2009年12月19日

プレッシャーについて考える

 オシムは次のように語っています。
「私にはプレッシャーが必要だ。でなければ私は働くことが出来ない」
 また、このようにも語っています。
「プレッシャーが掛った試合に勝たないと成長しない」
 しかし、日本の協会は格下とのマッチメイクを好み、メディアはそんな試合でも同じように選手を褒め称え、ファンもブーイングを発して協会にプレッシャーを掛けようとはしない。強くなるにはプレッシャーが必要だとオシムは言っているのに、日本人はプレッシャーを無視している。

 そもそも日本人はプレッシャーを勘違いしているのではないか。新入社員が感想を尋ねられて「プレッシャーを感じています」、これはない。「ちょっと心配です」、「ちょっと不安です」、これはプレッシャーではありません。脅威があってこそプレッシャーです。驚異を感じてこそプレッシャー、新入社員のプレッシャーは単に器が弱いだけ。

 「プレッシャー」は日本で矮小化された新たな意味を獲得してしまったのか。プレッシャーを訳すと「圧力」、その「圧力」という言葉も西洋から意訳された造語です。もともと日本に無い言葉なら、日本人はプレッシャーという感覚が希薄だったに違いない。
 その希薄の原因をたどれば、何といっても日本には外圧が無かったこと、外国からの脅威が無かったことへ行き着きます。長い歴史で侵略を受けたのは鎌倉時代の元寇だけ、江戸時代も鎖国政策によって外国の圧力を緩和していた。
 そのうえ安定した世襲制度が続けば、自身の立場を脅かされることはありません。年功序列の社会では、西洋のように実力主義で存在を脅かされる機会は今でも少ない。絶えず隣国の脅威にさらされてきた大陸と比べて、プレッシャーの必要性とその重要性の理解に大きな差が生じても仕方ない。

 平和でプレッシャーが希薄だった江戸時代は、黒船の出現で終わりを告げます。日本はその黒船の脅威に屈して開国したので、日本人はプレッシャーを屈辱的な力として捉える傾向もある。
 他者にプレッシャーを与えるのは失礼だ。それを気配りや礼儀と呼ぶのでしょう。日本ではプレッシャーを与えない人が良い人なのです。しかしスポーツの世界でプレッシャーを掛けずに、ひたすら賛辞を送って応援するだけなら、選手はアイドルと化してしまう可能性が高い。代表だって同じこと。
 日本でポーカーは流行りません。あれはプレッシャーの遊びです。圧力団体(プレッシャーグループ)は怪しい存在として、ロビー活動は根付きません。それに日本はアメリカから圧力が掛かれば、すぐにインド洋で給油活動を始めました。日本人はなるべくプレッシャーと係わらずに避けて通りたいらしい。
 これではプレッシャーとがっぷり四つに組み合って、力に変えようという発想は生まれません。プレッシャーは大きければ大きいほど役に立つのに。

 オシムが言うように強くなるには強いプレッシャーが必要です。それを察してか岡田監督は「ベスト4」という目標を掲げて、自らプレッシャーを作り出しました。でも「ベスト4でないと承知しねぇーぞ!」という人も現れず、NHKと民放が3位決定戦の放送権を獲得しなくても、「信じていないのか」と岡田監督が怒る様子もない。
 いくらプレッシャーを作り出しても「暗黙の了解」の日本では、認知されて了解されれば急速に力を失う。「夢があるからいいじゃないか」派も、「無理に決まっている」派も、それぞれがそれなりの納得をして、その目標は既に効力を失ったように思える。「ベスト4」を代表へのプレッシャーとして、とことん利用しようという発想がない。

 そんな暗黙の国では無言の圧力が見えにくいのかも知れません。面白くなければ黙ってスタジアムから去ってサッカーファンを返上する。こうやってプレッシャーを掛ける人たちもいる。それを関係者が脅威と捉えているのか、プレッシャーを感じているのか、その辺りが今後の問題です。

posted by 直木 善久 |09:32 | いつまでもオシム | コメント(13) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年12月08日

