2009年12月13日
ラグビーボールはどうして楕円形なのでしょう?
もともと牛の膀胱を膨らませて作っていたから、
その製造過程で編み出された形かもしれない。
でもサッカーボールはその膀胱をまんまるい球の中に押し込んでいる。
どうして楕円形なのでしょう?
広いグランドでラインの外へ飛び出しても、
遠くまで転がっていかない実用的な役割があるのかもしれない。
確かに戻るように弾む時もある。
止まってしまう時もある。
私はちょっと違う見方をする。
右へ跳ねるか、左に跳ねるか、
ラグビーボールは偶然性を演出している。
拮抗したチーム同士が戦って1トライの差で勝負が決まっても、
それは偶然が差配したとも考えられる。
勝負に偶然性を秘めたボールを介在させることによって、
勝者と敗者の間に冷酷な線引きをしない。
勝っても負けても「そんなに差はないよ」って称え合える。
そんな牧歌的な大らかさを、イングランドの紳士は持っていたに違いない。
それは「ノーサイド」という言葉にも表れている。
細かなことに拘らない大らかさ、
勝利を絶対的なものと崇めない謙虚さ、
それがあのラグビーボールの形ではないか。
戦いをエスカレートさせない智慧の形かもしれない。
今では100mを走っても、
コンマ2桁まで計測して決着をつける。
サッカーではPK戦で決着をつける。
勝利者を特定しなければいけないのは、
勝利が莫大な利益と利権を生みだすからでしょう。
牧歌的な曖昧さや紳士のいさぎよさは
商業主義の下で不条理と姿を変える。
審判の判定に大らかな態度を示せば、逆に非難の集中砲火を受ける。
ラグビーでは引き分けるとジャンケンで勝者を決めていた。
それを大らかと捉えるか、不条理だと捉えるか。
これはスポーツの世界だけの話ではありません。
現代は不条理をどのように噛み砕いて納得するかによって、
世界が大きく違って見える。
完璧な正確さや平等を求めても、
どこまで行ってもグレーゾーンは残る。
実現不可能なものを追い求めること自体が不条理です。
正確さや平等を突き詰める人は、
実は利益や利権を追及しているのではないか。
世界とはラグビーボールのように、
どちらに転がるのか分からないのが本来の姿、
まっすぐ転がっていく先が明るい未来なんて嘘っぱちでしょう。
話がちょっと違う方向へ転がりそう。
他のスポーツは平等に転がる丸いボールを好むのに、
ラグビーは楕円形のボールを追いかける。
私はあの大らかに跳ねて転がる楕円形のボールが好きだ。
posted by 直木 善久 |08:56 |
茶の間のひとりごと |
コメント(6) |
トラックバック(0)
2009年12月11日
王者の内藤大助が果敢に攻めて、挑戦者の亀田興毅がガードを固めてカウンターを狙う。スタミナで劣る内藤は早く勝負を決めたかったのでしょう。
「チャンピオンさんよぉ、ありふれたコメントしか言いませんな。ハキハキしゃべらんと、シャキッとせんと」
「久々に予告でもしよか? 3回で仕留めます」
散々チャンピオンを挑発しておいて、守備を固めた亀田。その作戦はまんまと成功した。「頭を使わな」と、得意げな新チャンピオンの声が聞こえてきそうだ。そういえば実際にリングでも頭を使っていましたが…
スペシャルドラマと銘打って盛んに番宣を仕掛けていたNHKの「坂の上の雲」と、そのタイトルマッチの放送時間が重なった。タイトルマッチは43.1%、「坂の上の雲」が17.7%、NHKは「リングの上の亀田」に負けてしまった。次回が低調なら坂の上から転がり落ちる。
悪役を演じる亀田に対して、ゴルフ界の人気者は優等生だ。その石川遼が賞金王に輝いた。2007年に高校1年生で初優勝、2008年にプロ転向、そして今季は4勝で賞金王、あれよあれよという間にゴルフのファン層を広げ、視聴率をどんどん上げながら自身もアイドルからスターへ、そしてスターから真の王者へとこの三年間で大きな飛躍を成し遂げた。
この先どこまで伸びていくのやら。小学校の卒業文集に記した「20歳でのマスターズ優勝」も、手が届くほどの至近距離に見えてきた。末恐ろしい。盛り上がるゴルフ界、これで悪役が登場すればもっと盛り上がるのかもしれません。でも、
「チャンピオンさんよぉ、きちっとコメントしてますな。ハキハキしてるし、シャキッとしてる」
これじゃ悪役も立場がない。
今年は17週連続でトーナメントに参戦、でもまだ高校生なんですよね。「いつ勉強しているの?」、こんな野暮なことを訊く人は誰もいない。先人達から学び、実力を身につけ、人気も得て、賞金も得る。独り占めの勝ち組なのに、それをやっかむ人もいない。石川遼は既に人徳も得ている。
