2009年07月28日
23. ●2―3 ハンガリー 国際親善試合(ブダペスト) 2004/4/25
24. ○1―0 チェコ 国際親善試合(プラハ) 2004/4/28
25. ○3―2 アイスランド 国際親善試合(マンチェスター) 2004/5/30
26. △1―1 イングランド 国際親善試合(マンチェスター) 2004/6/1
27. ○7―0 インド ワールドカップ一次予選(埼玉) 2004/6/9
28. ○3―1 スロバキア キリンカップ(広島) 2004/7/9
29. ○1―0 セルビア・モンテネグロ キリンカップ(横浜国際) 2004/7/13
ワールドカップ予選の立ち上がりこそ少し躓いたものの、そのあとの東欧遠征では欧州選手権の優勝候補といわれていたチェコに勝ち、次のイングランド遠征ではイングランドに1点ビハインドの後半に追い付いて引き分けた。アジア予選の3戦目のインドには大勝、キリンカップはスロバキアとセルビア・モンテネグロに勝って優勝。
ここ10試合は8勝1分け1敗でジーコ解任要求は消滅。ジーコ批判派も、ジーコ懐疑派も口を閉ざしてしまいます。孤軍奮闘してジーコ批判を続けていたセルジオ越後でさえ、チェコ戦では…
「練習試合のような気持ちで挑んできたチェコに勝って、ちょっとひと息ついた」
イングランド戦では…
「ドローに終わったけど、選手たちから勝てなかった悔しさが感じられなかった」
「いまの日本には『もう1点』の姿勢が足りない」
と、辛口度が少々低調になっている。(セルジオ越後著「日本サッカー黙示録」より)
中村俊輔はジーコ監督について次のように書いています。
「ジーコ監督は、僕にトップ下を任せてくれた。記者会見などで、僕への信頼を言葉にしてくれたこともある。でも、ジーコ監督はあまり僕に話しかけることはなかった。でもそのぶん、託されているんだという気持ちになった」(中村俊輔著「察知力」より)
私にはトップ下を任せた選手とあまり話をしない監督というのが想像できない。
この頃のジーコジャパンを回想して、川淵三郎は次のように書いています。
「鹿島アントラーズをつくり上げた時の姿をイメージし、選手をジーコなりの厳しさで指導してくれるのかなと思い、フィリップ・トルシエの後任に指名したのは、ほかでもないこの私である。ところが、監督に就任したジーコは鹿島時代とは一転して『教えない監督』になった。これには私も戸惑った」(川淵三郎著「虹を掴む」より)
監督就任から2年が経った折り返し地点では、まだ決断する余地が残っていたのではないでしょうか。しかし戸惑った挙句に、
「もう、ジーコの能力について、ごちゃごちゃと考えるのはよそう。そこで私も踏ん切りというか、悟りを開いたのである」
折り返し地点で会長は悟りの境地に入り、ファンは諦めの境地に入った。川淵が「ごちゃごちゃ」という言葉で切り捨てたものに、私はこだわり続けたい。
トルシエ時代は日本がトルシエから学んだだけでなく、その異文化としての存在が、サッカー界全体に刺激を与え、対立が化学変化を起こし、変容のダイナミズムが水面下でうごめいていたのを、協会やメディアは見落としていた。
ジーコジャパンは勝ち続けているが、水面下ではトルシエの遺産が食い潰され、若手は代表を通して海外へ羽ばたく可能性を失い、急激に過去の日本代表へと戻りつつあるのをまた見落としているのではないか。ジーコの手法に変更が加えられて勝利に結びついたのではなく、多くの問題はなおざりにされたまま残っている。
「これじゃダメだ」、「ジーコではあかん」と周囲に漏らしても、返ってくる答えは「勝っているじゃないですか」。確かに勝負ですから、勝利ほど雄弁なものはありません。歯がゆさを感じるファンは少数派となって、徐々に隅へと追いやられていきます。
個人的にはその歯がゆさが、ジーコについて書き始めるきっかけになりました。
「強くなっていくのが、手に取るように分かる代表が見たい」
「サッカーはもっとダイナミックでエキサイティングなはずだ」
「面白くないサッカーを、書き足して面白くしよう」
このようにして私の記述癖が始まります。
日本のサッカーは海外から有能な指導者を招いて成長してきました。有能な指導者は基礎からチームを作り上げるので、就任中よりも退任後の次の大会でよりよい結果が出ます。デットマール・クラマーは東京オリンピックでベスト8、しかし次のメキシコでは銅メダルを獲得しました。ハンス・オフトは「ドーハの悲劇」でアメリカ大会を逃しますが、次のフランス大会で初出場を果たしています。
トルシエで決勝トーナメントへ進出したのなら、ドイツではジーコ本人が言うように当然もっと上が狙えるはずです。さて、いよいよその試金石といえるアジアカップが始まります。私は当然良い結果は望めないと予測していました。しかし…
(次回から、リアルタイムで当時に書いていた文章を掲載します。総論を先に書いてしまう形になりましたが、次回からは個々の試合に触れながら、ファンとしての一喜一憂を書くことになります。加筆修正すれば稚拙な文章はなんとかなりますが、稚拙な内容はなんともなりません。当時を思い出しながら読んでみてください。引き続きよろしくお願いします)
