2009年07月06日

「山本昌邦指南録」を読んで

 以前、「山本昌邦備忘録」を取り上げて批判した際に、「山本昌邦の他の著作も読んでから批判されたほうがいいのでは」と、宿題を頂いていました。遅ればせながら「山本昌邦指南録」を読みましたので、感想を書いてみたいと思います。

 その前に、私が「備忘録」について書いた「それは良いのか悪いのか」という一文は、次のような結論で終わっています。
 「トルシエの強引さを否定的に捉えているから、自身は曖昧で優柔不断な文章しか書けないのです。トルシエのそばに4年間もいた山本昌邦が、単に当時のうらみつらみを書き出して公表するようなレベルの指導者だったことが残念です」
 このような結論にたいして上記の宿題をいただきましたが、果たしてこの感想を覆すだけの内容に出会えるのでしょうか。

 さて、本題に入りましょう。「備忘録」はトルシエジャパンのコーチ時代の記録でしたが、「指南録」は中学生時代から、自ら代表を率いたアテネオリンピックを終えるまでを語った大作です。そのアテネはグループリーグ敗退、そこでこの書は「敗軍の将は兵を語るべき」という話から始まっています。
 その「敗軍の将」と題された第一章最初の一文では、「選手は素晴らしく戦ってくれた」と選手たちを称えながら、著者の決意が示されています。
 「何を言っても始まらないからといって、何も言わないですましていいのだろうか、という思いも私にはある。それでは何の進歩もない気がするのだ。特に日本のようにサッカーがまだまだいろんな意味で”若い“国では、もっとたくさんのことがいろいろな角度で語られたほうがいいのではないか」
 全くその通りだと思います。敗軍の将はその負けを分析してこそ、後世に生かされます。

 ところが読み進めても、敗軍の将は積極的な改革案を示すこともなく、思い出話に花を咲かせながら「これだけ一生懸命やってきました」、そして「そんなに大きな失敗は犯していない」という論調で話は進んでいきます。「世界で通用する一流選手に必要なこと」などという一文に出会うと、「世界で通用する一流監督に必要なことは?」と茶化したくなる。
 いつも氏は選手の給水に最新の注意を払っています。「水1本にまで気を配ること」と何度も繰り返しています。しかしUAEで行われたアテネオリンピックの最終予選では、UAEが用意した宿舎には泊まらず、UAE戦の前日に集団下痢に襲われてしまいました。もちろん人為的なものかどうかは、その時点では分かりません。
 「何が感染源なのか今もって『謎』である。宿泊したホテルに迷惑をかけてはいけないから、選手がそういう状態にあることを外部に公表することもできなかった。『食中毒』などという言葉を使ったら『営業妨害』だの『誰に一服もられた』なんて話になって国際問題にまで発展しかねない。徹底的な箝口令を敷いた」
 相手チームにも伝わらないように箝口令を敷くのは当然ですが、下痢していない選手もいたので感染源を探すことはできたでしょう。その時期にウイルス性の下痢が流行していたわけでもありません。三流ホテルに泊まったわけでもないでしょう。「国際問題に発展しかねない」だけでなく、スタッフの不注意が明らかになるので追求を避けたのでは、と憶測したくなります。

 そしてこの予選はダブルセントラル方式で行われており、UAEラウンドのあとすぐに帰国して日本ラウンドが行われます。ところが下痢になった選手のフォローを怠り、個々の主治医の治療を受けたために症状を重くする選手が現れます。
 この日本ラウンドのくだりは、集団下痢という困難に立ち向かって予選突破した過程が詳しく描かれており、なぜ日本に戻ってから症状が重くなったのかも詳しく説明されています。そして大久保嘉人と阿部勇樹をUAEラウンドに参戦させなかった判断を自讃しています。しかし原因は単なる不注意ではないか。
 「衛生環境面にも何の問題もない国ということで、私に油断があったことは否めない」と言いつつ、「誤解されると困るのだが」と断りをいれて次のように語っています。
 「バーレーン(私注=UAEラウンドの第1戦の対戦相手)にとってもレバノン(私注=UAEラウンドの第2戦の対戦相手)にとってもUAEはホームではなかった、UAEをホームとしたのはUAEだけだった。そういう意味では、UAEと戦う前にはもっとチェックの密度を高める必要があったと反省している」
 暗に人為的なものだったと匂わす、この程度の認識と反省でいいのでしょうか。断りさえ入れれば、言い訳をしても、認識の甘さを露呈しても受け入れてもらえるとでも考えているのでしょうか。この事件の前も「水1本にまで気を配りなさい」、事件の後も「水1本にまで気を配りなさい」原因を究明してこそ、反省になるのではないか。

