2007年12月31日
今回のブログは、12/19(水)~12/25(火)の日本経済新聞のスポーツ面に掲載された
「揺らぐスポーツ&メディア」の連載記事を参考にしています。
第5回目は「野球中継 助っ人頼み」、第6回目は「「代表神話」の幻想」というタイトルで、
スポーツそのものだけでは盛り上がらない、と思い込んでいるマスコミの現状を憂いて
います。
第5回目では、野球のTV中継での特別ゲストの出演やタレントの始球式などを通して、
最近の野球のTV中継の位置づけについて述べています。
日本テレビのあるプロデューサーは、
「(番組宣伝を受け入れるのは)あれだけゴールデンタイムを使うからには野球中継の
味方を作りたいから」
という現状を言っていました。
また、横浜スタジアムの試合で、ウルトラマンが始球式をしたことがありました。
以前は野球の高視聴率を頼んで新番組を売り込むため、俳優やタレントが巨人戦詣で
をしたそうですが、今は逆の立場になったそうです。
第6回目では、日本代表レベルでの「監督名+ジャパン」の氾濫の中で、マスコミとファン
との意識の広がりを述べています。
サッカーでは、オシムジャパンやジーコジャパン、トルシエジャパンなどと、マスコミは
多用していますが、野球でも星野ジャパンや王ジャパン、長嶋ジャパンなどと多用して
います。
昨年のWBCでは、TV中継の視聴率やスポーツ雑誌の売上ではよい結果が出たようです。
その一方で、サッカーのある専門新聞では、昨年のドイツワールドカップの期間中は販売
部数が落ちたが、Jリーグ再開後は元に戻った、という事例があったようです。
ファンや視聴者や正直なもので、強い選手やチームに対しては助っ人や「××ジャパン」
ということについてはそれほど気にしないのでしょうが、弱い場合は「坊主憎けりゃ袈裟
まで憎い」気持ちになってしまうのではないでしょうか。
特に、今年のワールドカップバレーでは、「柳本ジャパン」「植田ジャパン」ともにファンや
視聴者にはあまり良い印象を持たれなかったように思います。
ただ、強ければ後から人気がついてくるわけでもないと思いますので、強いだけでなく
魅力的なプレーや振る舞いが求められているのだと思います。
マスコミが、魅力的な面を助っ人や「××ジャパン」などで補おうとするのは、おそらく
お門違いなのだと思います。
今年は、スポーツとメディアの関係が大きく問われた一年でした。
年末年始は、スポーツイベントが目白押しでTV中継が多いのですが、純粋にスポーツの
魅力を伝えることができているのか、現状のシステムでどこまで伝えることができるのか、
今のスポーツ報道の中で逆効果になっていることはないか、マスコミの方々には再考して
ほしいと思います。
posted by チュー新井 |13:55 |
スポーツ報道 |
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2007年12月30日
今回のブログは、12/19(水)~12/25(火)の日本経済新聞のスポーツ面に掲載された
「揺らぐスポーツ&メディア」の連載記事を参考にしています。
第3回目では「2人のサブロー」、第4回目では「愛称先行 実像ズレ」というタイトルで、
マスコミと選手達との間の微妙な関係について問題提起しています。
第3回目では、マスコミ報道と選手自身の情報発信(HPやブログなど)との関係から、
マスコミとの選手達との距離感を述べています。
先日行われた野球の北京五輪予選の台湾戦でのサブロー選手のスクイズの場面で、
サブロー選手のブログでは、スクイズのサインを見た時に、
『うそや~ん、スクイズかよ~~~』
と思ったそうです。
(試合中の報道向け談話では、「スクイズは頭の隅に入れていた」と言ったそうです)
古田敦也氏のブログを企画運営する関係者は、
「マスコミは発言の断片を面白おかしく加工して選手の意図とは違う形で伝えることが
ある。ブログなら心配ない。」
と述べています。
第4回目では、今年の流行語大賞にもなった「ハニカミ王子」や「ハンカチ王子」などの
マスコミが選手達につけるニックネームの空回りぶりを述べています。
夏に大阪で開催された世界陸上では、愛称を140選手に用意したそうですが、そのうち
記憶に残っているのは、どれだけあるでしょうか?