posted by 直木 善久 |05:02 |
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2009年07月22日
16. ○2―0 中国 東アジア選手権(国立) 2003/12/4
17. ○1―0 香港 東アジア選手権(埼玉) 2003/12/7
18. △0―0 韓国 東アジア選手権(横浜国際) 2003/12/10
19. ○4―0 マレーシア 国際親善試合(カシマ) 2004/2/7
20. ○2―0 イラク 国際親善試合(国立) 2004/2/12
21. ○1―0 オマーン ワールドカップ一次予選(埼玉) 2004/2/18
22. ○2―1 シンガポール ワールドカップ一次予選(ジャランバサール) 2004/3/31
東アジア選手権は国内組だけで戦って得失点差の準優勝、次のマレーシア戦もイラク戦も国内組で勝利、しかしワールドカップ予選が始まると、呼び寄せた海外組をすべて先発させます。国内組が残した結果を否定したのも同然、国内組のモチベーションを闇に葬りました。
アジア予選の最初の相手はオマーン。ボールを支配してもコンビネーションが悪ければゴールまでたどり着けません。中村俊輔のPKが止められて、重苦しいムードが漂う。後半から柳沢敦に代わって投入された久保竜彦が、ロスタイムにゴール決めてかろうじて勝った。
ここから始まる長い綱渡りを暗示したゲーム。コンビネーションが悪い海外組で右へ落ちるか、格上には力不足の国内組で左へ落ちるか。
放任主義を貫くなら、個人のスキルアップにしか期待出来ません。それなら失敗を恐れず果敢に挑戦する選手を使って欲しい。単に人気選手を集めて、フォーメーションにはめ込んで、自由にプレーしなさいと言うのなら、ジーコは自身の立場をブラジル代表監督と勘違いしている。
放任主義と言ってもピッチの上だけで、夜に飲みに出る自由はないらしい。2月の強化合宿中に無断外出した8名を、「信頼を裏切った」として3月のシンガポール戦から外します。処分を下すまで1カ月以上が経ち、既に2試合を消化していた。この石橋を叩いて渡る慎重さは、熟考を重ねたというより決断力の甘さのように映る。
問題をテキパキ解決できない指導者に魅力は感じない。無断外出は、海外組が戻れば出来不出来に関係なく外される国内組の抗議だと、私は勝手に解釈して納得しています。闇に葬った国内組のモチベーションが形を変えて噴出したと。
川淵三郎は「ジーコは選手への信頼が強いから、怒りも大きい」と発言していますが、果たして信頼を裏切っているのはどちらでしょうか?
トルシエ時代にオリンピック代表合宿から無断外出した柳沢敦を思い出しました。一旦代表から外されますが、トルシエはおとなしい日本人選手の中で「柳沢の大胆な行動は貴重だ」ともとれる発言をしました。その時と同じように、今回もしばらくすれば代表に戻ってくると考えていたのですが…
「日本を代表する選手は国民の鏡でなければいけない」と協会が主張するのは理解できます。しかし処分を下すなら公平に、明確に下すのが道理ではないか。
久保(結果的に1試合の出場停止)や、小笠原(結果的に3試合の出場停止)の復帰は話題になりましたが、奥大介と山田暢久は二度と召集されることはありません。2人が外れた理由は何なんでしょうか。復帰させるなら一旦すべてを元の鞘に戻して、そこから再び人選を始めるべきでしょう。選手に対するフォローが出来ない人は、人の上に立つべきではない。
無断外出した8名を欠いて戦うことのなったシンガポール戦には、新たに曽ケ端準、玉田圭司、永田充、西紀寛が召集されますが、いつものように海外組主体のメンバーで始まった。
前半に高原直泰のゴールで先制するも、後半18分に追い付かれる。そして22分に中村俊輔に代わって投入された藤田俊哉が37分にゴールを決めて逃げ切る。勝つには勝ったがボールを支配していてもイージーミスが多く、試合後に中田英寿は「最低の内容」と吐き捨て、中村俊輔でさえ「次も同じならワールドカップはない」と言い残す試合をしてしまいます。
海外組が戻ればいつも控えに回っていた遠藤保仁は、当時を振り返って次のように語っています。
「アウェイのシンガポール戦のように国内組みはジックリ調整しているのに、2日前に現地入りした海外組を起用し、2-1でやっとの思いで勝った試合を見ていると、『なんで海外組なの』って思いたくなる」
「ある日、俺はジーコに、『どうやったら使ってくれるんですか』って聞いた。そうしたら『もっと守備を磨け』『パスの質を高めろ』『運動量を増やせ』とか当たり前のことしか言われなかった。『これらのレベルを海外組よりも高めれば起用する』って言っていたけど、ジーコの中では完全に選手の序列が決まっていた」(遠藤保仁著「自然体」より)
