2009年11月11日

豪州最高齢の陸上選手

今日は、長寿の現役選手の話です。オーストラリアのスポーツおばあちゃんか、などと宣(のたま)うこと、なかれ。
 
 
ラス・フリスさん(100歳)。この8月に100歳になったばかり。オーストラリア最高齢の現役陸上選手です。10月の世界マスターズ大会にも出場しました。ヘレン・シアールさんは、ラスさんのお嬢さん。70歳。コーチであり、元オリンピック選手です。同じくマスターズ大会の陸上競技に出場しました。二人とも、オーストラリア記録と世界記録を保持しているというのですから、凄いです。
 
今、ブリスベンに近いクインズランド州で、親子で住んでいます。
 
 
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ラス・フリスさんは、野菜を摂らないダイアテリアンとして、この10月にシドニーで開かれた世界マスターズ選手権大会を沸かせた。世界マスターズ選手権シドニー大会で6つの金メダルを獲得しました。その秘訣は?100才の原動力は何か?
 
 
それは、「車を使わず」「愚痴をこぼさず」「気候変動を忘れること」だそうだ。
 
 
ハンマー投げで2個目の金メダルを手中に。 鉛のボールを10m投げた。
 

彼女は、ラスさんの年齢グループの槍投げ、砲丸投げ、円盤投げなど困難な4時間の重量五種競技種目と陸上グランドチャンピオンを目指してメダルをとるために競技場に立ちました。
 
 
「成功するために、自分自身に忠実でなければならない。自分を信じなくてはならない。自分のすることを信じなくてはならない。もし勝負に関係なければ、それは問題ではない。成功は、態度に現れてくる」
 
 
「あなたが持っているものに満足になさい。現代の人たちの問題は、暮らし方です。私は、成長するとき、楽しみを求めて何をしたか? 私は歩いんです。」
 
 
「子供たちは現在決して自分の足で歩き回りません、彼らはバスに乗れば、学校までいけます。そして、彼らは年をとって、車を買って、飲みに行って、おそらく、事故で車を壊します」
 
 
当たってますね。

 
オリンピック選手の血が流れている彼女のお嬢さん・・と言っても、もう70歳ですが、ヘレン・サールさんも、今大会で、母親と同じ競技で金メダルを取りました。しかしながら、「孫は陸上に関心がありません」
 
 
「すべての子供たちがこの頃はエンターテイメントの虜になっています。自宅でコンピュータの前に座りっぱなしです。あれに私の方が狂ってしまいます。でも、ティーンエイジャーには何も言えませんね」
 


では、偉大なる祖母のラスさんの一人トークです。
 
 
buruta-123157.jpg子どもの時から、走るのが好きでした。20代で結婚して子どもが生まれましたが、それまでは陸上競技とホッケーをしていました。子どもが生まれて、やめました。淋しくはなかったです。最初の娘ロザリーは、スポーツに全く興味がありませんでした。しかし、下の娘のヘレンは、私に似て、走ることがすきでした。しかし、15歳のとき、彼女は走り高跳びに鞍替えしました。地元の高校大会で優勝し、シドニーの全国大会でも優勝しました。


今のように、子どもが車を持つということはありませんでしたので、主人のレイと私が、競技会場まで連れて行き、コーチもしました。私はいつも、娘に冗談を言います。『あなたのために動かなかったら、おカネが貯まっていただろうね』って。でも、それは価値のあることだったと思っています。


娘は、1958年にカーディフ(イギリス)で行われた英連邦大会で銅メダル、1962年の英連邦大会では、走り高跳びと走り幅跳びの2種目でそれぞれ銅メダルを取りました。
 
 
主人と私はとても誇りに思いました。それ以来、彼女は、自分が特別の人だなどと思ったりはしなくなりました。『でも、私は、一度も金メダルを取ったことがないのよ』と言いましたので、私は娘に、あなたはわが国の代表選手となったじゃない。金メダルは重要じゃない。大事なのは、いかに闘うかよ、と。


ヘレンは、1970年代で、競技生活から引退しました。いまは、マスターズになっています。私がスタンドに座って、競技をみていると、人は、『私のバッグをみててくれる。フリスさん』と、声をかけて来ました。こんなやり取りが74歳までつづきましたが、74歳の時に、突如、私はもう人のかばんの面倒をいやというほどみたから、自分のことをするわって思ったの。

 
それで、1983年に、私はプエルトリコの世界マスターズ選手権大会に出場しました。砲丸投げで、一投目はすばらしい投げでした。私は興奮して、リングからはみ出してしまい、それはカウントされませんでした。でも、銅メダルはとりましたよ。これは、今でも、最高に誇りのある成績です。その後また、競技生活を続け、円盤投げと槍投げも始めました。走りも続けました。70代でも、100メートルを18秒で走れたんですよ。それに、三段跳びと走り幅跳びもしました。1987年に、女子ハンマー投げが採用された時にも、それもやりました。
 
 
ヘレンは、とても喜んでくれました。一緒に旅が出来る人ができたからです。その頃には、娘も車を買い、今度は、私を送り迎えをしてくれる番になりました。
そのうち、主人のレイも加わって、私たちはマスターズ選手権で世界中を旅したものです。イタリア、アメリカ、フィンランド、日本、南アメリカ、イギリスへと・・・。
 
 
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私は、今でも1993年に日本で出した3段とびの世界記録をもっていますよ。

私は飛ぶのが好きでした。でも、私が90歳になったとき、医者からやめなさいと言われました。彼は、3段飛んで砂場に着地するのは背中に衝撃を与えすぎるから・・と言いました。私は不快になりました。私は言ってやりました。そんなこといって、私を100歳位にみてるんでしょうって。
 
 
その頃、娘のへレンは女子7種目競技と砲丸投げをやっていました。それで、娘が私のコーチになったのです。今でも私のコーチですよ。彼女は、他に4人のコーチをしています。私たちは、毎週水曜日と木曜日の午前8時にトラックに行き、砲丸投げ、円盤投げ、ハンマー投げ、槍投げの練習を2時間するのです。娘がいろいろ教えてくれます。「はい、つま先で立って、かかとを上げて。ハンマーを持って手を伸ばして、ここで回転して・・・」と。私は常に技を磨いているんです。

娘は週3回体重管理をしてくれます。いまでも、25キロのベンチプレスが出来ますよ。ジム用自転車も漕ぎますよ。

 
100歳になったら、私と競い合う人がいないと思うでしょう。多分そうでしょ。75歳プラスの人と競うんです。だから、私より若い人と競うんです。娘が70で、私が100。親娘で陸上競技で競っているのは不思議でしょうか?私たち二人は競い合うのが好きですし、チャレンジしあうのが、好きです。それが、私たちを前進させているんですよ。


では、お嬢さんのヘレンさんにもひとこと。

 
是が非でも勝たなくてはならない・・というプレッシャーは我が家にはありませんでした。しかし、私が競技に出る時には、両親に負担をかけていました。特に経済的には。たとえば、1958年に英連邦大会に出場する時には、2500ポンドの負担でした。航空券、ユニフォーム、宿泊費が自分もちです。幸いなことに、私たちが住んでいたリスゴー(シドニー西部ブルーマウンテンの先)の住民達がお金を集めてくれました。1960年には、私達4人がオリンピックにいけるようになったのです。 


すばらしい人たちに恵まれました。

 
母は100歳の誕生日に、重量五種競技(砲丸投げ、槍投げ、ハンマー投げ、重要投げ、円盤投げ)をして、スコアは11,000ポイントでした。信じられませんよ。


死ぬまで青春。生涯現役。自分の人生に定年を作ったら、そこでおしまいです。
 


全国の皆さん、ラスさんを見習いましょうよ。今から・・・。明日からでは遅すぎませんか?