 そして「アテネ」と題された最終章でも「選手には申し訳ない気持ちがある」と自己の責任に関しては短く、言い訳は長い。挙句の果てに「狩猟民族」と「農耕民族」との意味不明の比較を始める始末。そして集大成といえる最後の一文「終わりに――日本サッカーの課題」のそれも残り20行を切ってから、次のようなことが書かれています。
 「パラグアイ戦(私注=アテネオリンピックの緒戦)で高松が倒れこみながらのヘディングシュートを打った。それがポストに当たって跳ね返ってきた。高松のところに。しかし、ヘディングしてからボールが戻ってくるまでの間に高松は何をしていたのか。地面に倒れたまま、ずっとボールの軌跡を目で追っていたのである。打ったあとに、さっさと立ち上がっていれば、何のことはない、自分の前にコロコロと転がってきたボールを再度シュートに持ち込めたはずだった。GKはもう寝転がっていたからポンと打てばよかっただけ。しかし、地面に伏して目で追っていた分だけ立ち上がるのが遅れ、駆けつけてきたDFに先にクリアされた。せっかくの素晴らしいヘディングが、そのあとのプレーによって無価値になった」
 選手を批判することが悪いのではありません。山本も「これは特定の選手への批判ではない」と断りを入れてから語っています。もちろんダメージを受けていなければ、高松は立ち上がらなくてはいけません。しかし、まとめの一文のそれも最後に、うらみがましく長々とこれを書かなければいけなかったのでしょうか?
 選手を称え、コーチを称え、ファンを称えつつ、断りを入れてから言い訳する、この「指南録」は巧妙な自己弁護の書になっています。

 私が「山本個人をあまり批判したくはありませんが」と断りを入れても、私が批判しているのは事実で間違いありません。この書に「断りを入れながら自己の責任を軽減する方法」というタイトルを与えたい。もっと実例を確かめたい方は本書をお読みください。
 私は氏に個人的恨みがあるのではありません(これも断りか)私は彼が再び日本代表を指導する立場に戻らないほうがいい、と言いたいだけです。名解説者を目指してください。解説でもよく断りを入れてから語っていますが…

posted by 直木 善久 |05:29 | 私の本棚 | コメント(14) | トラックバック(0)
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2009年07月02日