徐々に「若手を育てない」、「選手のコンディション管理が無頓着すぎる」という具体的な指摘から、「負けると言い訳をする」、「批判すると怒り出す」などとその人間性に対するも批判も次第に増えていきます。
しかし人間性にうるさい川淵三郎は不問、白星を重ねていればサポーターの解任要求も尻すぼみ。しかし、それはジーコが認められたのではなく、安直に海外組に頼ることによって国内組を応援するファンのモチベーションも一緒に葬られ、代表がJリーグを刺激せずにサッカー熱が冷めていく、その予兆ではなかったか。
(当時残していたメモをもとに書いていますが、今回は「国内組のモチベーションを闇に葬る」、「予選という長い綱渡り」、「信頼を裏切っているのはどっち?」などの言葉を活用しました)
posted by 直木 善久 |05:53 |
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2009年07月18日
8. ○3―0 ニュージーランド コンフェデ杯(サンドニ) 2003/6/18
9. ●1―2 フランス コンフェデ杯(サンテチエンヌ) 2003/6/20
10. ●0―1 コロンビア コンフェデ杯(サンテチエンヌ) 2003/6/22
11. ○3―0 ナイジェリア 国際親善試合(国立) 2003/8/20
12. ●0―1 セネガル 国際親善試合(新潟) 2003/9/10
13. ○1―0 チュニジア 国際親善試合(チュニス) 2003/10/8
14. △1―1 ルーマニア 国際親善試合(ブカレスト) 2003/10/11
15. △0―0 カメルーン 国際親善試合(大分) 2003/11/19
ジーコの本名はアルトゥール・アントゥネス・コインブラ。ジーコは「やせっぽち」という意味の愛称です。
1953年(昭和28年)にブラジルのリオデジャネイロ郊外で生まれ、18歳でリオデジャネイロの名門フラメンゴに入団します。そこで中心選手として13年間プレーして、ブラジル選手権優勝が4回、1981年にはコパ・リベルタドーレスとインターコンチネンタルカップを手にしました。その後、セリエAのウディネーゼに移籍、2シーズンプレーして再びフラメンゴに戻っています。
ブラジル代表としては、1982年のスペイン大会で「ブラジル史上最も魅力的な」と称えられた中盤「黄金のカルテット」の一角を担いますが、2次リーグで敗退。ワールドカップには計3回出場していますが、ケガなどの不運もあり、決して活躍できたとは言えません。
ブラジルで一旦引退した後に住友金属サッカー部に入団、Jリーグが始まってからは鹿島アントラーズでプレーし、チームをJリーグの強豪に押し上げる原動力として働きます。「サッカーの神様」と呼ばれてJリーグの象徴的役割を果たし、現役を退いてからもテクニカルアドバイザーとして鹿島に残り、そして2002年にトルシエの後任として代表監督に就任。来日から11年目の出来事です。
川淵三郎はジーコを選んだ理由に、「日本をよく知っている」ことをあげます。しかしジーコが日本人や日本文化について語るのをあまり聞いたことはありません。
それに日本は予選を勝ち上がってワールドカップに出場したのは1回だけ、まだまだ「日本をよく知っている」監督ではなく、「世界をよく知っている」監督を選ぶ時期でしょう。
そもそも監督未経験の監督を選ぶこと自体が賭けのような行為です。初めて務める監督が代表監督という大役なら、本人も不安だったに違いない。「私の人生のテーマは挑戦」と語るジーコですが、代表監督就任後は「挑戦」よりも手堅く「安全策」を選び、それが海外組重視につながり、若手の起用に対して消極的になった原因でしょう。
そのうえ監督業を学びつつある監督が、練習で選手の自主性に任せる手法を貫けば、それが日本人に合っている、合っていないと議論する以前に、教える過程で生じる失敗や成功から、監督自身が学ぶことを放棄したのではないでしょうか。自習時間しか言い渡さない教師なら、手抜きと判断されても仕方ない。
日本では人気選手を起用して負けても、メディアは「よく頑張った」と書いてくれますが、新戦力を起用して負ければすぐに監督の手腕を問います。
ジーコは初の代表監督を無難にこなしたい。そのためにメディアに迎合し、協会とは協調する。そのうえ協会に素直に従っていれば、何か問題が起こっても責任は協会にあると主張できる。
確かにジーコは前任者と違って、波風を立てない日本流。さすがに「日本をよく知っている」。
就任会見でスタッフの選考に関して「私の方から協会に対して、『こうしてもらわなければ困る』ということを言うつもりはない」と語っていましたが、結局日本人コーチがスタッフに加わりません。
川淵三郎自身がジーコと太いパイプで結ばれているなら、パイプ役などいらないと判断したのでしょう。それとも協会の要望をすべて受け入れるジーコなら、パイプ役が必要な問題など起こらないと判断したのでしょうか。しかし、これで日本人コーチがジーコの流儀を学ぶ機会を失い、監督と選手のパイプ役も失ったことになります。