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2009年11月07日

Sydney to Gong Ride シドニーゴン走破(下)

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今年、初参加の奥井悟さんにインタビューしました。


奥井さんは、シドニーで和食レストランを経営なさる、人の痛みの分かるまじめなサイクリストです。


そもそも走ろうと思ったきっかけは?


場所柄、私は毎日1回自転車に乗る機会を作っています。すぐ隣にあるセンテニアル・パークの周回コースを走ります。朝なり昼なり・・・それか仕事を終わった後の深夜走っています。深夜はコースを変えるんですが。昼走れなかった時は、夜出て行きます。それは、自分の健康維持のためにやっています。


知り合いからこういうレースがあるよと、長いんだけど走って見ないかと誘われました。


自分でも考えました、只、健康維持のために走ってるのはつまらない・・・・で、出場してみるか・・ということで。今回初めて走ってみました。



すぐ決断できたわけですか?


それはもう、すぐ決断しました。

走行距離は90キロと書かれていました。コースは山岳地帯というか、ウーロンゴンの手前にすごい上り坂があります。そこが、いやだなと思ったんですが、走ってみてものすごい景色に圧倒されました。ブッシュの中の木漏れ日の中を走っているということで、上り下りという坂を感じさせないんです。そのくらいすばらしい景色でした。



ウーロンゴンの手前までずっとダラダラの上り坂が続きますね?


あれがきついですね。



逆にウーロンゴンが出発点だったら、どうだったですか?


そうですね。そうなると、シドニーに向かう方がきついかもしれませんね。

ウーロンゴンの手前で、いきなり猛烈な急坂になりますよね。

坂ですから、皆スピードが出ますので、規制をかけて、20台30台とまとめた後、出発させるようにしていました。皆で挑戦しあわないように・・ですね。このレースの趣旨は、多発性硬化症の人のために募金をして走るということですから、タイムを競うわけではないので・・・


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で、奥井さんのタイムは?


2時間50分で走りました。



ほう、ご立派ですね。 自分の予想では?


いや全く想像つきませんでした。4時間から5時間くらいはかかるんじゃないか・・・って自分では思っていたんです。それがまあ、想像以上にスムーズに走れたんですね。日ごろ、25キロから30キロを走っていましたんで・・・ですから、センテニアル・パークを6周から7周ですね。1周4.2キロから4.3キロあると聞いています。


同じ場所をぐるぐる回っているのとは当然違うでしょう?


同じ場所を回るほうがきついです。まず景色が変わらなくて、そういう意味での楽しみが、まずありません。こうやって走っていますと、次から次へと見たことの無い景色が現れますからね。上り坂はぜんぜん苦になりませんでした。それが、新たな発見ですね。



奥井さんの出発は、7時半でしたか?


グループに分かれた出発するようになっていまして・・・一番早い出発は朝6時ごろで、一番遅いグループは、たぶん8時半ごろだったのではないでしょうか。


申し込みの時点で、X時のスタートだから、それに合わせて集合するようにと言われます。



前日は寝られましたか?


出発の前日は土曜日でしたので、レストランの仕事が終わって、皆で食事し終わって午前2時です。かたづけして、シャワー浴びて・・・当日の朝5時過ぎくらいに起きて・・・



疲労度はどうでした?


それはもう、さわやかの一言。普段走っている時の疲労度とは全く違いますね。
レースの1~2週間前の予想気温は35度とか言われていたんですが、そんなに気温は上がりませんでした。朝は、結構肌寒さを感じましたね。でも70歳近辺の年齢層の人が多かったですが、そういう人たちは結構きつかったのではないでしょうか?


気候温暖化・気候変動問題で、世界中自転車ブームが起きているようで、参加者は大勢でした。今回は1万人で締め切ったようですが、締め切った後も、申し込みが殺到していたようです。集まったお金も、去年が210万ドルに対して、今年は260万ドルを超えたといいます。感心が高まっているのは確かだなあと感じましたね。



35度の気温だったらどうなっていましたか?


35度でも、自分は完走できていたと思います。そういう体力的な余裕はあったと思います。長距離のレースになると、気温1度違うと、ものすごく違いますよ。汗のかき方などもだんぜん半端じゃなくなりますからね。

先日の35度以上の真夏日には、今年ベトナムにご一緒させていただいたときと同じすごさがありましたね。


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走っていて自分で発見したことってありますか?


走るという点では、相手もたくさんいるのですが、自分との戦いだというのが、再発見ですね。自分への問いかけを続けながら、走るんです。この時点で、まだ自分は大丈夫なのかな・・・と。ここまできた、まだまだいけそうだな・・とか。若い時の気持ちが蘇ってくるんですね。まだまだ、この自分はいけるじゃないか・・と。



上り坂の胸突き八丁の所では何か考えているものですか?


やめようとは思わなかったですね。とにかく最後まで走りたい・・と強く決めていましたので。



走っていて、人の顔なんて見えるものですか?


ええ、結構見えますね。この人は、年いっているのに、すごいなあ・・と思ったり。逆にこの人は若いのにすごいなあ・・と思ったり・・・一人ひとりの顔を見る余裕はあって、そういう感想を持ちながら走れますね。そのくらいの余裕はありましたね。



走っている人同士の会話はないですね?


それは、ありませんね。皆自分との戦いの中で走っているのワケですから・・・それなりにみな、自分とたたかっているんですね(笑い) それは面白かったですね。おしゃべりしながら走っている人は見ませんでした。みな、本当に一所懸命に走っていましたね。


90キロ走破するに必要なものって何ですか?


私の場合は、完走したいという気持ちがいっぱいでした。私の年齢でしたら、やはり体力でしょうかね。普段乗っていますので、足も大丈夫でした。トレーニングされていない人は、足が上がってしまって、たぶんだめになると思います。



リタイアした人も結構いるんですか?


いや、体力によるリタイアはほとんどみかけなかったです。多かったのは、パンクによるリタイアです。パンクに見舞われるとどうしようもありません。ボランティアの方がいらして、ずいぶん手助けしていたみたいですが。でも、ボランティアの方がいないところでパンクしたら、もうどうしようもないです。パンクは、多かったですね、1万台走っているわけですから・・・。そして、下り坂で自転車同士の接触で、こけて怪我している人もいました。



下り坂は怖いですか?


怖いですね。すごいスピードが出ますので。ブレーキをかけた状態でも、時速5~60キロのスピードは出ますからね。それ以下にスピードを落とすと、後ろからどんどんやってきますので・・・余計に危ないということもあります。あおられますからね。


スペアのチューブと、自分の体のために水を持っただけです。自分はあまり飲むタイプではないので、ボトル1本くらいですね。それで十分でした。水が残ったくらいです。それだけ精神的に余裕がなかったのかもしれませんがね(笑い)。

初参加ということで。


ゴールインした時の気持ちは?

やっと来たか・・という気持ちでしたが、もうゴールかという気分的な余裕はありましたね。ものすごく気分が良かったんですね。こういうことで走るのは、すごくいいことだと思いました。(患者さんの)お役に立てることができましたし・・・景色を見ながら、90キロを全部楽しめました。山間部が終わると、海が開けてきて・・・もう最高ですね。とても良かったです。

それに、自分の立てた目標金額もクリアできましたので、良かったです。(と言いながら、800ドルと書いた書類を見せてくれた。)参加を決めたのは、1週間くらい前だったのですが、時間もないし、そんなに集まらないだろうと思って800ドルにしたのですが、おかげさまで結局は1100ドルほど集まりました。家内も、こういうことでドネーションできるならいいことだねといってくれましたし・・普段自分の体を鍛えているんだから、こういうチャンスに1回試してみたら・・とも言ってくれました。娘も喜んでくれています・・・参加するいったら、「おお、やった、やったあ。おとうさんもそういうところへ出て行けるんだ」と言っていましたね。普段仕事ばっかりですから、自分の時間を他人のために使うことを、家族はすごく喜んでくれました。


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次に走る人へのアドバイスはありますか?


