2009年12月28日

プアゾンの香りがする(「今さらジーコ」Vol.9)

46. ●0―1 ペルー         キリンカップ(新潟)    2005/5/22
47. ●0―1 アラブ首長国連邦  キリンカップ(国立)    2005/5/27

(この文章は05年当時に書かれたものです。ドイツ大会まであと1年という状況です。岡田ジャパンと同時期の文章をシンクロさせるという目論見は、私の怠慢で見事に崩れてしまいました。稚拙な文章を修正している間に、どんどん時間が過ぎてしまった。追い付けるようにピッチを上げます。あの頃を思い起こしながら読んで頂ければ幸いです)

 毎日JR京都線を利用して通勤している私としては、JR宝塚線の事故(05年4月25日)以来、心中穏やかではありません。事故当日の社員のボーリング大会や事故後のゴルフコンペを、JR西日本の体質とか風土といって批判していますが、あまり枝葉末節を批判しないほうがいいでしょう。
 あくまでもJR西日本の責任は、秒単位で運行している過密ダイヤ路線に、スピード超過に対応できない古いATSを残していたことです。ボーリング大会をしようが、ゴルフコンペをしようが、スピード超過に対応できるATSさえ設置していれば、今回の事故は起こらなかった。
 改札の自動化は不正乗車を無くすために必要でしょうが、自動改札が行き渡ればICOCAの導入ではなく、先にATSの設置でしょう。ICOCA導入の費用で、どれだけのATSが設置出来たか知りたいものです。安全対策より利益優先という姿勢こそ批判されるべきです。原因は元から絶つ。

 キリンカップはどちらも相手のカウンターからの失点で完敗。しかしスポーツ紙の論調は、
「負けたけど親善試合、アジア予選で勝てばいい」
「アジア予選のバーレーン戦には海外組と故障組が戻ってくるから大丈夫」
 と、のんびり構えた記事が目立つ。選手たちも同じ発言をしている。

三浦淳宏 「本番(W杯予選)でなくてよかった」
宮本恒靖 「それほど悲観もしていない」
川口能活 「チームに危機感が生まれればよいと思う」
小野伸二 「バーレーンに勝って皆を安心させたい」
三都主 「疲れも溜まっていたし、重かった。あまり相手に対するプレッシャーもかけられなかったし、正確なパス回しもできなかった」
疲れが溜まってピッチで動き回れない選手は、次回から自らベンチスタートを申し出て欲しい。

 そしてジーコは「選手たちはサッカーの怖さを知ったと思う」と語った。ちょっと待ってください。ジーコは小学生にサッカーを教えているのでしょうか。サッカーの怖さを知らないような選手を代表に選んでいるのでしょうか。事故が起こってから、「これで社員は事故の怖さを知ったと思う」などと発言すれば、経営者は責任を問われるだけでなくその人間性が疑われます。

 そして川淵三郎は「変に勝つより負けたほうが選手の目が覚める」と語っています。ピッチで眠っている選手にとってはペルー戦とUAE戦の黒星は覚醒剤、こちらはカリカリ眠れず睡眠薬が欲しい。
 「予選じゃないんだから、そんなに怒ると血圧が上がりますよ」と友人。
 睡眠薬の次は血圧を下げる薬、それにバーレーン戦にでも負ければ胃薬も必要だ。これだけ薬があるのなら、代表が強くなる特効薬はないものか。
 「はいはい、怒らない、怒らない。でも一度病院へ行った方がいいですよ。『倒れてから病気の怖さを知った』っていうのはダメなんでしょ」
うーん。その通り。選手も負けると『薬になった』とよく言うが、薬も処方を間違えれば毒にもなる。ジーコは次に向けてどんな処方を下すのか。

ジーコ 「今までやってきたことは正しいと確信している。強い気持ちを持ち続ければ、絶対に本大会に行ける」
川淵三郎 「とにかくチーム全体から気迫が感じられない。気持ちを立て直して、積極的にやってくれるように望む」

 負けるといつも「気持ち」や「気迫」が問われますが、いつ実力の差を認識するのでしょう。一番怖いのはアジアカップ優勝や一次予選通過で、今までの方法が間違っていないとジーコが信じることではないでしょうか。
 ジーコ監督と川淵キャプテンにとって、最終予選の結果が毒薬にならないように祈っています。

posted by 直木 善久 |06:46 | 今さらジーコ | コメント(1) | トラックバック(0)
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2009年08月31日

殉教者(「今さらジーコ」Vol.8)

43. ○2―1 北朝鮮     ワールドカップ最終予選(埼玉)    2005/2/9
44. ●1―2 イラン     ワールドカップ最終予選(テヘラン)  2005/3/25
45. ○1―0 バーレーン  ワールドカップ最終予選(埼玉)    2005/3/30 

 いよいよ最終予選が始まった。メディアもファンも一段と力が入る。しかし初戦の相手はデータの少ない北朝鮮。
 その下馬評は、「実力では格下だから日本が3対0ぐらいで勝つ」という楽観的なものから、「格下のチームに着実に勝つことが難しいのがワールドカップ予選だ」と懐疑的なもの、そして「3大会ぶりに出場する北朝鮮はデータ不足で戦いにくい相手」と不安視する声も聞かれる。

 いざフタを開けてみると、開始早々に先取点を取って不安を一掃する最高の滑り出し、しかし先取した途端に選手とボールの動きが緩慢になってしまう。一方、北朝鮮はワンタッチ、ツータッチのパスを着実につなぐ攻撃が、時間の経過とともに安定してくる。
 先取点で「今日は行ける、今日は勝てる」と思った選手が、自分のパフォーマンスを見せようとしていた。そして選手間に微妙なズレが生じる。パスがつながらない。スルーパスのタイミングも合わない。ボールを持つと迷子になった子供のように、みんなキョロキョロし始める。
 ボールを持って考えている間にパスルートは塞がれ、とうとう後半16分に追い付かれてしまった。素晴らしいフリーキックで先取点を決めた小笠原満男は、翌日のスポーツ各紙で絶賛されていたけど、先取点を取ってから同点に追い付かれるまでの試合の流れを作った責任は大きい。
 同点になると再び選手とボールが速く動き始める。この動きを1点先取した後の、北朝鮮がまだ落ち着いていない時間帯にどうして出来ないのでしょう。そうすればもっと楽に勝てていたはず。

