2011年11月08日

少年サッカーのMVP

ぼくがコーチをやっているチームは月に1度くらいの頻度で「大会」に参加する。
なんとかカップとかって名前がついていて
トロフィー、タテ、メダルなんかが準備されている。
多くの場合、6チームが参加して、
2つに分けて3チーム総当たりの予選リーグをやる。
各ブロックの1位どうし2位どうし3位どうしが対戦して順位を決める。
トロフィーなんかは、各チームが少しお金を出し合うことで準備できるし、
練習試合なんかよりも盛り上がるし、とても良い企画だと思う。
リーグ戦とは違ってすぐに結果が出るので、
子供達の集中力(というのか)もずいぶん違って見える。
やっぱり勝敗を気にする試合をした方がサッカーはうまくなると信じているので、
こう言う機会が月に1度くらいの頻度であるのは、すばらしいと思う。

こう言う大会ではMVPが各チームから1人づつ選ばれて、
最後の閉会式で表彰される。
MVPはしばしば、そのチームのコーチに決めてもらう。
ぼくが面倒を見ているチームでもメインのコーチが、
「今日はこの子」と言う具合に決めていて、
基本的には全員に順番にMVPを与える方向で選んでいる様子。
あきらかに活躍していない子をMVPにする事はないけれど、
ナカナカ活躍できない子が、ちょっとでも良いプレーを見せると
それがMVPを与える口実になる。
いつも活躍する子は、MVPを得る頻度は多少高くなるけども、
MVP級の活躍をしても、MVPをもらえるとは限らない。
こういうのは子供も、しばらく経つと気がついて来て、
いつも活躍する子が、MVPに対してしらけた感じになってしまう。
活躍する子は、どの子よりも早くいったんMVPを獲得してしまうと、
1年間、それ以来、獲得出来なくなってしまう。
それから、活躍する子の定義も難しい場合もある。
ぼくの知っている子で、とにかくゴールを量産する子がいる。
しかし彼はディフェンスに戻ることはないし、ボールに寄って行く様子もない。
彼なりによいポジションというのを見つけて、
そこでボールが来るのを待っている。
そして、そこにボールが来ると必ずと言っていいほどチャンスを作ったり、
自ら点を取ったりする。
本当にセンスがあるのだと思う。
もちろん技術もある。
しかし、彼がMVPを取ったのは、ぼくが知っている限り1度だけで、
その時は、毎試合5、6点取り、その他のチームの得点も
ほとんど彼からのパスによるものでした。
ここまで活躍すると誰の目からもMVPなんだけど、
そこまで結果が出る事はさすがに滅多になくて、
しかし、彼がチームの得点王なのは間違いなくて、
彼はなんで自分がMVPを取れないのかと不満を漏らす事もある。
一方で、MVPを頻繁に取る子が他にいて、
彼は常にボールのそばにいて、守備に攻撃に熱心に関わっている。
しかし、彼はボールを持つと簡単には離さないので、
見ようによってはチャンスをつぶしているよ場合が多い。
「そこで簡単にパスしておけよ」と思っても、
持ち直してしまい、なんとか自分で運ぼうとする。
簡単にはボールを取られる事もないのだけど、
チームが点を取れそうな雰囲気にもならない。
試合は小康状態になってしまい、しばしば団子サッカーが形成される。
でも、その姿は確かに傍目には「がんばっている」様に見える。
(実際、本人はがんばっている)
けど、考えようによってはチームのチャンスをつぶしているとも言える。
他にも誰もキーパーをやりたがらない日に、キーパーをやったと言う理由で、
MVPを子供に与えた場合もある。

少年サッカーでMVPを与えると言うのは、色んなファクターが絡んでいて、
なかなか難しい。
できればMVPだけじゃなく、色んな賞を準備しておいて、
全員が表彰されるのがいいかな、と思ったりもするけど、
小さな大会で、それは面倒だし、
全員が表彰されるなら、逆に子供のモチベーションにならないかも知れない。

今回はただの雑感で、結論はありません。
いろんな考え方があって良いと思うので。
でも、与えかたにコーチの方の考え方が問われたりするし、
全員に順番に与えると言うやり方はサッカー的な価値観をスポイルするやりかたかも知れないし。

posted by cerebellum |20:11 | 少年サッカー | コメント(0) | トラックバック(0)
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2011年10月08日

ベトナム戦と遠藤

ベトナム戦を見ていて改めて思ったのは遠藤のうまさです。
もちろん遠藤は試合に出ていなかったので、
遠藤のスーパープレーを褒めているとか言った意味ではないのですが、
遠藤の代わりにポジションに入ったプレーヤーを見て違いを感じたわけです。
彼らと遠藤との違いは端的に言ってボールの持ち方、もらい方だと思う。
遠藤は幾つかの選択肢がある様なボールの持ち方をします。
そのボールの持ち方は、ボールの受け方が良いから出来る訳です。
サッカーは、いざとなれば長い距離を一気にボールを飛ばすことが出来ます。
つまり状況によっては距離感よりも角度とか位置関係と言ったものの方が
はるかに大事になってくるわけです。
これが良いポジショニングと言うものの1つだと思います。
遠藤は70%ぐらいの強度で、それでも常に動き回っています。
そうやってボールを受けた時に複数の選択肢がある様なポジションを取る。
(実際には選択肢がない状況でもある様な振る舞いをする。)
それは、またパスを出す側も出し易い様なポジションでもあるわけです。
そして遠藤もボールを受けた時に、(見ていて)難しい事やっているわけではない。
難しくないから、その後受ける側も十分な体勢でボールを受けて、
良い仕掛けが出来る訳ですね。
前にオシムのインタビューで遠藤はもっと走れば良い、
と言う話をしていましたが、
ひょっとしたら、それは違うのかも知れない。
遠藤は十分に(70%の強度で)走っていて、
その事自体がチーム全体に伝わって、
チーム全体が得意なプレーが出来る様になっている。
そう言う仕組みの中心にいる遠藤が、もっと走るのはチームをより良くするのかどうか。
まぁ、オシムの好きなサッカーと言うのはスーパーエキセントリックなスタイルなので、
そう言うのとは微妙に合わないのかも知れないなぁ。

