2009年04月30日

トルシエ監督に対するそれ(「トルシエ再考」その二)

 前回、アンチトルシエ派の言い分は、すべて「業績は残したけど人間性が悪い」という一点に行き着き、そして「悪い人間性」が批判される割にはそれを具体的に指摘した資料が少ないと述べましたが、出版物には今でもハッキリとその証拠が残っています。
 トルシエの汚名を返上するために、そこから検証してみましょう。

 ライターとして活躍している平野史は、その著書「サッカー監督はつらいよ」(駒草出版)で、次のように書き残しています。
 「ただ、それにしてもトルシエ監督に対するそれ(私注=トルシエの人間性が悪いと言う話)は異様に多く、常軌を逸していた。中にはスキャンダルとしか言いようのない話もあった。ライター仲間たちと雑談をしていたら、彼らも同じような話を別の選手や関係者から聞いていたから、たぶん本当の話だったのだろう。結局、その話はある一般週刊誌が記事にしたが、もともとスキャンダル記事が多い雑誌だったから信用されなかったようで、噂は立ち消えになった」。

 このような文章が2ページにわたって続くのに、「それ」と書いているものが何か、具体的な内容には全く触れていません。ただこの前の節で、トルシエが受けたくないインタビューに対して、謝礼金を要求した話が出てくる。しかしその節の結びで「プロであるのだから金銭が絡むのは仕方がない面もある。また謝礼金を支払うのはメディア側の問題である」と書かれているので、これが彼の指摘する悪い人間性ではないのでしょう。
 「それ」と言うのは本には書けないような話なのでしょうか。「たぶん本当の話だったのだろう」だけで、内容を明かさずに人間性を批判するのはちょっと人間性が悪い、ルール違反のように思いますが…

 次に、いつもは客観的な文章を書く後藤健生も、「日本サッカー史 日本代表の90年」(双葉社)で、ジーコ就任当時の状況を次のように書いています。
 「フィリップ・トゥルシエ(原文ママ)という、コーチとしての能力は高いが、人間的に問題を抱える監督に対する反発、あるいは2002年ワールドカップでの不完全燃焼のせいか、ジーコの就任は歓迎された」と書いています。ここでも「人間的に問題を抱える監督」と言われるようになった経緯は一切書かれていません。それは暗黙の了解で済まされています。

 同じく後藤健生は「欧州サッカーを極める」(青春出版社)でも、「トルシエ監督は口から出任せのようなことを言うことも多いから、彼の言うことをいちいち真に受けてもいられないが、たしかにヨーロッパ人の目から見たら『日本にサッカー文化がない』と見えるかもしれない」と前後の脈絡と何の関係もなく突然トルシエが登場して、とんでもない人間のように形容されています。

 日本のサッカー界は小さな村のようです。その村で当然のように誰かが語ると、何の検証も無く事実となり、書物においても具体例を提示しなくても許されています。
 アンチトルシエの頂点に立っていた川淵三郎なら、その立場上もっと詳しい説明をしているに違いない。その回想録「虹を掴む」(講談社)で、トルシエとの契約が二年で切れるくだりを次のように書いています。
 「トルシエの続投は全く考えなかった。彼の在任期間中、何人もの技術委員会のメンバーが何度、私のところへ来て、苦情を申し立てたかわからない。トルシエの練習、人間性、振る舞いをレポートにして私のところに持参し『こんなひどい監督だから、チェアマンの力で何とか辞めさせてくれ』と言うのである」
 このあと「もし、私が技術委員長だったら、トルシエが選手に手を上げた時点でクビにしていただろう」、「それに対戦チームの選手の身体やユニフォームを引っ張ってファウルで相手を止めることを平気で指導することが我慢ならなかった」とある。

 何人もが、何度もひどい監督だと直訴した内容はこの二点なのでしょうか。見えないところで行われる体罰ほど陰湿なものはありません。わざわざメディアが見ているところで選手に手をあげたトルシエの意図を考えてみてください。「もっと闘志を前面に出せ」、「世界はそんな甘いものではない」と大人しい選手を叱咤したに違いない。
 もしもファウルに対してそれほど潔癖なら、自らが「選手時代にファウルを一度も犯したことがない」と宣言し、会長に就任後は自らの権限でファウルが多い選手を代表に呼ばなければいい。