 追い付かれた後の速い攻撃を組み立てていたのは、後半21分に登場した中村俊輔です。決してあせらず、浮き足立たず、跳ね返されても、繰り返し、繰り返し、体制を作り直して波のような攻撃を繰り返していた。俊輔の強い意志が、後半34分に投入された大黒将志の決勝ゴールを生んだと言ってもいい。
 試合後に川淵三郎は、「今日の勝利はなんと言っても大黒だけど、このチームにまだ、中田英寿、稲本潤一、小野伸二、大久保嘉人などの海外組で、かさ上げが出来るのが楽しみだ」と語っている。かさ上げは若手の台頭でするもの、この発言は単に海外組の地位は安泰だと保障しただけではないか。

 そしてそのかさ上げされたチームでイラン戦は負けてしまいます。試合後の選手のコメントは…

 高原直泰(ハンブルガーSV)「動くタイミングが分からなかった」
 玉田圭司(柏レイソル)「前線で孤立していた」
 中村俊輔(レッジーナ)「連係がスムーズにいっていなかった」
 宮本恒靖(ガンバ大阪)「もうすこしうまくボールを回せれば良かった」
 小野伸二(フェイエノールト)「ロングボールばかり蹴ってしまうとFWが生きない」
 三浦淳宏(ヴィッセル神戸)「気持ちを切り替えないといけないと…」

 ドイツで合宿してから敵地へ乗り込んだのに、まるで誕生したばかりのチームで戦ったような発言ばかり。海外組と国内組の差が少ない日本では、呼び寄せた海外組を優先して起用するのではなく、チームの基軸を国内組で構成し、その弱点を海外組で補うという手法が順当でしょう。
 思い起こせばジーコは就任当初、呼び寄せた海外組を多用して勝てない時期がありました。しかし国内組主体のメンバーでリズムを掴んで勝ち始め、海外組は俊輔と川口だけという布陣でアジアカップに優勝し、北朝鮮戦では中村俊輔をスーパーサブとして起用して勝っています。しかし次のイラン戦は、再び呼び寄せた海外組を多用して負けてしまう。同じ失敗を繰り返しています。

 そしてイランから戻って5日後、最終予選3戦目の相手はバーレーン。ここで星を落とせば、ジーコ監督の更迭問題が再び浮上します。そんな運命の分かれ道、天下の大一番は相手のオウンゴールによって勝利が舞い込みます。オウンゴールの勝ちも勝ち。攻めているからオウンゴールも生まれる。勝利を祝福すればいいじゃないか。しかし、しかし「ジーコはツイている」という印象しか残らない試合でした。
 ジーコジャパンの初勝利からここに至るまで。ジーコは窮地に立つたびに幸運に助けられてきたように見えます。まぁ、運も実力のうち。無いよりも有る方がいいに決まっている。このままワールドカップまで強運が持続しますように…とうとう神頼みのような心境になってしまう。

 勝利を祝う群衆の中で、一人怒りを押し殺している。祭りを遠くから眺める犯罪者のような気分だ。どれだけ多くの言葉を駆使して切り込んでも、幸運と勝利の前では批判など色あせて力を失ってしまう。喜べない達成感、悲しめない無力感。今の気持ちをどのように表現すればいいのだろう。
 松田直樹が自ら代表合宿から去ったらしい。詳細は分からないが、松田も閉塞感を感じていたのではないか。ジーコの教えに逆らい、自らの信念を押し通した殉教者のように思えてくる。自らの意思で代表から去った松田を私は支持したい。ちょっと乱暴な殉教者だけど…

posted by 直木 善久 |06:25 | 今さらジーコ | コメント(3) | トラックバック(0)
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2009年08月22日

応援よろしくお願いします(「今さらジーコ」Vol.7)

41. ○4―0 カザフスタン  国際親善試合(横浜国際)    2005/1/29
42. ○3―0 シリア      国際親善試合(埼玉)       2005/2/2

 年が明けて2005年、今年はいいニュースで始まった。
 スペインリーグのマジョルカに移籍した大久保嘉人が、初戦のデポルティボ戦で1ゴール1アシストを決め、最高のスタートを切った。
 「GKの動きは読めたし、右隅に狙い通りにボールが飛んだ」
 「ゴールは足で決めようと思っていたから、ヘディングは予想外だった」
 鮮烈なデビューだったが、試合後のインタビューには冷静に答えている。一夜にしてマジョルカの英雄になった大久保。マークが厳しくなっても結果を出し続けてほしい。

 最近よく耳にする言葉があります。試合後のインタビューの定番といえる「これからも応援よろしくお願いします」、しかし私はこの言葉が好きになれません。わざわざお願いされなくても、実力の世界ではあんたが凄ければファンになる。面白い試合を見せてくれたら応援もする。大久保は結果を出してマジョルカのファンを獲得した。
 「応援よろしくお願いします」、アイドルのキャンペーンでもあるまいし、お願いしなければ一票がもらえない無能な政治家でもあるまいし。私には「活躍できなくても応援してね」と聞こえる。自信がないからお願いする。ファンは大事にしても、へりくだることはない。

 「応援に後押しされて勝てました」と言うのはファンへのリップサービス。「全員でとった得点です」と言うのはチームメイトへの心遣い。社交辞令だけで自分の言葉が無いなら何も伝わってこない。インタビュアーも「今の率直な気持ちは?」、「次に向けた抱負を」、「最後にファンの皆様に」などと決まりきった質問を繰り返せば、答える側も同じことを繰り返すしかない。

 日本では生意気よりも謙虚さが人気につながるのでしょうが、それにしてももっと選手の生の声を聞いてみたい。卓球の福原愛がまだ高校生の頃に、0対2から逆転勝ちしたあとのインタビューで、「これで自信がつきましたね」と問われて、少し考えてから「そんなきれい事じゃないと思います」と答えた。インタビュアーの誘いに乗らない姿勢に、それ以来私は福原ファンになりました。

 何も饒舌を期待しているのではありません。何も言う事が無ければ、久保竜彦のように何を聞かれても「嬉しいっす」「嬉しいっす」を繰り返すテクニックくらいは身に付けたほうがいい。まぁ、あれはテクニックとして身に付けたものではないでしょうが…

 負けたときによく「いい経験になった」と言いますが、いい経験か、役にも立たない経験か、それは時間が経たないと分からない。試合が終わった途端に「いい経験になった」と言うのは「責任を追及しないでください」と言っているのと同じこと。それではいくら「いい経験」を繰り返しても、将来「悪い経験」をすることになる。