イチ、ニイ、サン、シー「4-2-3-1」

 以前トルシエについて書いた際に、頂いたコメントで杉山茂樹の著書「4-2-3-1」を読んでみてはどうかと勧められていました。トルシエの戦術が批判的に書かれているらしい。戦術、というか布陣を専門的に扱った本を読むのは初めてなので、興味津々読んでみました。
 導入部で「サッカーは布陣でするものではない」、「サッカーは布陣でするものだ」と著者自身が自問しながら、07年のスーパーカップのセビーリャ対バルセロナや、チャンピオンズリーグのPSV対アーセナルを語り始めます。
 対戦する両者の布陣を対比させ、選手たちの動きを具体的に示しながら、いかに工夫を凝らして格下が格上に勝利したかが描かれており、非常に面白く読むことができました。
 同じスタイルで04年のチャンピオンリーグ準々決勝のモナコ対レアル・マドリードなどの、過去の名勝負をいくつか取り上げているところも面白い。しかし、その他の多くの部分は残念ながら私の興味をそそりません。読んでいても面白くない。何故でしょう。
 そこでは対戦相手の布陣と選手を消し去り、語りたいチームの布陣だけを取り上げて戦術論を展開しているからではないでしょうか。相手の駒を消した将棋の実戦譜が面白いでしょうか。意味があるでしょうか。
 相手チームを消せば、戦略は自由闊達に語れますが、持論に酔いしれている印象はぬぐえません。選手は想像の世界を自由に走り回りますが、不毛のピッチを彷徨っているだけです。どんなに言葉を駆使しても、敵を想定しない布陣は面白さに欠け説得力がありません。
 杉山氏は欧州チャンピオンズリーグを、過去15年間で300試合以上も観戦しているベテランジャーナリストです。この著書を読み進めていくと、日韓大会で韓国をベスト4に進めたヒディングのファンであり、時代遅れの3バックを採用したトルシエを無能な監督だと主張しているのが分かります。
 トルシエが日本代表監督に就任した当時を振り返って、
「フランスワールドカップよりわずかに先に流行ったのが3-4-1-2。(中略)流行の浸透度ではそのとき、7対3の関係で3-4-1-2が勝っていた。3-4-1-2は以降、衰退の一途を辿ることになるのだが、トルシエはその事実を確認することなく来日した、おそらく」(P58)と書かれています。
 トルシエは情報収集を怠っていたと言いたいのでしょうか。それまでトルシエはアフリカで過ごしていましたが、情報が届かない僻地に幽閉されていたのではありません。他の国々の布陣や戦術に絶えず目を光らせていない代表監督が果たしているでしょうか?
 主張を強調するための仔細な脚色が随所に施されていますが、「トルシエは世界の動向に疎いから3バックを採用した」というようなバイアスがかかった文章に出会うと、布陣論の方も少し疑いながら読まなくてはいけないのでは、と身構えてしまいます。
 この本には多くの布陣図が掲載されていますが、ざっと数えると対戦する両チームの布陣を記載した図が10点、相手チームが消えて自陣だけの図が約40点、面白い部分もその図の割合と同じで五分の1ぐらいでしょう。
 布陣と戦術は切り離せません。選手をピッチ上にどのように配置するかが布陣であり、相手の動きに対してどのように動くか、その流動的なプレーの約束事が戦術です。監督は起用する選手の特徴を生かすために布陣を変え、戦う相手を分析して戦術を変えているのに、観る側がピッチから対戦相手を消してしまい「4」、「2」、「3」、「1」と数字を並べるだけでは、サッカーのダイナミズムを矮小化しているに過ぎません。
 観客席からサッカーを観ていると、氏の言うように布陣はピッチ上のデザインかも知れませんが、選手と同じ地平に立てば、布陣は試合を組み立てるための重要な約束事です。いつも布陣が崩れたところで試合は動いており、攻守が入れ替われば元のポジションに戻らなければなりません。誰が何処にいるか、選手はピッチ上で考えながら探す時間などないのですから。
 全編を通して、相手チームとの連動を見据えて敗因や勝因を解き明かしていたなら、たいそう充実した面白い内容になっていたと思います。残念ながら、これが私の読後の感想です。
 そうそう、タイトルの「イチ、ニイ、サン、シー」は何かって?
 興味が湧かない部分は、掛け声を掛けながら読みました。

posted by 直木 善久 |06:10 | 私の本棚 | コメント(12) | トラックバック(0)
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2009年04月23日

シャムスカ宣言

トリニータ大分の監督、ペリクレス・シャムスカの「シャムスカ・マジック」(講談社)を読みました。

最初にコミュニケーションを重視する自己のスタイルを紹介してから、大分を支えてきた選手たちを熱く語り始めます。
鈴木慎吾、高松大樹、ウェズレイ、西川周作、森島康仁、そして若手選手まで語り尽くすと、次は11試合も勝ち星がなく17位に低迷していた大分で指揮を執り始めた2005年に遡り、そこから2008年にナビスコカップを手にするまでの過程を、年を追って解説していきます。

そして後半に入ってシステムを語り始めると、興味深い文章に出くわしました。
代表チームを率いたなら、優れた選手を使って理想のサッカーを追求することが出来ると語り「『シャムスカが考えるサッカーを実践するのに最上のシステムとは何か?』を考えるのはそういった時期が来るまでの楽しみに取っておこうと思う」

そういって期待させるだけかと思いきや「個人的な目標をあえて言うならば、将来的には一番高いところ――それはつまり代表の監督ということになる」そしてどの国のとは限定しないが、監督が上を目指さないとチームは強くならないと説く。

