手加減することも難しくなるから)であり,暴力の行使自体を禁止しないと,悲劇的な事件はまた起こることが予想されます。
posted by coladevaca |19:45 |
バルサ |
コメント(5) |
トラックバック(2)