2010年03月26日
オーストラリアは、少しずつ秋に近づいている。
が、まだ暑い。
世界各地で、今年に入っただけでも、地震、水害など天災が起きている。
数日前、オーストラリアのパースでは、大嵐が二日間にわたって吹き荒れ、ゴルフボール大 の雹(ひょう)で、外に止めておいた車はぼこぼこにやられ、外に展示してあった自動車販売会社なども大被害を受け、値引きセールをやる始末だ。
屋外スポーツの世界も、グランドでやる以上、天候の変化を大きく受ける。
今回は、スポーツと天気をテーマに、書いてみよう。
去年の9月23日は、オーストラリアはビッグ・レッド呼ばれた日だ。空が真っ赤 なことは、オーストラリアでは別におかしくない。綺麗な夕焼けは、誰でも見慣れた景色だ。しかし、朝から視界中がすべて、真っ赤なのだ。朝焼けではない。 レッドセンターと呼ばれるオーストラリア中央部の赤土地帯から、赤土が西風に乗ってやってきたのだ。
ナショナル・ラグビー・リーグのクロヌラ・シャークスの選手が、歴戦の記録を収めたトロフィーのキャビネットを開けて驚いた。1997年のシーズン最終戦の翌朝以来、朝からこんなに埃っぽいことはなかった、という。なにしろ、深呼吸をする気になれないほどの砂塵 だ。深呼吸どころか、普通の呼吸ですら、息を吸えば、砂塵が入ってくる。
シドニーとブリズベーンでの競馬は中止になった。人間は強い。この真っ赤な砂嵐の中、オーストラリア・フット ボール・リーグのパラマタ・イールズは、翌日の試合に備えて、午後遅く、この真っ赤な砂が舞う中、走りの練習をしたのだ。とても、目を開けていられる状態ではなかった。
しかし、クインズランド州のアルビオン・パークとイプスウィッチでの2箇所のグレイハウンドレースは中止と なった。犬の都合か、観客の都合かわからない。
この砂塵の舞った日は、ウィークデーだったので、スポーツ選手と生徒は最も影響を受けた。NSW州カソリック・カレッジとトンガの男子学生チームのラグビーの試合がペンリスで行われたが、オリンピック・パークのあるホームブッシュ・ベイで行われる予定だったハイスクール大運動カーニバルは延期された。砂塵が収まり清浄されるまで、待機せよとの通報がだされた。
すべての禁止通達のなかで、最も破壊的だったのは、ニュー・サウス・ウェールズ州教育省が、どんなスポーツ、PE レッスン(体を使う授業のこと)もしないようにとお触れを出したことだ。これは、すべてのやる気のある児童から登校する願望を奪ってしまった。休憩時間にフッ トボールもだめ、クリケットもダメ・・となったから。
【ラグビー】
2006年のスーパー14のファイナル。 クルセイダーズ(ニュージーランド:クライストチャーチ市)対ハリケーン(ニュージーランド:ウェリントン市)の試合は猛烈な濃霧だった。ジェイド・スタジアム(現 クライストチャーチのAMIスタジアム)で、クルセイ ダーズはハリケーンに勝ったようだと、皆は思っている。でも、誰も確かなこと はわからなかった。それは、霧で誰もはっきり見えなかったからだ。状況は滑稽であっ た。ワン・トライだけはたしかに記録されたのだ が、結果は19-12。すべては選手 と審判のみが知る幻のスコアだった。
【ラグビー・リーグ】
2000 年にオーストラリアの首都のキャンベラ・ス タジアムで、リーグ初のトップ争いが行われたが,グ ランドは雪の中でアイスリンク状態になった。結果は、キャンベラ・レイダーズが、ウェスト・タイガースを24-22で破った。ある記事では、あまりにも寒 かったので、ストリーカーでさ え服を着ていたと書く。この国は、裸でグランドを回 る観客が時々登場するので、そのことを言っている。しかも、この時の観客数は7384人だったという。