90キロ走るなら、普段からのトレーニングが必要ですね。大体、足の筋肉が硬直してしまいますから・・・体力が残っていても、足がやられますと、悔しい結果になりますから。



また走りたいですか?


はい、もちろん。これだけすばらしい経験をしましたので、スタッフにも声をかけて・・・すばらしい達成感もありましたし・・・みな、それぞれ子どもの時に自転車に乗っているはずです。で、大人になると、なぜか乗る人は激減します。

でも、乗ると、あのときの感覚が蘇ってきます。それはすばらしいことだと思います。

私には、ハノイからサイゴンまで、自転車で、ボランティアをしながら、走破してみたいという夢があります。この夏に打診してみたけど、賛成する人はほとんどいなかったですね。

私も前に、バイクで走破しようと計画したんですが、免許のこととか、接触事故を起こした時に、外国人は不利になるので、エンジンのついているものは良くない・・と言われて断念したことがあります。

この春(3月)に、ベトナムの学生が、200人でハノイ~サイゴン間を自転車で走ったようなんですね。


ああ、やってみたいですねぇ。1800キロくらいですか、南北縦断は?1日200キロで10日間ですね。

自転車に興味を持っている人は増えていると思うんです。そういう人たちを誘うことですね。集まってくると思いますね。


最低10人は集めたいし、人に貢献する精神をもって・・たとえばハノイで自転車を買って、完走したら、どこかに寄付することを考えています。いつか、実現したいなと思っているんですよ。


それは面白いことですね。人数が増えると、安全性も高まりますからね。体力の無い人は、サポートに回って頂くとかですね。その募集の際には、ボランティア活動まずありき・・ではなくて、自転車で南北を走破しませんか・・途中でボランティア活動をしませんか・・という呼びかけのほうがいいと思います。ぜひ、やりましょうよ。

(終わり)


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2009年11月06日

Sydney to Gong Ride シドニーゴン走破 (上)

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以前にも、このサイトで書いたことがありますが、シドニー~ゴン・ライドという自転車レースは、速さを競う競技ではないユニークな存在の募金調達のための自転車チャリティ・ランです。シドニーから南部ウーロンゴンまでの90キロなら、自転車があり、体力があり、走る意思さえあれば、いつでも誰でも走れます。


まだ会ったことのない患者さんのために走って、友情、親睦、統一、安全性、風景と達成感を経験できるのが、オーストラリアの11月最初の日曜日だけです。


しかし、多発性硬化症(MSという略称で呼ばれている)という難病と闘っている人のために走る人がこれほど多いのかと、改めて人の心の大きな可能性を感じました。


このライドに初参加したシドニー在住の奥井悟さんの話を載せますが、今年のイベントは、あっという間の1万人の参加者で埋まりました。


ところで、多発性硬化症(たはつせいこうかしょうMS)について少々書いておきましょう。



多発性硬化症 とは中枢性脱髄疾患の一つで、脳、脊髄、視神経などに病変が起こり、多彩な神経症状が再発と寛解を繰り返す疾患である。日本では特定疾患に認定されている指定難病です。


私達の神経活動は神経細胞から出る細い電線のような神経の線を伝わる電気活動によってすべて行われています。家庭の電線がショートしないようにビニールのカバーからなる絶縁体によって被われているように、神経の線も髄鞘というもので被われています。この髄鞘が壊れて中の電線がむき出しになる病気が脱髄疾患です。この脱髄が斑状にあちこちにでき(これを脱髄斑といいます)、病気が再発を繰り返すのが多発性硬化症(MS)です。MSというのは英語のmultiple
sclerosisの頭文字をとったものです。



オーストラリア南部では人口10万人当たり30~80人ほど罹患していますが、南欧、オーストラリア北部はそれほどおおくありません。全体としては高緯度の所が罹患率が高く、日本国内でも北海道と九州では北海道のほうが高いのです。日本での有病率は増えてきており、10万人あたり8 - 9人、人口辺り約12,000人程度であることが2006年神経免疫班会議で報告されています。



実は、今年、大親友の方の奥様が、この病で亡くなりました。この機会に、私もささやかなドネーションをさせていただきました。



ゴン・バイク・ライドの参加者には、最低200ドルの募金調達の義務があります。10人の友人から20ドルづつ寄付してもらってください・・という精神です。そうすれば、あなたはMSに耐えているひとのために200ドルにすでに達成できたのです・・・というのりで呼びかけているものです。
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写真:シドニーに電車で戻る人たち




去年2008年の募金調達額は210万ドル。約1億7000万円です。



今年は、どのくらい集まったかといいますと、11月5日現在で下記の如くです。


総額は274万ドル、日本円で2億3300万円です。

凄いですね。


個人のトップが4万3600ドル。2位が2万3000ドルです。



また、チームで集めたトップが14万1800ドルで、これは日本円で1200万円に相当します。(つづく)



posted by buruta |10:21 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年10月07日

スポーツ医学:豪で増える外傷性脳損傷事故

オーストラリアでは激突型のスポーツで、毎週何百という脳震盪が診断未確定のままにされたり、処置もされないままの中程度の外傷性脳損傷事故が、健康問題として急浮上してきました。


つまり、頭に強い衝撃が加わると、脳が傷ついたり、出血などを起こします。これを外傷性脳損傷といいます。脳が損傷することによって、脳の働きに障害が出て、感覚障害などの症状のほかに、記憶障害、失語症、半側空間無視などのいわゆる「高次脳機能障害」がでてきます。


フットボール選手のほぼ10パーセントは、おそらくより専門的に分類するならもっと多くの選手が、少なくとも1スーズンに1回は、ノックアウトされたり、ぼうっとしていて混乱したままで、精密検査されていないことが、オーストラリアの調査で明らかになりました。


すでに前のシーズンに脳震盪を起こしたことのある選手は、翌シーズンは、ぶつかり合いで脳震盪を経験するのは、ほぼ2倍になるといいます。調査でヘッドギアをかぶっているフットボール選手がこの怪我が少なくなることが明らかになりました、しかし、研究者はその理由は分かっていません。


世界の研究者は、現在、現役の間のに起きる激突型のスポーツにおける選手がかかる複数の震盪とその後の人生における認知証との関連を見つけようとしています。


ジョージ研究所(シドニー大学に属する)からの研究者は、3年にわたって3207人のアマチュアラグビー協会プレーヤーの後を追った後に、フットボール選手の間で繰り返された震盪の大きな危険性を確認しました。


米国では、ナショナルフットボール連盟に委託された報告書が、つい先日発表されましたが、それによりますと、元フットボール選手が通常の30~49歳の男性がかかる率の19倍もアルツハイマーまたは類似した記憶関連の障害にかかっていることがわかりました。


先々週でしたが、当地オーストラリアのNRL、ナショナルラグビー連盟準決勝で、ウェスタン・ブルドッグスのフルバック、ルーク・パッテン選手は、パラマタ・イールズ戦で、最初のタックルでノックアウトされた後に、その後の前半全部と後半の最初まで出場出来ませんでした。