 「失敗は人間を強くしますから…」と、試合後のインタビューで答えていたオリンピック代表選手がいた。この選手も失敗ばかりしてきたのにどうして強くならなかったのか、数年後に悩むことになるでしょう。「そんなきれい事じゃない」、常套句の落とし穴に、発言した本人が嵌ってしまう。

 この年の初戦のカザフスタン戦で、後半から阿部勇樹が代表初出場、後半32分から大黒将志も初登場、ちょっと新鮮な風がスタジアムを吹き抜けて試合は4対0で快勝した。
 続くシリア戦は、シリアが退場者を出して自滅したものの、国内組だけで3対0と2試合続けて失点ゼロ。

宮本恒靖「欧州組の合流時期は大きな問題です。自分たちがベースにならないといけない」
小笠原満男「今まで試合に出られない人もいたし、海外組が戻って来ても、出られるようにしたい。チャンスをものにしたい」
福西崇史「この試合の位置づけは北朝鮮戦なんだろうけれども、その試合に出るためのアピールの場でもある」
遠藤保仁「自分としては常にピッチに立っていたい。最終予選は特にその思いが強い。そのために北朝鮮戦に向けて、明日の試合はラストアピールになる。福西も浩二も、みんなピッチに立ちたいという思いは強い。海外組は帰国してからコンディションの問題がある。こっちは100パーセントのコンディションで、ピッチに立ったときにいいプレーをするだけ。あとは監督しだいだと思う」

 試合を前に心情を吐露していた選手たち。誰も「応援よろしくお願いします」などと呑気な言葉は口にしない。戦いに挑んでいるなら当然です。自己と戦い、ライバルと戦い、敵と戦い、そのうえ結果を残しても採用しない監督と戦っている。
 次の北朝鮮戦でも海外組を多用して、この2試合で築いたものを切り崩して戦う筈です。大久保のように選手はチャレンジしているのに、監督は海外組に頼り切っている。

 シリア戦後にジーコは、
 「目的を明確に持っていたからこそ、こういった内容のいい試合ができた」
 と語っています。こんな自画自賛は「美味しいラーメンの店」という看板と同じ。美味いか不味いかは客が決める。そのうちジーコも言い出すかもしれない。
 「応援よろしくお願いします」

posted by 直木 善久 |06:40 | 今さらジーコ | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年08月14日

政治家ジーコ(「今さらジーコ」Vol.6)

37. ○4―0 インド      ワールドカップ一次予選(コルカタ)    2004/9/8
38. ○1―0 オマーン    ワールドカップ一次予選(マスカット)   2004/10/13
39. ○1―0 シンガポール ワールドカップ一次予選(埼玉)      2004/11/17
40. ●0―3 ドイツ      国際親善試合(横浜国際)         2004/12/16

 最終予選進出を決めたオマーン戦の翌日、サンケイスポーツ(関西版)の一面は、「岡田聞く耳もたん、佐藤コーチ捨てゼリフ」、退団する阪神タイガースの佐藤義則ピッチングコーチの談話がのっていた。オマーン戦が間に合わないにしても「これが一面か」(阪神ファンごめんなさい)と思いながら新聞を裏返すと「カズ&ゴン代表に」、目が点になった。

 最終予選進出を決めてシンガポール戦が消化試合になったら、三浦知良と中山雅史を招集するとジーコが発言したらしい。消化試合なら控えの選手を起用するか、未知なる戦力を試すのが当たり前やと思うけど。
 カズやゴンを呼ぶ理由は、彼らが「功労者だから」と説明している。功労者とは過去を評価した言葉、二人に失礼です。呼ぶなら「今でも充分通用するから」と言うべきでしょう。それに功労者なら他にもたくさんいる。いっそ川淵三郎を走らせてみたらどうか。これは相手チームに失礼ですが…
 何の脈略もない選手起用。一緒に戦ってきた選手を軽んじる発言。ジーコの発案は視聴率やチケットの売り上げを心配する代理店的発想です。「海外組」と「国内組」の次は「功労者組」、これでは選手層は厚くならない。
 それとも消化試合ならアジアカップの優勝と一次予選通過を祝って、カーニバルのように楽しく盛り上げようという趣向なのでしょうか。まだ最終予選が残っています。企画よりもゲームの内容そのもので、視聴率やチケット販売に貢献して下さい。ジーコも聞く耳もたんのか。

 オマーン戦前日の会見でジーコは次のように語っていました。
 「代表監督に就任すれば、いつかこういうときが来ると覚悟していた」
 「いつかこういう時が来る」
 こんな運命の分かれ道に立ったような発言は、やはり最終予選で発して欲しい。
 すると試合後の会見で川淵三郎は…
 「これまでいろんな監督を見てきたが、これだけ我慢強く選手たちを信頼する監督を私は知らない。私自身はジーコに対して不安を感じることもあったが、それは私の彼への信頼感が低かったということなのかな(笑)」、そして「今日は皆さんにおごりたいくらいだ(笑)」。
 「不安を感じることもあった」すでに過去形。不安は一掃出来たのでしょうか。「おごる」のは最終予選が終わってからがいいかもしれません。きっと明日のスポーツ紙もお祭り騒ぎか。

 結局カズ&ゴンの招集は見送られました。アジアカップ優勝、一次予選通過、こんな時期にジーコを批判しても、誰も耳を貸してくれません。私は難しいことを言っているとは思いません。難しく考えるつもりもありません。ごくごく一般的な考え方をしたい。
 売り上げを伸ばす企業もあれば、失敗する企業もあります。成功する企業は、経営者が指導力を発揮し、状況の変化に合わせて柔軟な戦略の修正を行い、絶えず新しい人材を育て現場に投入する。そして目先の利益を追い求める株主にも振り回されない。それはどんな業界、どんな組織でも同じではないでしょうか。失敗するにも、成功するにも原因がある。私は聞く耳を持っていますから、誰かジーコのコンセプトと戦略を説明してください。

 「自由」というのは厄介な言葉です。「自由」が厄介なのではなく「自由を尊重する」と発言する人を批判する作業が厄介になる。何故なら「自由」そのものを批判しているように聞こえるからです。
 単に「自由」といってもいろいろある。商業主義が醸し出す幻想のような「自由」もある。だから「自由」と言う言葉は必ず、「権力からの自由」、「差別からの自由」、または「報道の自由」、「表現の自由」というように、自由を妨げているものや目的を示さないと、非常に曖昧な言葉になってしまう。