 トルシエを悪者に仕立て上げようとする意図さえ感じます。何故このような事態になったのでしょうか。考えられるのは、トルシエの協会に対する直接的な物言い、そのうえ協会に対して要求が多かったこと、そしてメディアにも挑発的に語ったことなどが考えられます。
 しかし何よりも、日本のサッカーに関わってきた人たちが持っていたアマチュアリズムの残像、即ちフェアプレーへのこだわりや、ギャラを要求する後ろめたさなどをことごとく打ち壊したからではないでしょうか。 プロ化されてもなお引きずっていた協会のアマチュアリズムの体質とトルシエは対立して、改革を迫ることになった。それが協会に属する人たちの不愉快の原因に思えます。

 トルシエジャパンでコーチを務めていた山本昌邦なら、トルシエの人間性を客観的に語っているかも知れない。次回は「山本昌邦備忘録」(講談社)を取り上げてみます。

(後藤健生の「日本サッカー史 日本代表の90年」は、日本のサッカーの歴史を知るための秀逸な資料であることを補足しておきます)

posted by 直木 善久 |06:23 | トルシエ再考 | コメント(37) | トラックバック(0)
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2009年04月27日

日本サッカー界の悲劇(「トルシエ再考」その一)

 日本サッカー界の悲劇。いいえ、「ドーハの悲劇」ではありません。日本サッカー界の悲劇とは、日本のサッカーの歴史において最高の成績を残した代表監督が、いまだに協会から正当な評価を受けていないことです。
 オーバーな表現でしょうか。協会と代表監督が一触即発の関係に陥ることはよくある話ですが、結果を残してワールドカップを終えれば、客観的な評価を与えて業績を称えるのが常道でしょう。いつまでも功績に見合った評価が与えられないのは、悲劇と言わずとも日本サッカー界の不幸に違いありません。

 サッカー殿堂には日本サッカーの礎を築いた人たちが年功序列で選ばれています。しかし実力主義で選ぶなら、彼は4年の任期を終えた時点で選ばれてもおかしくはありません。もちろん、その人の名はフィリップ・トルシエです。
 ユースワールドカップで準優勝、アジアカップで優勝、シドニーオリンピックでベスト8、コンフェデレーションカップで準優勝、日韓ワールドカップで決勝トーナメント進出。世界を見渡しても、4年間でこれほどの成果を残した監督がいるでしょうか。

 日本の快挙と呼ばれる歴史的勝利は数えても片手で済みます。1936年のベルリンオリンピックでスウェーデンを破った。1964年の東京オリンピックでアルゼンチンに勝った。次のメキシコ大会で銅メダルを獲った。1996年のアトランタオリンピックでブラジルに勝った。しかし、プロが参加していない頃のオリンピックや、年齢が制限されたオリンピックでは、あくまでも快挙は快挙に過ぎず、それで日本が世界に認知されたとはいえません。相手は不運な交通事故に遭ったようなものです。

 1998年に悲願のワールドカップ初出場を果たしますが、結果は三連敗で予選敗退。そんな日本のサッカーを広く世界に認知させたのは、フランス大会後に代表監督に就任したトルシエと、その年にペルージャへ移籍した中田英寿でしょう。
 ところが、日本サッカーの新たな1ページを切り開いた2人は、世界と日本で全く違う評価を受けていました。日本で異端児と呼ばれた中田はイタリアでヒーローになり、アフリカで魔術師と賞賛されたトルシエは日本でその人間性が問われます。

 代表監督の条件は、何よりも可能性を感じさせてくれること。意気消沈していたサッカーファンの前に登場したトルシエには、強い意志と自信が溢れていました。ユース代表やオリンピック代表の監督を兼任し、若いプレーヤーを世界から注目される選手に育て上げ、代表の世代交代を潤滑に行い、可能性を現実へと変えていきます。
 自己のスタイルを押し通して、協会やメディアとの間に確執を生みますが、それが多くの話題を提供する結果になり、サッカーを社会現象に高める役割も果たします。低迷していたJリーグの人気を回復したのも、私はトルシエ効果ではないかと考えています。