ジョージ研究所のマーク・スティーヴンソン上級部長は、若い選手を襲う危険性について、もっと研究する必要があると指摘しています。


アメリカ・スポーツ医学ジャーナル誌で研究発表をしたスティーヴンソン教授は、こう話しています。

「我々がこの分野の研究を行うことが不可欠です、そのため、我々は証拠を集め、より効果的にこの問題を理解できるようになると思います。

選手が脳震盪を継続して経験した場合には、特段の注意が必要であると、研究結果から、両親、学校と選手を管理するラグビーチームに話しています」



英国皇太子医学研究所のブロー教授は、外傷性脳損傷とアルツハイマー病の専門家であり、外傷性脳損傷については、25年の研究暦があります。トニー・ブロー教授の主張はこうです。


「頭部への衝撃は、どんなものでも危険です。


どんな脳震盪でも、それは脳の損傷です。そして、脳震盪が累積すると、有害です。

それらは、抑制、行動、思考力、反応に関して言えば、生涯の欠陥になり得ます。そして、もしかすると早期認知症につながるかもしれません」


これまでの研究結果で出ているフットボール選手の問題としては、次の重要な点があります。


1.選手のほぼ10パーセントは、毎シーズン、少なくとも1つ以上の中規模の外傷性脳損傷を受けている。


2.脳損傷は最高30分の間の失神、事故前後の記憶喪失、意識の混濁の間で変動する。


3.シーズン前に一度脳震盪を起こすことは、次の12ヵ月間にさらに2回脳損傷を経験することになる。1人のフットボール選手は、6回脳震盪を生じることになる。


4.ヘッドギア着用のフットボール選手はこの脳損傷の危険が少ないように見せる。しかし、研究者は脳の保護具などの着用が脳への危険を減らしているかどうかの確信はない。


5.3年未満のプレー経験、または8年以上のプレー経験をもつ選手は、脳損傷の発生がより高い。


なお、日本では、通常、言語聴覚士、作業療法士、臨床心理士などが訓練しますが、認知リハビリテーションの歴史は浅く、効果的な治療法の開発はこれからです。


最終的にどの程度まで回復するかは、脳損傷の程度、年齢、意識障害の長さ、記憶障害の長さなどによって変わります。復帰できるまで回復する場合もあります

が、残念ながら重い後遺症が残る場合もあるようです。いずれにしても、管理者にも専門医の判断を仰ぐという意識が必要で、なんともなさそうだからと安易に判断して放っておくことは危険です。

posted by buruta |07:44 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年09月14日

最後の200メートル 鞭の回数制限導入 豪州競馬

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オーストラリアで、競馬会と騎手の対立が深まり、春先のレースの開催が危ぶまれている。

オーストラリア競馬会が8月に導入した新しい鞭規則で大論争が起きているが、競馬会は元に戻すことはないとして、騎手と競馬会は、真っ向から対立している。

騎手はレースの最後の200mで5回以上の鞭を使用してはならないという新ルールに、騎手のみならず、競馬界からも抗議の声があがっている。

この新しいルールは、全く実行不可能であり、再考の余地ありと、私は思う。このルールが機能すると思う人がいれば、これは最大のミステリーだ。

オーストラリアは、賭け事の盛んな国だ。騎手は、チャンスさえあれば、レースの最終200mで5回以上鞭を使う。特に多額のカネを賭ける価値のあるレースなら、一層力が入るのが当然である。

レースに勝利と敗北に差がなければ、ミステリーは存在しない。

シドニーでは、有力騎手であるコーリー・ブラウン騎手が、新しい5回の鞭使用規則違反で13レースの出場停止処分を受けた。

先々週の土曜日には、ダミアン・オリバー騎手が、メルボルンのフレミントンで、40万ドルがかかったレースに勝利したが、このルールを破って、非難を受けた。

片やルールを破っても大金をつかめ、片や13レースの出場停止では、差がありすぎはしまいか。

ダミアン・オリバー騎手は規則を破ってでも勝とうとしたのではないか。それはあまりにも明らかにみえた。

若干のケースだけに、ルール違反が非難だけですまされるのが適切であるとするなら、そのルールが正しく機能していないことを受け入れなくてならない。

ルールを元に戻すことはしないという競馬会の内部の雰囲気は、わずか30日後に朝令暮改するのは管理としてはだらしないと思っている言葉から伝わってくる。

いや、間違った管理は、悪い管理法から生じてくるものではないのか。実行不可能な鞭のルールは、間違った管理法である。

ニュージーランドでは、オーストラリアのレースが世界のトップレベルの経営の産業である思われてきた。現在、彼らはオーストラリアに追いつこうとしている。

ここの多くの人々は、これがオーストラリア人のみの問題であると思うかもしれません。オーストラリアで運動している我々の馬が同じ規則の下で実行していることを忘れないでください。それは、我々の馬または我々のジョッキーにとって必ずしも好都合でないかもしれません。

前出のチャンピオン・ジョッキー、コーリー・ブラウン騎手は、「ローズヒル・ガーデンで100万ドルがかかったゴールデン・ローズ賞で、ゴール前できわどくなれば、どの騎手だって新たな鞭規則を意識するだろうか。競馬会が、シーズン冒頭にこの問題のルールを再改定する方向で考えるべきだ。ゴール直前の最後の50mでは、もっと言えば、最後の100mでさえ、争っているジョッキーは、限度無しに鞭を使えるようにすべきだ」と言う。

シルバー・シャドー・ステークスで、ブラウンの騎乗する馬メリトが、ディア・バリーにわずかの差で破れたこともあって、ブラウン騎手の鞭論議はますます過熱気味になった。ダニエル・ガンダートン騎手はディア・バリーに乗って勝った。しかし、その後、ガンダートン騎手が新しい鞭規則に違反したとして、4000ドル近い罰金を科されて、6レース騎乗停止処分を受けた。しかし、ディア・バリーは、その後も勝ち続けた。


新規則の下では、騎手は、最終の200mで3連続のストライドで鞭を当てることは許されないし、肩の高さより上に鞭を上げることも許されない。新鞭規則は「ばかばかしくて」、「無意味で」「実行不可能である」などとさまざまに言われ、グレッグ・ラドリーがパーソナリティを務めるスカイ・スポーツラジオの競馬番組ではホットな話題になった。


今後とも、ゴールデン・ローズ賞のような主要レースでは危険が一杯で、新規則を忘れたり、無視し、もし騎手が勝つために必要と思うなら、違法に鞭を使う騎手が現れると予想される。


「私は、ゴールデン・ローズ賞で、故意に大胆な行動をとる騎手がいるとは思わない。すべてのジョッキーは規則を遵守しようとしている。しかし、ルールの変更には厳しいものがある。おそらく、まずパッドを入れた新しい鞭だけを採用すべきだった」と、ブラウン騎手は言う。


NSW州競馬会のレイ・マリヒー会長は、規則の範囲内で乗るか、グループ1のステータスと多額の賞金が与えられているゴールデン・ローズで、重い騎乗罰則を伴う結果を承知で受けるかだと指摘した。


もし騎手がゴールデン・ローズ賞に優勝しても、過度に鞭を使用したと競馬会が判定するなら、最高35,000ドルの騎乗料は失うことになり、長期の騎乗停止処分が待っている。


マリヒー会長は、新鞭規則の導入は必要であると主張する。


「競馬会が新規則を導入しなくても、これは必然的にやらざるを得なかったことだ。実際には、騎手がバックハンドで鞭を使う分には、使用回数は無制限だ。そして、直線区間で、騎手は20回叩くことができる。こういった騎乗規則は当り前で、海外のレースでも受け入れられているものだ。オーストラリアの競馬もそれに追いつかなければならないことだった」と、彼が説明する。