 ジーコが選手に与えた「自由」は、どのような「自由」なのでしょうか。「自由な練習」、「自由闊達な動き」、「発想の自由」、「自由を与えて責任感を意識させる」しかし、残念ながらそこに具体的に触れたジーコの言葉には出会えません。
 「私の指導はここまで、あとは選手の自由に任せる」、それならどこに線が引かれているのかハッキリ示すべきでしょう。
 「自由」がいいのか悪いのか、そのように問うから厄介になる。自由であっても、規律を重んじても、それが監督のスタイルなら尊重すればいい。「規律」を重んじる監督から指示に従わないと外された選手と、「自由」を標榜する監督から「自由」を理解していないと外される選手を比べて、どちらが正当かを問うても意味がありません。

 リーグでは監督と対立してもチームを替えることが可能ですが、代表では出来ません。代表を諦めるしかない。それなら代表選手は日本で一番不自由な選手です。その一番不自由な選手にジーコは「自由」を与えている。
 「自由」云々ではなく、監督としての仕事、情報収集、相手チームの分析、コーチと選手の掌握、選手への的確な指示、それらが出来ているかを問題にすべきでしょう。ジーコはいつも「隠し事をしないこと」、「選手を信頼していること」を強調していますが、もしも「自由」や「正直」や「信頼」を掲げる人が批判されにくいと知って語っているなら、ジーコはかなり「政治家」です。

posted by 直木 善久 |06:17 | 今さらジーコ | コメント(8) | トラックバック(0)
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2009年08月08日

ツアー企画書を作ってください(「今さらジーコ」Vol.5)

30. ○1―0 オマーン        アジアカップ予選リーグ(重慶)  2004/7/20
31. ○4―1 タイ           アジアカップ予選リーグ(重慶)  2004/7/24
32. △0―0 イラン          アジアカップ予選リーグ(重慶)   2004/7/28
33. ○1―1(PK4―3)ヨルダン  アジアカップ準々決勝(重慶)    2004/7/31
34. ○4―3 バーレーン      アジアカップ準決勝(済南)     2004/8/3
35. ○3―1 中国          アジアカップ決勝(北京)        2004/8/7
36. ●1―2 アルゼンチン     国際親善試合(静岡)        2004/8/18

 アジアカップの緒戦、中継が始まるとスタジアムが騒がしい。君が代が流れても収まらない。一部の観客が騒いでいるのかと思ったら、スタジアム全体にブーイングが鳴り響いていた。開催国に歓迎されないどころか、挨拶代わりに2、3発張り倒されたような気分になる。
 かつて日本が無差別爆撃をした重慶なら、ブーイングが起こるのも当然かも知れません。しかし、「民主化運動」という政府へのブーイングが弾圧される国で、市民自らが発するブーイングが聞けるわけがありません。反日のために動員された人たちが煽っているに違いない。試合はブーイングの嵐の中で始まった。
 ところが、選手の動きを見て喜んだ。ブーイングがいつもの「立ち上がりぬるま湯サッカー」をさせていない。このブーイングの中でブザマな負け方は出来ないと、試合開始直後から選手たちは強い意志を全身にみなぎらせている。これなら勝てる。ブーイング、もっとブーイングを!
 一次予選でてこずったオマーンを相手に、前半33分の中村俊輔のゴールを守り切って初戦をものにした。試合後に日本大使館員の車が襲われたが、こんな中国へ観光旅行に出掛ける日本人が減れば、中国政府も少しは考えるでしょう。
 続くタイ戦は前半12分に失点するが、21分に中村のフリーキックで追い付いた。後半12分に三都主の左コーナーキックのこぼれ玉を中澤佑二が決めて逆転、24分に右コーナーキックをショートして福西崇史がヘディングで決め、43分にも左コーナーキックをショートして中澤がヘディングで決めた。終わってみれば4対1の完勝。
 そして次のイラン戦を引き分けて、2勝1分けで決勝トーナメントに進んだ。しかし中国側はブーイングが逆効果だと気づかない。柔軟な対応が出来ない国らしい。

 圧巻は準々決勝のヨルダン戦。画面から気迫が飛び出して来そうな素晴らしいゲームを見せた。両者とも早い時間に得た1点を守りきって延長戦に突入。延長戦も日本が攻め続けたが得点できず、勝負はPK戦に持ち込まれた。
 そのPK戦で1人目の俊輔と2人目の三都主が外してしまう。PK地点の緩んだ芝の状態を見極めて、冷静にサイドチェンジを要求する宮本恒靖。
 サイドチェンジ後にラテブが決めて0対2、続いて福西と中田浩二が決めると、川口能活がヨルダンの4人目シュボウルのボールを左手一本でセーブした。これで2対3。死の淵に立ち続ける川口。次の鈴木隆行が決め、ファイサルが外して3対3。しかし続く6人目の中澤が外してしまう。窮地に追い詰められた川口は、アナスの右上を狙ったシュートを横っ飛びで止めた。これぞ技術と精神力の一致。
 そして宮本が決めて4対3とリードし、バシャルの蹴ったボールがポストに弾かれて決着がついた。これでベスト4に進出。選手たちは最初から最後まで、体中にアドレナリンを充満させていた。
 ジーコジャパンここまでで最高の試合。裏返せば危うい試合に違いないが、追い詰められた逆境を跳ね返して勝った底力を褒め称えたい。ジーコには申し訳ないが、トルシエを思い出してしまった。トルシエの罵声は大観衆のブーイングと同じ威力を発していたのかもしれない。

 済南に移動して準決勝のバーレーン戦。前半6分にA・フルバルのゴールで先制を許してしまい、そのうえ40分に遠藤保仁が一発退場になった。しかし後半早々の3分に俊輔の左コーナーキックを中田浩二がヘディングで決めて追いつき、10分に中田浩二のパスを玉田圭司が決めて逆転。
 しかし26分に再びA・フルバルのゴールで同点に、そして残り5分にナゼルのシュートが決まって土壇場で逆転されてしまう。いつもならここで嫌なムードが漂うが、張り詰めた糸が一段と強く張り詰められても集中力は途切れない。背後にはまだ冷静さが漂っている。
 ロスタイムに中澤佑二のヘッドで追いつく。チームの一体感が手に取るように伝わってくる。数的不利を跳ね返す戦いに鳥肌が立ち続ける。
 延長戦前半3分にカウンターから玉田が突破してキーパーと1対1になり、落ち着いてゴールネットを揺らしてバーレーンを突き放した。そのまま4対3で試合終了。日本ってこんなに粘り強いチームでしたっけ。強いから勝つのではなくて、勝つから強くなる。頼もしい選手たち。ブーイング部隊も十二分に楽しめたことでしょう。

