2009年11月28日

オーストラリアの将来のスポーツ像

ロンドン・オリンピックがすこしずつ近づきつつある。


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オーストラリアでは待望久しいクロフォード・スポーツ報告書なるものが今月中旬に出されたが、それには、オーストラリアは、国際的にやりすぎる国になるのを阻止しなければならないとし、オリンピックで「現実的な」トップ10の国の結果で満足することを学ばなければならないとある。


実業家のデイビッド・クロフォード氏は、オーストラリア有数のBHPビリトン社とレンド・リース社の最高経営陣の一人である。彼は、連邦政府へのスポーツ提言で問題ある39の勧告を行ったが、クロフォード氏は「オリンピックで成功を勝ち取るにはカネがかかる。そして、オーストラリア精神を発揮する大型のプロスポーツなどに資金投下した方がより良い」と勧告している。


同報告書に対して、オーストラリア・オリンピック委員会ジョン・コーツ委員長は、クロフォード氏と報告書作成委員は、エリート・スポーツ、国際的なスポーツについて語る資格がないと即時に批判した。報告書は、最近のセンス育成資金援助減少傾向に歯止めをかけるために、1億ドルの即時投入を求めるオリンピックとパラリンピック・スポーツの嘆願を拒否している。


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報告書では、
● 例えばオーストラリア・フットボール、クリケット、ラグビーリーグ、ラグビー・ユニオン、サッカー、ネットボールなどより動員力のあるスポーツに、資金を使用することがよりよい。


● 委員会としては、オリンピックの成功というものについて、違った角度からとらえる教育が国民には必要だと強く信じる。


● このことは、国の想像力を捕えて、その精神と文化を代表するそれらのスポーツの優先性という概念の中でエリート・スポーツの成功とは何であるかをよりはっきりと定義することを意味する。これらは、国家レベルと世界レベルでの我々の競技が一国として成功感覚にとって重要なスポーツのことである。


● どのスポーツが国家の精神を具現するのかという議論がなければならない。水泳、テニス、クリケット、サイクリング、フットボールコード、ネットボール、ゴルフ、ホッケー、バスケットボール、サーフ・ライフ・セービングなどは、オーストラリアで最も人気があるスポーツの一つで、国家精神の一部になっている。


不思議なことだが、クロフォード氏は、ハーブ・エリオット、マージョリー・ジャクソン、ベティ・カスバート、キャシー・フリーマンとスティーヴ・フッカーを通して強きオリンピック国家の記憶として植えつけてきたトラック及びフィールドに言及していない。クロフォード氏は、カヌー、柔道、テコンドーとアーチェリーなどのようなスポーツへの資金援助を批判している。


● 報告書はまた、動員数、評価、スポンサーの後援と参加などに基づけば、クリケット、オーストラリアン・フットボール、ラグビーリーグはより多くの財政支援を受ける価値があるとしている。


しかし、コーツAOC委員長は、「同報告書は礼を欠いたものであり、ものを知らなさ過ぎると指摘する。大型のプロスポーツは、すでに優れたスポーツ基盤によって国庫の援助を受けており、入場収入や放送収入によって財政的な利益を得ている」として、次のように批判する。



buruta-126916.jpgクロフォード氏は、BHP社とLend Lease社が一番になることを期待してはならない、と言っているのか、そして、それらが閉鎖して、オーストラリア国内で国民から支持されている事業にだけ集中すべきだと言っているのだろうか?彼がわが国のスポーツ選手にいっているのは、そういうことでだろう。ディーン・ルーキン(ウェートリフティングのスーパー・ヘビーウェート級)とスティーブン・ブラッドベリーに、あなた達はもう英雄ではないと、話してみるがいい;彼らは侮辱されたと感じるだろう。彼らが我が国のためにやったことは大事ではなかったのか、と。14ヶ月かかってまとめたクロフォード報告は、汗を流してスポーツシステムを現在の成功に導いたあらゆる人に対して礼を欠くものである」と。


オーストラリア・パラリンピック委員会のマイルス・マーフィー委員長は、「オーストラリアの現在・将来の選手、コーチ、役員の必要性が無視された」と述べた。


オリンピックの金メダリスト、キーレン・パーキンス選手は、「プロスポーツには資金が潤沢であり、マイナーなスポーツはより貧しい」と主張する。


クロフォード氏は、「オリンピックのような注目のスポーツ競技やオーストラリアン・マスターズへのタイガー・ウッズの出場が、具体的にスポーツ参加に影響しているという証拠を見つけることは出来ない。社交的でレクリエーションのスポーツ選手を登録することでスポーツ参加の機会を増やせるようスポーツを奨励したい」と主張する。


彼は、全国の研究所を巻き込んで、オーストラリア・スポーツ委員会とオーストラリア・スポーツ研究所のあたらな構成を勧告した。


クロフォード氏は、スポーツがより多くの放送権収益を受けることができるように、法規制の緩和も求めた。


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ケイト・エリス連邦スポーツ担当相は、彼女が新年にこの報告書に応えたいと述べた。



オーストラリア・オリンピック委員会のジョン・コーツ委員長は、オーストラリアがオリンピックでメダルを獲得できる数は劇的に減少すると警告し、あまり成功していないスポーツに予算支援カットをする連邦政府の計画を感知して、実は先制攻撃を開始していた。


連邦政府のクロフォード報告書は、最も多くのメダル獲得の可能性あるスポーツに集中させ、メダルを獲れないスポーツには予算を減らすなど、スポーツ支援予算の劇的な削減の勧告を予想したためだ。