「ベスト4」発言の思わぬ弊害

 来日してからのオシムの発言を聞いていて「もうオシムは昔のオシムとは違うのかも知れない」と前回書いてしまいました。それは私の杞憂に過ぎないと思いつつも、スカパーで淡々と語るオシムの姿を見ても、記者会見の記事を読み返しても、その疑問は完全に消え去りません。引っ掛かって腑に落ちない気分はそのままだ。言葉に力を感じない。それは今までのように監督ではなくコメンテーターという立場だから、という問題だけなのでしょうか。

「相手をリスペクトしなければいけない」
「相手が日本をどのように考えているかを理解しなければいけない」

 確かにその通りです。それは何度も聞いてきました。オシムの言葉は閉塞した状況に陥っても、初めての局面を迎えても、いつも「考えろ」と警告を発しながらヒントや智慧を与えてきました。それはサッカーを目指す者、人生を真摯に生きようとする者に対して、世界中で通用する言葉に違いない。日本人だけに用意された言葉など、あまり聞きたくはない。

「(日本代表は)自分自身をだまして、勝つんだというムードを作らなければならない」

 ジーコジャパンは格下との親善試合を好み、強い日本を演出してドイツ大会に臨みました。そんな「だまし」も初戦の84分までしか持たなかった。また同じ失敗をしろというのか。

「選手たちは自分自身を信じることだ。自分自身を疑ったら何もできない」
「夢を見すぎることはよくない」

 選手たちは「ベスト4」を信じてもファンは夢を見るな、ということでしょうか。でも選手が信じるならファンも一緒に信じたい。逆に夢を追いかけてはいけないなら、選手もファンも同じでしょう。どうして選手とファンを切り離して考える必要があるのでしょう。

 オシムが日本代表監督を解任された身として、ヨーロッパの視点に戻して日本を評価すれば、決してこのような言葉は発しなかった。きっと彼は岡田監督に気を使っているのです。後任監督が掲げた目標を批判して、その面目を潰すわけにはいかない。岡田監督がぶち上げた「ベスト4」という目標が、結果的にオシムの言葉を濁らせているのではないか。だから「夢」や「信じる」や「自身をだます」ことを多く語る羽目になる。自由闊達に語る前に、そのために時間を割くことになる。

 今でも日本のサッカーに注目し、日本のために役立とうという姿勢には頭が下がります。サッカーファンなら誰でもオシムの存在は心強いでしょう。しかし日本を突き放して、辛辣で厳しい言葉をぶつけてくれた方が日本のためになるのではないか。私が腑に落ちなかったのはそこかもしれない。

「日本代表を強くするのはJリーグの存在だ。クラブやメディアはJリーグの試合がより激しく、より速くなるように手助けすべきだ」
「日本サッカーの中で欠けているもの、それは真実だ。特にサポーターは真実の情報が不足しているように思える。中村俊輔の報道ばかりしていてはダメだ」
「日本サッカーが進むべき道を示す大会になるかもしれない。それは代表だけでなく、クラブ、選手、監督、メディアの発展にもつながるだろう」

 確かに厳しい話もしている。しかし私にはまだオブラートに包まれた声のように聞こえます。私の中のオシムに語らせてみよう。

「みなさんは日本がグループEでどのくらい戦えるか知りたいのでしょう。確かに報酬を考えることは楽しい。しかし努力したからといって必ず報酬が得られるとは限りません。常日頃から努力を怠らない人が、より多くの報酬を得ると考えておいたほうがいいでしょう」
「みなさんは代表チームの成績にしか興味がないようですが、Jリーグの質を高めることなしに世界で戦える代表を作ることは出来ません。そのためにクラブやメディアはどのような努力をしていますか?メディアは今でも人気選手だけを取り上げ、活躍しても目立たない選手を取り上げません。俊輔以外はいくらピッチを走り回っても見えないらしい。日本のメディアはファンに真実を伝えようとしない。今回も対戦国の実力を正確に伝えるメディアが果たしてあるでしょうか」
「こんな状態が変わらない限り、いつまでたっても不本意な成績に終るのは目に見えています。夢を追いかけても、その先には無残な結果が待っている。上手くいかずに、今回の大会が考え直すきっかけ、改善する契機になったほうが日本にとっては有意義な大会になるといえるでしょう」