 アジアカップの海外組は俊輔と川口の二人だけ。ジーコは「オリンピック代表やケガで招集出来なかった選手が8人いた」と発言しましたが、彼らが戻って来ても、今回のメンバーを簡単に入れ替えることのないようにお願いします。今回得た自信と財産をしばらく見守って欲しい。
 そして北京へ移動して、開催国の中国と完全アウェイの決勝戦。しかし今大会で一番安定した強さを見せつけ、福西、中田浩二、玉田の得点で3対1と打ち負かした。堂々とした戦いぶり。今日のブーイングは、ふがいない自国チームに向けられたものでしょうか?
 優勝出来ないという私の予想なんか外れて万々歳。ジーコは「選手の闘志に感謝したい」と語ったが、何よりもまず中国の盛大なるブーイングに感謝しなければなりません。

 そして、アジアカップの優勝から2週間も経っていないアルゼンチン戦を見たら、なんと元の「ぬるま湯サッカー」に戻っとるやないか!シュート16本のアルゼンチンに対して日本は3本。「日本にブーイングするツアー」を企画して、大量の中国人をワールドカップ予選に送り込みましょう。

(アジアカップの優勝、それがジーコの放任主義の結果なら何よりも選手たちを褒めてあげたい。後から知ったのですが、このアルゼンチン戦はマッチメイクをめぐってジーコと協会が初めて対立した試合だったんですね)

posted by 直木 善久 |06:58 | 今さらジーコ | コメント(7) | トラックバック(0)
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2009年07月28日

勝利ほど雄弁なものはない(「今さらジーコ」Vol.4)

23. ●2―3 ハンガリー    国際親善試合(ブダペスト)     2004/4/25
24. ○1―0 チェコ       国際親善試合(プラハ)        2004/4/28
25. ○3―2 アイスランド    国際親善試合(マンチェスター)   2004/5/30
26. △1―1 イングランド    国際親善試合(マンチェスター)   2004/6/1
27. ○7―0 インド       ワールドカップ一次予選(埼玉)   2004/6/9
28. ○3―1 スロバキア    キリンカップ(広島)           2004/7/9
29. ○1―0 セルビア・モンテネグロ  キリンカップ(横浜国際)  2004/7/13

 ワールドカップ予選の立ち上がりこそ少し躓いたものの、そのあとの東欧遠征では欧州選手権の優勝候補といわれていたチェコに勝ち、次のイングランド遠征ではイングランドに1点ビハインドの後半に追い付いて引き分けた。アジア予選の3戦目のインドには大勝、キリンカップはスロバキアとセルビア・モンテネグロに勝って優勝。

 ここ10試合は8勝1分け1敗でジーコ解任要求は消滅。ジーコ批判派も、ジーコ懐疑派も口を閉ざしてしまいます。孤軍奮闘してジーコ批判を続けていたセルジオ越後でさえ、チェコ戦では…
 「練習試合のような気持ちで挑んできたチェコに勝って、ちょっとひと息ついた」
 イングランド戦では…
 「ドローに終わったけど、選手たちから勝てなかった悔しさが感じられなかった」
 「いまの日本には『もう1点』の姿勢が足りない」
 と、辛口度が少々低調になっている。(セルジオ越後著「日本サッカー黙示録」より)

 中村俊輔はジーコ監督について次のように書いています。
 「ジーコ監督は、僕にトップ下を任せてくれた。記者会見などで、僕への信頼を言葉にしてくれたこともある。でも、ジーコ監督はあまり僕に話しかけることはなかった。でもそのぶん、託されているんだという気持ちになった」(中村俊輔著「察知力」より)
 私にはトップ下を任せた選手とあまり話をしない監督というのが想像できない。

 この頃のジーコジャパンを回想して、川淵三郎は次のように書いています。
 「鹿島アントラーズをつくり上げた時の姿をイメージし、選手をジーコなりの厳しさで指導してくれるのかなと思い、フィリップ・トルシエの後任に指名したのは、ほかでもないこの私である。ところが、監督に就任したジーコは鹿島時代とは一転して『教えない監督』になった。これには私も戸惑った」(川淵三郎著「虹を掴む」より)
 監督就任から2年が経った折り返し地点では、まだ決断する余地が残っていたのではないでしょうか。しかし戸惑った挙句に、
 「もう、ジーコの能力について、ごちゃごちゃと考えるのはよそう。そこで私も踏ん切りというか、悟りを開いたのである」
 折り返し地点で会長は悟りの境地に入り、ファンは諦めの境地に入った。川淵が「ごちゃごちゃ」という言葉で切り捨てたものに、私はこだわり続けたい。

 トルシエ時代は日本がトルシエから学んだだけでなく、その異文化としての存在が、サッカー界全体に刺激を与え、対立が化学変化を起こし、変容のダイナミズムが水面下でうごめいていたのを、協会やメディアは見落としていた。
 ジーコジャパンは勝ち続けているが、水面下ではトルシエの遺産が食い潰され、若手は代表を通して海外へ羽ばたく可能性を失い、急激に過去の日本代表へと戻りつつあるのをまた見落としているのではないか。ジーコの手法に変更が加えられて勝利に結びついたのではなく、多くの問題はなおざりにされたまま残っている。

 「これじゃダメだ」、「ジーコではあかん」と周囲に漏らしても、返ってくる答えは「勝っているじゃないですか」。確かに勝負ですから、勝利ほど雄弁なものはありません。歯がゆさを感じるファンは少数派となって、徐々に隅へと追いやられていきます。
 個人的にはその歯がゆさが、ジーコについて書き始めるきっかけになりました。
 「強くなっていくのが、手に取るように分かる代表が見たい」
 「サッカーはもっとダイナミックでエキサイティングなはずだ」
 「面白くないサッカーを、書き足して面白くしよう」
 このようにして私の記述癖が始まります。

 日本のサッカーは海外から有能な指導者を招いて成長してきました。有能な指導者は基礎からチームを作り上げるので、就任中よりも退任後の次の大会でよりよい結果が出ます。デットマール・クラマーは東京オリンピックでベスト8、しかし次のメキシコでは銅メダルを獲得しました。ハンス・オフトは「ドーハの悲劇」でアメリカ大会を逃しますが、次のフランス大会で初出場を果たしています。
 トルシエで決勝トーナメントへ進出したのなら、ドイツではジーコ本人が言うように当然もっと上が狙えるはずです。さて、いよいよその試金石といえるアジアカップが始まります。私は当然良い結果は望めないと予測していました。しかし…