で も、記事では、入場者数は、そのようなひどい天気の中で予想されたより7384人多かったと書いた。面白い記事だった。本当は、誰もこないと踏んで いたのか。この時の選手には、凍傷の症状が出た。レイダーズのマル・メニンガ監督は、普段は冷たい水を配るトレーナー が、選手の体をほぐすためにお湯をあげてたよ、と言っていた。トンガ出身のタイガーズのジョン・ホポア テ選手は、雪を一度もみたことがなかったと感激していた。
【クリケット】
2002年。フェンスを越え て山火事が迫ってきたシドニー北部100キロのセスノックのクラブ・ク リケット選手は、ボウラーと一緒に歩き続けたが、こ の時カメラマンが撮った写真が優秀賞を獲得した。迫る火勢に悠然と歩く選手のシルエットを撮ったものだ。
だが、昨年、クリケット史に残る珍しいことがおきた。テスト・マッチの日、蜂の群れがインドのデリーを襲い、クリケット・グランドにもやってきた。インド代表チームと、オーストラリアのバットマン、マシュー・ヘ イデンとリッキー・ポンティングは、 審判のアリーム・ダールとビリー・ボーデンの指示で、全員が芝生の上に手足を伸ばして伏せた。もちろん指示した審判員も。この写真を見たときに、私は、雷 が襲ったのかと思った。
【テニス】
オーストラリアのプロ・テニス選手トッ ド・リードは、2004年に、アルメニアのサルギス・サルギシアン選手との5セットのゲーム 中猛暑にやられ、ボーダフォン・アリーナでとことん吐いてしまった。
さらに、これまでのどの選手より汗っかきのパッ ト・ラフター選手は、2001年、アンドレ・アガシ選手との準決勝で、テニス・シューズが汗でビッショリ濡れ、ワン・ステップごとに、長靴に水が入ったようにキューキュー音を立て始めたのだ。ファッションショーのごとく何回もシャツを着替えてはプレー したが、結局、ラフターは、5セットで負けた。その後、彼は点滴でしばしの時を過ごした,と聞いた。
いずれにしても、異常な天気は、いろいろなところで、スポーツに影響を与える。だからこそ、負けた時の言い訳にはなるのだが。(完)
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2010年03月19日
昨日、息子の卒園式に。
2クラス、計44名の園児たちが一人ひとり名前を呼ばれると「はい」と元気な返事をして、「僕は大きくなったら○○になりたいです!」と自分の将来の夢を言ってから園長先生のところへ。
園長先生から卒園証書をもらって振り返り、母親のもとへ言って「毎日美味しいお弁当をありがとう!」など母親へお礼してから着席。
中には色々な想いがこみ上げたのか泣き出してしまう園児も。
そんななか、スポーツって凄いなぁ。メディアのチカラって凄いなぁと改めて感じたことが・・・
卒園する子供たちの夢にはバンクーバーがきっかけになったと思われる夢がいくつか。
「僕はおおきくなったらボブスレーの選手になりたいです」
「僕は大きくなったらスノボの選手になりたいです」
「僕は大きくなったらスピードスケートの選手になりたいです」
昨年、同じ幼稚園を卒園した娘の卒園式では全然出てこなかった夢。
ボブスレーいいねー! 都内のどこでやるんやろ?
なんて思いながらこの子たちがスポーツに触れる機会をもっとたくさん創れる社会にしてあげたいと思いました。
今回のバンクーバーオリンピック、パラリンピック出場者には長野出身と北海道出身選手が多いと現地取材に行かれた方から聞きました。
長野五輪、札幌五輪でまだ子供だった彼らですね。
身近にトップアスリートの戦う姿を観て、その競技をやる環境が近くにあったことが少なからず影響しているのだろうな。
今回のバンクーバーでは、派遣を見送られた選手、競技がいくつかありました。理由は色々あるのでしょうが、年間人生をかけて準備してきた選手が出場さえできないことで次の世代がついてくるだろうか?