 しかし、協会やメディアの評価は結果を残しても低い、その功績を客観的に評価できる現在に至ってもまだ低い、そう考えるのは私だけでしょうか?いまだに何が問題なのか?いまだに何が不満なのか?
 「日韓大会はホームで戦えた」、なるほど。
 「予選が免除されていた」、なるほど。
 これもトルシエ評価が低い一因でしょう。しかし、逆に予選無しでモチベーションを高めていくことは難しく、ホームの方がプレッシャーを強く感じるともいえるでしょう。
 「韓国のようにワールドカップでもっと上に行けた」、なるほど。
 もしもそう仰るのが協会関係者なら、その方に是非とも代表監督に就任していただきたい。

 アンチトルシエ派の言い分は、すべてがすべて「業績は残したけど人間性が悪い」という一点に行き着いています。ところが「悪い人間性」と批判されていた割には、その「悪い人間性」を具体的に指摘した資料を見た記憶がありません。
 汚名が返上されずにウヤムヤなまま、日韓大会から7年が経っています。今なら冷静に語れるでしょう。そこで、トルシエの人間性を再検証する作業を試みたいと思います。

 最初にお断りしておきますが、トルシエを再評価して日本代表監督に再び、などと提案する魂胆は一切ありません。あくまでも日本のサッカーの歴史上で彼の復権を試みたいと思います。過去を正当に評価しないと、必ず未来を間違う。それでは始めてみましょう。

posted by 直木 善久 |05:46 | トルシエ再考 | コメント(37) | トラックバック(0)
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2009年04月25日

門戸を閉じれば文句が飛び出す

 一面は「メンチ、腎機能障害」、二面は「メンチもういらん」、三面は「新井またあかん」、四面に「巨人の坂本またV打」、五面「平成の稲尾マー君完封」、六面「MLB松井マルチ安打」、七面「朝青龍、抜き打ち尿検査」、八面、あっと見逃すとこだった、七面の隅に「大迫ACL三連発」そのまた下にU-20の合宿終了の記事。

 で、こんな言葉で締めくくるのか。「代表入りの可能性はないわけじゃないが、W杯予選の勝負がかかるときに『A代表に入れてうれしい』じゃ戦えない」
 これは「W杯予選では初召集がない」ということか。「A代表に選ばれても喜ぶだけの若手は必要ない」ということか。
 「ゴールを決めたらもっと喜べ」と選手を叱っておきながら、代表に選ばれて喜ぶのは良くないらしい。岡田ジャパンなら喜ばない選手もいるのでは…現に今回は多くの辞退者が出ている。

 「『A代表に入れてうれしい』じゃ戦えない」A代表に選ばれて喜んでいるだけの選手のように言われて、怒る選手はいませんか。17歳でマスターズへ出場した石川遼は、出場だけで喜んでいましたか。もっと若手を信頼して、飛躍を促す言葉が欲しい。「誰にでも可能性はある」と撒き餌をばらまいておいて、小魚一匹釣り上げられないのは釣り師の腕にも問題がある。

 「俊輔は練習が終わってもボールを蹴っている」これは居残り練習の奨励ですか。不十分な練習メニューは自分で補えということか。「今回はコンセプト、哲学は教えない」という言葉で始まった合宿。その岡田哲学を知りたいのですが、どこを探せば見つかるのでしょうか。
 自分のことを棚に上げて、原技術部長に「しゃべりすぎる」とかん口令を出したそうですが、「しゃべるな」ではなく「考えてしゃべってくれ」と言うべきでしょう。私も言いたい「考えてしゃべってくれ」

 ここは若い選手を評価してレギュラークラスにプレッシャーをかけるところ。もっとU-20に注目が集まる発言をするサービス精神も必要。そのうえ「若手は呼ばない」と結論づけて終わるなら、A代表もU-20も閉じられた組織になってしまう。メンバーの固定を明言しても、敵が対策を立てやすいだけ。監督はワールドカップの決勝トーナメントを狙い、選手はA代表を狙う、そうやってみんな強くなる。「Jで活躍して代表に来い」と締めて欲しかった。

 ボヤいても仕方ない。日本の未来を担っているU-20の選手をピックアップして、ここ3試合の成績を一覧表にまとめてしました。枠内の中段の数字は出場時間、◎印はゴール、◇はイエローカード、左の矢印は途中出場、右の矢印は途中交代、Bはベンチ。