今回出された報告書に対して、政府は、今年の末にまでには、何らかの態度を表明することになりそうだ。しかし、コーツ委員長は攻勢に打って出た。

「予算カットすれば、オーストラリアが世界のスポーツ・エリート国からの脱落を意味する。


スポーツを決めて予算をつける話は、危険をはらんでいる。我々が20~30個のメダル獲得予想していたモントリオール(1976年のオリンピック)・オリンピックの二の舞はしたくない。結果は、1つの銀と4つの銅メダルだった。メダル獲得数では、上から32番目の国だった。とても恥ずかしい思いをした。


エリス連邦スポーツ相は、若いのでモントリオール・オリンピックのことは覚えていないと思う。しかし、私は彼女が私たちがあの暗黒の日々に戻りたくないと思っていることは十分わかって頂ける博識の方と思う。


オーストラリアは、過去4つのオリンピックで26競技でメダルを獲得した。そして、それは幅広い予算を提供したことが成功の原因となっている」


例えば、ヨット競技は、2004年にメダルを獲得しなかったが、4年後には、金二つと銀一つと、オーストラリアで2番目に成功したスポーツとなった。オリンピックでの体操競技ではこれまでメダルを獲得出来ていないが、10月の世界選手権では、2つの銀メダルと1つの銅メダルを獲得した。


「物事にはサイクルがあるので、スポーツの枠を広げなければならない。体操は、複数メダルの獲得の種目になった。それは、あなたが我々のような国では、目標を定めた資金援助のモデルを採用できないことを示す。多くのスポーツには山もあれば谷もある」と、コーツ委員長は主張する。


コーツ委員長は、10月27日、オーストラリア・オリンピック委員会の年次調査を公表した。それによると、オリンピック大会が今年開催されたならば、オーストラリアのメダル獲得競争では、第6位(昨年北京で)から第7位に落ちたであろうと予測している。


オーストラリアの選手は、今年、世界選手権規模の競技会で、38個のメダル(内9つの金メダル)を獲得した。そして、ヨットと男子ホッケーの2種目でメダルの可能性を非常に強めた。


しかし、これは1997年以降の調査で、オーストラリアとしては最悪の成績だった37個に次ぐ不成績に終わっている。


オーストラリアのオリンピックのメダル獲得競争は、この10年漸減しており、シドニー大会の58個、2004年の49、2008年の北京オリンピックの46個と右肩下がりとなっている。


クロフォード報告書待ちで、個々のスポーツは将来の計画を描けない状態となっており、オリンピック・スポーツに対する政府資金援助は、北京から旋回状態となっている。


オーストラリア体操協会のジェーン・アレン専務理事は、最前線に立てたかもしれないすべてのスポーツは、不確実性を抱えて心配であると、次のように心のうちを語った。


「国家的にみれば基本的には現在動きがとれない。なぜなら、将来がどうなるか、私達にはわからないから。我々がまだオリンピック・メダルを獲得していないので、我々のスポーツは常に神経質になっている。もし報告書がメダルが取れるスポーツだけに予算支援を勧告するなら、我々のスポーツは危険にさらされると思う。そして、より小さなスポーツを支持しないならば、我々はもう一人のサイモン・フェアウェザー(オリンピックのアーチェリー金メダリスト)に会えるだろうか?


私にとっては、すべてのスポーツ選手にオリンピック出場選考のために努力する機会とオリンピック・メダルのために努力する機会を与えないなら、それはオーストラリア人はない」


どんなスポーツも、2012年にロンドン大会の準備にはまだ2年半もあるので、今年中に財政支援の後押しを受けることはありそうにもない。


同時に、イギリス、フランス、ドイツを含むオーストラリア・オリンピック委員会の直接の競争相手国は、すでに財政支援を始めている。それら各国とも、次期オリンピック大会に、スポーツに少なくとも10億ドルを投入する予定であり、オーストラリアの現スポーツ予算のほぼ2倍に当たる。


コーツ委員長はこう話す。

「スポーツ選手に予算を投じている国々は、我々より先行しているか、または我々に肉薄している状況だ。


私は、我々傘下のスポーツ団体全体がこの報告書の発表に時間がかかっていることに失望していると思う。各スポーツ団体とも、選手を支援し、コーチを抱えるために、資金を必要としているからだ。時間は浪費されている。


各スポーツ団体が右肩下がりを右肩あがりにしようと思えば、オリンピック・スポーツは年間さらに1億ドルを必要とすると見通す。「選手育成の費用が早く投下されれば、右肩下がりに対処できる。そうなれば、我々はまだロンドン大会で上位5位で終わることができる」


オーストラリア・パラリンピック委員会ジェイソン・ヘルウィッグ広報担当は、「オーストラリア代表チームは1992以来初めて、ロンドン大会で上位5位から脱落する”真の危険性”を今抱えている」と、危惧を表明した。



さて、直近の動きだが、オーストラリア・オリンピック委員会(AOC)は、先週提出されたクロフォード報告書作成に関与した会社に対して法的措置をとることを検討していることも分かった。


AOCは、レポートが準備される間、スポーツ市場とコンサルティンググループであるゲンバが不正確な財政支援の詳細を提供したと主張している。


報告書は連邦政府によって委任され、方法資金提供のチェックがオリンピック競技と非オリンピック競技で分けられている財政援助をの方法の見直しを提案している。


しかし、報告書は、1億ドルの財政援助をすれば、オーストラリアが確実にオリンピックのメダル獲得数の「上位5」にとどまれるというAOCの主張を認めず、それは実技の適当な判断基準ではないとした。


独立スポーツ報告書の作成に当たり、デイビッド・クロフォード氏は、メダル獲得数で国際スポーツ界におけるオーストラリアの成功を測定するのは最高の方法でないと言っている。