 どうでしょう?「賛辞ばかりではなく、しっかり批評することが日本サッカーの発展につながる」 と言いながら、オシム自身が思い切った批評をしていない気がする。「ベスト4」発言の思わぬ弊害かもしれない。

posted by 直木 善久 |22:33 | いつまでもオシム | コメント(12) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年10月01日

オシム語録は論語に似ている

私はかつて「オシム語録は論語に似ている」と書いたことがあります。
オシムも孔子も現実主義者であり、
窮地を打開する智慧について語っています。
さすがに平和主義の孔子は「攻撃」や「守備」について論じませんが、
オシム語録を読んでいると、
「論語と同じ事を言ってるんじゃないの?」
と、考えさせられる場面に何度も出会うことがあります。
「孔子は実に興味深い哲学者だ」
オシム自身もそう語っています(木村元彦監修「オシムが語る」)

孔子「なんでも多いからって良いわけじゃない。いき過ぎるのは足らないのと同じだよ」(過ぎたるは、及ばざるが如し)
オシム「私の練習だけを100%やりなさい。足りないものはその練習に全て詰まっているから」

孔子「言葉巧みに脚色して喋るやつは信用できない」(巧言令色、すくなし仁)
オシム「何も言わない方が、時として言葉をより伝えることがある」

孔子「何をすべきか分かっているのに、行動に移さないのは勇気が無いからです」(義を見て為さざるは、勇無きなり)
オシム「常にレギュラーで出ていない選手は、もっとやれると自信を持って、もっと腹を立てるべきです」

孔子「間違いに気づいて、改めないのが間違いだ」(過ちて改めざる、これを過ちという)
オシム「必ずミスはついて回る。ミスしたときにいかに賢くプレーするかが大事なのです。」

深読みかな?
ところで、次の言葉が孔子の言葉か、オシムの言葉か区別がつきますか?
 
一、急いで大きな結果を求めても達成出来ません、そうかと言って小さな目標でも成功しません。
二、相手をリスペクトして、悪口は言わない。
三、まず結果を出してから、それについて語るべきでしょう。
四、誰かを必要無いと言う人は、いつか自分もそう言われる立場に陥ります。
五、その意見が良くても悪くても、他人の意見は尊重すべきです。人間は他人を尊重できるという面で、ロバよりは優れている。
(どちらの言葉かは文末に載せておきます)

孔子は2500年前の思想家です。
窮地を救う思想を突き詰めていくと、
今も昔も変わらない共通性が浮かび上がるのでしょう。
共通性があるから現代まで生き延びてきたとも言えます。

私が好きな「論語」の言葉は、
「子、怪力乱神を語らず」
解釈はいろいろと出来ますが、
「出来る人は、怪しげな話、力を誇示すること、乱れた話、そして神については口にしないものだ」
ということになるのでしょう。

「私は魔法使いではない」
オシムは怪しげな話はしません。
すぐにカリスマ性を求めるファンやメディアを牽制しています。
「タイトルは資本が獲得する」
カネや権力を批判します。
「なぜこんなに汚く危険なプレーが多いのか」
選手時代は1枚のイエローカードももらっていません。
「神は戦争の原因にもなる。私は人を信じる」
自ら無神論者を公言しています。
まさにオシムは「怪力乱神」を語らない。
意外とオシムは「論語」を研究しているのかもしれませんね。
「論語」は指導者の必読の書かもしれません。