(次回から、リアルタイムで当時に書いていた文章を掲載します。総論を先に書いてしまう形になりましたが、次回からは個々の試合に触れながら、ファンとしての一喜一憂を書くことになります。加筆修正すれば稚拙な文章はなんとかなりますが、稚拙な内容はなんともなりません。当時を思い出しながら読んでみてください。引き続きよろしくお願いします)

posted by 直木 善久 |05:02 | 今さらジーコ | コメント(6) | トラックバック(0)
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2009年07月22日

闇に葬られるモチベーション(「今さらジーコ」Vol.3)

16. ○2―0 中国       東アジア選手権(国立)       2003/12/4
17. ○1―0 香港       東アジア選手権(埼玉)       2003/12/7
18. △0―0 韓国       東アジア選手権(横浜国際)    2003/12/10
19. ○4―0 マレーシア    国際親善試合(カシマ)       2004/2/7
20. ○2―0 イラク       国際親善試合(国立)        2004/2/12
21. ○1―0 オマーン     ワールドカップ一次予選(埼玉)  2004/2/18
22. ○2―1 シンガポール  ワールドカップ一次予選(ジャランバサール) 2004/3/31

 東アジア選手権は国内組だけで戦って得失点差の準優勝、次のマレーシア戦もイラク戦も国内組で勝利、しかしワールドカップ予選が始まると、呼び寄せた海外組をすべて先発させます。国内組が残した結果を否定したのも同然、国内組のモチベーションを闇に葬りました。

 アジア予選の最初の相手はオマーン。ボールを支配してもコンビネーションが悪ければゴールまでたどり着けません。中村俊輔のPKが止められて、重苦しいムードが漂う。後半から柳沢敦に代わって投入された久保竜彦が、ロスタイムにゴール決めてかろうじて勝った。
 ここから始まる長い綱渡りを暗示したゲーム。コンビネーションが悪い海外組で右へ落ちるか、格上には力不足の国内組で左へ落ちるか。

 放任主義を貫くなら、個人のスキルアップにしか期待出来ません。それなら失敗を恐れず果敢に挑戦する選手を使って欲しい。単に人気選手を集めて、フォーメーションにはめ込んで、自由にプレーしなさいと言うのなら、ジーコは自身の立場をブラジル代表監督と勘違いしている。

 放任主義と言ってもピッチの上だけで、夜に飲みに出る自由はないらしい。2月の強化合宿中に無断外出した8名を、「信頼を裏切った」として3月のシンガポール戦から外します。処分を下すまで1カ月以上が経ち、既に2試合を消化していた。この石橋を叩いて渡る慎重さは、熟考を重ねたというより決断力の甘さのように映る。
 問題をテキパキ解決できない指導者に魅力は感じない。無断外出は、海外組が戻れば出来不出来に関係なく外される国内組の抗議だと、私は勝手に解釈して納得しています。闇に葬った国内組のモチベーションが形を変えて噴出したと。
 川淵三郎は「ジーコは選手への信頼が強いから、怒りも大きい」と発言していますが、果たして信頼を裏切っているのはどちらでしょうか?

 トルシエ時代にオリンピック代表合宿から無断外出した柳沢敦を思い出しました。一旦代表から外されますが、トルシエはおとなしい日本人選手の中で「柳沢の大胆な行動は貴重だ」ともとれる発言をしました。その時と同じように、今回もしばらくすれば代表に戻ってくると考えていたのですが…
 「日本を代表する選手は国民の鏡でなければいけない」と協会が主張するのは理解できます。しかし処分を下すなら公平に、明確に下すのが道理ではないか。
 久保(結果的に1試合の出場停止)や、小笠原(結果的に3試合の出場停止)の復帰は話題になりましたが、奥大介と山田暢久は二度と召集されることはありません。2人が外れた理由は何なんでしょうか。復帰させるなら一旦すべてを元の鞘に戻して、そこから再び人選を始めるべきでしょう。選手に対するフォローが出来ない人は、人の上に立つべきではない。

 無断外出した8名を欠いて戦うことのなったシンガポール戦には、新たに曽ケ端準、玉田圭司、永田充、西紀寛が召集されますが、いつものように海外組主体のメンバーで始まった。
 前半に高原直泰のゴールで先制するも、後半18分に追い付かれる。そして22分に中村俊輔に代わって投入された藤田俊哉が37分にゴールを決めて逃げ切る。勝つには勝ったがボールを支配していてもイージーミスが多く、試合後に中田英寿は「最低の内容」と吐き捨て、中村俊輔でさえ「次も同じならワールドカップはない」と言い残す試合をしてしまいます。

 海外組が戻ればいつも控えに回っていた遠藤保仁は、当時を振り返って次のように語っています。
 「アウェイのシンガポール戦のように国内組みはジックリ調整しているのに、2日前に現地入りした海外組を起用し、2-1でやっとの思いで勝った試合を見ていると、『なんで海外組なの』って思いたくなる」
 「ある日、俺はジーコに、『どうやったら使ってくれるんですか』って聞いた。そうしたら『もっと守備を磨け』『パスの質を高めろ』『運動量を増やせ』とか当たり前のことしか言われなかった。『これらのレベルを海外組よりも高めれば起用する』って言っていたけど、ジーコの中では完全に選手の序列が決まっていた」(遠藤保仁著「自然体」より)

 徐々に「若手を育てない」、「選手のコンディション管理が無頓着すぎる」という具体的な指摘から、「負けると言い訳をする」、「批判すると怒り出す」などとその人間性に対するも批判も次第に増えていきます。
 しかし人間性にうるさい川淵三郎は不問、白星を重ねていればサポーターの解任要求も尻すぼみ。しかし、それはジーコが認められたのではなく、安直に海外組に頼ることによって国内組を応援するファンのモチベーションも一緒に葬られ、代表がJリーグを刺激せずにサッカー熱が冷めていく、その予兆ではなかったか。

(当時残していたメモをもとに書いていますが、今回は「国内組のモチベーションを闇に葬る」、「予選という長い綱渡り」、「信頼を裏切っているのはどっち?」などの言葉を活用しました)

posted by 直木 善久 |05:53 | 今さらジーコ | コメント(7) | トラックバック(0)
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2009年07月18日

ジーコは日本をよく知っていた(「今さらジーコ」Vol.2)