これに対して、AOCのコーツ会長は、報告書は侮辱的であり、勧告によって「うんざりさせられた」と言った。



AOCは報告書を批判する一方、AFL、NRLとボート協会などはそれぞれのスポーツの参加人数に焦点を当てたことを含めて、勧告を歓迎している。


スポーツ各団体は、周りの動きを注視しながら、静観している様子だ。


とりあえずは、報告書を受けた政府の態度表明待ちであると言える。


クロフォード氏の言うように、スポーツ国家の尺度がメダル獲得数にあるのはおかしい。しかし、メダルが獲れないスポーツへの資金援助を減額したり、廃止したるするのは、いびつなスポーツ観である。それこそ、メダル獲得数に動かされているに等しい。


メジャーなスポーツはそれこそ黙っていてもある程度の資金は集められる。マイナーなスポーツの選手をいかに育成するか、それにどのように費用をかけるか、伸び盛りのスポーツをどうやって育成していくか、スポーツl国家の裾野をいかに広げるか、いずれも欠かせない視点ではないだろうか。それがまた、国民的関心事といえる。特に、この国は、スポーツが出来ないと社会でもなかなか認められない国であるだけに、どこに合意点を見出すのか、興味がある。


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2009年11月19日

ジェシカ・ワトソン 赤道に迫る


ジェシカ・ワトソンが世界1周単独無寄港を目指している話は、今年の8月3日の当欄に載せたので、覚えておる方もいらっしゃると思う。


ジェシカ・ワトソンが世界1周単独無寄港を目指している話は、今年の8月3日の当欄に載せたので、覚えておる方もいらっしゃると思う。


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16歳の冒険家ジェシカ・ワトソンは、シドニーを出帆して1ヶ月になるが、ほぼ赤道に到達したようだ。


最年少で無寄港・単独で世界1周の記録樹立をめざすジェシカの航海の距離は、この週末までに、2500海里(4500キロ)を越すことになる。


ニュージーランド気象学者ボブ・マクダヴィット氏は、彼女は18日(水曜日)に赤道に到着すると予測している。一方、ジェシカの広報係り、スコット・ヤング氏はかなり慎重だ。


「我々は、彼女が風が彼女の船旅に劇的な影響を与えているので、X日まで航海を終了できそうだと言うことについては、少し内気になっている。彼女は、まだそんなに遠くへは行っていない。予定よりはかなり早く進んでいて、これは実にすばらしいことだ」と、ヤング氏は、月曜日に話している。


ジェシカは、10月18日のシドニーを出港したが、彼女の航行距離は38,000kmに及ぶ。


彼女の最初の予定では、35日で赤道を通過することになっていた。


もし彼女が昨日、水曜日に海の一里塚ともいえる赤道に到達していたなら、彼女は予定より3日早く進行していることになる。


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ヨット「ピンク・レイディ」を操船するジェシカの単独無寄港の航海は南
半球が中心だが、世界1周の記録の資格を得るためには、少なくとも一回は赤道を横切らなければならない。


ひとたび赤道を通過した後は、南太平洋へのコースに戻し、さらに南アメリカの南端のホーン岬に向かう。


彼女は、一番最近のブログで、こう書いている。

「私は、待つことが出来ない。非常に重要な瞬間です。すべてが予定通りに進むならば、...それから、もう一つの箱をチェックしなくてはならない。我々は南に針路を取ることができる」と。



シドニーを出港してからは、ジェシカの食生活は、冷凍の乾燥食品、ドライフルーツ、ビスケットでのある。

また、パンも焼き、カップケーキさえ作った、という。


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しかしながら、魚釣りはうまくいかなかった。


「私は、やっと魚を捕えたということを見せるために、釣り糸を引っぱった!」と、彼女が先週彼女のブログの上で書きました。


「それが何であったか、それがどれくらい大きなものであったか、そして、それがどれくらいおいしいものであったか、話したい。そして、むしろ大きな歯をした誰かが、私の前で食べてしまった」と、ブログに書く。



ジェシカの航海は、www.jessicawatson.com.auで追跡することができる。(終わり)


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2009年11月17日

サッカールーズ 10人でオマーンに逆転勝利

オマーン対豪州戦は、オーストラリア東部夏時間の15日未明、マスカットのサルタン・カブース・スタジアムで行われた。


先月、サッカールーズはメルボルンでティム・ケイヒルの活躍でオマーンに勝ったが、今回もまた、豪州にはツキがあった。


試合がはじまって15分。ミドゥルスブラのリース・ウィリアムスがオマーンのストライカー、イーマド・アル・ホスニの背中に突進した時、いやな予感がした。レフリーはペナルティをとり、いきなり・レッド・カードで一人を失った。


その直後、ウィリアムスのペナルティでハリファのペナルティシュートを、シュワルツァーが見事にセーブしたかにみえたが、瞬間はじいたボールがゴールラインに流れ、ゴール左に回ってきたハリファの前にリバウンド・ボールが。そこをすかさず、ハリファがゴールに蹴りこんだ。


ゲームは、1点先行するオマーンが、終始、押し気味だった。しかし、ハリー・キューウェルらサッカールーズのMF4人組は、よく耐え、見事な連携でオマーンを封じた。


前半終了2分前の43分、ブレッシアーノからのクロスを元ミドゥスブラのルーク・ウィルクシャーがゴール前での混戦を制してチョコンと蹴って左のバック・ポストにゴール。ルーク・ウイルクシャーの国際試合初ゴールだった。このゴールは、同点にした以上に意味があった。オマーンのやる気を突き崩したといえる。