日本のスポーツや次の世代を育てることを考えると決して良い判断ではなかった。 と感じて欲しい。
オリンピックの時しかそのスポーツに触れる機会がなく・・・その瞬間だけをみて結果を求めてしまう・・・そんな状況を変えていくためにももっと情報発信を積極的にしていかないと。
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2010年03月16日
ロニーとは、言わずと知れた クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロのことだ。
超有名選手だから、ロナウドのことは詳しい人が多いと思うので、ロナウドとマデイラのつながりだけをご紹介しておこう。
1985年2月5日、クリスティアーノ・ロナウド(人はロナウドと書き、発音するが、彼の故郷フンシャルやリスボンでは「ロナルド」なんですけどね)は 大西洋に浮かぶポルトガルのマデイラ島最大の街フンシャル(マデイラ自治領の首都)に生まれる。
家族は両親と兄1人、姉2人で、ロナウドは末っ子である。父親のディニスは公務員として働きながら、地元のアンドリーニャというサッカークラブの管理を 手伝っており、ロナウドはこのクラブで6歳の時にサッカーを始めた。
4年後の1995年にCDナシオナルに入団。この頃からロナウドの名が広まり始めた。一年後にスポルティング・リスボンのスカウトを受けて、母親と共に リスボンへ移住。
一方サッカーでは急速な成長をみせてユースを駆け上がり、2001年9月29日のS STAR戦で17歳にしてプロデビュー。以降25試合に出場し、クラブ史上最年少ゴールも決めた。
私もロンドン時代、何回かマデイラ行きを計画したが、ついぞ果たせなかった。その人気のリゾート地、大西洋のポルトガル領マデイラ島で今年2月20日、 前夜からの豪雨で土砂崩れが発生し、記録的豪雨による洪水で42人が死亡し、120人が負傷した。行方不明者は数十人とみられている。
ロナウドの故郷である中心地フンシャルなど同島南部では土砂崩れと浸水で、道路や家屋に大きな被害が出た。泥水の勢いで横転した車や倒木が見られ、フン シャル市内では住民が軍の施設などに避難した。
マデイラは空前の土砂崩れで大被害を受けた。何百という人々が家を失った。ロナウドは、マデイラ島でチャリティの試合をすると発表し、救済事業に一役 買ってでた。彼は、ユニフォームの下の着るシャツに『マデイラ』と書いて、ひそかに故国の人たちと苦しみを分かち合っている。そして、彼の所属するレアル マドリッドが最近ヴィジャレアルに勝利した時、ユニフォームをまくって見せて、故郷にエールを送った。
「あそこは私が育った所、私の家族が住んでいる所だ。テレビで見たけど、信じられなかった。自分ができる方法で、何でも助けたい」と、ロナウドがその時 に言った。
このフットボールの巨星は、実は西オーストラリア州とつながっていることがわかった。
10年ちょっと前、ロナウドが10代のとき、ロナウドのお爺ちゃん、お婆ちゃんは、子どもたちのいる西オーストラリアに行って新しい生活をすると言い出 し、十代のロナウドは祖父母にさよならを言った。
ロナウドの母マリア・ドローレスは、その時、両親や兄弟に加わらず、マデイラの旧市街フンチャルのこじんまりした家に留まることを選んだ。そして、十代 の息子クリスティアーノ・ロナウドは、ポルトガルの原動力と言われるスポルティング・リスボンで実力を発揮した。ドローレスはマデイラでまだ生活をする一 方、彼女の両親、兄弟は、以来パースの郊外ヤンゲバプに定住したままだ。そこでは、世界で最も有名なフットボール選手の身内が、実はすんでいるということ は殆ど知られていない。
ロナウドの家族は、オーストラリアには合流しないかもしれないと思っているようだ。しかし、彼は、しばしばオーストラリアにいる家族たちに思いを馳せるらしい。4年前、彼は、彼が率いるポルトガルの試合をみてもらおうと、パースにいる祖父母、マリア・アンジェラさんとホセ・スピノラさんを、ドイツに呼び寄せたという。この4年前のワールドカップ・ドイツ大会では、ポルトガルみごと4位になった。