それは遠い将来の話かと思いきや「2014年には私の母国のブラジルでワールドカップが開催される。夢を語らせてもらえば、そのときに日本代表の監督でいられれば最高だと思っている」なんと「日本代表の監督に就任したい」と宣言した。
その利点は「母国開催ということで、日本代表であっても私にとってはホームゲームの利を常に生かしながら戦うことができる」なるほど説得力がある。

この本の帯には「弱小クラブを日本一に仕上げる奇跡の人心掌握力」「人の心をつかむ魔法のタネ明かし」というキャッチコピーがありますが、この本はシャムスカが日本代表監督を目指して書いた企画提案書です。
自身のサッカーを語り、実績を紹介しながら、読む人に「私が日本代表監督として相応しいか」と問いかけています。

血気盛んなアジテーターのようなトルシエ、思慮深い哲学者のようなオシム、そしてシャムスカには教育者のイメージがある。
ご両親が教師なら当然かもしれません。
ジーコのようにいつも自習時間という教師ではなく、懇切丁寧に教える教育者なら日本代表に最適ではないか。

この秀逸な企画提案書には、もちろん履歴書も添えられています。
その履歴書といえる「私の原点」という最後の章でも興味深い話を見つけました。
シャムスカの祖先はポルトガルのシャムスカ村からブラジルへ移住したという。
ヨーロッパではカビや害虫によって、ワインの原料のぶどうが壊滅的な被害を受けることがありますが、過去にポルトガルではシャムスカ村のぶどうだけが、被害を受けずに生き残ったと伝えられているそうです。
この話は多くの代表監督候補から、シャムスカが生き残ることを暗示しているような…

果たして日本人監督で代表監督を目指すと明言して、実績を積み重ねている監督がいますか。
二度と代表監督は務めないと公言し、監督業から遠ざかっていた人が監督になるよりはずっといい。
「シャムスカ宣言」もちろん私は支持します。

posted by 直木 善久 |05:42 | 私の本棚 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年04月13日

遠藤保仁の自然体

中村俊輔の著書「察知力」に続いて、代表で同じピッチに立つ遠藤保仁の「自然体」(小学館101新書)を興味深く読みました。
副題を付けるなら「日頃は無口だと思われているので、ハッキリ意見を言いました」私もハッキリ意見を言うと、俊輔の「察知力」よりも面白い。
遠藤は「中村俊輔との共存共栄」という一文で俊輔を取り上げていますが、俊輔の「察知力」には遠藤が登場しません。
高校時代の監督から代表監督、そしてチームメートや家族まで、それぞれの本に登場する人物をざっと数えてみると、俊輔の「察知力」は約30人、遠藤の「自然体」は軽く100人を超えています。
本の中では遠藤の方が周囲への目が行き届いているような…

事実の記述だけでなく、ハッキリと評価を下しているので、読んでいても心地よい。
たとえば、トルシエ監督に関しては…
「俺は、トルシエに好かれるタイプじゃなかったからね。トルシエは、ピッチで闘争心を剥き出しにして、ファイトする選手を好んでいた。俺は、そういうのと真逆なタイプ。(中略)自分を崩してプレーするのは自分らしくないって、変な勘違いをしていた」

日韓大会には召集されず。ジーコジャパンになって招集され始めるが、海外組みが戻るとベンチに下がることが多かった。そのジーコ監督に関しては…
「04年3月31日、ドイツW杯1次予選、アウェイのシンガポール戦のように国内組みはジックリ調整しているのに、2日前に現地入りした海外組を起用し、2-1でやっとの思いで勝った試合を見ていると、『なんで海外組なの』って思いたくなる」
やっぱり選手もそう思っていたんですよね。ドイツ大会の緒戦のオーストラリア戦に関して…
「敗因のひとつとして『途中出場した伸二が悪い』みたいに言われたけど、あの時もジーコが『中盤でボールをキープしてから前に出よう』『守備にしっかり戻ろう』とか、伸二に明確な指示を出していたら混乱することはなかった」
と手厳しい。最後まで出番が無かったドイツ大会を振り返って…
「あれが32歳での大会だったら『俺を出せ』ってジーコを殴ってでも出たと思うけど、次の可能性を考えたから我慢できた」
今や岡田ジャパンの中心的存在、殴らなくて良かった。