問題はこれだけではありません。ジーコは先発メンバーを公表します。そして練習はすべて公開します。これも秘密主義を嫌う日本人への配慮なのでしょうか。
状況を判断して決めるべきことを、「必ず○○する」という対応で済ますのは、思考の停止に過ぎません。柔軟性の欠如は、相手の戦略を立てやすくするだけ。監督としては一番取ってはいけない行動だと思いますが…
川淵キャプテンは次のように語っています。
「トルシエとジーコ、ふたりの監督のもとで主将を務めた宮本恒靖は『トルシエのあとが、ジーコでよかった』とよく言う。そのとおりだと私も思う。この順序が逆だったらとても接ぎ木として成り立たなかっただろう」
しかし、ジーコという接ぎ木はトルシエの遺産という幹に寄生して、養分を吸い取っているのが現実ではないか。もしもこのままドイツ大会まで突き進むのなら、大変なのはジーコの次の監督でしょう。一から水をやって苗木を育てることになる。
コンフェデ杯はグループリーグ敗退。ここまでの15戦で4勝5分け6敗、トルシエならボコボコに非難される成績です。ジーコも「俺ならもっと上に行けた」と豪語していたのが嘘のように、強気の発言が影をひそめてしまいます。このままではジーコジャパンという名の通り「やせっぽちの日本」になってしまう。
(残っていた当時の走り書きのメモは、「ジーコの保身、自己保身」、「ジーコジャパンを直訳すると『やせっぽちの日本』になる」次回もお楽しみに…)
posted by 直木 善久 |05:52 |
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2009年07月13日
「目標はベスト4」岡田発言のなかで、これほど注目された言葉はありません。
岡田武史「昨年の12月に集まったときに、『出るだけじゃなく世界を驚かせてみないか。韓国だってベスト4に入っているじゃないか』と。ベスト4と言ったつもりはなかったけど、それが『ベスト4』と外に伝わって。まあ、それでもいいや、と」(6月9日/テレビ朝日のインタビュー)
「まあ、それでもいいや」これが真相なのでしょう。
ところが「ベスト4」という言葉だけが独り歩きして、注目の的になってしまいました。
しかし、言葉は独り歩きするもの。独り歩きするから面白い。
こんなことで「私の真意が伝わっていない」などと怒る指導者は、自ら戦略家として二流だと認めるに等しい。
岡田監督は注目されたことを逆手にとって、「ベスト4」を目標に正式採用しました。
柔軟な対応です。「韓国のように」という修飾語が目的語になってしまった。
岡田武史「ベスト4は非常に厳しい目標だが、不可能じゃない。僕は行けると信じている」(6月9日/テレビ朝日のインタビュー)
会長も後押しする。
犬飼基昭「ベスト4が非常に厳しい目標であることは承知している。日本のサッカーを見せて世界を驚かせたい」(6月7日/ウズベキスタンからの帰国会見)
岡田武史(最終予選で)「オーストラリアに勝てなければベスト4は無理だ」(6月9日/玉木正之のインタビュー)
これはちょっと勇み足。残念ながらオーストラリアには負けてしまいました。
でも監督の言葉が注目されることはいいことです。
それも曖昧な表現でなく、具体的な目標を掲げたことは評価したい。
論じる側も論じやすい。
金子達仁「ベスト4という目標を達成するのは、容易なことではない。残念ながら、ファンも含めて、日本人のメンタリティーはそこまで達しているとは言い難い」(6月8日/スポニチのサッカーコラム)
正面切っての反論。
後藤健生「日本代表のベスト4進出は不可能ではない!可能性は2%くらいある」(7月3日/後藤健生コラム)
確かに可能性はありますが、2%とは微妙な数字。その計算式はコラムにあります。
セルジオ越後「『優勝する』とか『ベスト4に入る』というのは『もう1年やらせてくれ』というおねだりですよ」(6月18日/二宮清純との対談)
辛口というか、皮肉というか…
ピム監督(ワールドカップで?と確認してから)「不可能なことは何もない」(6月16日/日本戦前日会見)
これは社交辞令。
オシム「監督がそういうことができると考えているのはポジティブだ」(6月24日/共同通信社のインタビュー)
これは応援メッセージ。
ロイター通信「岡田はベスト4と発言したが、スペインやイングランドの監督が心配で眠れなくなるとは思えない」(6月10日)
まぁ、ジョークが好きな国ですから…
中村俊輔「僕の中ではベスト4は簡単には口にできない」(6月22日 スポーツナビインタビュー)
独り歩きした言葉を、元の真相へ戻してあげるのもいいのでしょうが、このまま南アフリカまで歩き続けてもらって、「ベスト4」実現の一助となるのがベストなストーリー。
しかし、歩きすぎて迷子にならないように、「まずは決勝トーナメントへ」という言葉をお供につけましょう。
posted by 直木 善久 |05:34 |
岡田監督と日本代表 |
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2009年07月11日
