2009年07月27日

親は子どもに範を示せるのか?

場外の暴力事件を根絶するために、出場する少年選手の親がジュニア・ラグビー・リーグゲームから閉め出される可能性ができた。


発端は、実にくだらないことから起こった。

暴行事件が起きたのは7月18日土曜日。9ヵ月の女の子を抱いていた母親と相手チームの父親との間で起きていた口げんかを収めるために、一人の親が中に割って入った。試合は、グレンウッドのミューランツ・オーヴァルで行われた12歳以下のラグビー・リーグ。セント・パトリック市対ブラックタウン市の対戦を、親たちは観戦していた。


試合後、場外で暴行事件が起きた。最高10人の子どもたちがこの暴行をみて、30人もの親が衝突に加わっていたという。

暴行を一身にうけたのは、ジュニア・ラグビーの選手の父親の一人、ガリー・ハーリングさん(42)。意識を失って地面に横たわる間も、暴行を受け続けた。少なくとも2人の女性がこの肉体的な暴行に関与していたという。


マンディー・ハーリング夫人は、と言った。

「ジェームズが父を叩いている男性の背中に飛び乗った『ぼくのお父さんから離れて!』と、彼は飛び上がって、その男性をつかんだけど、息子は押し戻され、あごにパンチを浴びたそうです。
それから私はその男を蹴って、言ったんです。『私の息子に手を出さないで』と。そして、もう一人の女性が私に向かって来ました。彼女が私を殺すかも知れないと思ったので、私は後ずさりしました」

下の息子のオリバー(12)君も、この暴力を目撃した。上の息子ジェームズ(16)君も、暴行を受けて負傷した。

ジュニア・ラグビーの選手の父親ガリー・ハーリングさんの妻が、夫への襲撃が家族に計り知れない影響を与えていると、明らかにした。

伝えられるところでは、対戦チームの3人の父親が、ガリー・ハーリングさんによってたかってひっぱたいて重症を負わせた。

ハーリングさんは、耳と目から脳髄液が漏れ、手の骨折、頭部が腫れ、眼窩の骨折などの重傷を負っている。

奥さんのマンディー・ハーリングさんは、言った。


「下の息子のオリバー(12)君が、父親を病院に訪ねて行った時に、気絶しそうになった。息子は、まだショックから抜けていません。初めて父親に会って、顔が真っ青になりました。そして、息子がかなり震えていたので、看護婦が彼を座らせて、両足の間に頭を突っ込ませました。夫が病院へ行く途中で3回も発作を起こし、日曜日にまた発作に襲われて、更に検査を受けました」

ハーリングさんは、他チームのジュニアチームの選手の父親3人から暴行を受け、顔面に入ったひびで顔面の整形手術を待っている。

セントラル・コースト・ジュニアラグビー連盟は、彼らが厄介な見物人の問題でうんざりしているというメッセージを送るために、2010年の第1節からすべての父兄を締め出すことを検討している。

ニューサウスウェールズ・ラグビーリーグのジェフ・カー専務理事は、クラブの根本的な対策を検討したいと、次のように話した。

「彼らには両親が観戦させないように来年の最初のゲームから導入しようと、クラブメンバーに話をしようと思っている。
ジュニアフットボールを破壊する手に負えない親を規制するために、各クラブが最大限出来ることをしなくてはならない。メッセージが完全に伝わるように、いかなる対策もとっていきたい。われわれのメッセージは伝わると確信する。それがわれわれの次のステップであるならば、彼らはそれを判断してくれる最高の人々だと思っている。彼らが模範を示さなければならないし、彼らは示せるはずだ」


ハーリングさんの2人の息子は、なぜこんなことになったのか、理解に苦しんだまま苦悶している。

ようやく警察も動き始めた。目撃証言が食い違って苦労しているようだ。携帯電話の写真が事件の解明に役立つかもしれず、事件を携帯電話で写真を撮っている人がいたら協力するよう呼び掛けている。また、警察は、ハーリングさんが病院から退院するのを待って正式に事情を聞きたいとしている。


暴行を許してはならないから、厳しい捜査と法の厳格な執行が必要だ。そもそもこれは民事事件ではない。刑事事件だ。

それにしても、たかが子どもの試合ではないか。仮に大人の試合であっても、喧嘩は禁物だ。この国がフェア精神を自慢するなら、親や指導者がGo-Fareを教えなくてはならない。場外乱闘などもってのほかである。選手と同じように、観客にも整然としたマナーが求められる。

ケースは違うが、今年の1月に、新潟県の中学生のフットサル大会で、コーチを務める教頭が、苦手チームとの対戦を避けるために、選手にわざと負けるように指示し、実際に大敗していた事件があった。教育の現場で、どうやって「子どもたちを触発し、挫けない挑戦の心をうえつけるのか」を苦労しているのに、敵前逃亡を教える教職員がいたのだ。


大人は、子どもに模範を示せない時代になってしまったのか? 