U-20 090425
 このなかで今回の合宿に参加したのは、渡部大輔、大竹洋平、大津祐樹、原口元気の4名です。ここ3試合をフル出場している権田修三と山田直輝に注目、山田直輝の怪我が心配です。  ACLで今回の合宿に招集されなかった大迫勇也はメディアの取材で、チームの大黒柱のマルキーニョスについて問われて「ライバルです」と答えたらしい。いいぞ!大迫。ライバルはマルキーニョスだけではない。マケダもいるし、パトもいる。  門戸を開かない監督、それでもいい、自分の未来は自分で開く。


posted by chanomade_ole |07:29 | Jリーグ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年04月23日

シャムスカ宣言

トリニータ大分の監督、ペリクレス・シャムスカの「シャムスカ・マジック」(講談社)を読みました。

最初にコミュニケーションを重視する自己のスタイルを紹介してから、大分を支えてきた選手たちを熱く語り始めます。
鈴木慎吾、高松大樹、ウェズレイ、西川周作、森島康仁、そして若手選手まで語り尽くすと、次は11試合も勝ち星がなく17位に低迷していた大分で指揮を執り始めた2005年に遡り、そこから2008年にナビスコカップを手にするまでの過程を、年を追って解説していきます。

そして後半に入ってシステムを語り始めると、興味深い文章に出くわしました。
代表チームを率いたなら、優れた選手を使って理想のサッカーを追求することが出来ると語り「『シャムスカが考えるサッカーを実践するのに最上のシステムとは何か?』を考えるのはそういった時期が来るまでの楽しみに取っておこうと思う」

そういって期待させるだけかと思いきや「個人的な目標をあえて言うならば、将来的には一番高いところ――それはつまり代表の監督ということになる」そしてどの国のとは限定しないが、監督が上を目指さないとチームは強くならないと説く。

それは遠い将来の話かと思いきや「2014年には私の母国のブラジルでワールドカップが開催される。夢を語らせてもらえば、そのときに日本代表の監督でいられれば最高だと思っている」なんと「日本代表の監督に就任したい」と宣言した。
その利点は「母国開催ということで、日本代表であっても私にとってはホームゲームの利を常に生かしながら戦うことができる」なるほど説得力がある。

この本の帯には「弱小クラブを日本一に仕上げる奇跡の人心掌握力」「人の心をつかむ魔法のタネ明かし」というキャッチコピーがありますが、この本はシャムスカが日本代表監督を目指して書いた企画提案書です。
自身のサッカーを語り、実績を紹介しながら、読む人に「私が日本代表監督として相応しいか」と問いかけています。

血気盛んなアジテーターのようなトルシエ、思慮深い哲学者のようなオシム、そしてシャムスカには教育者のイメージがある。
ご両親が教師なら当然かもしれません。
ジーコのようにいつも自習時間という教師ではなく、懇切丁寧に教える教育者なら日本代表に最適ではないか。

この秀逸な企画提案書には、もちろん履歴書も添えられています。
その履歴書といえる「私の原点」という最後の章でも興味深い話を見つけました。
シャムスカの祖先はポルトガルのシャムスカ村からブラジルへ移住したという。
ヨーロッパではカビや害虫によって、ワインの原料のぶどうが壊滅的な被害を受けることがありますが、過去にポルトガルではシャムスカ村のぶどうだけが、被害を受けずに生き残ったと伝えられているそうです。
この話は多くの代表監督候補から、シャムスカが生き残ることを暗示しているような…

果たして日本人監督で代表監督を目指すと明言して、実績を積み重ねている監督がいますか。
二度と代表監督は務めないと公言し、監督業から遠ざかっていた人が監督になるよりはずっといい。
「シャムスカ宣言」もちろん私は支持します。

posted by 直木 善久 |05:42 | 私の本棚 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年04月20日

いとしのマリーシア

「マリーシア」
この女性の名のように優しく響く言葉の意味は「ズル賢い」
なるほど、美しい女性の名前に相応しいかも…

この「マリーシア」が、日本のサッカーには欠けているらしい。
「マリーシア」を身につければ、もっと日本は強くなるらしい。
しかしその正体をあらわにして、全貌を解き明かしてくれる人はいない。
ブラジル生まれの謎の美女か。

例えば野球で、
ピンチを「隠し玉」で救っても、
負けたチームのファンは「そんな卑怯な手を使うか」と怒るに違いない。
頭脳的なプレーも、敵から見れば狡いプレー。
「狡い」と「賢い」は立場の違い。
相手の動きの裏をかく、
相手の読みの裏をかく、
そして相手の望みを遠ざける。
それを瞬時にできる才能、それが「マリーシア」です。