1. △1―1 ジャマイカ 国際親善試合(国立) 2002/10/16
2. ●0―2 アルゼンチン 国際親善試合(埼玉) 2002/11/20
3. △2―2 ウルグアイ 国際親善試合(国立) 2003/3/28
4. ○1―0 韓国 国際親善試合(ソウル) 2003/4/16
5. ●0―1 韓国 国際親善試合(国立) 2003/5/31
6. ●1―4 アルゼンチン キリンカップ(長居) 2003/6/8
7. △0―0 パラグアイ キリンカップ(埼玉) 2003/6/11
日本は日韓大会で予選リーグを勝ち上がり、なんと決勝トーナメントに進出しました。これが実力なのか、開催国の地の利なのか、フロックなのか、次のドイツ大会で証明しなければいけません。その重要な任務をジーコが引き受けます。日韓大会を評して「俺ならもっと上に行けた」と豪語したジーコなら心強い。
会長に就任したばかりの川淵三郎の肝煎りで実現し、メディアも太鼓判を押している。その名は世界中に知れ渡り、ヨーロッパでも南米でもジーコジャパンは注目されるでしょう。日本代表監督として最高額の年棒も無駄ではない。夢と希望に満ちた海原を、ジーコジャパンは前途洋々船出します。
初戦はジャマイカ戦。日韓大会の余韻を楽しみ、新監督のお披露目に立ち会おうと、国立競技場に5万5千人以上の観客が集まりました。ジャマイカはフランス大会で3敗目を喫した相手。しかし今はその頃の実力も無く、日本が格下の相手に勝って、強いイメージを内外に印象付けるための試合です。
この試合でジーコは中盤に「黄金のカルテット」を配します。かつてブラジル代表で「黄金のカルテット」の一角を担っていたジーコが、「黄金のカルテット」で初戦に挑む。話題性は十分、お膳立ては実にドラマティック。
しかし残念ながら稲本潤一、小野伸二、中村俊輔、中田英寿のカルテットは機能することなく引分け。ベストメンバーを揃えて格下に勝てず、実質よりも人気優先という路線を示して終わった。
2戦目の相手は強豪アルゼンチン。しかしベストメンバーのアルゼンチンに対して、ジーコはベストメンバーを組みません。海外組を招集出来ない日程なら、マッチメイクに落ち度があったのでしょう。
「武器が揃わないのに、戦場へ行けと言うのか」
協会に苦言を呈するところなのに、ジーコは寛容で理解を示します。当然試合は負け。今回は対立を避けて協会に従う姿勢を示して終わった。
年が明けて2003年、アメリカのイラク侵攻によりアメリカ遠征を中止、急遽組まれたホームのウルグアイ戦は引分け。分け、負け、分けと勝てないジーコジャパン。このあたりで首をかしげた代表ファンも多いのではないでしょうか。
川淵三郎は次のように語っています。
「ジーコのことを『監督経験がない者に、なぜ代表を任せる』という人もいる。これには全く笑ってしまう。仮にそうであったとしても、4年もあれば、一人前になるには十分だ」
なるほど。ジーコも勉強中なんだ。それにまだ4年もある。川淵キャプテンがいうように笑っていればいいのか。ハハハ。キャプテンは「仮にそうであったとしても」と言っていますが、現実に未経験なんですけど。でもそんな細かいことは気にしない、気にしない。
すると次のアウェイの韓国戦で初勝利。ロスタイムにクリアボールが永井雄一郎の足に当たって入る幸運な勝ち星でした。あまり早い時期に運を使い果たすのはよくないが、とりあえず安堵の一勝。
4月に新型肺炎のSARSが流行して東アジア選手権が延期。この年のマッチメイクは大変だったでしょう。狂った予定を再び韓国戦で補いますが、今度はホームで負けてしまう。
そしてコンフェデレーションズカップへの強化試合といえるアルゼンチン戦に4対1で負けると、ジーコはディフェンス陣の総替えを断行しました。
名良橋晃、秋田豊、森岡隆三、服部年宏の4名が代表メンバーから消えていく。何故か4人単位で責任を問うた。これでは「黄金のカルテット」ではなく、まるで捨て去られる「屑鉄のカルテット」だ。
次のドイツ大会でこそ実力を示さなければいけないのに、協会は世界で百戦錬磨の経験を持つ監督ではなく、代表監督としては未知数のジーコを選びました。この4年間でジーコは監督業を身に付けるだろうと協会はのんびり構えていますが、監督業を学ぶならこちらが授業料をもらう立場です。
確かに現役時代の知名度を日本代表に取り入れようとした意図は理解できます。しかし監督未経験というリスクを背負うなら、コンフェデ杯、アジアカップ、最終予選などのドイツ大会へ向かう過程で、それぞれに達成すべき具体的な数値を設定すべきでしょう。
高い目標を掲げてジーコにプレッシャーをかけず、早い時期に「本大会出場でとりあえず良し」というムードを作り出した協会の姿勢に疑問が残ります。
ジーコはよく「日本への恩返し」と口にしますが、「恩返し」をしたのは協会の方ではなかったか。日本のサッカーがこのビッグネームから受けた恩恵は計り知れません。そのご祝儀のように監督の座を提示した。恩人だから達成すべき具体的な数値やノルマを突き付けることは出来ない。