チャンスをいっぱい作るオマーンに勝つためには、後半を何とか生き延びなくてはならなかった豪州。


シュワルツァーのアル・ホスニとイスマイル・アル・アジミなど至近距離からのショットを再三セーブし、ウィルクシャーはアルホスニのヘディングを見事に交わし、クレイグ・ムーアはハシム・サレーのショットをブロックしたプレーは、まさに値千金で、ひたすら自軍のゴールを待った。


そして、忍耐の末に、豪州に逆転がころがりこんできた。後半残り7分、左サイドでボールをキープしたサブスティチュートのデイヴィッド・カーニーが、手を上げて合図を送るブレット・エマートンにぴたりのクロスを送って、ゴール右に蹴りこんだこの2点目が、3ポイントをオマーンから奪取した。


これで豪州は、2位のクウェートに1ポイント差、3位のオマーンには3ポイント差をつけてB組のトップに立っただけでなく、2011年のアジアカップへほぼ間違いなく王手をかけた。


一人を失い、1点を先行されたサッカールーズ。残りの75分を10人で戦い、かつ1点のビハインドにかなり緊張感が走った。結果はアウェーで2-1の逆転に成功し、2011年にアジアカップ決勝戦に進出するポールポジションをとったと言える。


退場処分を受けたウィリアムスの穴であるバック・ライトを、エマートンがしっかりと埋めたこと、そしてシュワルツァーの数度にわたる偉大なる、そして華麗なるセーブ、DFのムーアが見せたDFの中心としての真髄、そして、MFの活躍でもぎ取った対オマーン戦の勝利だった。これで*グループB*のトップに立った。


フェルベーク監督の言う「アウェーのゲームで勝てば、そこが転換点だ」を、実行して見せた。



「ハリーは、よくやった。早いプレー。見事なヘッダー。ボールのキープ。知的プレーヤーだよ。最後まで、彼がすべてかんでいる。感謝しかない」と、フェルベーク監督。


ウィリアムスのレッドカードについて、フェルベーク監督は、「100%のペナルティ。あれは、彼の完全な失敗。われわれは立て直して、危険もずいぶんあったが、振り切った」と。



ホームでの試合内容について、オマーンのクロードLeロイ監督は、


「1ゴール先行されたところから這い上がり、10人で同点にして、勝利をするのは、やはりオーストラリアの経験の豊富さだ。われわれとしては、本当に期待外れの結果だったが、正しいことをしてきて、たくさんのチャンスを作りながら、それでも得点できないので、どうしてこうなったのかうまく表現できない」
と語った。



終了間際で、しかも同点に持ち込みたいオマーンは、サイドラインで、豪州のカーニーとオマーンのDFモハメド・アル・バルシとボールの取り合いになった。


サイドライン上でもめている時に、短気を起こした群衆から花火(爆竹らしきもの)がピッチ上に投げられた。それが、カーニーの足元に落ちたが、彼はかろうじて逃げた。試合は、そういう騒々しい中で終わった。


まるで、爆竹が試合の終了を告げるようでもあったが、この種の行為は危険極まりない。


サッカールーズの2人の選手とオマーンの選手一人、中国人レフリーが駆け寄り、大事にはならなかった。そこに爆竹が投げ込まれた。幸いなことに怪我人も喧嘩もなかった。


この事件は、アジアサッカー連盟コミッショナーへ報告としてあげられる様相を見せている。


もし、セキュリティの怠慢なら、AFCからオマーンに対して何らかの処分が行われるかも知れない。



11月18日には、独立記念日を迎えるオマーンの伝統文化の一つは、花火である。


爆竹とフィールド上でのテンションが高まったところに、爆竹が投げ込まれたので、フェルベーク監督は、敵対的な雰囲気の中で、インジャリータイムの最後の瞬間までプレーに集中した豪州の選手を称賛した。



「私は、われわれの選手は非常にプロだったと思う。彼らはゲームに集中した。花火はフットボールと関係ない。それは危険なことだ。しかし、あんなことが起こってしまった。両軍の選手とも非常にプロで、われわれは、最高のことをしたと思う」と、フェルベーク監督は記者会見で話した。



彼らのアジアカップ戦で、両国が関係した問題としてはこれが2回目となる。


先月、サッカールーズ役員のゲイリー・モレッティ氏は、オマーンのクロード・レ・ロイ監督から、メルボルンでの初戦に同監督を『侮辱した』として非難され、オーストラリア側は、モレッティに代わって、たっぷり謝罪せざるを得なかった。



たかがスポーツだ。これ以上しこりが残らないように祈りたい。


さて、オーストラリアの次の試合は、来年の1月6日にクウェート市での対クウェート戦となる。


なお、B組クウェート対インドネシア戦は、バデル・アル・モタワーが後半に二度ゴールをあげて2-1で勝利。2位へ浮上した。



日本は、ご存知の通り、南アフリカと0-0で引き分けた。カルロス・アルベルト・パレイラとベンニ・マッカーシーが南アフリカに戻ってパレイラ監督が代表チームを指揮したが、結果はホスト国南アフリカ代表チームの活力を示せず、初戦を飾れなかった。


その後、ブラジルの同郷のジョエル・サンタナが成績不振で解任され、パレイラ監督が再任された。そして、ブラックバーンのマッカーシーが呼び戻された。


元イングランド代表チーム・キャプテン・ブライアン・ロブソンは、E組タイ代表チームの監督に就任し、初戦のシンガポール戦を3-1で飾った。


ニュージーランドも、14日に大陸間プレーオフで勝ち、ワールドカップ出場権を獲得した。ニュージーランドは7大会ぶり2度目の本大会出場を決め、新聞には大見出しが躍っている。オセアニア1位のニュージーランド対アジア5位のバーレーン戦は、ニュージーランドが1-0で勝ち、2試合合計1-0で出場権を獲得した。