「スポーツニュースは恐い」の著者である森田浩之氏は、
「ニックネームの氾濫は視聴者を子供扱いしていることの表れ。」
と指摘しています。
スポーツ選手が自身のHPやブログで心情を発表するのは、マスコミの報道に対して
全面的に信用していないことの裏返しなのかもしれません。
ニックネームによる人気先行について、私が知る限りでは、野球の斉藤佑樹選手や
ビーチバレーの浅尾美和選手、バドミントンの小椋久美子選手・潮田玲子選手などは、
実像や実力とのズレを気にしており、あまり好い印象を持っていないようです。
個人的には、スポーツ報道(特にスポーツ新聞)はオヤジ向けに作っているでしょうし、
ニックネームは「オヤジギャグ」の最たるもの、と思っています。
マスコミは、良かれと思って報道したりニックネームをつけたりしているのでしょうが、
選手達からだけでなく視聴者からもソッポを向かれていることに気づいたほうがよい
のではないか、と思います。
posted by チュー新井 |21:32 |
スポーツ報道 |
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2007年12月30日
今回のブログは、12/19(水)~12/25(火)の日本経済新聞のスポーツ面に掲載された
「揺らぐスポーツ&メディア」の連載記事を参考にしています。
第1回目は「バレー、TVに寄り添う」、第2回目は「消えた歴史的トライ」というタイトルで、
スポーツ中継のあり方について問題提起しています。
第1回目では、バレーボールとメディアとの二人三脚の歩みから振り返っています。
松平康隆氏が手掛けたメディア利用が、ミュンヘン五輪での男子チームの金メダルの
獲得につながったわけですが、その後(特にワールドカップバレーの日本での半永久
開催)は、ラリーポイント制やテクニカルタイムアウトの導入、対戦順序など、TV局の
都合を優先するようなシステムに変わってきました。
第2回目では、ラグビー・ワールドカップでのカナダ戦の終了間際のトライが、リアル
タイムで放送されなかったことから、「ディレード放送」について説明しています。
「ディレード放送」とは、放送業界の用語で、スポーツなどを当日中に録画で放送する
ことだそうです(翌日以降に流すのが録画放送だそうです)。
ラグビー・ワールドカップでは、カナダ戦の中継はキックオフから8分遅れで始まった
そうですが、後半戦が想定していた時間より9分近く長引いてしまい、最後のトライが
リアルタイムで放送できませんでした。
バレーボールでは、試合開始から1時間以上遅れて放送するのが常となっています。
1セット丸ごとカットしたり、選手達や監督の紹介VTRを流したりして、
「1時間の試合をいかに2時間の番組にするか」
が、求められているそうです。
フジテレビが日本開催のワールドカップバレーを放送し始めたころは、まだ生中継で
やっていました。
その頃はまだサーブ権があった時代で、フルセットにもつれ込んだ試合でdueceを
繰り返して、いつ終わるのかわからないぐらい白熱した試合を見た記憶があります。
生中継や完全放送は有料のCS放送にお任せ(第2回目より)、の時代になってきたの
かもしれませんが、これは地上波のスポーツ放送のビジネスモデルを否定することに
なってしまい、スポーツ番組が情報・バラエティ番組と同じような扱いになってしまうの
ではないか、と危惧してしまいます。
ワールドカップバレー女子の平均視聴率は16.7%だそうで、
「テレビ離れの中、これほど稼げるスポーツはない」
という(フジテレビの関係者の)認識だそうです(第1回目より)。
何事も(?)、やっぱり生(中継・放送)が一番だと思いますし、見ているほうも一番
盛り上がって視聴率も上がると思うのですが、地上波のTV局の方々には是非とも
再考していただきたい問題だと思います。
posted by チュー新井 |13:13 |
スポーツ報道 |
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2007年10月06日
今回のブログは、
「スポーツニュースは恐い 刷り込まれる<日本人>」
(森田浩之、NHK出版 生活人新書)
という本を参照しています。
興味関心のある方々は読んでいただきたいのですが、自らを「オヤジ」と思っている
方々にはお勧めできません。
個人的に「オヤジ」とは、アルファベットの「D」を「ディ」ではなく「デ」と発音してしまう
方々を想定しています。
(Disney → デズニー、D-cup → デー・カップ、など)
この本の内容は、毎日報道されている「スポーツニュース」について、あるメッセージ
が込められていることに気づかずに見ていることの「恐さ」を訴えています。
そして、この「スポーツニュース」を見ている人や作っている人の中心が、所謂一つの
「オヤジ」であることが、「恐さ」を形作る重要な要素になっている、と思います。
先般行われた世界陸上で、走り幅跳びの池田久美子選手に対する応援VTRでは、
「父親や親友の死の悲しみを乗り越えて、メダルを取ってほしい!!」
といったような内容が放送されました。
これを見て、池田選手に感情移入したり自らの人生を投影したりして、池田選手を
応援した方々は多いのではないでしょうか。
それに対して、私のような「へそ曲がり」な人間は、池田選手の人間関係や周辺情報
よりは、池田選手の走り幅跳びの優れているところや最近の記録、他の選手達との
違いなど、専門的な情報を知りたい、と思ってしまいます。
「お涙頂戴」的な話を流す裏側には、ある「メッセージ」が隠されているのではないか、
ということを、この本では述べていると思います。
ただ、「スポーツニュース」にあるメッセージが込められている現象は、日本だけでなく
世界中でも同じようにある、ということも述べています。
つくられる「ロールモデル」(アメリカ)や、炸裂する「ステレオタイプ」(ヨーロッパ)など、
世界でも日本と同じような現象があるようです。
例えば、「ステレオタイプ」では、
冷静沈着 (北欧か!!)
ゲルマン魂 (ドイツか!!)
情熱的 (ラテンか!!)
などのようなイメージは、ヨーロッパでも浸透しているようです。
「オヤジ」によって作られて消費されている「スポーツニュース」に囲まれている中で、
徹底的に抵抗している一人が、イビチャ・オシムだろう、とも述べています。
この本を読むことで、「そこまで言うか!!」と思うのか、それとも「その通り!!」と思うのか、
それは貴方次第です。
posted by チュー新井 |13:46 |
スポーツ報道 |
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