私たちも協会も、結果的に選手時代の知名度や日本への貢献度だけで監督を選んではいけないと学びました。ただそれだけのことに、こちらが高い授業料を払ったことになる。
(残っていた当時の走り書きのメモは、「監督料はご祝儀か」、「授業料はジーコが払え」、「黄金のカルテットどころか屑鉄のカルテット」次回もお楽しみに…)
posted by 直木 善久 |00:10 |
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2009年07月10日
ジーコジャパンの4年間を振り返りながら、
ジーコについて書いてみます。
リアルタイムで書いた文章はアジアカップから。
そこに至るまではメモのような走り書きと記憶をつなぎ合わせて、
今回新たに書き起こしました。
さて、このタイトルですが、
ふと「今さらジーコ」と口ずさみ、そのままタイトルに頂きました。
「今さらジロー」は1984年の小柳ルミ子のヒット曲。
何の関係もありませんが、
その年にジーコはブラジルのフラメンゴから、
イタリアのウディネーゼに移籍しています。
「今さらジロー」
残念ながら私は彼女のファンではありません。
しかし、なかなかいい歌詞です。
ジローをジーコに置き換えると…
♪元気ですか? ひとりですか? どうしてますか?
よそよそしい笑みを浮かべ 話もしたわ
さりげなくお別れして 街を歩けば
ほろ苦い想い出が胸をつく
今さらジーコ ごめんねジーコ あやまらないで
あたしのこと 知っているならそっとしといて
今さらジーコ 罪だよジーコ あたしにとって
昔は昔 今は今
ルルララ ルルララ
しゃぼん玉だね あの時代♪
それでは「今さらジーコ」シリーズを始めたいと思います。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
「今さらジーコ」
「罪だよジーコ」
posted by 直木 善久 |23:28 |
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2009年07月06日
以前、「山本昌邦備忘録」を取り上げて批判した際に、「山本昌邦の他の著作も読んでから批判されたほうがいいのでは」と、宿題を頂いていました。遅ればせながら「山本昌邦指南録」を読みましたので、感想を書いてみたいと思います。
その前に、私が「備忘録」について書いた「それは良いのか悪いのか」という一文は、次のような結論で終わっています。
「トルシエの強引さを否定的に捉えているから、自身は曖昧で優柔不断な文章しか書けないのです。トルシエのそばに4年間もいた山本昌邦が、単に当時のうらみつらみを書き出して公表するようなレベルの指導者だったことが残念です」
このような結論にたいして上記の宿題をいただきましたが、果たしてこの感想を覆すだけの内容に出会えるのでしょうか。
さて、本題に入りましょう。「備忘録」はトルシエジャパンのコーチ時代の記録でしたが、「指南録」は中学生時代から、自ら代表を率いたアテネオリンピックを終えるまでを語った大作です。そのアテネはグループリーグ敗退、そこでこの書は「敗軍の将は兵を語るべき」という話から始まっています。
その「敗軍の将」と題された第一章最初の一文では、「選手は素晴らしく戦ってくれた」と選手たちを称えながら、著者の決意が示されています。
「何を言っても始まらないからといって、何も言わないですましていいのだろうか、という思いも私にはある。それでは何の進歩もない気がするのだ。特に日本のようにサッカーがまだまだいろんな意味で”若い“国では、もっとたくさんのことがいろいろな角度で語られたほうがいいのではないか」
全くその通りだと思います。敗軍の将はその負けを分析してこそ、後世に生かされます。
ところが読み進めても、敗軍の将は積極的な改革案を示すこともなく、思い出話に花を咲かせながら「これだけ一生懸命やってきました」、そして「そんなに大きな失敗は犯していない」という論調で話は進んでいきます。「世界で通用する一流選手に必要なこと」などという一文に出会うと、「世界で通用する一流監督に必要なことは?」と茶化したくなる。
いつも氏は選手の給水に最新の注意を払っています。「水1本にまで気を配ること」と何度も繰り返しています。しかしUAEで行われたアテネオリンピックの最終予選では、UAEが用意した宿舎には泊まらず、UAE戦の前日に集団下痢に襲われてしまいました。もちろん人為的なものかどうかは、その時点では分かりません。
「何が感染源なのか今もって『謎』である。宿泊したホテルに迷惑をかけてはいけないから、選手がそういう状態にあることを外部に公表することもできなかった。『食中毒』などという言葉を使ったら『営業妨害』だの『誰に一服もられた』なんて話になって国際問題にまで発展しかねない。徹底的な箝口令を敷いた」