ザックジャパンが機能するかどうかは
3-4-3とか、そう言うフォーメーションの云々ではなく
遠藤がいるかどうか、と言うことなのかも知れない。
遠藤がいれば3-4-3も、もっと機能するのかも知れない。
上に述べた様なプレーが出来る長谷部がいた前半は、
ボチボチなサッカーが出来て得点も出来たけれど、
後半は難しくなっちゃったかな。
長谷部は遠藤に比べるとチャレンジングなことをする。
それでも昨日のチームでは安定感に格の違いを感じました。
遠藤みたいなプレーヤーは過去にもいなかったわけで、
遠藤の代わりを作るのは難しいのかも知れない。
となれば遠藤不在の時にチームとしてオプションを準備しておかなくては。

ベトナム相手にショボい試合になった、と言う感想もあるけど、
ベトナムは下手だけどよく走る良いチームでした。だから苦戦もやむなし。
遠藤も本田もいなければ、やっぱり難しい試合になるね。
1億人以上日本人はいるのに1人、2人いなくなるのと
日本代表チームも良い試合をするのが難しくなる。
それは選手層が薄いからなのか、どうなのか。
正直、薄くはないけどね。
ベトナム戦は練習試合なので、あんな感じでOKです。
でも、ぼくでも色々分かっちゃった部分もある。
そう言うのが収穫と言えば言えなくもないのかな。

posted by cerebellum |20:15 | 少年サッカー | コメント(2) | トラックバック(0)
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2011年02月07日

少年チームを2つに分ける

地域の小学生の少年サッカーチーム(少年団とか言う場合もあるかも)で、
1学年あたりの子供の数が多くなった場合に昨今はリーグ戦も8人制だし、
2チームに分けようという事になったりします。
ぼくがコーチしているチームは、ありがたい事に今年度にぐっと子供が増えて
新年度に向けて2チームに分けると言う話が上がっています。

うちのチームの子供達を能力で分けると、
1人は突出してうまい(特A)。
それに準じる子が3人(A)。
運動量や思い切りの良さがある子(でも技術的には不十分)が2人(B)。
判断の良さや責任感の強さでディフェンスで貢献できる子が3人(B’)。
良く走って集中力もあるが現在は技術がなく判断も悪い、
しかし運動神経はありそうなので今後に期待できそうな子が7人(C)。
グレーゾーンが6人(D)。
チームにポジティブなプレーを期待するのが難しい子が4人(E)。
と言うのがコーチで話し合った上の子供達の評価。
ぼくの意見はシンプルで、子供達を順位付けして、
真ん中で2つに分けてしまうと言うもの。(1軍、2軍式?)
このチーム分けの大きな問題はCのグループのどこに線を引くかということ。

一方メインのコーチの考えは別。
特AとAの4人と、BおよびB’から1人づつと、Dの子1人とEの子全員でチーム作る(AEチーム)。
残りの中間層をひとまとめ(便宜的にBCDチーム)、と言うのがメインコーチのチーム分けで
実際にこのチームで練習試合を2週にわたって(6試合)行ったのですが、
AEチームは活躍する子と足を引っ張り続ける子にきれいに分かれてしまった。
(そりゃ、当然そうなります。)
試合はボロ勝ちするか、うっかり失点を2、3点くらって負けるか。
一方BCDチームの方は粒が揃い全員サッカーになっていて、
守ってカウンターと言うスタイルで見事にはまって全勝。
両チームで紅白戦させるとBCDチームの4−2で勝利でした。
試合内容はAEチームが個人の能力で圧しまくるのだけど点が入らず、
前がかりになった所を、カウンター一発でBCDチームがポコポコ点を取りまくる。
AEチームのEの子らはほとんど試合に関わる事なく集中力も切れまくり。
2得点は特Aの子が1人で持ち込んでゴールを決めたもの。
(なんでこんなスゴイのがうちのチームにいるんだろ?)
一方BCDチームは全員守備でボールを奪うと縦一発。
チームを分ける前は圧倒的存在感を見せていたAの子らが輝けない姿は、
見ていた彼らの親たちにはショックだった様子。
BCDチームはだいぶ盛り上がっていましたが、
個々のプレーはポカポカ蹴っているだけに見えなくもない。
相手をかわす様なドリブルはないし、フェイントもないし、
こちらの意表をつく感心させられる様なプレーもない。
ボールがつながっているのも意図したパスなのかどうか分かり難い。
サイドアタックもセンタリングもない。得点は(今のところ)全て縦一発。
しかし全員が良く走り集中力が途切れない。
AEチームのAの子らは「ほう」と思うプレーが散見されるけれど、
なかなか得点にはならない。

ぼくのアイディアは1軍と2軍と言った具合に分けてしまうものだけれど、
サッカーなんて勝敗のあるものだし、
能力の善し悪しは見て分かるものなので、そこは変に平等主義にならずに、
勝ちを目指すチームを1つ作れば良いかなと思っています。
でも、この意見は採用されていないし、今後もされないと思います。
メインコーチのチーム分けで、ひょっとしたら面白いかなと思うのは
A,EチームのAの子らは足枷を抱えながら戦うのだから、
個々の能力が将来的に、すごく高まる可能性があるのかも知れません。
しかし今まではグラデーションを作って色んなレベルの子がいたおかげで、
あまり目立たなかった能力の無さが
二極化してしまったチームでは誰の目からも明らかになり、
Eグループの子らとその親は能力差をまざまざと見せつけられて辛いかも知れない。
Aグループの親とEグループの子らの親とうまく仲良くやっていけるかな、
とか余計な心配したりします。
実際、ちょっと不平も聞こえたりするので。
(子供は意外と不平をもらさず、黙々とやっている)
一方のチームはボールを扱うことを多くの状況で放棄しているので、
ひょっとすると伸び代が少ないのかも知れない。
でも、こちらのチームも子供なんて賢いから、
そのうちに自分らでボールを扱うアイディアを身につけるのかも知れない。

チーム分けに関しては意図的なものを排して、くじ引き的に二つにわけるのも
意外とありなのかも知れない。

難しいな。

posted by cerebellum |14:57 | 少年サッカー | コメント(1) | トラックバック(0)
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2010年09月09日