本来はここで終わる話なのですが…

「ワールドカップ『ベスト4』ってちょっとしげじゃないですか。を過信していますよね。アジアでもたついているチームが『ベスト4』を狙うなんて暴な話です。これじゃ頼みしかありませんよ」

監督は「怪力乱神」を語ってはいけない。
ここでやっと終わる。


一と二と三が孔子の言葉、四と五がオシムです。
一、速やかならんを欲すればすなわち達せず、小利を見ればすなわち大事成らず。
二、君子は人の美を成して、人の悪を成さず。
三、先ず其の言を行い、而して後にこれに従う。
四、朝日新聞の朝刊「オシムの提言」より(04年11月23日)。
五、05年ジェフオフィシャルイヤーブックより。

posted by 直木 善久 |23:11 | いつまでもオシム | コメント(6) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年08月24日

オシムの夢

――今の感想をお聞かせください。
「日本に戻ってくることができて嬉しい。オーストリアで十分過ぎるほどの休養を取りました。そして再びここに戻ってきたのは、今度は日本で死んでもいいと覚悟を決めたからです。私は日本で一度死んだようなものです。この世に戻ってくることが出来ましたが、やり残したことを成し遂げるために再びここへ戻ってきたのです。あの世から、そしてオーストリアから…」

――現時点でどのようなビジョンを持っておられるのでしょうか。
「それよりも前に、感謝の意を表したい。私は支えていただいた多くの方々に感謝しなければなりません。私を蘇らせていただいた方々、そしてここでもう一度指揮を執るように尽力していただいた方々に。そして今日、こうやって私を歓迎していただいている方々にも。メディアの方もたくさんいらっしゃいます。後遺症を心配されているメディアの方々もいらっしゃるでしょう。ほら、こうやってここまでしっかり歩いてきました。そしてこうやって元気に話しています。ピッチではボールも蹴れます。相撲のように『磐石』と書いてください。ここで見送られた日のことを昨日のように思い出しますが、あの時とはすべてが違います。もっとフラッシュをたいても大丈夫ですよ」

――今の代表をどう思いますか。
「そう、もう一人、感謝の意を表さなければいけません。突然の就任にも係わらず、岡田監督は素晴らしいサッカーを見せてくれました。今度は私が引き継いで、岡田監督の意志を無駄にしないように頑張らないといけません。私にも代表にも後遺症などありません。ブラジルでこそ『ベスト4』を実現しましょう」

――他からもオファーがあったのでしょうか。
「ありました。でも私は物事を途中で投げ出すことが嫌いです。それにもう私は半分日本人だと感じている」
「それと、私はずっとオファーよりもドクターの言葉を待っていたのです。『OK!大丈夫だ』、どんなオファーよりもうれしい言葉です。若い選手が明日の先発を監督から言い渡されたような気分。『OK!大丈夫だ』私にとっては最高の言葉、新たな人生からのオファーでした」

――テレビで日本戦もご覧になっていたとか。
「日本戦だけでなく、Jリーグも観ていました。DVDを送っていただいていました。ゲームを観ていて、ピッチが恋しくならない人はいないでしょう。私は日本のスタジアム、それに日本の声援が恋しくなって帰ってきたのです」

――既にメンバーは決まっているのでしょうか。
「皆さんは私のサッカーを良くご存知です。しかし二年前と違うところも見せなければいけません。新しいアイデア、若い力も伸びているでしょう。しかし、変わっていないこともたくさんあります。どれだけ海外から注目される選手が増えたでしょうか。どれだけ海外で活躍する選手が増えたでしょうか。同じ失敗を繰り返している選手もいます。阿部勇樹は進化しましたか。巻誠一郎は進化しましたか。水野晃樹は…答えは『NO』です。いつも『自分に何が足りないかを考えろ』といってきたのに、それが出来ていない。だから私がもう一度呼んで叱ることになるかもしれない」