ニュージーランドは前半終了間際に右からのコーナー・キックをファロンがヘディングした先制点を守り切った。バーレーンは、後半にペナルティ・キックをセーブされるなど折角の好機を逸し、2大会連続のプレーオフ敗退で初出場を逃した。




アジア、南太平洋にもサッカーの話題が増えてきた。



これで豪州は、2位のクウェートに1ポイント差、3位のオマーンには3ポイント差をつけてB組のトップに立っただけでなく、2011年のアジアカップへ、ほぼ間違いなく王手をかけた。


B組 順位表

           勝  分  負  ポイント 
オーストラリア  2   1   1    7
クウェート     2    0      1        6
オマーン      1     1   2     4
インドネシア    0   2    1      2


一人を失い、1点を先行されたサッカールーズ。残りの75分を10人で戦い、かつ1点のビハインドにかなり緊張感が走った。結果はアウェーで2-1の逆転に成功し、2011年にアジアカップ決勝戦に進出するポールポジションをとったと言える。

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2009年11月16日

2011年アジアカップ最終予選 豪州対オマーン

2-1で豪州勝ち 出場権獲得に王手をかけた


2011年アジアカップ最終予選B組 豪州対オマーンは、オマーン時間の11月14日夜にオマーン市内で行われた。前半1点を先行したオマーンは再三の好機を作りながら加点に失敗し、1点を守りきれず、前半で同点にされ、さらに後半、ブレシアーノが左サイドから送った絶妙のボールをエマートンがゴール前のわずかな隙をついて、蹴りこみ、逆転して勝ち点3を奪い、B組トップに立った。
これで、豪州は、2011年のアジアカップ出場に大手をかけた。


なお、終了間際に、スタンドからピッチに爆竹が投げ入れられ、すんでのところで、デイヴィッド・カーニーに当たるところだった。アジアサッカー連盟は、事件の真相を調査する意向のようだ。

詳しくは、明日のブログで。

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2009年11月11日

豪州最高齢の陸上選手

今日は、長寿の現役選手の話です。オーストラリアのスポーツおばあちゃんか、などと宣(のたま)うこと、なかれ。
 
 
ラス・フリスさん(100歳)。この8月に100歳になったばかり。オーストラリア最高齢の現役陸上選手です。10月の世界マスターズ大会にも出場しました。ヘレン・シアールさんは、ラスさんのお嬢さん。70歳。コーチであり、元オリンピック選手です。同じくマスターズ大会の陸上競技に出場しました。二人とも、オーストラリア記録と世界記録を保持しているというのですから、凄いです。
 
今、ブリスベンに近いクインズランド州で、親子で住んでいます。
 
 
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ラス・フリスさんは、野菜を摂らないダイアテリアンとして、この10月にシドニーで開かれた世界マスターズ選手権大会を沸かせた。世界マスターズ選手権シドニー大会で6つの金メダルを獲得しました。その秘訣は?100才の原動力は何か?
 
 
それは、「車を使わず」「愚痴をこぼさず」「気候変動を忘れること」だそうだ。
 
 
ハンマー投げで2個目の金メダルを手中に。 鉛のボールを10m投げた。
 

彼女は、ラスさんの年齢グループの槍投げ、砲丸投げ、円盤投げなど困難な4時間の重量五種競技種目と陸上グランドチャンピオンを目指してメダルをとるために競技場に立ちました。
 
 
「成功するために、自分自身に忠実でなければならない。自分を信じなくてはならない。自分のすることを信じなくてはならない。もし勝負に関係なければ、それは問題ではない。成功は、態度に現れてくる」
 
 
「あなたが持っているものに満足になさい。現代の人たちの問題は、暮らし方です。私は、成長するとき、楽しみを求めて何をしたか? 私は歩いんです。」
 
 
「子供たちは現在決して自分の足で歩き回りません、彼らはバスに乗れば、学校までいけます。そして、彼らは年をとって、車を買って、飲みに行って、おそらく、事故で車を壊します」
 
 
当たってますね。

 
オリンピック選手の血が流れている彼女のお嬢さん・・と言っても、もう70歳ですが、ヘレン・サールさんも、今大会で、母親と同じ競技で金メダルを取りました。しかしながら、「孫は陸上に関心がありません」
 
 
「すべての子供たちがこの頃はエンターテイメントの虜になっています。自宅でコンピュータの前に座りっぱなしです。あれに私の方が狂ってしまいます。でも、ティーンエイジャーには何も言えませんね」
 


では、偉大なる祖母のラスさんの一人トークです。
 
 
buruta-123157.jpg子どもの時から、走るのが好きでした。20代で結婚して子どもが生まれましたが、それまでは陸上競技とホッケーをしていました。子どもが生まれて、やめました。淋しくはなかったです。最初の娘ロザリーは、スポーツに全く興味がありませんでした。しかし、下の娘のヘレンは、私に似て、走ることがすきでした。しかし、15歳のとき、彼女は走り高跳びに鞍替えしました。地元の高校大会で優勝し、シドニーの全国大会でも優勝しました。


今のように、子どもが車を持つということはありませんでしたので、主人のレイと私が、競技会場まで連れて行き、コーチもしました。私はいつも、娘に冗談を言います。『あなたのために動かなかったら、おカネが貯まっていただろうね』って。でも、それは価値のあることだったと思っています。


娘は、1958年にカーディフ(イギリス)で行われた英連邦大会で銅メダル、1962年の英連邦大会では、走り高跳びと走り幅跳びの2種目でそれぞれ銅メダルを取りました。
 