コーチの考え 親の考え

親が子供のサッカーに入れこんでしまう事って多々ありますよね。
子供の試合にお母さんたちが興奮気味に応援する姿とか、
ぼくは微笑ましくて好きです。
親が声を出して応援する事をなんであれ禁止しているチームって
たまにあるんですけど、あれは印象が良くないです。
自分の子供達の勝負に夢中になるなんて、当たり前じゃないですか。
それをコーチ連中が「外野は静かに!」みたいにタシナメているのって
間違っているように感じますね。
コーチ連中にしてみれば、自分らの指示とかの方が大事だったりして
親の声援が邪魔に感じたりするのかもしれませんが、
試合中に指示出しても、子供は聞く耳もっていないでしょう。
もちろん試合の重要度の違いによって変えるというアイディアもある。
練習試合ならコーチの声が届く様に考えてもらう。
公式戦は子供たちをピッチに放つ意味の延長で応援などファクターも規制しない。
基本的に試合が盛り上がった雰囲気になる事の方が
子供も良いプレーになったり、がんばったりするんじゃないか、って思います。
「子供のプレーを批判するな」っていうのもしばしば聞きます。
ついつい言っちゃう。
でも、それを笑いに変える事ができる様な
チーム(コーチ、子供たち、親たちを含む)の雰囲気があるかどうか、
って言うのも一方で問われると思うんです。
ヤジに近い様な事を言う親もいるのに雰囲気がすごく明るくて、
プレーヤーも親もコーチも楽しそうなチームもあります。
ああ言うのはコーチ同士、親同士、親とコーチの信頼関係があるのでしょう。
オープンな感じなのかも知れないし逆に気を使っているのかも知れない。
近所のとあるチームは練習試合でも保護者は基本的に全員出席。
子供の数も多いので、大挙してグランドに現れる。
試合が始まる前から、相手チームを圧倒してしまっている様子で、
試合が始まると親も応援に必死です。
相手チームにしてみたらたまらない。子供のプレーにも影響があるだろうなぁ。
このチームは強豪で、チームの強さにそう言った要素も関係ある気がします。
それもチーム運営の1つの考え方。
一方、試合を見に来る親の数も少なければ、来ている親も静かなチームもある。
たいてい弱い。
弱いからチームが盛り下がって、そうなっているのかも。
となると、ここには意図的なものがないのかも知れない。
ぼくは少年サッカーチームに関して、
コーチなどのチームのあり方に決定権がある人たちは
チームを盛り上げる、という事に気を使うべきだと思います。
やっぱりサッカーって楽しいというのが基本にないと。
プレーヤーである子供だけじゃなく、その家族も楽しいって思えれば幸せ。
指導というか教育というか躾というか、そういったことばかりに意識がいってしまうのは
ある意味で、子供(とその親)を無視していると思うんですよね。
やっぱり子供のサッカーで、その子の家庭が盛り上がったり、
親子のコミュニケーションが密になるというのは良い事のハズなので、
そうなるための工夫というのがあっていいと思うし、
そのためにはチームが盛り上がらなくてはいけない。
そう言うのを無視して自分の考えばかりを子供とその親に押し付けて、
あげくの果てに親たちまで躾けてやろうみたいな態度ってのは
お互いにしんどいんじゃないのかな、と見ていて感じてしまいます。
でも挨拶ぐらいは身につけさせたいし、
サッカーに関する身の回りのことは自分でやってほしいと思う。
そこまで言っておいて、実は規制方向のチームや逆に自由放任チームなど
いろんな考え方のチームあって良いと思っています。
もっと大事な事はスタイルの多様性です。多様なチームの存在。
様々なコーチの考え方が反映されたいろんなチームがあって良い。
勝負にこだわったチーム運営もアリだし、
勝ちを目指さないチームだって需要があるのかも知れない。
しつけ最優先、「ボールの上に座るな!」ってなチームもアリ。
その時に大切なのは、
同じチームのコーチ同士がアイディアを共有すること。
もう1つは、子供が自由にチームを選び、移る事が出来るという仕組み
と思ったりしています。

子供の移籍時に受け入れる側が「移籍承諾書」の提出を求めたのに対し、
元のチームが承諾書を書くのを渋って、移籍するのに時間がかかり
数ヶ月、子供が宙ぶらりんになってしまった、という話がありました。
どう言う事情で移籍する事になったかは知らないのだけれど、
リーグの規定などに抵触しない限りは自由に移籍して良いと思う。
安易に近所のチームに登録したけれど、なじまなかったとか、
チームの方針が自分の考えるものと違っていたとか、
そう言う事がチームでしばらく活動してわかる場合は少なくない。
他にもコーチとの相性などは、もっと深刻な問題になりかねない。
背伸びして、勝負重視のチームに入ったけれど、
サッカーをやっている内に、ノビノビやる方が良いと考えが変わるとか、
その逆もあるだろうし、様々な状況がある。
子供の移籍は上を目指すとも限らないし、平行移動な場合もあると思う。
レベルを下げた方が子供がハッピーな場合だってあるだろうし。
どんなファクターであれ、子供に合った環境でサッカーをやることが大事。