オーストラリアの騎手協会は、来月オーストラリアの競馬評議会への出席を前に、新しい鞭規則に対するメンバーの声を集めて調査している。新しい鞭規則に関するオーストラリア競馬評議会の正式な見直し評価は、来年2月予定されているのだが・・・。


レースは当面予定通りに週末に全国で行われる。しかし、騎手組合は論争の的となっている鞭規則をめぐって今後もストを行うことを否定していない。

 

新規則の遵守に対する聴聞会がオーストラリア競馬会から拒否されたため、騎手組合は、9月10日に、NSW州、ヴィクトリア州、クイーンズランド州とウェスタンオーストラリア州で開催された競馬での騎乗を拒否した。土曜日のローズヒル競馬場とムーニーバリー競馬場でのメインレースが、騎乗拒否になるのではともみられていた。

 

「オーストラリア競馬会の聴聞会拒否の決定には大きな失望を感じているが、われわれの支持者に対して善意を示すためにも、騎手協会はレースを月曜日まで続けることにした。この問題が月曜日までに解決されない限り、騎手は以後のレースに参加しないという勧告案を各州の協会に持ち帰ることになる」と、オーストラリア騎手協会は表明した。

 

業界の各部門の代表が、騎手が、レースの最後の100メートルで何回鞭を叩くかを巡っての判断を騎手に一任させる規則改定案を提案した。


8月1日に導入された規則改正では、騎手は最後の200メートル以降では、鞭の使用回数が制限されている。

 

新規則とともに、オーストラリア競馬会は、馬に対する衝撃を緩和するために、パッド付きの鞭を導入した。


ARBは、当初の予定通り、来年の2月までは規則の見直しはしないと公言している。


ヴィクトリア州のバララット競馬場で、騎手協会に代わって、メルボルン・カップ3回優勝のグレン・ボス騎手が、こう話した。

 

「騎手側には選択肢はない。馬主協会、調教師協会、厩舎協会と、業界の誰もが騎手を支援している。残念なことに、われわれは窮地に追い込まれた。そして、われわれは窮地に対して反応しなければならない。

われわれは確かにここまでしたくなかった。しかし、騎手協会としての強さを示さなければならない。われわれが最初から拒否した規則が課せられたからだ。

われわれは、ねじれ現象を説明するために競馬会に出向こうとした。われわれは、たくさんのことを求めているわけではない。われわれが最善を尽くす最後の100メートルのためにお願いしているのだ。そして、われわれは競馬業界の全ての人から支持を得ている」


誰もが、騎乗スト決定に賛成しているわけではない。馬主のロイド・ウィリアムズさんは、騎手の主張は支持しているが、ストには批判的だ。

 
「彼らは民間企業のいる人たちだ。そして、彼らがサービスを提供しないということには同意できない。私は、規則を再改訂するという点では、彼らに賛成だよ。評議会は、2月に再交渉して、見直そうといっている。そうなるに違いない」と、ウィリアムズ氏は言った。


豪競馬会のポール・インネス理事長は、「騎手はレースに勝利するより、むしろ競り合っているゴール付近で馬に鞭を当てる回数にこだわって危険を冒していたのだ。問題を認識することが評議会に義務としてかかってくる。評議会の州支部が、全国各州の騎手協会代表と話し合うことになる。そして、評議会は、月曜日までにARBに対する総合的な反応を探る目的で、調教師協会、馬主協会、畜産協会、馬券業界と話し合いをする。危険な状態が解決できるように、緊急課題として、競馬産業にかかわる全ての関係者から話しを聞くことが、評議会の義務である」と主張している。



シドニーの著名なコーリー・ブラウン騎手は、先週第2節を終えたワイオン競馬場の2レースでの違反で15レースの出場停止処分を受けて、ここまで最大の痛手を被った。ブラウン騎手は、彼の騎乗料と賞金も没収されている。

 

動物愛護で導入した新鞭規則はどうなるのか?

 

騎手のストという珍しい行動の行方はどうなるのか?

 

かつて、エビの躍り食いが禁止になり、エビの刺身を作るとき、何秒以内で殺さなくてはならないというルールを作ったオーストラリア。エビは痛みを感じているという論法と同じなのだろうか?

 

動物愛護なら、いっそ最後の200メートルの鞭を全面禁止にしたらどうか?最後の一直線の200メートルを、鞭無しで勝負するのである。それが愛護である。いちいち馬上で鞭の回数を数えていられるだろうか? そのうえ、5回が適当かどうかなど、馬に聞かなくてはわからない話しだ。 

 

果たして、11月のメルボルン・カップは開催されるのか?


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2009年09月04日

2010年ワールドカップに向けて 豪州対韓国戦

国際サッカー連盟(FIFA)が9月2日に発表した最新の世界ランキングでは、日本は一つ下げて40位に。アジアのトップはオーストラリア。先月より2位あがって14位。明5日オーストラリアと対戦する韓国は49位。

 
1位はブラジル、2位はスペインで、3位はオランダで、上位3カ国に変動はなかった。オランダは、明5日に日本と国際親善試合で対戦する。4位はイタリアとドイツが並んだ。


さて、5日の豪韓親善試合は、14位対49位の対戦だが、豪州の楽勝というわけにはいくまい。
オーストラリアは、明5日、韓国と国際親善試合を行う。オーストラリアのフェルベーク監督の作戦はいかに。
 

オーストラリア代表チームに6つの変化があった。
 
ハリー・キューウェル、デイビッド・カーニー、ルーク・ウィルクシャーとダニー・インヴィンシビルが、対韓国戦不参加となった。それに加えて、ティム・ケイヒルは足の故障。「ティミーは、足と戦っている。プレミアシップと欧州リーグで多くの試合をしているからだ。それは、彼が今までに持っていたものとは全く異なる障害だ。彼は問題はない。しかし、今は長いシーズンの初めなので、彼をイングランドに残しておいたほうがよい」と、監督は言う。


「私は、トルコでの試合をみていた。ハリーは8月24日、途中出場して、30分プレーして得点した。ハリーは偉大なゴールをあげたが、膝に嫌なキックを受けた。検診に一緒に行った。しかし、彼の足首は100%でない。韓国戦に危険を冒してハリーを連れてくる価値がない。彼が治療に専念することのほうが大事だ。状態はよくなかったが、彼は元に戻ると自信をもっていた」と、フェルベーク監督は言う。
キャプテン・ルーカスニールも不参加となる。


フェルベーク監督は、ニールについて次のように話す。
「『ニールを取り巻く状況』にはあまり心配していない。彼が4月または5月に所属チームが決まらなかったなら、彼がキャプテンについて心配し始めるだけだ。ルーカスの状況は、少し特殊だ。私は他の皆と同じくらいしか心配していないし、彼の決定(彼が行きたい所で)を待っているのだ」と、話した。

「また、彼が現在いるところに留まるならば、それはよりよいこと。私は彼との定期的に連絡をとりあっている、しかし、私ができることは何もない。
それは全く彼次第だ、そして、彼は自分の将来に集中する必要がある。彼は今31で、適切なクラブと契約するために、適切な機会を待っている。その点について、なにも間違った事はないと思う。そういうわけで、彼は今回代表チームに入っていない」


「デイビッド・カーニーはオランダでFCトゥヴェンテと新たに契約したので、拠点となるオランダの新しい環境と出発点に定着することが重要だ。ルーク・ウィルクシャーは、この2ヵ月で出場過多となっている。ダニー・インヴィンシビルは、残念なことに、先週背中の怪我に気付いた。回復の途上で時間の飛行機旅行は望ましくないと判断した」と語った。