 
主人と私はとても誇りに思いました。それ以来、彼女は、自分が特別の人だなどと思ったりはしなくなりました。『でも、私は、一度も金メダルを取ったことがないのよ』と言いましたので、私は娘に、あなたはわが国の代表選手となったじゃない。金メダルは重要じゃない。大事なのは、いかに闘うかよ、と。


ヘレンは、1970年代で、競技生活から引退しました。いまは、マスターズになっています。私がスタンドに座って、競技をみていると、人は、『私のバッグをみててくれる。フリスさん』と、声をかけて来ました。こんなやり取りが74歳までつづきましたが、74歳の時に、突如、私はもう人のかばんの面倒をいやというほどみたから、自分のことをするわって思ったの。

 
それで、1983年に、私はプエルトリコの世界マスターズ選手権大会に出場しました。砲丸投げで、一投目はすばらしい投げでした。私は興奮して、リングからはみ出してしまい、それはカウントされませんでした。でも、銅メダルはとりましたよ。これは、今でも、最高に誇りのある成績です。その後また、競技生活を続け、円盤投げと槍投げも始めました。走りも続けました。70代でも、100メートルを18秒で走れたんですよ。それに、三段跳びと走り幅跳びもしました。1987年に、女子ハンマー投げが採用された時にも、それもやりました。
 
 
ヘレンは、とても喜んでくれました。一緒に旅が出来る人ができたからです。その頃には、娘も車を買い、今度は、私を送り迎えをしてくれる番になりました。
そのうち、主人のレイも加わって、私たちはマスターズ選手権で世界中を旅したものです。イタリア、アメリカ、フィンランド、日本、南アメリカ、イギリスへと・・・。
 
 
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私は、今でも1993年に日本で出した3段とびの世界記録をもっていますよ。

私は飛ぶのが好きでした。でも、私が90歳になったとき、医者からやめなさいと言われました。彼は、3段飛んで砂場に着地するのは背中に衝撃を与えすぎるから・・と言いました。私は不快になりました。私は言ってやりました。そんなこといって、私を100歳位にみてるんでしょうって。
 
 
その頃、娘のへレンは女子7種目競技と砲丸投げをやっていました。それで、娘が私のコーチになったのです。今でも私のコーチですよ。彼女は、他に4人のコーチをしています。私たちは、毎週水曜日と木曜日の午前8時にトラックに行き、砲丸投げ、円盤投げ、ハンマー投げ、槍投げの練習を2時間するのです。娘がいろいろ教えてくれます。「はい、つま先で立って、かかとを上げて。ハンマーを持って手を伸ばして、ここで回転して・・・」と。私は常に技を磨いているんです。

娘は週3回体重管理をしてくれます。いまでも、25キロのベンチプレスが出来ますよ。ジム用自転車も漕ぎますよ。

 
100歳になったら、私と競い合う人がいないと思うでしょう。多分そうでしょ。75歳プラスの人と競うんです。だから、私より若い人と競うんです。娘が70で、私が100。親娘で陸上競技で競っているのは不思議でしょうか?私たち二人は競い合うのが好きですし、チャレンジしあうのが、好きです。それが、私たちを前進させているんですよ。


では、お嬢さんのヘレンさんにもひとこと。

 
是が非でも勝たなくてはならない・・というプレッシャーは我が家にはありませんでした。しかし、私が競技に出る時には、両親に負担をかけていました。特に経済的には。たとえば、1958年に英連邦大会に出場する時には、2500ポンドの負担でした。航空券、ユニフォーム、宿泊費が自分もちです。幸いなことに、私たちが住んでいたリスゴー(シドニー西部ブルーマウンテンの先)の住民達がお金を集めてくれました。1960年には、私達4人がオリンピックにいけるようになったのです。 


すばらしい人たちに恵まれました。

 
母は100歳の誕生日に、重量五種競技(砲丸投げ、槍投げ、ハンマー投げ、重要投げ、円盤投げ)をして、スコアは11,000ポイントでした。信じられませんよ。


死ぬまで青春。生涯現役。自分の人生に定年を作ったら、そこでおしまいです。
 


全国の皆さん、ラスさんを見習いましょうよ。今から・・・。明日からでは遅すぎませんか?


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2009年11月07日

Sydney to Gong Ride シドニーゴン走破(下)

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今年、初参加の奥井悟さんにインタビューしました。


奥井さんは、シドニーで和食レストランを経営なさる、人の痛みの分かるまじめなサイクリストです。


そもそも走ろうと思ったきっかけは?


場所柄、私は毎日1回自転車に乗る機会を作っています。すぐ隣にあるセンテニアル・パークの周回コースを走ります。朝なり昼なり・・・それか仕事を終わった後の深夜走っています。深夜はコースを変えるんですが。昼走れなかった時は、夜出て行きます。それは、自分の健康維持のためにやっています。


知り合いからこういうレースがあるよと、長いんだけど走って見ないかと誘われました。


自分でも考えました、只、健康維持のために走ってるのはつまらない・・・・で、出場してみるか・・ということで。今回初めて走ってみました。



すぐ決断できたわけですか?


それはもう、すぐ決断しました。

走行距離は90キロと書かれていました。コースは山岳地帯というか、ウーロンゴンの手前にすごい上り坂があります。そこが、いやだなと思ったんですが、走ってみてものすごい景色に圧倒されました。ブッシュの中の木漏れ日の中を走っているということで、上り下りという坂を感じさせないんです。そのくらいすばらしい景色でした。



ウーロンゴンの手前までずっとダラダラの上り坂が続きますね?


あれがきついですね。



逆にウーロンゴンが出発点だったら、どうだったですか?