「フットボール・・・ロナウドは大好きだね。そして、彼は勝つことが好きなんだ。彼は非常に忙しいから、あまりたくさん話でないよ」と、ロナウドの伯父 アレックス・ヴィヴィエロスは話しているという。
パースの人々は、あの有名なフットボール選手が自分の甥に当たると言っても、誰も伯父さんの話は信じなかったらしい。しかし、話はゆっくりと広まって いった。
要するに、ロナウドのお爺ちゃん(81歳)、お婆ちゃん(80歳)には、なんと13人の子供たちがいた。そして、そのうち4人が両親とともにパースで暮 らしている。
パースのポルトガル領事館によれば、西オーストラリア州のポルトガルの人口は8000だ。そのうち、マデイラ出身が85パーセントを占める。マデイラ出 身の人は、1950年代にかなりの数が、移住してきた。そして、多くは漁師としてフリーマントルに定住した。
2月の土砂崩れで、幸運にもロナウドの親戚は生き残ったが、この災害はオーストラリアのロナウドの親戚にも大きな影を投げかけている。
もしロナウドが、お爺ちゃんお婆ちゃんのいるオーストラリアに移住してきて、国籍をとったら、どんなことになるのだろうか。ありえない話だが、可能性ゼ ロではないだろう。
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2010年03月05日
オーストラリアは、3日、ブリズベーンで行われたAFCアジアカップ最終予選で、1-0でインドネシアを破り、アジアカップ、カタール2011の出場権を 獲得した。
サンコープスタジアムのピッチは、ブリズベーン地方に5日連続の大雨が降ったにもかかわらず、驚くべき整備だったようにみえる。その連日の雨の中、 20,422の観衆が駆けつけた。ファンとはありがたいものだ。そして、濃紺を主体とした新しいデザインのユニフォームで登場したサッカールーズ。引き締 まった感じを相手に与えたのではないか。
オーストラリアのスタメンとサブスティチュートは次の通り。ユージン・ガレコヴィッチ、シャノン・コール(72分マット・トンプソンと交代')、マーク・ ミリガン、サイモン・コロシモ、スコット・ジェミソン、ジェイコブ・バーンズ(89分にデイヴィッド・ウィリアムズと交代)、ルーク・ウィルクシャー、マ イル・ステリョフスキ(45分にマット・マッカイと交代)、主将ジェイソン・カリーナ、トミー・オール、ジョシュ・ケネディという布陣だ。
マーク・ミリガンの国際試合初ゴールであげた虎の子の1点を守って、サッカールーズが一丸となった。前半40分は、フラストレーションが溜まったが、サン コープ・スタジアムの観衆の前でいい試合を見せたのではないかと思う。
サッカールーズの勝利で、ポイントは11となり、オーストラリアはB組
のトップに躍り出た。クェートは8ポイント、オマーンは7ポイント。一方インドネシ アは、最終予選では、3引き分けで最下位で終了。
Aリーグ主体のチーム中で、海外組みは3人だが、2006年ワールドカップメンバーのミリガンには冷静な判断とツキもあった。ミリガンが、42分ルーク・ ウィルクシャーのフリーキックのリバウンド・ボールを蹴りこんで、出場権をものにした。しかし、インドネシアの3に対してオーストラリアのゴールショット は22であり、もう少し点が入っておかしくないところだ。
オーストラリアのボール占有率80%をみると、やはりインドネシアには冴えがなかった。サッカールーズのここ数試合のなかで、この試合が一番安心してみて いられたのは、この圧倒的なボール占有率に他ならない。インドネシアのキャプテンでストライカーのバンバン・パムンガスにも、これだけボールをとられて は、見せ場は作れなかった。