「子供に合った」ということの定義というかアイディアがこれまた難しい。
知り合いの少年サッカーチームで、ちょっとしたトラブルがあった。
子供の移籍の申し出に対し、親にむかってコーチの一人が
「親の考えを押し付けて、子供のチームを決めるのは良くない」
と言う様なことを言ったそうな。
そのコーチとしては、チームには学校の同級生たちがいるし、
チームの子供たちはとても仲が良く、楽しそうに毎週サッカーをやっている。
だから子供は、そのチームにとどまりたいハズで、
別の強いチームへの移籍は、親のエゴではないか、と思わざるを得ないとの事。
親は、強いチームへの移籍は子供が希望した事であると主張。
子供自身は、その場では自分の言葉で語る事はなく、押し黙るばかり。
だいぶ前の話だけど、その後の顛末を聞いていない。
でも時々思い出しては、こういうのは難しいと思っておりました。
ここでは子供に良かれと2人の大人が思う状況が違っているわけです。
そういった時に自分の言葉で言える子供なら問題なし。
サッカーの指導の目標の1つは自分を表現できるというのがある。
(サッカーに限らないけど)
この件に関して、ここ数日で考えが2つ固まってきました。
(それで、このエントリを書いています)
ボランティアのアマチュアコーチが出来ることなんて少ないし、
子供の将来に対して責任を取る事も出来ない。
コーチとしては親子の申し出を受け入れるしかないんじゃないかと言う点。
受け入れるしかないのであれば上記の様な発言を親子にするべきじゃない。
次に親の立場について考えると、
この件の親がどんな人かは知らないのだけど、
本人もサッカーの経験がある場合、サッカーに対する考えを持っているはずで
子供に対して「こういったプレーヤーになってほしい」
という具体的なアイディアがあるのであれば、
それを目指して、子供の歩む道を親が選んで決める、というのは
アリなんじゃないか、と言う点です。
サッカーは教える人の考え方によって、
子供のプレースタイルなどは大きく変わると思います。
サッカーは、ものすごく自由度が高い。
だからプレーヤーには、ものすごく多様性が生じます。
自分の子のサッカーを見るのは親には重要な生活や人生の一部かも知れない。
その時に、自分の子が自分の気に入らないプレーを繰り返すようでは
フラストレーションがたまってしまう。
親自身がサッカーにこだわりがある場合、
多かれ少なかれ子供のサッカーにも口を出して子供に影響を与えてしまう。
それなら、それは自明の事として、
親子がイメージするプレーヤーを親子で目指すっていうのは
「親の押しつけ」って言って片付けてしまう様な絶対悪なのかどうか、
というのは簡単には言えないと思う。
ゴールデンエイジという言葉があるくらいで
小学生の頃、何を学んで身につけたか、というのは
その後のサッカープレーにほぼ不可逆な大きな影響を与える。
一方で、小学生のサッカーに対する理解が、
それほど高いという事もなかなかないのではないか、と思う。
それなら、誰が選択を行うのか。
親しかいないんじゃないか、と思う次第です。
特に能力が高い子に関しては、親も夢中になるだろうし、
コーチとかも「指導したい」って言う思いが強くなる事が多い。
コーチと親たちの信頼関係があれば、問題は起きにくいと思うけど、
周りを見ると信頼関係を大事にしている様子がないコーチは少なくないので、
トラブルがおきやすい状況は、そこかしこにあると思われます。
結局は人間関係の問題なんだろうなぁ。
サッカーをよく知らないけど、コーチに対する要求が高い親というのもいる。
多くの場合、そういう親の子は運動能力が高くて、
確かに誰が見ても「サッカーが出来る子」や資質がある(ありそうな)子。
(コーチが「あの親はサッカーを知らない」と決めつけるのも問題を含むけど)
もし親自身がサッカーを知らないという自覚があるなら、
クラブチームや地域の最強チームに子供を入れるべきなんだろうな。
それでも満足できない場合があったら、ぼくにはどうしたら良いかわからない。

上に書いてきた以外の状況もあるだろうけど、
コーチの力量とそれに基づいたコーチとプレーヤーとこの保護者との信頼関係。
そう言ったことを鑑みて、
話し合いがあったりなかったりすれば良いのだと思います。
(あえて話し合いをしないで事を進める方が良い場合もあると思う)
いろんなトラブルを聞くけど、コーチが話をコジラす事が少なくないので、
それだけは避けたいなぁって思っています。
でも信頼関係って難しい。サッカーに限った事じゃないけど。
信頼関係とかが結論だと、話を先送りにした感じで残念。

posted by cerebellum |10:29 | 少年サッカー | コメント(2) | トラックバック(0)
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2010年08月10日

少年サッカーだって勝利を目指せ!(改訂版)

全日本少年サッカー決勝をTV観戦しました。
試合を観た後の感想は
同日に観たFC東京と名古屋の試合と似ています。
「デカイヤツがワンチャンスをモノにして試合を決めた」
特に前半はFC東京はアタッカーの連携が素晴らしくて
あとはいつ点が入るのかな、と観ていたわけですが、
これがちっとも点が入らない。
羽生はシュートがうまいわけではないので、
あそこに無理目なボールが行っても
チャンスじゃないのかも知れませんな。
平山のシュートが決まっていれば、結果は違っていたと思いますが、
しょうがない。
最近のFC東京の試合を初めて見たけど、良いサッカーをしていると思う。
大黒がJ1に戻ってきた、と言うファン側の喜びもある。
名古屋は意外とつまらないサッカーになっている。
でもストロングポイントがはっきりしたチームなので勝ちを見込める。
選手の力量はちょっとだけ名古屋が上というふうに見えました。

少年サッカーに話を戻します。
決勝戦のバディーは分かり易すぎるサッカーをやっていました。
身体能力が高い子に全権委譲。あとは守るぞ、おう!と言う具合。
実際の選手の考え方が違うのかも知れないけど現象としてはそう。
あれだけ身体能力が突出していればチームとして利用しない手はない。
大会得点20点というのはハンパじゃないわけで、
それは彼に任せれば点が入る事を(ほぼ)意味します。
一方のディアブロッサの選手は、
ボールを持つととりあえず突っかける感じで、
もうちょっと判断が良くてもいいんじゃね、と思わなくはないけど、
1人1人がうまいし、かなり攻め込んでいたので、
それはチームが機能していたと言っていいんだろうなぁ。
ディアブロッサ優位でバディーがカウンターの構図で試合が進むけど、
ディアブロッサの決定的と言えるようなチャンスは思い出せません。
個々のプレー小学生がここまで出来る!と感心しつつも
試合としては、ちょっと退屈だったかな。
と言うのも去年の記憶があるからです。
去年の優勝チームの名古屋は衝撃的でした。
1人1人のボールの受け方、持ち方がうまいしパスも出来るしドリもいける。
小学生なので、どうしても縦に急ぐサッカーになるわけだけど、
攻撃を組み立てている感があって、すっかり大人のサッカーでした。
更には得点シーンが秀逸。
負けたチーム(名前忘れた)は立ち上がりこそ決定的なチャンスがあったけど、
試合が進むにつれ、全くサッカーがさせてもらえなくなり、
蹴るだけ走るだけになってしまいました。
あれはちょっと坊主頭の子たちがかわいそうだったな。
やっぱり、あそこまで勝ち上がったのだから、
技術的なこととかは、ぼくの周りのサッカー少年よりも格段に上のハズ。
だから、やっぱり「サッカー」がやらせてあげたいよね、勝ち負けよりも。
そんなことを言ったら、今年優勝したバディーのやり方も批判されるかも知れない。
そこら辺が、少年サッカーって分らない。何を目指すか。
今目の前の試合に勝つことが大事か、将来的に良いプレーヤーになるのが大事か。
将来っていつのことなのか。
個々のプレーヤーの伸び代ははたして、どのくらいなのだろうか。
ぼくにはそう言うのは計りかねます。
「将来、誰が、どこで伸びるか分らないよ」って言う指導者もいるけど、
「この子はサッカーにはむいていないなぁ」と言う子は確実にいる。
2年くらい毎週見ていれば、だいたい分る。
「今はイマイチだけど、この子はきっかけ次第だな」と思えるような子もしばしばいる。
ぼくが指導したりしている子らを決勝戦に出ている子らに比べるのは酷。
そんな地域の少年サッカーチームでも
1学年に1,2人は「結構いけるんじゃない」と思える子はいる。
指導者次第で格段に伸びていくのかも知れない。
ぼくらが足を引っ張っている可能性だってある。
全日本少年サッカー決勝まで勝ち進んだチームの子ら、
彼らは素晴らしいコーチの指導を受けて、
もちろん彼らの生まれつきの運動能力や彼ら自身の努力もあって
5,6年生であれだけのサッカーが出来るようになっているわけだけど
誰が見ても、間違いなくプロに比べれば能力的に足りないわけだし、
残念だけど「和製メッシ」とか感じる子はいなかったわけだし
(1試合だけじゃ分らないけどね)
全員がプロを目指しているとも限らないし、
中学に入ればサッカーを辞めちゃう子もいるだろうしね。
彼らは決勝まで進む経験をして、そのための努力もして
そう言う意味では今後サッカー選手をめざす圧倒的なアドバンテージはあるわけだけど。