審判の目が届かないところでファウルを犯して、
これも「マリーシア」だと主張するのは、
汚いプレーでしか相手を止められない選手の言い訳でしょう。
ファウルはファウル、ルールはルール。
応援するチームの勝利のために、
汚いプレーを「マリーシア」と呼んで褒めたたえるなら、
一番狡いのはきっとファンに違いない。

「マリーシア」な相手に、
こちらの思惑は寸断され、未熟さばかりが際立ち、苛立ちしか残らない。
それがチームに広まって、一層敵が優位に立つ。
ピッチの外へゆっくり歩いて相手をじらす。
痛くもないのにオーバーにこけて歓心を買う。
相手の気に障ることを言う。
やはりどこか悪女に似ている。

女性の名のように優しく響く「マリーシア」
日本人選手も「マリーシア」を恋人のようにその手で捕えて、
早く我がものとせんことを…

posted by 直木 善久 |06:46 | 茶の間のひとりごと | コメント(2) | トラックバック(0)
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2009年04月17日

疑わしきは罰せず?

――今日も居酒屋に集う先輩と後輩、何やら真剣に話し込んでおります。ちょっと聞いてやって下さい。

「先輩、今日も呑みすぎですよ」
「何回も言いたくないけど…」
「はぁ」
「復帰した三都主の代表召集はあり得るかと問われて…」
「岡田監督ですね」
「可能性はすべての選手にある」
「その通り!」
「大迫勇也の招集を問われても『可能性はすべての選手にある』」
「いいじゃないですか」
「渡邉千真の招集を問われても『可能性はすべての選手にある』」
「何も間違ってはいない」
「私もそう思う。ところが、キリンカップまで約2ヶ月間代表が召集できないことを問われて『メンバーは固まっており、コンセプトは体に染みついている』と答えた」
「大丈夫だと言いたかったんでしょ」
「『メンバーは固まっている』それは可能性を膨らませている選手にとっても、代表生き残りをモチベーションにしている選手にとっても、プラスには働かない発言です」
「それはそうですね」
「今固まってどうするの?メンバーを固めるのはワールドカップの直前でいい」
「はい」
「少しずついろんな選手を試して、万が一けが人が出てもチームのコンセプトが揺るがない体制をつくるべきです」
「結果を追いかけながら、チーム作りもする」
「門戸は開かれているのか、閉じられているのか、まして次は予選じゃなくて『キリンカップ』」
「呼んで欲しい選手も多い」
「俺もこんなことばっかり言って、言葉尻を捕える『怒りんぼ』のクレーマーのように思われたくないけど、世界中を見回しても、この時期に選手が固まったなんて言う監督がいますか!そんなに日本は最強のチームに出来上がっているのか!」
「先輩、落ち着いてください」
「固まっているのは、固まっているのはあんたの頭や!」
「ひぇー、そんな大きな声で、ちょっと、言いすぎでしょ、ほら、向こうのお客さんが睨んでいますよ。私が固まってしまう」
「大将、ビールもう1本。えっ、大将は俺の言っていることが分かるって?全員が店長候補だと言いながら、もう店長が決まっているようなもの、そうそう、そういうこと。そのうち誰も相手をしなくなる」
「大将も気を遣ってるんですよ。すいません。うるさくて」
「ところでJリーグは観ている?」
「いやー、良かった」
「何が?」
「話題が変わって」
「いい試合が多いよね」
「年々面白くなっていますね」
「スピードも上がっているし、ワンタッチプレーも増えている」
「今年は審判がプレーを止めないように努めている感じがするけど…」
「疑わしきは罰せず」
「そうそう、疑わしきは止めず、だからプレーが続いて面白い。ルールに則って忠実に罰するよりも流すほうが難しい。審判も少しずつ技術が向上しているのかな…」
「3節のガンバと京都はちょっとまずかったけど…」
「岡田監督が就任した時ね」
「えっ、また戻るんですか?」
「監督の選考はオシムの意向を反映させると言っておきながら、それを反故にしてオシム路線を分断した協会はファウルを犯した」
「ファウル?」
「でも緊急時なんでアドバンテージをみてそのまま流した」
「はい」
「躓いたらそこで止めてファウルを取るところが、そのまま持ちこたえてアドバンテージも消えてしまった」
「なるほど、ファンの心情も『疑わしきは罰せず』なんでしょうね」
「でも俺はあそこでカードを出しておくべきだった、と今でも思う。出すべきところでは、はっきりカードを出す。カードを…」
「えっ、大将、違う、違う、まだ、お勘定じゃない。カード違い」