オーストラリアは80%近いボール占有率で圧倒しわけたが、その割にはゴールは一つだった。後半に入ってからも追加得点のチャンスが多数ありながら、得点 できなかったのは、ひとつは、ストライカーのジョシュ・ケネディの拙攻にある。
ケネディは、5分に二つのへダー(ヘディングシュート)をミスしたことと、国際デビューのトミー・オールの放ったクロスをインターセプトして、後ろで待ち受けるウィルクシャーへ つなぐチャンスを逸したことなどだ。
ジョシュ・ケネディはまるで当たらなかったが、カリーナ、ウィルクシャーとコロシモにはきわだったものがあった。キャプテンのジェイソン・カリーナは何回 もロングシュートを放って、GKのマーカスを揺さぶったが、真正面すぎたりして、得点にはいたらなかった。
右アタッカーのマイル・ステリョフスキは前半さえないプレーで、ハーフタイムでウィルクシャーが上にあがり、MF強化のためにステリョフスキを下げて、 マット・マッカイを投入した。ステリョフスキには、問題が残った。サイモン・コロシモは、ミリガンのゴールの後、果敢にヘディングを試みた。決まるかにみ えたが、GKのマーカスの美技に阻まれリードをチャンスをふいにしたが、ついていなかった。ジェイコブ・バーンズはがんとしてボールを獲りに行った。そし て、マット・マッカイはハーフタイムから登場して好印象を残した。
ミリガン(ジェフ・ユナイテッド市原・千葉)は、ウィルクシャーのクロスを肩で受けてクロスバーに当たったリバウンドボールの行方を冷静に みて、きわめてタイトのアングルから至近にいたGKマーカス・ハリソン・リヒヒナへ蹴りこんだ。ローアングルでボールはGKマーカス・ホリソンの足を通過 してそのまま勢いよくネットへ。ほめられて良い。
「とにかく、オーストラリア代表チームのためにあげた私の最初のゴールだ。ボールがクロスバーに当たって自分のほうに運よく落ちてきたのでラッキーだっ た。そうそう、こういうツキはあるもんじゃない。我々は、明らかに、あの一瞬が好きなんだ。我々は、チームとして守りは固かった。明らかに、もう一つの ゴールがほしかった。しかし、我々はインドネシアが固い守りをし、ボックスを守っているのもわかっていた。アジアカップに出場できるのはうれしい。それが 一番の問題だったから」と、ミリガンの声が弾んだ。
ミリガンは、この予選はFIFAワールドカップの前に働きを見せる最後のチャンスであると、みずから語っていた。彼は、国際試合初ゴールでその言葉を実現 したことになる。
「サッカールーズでの初めてのものなので、私は有頂天だ。選手はタフだった。決して楽な状況ではなかった。湿度はすごかったし、ピッチは重かったので、本 当によく戦ったと思う」と、彼が言いました。
地元の若手トミー・オールは国際舞台で攻撃的デビューをした。
見慣れない三桁のジャージナンバー121 。オールは速さと見事なまでに器用なフットワークで、ライバルを圧倒した。しかし、デザインを変えたサッカールーズのユニフォームと同じように上品であっ たし、それ以上に力強かった。
彼の力あふれんばかりのパフォーマンスは、結局レフェリーの目にとまり、インドネシア選手のジャージを掴んでイエローカードをもらってしまった。
ロスタイムで放ったゴールショットは残念ながらセーブされたが、これが決まっていたら、劇的なデビューになっていただろうが、プロの世界、やはりそうは簡単に問屋が卸さないものだ。
トミー・オールのプレーについて、ミリガンは簡潔だった。
「あいつは稲妻のようだ」と、彼は、驚いていた。
国際デビューを飾ったトミー・オールとシドニーFCのDFシャノン・コール(2人とも19歳と18歳だ)の、雨の中での見事な活躍は、今後 大きな戦力になることを十分にうかがわせた。フェルベーク監督が選んだ久々のヒットである、というと叱られるか。
フェルベーク監督は、シャノン・コールを72分でベンチに下げた。