先日、あるコーチが保護者達を前に
「試合には必ずしも勝てないかも知れないけれど、
将来的にサッカーがうまくなるための指導をしているから
分って欲しい」って言っていた。
ぼくはすごい事を言うなぁと感心した。
その言葉で、個々の父兄は自分の子が将来的にうまくなるかどうかの話をしている、
と思ってその話を聞いているわけだけど、
教科書的な何かの指導をしたとしても、
それでうまくなるかどうかは確率論的なものじゃないかと思う。
つまり具体的な個々の子供が絶対にうまくなる、なんてことは誰にも言えない。
でも上記のコーチの言葉を聞いて、数年後に子供が大してうまくならない場合、
その子の親は、コーチの言葉をどうとらえるんだろうか?
将来的に(結果論的に)うまくならないなら、
せめて目の前の試合に勝たせてあげて欲しい、と思うんじゃないかな。
でも実際にはコーチにも試合に確実に勝たせる能マジックなんてないわけで、
となると上記のコーチの言葉は能力の無さの言い訳かも知れないわけで、
だいたいぼくらの様な在野のアマチュアコーチの能力なんか知れているわけで、
「将来うまくなるための指導」と思っていても、
うまくなるかどうかは努力とか才能とか子供次第と言う他ないんじゃないか、と思う。
アマチュアコーチなんてのは彼らを囲む環境のごく一部でしかなくて、
プロ選手を育てた経験があるわけでもないし、
子供の将来の上達なんて口に出来ないよなぁ。
「うまくなるための指導」って言うけど、
「指導」は「将来うまくなるため」のものだもの、当たり前じゃない。
そこはあえて強調するべきじゃないんじゃないかって思う。
ぼくは最近、「さし当たって目の前の試合に勝たせる」
と言うのは実は大事なんじゃないか、と思うわけです。
サッカーの目的は試合に勝つことなんだから、
さし当たって目の前の試合に勝つのは大事なんじゃないかと強く思う。
練習試合なら、色々試せば良いと思うけど、
公式戦は、やっぱり勝つことを目指さなくては!
練習試合だって試しつつも目的は勝利することでないと、
試しなので負けても良いなんて言ったら逆に試した意味がなくなっちゃう。

で、決勝戦の話に戻るけど、
バディーのサッカーはひょっとしたら「子供の指導」という側面から批判されるかも、
と思っちゃう。
でも、それは違う、と言うのがぼくのスタンス。
チームのストロングポイントがはっきりしていて、それで勝てるのなら、
そう言うサッカーをして勝てばよい。
そう言うやり方に埋没してしまう子としない子が生じると思う。
でも、それはしょうがないよ。サッカーって勝負事だもの。
それに、バディーみたいなチームを選んだ子やその親は
そう言う考え方を受け入れているわけだしね。
周りがどうこう言う問題でもないんじゃないかなぁ、って思う。
しばしば見られるような勝利よりも育成と言う少年サッカーの指導者側の考え方。
さらには「子供にサッカーを楽しませよう」と言った標語(?)。
ぼくはそう言った考えは全ての子供に対して通じるかどうか疑問に感じます。
サッカーはしんどい。
それでボールを追いかける子供達に対して、
「楽しませてあげよう」なんてのは大きなお世話。
彼らは楽しい楽しくない以上の魅力をサッカーに感じている。
もちろん感じられない子供もいる。
そう言ったこのセーフティーネットを準備する意味があるのかも知れない。
でも、ぼくはサッカーに魅力を感じない子がいてもしょうがないと思う。
そう言った子に無理にサッカーをさせる必要もない。
やっぱりサッカーの最大の喜びはチームが点を取って勝利すること。
勝利という目標なくして育成が成立するのか、ぼくには分らないや。

本当のところはバディーがどんな指導をしたり戦術をとっているかは
よく知っている訳じゃないので、
これまで書いたことはアテハズレかも知れない。
それはそれで良いんじゃないかな。
だって優勝したんだもの。
個人的にはディアブロッサの得点シーンが見たかったな。

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2010年07月19日

少年サッカーは長所を大事に

今日(昨日になってしまいました)は4年生のリーグ戦がありました。
ぼくは4年生の直接のコーチになっていませんが
キャラ的に彼らにすごく慕われていると思います。
それで、彼らのリーグ戦を見に行ったのですが、エースが遅刻。
それで学年のコーチが「遅刻したヤツは出さない」と言ってベンチにも入れない。
その結果前半で4失点。圧倒的に攻められる内容でした。
後半、そのコーチも耐えられずにエースのTを投入。
すると、攻めの形が出来てチャンスを量産。
彼自身が2点を取って2ー4で敗戦。
エースの遅刻理由は親が集合時間を間違っていたこと。
となると、彼には非難される筋合いはない。
にもかかわらず、コーチは遅刻を理由に彼を外し、試合は負け。
これって、彼の親を曝しモノにしただけなのでは?とか
結局、彼がいないと何も出来ないと他のプレーヤーが感じただけでは?とか
そんな感じに思って、ぼくは全く納得がいかなくて
ぼくを慕ってくれる子らに対する気持ちで、
涙が出そうでした(つまりでなかったわけだけど)。
エースを出さなかったときの采配もどうかなと。
2トップの1人は普段控え(1人はキーパーの控え)。
運動能力があるFWの控えはGKに。
確かに彼はFWでは控えだけどGKの能力もまぁまぁ。
こう言う時はチームの長所で勝負するべきだと思うわけです。
となれば、GKをやった子をFWにして、たたかうべき。
コーチとしては遅刻に対して罰を与えたつもりかもしれないけど
その罰は子供でなく、父親に(結果的に)与えた事になってしまう。
一方で、後半の巻き返しは、そのエースの価値を高めたかも知れないけど、
コーチへの(特に父兄の)不信感(もとからあった)を増幅しただけ、
と言う気がします。
実際、リーグ戦が終った後、コーチに不満を漏らす母親が複数いました。