――お後がよろしいようで…

posted by 直木 善久 |06:12 | 居酒屋のサッカー談義 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2009年04月13日

遠藤保仁の自然体

中村俊輔の著書「察知力」に続いて、代表で同じピッチに立つ遠藤保仁の「自然体」(小学館101新書)を興味深く読みました。
副題を付けるなら「日頃は無口だと思われているので、ハッキリ意見を言いました」私もハッキリ意見を言うと、俊輔の「察知力」よりも面白い。
遠藤は「中村俊輔との共存共栄」という一文で俊輔を取り上げていますが、俊輔の「察知力」には遠藤が登場しません。
高校時代の監督から代表監督、そしてチームメートや家族まで、それぞれの本に登場する人物をざっと数えてみると、俊輔の「察知力」は約30人、遠藤の「自然体」は軽く100人を超えています。
本の中では遠藤の方が周囲への目が行き届いているような…

事実の記述だけでなく、ハッキリと評価を下しているので、読んでいても心地よい。
たとえば、トルシエ監督に関しては…
「俺は、トルシエに好かれるタイプじゃなかったからね。トルシエは、ピッチで闘争心を剥き出しにして、ファイトする選手を好んでいた。俺は、そういうのと真逆なタイプ。(中略)自分を崩してプレーするのは自分らしくないって、変な勘違いをしていた」

日韓大会には召集されず。ジーコジャパンになって招集され始めるが、海外組みが戻るとベンチに下がることが多かった。そのジーコ監督に関しては…
「04年3月31日、ドイツW杯1次予選、アウェイのシンガポール戦のように国内組みはジックリ調整しているのに、2日前に現地入りした海外組を起用し、2-1でやっとの思いで勝った試合を見ていると、『なんで海外組なの』って思いたくなる」
やっぱり選手もそう思っていたんですよね。ドイツ大会の緒戦のオーストラリア戦に関して…
「敗因のひとつとして『途中出場した伸二が悪い』みたいに言われたけど、あの時もジーコが『中盤でボールをキープしてから前に出よう』『守備にしっかり戻ろう』とか、伸二に明確な指示を出していたら混乱することはなかった」
と手厳しい。最後まで出番が無かったドイツ大会を振り返って…
「あれが32歳での大会だったら『俺を出せ』ってジーコを殴ってでも出たと思うけど、次の可能性を考えたから我慢できた」
今や岡田ジャパンの中心的存在、殴らなくて良かった。

そしてオシム監督に関しては…
「あのままチーム作りが進んでいたら、誰も想像つかないような日本独特のサッカーが確立されていた気がする」

岡田監督に関しては…
「舵取りがうまい。選手とよくコミュニケーションを取ってくれるし、説明してくれるから選手も信頼して、その船に乗って力を発揮することに専念している」
と褒めているが、この辺りは南アフリカ大会が終わってからもう一度訊いてみたい。

そして「コロコロPK」の誕生秘話があっけらかんと語られていてビックリ。
楽しんで読めたのも、きっと遠藤自身が「自然体」で書いているからでしょう。

posted by 直木 善久 |06:14 | 私の本棚 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2009年04月11日