ギャラクシー所属ベッカムが、イタリア1部リーグのACミランとの親善試合で観客を挑発したとかで、アメリカ・プロリーグMLSから罰金千ドルが科せられたが、観戦の親も、教職員も、プロ選手もっとしっかりしろよ・・といいたい。


フランス憲法2条で国歌として定められている「ラ・マルセイエーズ」。この革命歌は「敵軍からわずか二歩」の場所で作られたと言う。せめて、あの7月18日に、現場で「ウォルシングマチルダ」でも歌う者はいなかったのか? 緊張を中和するに、歌は最高だ。観戦のルールの中に、歌唱力というのを入れてもらいたい。大人が、もっとしっかりしてもらいたいよ。

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2009年07月21日

大試合の主審を務める女性は出てくるのか?

メリッサ・イェーツとダニエルベリーは、ナショナル・ラグビー・リーグで新しい歴史を作りつつある女性レフリーだ。


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メリッサ・イェーツさん

イェーツはプレミアリーグレベルですでに審判員をしており、早く1線級になれるようにとの目標を持っている。一方線審のベリーは、リーグ審判員の6つのポジションのうちの1つを得て、同様に上を狙っている。
 

ナショナル・ラグビー・リーグ(NRKL)の99年の歴史で、一流のラグビーリーグ試合の審判をした女性はいない。しかし、NRLのロバート・フィンチ審判部長は、この流れはまもなく変わるだろうとみている。
 

「彼女らが十分にこなせれば、変わらないわけがないだろう」と、フィンチ部長は、主張する。

一流の試合の審判をする最初の女性レフリーを目指しているベリーにとって、この一言は吉報だ。

 
「そうなれば、それは大変なことだ。『あなたは、最初の女性主審になれる』と、協会の多くの人が言ってくれた。私はできるだけ早く実現させてみたい。そのためにできるだけ厳しい訓練を受るつもり」と、ベリーは話す。

 
イェーツもNRLに照準を当てている。が、一級の審判になる最大のチャンスは、線審として働けるようになることだとみている。
 

疑問の目で見られている27才の彼女らは、最高の試合に女性が主審を務める心構えは出来ている。

 
「私には、なんとしても主審を務めてみたい。しかし、現実的には、女性にそういう場面がえ与えられそうにはない。今年は、プレミアリーグで審判をすることに集中しており、2、3のゲームで主審をしたが、うまくいけば、NRLの線審ができるかどうかだ」、と、イェーツが言った。

 
「プレミアリーグでは、明らかに、私たちに言い返してくるNRLの選手もいる、でも、概して彼らは線審である私には全く満足しているようだ。それは;私が女性なので、劇的なドラマもないし。メディアに問題があるとも思わない。彼らは多分われわれの味方でしょう。しかし、われわれには常に批判者がいるようだ」
 


時折「とんま」がいてベリーに難癖をつけたりするが、ベリーは、「選手達は、男性の線審によりも、女性の線審に対して一般的に当たりが柔らかい」と、言う。
 

「私の地元では、『今日は女性の審判がいる。言葉には気を付けろ。口答えはするな』と、キャプテンがゲームの前に言い渡していると、耳にしたことがある。
 
明らかに、男性であることを武器として使って、私たちをこてんぱんにやっつけにくるとんまもいないわけではありません。でもそんなのかまわないです」と、彼女が言った。


ベリーとイェーツの登用はNRLにとって時宜を得た勢いだ。そして、それは新人を審判に惹きつける大いなる要素になっている。

 
著名レフリーはフルタイムで雇用され、年間収入100,000ドル以上を稼ぐ。彼女らもその後に続く時代が来るのか。

 
日本では、『源氏物語』が最近、読み直されている。千年の時を経て、なぜまた広く読まれているのか。『源氏物語』を読むことによって、表舞台での女性の活躍をたくしているのではないか。



母親が家族の長であり、社会の指導者であった時代が再び訪れる、一つの大きな兆候ではないか(作家・丸谷才一氏さん。「文学界」1月号)。

 
「国文学者を除けば源氏は昭和に至るまで蔑視され無視されてきた。皇子(みこ)が天子の后と恋仲になって子をなし、その子が帝(みかど)になる筋がけしからん、という非文学的な理由によって。明治最高の目利きである鴎外と漱石も源氏に冷淡だった」と、丸谷さんは痛烈だ。


力があっても主審を任せられないのは、彼女らの問題ではなく、男性社会の問題だろう。


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2009年07月16日

豪州北部の田舎町で オージールールからサッカーへの流れ加速

第80回アメリカ大リーグのオールスター戦(ブッシュスタジアム)は、オバマ大統領の始球式で幕を開けた。


現職の大統領による球宴の始球式は、62年のケネディ、70年のニクソン、76年のフォードに続いて4人目。戦争続きのこの8年。さすがのブッシュ前大統領も呼ばれていない。


9年連続出場となったイチロー(マリナーズ)がア・リーグ、1番・右翼で先発。1打席目に右前安打。試合はア・リーグが4―3でナ・リーグを破った。たいしたもんだわ。 


さて、今日は、オーストラリア北西部の陸の孤島の話だ。
 

北部オーストラリアの赤土で、何人かの元気のなさそうなティーン・エイジャーが清涼飲料のビンを蹴って遊んでいる時、グレン・トンプソンは、彼らにサッカー・ボールを放り投げた。
 