ぼくの考えはリーグ戦は遅刻しようがエースは先発で使う、という事。
エースの彼はそれで思い上がるタイプではなく、
本当にチームが勝つために、とチームメイトに丁寧な態度を取るタイプ。
ぼくは、心から切なくなり、その小学校を離れたわけです。
ぼくは子供に思い入れが大きいので、コーチたちに怒りをおぼえます、

posted by cerebellum |00:13 | 少年サッカー | コメント(6) | トラックバック(0)
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2010年07月01日

ボールの上に座ること

もちろん今回の日本代表について書きたいことがたくさんあります。
特に、就任当初から批判されまくって、
無駄にネガティブキャンペーンを張られていた岡田監督に関しては
ぼくは最初から、「岡田批判」批判をこのブログなどで繰り返していました。
(よそ様のブログのコメント欄に書き込んだりとか)
その主旨の基本はサッカーはプレーヤーに依存する部分が圧倒的に多い、
と言うこと。
やっぱりプレーヤーが主体的に動いてこそサッカーの面白みですからね。
ま、それは追々、エントリーすると言うことで。

最近、少年サッカーをみていて思うのですが、
ボールの上に座る、と言うことについて指導者側に両極端があります。
ボールの上に子供が座ると烈火のごとく怒り出すコーチって結構多くないですか?
ぼく自身(時々)コーチをやっていますが、
なんとなくボールの上に座ることがあります。
別にいつもというわけではないけど、
無意識にボールの上に座ることが時々ある。
すると年配コーチなんかに「子供が見ているぞ」とか言われて、
議論するのも面倒なので、腰を上げる。
一方で、イマドキに少年達(特に意識が高い子)は
所属チームの他にサッカースクールなどに通ったりしているんですが、
多くの場合、子供を集合させて座らせるときに
「ボールの上に座れ~~」と声をかけます。
地元Jリーグチームのスクールや育成でも、そう言ったやり方をしていました。
そこでコーチに聞いてみると
「お尻の下にボールを置いておけば、子供達に話をしている時にボールが散らからない」
とのこと。ごもっとも。
更には野球のキャッチャーみたいな座り方をしている子には
「膝に悪いぞ」とか言って、その様な座り方をやめさせているコーチも見かけました。
ぼくは子供の頃からサッカーをやっていたわけじゃないのですが、
同世代のサッカー中年に聞くと、
彼らは小、中、高、とサッカーをやっていた時に
ボールに座るのは叱られたとのこと。
「昔はボールの質が悪くて上に座ると形が変る心配があったからじゃないか」
とのコメント。
「練習が終わるとボールの手入れを部員全員でやらされた」との昔話も。
もし、そうならボールの質が向上した今では
「ボールの上に座るな」というのは意味がない事になってしまう。
ぼくが気になるのは、
場所やコーチによって言う事が違うと子供が混乱するのではないか、という点。
でもサッカーって状況判断が大事だから、
ここではボールの上に座る、こっちのチームでは座らない、
みたいな判断を子供の側でするようになって
それがサッカーのプレーに良い影響を与えるかな、とか思ったりして。
ぼく自身が子供を指導している時は
子供達が給水以外休み無く2時間練習するので、
子供達が座ったり、ましてや砂遊びをしたりする暇はないです。
もう少し言葉で説明とかしたいと思うけど、
子供の資質や性格などもあって、
言葉による説明がプレーの向上につながらない場合が多いです。
言葉で伝わる子には個別に伝えて、その子が模範になれば、
他の子がついていく、と言う感じです。
必ずしも思ったとおりにはいかないですけど。

posted by cerebellum |09:30 | 少年サッカー | コメント(6) | トラックバック(0)
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2010年06月08日

日本人らしいサッカー

日本の少年サッカーでは「サッカーを楽しむ」というのが最優先と言うのがあります。
ぼくが思うに、それまで日本で支配的だった根性スポーツに対する批判なのでしょう。
特にサッカー関係者は野球のネガティブ要素をあげつらう的な発想があると思います。
そこでは根性スポーツの筆頭としての野球があって、
サッカーは楽しくやりましょう、と言った意見が多い気がします。
楽しくやるには勝ち負けにこだわっていてはいけない。
ボロ負けした試合の後に、子供達に「サッカー楽しいか」と問いかけている姿を
少なからず目にしたことがあって、
私は違和感を感じずにはいられなかったのですが、
少子化で、絶対数が少なくなっている子供を他の競技と奪い合う、と言った要素もあって
サッカーは楽しいのが第一、と言う発想は結構支配的だと思いますね。
いずれにしろ、子供をエンターテインすると言う指導というのは重要視されているし、
なにせ、地域の少年サッカーでは子供はお客さん扱いと言うところは多いです。
お父さんコーチたちは近所の子を怒鳴るとか殴るとか、まぁ無理です。
大切に大切に接します。

サッカー協会などは、実のところ、ダブルスタンダードを用意していて、
上を目指せる子は育成しましょう、
イケテイナイ子は楽しく球蹴りを、
と分りやすい。
サッカー協会が作っているパンフレットの類なんかの言葉ではっきりしていると思います。
じゃ、育成グループはどうなっているか、と言えば、
実のところ、ぼくは現場をよく知りませんが、
日本のエリートサッカー少年達が、なんだか勝負弱い印象があります。
この前の宇佐見達のユースチームの戦いぶりとかがそう言うを与えているのだろうけど、
そればかりじゃなく、実際に見るユース世代のエリートチームどうしの試合って
なんか、とてもエレガントなんですよね。きれいなサッカーをする。
思うのはディフェンスがフワフワしていると言う事でしょうか。
一方で、足元はどの子も(ディフェンダーも)本当にうまい。
ああ言う場には「泥臭いプレーが売り」というような子は、
あまり選ばれないシステムがあるのじゃないか、と思う次第。
圧倒的にボールコントロール技術にウェイトを置いた選考をしてチームを作る。
本当はよく知らないんですけどね。