それでも呼ぶから面白い

――今日もまた居酒屋に集う先輩と後輩。おなじみの居酒屋風景、ちょっと聞いてやって下さい。

「先輩、今日は呑みすぎですよ」
「ヒディングってすごいね」
「チェルシーのヒディングですか?」
「いやー、ロシアの代表監督であり、チェルシーの監督」
「はい」
「だいたいプレミアリーグの監督と代表監督を兼任するという大胆な発想に驚く。実はドイツ大会の組み合わせの抽選で、日本がオーストラリアと同じ組になったときは喜んだよ」
「えっ!」
「そのときヒディングはオランダのPSVとオーストラリアの監督を兼任していた」
「そうそう」
「二兎を追う者は一兎も得ず、強いわけがないと…」
「なるほど」
「ところがPSVを優勝させて、オーストラリアをベスト16に導いた」
「一兎を追って、一兎も得ない人もいるのに」
「それ誰の事?」
「南アフリカでロシアと同じ組になったら因縁の対決ですね」
「それを言うのは早すぎる。まだ決まっていない」
「先輩、ところで森本発言、知ってます?」
「日本代表に呼ばれても行きたくない。カターニャでのプレーに集中したい」
「そうです」
「カターニャではゴールを奪うことだけ考えていればいい。日本代表では守備にも力を注がなければいけない。スタイルが違う。自分の持ち味が発揮出来ない代表へは行きたくない。非常に分かりやすい説明」
「その気があった岡田監督は振られてしまった」
「いや、私ならそれでも呼ぶ」
「えっ、振られた女性にストーカーするようなものでしょう」
「ストーカー?」
「行かないって意思表示しているじゃないですか」
「それでも呼ぶ!」
「何故?」
「代表に呼ぶのはその選手を評価していると周囲に示すことでしょ」
「はい」
「『森本は日本代表に選ばれるほどの選手だ』と発信すれば、もちろんカターニャのサポーターなら当然だと思うだろうけど、イタリア全土でもより注目される」
「はぁ」
「注目されるのは森本にとってプラスでしょ。代表を断ってまでカターニャで戦うならそれなりの結果を出さなければいけない。新たなモチベーションが生まれる」
「はい」
「それで結果を出せば森本はオファーを生かしたことになるし、結果を出せなかったら、呼ばなくてよかった、となる。もしも変心して招集に応じたら岡田は岡田のサッカーを要求すればいい」
「はぁ」
「森本発言は『俺を中心にしたチームを作る気があるの』っていう挑発にもとれる。『ベンチじゃ嫌だ』という裏の意味があるかも知れない。単に本音を言ってしまっただけかもしれない。一度正式にオファーを出せばそれが分かる。万が一、召集に応じたら岡田対森本という対立軸が生まれて停滞気味のチームが活性化されるし話題性も高くなる。岡田監督の腕の見せ所、観ている方だって興味津々で面白くなる」
「はい」
「これで招集しない手はない」
「そんなにうまく行きますかねぇ」
「カターニャでもっと活躍して、日本で森本コールが高まって、監督が森本を中心にチームを作ることに可能性を感じてからでもいいのかも知れないけど…」
「個性が強そうですからね」
「日本では珍しい我を押し通すタイプ。今の代表のアンチテーゼのような存在。だから面白いし意味がある。スペシャリストを目指しても面白いけど、特定されたポジションで特定されたプレーしかしないのは時代に逆行している。森本だって前線に張り付いてゴールを狙うFWと、下がって守備も出来るFWの二兎を追えば、選手としての幅が広がることを知っているはず」
「そうですよね」
「中村俊輔はトルシエから違うポジションを要求されたときに、悩んだけど受け入れて良かったと、この前読んだ『察知力』に書いていた」
「まぁ、それは本人しだい」
「だいたい代表に呼ばれている選手は自分のチームと代表という二兎を追いかけているようなもの。サッカー界では二兎を追いかけて二兎を得たものがヒーローになる。選手が二兎を追いかけるなら、二兎を追う監督がいてもいい」
「なるほど」
「挑戦あるのみ」
「先輩、仕事もその勢いで…」

――お粗末でした。

posted by 直木 善久 |07:18 | 居酒屋のサッカー談義 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2009年04月09日

中村俊輔の察知力

出版界は「力」ブームなのでしょうか?
ソフトボールの上野由岐子は「情熱力」、元阪神監督の岡田彰布は「頑固力」、野村克也は「再生力」、「Number」のオシムのインタビュー記事には「言葉力」と見出しが付いていました。
こんなに力があるのなら「スポーツ力学」という新たな分野が出来るかも知れません。

スポーツ本以外でも「○○力」というタイトルの本が目につきます。
それほど「力」を欲する人がいるのは、それだけ「力」が無いということか。
と、つぶやきながら中村俊輔の「察知力」(幻冬舎新書)を読みました。
「察知力」というキーワードを絡ませながら、自身のサッカーを語っています。

セルティックでマンUと戦ったくだりや、個々のゲームの話は興味深く読みましたが、主な内容は「内向的な少年がサッカーで成功するための心構え集」です。
周りの空気を察知すること、多くの引き出しを持つこと、腐ってはいけない、妬んではいけないなどと、心構えが綴られている。