――前回就任されたときも、ご高齢が問題になりましたが。
(質問を遮るように)「同じ事を訊くメディアも二年前と変わっていない(笑)。私は日本で死んでもいいと覚悟している。ハラキリくらいの覚悟をしている」

――奥様はどのように…
「心配していないといえば嘘になる。でも日本が強くなれば、彼女の喜びが心配を上回るでしょう」

――ちょっと、ちょっと。
「はい、はい」

――あんた寝過ごしてるよ。
「はい、私は…、えっ寝過ごした?うーん、夢か。いい夢だったのに…」

私の夢はオシムの夢、オシムの夢は日本の夢か。
続きが見たい。

posted by 直木 善久 |06:22 | いつまでもオシム | コメント(11) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年03月04日

オシムにインタビュー

―― 本日はこの企画のために、遠いところお運びいただき、誠に有難うございます。それでは早速始めたいと思います。よろしくお願いします。はい。お元気そうでなによりです。最近はどのような生活をされているのでしょう。
オシム 0時まで家の中をうろうろして、それから横になって3時間半ほど眠るんだ。そして目覚まし時計が鳴り、テレビの前に行く。(2003-10-01 Sportske Novosti)
―― 日本にいる時と同じじゃないですか(笑)でも元の生活に戻れたわけですね。日本の試合もご覧になっていると思います。現時点で最終予選二位の位置を確保していますが、完成された強い代表がまだ実現されていないように感じますが…
オシム 常により良いプレーを目指しているから、いつまでたっても実現できません。近づくことはできると思いますが。(2003-07-12 仙台戦後の監督会見)
―― なるほど。召集メンバーはオシムさんの頃よりも若くなっていますね。
オシム 現代の強いチームというのは、総じて平均年齢が高いものです。若い選手というのは何かを成し遂げようという野心を持っている半面、何かをぶち壊してしまう危険も持っています。ときとして確実性に欠けます。(2005-07-09 新潟戦後の監督会見)
―― と言いながらオシムさんも絶えず若手を試していました。
オシム 経験がないからといって招集しなければ、いつまでたっても経験は得られません。(2006/8/4 トリニダード・トバゴ戦メンバー発表会見)
―― 若手は可能性があるけど危険、ベテランは安定しているけど伸びしろが無い、ということですね。
オシム 選手にそんなにマイナスのイメージを持つことはありません。もっとポジティブに考えたらどうですか?(2004-04-10 鹿島戦後の監督会見)
―― はい。恐縮です。岡田監督はオシムさんの呪縛から逃れようとし、ファンもオシムさんが目指していたサッカーを見失いかけているような印象を受けます。せっかく日本人に合ったサッカーを提示していただいたのに…
オシム 日本の長所は、あくせく、すばやく動き回れる点です。体が小さい分、ぴったり厳しいマークにつくことができます。日本人としての特性を、自分たちのやり方で生かさないと、もったいない。体の大小など関係ありません。知恵と工夫次第では、弱点を利点に変えることもできます。(2004-11-16 朝日新聞)
―― はい。でもそれが実現できていない。どちらかというと選手に頼ったサッカーになっています。その選手達はピッチで十分アイデアを生かしているようにも見えません。
オシム コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠けてしまう。コーチが本や紙を見ながらやっても、選手には違う現象が起こります。その現象をコーチが判断する。サッカーはそういうスポーツです。コーチが変わらないと選手は変わりません。コーチも常に変わっていく必要があります。(2003-11-1 Soccer Clinic)
―― はい、そうですね。ところで、岡田監督はワールドカップベスト4を目標に上げましたが、この発言をどう思われますか。
オシム 不可能だと誰が言えるのか。(2009-2-19 Number)
―― 私はドイツ大会のときのように「夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべき」(2005-03-03 日本経済新聞)と言われるかと思っていました。
オシム この監督を評価している、あの監督は評価しないと言うのは醜いことだ。なぜならどの監督も何かしらの野心に燃えているわけだからね。(2009-01-15 クロアチアのユタルニ・リスト紙)
―― 私は監督自身が高い目標を掲げて自分にプレッシャーをかけたのではないかと思います。しかし出来もしないことを発言したなどと批判するジャーナリストもいて、監督にとってはストレスの元でしかなかったのではないでしょうか。
オシム 日本はヨーロッパよりもストレスが少ないですよ。監督にとっては楽です。ヨーロッパでは常にスタジアムに足を運ぶ観客の誰もが監督以上に監督の仕事を知っています。日本はそうではない。ここではミスが見られてないし、その回数を数えられることもありません。(2003-12-01 Sportske Novosti)
―― でもちょっと成績が芳しくないと、オシム復帰などと騒がれます。
オシム ジャーナリストは好きなように話すことができるし、書くことができる。それは彼らの権利だからね。(2006-06-01 Sportske Novosti)
―― ワールドカップに出場できても、リーグ一位の突破でないとだめだと批判されます。私は出場できればいいと考えていますが…
オシム 日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。これは危険なメンタリティーです。受け身過ぎます。サッカーの世界ではもっと批判に強くならなければなりません。(2003-08-07 Number)
―― なるほど。岡田監督も批判を恐れず、たとえ人気選手であっても構想から外れた選手を思い切って切るべきでしょう。海外でも試合に出ていない選手は呼ばない。
オシム 誰かを「不要だ」などと言う人間は、いつか自分もそういう立場に陥るようになります。人生とはそういうものです。その時、自分はどう感じるか、考えてみたほうがいい。(2004-11-23 朝日新聞)
―― はい。恐縮です。今日は最後までお叱りをうけているような感じでした。短い時間でしたが本当にありがとうございました。最後に岡田監督と日本代表に何かアドバイスを…
オシム 監督には監督の視点があり、選手にも選手なりの視点があります。だけど両者の考えがあまり開いてはダメなので、自分がやろうとしていることと、選手たちができることをしっかりと分析してすり合わせる。そのなかで選手たちに自由を与え、自分たち自身で試合をクリエイトできるようにしてあげる。その過程で、選手たちを信じることが監督として一番大事なことです。(2003-08-28 sabra)
―― 本日はありがとうございました。これからも一層のご健康をお祈りしています。