フェルべーク監督は、現段階での補充はしないという。

5日のオーストラリア対韓国の一戦は、双方23回目の対戦となる。過去の対戦成績は、オーストラリアの9勝5敗8分けで、オーストラリアがリードしている。

マイケル・ビーチャンプ、ジェイソン・カリーナ、ビンチェント・グレラ、ジョシュ・ケネディ、マーク・ミリガン、マイケル・ペトコビッチとシェーン・ステファヌットは、8月12日リメリックで行われたアイルランド共和国戦(日本キラーのケイヒルの2ゴールの活躍でオーストラリアが2-1で勝利)からははずれたが、韓国戦で代表チームに合流。

ニキータ・ルカヴィツヤは、アイルランド戦で国際試合にデビューを飾り、韓国戦でも再び代表チームに選ばれた。因みに、ニキータ・ルカヴィツヤ(1987年6月22日生まれ)はウクライナ(当時はソビエト連邦)・ムィコラーイウ出身。現在はエールディビジのFCトゥヴェンテでプレーしている。ダニー・インヴィンシビルは前代表チームになを連ねてデビューのチャンスがあったが、背中の軽い故障でアイルランド戦に参加できなかった。

サッカー豪代表チーム:マイケル・ビーチャンプ(オールボー)、マーク・ブレッシアーノ(パレルモ)、ニック・カール(クリスタル・パレス)、アンテ・コヴィッチ(エルフスボリ)、ジェイソン・カリーナ(ゴールドコースト)、ビンセント・グレラ(ブラックバーン)、ブレット・ホールマン(AZアルクマール)、マイル・ジェディナック(アンタルヤスポル)、ジョシュ・ケネディ(名古屋グランパス)、パトリック・キスノルボ(リーズ・ユナイテッド)、スコット・マクドナルド(セルティック)、マーク・ミリガン(上海)、ジェイド・ノース(仁川)、マイケル・ペトコビッチ(シヴァスポル)、ニキータ・ルカヴィウツヤ(FCトゥヴェンテ)、マーク・シュウォーツァー(フラム)、マシュー・スピラノヴィッチ(ニュルンベルク)、シェーン・ステファヌット(ノース・クイーンズランド)、ダリオ・ヴィドシッチ(ニュルンベルク)、ライス・ウィリアムズ(ミドルスブラ)。


大韓民国のホ・ジョンム(許丁茂)監督は、オーストラリアにぶつける韓国代表チームを、海外で活躍する選手を中心に構成した。
ホ監督は、2002のワールドカップ当時のベテラン選手、FW安貞桓(アン・ジュンホアン)、薛琦鉉(ソル・キヒョン)、金南一(キム・ナミル)とDFの車ドゥリを招集した。車は、現在ドイツのフライブルクでプレー。代表チーム入りは2006年以来。一方、フラムのストライカー薛琦鉉(ソル・キヒョン)と中国の大連実徳所属の安貞桓(アン・ジュンホアン)は、2008年以来の代表チーム入りだ。

この他、マンチェスターユナイテッドMF、朴智星(パク・チソン)、ウィガンの趙 源熙(チョ・ウォニ)、ボルトンと契約した李青龍(イ・チョンヨン)も代表入りした。このほか、もちろんKリーグ、Jリーグ所属の選手も入っている。

韓国代表選手:車ドゥリ(フレイブルク)、李栄杓(イ・ヨンピョ=アル・ヒラル、サウジアラビア), 李正秀(イ・ジョンスー京都サンガFC) 金東進(キム・ドンジン=Zenit St Petersburg), 金根煥(キム・クンファン=横浜Fマリノス)朴智星(パク・チソン=マンチェスター・ユナイテッド)、李青龍(イ・チョンヨン=ボルトン), 趙 源熙(チョ・ウォニ=ウィガン),金南一(キム・ナミル=ヴィッセル神戸); 薛琦鉉(ソル・キヒョン=フラム), 朴主永(パク・チュヨン=モナコ)、李根鎬(イ・グノ=ジュビロ磐田)、辛泳録(シン・ヨンロク=ブルサスポル)、曺 宰溱(チョ・ジェジン=ガンバ大阪)、安貞桓(アン・ジュンホアン=大連実徳)


フェルベーク監督は、2001年のコンフェデレーションズ杯で、豪韓2チームが水原(韓国が1-0で勝った)で対戦した時、韓国監督であったフース・ヒディンク監督の補佐だった。今回は、そのフェルベーク監督が、オーストラリアの監督として指揮を執る。

フェルベーク監督は、海外で活躍する選手を主体にした韓国チームは手強いと予想する。マンチェスター・ユナイテッドのMF朴智星(パク・チソン)と2002年のワールドカップの時のストライカーで大連の代表選手になっている安貞桓(アン・ジュンホアン)は要注意とみる。


「我々はゲームに勝つために韓国にきた。しかし、どういうプレーをするかは、結果より重要だ」と、同監督は強調した。

「良きパフォーマンスは人生をより安楽にする。そのうえ、我々がアイルランドでいい結果をのこしたので、プレー次第ではより勝利の可能性がある。
私は全くよく韓国選手の心理を知っている。そして、韓国の名声が危機に瀕しているので、敵は我々を叩こうとしている」


オーストラリアは、アイルランドに対する目覚しい勝利で精神的には楽だ。アイルランド戦には参加しなかったMFのビンス・グレラ(ブラックバーン)は負傷しているが期待出来る。またAリーグの開幕に集中できるように一日休日をもらったジェイソン・カリーナにも期待したい。


2-1でオーストラリアとみるが・・・


日本対オランダ戦も見逃せない・・・

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2009年08月13日

BLUETAGオリジナルアイテム

ブル太よりBLUETAGオリジナルアパレルの案内です。

BLUETAGの活動に共感いただきたくさんの会社様に応援いただいておりますが、その1社に丸和繊維工業株式会社という日本屈指の縫製技術を持つ会社さんがいます。高級ゴルフアパレルなどを手がけたりみなさんも
良くご存知の色々なブランドのお仕事をされています。

今回は、丸和繊維工業株式会社さんの社長はじめ社員のみなさんのBLUETAGを盛り上げてアスリートを応援していこうという熱意でBLUETAGオリジナルアパレルの企画が実現しました。

Tシャツが2タイプ。
それぞれメンズの型とレディスの型をつくり、色はネイビーとホワイトの2色があります。
いずれも厚みのあるしっかりとした素材でとても高級感のある仕上がりになっています。

もう一つがポロシャツ
BLUETAGが営業開始をした2007年~という意味で、SINCE2007とLOVE SPORTSというBLUETAGの「L」ではじまる企業理念の一つを使ったワッペンも付いています。
襟には、この企画がスタートした時点で認定されているアスリートの数、「82」の文字が。
これには一つ面白い話があって、先日「アスリート支援セール」でご一緒させていただいているヤフーさんに伺ってお見せしたところ、「これ(82)ってヤフーってことですか?」・・・
実は違ったのですが・・・ 「えっ!えぇぇ・・・そうです・・・・」 と言いながら正直に背景を説明しました(笑)


それでは、アイテムの写真を紹介します。

まずは第一弾Tシャツ
ネイビーとホワイトの2カラー。
BLUETAGオリジナルTシャツ1
BLUETAGオリジナルTシャツ1-1

フロントには、BLUETAGアスリートが取り組む様々な競技名をデザインしました。
BLUETAGオリジナルTシャツ1-2


そして、Tシャツ第2弾!
このTシャツのポイントはバックの左肩下にあるプリント。
BLUETAGオリジナルTシャツ2
BLUETAGオリジナルTシャツ2-1
BLUETAGオリジナルTシャツ2-2
BLUETAGオリジナルTシャツ2-3