相手チームにも伝わらないように箝口令を敷くのは当然ですが、下痢していない選手もいたので感染源を探すことはできたでしょう。その時期にウイルス性の下痢が流行していたわけでもありません。三流ホテルに泊まったわけでもないでしょう。「国際問題に発展しかねない」だけでなく、スタッフの不注意が明らかになるので追求を避けたのでは、と憶測したくなります。
そしてこの予選はダブルセントラル方式で行われており、UAEラウンドのあとすぐに帰国して日本ラウンドが行われます。ところが下痢になった選手のフォローを怠り、個々の主治医の治療を受けたために症状を重くする選手が現れます。
この日本ラウンドのくだりは、集団下痢という困難に立ち向かって予選突破した過程が詳しく描かれており、なぜ日本に戻ってから症状が重くなったのかも詳しく説明されています。そして大久保嘉人と阿部勇樹をUAEラウンドに参戦させなかった判断を自讃しています。しかし原因は単なる不注意ではないか。
「衛生環境面にも何の問題もない国ということで、私に油断があったことは否めない」と言いつつ、「誤解されると困るのだが」と断りをいれて次のように語っています。
「バーレーン(私注=UAEラウンドの第1戦の対戦相手)にとってもレバノン(私注=UAEラウンドの第2戦の対戦相手)にとってもUAEはホームではなかった、UAEをホームとしたのはUAEだけだった。そういう意味では、UAEと戦う前にはもっとチェックの密度を高める必要があったと反省している」
暗に人為的なものだったと匂わす、この程度の認識と反省でいいのでしょうか。断りさえ入れれば、言い訳をしても、認識の甘さを露呈しても受け入れてもらえるとでも考えているのでしょうか。この事件の前も「水1本にまで気を配りなさい」、事件の後も「水1本にまで気を配りなさい」原因を究明してこそ、反省になるのではないか。
そして「アテネ」と題された最終章でも「選手には申し訳ない気持ちがある」と自己の責任に関しては短く、言い訳は長い。挙句の果てに「狩猟民族」と「農耕民族」との意味不明の比較を始める始末。そして集大成といえる最後の一文「終わりに――日本サッカーの課題」のそれも残り20行を切ってから、次のようなことが書かれています。
「パラグアイ戦(私注=アテネオリンピックの緒戦)で高松が倒れこみながらのヘディングシュートを打った。それがポストに当たって跳ね返ってきた。高松のところに。しかし、ヘディングしてからボールが戻ってくるまでの間に高松は何をしていたのか。地面に倒れたまま、ずっとボールの軌跡を目で追っていたのである。打ったあとに、さっさと立ち上がっていれば、何のことはない、自分の前にコロコロと転がってきたボールを再度シュートに持ち込めたはずだった。GKはもう寝転がっていたからポンと打てばよかっただけ。しかし、地面に伏して目で追っていた分だけ立ち上がるのが遅れ、駆けつけてきたDFに先にクリアされた。せっかくの素晴らしいヘディングが、そのあとのプレーによって無価値になった」
選手を批判することが悪いのではありません。山本も「これは特定の選手への批判ではない」と断りを入れてから語っています。もちろんダメージを受けていなければ、高松は立ち上がらなくてはいけません。しかし、まとめの一文のそれも最後に、うらみがましく長々とこれを書かなければいけなかったのでしょうか?
選手を称え、コーチを称え、ファンを称えつつ、断りを入れてから言い訳する、この「指南録」は巧妙な自己弁護の書になっています。
私が「山本個人をあまり批判したくはありませんが」と断りを入れても、私が批判しているのは事実で間違いありません。この書に「断りを入れながら自己の責任を軽減する方法」というタイトルを与えたい。もっと実例を確かめたい方は本書をお読みください。
私は氏に個人的恨みがあるのではありません(これも断りか)私は彼が再び日本代表を指導する立場に戻らないほうがいい、と言いたいだけです。名解説者を目指してください。解説でもよく断りを入れてから語っていますが…
posted by 直木 善久 |05:29 |
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2009年07月03日
「ちょっと」っていうのは便利な言葉です。
「これだけはどうしてもお願いしたいのですが…」
「ちょっと考えさせてください」
これは十中八九、断りの言葉でしょう。
「ちょっとは考えてみればどうか」と怒られても、
考えなければいけないのは少しだけではなさそうです。
考え始めなければいけない、きっかけの「ちょっと」。
「どのくらい?」
「ちょっとだけ」
これは「少し」という量の「ちょっと」です。
「ちょっといい男ね」
でもこれはかなりいい男のようです。
「ちょっと」の使い方は難しい。
「日本はベスト4に成れると考えていますか?」
「ちょっと…」
これは曖昧の「ちょっと」
コンフェデレーションズカップの視察から帰国した岡田監督は、
日本は強豪国に「ちょっとは通用するだろうという感触を持った」と語りました。
この「ちょっと」が「少し」の「ちょっと」なら、
「かなり通用しない」という意味になりますが、それでいいのでしょうか?