「私は、あまりにたくさんの圧力を若手にかけたくなかった。彼は素晴らしいゲームをした、そして、私はあなたがこういうことができる若手の選手がいること が、オーストラリアのフットボールのために素晴らしいと思う。彼は、今年、信じがたい長足の進歩をとげた。ゼロから出発で、クイーンズランド・ロアーでプ レーし、代表チームに選ばれて、このようにすばらしいゲームをした。それは彼にとってはすばらしいことだ。そして、どうか圧力を彼にかけ続けないでほし い。普通のの18才の少年として育ててほしい。私は、それが大切なことであると思う」と、フェルベーク監督は試合後話した。
1ポイント、つまり引き分けで十分とはいえ、この試合を引き分けで行こうと考える選手はいない。長く苦労した最終予選だっただけに、この勝利はオーストラ リア・サッカー界を元気づける勝利だった。インドネシアが相手であったとしても、 Aリーグが国際的標準をなんとかクリアしたと考えていいのではないか。
対オーストラリア戦でインドネシアの最後の勝利は、1981年のワールドカップ予選である。インドネシアの30年間の勝利無しは、辛いものがあったのでは ないか。
インドネシアはゴールを取りに行ったときでも、チームがペースをつかめず、パムンガスやブディ・スダルソノのアタッカー組みとの連携が悪く、2人とも殆ど 有効な動きがとれなかった。
インドネシアは元気だったが、それ以上のものではなかった。インドネシア側で、担架が前半だけでも4回も運び込まれたことは、それをよく物語っている。ア ウェーのインドネシアにとって、これはダメージコントロールの課題でもある。(終わり)
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2010年03月03日
「勝たなきゃだめ」とルーカス・ニール
サッカーワールド・カップまで100日を切った。今晩の対インドネシア戦(ブリスベ ン:サンコープ・スタジアム)は、精神的にもサッカールーズにとって、大事だ。
サッカールーズのキャプテン、ルー カスニールは、本日のインドネシア戦に先立って、ピム・ フェルベーク監督にメッセージを送った。「われわれは、勝つ必要がある」と。
アジアサッ カー連盟が、今日水曜日を、FIFAの指定する国際試合の日に出来なかったために、フェルベーク監督だけではないが、チームの中に、予定した良い選手を入れることができなかった。
しかし、ニー ルは、「今回のインドネシア戦に勝って来年のアジアカップ出場権をとれば、選手自身がワールドカッ プ代表チームへの選考も含めて、フェルベーク監督のスポットライトが当たることになる。私は、彼らがやってくれる (勝つこと)と思っている。 われわれは、勝つ必要がある。我々には、後がない。アジア・カップはオーストラリアにとって非常に重要だ。私は、彼らが立派に仕事を果たしてくれると確信 する。彼らの何人かは立派な仕事をし、多分ワールドカップにもみごと選考される機会になるだろう。ワールドカップ出場のための選手選考は終わっていない。 誰かがブリズベーンで頭角を現すと期待したい。良いプレーをし、フェルベーク監督の最前線に出る絶好のチャンスだ。その時が来た」と、トルコから声援を送る。
レベルは違うが、今日の試合には、Aリーグの監督が、選手の品定めに、数人が来るらしい。そういう点でも、各選手、全力を出してほしい。
来年1月にカタールで開かれるアジアカップ決勝戦に出場するためには、オーストラリアは、ホームでのドローが必要だ。
今回もサッカールーズの主体は、Aリーグ所属の選手だ。昨年行われた豪ーインドネシア戦では、ジャカルタで0-0の引き分けとなっている。
その中にあって、ヨーロッパをベースとする選手は、新シーズン開幕直 前のディナモ・モスクワ所属のMFルーク・ウィ ルクシャーだけだ。
「ヨーロッパ在籍の選手は飛んでいって参加することができない。経験の少ない選手とウィルクシャーのような二~三の選手に頑張ってもらう しかない。サッカールーズの強運を祈る」と、ニールは声援を送る。所属するガラタサ ライは、先日の日曜日に、4-1でライバルのカシンパサを破った。
そこで、期待を一身に集めているのがルーク・ウィルクシャーだ。