そうですね。そうなると、シドニーに向かう方がきついかもしれませんね。

ウーロンゴンの手前で、いきなり猛烈な急坂になりますよね。

坂ですから、皆スピードが出ますので、規制をかけて、20台30台とまとめた後、出発させるようにしていました。皆で挑戦しあわないように・・ですね。このレースの趣旨は、多発性硬化症の人のために募金をして走るということですから、タイムを競うわけではないので・・・


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で、奥井さんのタイムは?


2時間50分で走りました。



ほう、ご立派ですね。 自分の予想では?


いや全く想像つきませんでした。4時間から5時間くらいはかかるんじゃないか・・・って自分では思っていたんです。それがまあ、想像以上にスムーズに走れたんですね。日ごろ、25キロから30キロを走っていましたんで・・・ですから、センテニアル・パークを6周から7周ですね。1周4.2キロから4.3キロあると聞いています。


同じ場所をぐるぐる回っているのとは当然違うでしょう?


同じ場所を回るほうがきついです。まず景色が変わらなくて、そういう意味での楽しみが、まずありません。こうやって走っていますと、次から次へと見たことの無い景色が現れますからね。上り坂はぜんぜん苦になりませんでした。それが、新たな発見ですね。



奥井さんの出発は、7時半でしたか?


グループに分かれた出発するようになっていまして・・・一番早い出発は朝6時ごろで、一番遅いグループは、たぶん8時半ごろだったのではないでしょうか。


申し込みの時点で、X時のスタートだから、それに合わせて集合するようにと言われます。



前日は寝られましたか?


出発の前日は土曜日でしたので、レストランの仕事が終わって、皆で食事し終わって午前2時です。かたづけして、シャワー浴びて・・・当日の朝5時過ぎくらいに起きて・・・



疲労度はどうでした?


それはもう、さわやかの一言。普段走っている時の疲労度とは全く違いますね。
レースの1~2週間前の予想気温は35度とか言われていたんですが、そんなに気温は上がりませんでした。朝は、結構肌寒さを感じましたね。でも70歳近辺の年齢層の人が多かったですが、そういう人たちは結構きつかったのではないでしょうか?


気候温暖化・気候変動問題で、世界中自転車ブームが起きているようで、参加者は大勢でした。今回は1万人で締め切ったようですが、締め切った後も、申し込みが殺到していたようです。集まったお金も、去年が210万ドルに対して、今年は260万ドルを超えたといいます。感心が高まっているのは確かだなあと感じましたね。



35度の気温だったらどうなっていましたか?


35度でも、自分は完走できていたと思います。そういう体力的な余裕はあったと思います。長距離のレースになると、気温1度違うと、ものすごく違いますよ。汗のかき方などもだんぜん半端じゃなくなりますからね。

先日の35度以上の真夏日には、今年ベトナムにご一緒させていただいたときと同じすごさがありましたね。


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走っていて自分で発見したことってありますか?


走るという点では、相手もたくさんいるのですが、自分との戦いだというのが、再発見ですね。自分への問いかけを続けながら、走るんです。この時点で、まだ自分は大丈夫なのかな・・・と。ここまできた、まだまだいけそうだな・・とか。若い時の気持ちが蘇ってくるんですね。まだまだ、この自分はいけるじゃないか・・と。



上り坂の胸突き八丁の所では何か考えているものですか?


やめようとは思わなかったですね。とにかく最後まで走りたい・・と強く決めていましたので。



走っていて、人の顔なんて見えるものですか?


ええ、結構見えますね。この人は、年いっているのに、すごいなあ・・と思ったり。逆にこの人は若いのにすごいなあ・・と思ったり・・・一人ひとりの顔を見る余裕はあって、そういう感想を持ちながら走れますね。そのくらいの余裕はありましたね。



走っている人同士の会話はないですね?


それは、ありませんね。皆自分との戦いの中で走っているのワケですから・・・それなりにみな、自分とたたかっているんですね(笑い) それは面白かったですね。おしゃべりしながら走っている人は見ませんでした。みな、本当に一所懸命に走っていましたね。


90キロ走破するに必要なものって何ですか?


私の場合は、完走したいという気持ちがいっぱいでした。私の年齢でしたら、やはり体力でしょうかね。普段乗っていますので、足も大丈夫でした。トレーニングされていない人は、足が上がってしまって、たぶんだめになると思います。



リタイアした人も結構いるんですか?


いや、体力によるリタイアはほとんどみかけなかったです。多かったのは、パンクによるリタイアです。パンクに見舞われるとどうしようもありません。ボランティアの方がいらして、ずいぶん手助けしていたみたいですが。でも、ボランティアの方がいないところでパンクしたら、もうどうしようもないです。パンクは、多かったですね、1万台走っているわけですから・・・。そして、下り坂で自転車同士の接触で、こけて怪我している人もいました。



下り坂は怖いですか?


怖いですね。すごいスピードが出ますので。ブレーキをかけた状態でも、時速5~60キロのスピードは出ますからね。それ以下にスピードを落とすと、後ろからどんどんやってきますので・・・余計に危ないということもあります。あおられますからね。


スペアのチューブと、自分の体のために水を持っただけです。自分はあまり飲むタイプではないので、ボトル1本くらいですね。それで十分でした。水が残ったくらいです。それだけ精神的に余裕がなかったのかもしれませんがね(笑い)。

初参加ということで。


ゴールインした時の気持ちは?