タイトルを見て期待された方、申し訳ありません。
オシムの動向もあまり伝わってこないし、オシムファンはこんなことして遊ぶしかないんです。
すみません。
でも、オシム語録はいつ読んでも面白い。
私はオシムの言葉を読んでいると「論語」を思い出してしまいます。
私にとっては「オシム語録」というより「オシム論語」、もしもオシムにインタビューできるなら、「論語」を読んだことがあるか訊いてみたい。

「まな板の上のオシム」より
http://manaitanouenoosim.web.fc2.com/index.html

posted by 直木 善久 |22:33 | いつまでもオシム | コメント(4) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年02月08日

いつまでもオシム

最近ときどき
「いつまでもオシム、オシムっていうヤツはうぜぇー」
みたいな発言をよく見かけます。

「いつまでも」って言われても
オシムが退任したのは1年ちょい前、
オーストリアに去ったのは今年の正月の話なんで…
前回は加茂を語らずして岡田を語れなかったように、
今回も岡田の傍にオシムの影が付きまとうのは仕方ない。

2500年近くも前の「ソクラテスの弁明」を本屋で見つけたら
「いつまでもソクラテス、ソクラテスっていうヤツはうぜぇー」
「いつまでも」って言うのは、そういう時に使ってください。
(黄金のカルテットのソクラテスではありません)

別にソクラテスの話をしたかったのではありません。
そういえば「自分が知らない、ということを知る」って言ったのがソクラテスです。
私は「いつまでもオシム」から学び続けます。

posted by 直木 善久 |11:39 | いつまでもオシム | コメント(39) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加