村松氏などによるスペインのアマチュアサッカーに関する記述からすると
子供でも大人のどんなレベルでもサッカーでは勝負にこだわるらしい。
それがスペインの様なサッカー強国を作るのだと言う考えの吐露かな、と理解。
となると、日本でサッカー協会がやっているようなダブルスタンダードでは
競技人口は増えるけれど、真剣勝負の場とは違うサッカーがマジョリティとなり、
日本のサッカーというのは、うまいけど勝負弱い、みたいな具合になるのかも知れません。
「日本でもトップレベルは真剣勝負だ」と言う意見があると思いますし、
高校サッカーの選手なんかで色んな大会で上位(優勝)を目指していると、
本人は、もちろん真剣にサッカーをしていると思います。
でも、それは何かしら欧州や南米のそれとは質的な違いがあるのかも知れません。
それが良いか悪いかと言うのは、また別の考え方です。
楽しいサッカーを目指す、と言うのが日本のスタイルなら、
それでも良いのじゃないか、と思ったりして。
たぶんW杯とかでは結果は残しづらいかも知れない。
でも自分らのストロングポイントを磨き続けることで、
「内容が良い」サッカーが出来るようにはなるかも知れない。
なんか文章にしてみて、これってすごく日本人に合っているような気がしてきました。
でも日本人のストロングポイントってなんでしょう。
勤勉とか?ぼくは勤勉じゃないのでなんとも言えません。

posted by cerebellum |20:07 | 少年サッカー | コメント(4) | トラックバック(0)
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2010年05月28日

元プロ選手が教える!!!……?

http://soccer-joutatu.naotech.info/
http://www.oresenlab1.net/
http://www.soccer-beginner.com/
こう言う商売ってサッカーに限らず色々あって
手に入った商品に満足する人もそれなりの数いるのでしょう。
こう言う教則本みたいなもの(いまどきDVDとかもつくのでしょうけど)で
参考にして、どれだけサッカーがうまくなるのかなぁ。
「元Jリーガーが教える!」とか書いてあると、
教材で何を教えているのか気になることは確かに気になるのではあるんですけど、
自分の信条とは合っていないので、あえて(絶対に)手を出しません。
元Jリーガーだってお金を稼がなくちゃ行けないから、
色々やるだろうし、彼らを利用しようという人がいて、
その話に乗るって言うのはしょうがない。
サッカーを子供に教えること自体は悪い事じゃないし批判される筋合いはない。

結局だいじな事はサッカーの上達法でも何でも
何かを鵜呑みにするのでなく情報を取捨選択する事だと思います。
その選択の中で自分のオリジナルなサッカー観を自ら見いだすだろうし、
自分に合ったものになるだろうし、
それで結果的に間違っていても人を恨むような事にはならない。
だから「これさえあれば万事解決!!」的なメソッドって
その謳い文句1つで既に信用に値しないんじゃないか、と勘ぐってしまいます。
特にサッカーみたいな正解がたくさんある物事の場合は重要な考え方だと信じています。
結局、色んな人の意見を広く聞きながら、自分を見失わないのが大事じゃないでしょうか。

結局サッカーなんてうまくなるヤツは放っておいてもうまくなるし、
うまくならないヤツはなかなか努力が報われないです。
(サッカーに限らないですね)
楽しく自分に合ったレベルでボールを蹴る事が出来ればよい、と言うのなら、
元々ストイックになったり、「上達しなきゃ」と強迫観念的に思ったりする必要もないし、
上を目指す、と言うのなら、
小学生くらいの子が上を目指せるか(素質があるか)どうか、と言うのは
シリアスにサッカーに関わったことがある人が見ればおおよそ分ります。
それでも「素質がある」と言われたからと言ってプロになれるかどうかは
誰にも分りませんし、日本代表になれるかどうかなんて気が遠くなるような話です。
結局、サッカーの指導はダブルスタンダードにならざるを得ない。
つまり子供達を育成するグループとエンジョイさせるグループに分けざるを得ない。
指導する側は多かれ少なかれ、そう言う区別はしていると思います。
区別しないと育成向きの子もエンジョイ向きの子も不幸になりかねない。
でも分かり易くラインがあるわけでもないので、
見分けるのが難しかったり不可能だったりもします。
一方、子供達本人はどうすればよいか、と言えば
小学生の時期なら勉強そっちのけでサッカーばっかりやっていれば良いのですから、
子供がそう言う目標を自分自身でもって努力をするのは良いことだと思います。
結果的にプロにならなくても得るものがたくさんある。
子供の頃に何かに夢中になるって言う経験は大事ですからね。
週末ごとに試合という真剣勝負をすることで身に付くメンタリティとか得がたいです。
でも、そこに大人の世界(商売)が絡んでくると、よ~~く考えないといけないな、と。
お金を払うっていうのは、それによって得られる満足感と関係があるし、
満足するかどうかは実はお金を払う親(大人)の事情なので、
となると子供は置いてけぼり?って事になりかねない。
子供が夢中になってやっている時期はなんの問題もないんですよね。
多少上達が遅くてもなんでも気持ちが充実しているわけだし。
ただ諦めちゃったり怪我とかもあるだろけどドロップアウトしちゃう場合がかなりあって
そう言う場合にこそ、大人の助けが必要だと思います。
でも実際には放り出しちゃう場合が多くて、
そう言う子は中学生くらいの時期からコンビニ前でタバコ吸っているような具合になったり
いろんな事情で子供がある程度の確率でサッカーから離れてしまうのはしょうがない。
その先のことまで少年サッカーのコーチが考えなくてはいけないのかどうかとか、
先回りして現実的なことを子供達に言ってしまうような少年サッカーのコーチって
あまり魅力的な感じはしませんけどね。
で、サッカーから離れてしまう子供達について
サッカー協会はもちろん何にもしてくれませんし、アドバイスもありません。
生涯スポーツとして続けてほしい、とかサッカーに関わり続けてほしいとか、
色々言うけど、人生色々ですよ。
サッカーに関わり続けるのって、意外と難しいモノです。

話がどんどんずれていってしまいましたが
教材を眺めている暇があったら下手な子どうしでもいいから1対1の勝負をした方が
いくらでも学ぶことがあると思うし、
そこで学ぶ事がないなら教材があっても一緒です。
疑問があって解決するために教材をと言う考え方もあると思うけど、
そのためには本屋にいけば、様々なサッカー教則本なんかあるし、
いまではえらく今節ご丁寧なウェブサイトがいくらでもあります。
本屋では中身をペラペラとめくって読んで、気に入ったモノを選べるでしょう?
立ち読みだけで十分な場合も多いし、公共の図書館に置いてある場合もあるかも。
実際のプレーの動画とかはいまやyoutubeなんかでいくらでも探すことができます。
なんじゃらカットなんとかターンとか言う技もいくらでも探せる。
そう言う技が必要かどうかっていうのもあるけど、それは好みです。