BLUETAGのタグラインである「スポーツを変える青いチカラ」を書家・春流/破留(ハル)さんにご協力いただきました。ハルさん自身、オリンピック選考会までいかれた元アスリート(スイマーです)。挑戦するアスリートを応援したいと、BLUETAGに直接ご提案をいただきました。今後はハルさんと色々とオリジナルアパレルを展開して行く予定です。

BLUETAGオリジナルTシャツ2-4
BLUETAGオリジナルTシャツ2-5


かなりカッコイイです。
あとハルさんが書かれたメッセージで好きな言葉が、
「乗り越えた先にしか見えないものがある」
アスリートとして挑戦している中で生まれた言葉だそうです。

最後になりましたが、ポロシャツです。
そうあの82(ヤフー)入りの・・・


メンズ、レディスタイプと襟カラーはネイビー、ホワイトと2タイプあります。

BLUETAGオリジナルポロシャツMENS
BLUETAGオリジナルポロシャツMENS-1
BLUETAGオリジナルポロシャツLADIES
BLUETAGオリジナルポロシャツLADIES-1

これがワッペン。

BLUETAGオリジナルポロシャツロゴ


以上です。
今月に限り、夏限定+オリジナルTシャツ・ポロシャツ完成記念セールとして、
BLUETAGショップならびに、ヤフーショッピングの
アスリート支援セールでは、20%オフで限定販売中です


posted by buruta |06:39 | buruta | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年08月03日

世界最年少の世界1周無寄港単独航海  16歳 来月の船出

buruta-103750.jpg

ジェシカ・ワトソンさんが8才の時に、両親がヨットの学校に入れてくれた時に、ジェシカはちょっとつま先が水に浸っただけでも、体はこわばってしまった、という。
 
「私は、濡れることが怖かったんです」と、ジェシカ・ワトソン。サンシャインコーストの女子学生だ。まだ女生徒といったほうがぴったり。
 

ジェシカは、5月で16歳になったばかり。最年少で世界1周の単独航海を目指そうとしている。彼女が成功すれば、彼女は、メルボルンのジェシー・マーティンが1999年に作った記録を破ることになる。そして、彼は18歳で世界1周単独無寄港の航海を成し遂げた。

 
ジェシカは、8ヵ月かけて、世界で最も危険な海をいくつか乗り切る航海は23,000海里に達する。「私は、怖くなんかありません。明らかに神経質にはなっていますが。私は、荒波をぬけ、次の荒波を求めて行く力を持っています」


ジェシカは、これまで単独で沖合での航海はしたことがない。それは、年齢制限でボートの免許取得は許されていないからだ。16歳になるまで、免許申請は出来ない。しかし、彼女は免許をもった船乗りが乗船して、まるで、単独航海と同じようにタスマン海を横断したのだった。

buruta-103751.jpgあの航海で、私はたくさんの自信を付けました。感情的に高ぶっている時に、自問自答しました。(単独航海は)出来るかな? できるよね。と。免許が申請できないので、[単独の世界一周航海のため]自分一人で準備するすべはありませんけどね」


ジェシカの野心的な航海を、家族は無謀だと言った。親類からは、世界1周単独航海には、まだ若すぎると反対の声があがった。だが・・・・両親は娘の航海を支援するために、フルタイムの仕事を辞めた。ジェシカと両親は、種々の危険が待ちかまえているであろうことは十分承知している。

 
「航海には高度の危険が付き物です」と、母親のジュリー・ワトソン。母親は、ジェシカがちょうど11歳の時、ジェシー・マーティンの壮大な航海の物語、『勇敢な人』の読み聞かせをして、ジェシカの世界1周単独航海の野望に点火させたのだった。


女性による初の世界1周無寄港単独航海を成し遂げたケイ・コッティーさんと、やはり世界1周無寄港単独航海を最年少で成し遂げた、メルボルンのジェシー・マーティンさんに感化されたジェシカ・ワトソンさんは、世界1周無寄港単独航海の新記録を狙う。

 
しかし、母親のジュリーは、ジェシカが成熟してきたことと、経験を積んだ冒険家が娘の能力を鍛えてくれた自信で安心感を覚えている。「有能なる冒険家は、娘がどのようなプレッシャーの下でも対処していけると、一貫して言ってくれています。娘の知識は、素晴らしいし、娘の能力は素晴らしい・・と。彼らは、娘にはそれらが身についていると言っています」

 
冒険家のドン・マッキンタイアさんが中心の支援者で、彼女に10.2メートルのスループ帆船を提供し、船の名前をヤンゲスト・ラウンド・ドット・コムと付けた。
 

来月の出港を前にして、ジェシカはナビゲーション、通信、電子機器と安全手順の修得に余念がない。彼女の航海は、赤道を横切り、南下して、南アメリカの先端のホーン岬へ、大西洋を横断して南アフリカへ、喜望峰を回ってインド洋を横断、そしてオーストラリアまでの世界1周で、来年の4月に帰港する予定だ。


ジェシカの最大の恐怖は、航海を中断する何かと遭遇することだ。しかし、母親のジュリーさんは、娘との連絡が途絶えることがもっと怖いという。「娘との連絡が途絶えて私たちと通話ができなくなったら、最も厳しい時です。私たちが大海原で位置を見られるトラック・プラス[衛星追跡システム]で状況がわかる限り、娘の安全を知ることが出来ると思っています」と、言う。


 
ジェシーは、先人の記録を1歳縮めるために、9月に出発して17歳になる来年5月18日以前に戻る計画だ。

 
人間の心は鍛えなくてはならない。鍛錬がなければ、人間は堕落する。

ドイツの哲学者カントも述べている。

「何人たりとも訓練なくして有徳であることはできないburuta-103752.jpg

【ジェシカの情報】

誕生日:1993年5月18日生まれ。
姿勢:常に最善を尽くす。積極思考。とにかく、たくさんの質問をする。
趣味:アウトドア一般。ウォター・スポーツすべて。キャンプ。読書。料理。フェンシング。ボー世の設計。チョコレート


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2009年07月27日

親は子どもに範を示せるのか?

場外の暴力事件を根絶するために、出場する少年選手の親がジュニア・ラグビー・リーグゲームから閉め出される可能性ができた。


発端は、実にくだらないことから起こった。

暴行事件が起きたのは7月18日土曜日。9ヵ月の女の子を抱いていた母親と相手チームの父親との間で起きていた口げんかを収めるために、一人の親が中に割って入った。試合は、グレンウッドのミューランツ・オーヴァルで行われた12歳以下のラグビー・リーグ。セント・パトリック市対ブラックタウン市の対戦を、親たちは観戦していた。


試合後、場外で暴行事件が起きた。最高10人の子どもたちがこの暴行をみて、30人もの親が衝突に加わっていたという。

暴行を一身にうけたのは、ジュニア・ラグビーの選手の父親の一人、ガリー・ハーリングさん(42)。意識を失って地面に横たわる間も、暴行を受け続けた。少なくとも2人の女性がこの肉体的な暴行に関与していたという。


マンディー・ハーリング夫人は、と言った。

「ジェームズが父を叩いている男性の背中に飛び乗った『ぼくのお父さんから離れて!』と、彼は飛び上がって、その男性をつかんだけど、息子は押し戻され、あごにパンチを浴びたそうです。
それから私はその男を蹴って、言ったんです。『私の息子に手を出さないで』と。そして、もう一人の女性が私に向かって来ました。彼女が私を殺すかも知れないと思ったので、私は後ずさりしました」