5年間、サッカールーズに名を連ねるも、一度もゴールあげたことはなかっ た。今晩、ブリズベーンのサンコープ・スタジアムで、2011年のアジアカップ最終予選、対インドネシア戦が行われるが、ハットトリックを出しそうな勢い のルーク・ウィルクシャーである。
11月 の対オマーンで2-1の勝利。その後の今年1月の対ク ウェート戦での2-2の引き分けでは、いずれもウィルクシャーが得点 した。オーストラリアとしては、もっと早くアジアカップ決 勝出場を決めたかったところだが、サッカールーズが必要とする点をたたき出してきたのは、ダイナモ・モスコーのMFルーク・ウィルクシャーである。
彼は、フェルベーク監督のマスター・プランの海外組みの3人の一人である。後の2人は、ジョシュ・ケネディとマーク・ミリガンである。アウェイのインドネシア戦に、ウィルクシャー(28) は多くの責任が彼の肩に、彼の足と頭脳にかかっているということを認識している。
彼自身と数少ないストライカー、ジョシュ・ケネディへ注目が注がれているわけだが、ウロンゴン出身のウィルクシャーは、いや増す責任と重要性をおくびにもださない。
先週のキャンプでは、重要なMFを固めるために、いつも通りライトバックから出たウィ ルクシャーは、ハットトリックも十分ありるかなという動きを見せたらしい。
「僕だって他の選手のように、得点するのが好きだ。僕がクウェート戦でやった左足ボレーは自分にとっては全く普通のことではなかった。現実問題として、そうだ な、我々が試合に勝ち続ける限り、私が自分のキャリアの中でサッカールーズのためにさらに得点できなくても満足だ。チームが勝ち続けることが、僕にとって はるかに重要なことだ」と、彼が言いました。
ミドゥルスブラから、 ブリストル・シティ→トゥヴェンテを経由してモスクワの富裕クラブ、ディナモ・モスクワへの経歴は、 宣伝嫌いなウィルクシャーは、どんな称賛も受け付けない典型的に地味な選手である。
この1月に3年 の契約を交わしたウィルクシャーは、こう言った。「試合で うまくなっていくために、一生懸命やらせてもらう。そして、私は多分そういう考え方の人間だ。その秘訣は、絶えず上にいきたい、少しでもうまくなりたい、チャンスがくれば生かしたいという願望を 持っているからだと思う」
端役の選手から、2006年のワールドカップではフース・ヒディンク監督から人を引っ張る選手に抜擢されたが、ウィルク シャーは過去を振り返ることはしなかった。
彼は、インド ネシア戦で、ゴールドコースト・ユナイテッ ドのジェイソン・カリーナとキャプテンの地位を争うまでに なった。それは、自分で願っていないことかもしれないが。
キャプテンの腕章が彼を興奮させるわけでもないし、かといって、その腕章が彼の心を乱すわけでもない。
彼は言った。「そのことはそれほど心配することではない。僕は、戦える状態ができているようにと集 中している。キャプテンが回ってきたら、それはもちろん大きなボー ナスだ」
ゴールをあげられなくても、ライトバックに配置されれば、ウィルクシャーは、正 確なクロスと敵を出し抜く鋭い走りは有名だ。
ゴールができなくても、彼は長身の殺し屋、ジョシュ・ケネディにボールをまわして、インドネシアのディフェンスに高さを取れるようなチャンスを作れれば、彼は満足だ。
ウィルク シャーは、こう話した。「ジョシュは僕のの長所を知っている。僕は、彼の長所を知っている。我々は、お互い良く分かり合っている。彼は、チームに一味違うものをもたらす。彼にはチームの他の 誰も持っていない高さの才能を持っている。僕がボールを正しく入れられれば、彼はそこにいる、そういう人だ」
今晩勝利し て、アジアカップ出場資格を確実にして、モスクワに戻るか・・・ルーキーさん。いいとこ見せて頂戴。ロシアのサッカー・シーズンは3月中旬から始まる。
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