8.  ○3―0 ニュージーランド  コンフェデ杯(サンドニ)       2003/6/18
9.  ●1―2 フランス        コンフェデ杯(サンテチエンヌ)  2003/6/20
10. ●0―1 コロンビア      コンフェデ杯(サンテチエンヌ)  2003/6/22
11. ○3―0 ナイジェリア     国際親善試合(国立)       2003/8/20
12. ●0―1 セネガル       国際親善試合(新潟)       2003/9/10
13. ○1―0 チュニジア       国際親善試合(チュニス)     2003/10/8
14. △1―1 ルーマニア      国際親善試合(ブカレスト)    2003/10/11
15. △0―0 カメルーン      国際親善試合(大分)        2003/11/19

 ジーコの本名はアルトゥール・アントゥネス・コインブラ。ジーコは「やせっぽち」という意味の愛称です。
 1953年(昭和28年)にブラジルのリオデジャネイロ郊外で生まれ、18歳でリオデジャネイロの名門フラメンゴに入団します。そこで中心選手として13年間プレーして、ブラジル選手権優勝が4回、1981年にはコパ・リベルタドーレスとインターコンチネンタルカップを手にしました。その後、セリエAのウディネーゼに移籍、2シーズンプレーして再びフラメンゴに戻っています。

 ブラジル代表としては、1982年のスペイン大会で「ブラジル史上最も魅力的な」と称えられた中盤「黄金のカルテット」の一角を担いますが、2次リーグで敗退。ワールドカップには計3回出場していますが、ケガなどの不運もあり、決して活躍できたとは言えません。
 ブラジルで一旦引退した後に住友金属サッカー部に入団、Jリーグが始まってからは鹿島アントラーズでプレーし、チームをJリーグの強豪に押し上げる原動力として働きます。「サッカーの神様」と呼ばれてJリーグの象徴的役割を果たし、現役を退いてからもテクニカルアドバイザーとして鹿島に残り、そして2002年にトルシエの後任として代表監督に就任。来日から11年目の出来事です。

 川淵三郎はジーコを選んだ理由に、「日本をよく知っている」ことをあげます。しかしジーコが日本人や日本文化について語るのをあまり聞いたことはありません。
 それに日本は予選を勝ち上がってワールドカップに出場したのは1回だけ、まだまだ「日本をよく知っている」監督ではなく、「世界をよく知っている」監督を選ぶ時期でしょう。
 そもそも監督未経験の監督を選ぶこと自体が賭けのような行為です。初めて務める監督が代表監督という大役なら、本人も不安だったに違いない。「私の人生のテーマは挑戦」と語るジーコですが、代表監督就任後は「挑戦」よりも手堅く「安全策」を選び、それが海外組重視につながり、若手の起用に対して消極的になった原因でしょう。
 そのうえ監督業を学びつつある監督が、練習で選手の自主性に任せる手法を貫けば、それが日本人に合っている、合っていないと議論する以前に、教える過程で生じる失敗や成功から、監督自身が学ぶことを放棄したのではないでしょうか。自習時間しか言い渡さない教師なら、手抜きと判断されても仕方ない。
 日本では人気選手を起用して負けても、メディアは「よく頑張った」と書いてくれますが、新戦力を起用して負ければすぐに監督の手腕を問います。
 ジーコは初の代表監督を無難にこなしたい。そのためにメディアに迎合し、協会とは協調する。そのうえ協会に素直に従っていれば、何か問題が起こっても責任は協会にあると主張できる。
 確かにジーコは前任者と違って、波風を立てない日本流。さすがに「日本をよく知っている」。

 就任会見でスタッフの選考に関して「私の方から協会に対して、『こうしてもらわなければ困る』ということを言うつもりはない」と語っていましたが、結局日本人コーチがスタッフに加わりません。
 川淵三郎自身がジーコと太いパイプで結ばれているなら、パイプ役などいらないと判断したのでしょう。それとも協会の要望をすべて受け入れるジーコなら、パイプ役が必要な問題など起こらないと判断したのでしょうか。しかし、これで日本人コーチがジーコの流儀を学ぶ機会を失い、監督と選手のパイプ役も失ったことになります。

 問題はこれだけではありません。ジーコは先発メンバーを公表します。そして練習はすべて公開します。これも秘密主義を嫌う日本人への配慮なのでしょうか。
 状況を判断して決めるべきことを、「必ず○○する」という対応で済ますのは、思考の停止に過ぎません。柔軟性の欠如は、相手の戦略を立てやすくするだけ。監督としては一番取ってはいけない行動だと思いますが…

 川淵キャプテンは次のように語っています。
 「トルシエとジーコ、ふたりの監督のもとで主将を務めた宮本恒靖は『トルシエのあとが、ジーコでよかった』とよく言う。そのとおりだと私も思う。この順序が逆だったらとても接ぎ木として成り立たなかっただろう」
 しかし、ジーコという接ぎ木はトルシエの遺産という幹に寄生して、養分を吸い取っているのが現実ではないか。もしもこのままドイツ大会まで突き進むのなら、大変なのはジーコの次の監督でしょう。一から水をやって苗木を育てることになる。

 コンフェデ杯はグループリーグ敗退。ここまでの15戦で4勝5分け6敗、トルシエならボコボコに非難される成績です。ジーコも「俺ならもっと上に行けた」と豪語していたのが嘘のように、強気の発言が影をひそめてしまいます。このままではジーコジャパンという名の通り「やせっぽちの日本」になってしまう。

(残っていた当時の走り書きのメモは、「ジーコの保身、自己保身」、「ジーコジャパンを直訳すると『やせっぽちの日本』になる」次回もお楽しみに…)

posted by 直木 善久 |05:52 | 今さらジーコ | コメント(21) | トラックバック(0)
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2009年07月11日

監督料という名のご祝儀(「今さらジーコ」Vol.1) 

1. △1―1 ジャマイカ     国際親善試合(国立)    2002/10/16
2. ●0―2 アルゼンチン     国際親善試合(埼玉)     2002/11/20
3. △2―2 ウルグアイ        国際親善試合(国立)     2003/3/28
4. ○1―0 韓国        国際親善試合(ソウル)    2003/4/16
5. ●0―1 韓国        国際親善試合(国立)      2003/5/31
6. ●1―4 アルゼンチン   キリンカップ(長居)      2003/6/8
7. △0―0 パラグアイ    キリンカップ(埼玉)       2003/6/11