下の息子のオリバー(12)君も、この暴力を目撃した。上の息子ジェームズ(16)君も、暴行を受けて負傷した。

ジュニア・ラグビーの選手の父親ガリー・ハーリングさんの妻が、夫への襲撃が家族に計り知れない影響を与えていると、明らかにした。

伝えられるところでは、対戦チームの3人の父親が、ガリー・ハーリングさんによってたかってひっぱたいて重症を負わせた。

ハーリングさんは、耳と目から脳髄液が漏れ、手の骨折、頭部が腫れ、眼窩の骨折などの重傷を負っている。

奥さんのマンディー・ハーリングさんは、言った。


「下の息子のオリバー(12)君が、父親を病院に訪ねて行った時に、気絶しそうになった。息子は、まだショックから抜けていません。初めて父親に会って、顔が真っ青になりました。そして、息子がかなり震えていたので、看護婦が彼を座らせて、両足の間に頭を突っ込ませました。夫が病院へ行く途中で3回も発作を起こし、日曜日にまた発作に襲われて、更に検査を受けました」

ハーリングさんは、他チームのジュニアチームの選手の父親3人から暴行を受け、顔面に入ったひびで顔面の整形手術を待っている。

セントラル・コースト・ジュニアラグビー連盟は、彼らが厄介な見物人の問題でうんざりしているというメッセージを送るために、2010年の第1節からすべての父兄を締め出すことを検討している。

ニューサウスウェールズ・ラグビーリーグのジェフ・カー専務理事は、クラブの根本的な対策を検討したいと、次のように話した。

「彼らには両親が観戦させないように来年の最初のゲームから導入しようと、クラブメンバーに話をしようと思っている。
ジュニアフットボールを破壊する手に負えない親を規制するために、各クラブが最大限出来ることをしなくてはならない。メッセージが完全に伝わるように、いかなる対策もとっていきたい。われわれのメッセージは伝わると確信する。それがわれわれの次のステップであるならば、彼らはそれを判断してくれる最高の人々だと思っている。彼らが模範を示さなければならないし、彼らは示せるはずだ」


ハーリングさんの2人の息子は、なぜこんなことになったのか、理解に苦しんだまま苦悶している。

ようやく警察も動き始めた。目撃証言が食い違って苦労しているようだ。携帯電話の写真が事件の解明に役立つかもしれず、事件を携帯電話で写真を撮っている人がいたら協力するよう呼び掛けている。また、警察は、ハーリングさんが病院から退院するのを待って正式に事情を聞きたいとしている。


暴行を許してはならないから、厳しい捜査と法の厳格な執行が必要だ。そもそもこれは民事事件ではない。刑事事件だ。

それにしても、たかが子どもの試合ではないか。仮に大人の試合であっても、喧嘩は禁物だ。この国がフェア精神を自慢するなら、親や指導者がGo-Fareを教えなくてはならない。場外乱闘などもってのほかである。選手と同じように、観客にも整然としたマナーが求められる。

ケースは違うが、今年の1月に、新潟県の中学生のフットサル大会で、コーチを務める教頭が、苦手チームとの対戦を避けるために、選手にわざと負けるように指示し、実際に大敗していた事件があった。教育の現場で、どうやって「子どもたちを触発し、挫けない挑戦の心をうえつけるのか」を苦労しているのに、敵前逃亡を教える教職員がいたのだ。


大人は、子どもに模範を示せない時代になってしまったのか? 

ギャラクシー所属ベッカムが、イタリア1部リーグのACミランとの親善試合で観客を挑発したとかで、アメリカ・プロリーグMLSから罰金千ドルが科せられたが、観戦の親も、教職員も、プロ選手もっとしっかりしろよ・・といいたい。


フランス憲法2条で国歌として定められている「ラ・マルセイエーズ」。この革命歌は「敵軍からわずか二歩」の場所で作られたと言う。せめて、あの7月18日に、現場で「ウォルシングマチルダ」でも歌う者はいなかったのか? 緊張を中和するに、歌は最高だ。観戦のルールの中に、歌唱力というのを入れてもらいたい。大人が、もっとしっかりしてもらいたいよ。

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2009年07月21日

大試合の主審を務める女性は出てくるのか?

メリッサ・イェーツとダニエルベリーは、ナショナル・ラグビー・リーグで新しい歴史を作りつつある女性レフリーだ。


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メリッサ・イェーツさん

イェーツはプレミアリーグレベルですでに審判員をしており、早く1線級になれるようにとの目標を持っている。一方線審のベリーは、リーグ審判員の6つのポジションのうちの1つを得て、同様に上を狙っている。
 

ナショナル・ラグビー・リーグ(NRKL)の99年の歴史で、一流のラグビーリーグ試合の審判をした女性はいない。しかし、NRLのロバート・フィンチ審判部長は、この流れはまもなく変わるだろうとみている。
 

「彼女らが十分にこなせれば、変わらないわけがないだろう」と、フィンチ部長は、主張する。

一流の試合の審判をする最初の女性レフリーを目指しているベリーにとって、この一言は吉報だ。

 
「そうなれば、それは大変なことだ。『あなたは、最初の女性主審になれる』と、協会の多くの人が言ってくれた。私はできるだけ早く実現させてみたい。そのためにできるだけ厳しい訓練を受るつもり」と、ベリーは話す。

 
イェーツもNRLに照準を当てている。が、一級の審判になる最大のチャンスは、線審として働けるようになることだとみている。
 

疑問の目で見られている27才の彼女らは、最高の試合に女性が主審を務める心構えは出来ている。

 
「私には、なんとしても主審を務めてみたい。しかし、現実的には、女性にそういう場面がえ与えられそうにはない。今年は、プレミアリーグで審判をすることに集中しており、2、3のゲームで主審をしたが、うまくいけば、NRLの線審ができるかどうかだ」、と、イェーツが言った。

 
「プレミアリーグでは、明らかに、私たちに言い返してくるNRLの選手もいる、でも、概して彼らは線審である私には全く満足しているようだ。それは;私が女性なので、劇的なドラマもないし。メディアに問題があるとも思わない。彼らは多分われわれの味方でしょう。しかし、われわれには常に批判者がいるようだ」
 


時折「とんま」がいてベリーに難癖をつけたりするが、ベリーは、「選手達は、男性の線審によりも、女性の線審に対して一般的に当たりが柔らかい」と、言う。
 

「私の地元では、『今日は女性の審判がいる。言葉には気を付けろ。口答えはするな』と、キャプテンがゲームの前に言い渡していると、耳にしたことがある。
 
明らかに、男性であることを武器として使って、私たちをこてんぱんにやっつけにくるとんまもいないわけではありません。でもそんなのかまわないです」と、彼女が言った。


ベリーとイェーツの登用はNRLにとって時宜を得た勢いだ。そして、それは新人を審判に惹きつける大いなる要素になっている。

 
著名レフリーはフルタイムで雇用され、年間収入100,000ドル以上を稼ぐ。彼女らもその後に続く時代が来るのか。

 
日本では、『源氏物語』が最近、読み直されている。千年の時を経て、なぜまた広く読まれているのか。『源氏物語』を読むことによって、表舞台での女性の活躍をたくしているのではないか。



母親が家族の長であり、社会の指導者であった時代が再び訪れる、一つの大きな兆候ではないか(作家・丸谷才一氏さん。「文学界」1月号)。

 
「国文学者を除けば源氏は昭和に至るまで蔑視され無視されてきた。皇子(みこ)が天子の后と恋仲になって子をなし、その子が帝(みかど)になる筋がけしからん、という非文学的な理由によって。明治最高の目利きである鴎外と漱石も源氏に冷淡だった」と、丸谷さんは痛烈だ。


力があっても主審を任せられないのは、彼女らの問題ではなく、男性社会の問題だろう。


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