ぶら下がりの取材に答えたようですが、
「『ちょっと』って、どのくらいですか?」と尋ねる人はいなかったようです。
今日は短めに、「ちょっと」だけにしておきます。
posted by 直木 善久 |08:59 |
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2009年07月02日
以前トルシエについて書いた際に、頂いたコメントで杉山茂樹の著書「4-2-3-1」を読んでみてはどうかと勧められていました。トルシエの戦術が批判的に書かれているらしい。戦術、というか布陣を専門的に扱った本を読むのは初めてなので、興味津々読んでみました。
導入部で「サッカーは布陣でするものではない」、「サッカーは布陣でするものだ」と著者自身が自問しながら、07年のスーパーカップのセビーリャ対バルセロナや、チャンピオンズリーグのPSV対アーセナルを語り始めます。
対戦する両者の布陣を対比させ、選手たちの動きを具体的に示しながら、いかに工夫を凝らして格下が格上に勝利したかが描かれており、非常に面白く読むことができました。
同じスタイルで04年のチャンピオンリーグ準々決勝のモナコ対レアル・マドリードなどの、過去の名勝負をいくつか取り上げているところも面白い。しかし、その他の多くの部分は残念ながら私の興味をそそりません。読んでいても面白くない。何故でしょう。
そこでは対戦相手の布陣と選手を消し去り、語りたいチームの布陣だけを取り上げて戦術論を展開しているからではないでしょうか。相手の駒を消した将棋の実戦譜が面白いでしょうか。意味があるでしょうか。
相手チームを消せば、戦略は自由闊達に語れますが、持論に酔いしれている印象はぬぐえません。選手は想像の世界を自由に走り回りますが、不毛のピッチを彷徨っているだけです。どんなに言葉を駆使しても、敵を想定しない布陣は面白さに欠け説得力がありません。
杉山氏は欧州チャンピオンズリーグを、過去15年間で300試合以上も観戦しているベテランジャーナリストです。この著書を読み進めていくと、日韓大会で韓国をベスト4に進めたヒディングのファンであり、時代遅れの3バックを採用したトルシエを無能な監督だと主張しているのが分かります。
トルシエが日本代表監督に就任した当時を振り返って、
「フランスワールドカップよりわずかに先に流行ったのが3-4-1-2。(中略)流行の浸透度ではそのとき、7対3の関係で3-4-1-2が勝っていた。3-4-1-2は以降、衰退の一途を辿ることになるのだが、トルシエはその事実を確認することなく来日した、おそらく」(P58)と書かれています。
トルシエは情報収集を怠っていたと言いたいのでしょうか。それまでトルシエはアフリカで過ごしていましたが、情報が届かない僻地に幽閉されていたのではありません。他の国々の布陣や戦術に絶えず目を光らせていない代表監督が果たしているでしょうか?
主張を強調するための仔細な脚色が随所に施されていますが、「トルシエは世界の動向に疎いから3バックを採用した」というようなバイアスがかかった文章に出会うと、布陣論の方も少し疑いながら読まなくてはいけないのでは、と身構えてしまいます。
この本には多くの布陣図が掲載されていますが、ざっと数えると対戦する両チームの布陣を記載した図が10点、相手チームが消えて自陣だけの図が約40点、面白い部分もその図の割合と同じで五分の1ぐらいでしょう。
布陣と戦術は切り離せません。選手をピッチ上にどのように配置するかが布陣であり、相手の動きに対してどのように動くか、その流動的なプレーの約束事が戦術です。監督は起用する選手の特徴を生かすために布陣を変え、戦う相手を分析して戦術を変えているのに、観る側がピッチから対戦相手を消してしまい「4」、「2」、「3」、「1」と数字を並べるだけでは、サッカーのダイナミズムを矮小化しているに過ぎません。
観客席からサッカーを観ていると、氏の言うように布陣はピッチ上のデザインかも知れませんが、選手と同じ地平に立てば、布陣は試合を組み立てるための重要な約束事です。いつも布陣が崩れたところで試合は動いており、攻守が入れ替われば元のポジションに戻らなければなりません。誰が何処にいるか、選手はピッチ上で考えながら探す時間などないのですから。
全編を通して、相手チームとの連動を見据えて敗因や勝因を解き明かしていたなら、たいそう充実した面白い内容になっていたと思います。残念ながら、これが私の読後の感想です。
そうそう、タイトルの「イチ、ニイ、サン、シー」は何かって?
興味が湧かない部分は、掛け声を掛けながら読みました。
posted by 直木 善久 |06:10 |
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