やっと来たか・・という気持ちでしたが、もうゴールかという気分的な余裕はありましたね。ものすごく気分が良かったんですね。こういうことで走るのは、すごくいいことだと思いました。(患者さんの)お役に立てることができましたし・・・景色を見ながら、90キロを全部楽しめました。山間部が終わると、海が開けてきて・・・もう最高ですね。とても良かったです。

それに、自分の立てた目標金額もクリアできましたので、良かったです。(と言いながら、800ドルと書いた書類を見せてくれた。)参加を決めたのは、1週間くらい前だったのですが、時間もないし、そんなに集まらないだろうと思って800ドルにしたのですが、おかげさまで結局は1100ドルほど集まりました。家内も、こういうことでドネーションできるならいいことだねといってくれましたし・・普段自分の体を鍛えているんだから、こういうチャンスに1回試してみたら・・とも言ってくれました。娘も喜んでくれています・・・参加するいったら、「おお、やった、やったあ。おとうさんもそういうところへ出て行けるんだ」と言っていましたね。普段仕事ばっかりですから、自分の時間を他人のために使うことを、家族はすごく喜んでくれました。


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次に走る人へのアドバイスはありますか?


90キロ走るなら、普段からのトレーニングが必要ですね。大体、足の筋肉が硬直してしまいますから・・・体力が残っていても、足がやられますと、悔しい結果になりますから。



また走りたいですか?


はい、もちろん。これだけすばらしい経験をしましたので、スタッフにも声をかけて・・・すばらしい達成感もありましたし・・・みな、それぞれ子どもの時に自転車に乗っているはずです。で、大人になると、なぜか乗る人は激減します。

でも、乗ると、あのときの感覚が蘇ってきます。それはすばらしいことだと思います。

私には、ハノイからサイゴンまで、自転車で、ボランティアをしながら、走破してみたいという夢があります。この夏に打診してみたけど、賛成する人はほとんどいなかったですね。

私も前に、バイクで走破しようと計画したんですが、免許のこととか、接触事故を起こした時に、外国人は不利になるので、エンジンのついているものは良くない・・と言われて断念したことがあります。

この春(3月)に、ベトナムの学生が、200人でハノイ~サイゴン間を自転車で走ったようなんですね。


ああ、やってみたいですねぇ。1800キロくらいですか、南北縦断は?1日200キロで10日間ですね。

自転車に興味を持っている人は増えていると思うんです。そういう人たちを誘うことですね。集まってくると思いますね。


最低10人は集めたいし、人に貢献する精神をもって・・たとえばハノイで自転車を買って、完走したら、どこかに寄付することを考えています。いつか、実現したいなと思っているんですよ。


それは面白いことですね。人数が増えると、安全性も高まりますからね。体力の無い人は、サポートに回って頂くとかですね。その募集の際には、ボランティア活動まずありき・・ではなくて、自転車で南北を走破しませんか・・途中でボランティア活動をしませんか・・という呼びかけのほうがいいと思います。ぜひ、やりましょうよ。

(終わり)


posted by buruta |11:24 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年11月06日

Sydney to Gong Ride シドニーゴン走破 (上)

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以前にも、このサイトで書いたことがありますが、シドニー~ゴン・ライドという自転車レースは、速さを競う競技ではないユニークな存在の募金調達のための自転車チャリティ・ランです。シドニーから南部ウーロンゴンまでの90キロなら、自転車があり、体力があり、走る意思さえあれば、いつでも誰でも走れます。


まだ会ったことのない患者さんのために走って、友情、親睦、統一、安全性、風景と達成感を経験できるのが、オーストラリアの11月最初の日曜日だけです。


しかし、多発性硬化症(MSという略称で呼ばれている)という難病と闘っている人のために走る人がこれほど多いのかと、改めて人の心の大きな可能性を感じました。


このライドに初参加したシドニー在住の奥井悟さんの話を載せますが、今年のイベントは、あっという間の1万人の参加者で埋まりました。


ところで、多発性硬化症(たはつせいこうかしょうMS)について少々書いておきましょう。



多発性硬化症 とは中枢性脱髄疾患の一つで、脳、脊髄、視神経などに病変が起こり、多彩な神経症状が再発と寛解を繰り返す疾患である。日本では特定疾患に認定されている指定難病です。


私達の神経活動は神経細胞から出る細い電線のような神経の線を伝わる電気活動によってすべて行われています。家庭の電線がショートしないようにビニールのカバーからなる絶縁体によって被われているように、神経の線も髄鞘というもので被われています。この髄鞘が壊れて中の電線がむき出しになる病気が脱髄疾患です。この脱髄が斑状にあちこちにでき(これを脱髄斑といいます)、病気が再発を繰り返すのが多発性硬化症(MS)です。MSというのは英語のmultiple
sclerosisの頭文字をとったものです。



オーストラリア南部では人口10万人当たり30~80人ほど罹患していますが、南欧、オーストラリア北部はそれほどおおくありません。全体としては高緯度の所が罹患率が高く、日本国内でも北海道と九州では北海道のほうが高いのです。日本での有病率は増えてきており、10万人あたり8 - 9人、人口辺り約12,000人程度であることが2006年神経免疫班会議で報告されています。



実は、今年、大親友の方の奥様が、この病で亡くなりました。この機会に、私もささやかなドネーションをさせていただきました。



ゴン・バイク・ライドの参加者には、最低200ドルの募金調達の義務があります。10人の友人から20ドルづつ寄付してもらってください・・という精神です。そうすれば、あなたはMSに耐えているひとのために200ドルにすでに達成できたのです・・・というのりで呼びかけているものです。
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写真:シドニーに電車で戻る人たち




去年2008年の募金調達額は210万ドル。約1億7000万円です。



今年は、どのくらい集まったかといいますと、11月5日現在で下記の如くです。


総額は274万ドル、日本円で2億3300万円です。

凄いですね。


個人のトップが4万3600ドル。2位が2万3000ドルです。



また、チームで集めたトップが14万1800ドルで、これは日本円で1200万円に相当します。(つづく)



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