さて、Jリーグもシーズン終了。最終節で鹿島アントラーズが優勝を決めました。まずは優勝おめでとうございます。意地を見せた浦和との激戦の末に決めた優勝は、その感激も一入でしょう。選手たちは口々に「次はACLのタイトルが欲しい」と語っていました。
結果的にたった一人で閉塞していた男子ゴルフ界の息吹を取り戻した石川遼、彼は3年有ればどれほど飛躍できるかを私たちに示してくれました。今年3連覇を果たした鹿島、来年は国内のタイトルに加えてACLのタイトルを獲得、そしてその次は…
(2回目の「坂の上の雲」は視聴率がちょっとUPしたようです)
posted by 直木 善久 |06:16 |
茶の間のひとりごと |
コメント(2) |
トラックバック(0)
2009年12月03日
終わって間もないゲームを語るのは難しい。インタビューを受ける選手も同じだろう。いちいち主語や述語を考えて喋る余裕もない。もちろん長々と丁寧に説明をしてもらったから理解できるというものでもありません。たどたどしい言葉に心が揺れるときもあるし、一言だけで心に届くこともある。
南アフリカ戦後の中村俊輔のコメントです(スポーツナビからそのまま引用させていただきました)
「松井と一緒にセットで入ったから、松井はやっぱり開いているのと、ヤット(遠藤)やハセ(長谷部)からボールが出たら、どんどん前に出ていけと。今までは4-4-2で土台を作ってきたから、あうんの呼吸ではないけどそういうのはあるし。ハセが前へ前へ行きすぎてパスミスするとか、ああいうのがなくなれば。ワールドカップの前にこういう雰囲気でできたことは大きい。声は通らないという話は試合前からしていた」
意訳するとこういうことでしょうか?
「松井がいるので、遠藤や長谷部からボールが出たら、どんどん前へ出て行けと指示されていた。しかし、いつもと違うシステムだったので、長谷部が前へ出すぎてパスが通らないとか、あうんの呼吸で動けない場面もあった。でもそれは修正できること。まぁ、本番前にブブゼラで声が通らない状況を確認できたことは大きい」
意訳し過ぎでしょうか?でも正確に言葉尻を追うと筋が通らない場合がある。そうかと言って意訳すると微妙に意味が変わってしまう。そんなジレンマに陥った場合は、そのまま書き残すのがいいのかもしれない。このスポーツナビの記者も間違いや誤解を避けるために、代表の重要人物である俊輔の言葉を一言一句正確に記録しています。
俊輔の香港戦のコメントです。3点目のFKについて、
「最初はバーレーン戦の時にやった(サインプレーの)逆バージョンをやろうと思ったら、意思の疎通が合わなかった。次の選択はシュートで、壁も甘いし、GKも甘かったし、時間も少なくて距離も短すぎるから、変に(味方に)合わせるよりはニアでGKが怖がるところに速いボールを入れようと思った」
記者は苦労している。括弧で言葉を補足して意味が通じるよう努力されています。これも一つの方法かもしれません。俊輔に思い入れのある方ならこれで充分なのでしょうが、私にはまだ分かりづらい。「時間も少なく」とは残り時間のことですよね。「距離も短すぎて」って、ゴールまでの距離が短すぎることはないでしょう。
同じ香港戦で1点目のミドルシュートを決めた長谷部誠のコメントも読んでみてください(これもそのまま引用させていただきました)
「ワールドカップに出てくるチームだとあそこでフリーで打たせてくれない。代表で点が取れていなかったので、取れて良かった。最近ロングシュートの意識を持ってやっていて、いい感じできている。こういうのを続けていけば、1つの武器になるのかなという感じ。点を取れる選手にならないと脅威にはなれない」
たぶん同じ方が書き起こしていると思うのですが、「点を取れる選手にならないと脅威にはなれない」こちらはストンと心に届いた。南アフリカ戦でも果敢にミドルシュートを狙っていた長谷部は、プレーでもコメントでもこの2試合で評価を上げたのではないか。
日本代表のキーマンだから一生懸命に耳を傾けてくれるが、若い新人なら「何を言いたいのか分からない」の一言で済まされるかもしれない。記者泣かせの俊輔。記者を泣かせるくらいならいいが、今のエスパニョールでの成績ならファンまでも泣くことになる。スペインでプレーしてスペイン語を勉強するより、日本でプレーして日本語を勉強するほうが良いのかもしれない。