マリノス時代にはチームメートと食事に出かけたことが無いと語る俊輔は、セルティックではチームメートとワインを飲みながら食事する外向的な選手に成長しています。
是非、中高生には読んでほしい一冊です。

但し、トルシエ、ジーコ、オシムという歴代代表監督については、良い所だけでなくマイナスな点にも触れて欲しかった。
スポーツ選手がプレーだけでなく、このように本を出版してファンとの接点を増やすのは大歓迎、最近の俊輔の積極的に語ろうとする姿勢も支持します。

ちょっとサッチ、サッチと語呂合わせのように繰り返されるのが気になりましたが、とても読みやすくて、私は有能なライターの存在を察知しました。
サッカー選手もボールを巧みに扱うように、言葉をリフティングする技術も磨いてください。
これからもサッチャー中村俊輔に注目。

posted by 直木 善久 |07:03 | 私の本棚 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2009年04月05日

「たら」を言わなかったら

――おなじみの居酒屋風景でございます。サッカー談議に花を咲かせておりますが、花も実もある話になりますやら…

「先輩、今日は呑みすぎですよ」
「後半にもう一点決めていたらね」
「はい」
「あれがクロスバーに当たってなかったら…」
「はぁ」
「やっぱり決定力のあるフォワードさえいたら…」
「先輩!そんな『たら』ばっかり言ってはダメですよ。いまさら結果が変わる分けでもなし、良くなる分けでもなし、先輩ともあろう人が済んだことに未練がましくこだわるのは女々しいですよ」
「おい!」
「はぃ」
「俺たちは理想のサッカー像を持っているか?」
「えっ、てっきり怒るのかと…」
「ヨーロッパや南米のファンなら誰でも理想のサッカーを持っている」
「なんですか、急にまじめに」
「理想のサッカーという設計図を、現実に組み立てるのが監督の仕事。それで設計図に見合った部品を大枚はたいて買ってくることも出来る」
「はい、でもそれと『たら』とどういう関係があるんですか?」
「でも日本じゃいくら理想のサッカーという立派な設計図を作っても、それに見合った部品が集まらない」
「部品って選手に失礼でしょ」
「だから部品、いや、選手に合わせて設計図を作ることになる」
「はぁ」
「ここにこの部品を使ったら、いや、この選手とこの選手を組み合わせたらって『たら』の積み重ねで設計図を作るしかないんだよ」
「大将、お酒もう一本」
「聞いてるの?『たら』って言うのは悪いことではない」
「でも、宝くじが当たったらって考えても、何の役にも立たない。そんな話を聞かされたって馬鹿馬鹿しいだけ。先輩ももう少しいい男だったらとか、もう少し背が高かったらとか考えても無駄でしょ」
「おい!」
「はい」
「宝くじが当たったらって考えてもいいじゃないか。俺がもっともてたらって考えてもいいでしょ。それは想像力。想像力は働かしたほうがいい」
「今日は怒らない?」
「まだ俺たちは、理想の設計図を描けないんだよ。だから試行錯誤が方法論になる。それが現場主義、それが経験主義、それしかない。それなのに、そのうえ想像力が無くてどうする」
「ふーん、そうかなぁ」
「スポーツでは、やたら『たら』や『れば』が悪いことのように言われる風潮が気に入らない」
「それ、洒落ですか?」
「物知り顔にそれは『たら』でしょって批判されたら、みんな悪いことでも言ったかのように黙ってしまう。だいたい『たら』はダメだって言う評論家だって、『たら』とは言わないだけで、言っていることは終わってからの後追い理屈でしょ。発明もこうしておいたら、次はこうしたらの積み重ね、『たら』を言わなかったら進歩がない」
「でも『監督がオシムだったら』とか言う人が今でもいますよ」
「『たら』で終わらないこと、『たら』から始めること。すべての『たら』や『れば』が悪いわけじゃないってこと。意味ある『たら』と『れば』を見つけること。タラタラ言わすんじゃない!」
「なるほど、『たら』を積み重ねるから経験が生きる」
「その通り、もうちょい呑むぞ。大将!お酒お代わり、それと、鱈のタルタルソース」
「それじゃ生レバーもいただきましょう」
「鱈もレバーも料理人の腕しだい」
「よっ!」

――いつになく先輩も後輩も盛り上がっております。それでは後がよろしいようで…

posted by 直木 善久 |07:26 | 居酒屋のサッカー談義 | コメント(0) | トラックバック(0)
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