これらの教材に不信感を持ってしまった最大の理由は
このなが~~~い文章を最後まで読んでみて、
この教材に結局何が書かれているのかちっとも分らなかった、と言うことがあります。
にも関わらず、これだけの長文。うさんくささを感じてしまいます。
遠藤兄とかすごく良い選手だったので、難しい感情に苛まれます。

posted by cerebellum |10:03 | 少年サッカー | コメント(0) | トラックバック(0)
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2010年05月06日

「判断」という便利な言葉

判断について
サッカーをプレーする中では色々な判断が要求されます。
判断なしに決まったことをこなすだけのプレーをしているだけでは
サッカーの様な自由度が高く、また相手のいる競技では
すぐに行き詰まった状況になってしまいます。
この「判断」という言葉が指導の中で、とてもよく使われるわけです。
でも、ぼくは汎用性の高い「判断」という言葉の中には
脳機能的にいろんなスペクトラムのものが含まれていて
それを全部、「判断」と表現していると、
こちらの意図したことが十分に伝わらない事もあるだろうし、
説明された側も混乱する事があるのではないか、と思っています。

「判断」の分類の1つには時間の長さ、と言ったモノがあります。
それが分単位なのか秒単位なのかコンマ秒単位なのかで
間違いなく、使われている脳の神経回路は違います。
分単位の判断では「今の時間帯は攻めに人数をかけるべきか、守りに集中するべきか」
と言ったものがあります。
これは陳述記憶、エピソード記憶に照らし合わせた上で
大局的な身体の動かし方(ポジショニングやフォーメーションなど)をコントロールする、
と言った類の行動の制御です。
飛んできたボールを右にコントロールするか左にコントロールするか、
と言った様な具体的なことまでの決定を含んでいるわけではありません。
より抽象的と言えるでしょうし、
実際には試合前の指示などに照らし合わせれば、
比較的具体的な事までを決定する事もあるかも知れません。
(例えば相手FWに5mまで近づいておいてマークするとか
ディフェンスラインをセンターラインまで上げておくとか)
いずれにしろ、思考が意識に立ち上がって物事をやっている可能性があります。
一方で、鳥が茂った林の中を飛んで通り抜ける様な状況で
鳥は気にぶつからない様しなくてはいけない時に同様な「判断」しているのでしょうか?
これは反射の繰返しだと思うのですが、
サッカーにおいても、その様な運動制御を要求される状況は常にあります。
特にon the ballの時は、反射「的」に動きを変える事が必要ですし、
そう言ったボールコントロールがないプレーヤーは「巧い」という事にはなりません。
例えばリフティングなんかの日常的練習(とまでも言えない状況)を考えても
延々と同じ動作を繰り返すロボットの様にリフティングが出来るプレーヤーはいません。
元々ヒトの運動制御は全く同じ動作を繰り返す様には出来ていませんし、
筋肉の疲労などの要素もあります。
常に足の上げる位置や高さは微妙に(もしくは大きく)制御、補正されていますが、
この時に「ボールが右にずれたから、足を15cm右に動かそう」というように
意識に考えが立ち上がって、その結果(判断して)足を動かす、などと言うことは
誰もしていないわけです。
ただし、ボールが落下するまで2秒間ある場合とコンマ何秒という状況では
これまた運動制御に関わる神経回路は違ってくるはずです。
これは反射と「状況が意識に上がった上で判断する」と言った機能との間の
スペクトラムを形成する様な気もしますし、
どこかで非線形に脳の働きがスイッチするのかも知れないなぁ、と思ったりもして、
これに関する答えは誰も持ち合わせてはいないハズです。
まして凸凹なグランドの影響を受ける予想と違った回転をしたようなボールを
不意に受ける様な状況が多々ある実際のゲーム中では
反射的、と言うよりは反射そのものによってボールをコントロールしなくてはいけない。
それでは反射の中に「判断」が入り込む余地があるのかどうか、と言う事で
「反射」や「反射的」状況になる前にフィードフォワード的に動きを決めておく様な
「判断」と言う脳の働かせ方はあるとは思うのですが、
もしそうであるなら指導者は、
その様に「状況に前もって、判断をせよ」と説明するのでなくてはいけません。
それを(例えば)ボールをコントロールする方向を間違ったために相手に取られてしまった、
と言う結果をみて、単に「ちゃんと判断したか?」とプレーヤーに問うても、
何のことを言われているのか分らない事があるのではないか、と心配します。
もちろん勘がよいプレーヤーは、そう言った言葉足らずでも理解すると思うのですが、
一方で、「ちゃんと判断したか?」と問うた指導者自身が
どの状況(タイミング)でのどう言ったレベルでの判断が拙かったのかを
具体的に把握しているとも限らないわけです。
そう言った事をより分析的に見て分るコーチが良い指導者なわけですが、
一方で、そう言ってディテールを一々説明するような練習が
良い練習かと言うと、それはそれで議論がありますね。
出来るだけプレーは流した方が(実戦に近い)良い練習になる。
でも不用意になんでも「判断」という言葉で片づけている様では
指導者の側にサッカーに対する理解の深まりが無いように思います。
理解が深ければ、プレーヤーにかける言葉も違ってくる。
指導の仕方も違ってくるし、練習メニューだって違ってくるでしょう。

と言うわけで「判断」という言葉はサッカーを指導するのに便利すぎて、
実は混乱を招いているのでは、と思う昨今です。
考えてみれば判断を英語にすればdecisionと言う単語が浮かびますが、
decisionを日本語にすれば「決定」なんて訳してしまいます。
でも判断と決定には明らかに意味的違いがありますよね。
では他の言語では日本語の「判断」というのを説明するのに
なんと言ってサッカーを指導しているのでしょうか?
実は、知らないのですが、
たぶん日本人指導者が「判断」と言っているものに対応する言葉がいくつかあって
それは使い分けられているのではないか、と想像したりして
それが日本人サッカー選手の判断のマズさに繋がっていたりしてと危惧したりします。
いかがでしょうか?
もちろん日本語表現の方が繊細で多様な場合もあると思いますが。

posted by cerebellum |11:40 | 少年サッカー | コメント(8) | トラックバック(0)
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