posted by 直木 善久 |06:50 |
茶の間のひとりごと |
コメント(12) |
トラックバック(0)
2009年11月27日
私にも眠れない夜がある。
そんな夜はベッドで悶々とはせずに、
「眠くなってから眠ればいい」と、
パッツと起き上がってテレビをつける。
そして深夜に面白い番組に出会うことも多い。
その夜はウルフルズのライブをやっていた。
名前だけ知っている程度のウルフルズだったが、
一曲だけ、何かのテーマソングになっていた「ええねん」という曲が耳に残った。
♪何も言わんでも ええねん
何もせんでも ええねん
笑い飛ばせば ええねん
好きにするのが ええねん
感じるだけで ええねん♪
これは宗教の歌やなぁ、ええねん教。
若者の宗教離れが話題になることもあるが、
これは「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでいいという親鸞の教えと一緒やないか。
今でも日本文化には親鸞の教えが脈々と受け継がれている。
それも「ええねん」、「ええねん」、「ええねん」とお題目のように繰り返されている。
ワールドカップでキリスト教国以外が優勝したことはない。
ピッチで十字を切る選手をときどき見かけるが、
彼らは監督に選ばれただけでなく、
神にも選ばれたと信じているはずだ。
神に選ばれた人たちに勝つことは容易ではない。
神と契約した者は強い。
いつもそう感じる。
そのうち日本でも大合唱が始まるだろう。
ベスト4でもええねん。
予選敗退でもええねん。
頑張ったからええねん。
南アフリカへ行けただけでええねん。
それでええねん、ええねん、ええねん。
宗教性の違いなのでしょうか、文化の違いなのでしょうか。
これがお国柄なら「ベスト4」へ辿り着くのは難しい。
でも、この曲、けっこう気に入ってしまいました。
心地よく耳になじみ、聴いているだけで気が楽になる効果がある。
いっそ監督や選手に聴かせてみようか。
♪アイデアなんか ええねん
別になくても ええねん
ハッタリだけで ええねん♪
きっと岡田監督も楽になる。
posted by 直木 善久 |06:15 |
茶の間のひとりごと |
コメント(2) |
トラックバック(0)
2009年11月25日
エスパニョールがボールを奪って攻撃が始まる。サイドを駆け上がる俊輔が、両手を大きくハの字に広げてボールをくれとアピールしている。ところがボールは逆方向へ。俊輔の広げられた両手は、すくめた首に押し上げられて「なぜ?」というポーズに変わってしまう。
この動作はチームメイトにアピールしているのか、それとも監督に、それとも観客にアピールしているのか。ここは俊輔を中心にチームが作られていたセルティックではない。最近はベンチスタートが増えて、ピッチで両手を広げてアピールする機会も減っている。怪我と代表との合流だけが原因ではないでしょう。
このままではベンチからも姿が消えるかも知れない。なんと出場をアピールしなければいけない状況に陥っている。それは開幕戦からの記事のタイトルを追いかけるだけでも充分伝わってくる。
「デビュー戦FKで沸かせた」(8/3 ビルバオ戦)
「先発もレアルに完敗」(9/12 Rマドリード戦)
「エスパ今季初勝利、俊輔は欠場」(9/19 エスパニョール戦)
「途中出場でも即アシスト」(9/23 マラガ戦)
「3戦ぶり先発もドロー」(9/27 ヘレス戦)
「プロ最短20分で交代」(10/4 ビジャレアル戦)
「エスパ勝利、俊輔出場機会なし」(10/18 テネリフェ戦)
「本領発揮できず途中交代」(10/24 セビリア戦)
「2戦連続屈辱交代」(10/28 ヘタフェ戦=国王杯)
「俊輔出番なし、ペットボトル投げつけた」(11/1 バリャドリード戦)
「エスパ監督、会見で“俊輔は期待外れ”」(11/5)
「途中出場もエスパ敗戦」(11/8 ヒホン戦)
「同点弾演出も敗退」(11/4 ヘタフェ戦=国王杯)
「途中出場もエスパ敗れる」(11/22 ヘタフェ戦)
俊輔は上手い。ボールをもらえば自分らしいプレーを見せようとする。見せ場を作ろうとする。観客を魅了させるパスを出そうとする。しかし、それがワンプレー、ツープレー、タイミングを遅らせているのは事実だ。チームメイトも監督も観客も、もっとテンポよく右へ、左へ、前へとはたくことを期待しているのではないか。
私はオシムの言葉を思い出した。俊輔が初めてオシムジャパンに召集された07年のペルー戦後の言葉だ。