 日本は日韓大会で予選リーグを勝ち上がり、なんと決勝トーナメントに進出しました。これが実力なのか、開催国の地の利なのか、フロックなのか、次のドイツ大会で証明しなければいけません。その重要な任務をジーコが引き受けます。日韓大会を評して「俺ならもっと上に行けた」と豪語したジーコなら心強い。
 会長に就任したばかりの川淵三郎の肝煎りで実現し、メディアも太鼓判を押している。その名は世界中に知れ渡り、ヨーロッパでも南米でもジーコジャパンは注目されるでしょう。日本代表監督として最高額の年棒も無駄ではない。夢と希望に満ちた海原を、ジーコジャパンは前途洋々船出します。

 初戦はジャマイカ戦。日韓大会の余韻を楽しみ、新監督のお披露目に立ち会おうと、国立競技場に5万5千人以上の観客が集まりました。ジャマイカはフランス大会で3敗目を喫した相手。しかし今はその頃の実力も無く、日本が格下の相手に勝って、強いイメージを内外に印象付けるための試合です。
 この試合でジーコは中盤に「黄金のカルテット」を配します。かつてブラジル代表で「黄金のカルテット」の一角を担っていたジーコが、「黄金のカルテット」で初戦に挑む。話題性は十分、お膳立ては実にドラマティック。
 しかし残念ながら稲本潤一、小野伸二、中村俊輔、中田英寿のカルテットは機能することなく引分け。ベストメンバーを揃えて格下に勝てず、実質よりも人気優先という路線を示して終わった。

 2戦目の相手は強豪アルゼンチン。しかしベストメンバーのアルゼンチンに対して、ジーコはベストメンバーを組みません。海外組を招集出来ない日程なら、マッチメイクに落ち度があったのでしょう。
 「武器が揃わないのに、戦場へ行けと言うのか」
 協会に苦言を呈するところなのに、ジーコは寛容で理解を示します。当然試合は負け。今回は対立を避けて協会に従う姿勢を示して終わった。

 年が明けて2003年、アメリカのイラク侵攻によりアメリカ遠征を中止、急遽組まれたホームのウルグアイ戦は引分け。分け、負け、分けと勝てないジーコジャパン。このあたりで首をかしげた代表ファンも多いのではないでしょうか。
 川淵三郎は次のように語っています。
 「ジーコのことを『監督経験がない者に、なぜ代表を任せる』という人もいる。これには全く笑ってしまう。仮にそうであったとしても、4年もあれば、一人前になるには十分だ」
 なるほど。ジーコも勉強中なんだ。それにまだ4年もある。川淵キャプテンがいうように笑っていればいいのか。ハハハ。キャプテンは「仮にそうであったとしても」と言っていますが、現実に未経験なんですけど。でもそんな細かいことは気にしない、気にしない。

 すると次のアウェイの韓国戦で初勝利。ロスタイムにクリアボールが永井雄一郎の足に当たって入る幸運な勝ち星でした。あまり早い時期に運を使い果たすのはよくないが、とりあえず安堵の一勝。
 4月に新型肺炎のSARSが流行して東アジア選手権が延期。この年のマッチメイクは大変だったでしょう。狂った予定を再び韓国戦で補いますが、今度はホームで負けてしまう。
 そしてコンフェデレーションズカップへの強化試合といえるアルゼンチン戦に4対1で負けると、ジーコはディフェンス陣の総替えを断行しました。
 名良橋晃、秋田豊、森岡隆三、服部年宏の4名が代表メンバーから消えていく。何故か4人単位で責任を問うた。これでは「黄金のカルテット」ではなく、まるで捨て去られる「屑鉄のカルテット」だ。

 次のドイツ大会でこそ実力を示さなければいけないのに、協会は世界で百戦錬磨の経験を持つ監督ではなく、代表監督としては未知数のジーコを選びました。この4年間でジーコは監督業を身に付けるだろうと協会はのんびり構えていますが、監督業を学ぶならこちらが授業料をもらう立場です。
 確かに現役時代の知名度を日本代表に取り入れようとした意図は理解できます。しかし監督未経験というリスクを背負うなら、コンフェデ杯、アジアカップ、最終予選などのドイツ大会へ向かう過程で、それぞれに達成すべき具体的な数値を設定すべきでしょう。
 高い目標を掲げてジーコにプレッシャーをかけず、早い時期に「本大会出場でとりあえず良し」というムードを作り出した協会の姿勢に疑問が残ります。

 ジーコはよく「日本への恩返し」と口にしますが、「恩返し」をしたのは協会の方ではなかったか。日本のサッカーがこのビッグネームから受けた恩恵は計り知れません。そのご祝儀のように監督の座を提示した。恩人だから達成すべき具体的な数値やノルマを突き付けることは出来ない。
 私たちも協会も、結果的に選手時代の知名度や日本への貢献度だけで監督を選んではいけないと学びました。ただそれだけのことに、こちらが高い授業料を払ったことになる。

(残っていた当時の走り書きのメモは、「監督料はご祝儀か」、「授業料はジーコが払え」、「黄金のカルテットどころか屑鉄のカルテット」次回もお楽しみに…)

posted by 直木 善久 |00:10 | 今さらジーコ | コメント(14) | トラックバック(0)
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2009年07月10日

今さらジーコ(プロローグ)

ジーコジャパンの4年間を振り返りながら、
ジーコについて書いてみます。
リアルタイムで書いた文章はアジアカップから。
そこに至るまではメモのような走り書きと記憶をつなぎ合わせて、
今回新たに書き起こしました。

さて、このタイトルですが、
ふと「今さらジーコ」と口ずさみ、そのままタイトルに頂きました。
「今さらジロー」は1984年の小柳ルミ子のヒット曲。
何の関係もありませんが、
その年にジーコはブラジルのフラメンゴから、
イタリアのウディネーゼに移籍しています。

「今さらジロー」
残念ながら私は彼女のファンではありません。
しかし、なかなかいい歌詞です。
ジローをジーコに置き換えると…

♪元気ですか? ひとりですか? どうしてますか?
よそよそしい笑みを浮かべ 話もしたわ
さりげなくお別れして 街を歩けば
ほろ苦い想い出が胸をつく
今さらジーコ ごめんねジーコ あやまらないで
あたしのこと 知っているならそっとしといて
今さらジーコ 罪だよジーコ あたしにとって
昔は昔 今は今
ルルララ ルルララ
しゃぼん玉だね あの時代♪

それでは「今さらジーコ」シリーズを始めたいと思います。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
「今さらジーコ」
「罪だよジーコ」

posted by 直木 善久 |23:28 | 今さらジーコ | コメント(0) | トラックバック(0)
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