そしてオシム監督に関しては…
「あのままチーム作りが進んでいたら、誰も想像つかないような日本独特のサッカーが確立されていた気がする」

岡田監督に関しては…
「舵取りがうまい。選手とよくコミュニケーションを取ってくれるし、説明してくれるから選手も信頼して、その船に乗って力を発揮することに専念している」
と褒めているが、この辺りは南アフリカ大会が終わってからもう一度訊いてみたい。

そして「コロコロPK」の誕生秘話があっけらかんと語られていてビックリ。
楽しんで読めたのも、きっと遠藤自身が「自然体」で書いているからでしょう。

posted by 直木 善久 |06:14 | 私の本棚 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2009年04月09日

中村俊輔の察知力

出版界は「力」ブームなのでしょうか?
ソフトボールの上野由岐子は「情熱力」、元阪神監督の岡田彰布は「頑固力」、野村克也は「再生力」、「Number」のオシムのインタビュー記事には「言葉力」と見出しが付いていました。
こんなに力があるのなら「スポーツ力学」という新たな分野が出来るかも知れません。

スポーツ本以外でも「○○力」というタイトルの本が目につきます。
それほど「力」を欲する人がいるのは、それだけ「力」が無いということか。
と、つぶやきながら中村俊輔の「察知力」(幻冬舎新書)を読みました。
「察知力」というキーワードを絡ませながら、自身のサッカーを語っています。

セルティックでマンUと戦ったくだりや、個々のゲームの話は興味深く読みましたが、主な内容は「内向的な少年がサッカーで成功するための心構え集」です。
周りの空気を察知すること、多くの引き出しを持つこと、腐ってはいけない、妬んではいけないなどと、心構えが綴られている。

マリノス時代にはチームメートと食事に出かけたことが無いと語る俊輔は、セルティックではチームメートとワインを飲みながら食事する外向的な選手に成長しています。
是非、中高生には読んでほしい一冊です。

但し、トルシエ、ジーコ、オシムという歴代代表監督については、良い所だけでなくマイナスな点にも触れて欲しかった。
スポーツ選手がプレーだけでなく、このように本を出版してファンとの接点を増やすのは大歓迎、最近の俊輔の積極的に語ろうとする姿勢も支持します。

ちょっとサッチ、サッチと語呂合わせのように繰り返されるのが気になりましたが、とても読みやすくて、私は有能なライターの存在を察知しました。
サッカー選手もボールを巧みに扱うように、言葉をリフティングする技術も磨いてください。
これからもサッチャー中村俊輔に注目。

posted by 直木 善久 |07:03 | 私の本棚 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2009年02月22日

暴言は二度聞け

ワールドカップでも主審を務めた高田静夫さんの著書「できる男は空気が読める」を読みました。

「審判員はイエローカードを提示しながらも『もしかしたら、選手の言っていることが正しいのかもしれない』と心が揺れるものです」
生々しい現場での心情の告白。
「選手とのコミュニケーションを取る際に大事なことは、『シンプルに』『クリアに』『手短に』です」
経験から得た役立つ言葉。
「日本人的な良さを持って臨むとどうもうまくいかないケースが多いのです」と
日本人論にも肉迫しています。

審判員によって書かれた本は少なくて貴重です。
審判の立場になってサッカーを考えてみるのもいい。
そして監督の視点や選手の視点に、審判の視点が加わればゲームがもっと楽しめる。

ハウツー本のような「できる男は空気が読める」というタイトルよりも、
帯に書かれた「暴言は二度聞け」という言葉の方がタイトルに相応しいような。
「暴言は二度聞け」という言葉は、どのような状況に立っても冷静さを忘れない審判の仕事を象徴しています。
「暴言は二度聞け」うーん、気に入った。
私も暴言のようなコメントが返ってきても二度読むことにしよう。

posted by 直木 善久 |06:42 | 私の本棚 | コメント(0) | トラックバック(0)
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