「いつも天才であろうとすると、結果は無残なものになる」
「簡単なプレーをした方が効果的だ」
俊輔もそれを理解しているはずです。まずチームの期待に答えるスタイルを選択すべきです。そうすれば俊輔の両手が天空へ向かって大きく広げられ、歓喜を表現している姿を私たちは何度も見ることができるでしょう。
手は口ほどにものを言う。パスをおねだりするポーズはしばらく封印して、早めに手を打って欲しい。
posted by 直木 善久 |08:45 |
茶の間のひとりごと |
コメント(21) |
トラックバック(0)
2009年06月28日
可哀想な人たちなんです。
働き続けて夢を実現して、
世界中から注目されるビッグネームになりながら、
クラブの経営がちょっと傾いただけで、すぐに見放されてしまう。
高い給料が足かせになって、
行き場を失った選手たちに、
私どもは救いの手を差し伸べているのです。
誰でも一度大金を掴むと、
それより安い給料で働くにはプライドが傷つきます。
モチベーションも下がってしまいます。
既に一時代を築いた方々を粗末に扱ってはいけません。
保護してあげなければいけない存在なんです。
若い選手の養成所といえるクラブは沢山ありますが
私どものように巨額の出費を顧みず、
最盛期の選手を保持できる裕福なクラブは、
そんなに多くないですから…
いわばここは夢の収容所ですね。
私たちの支持者もそれを望んでいます。
128億円?
92億円?
いえいえ、まだまだ収容出来ますよ。
かつて植民地で収奪した富を王宮に集めたように、
夢を実現した英雄をこの地に集めたいのです。
富と豪華絢爛で他を圧倒したいのです。
それが世界の頂点に立つクラブの使命だと考えています。
それに大枚をはたいた効果は、
十二分と言っても余りあるものがあります。
世界中のファンが注目してくれます。
誰でも活躍すればニュースになりますが、
活躍できなくてもニュースになるのがビッグネームですから。
もちろん追い出される選手もいます。
ここで楽しい選手生活を保障したいのではありません。
英雄たちの休息所ではありません。
金額に見合った厳しく冷たい競争が待っています。
しかし、ここで活躍できなければ諦めがつくようですね。
故郷へ戻って安い給料で働くこともできます。
選手の年棒を吊り上げているように言われますが、
きちっと正常値に戻す役割も果たしています。
ただ優勝という夢と、
スーパースターという夢が馴染みにくいのが残念ですが…
まぁ、何と言うか、そうですね。
はい。
posted by 直木 善久 |06:06 |
茶の間のひとりごと |
コメント(45) |
トラックバック(0)
2009年04月20日
「マリーシア」
この女性の名のように優しく響く言葉の意味は「ズル賢い」
なるほど、美しい女性の名前に相応しいかも…
この「マリーシア」が、日本のサッカーには欠けているらしい。
「マリーシア」を身につければ、もっと日本は強くなるらしい。
しかしその正体をあらわにして、全貌を解き明かしてくれる人はいない。
ブラジル生まれの謎の美女か。
例えば野球で、
ピンチを「隠し玉」で救っても、
負けたチームのファンは「そんな卑怯な手を使うか」と怒るに違いない。
頭脳的なプレーも、敵から見れば狡いプレー。
「狡い」と「賢い」は立場の違い。
相手の動きの裏をかく、
相手の読みの裏をかく、
そして相手の望みを遠ざける。
それを瞬時にできる才能、それが「マリーシア」です。
審判の目が届かないところでファウルを犯して、
これも「マリーシア」だと主張するのは、
汚いプレーでしか相手を止められない選手の言い訳でしょう。
ファウルはファウル、ルールはルール。
応援するチームの勝利のために、
汚いプレーを「マリーシア」と呼んで褒めたたえるなら、
一番狡いのはきっとファンに違いない。
「マリーシア」な相手に、
こちらの思惑は寸断され、未熟さばかりが際立ち、苛立ちしか残らない。
それがチームに広まって、一層敵が優位に立つ。
ピッチの外へゆっくり歩いて相手をじらす。
痛くもないのにオーバーにこけて歓心を買う。
相手の気に障ることを言う。
やはりどこか悪女に似ている。
女性の名のように優しく響く「マリーシア」
日本人選手も「マリーシア」を恋人のようにその手で捕えて、
早く我がものとせんことを…
posted by 直木 善久 |06:46 |
茶の間のひとりごと |
コメント(2) |
トラックバック(0)