「その次にわれわれが見たのは、町の誰もがそのボールを追っかけている様子だった。…サッカーはこういう子供たちにとって自然なゲームなのだ。その子ども達の足は稲妻の如く速く、素早く向きを変えることができる」

 
グレン・トンプソンは、ダーウィンで開かれたアラフラ大会が、オーストラリアの遠隔の地のアボリジニー社会でサッカーが隆盛になる革命の始まりとみている。


北部準州のカーペンタリア湾に面した小さい、孤立した村落ボロルーラ。ボロルーラは、陸の孤島と言える。一応舗装道路で、北部準州の州都ダーウィンと繋がってはいるだのが。アラフラ大会に参加するために、ボロルーラからダーウィンまで、陸上を1000キロも旅してきたサッカー・チーム。全員がアボリジニーのこのチームが大人気を博した。


 
チーム名をボロルーラ・サイクロンズという。チームは、北部準州の16歳以下の少年チームに4-0で快勝し、大会に旋風を起こした。
 

「彼らは、カテゴリー-5のサイクロンのような強い嵐を起こした。チーム名にふさわしい活躍をした」と、トンプソン監督は言う。
 

サイクロンズは対マカオ戦でも、ボール占有率60%以上をキープして、最後は惜しくも3-0で負けたが、「彼らのプレーこそが、電気ショックを与えた」という表現で、解説者が褒め称えた。

 
「選手たちは歴史を作ったね」と、トンプソン監督が言った。


丸いボールがもたらされてから数年。人口900人のボロルーラは、北部準州の町として初めて、オーストラリアン・フットボールをやめて、サッカーを取り入れた。そのサッカーの広がりは、オーストラリア・フットボール・リーグ(AFL)の事務所の非常ベルを鳴らすほどの特異な物語である。

 
オーストラリアの小学校ではオーストラリアン・フットボールを少年・少女に親しんでもらうために、AFLの全国規模の計画が行われている。トンプソン監督は、それを引き合いに出し、「AFLの人たちはたくさんの景品をもってボロルーラにやってきたが、付け入る余地がないほどサッカーが圧倒的に優勢になっていて、訪問は無駄に終わった」と話してくれた。

 
若き日々には、タスマニアで、それこそオーストラリアン・フットボールをしていたトンプソン監督は61歳。が、今は、ボロルーラ小・中学校の小使いさんをしている。「子どもたちはとても機敏ですばしこいので、サッカーはオーストラリア原住民にとって自然のスポーツと言える」と話した。

 
「大胆な予測が許されるなら、サッカーは実質的には、ここ(ボロルーラ)でオーストラリアン・フットボールを追い越すんではなかろうか。サッカーが世界的なゲームになっているからだ」と、彼は言う。

 
牧畜業のジョン・プルート(21歳)さんは、サイクロンズのスター選手。彼は、4年前までオーストラリアン・フットボールをしていたが、もはや、巧みさと面白さの点でサッカーに劣ると言う。彼のお気に入りは、ブラジルのサッカー選手ロナウディーニョとオーストラリアのハリー・キューウェルだ。
 

「私は、彼らのゲームを衛星放送でみている。上昇志向のスポーツだ…世界の至る所でやっている。バロルーラの子ども達は、歩き始めるとすぐにサッカーをしているよ」と言った。
 

バロルーラ市役所は、オーストラリアン・フットボールの新しいスタジアムを建設するために杭を打ち込んだが、住民のほとんどは、土曜日の朝の「サッカー時間」を楽しみにしているという。

 
バロルーラには正式なチームはない。住民たちは、居住地を代表して4チームを編成している。ゴールポストには、棒とネットがないので通常二つ三つの帽子を置く。「ここでサッカーの試合をすることは簡単だ…すべては丸いボールさえあれば十分。そして、どこかに行けばよい。オーストラリアン・フットボールが支配的な北部準州で、オーストラリアン・フットボールがすべてだと人々は言っている。しかし、信じてほしい、サッカーはいずれここで支配権を得始めるだろうということ。…そして、ある日我々がサッカーワールドカップを主催するときが、その時だと予想している」と、トンプソン監督が言う。



“その日”をみてみたい気がする。
 

最後に、5月にダーウィンで開かれたアラフラ大会2009年について、ちょっとご紹介しておこう。オーストラリアの北部準州の州都ダーウィン市で2年おきに開催される多種目のスポーツ大会は、アラフラ大会と呼ばれている。アラフラ・スポーツ大会は、この18年間、新進のスポーツ選手に焦点をあてて、国際競技会に参加する機会を提供する重要な役割を果たしてきた。

 
アジア太平洋地域・諸国を代表する青年スポーツ選手が、競技場で技を競い親睦を示した。
世界各国から選手が参加する国際的なイベント。第1回は1991に開かれ、今年は、金メダルを獲得したスロバキアから選手の単独参加、北アイルランド、イラン、キリバス、韓国と日本などが49カ国から、新進気鋭の男女スポーツ選手3000人以上が26の競技に参加した。2005年からは、国際パラリンピック委員会(IPC)からの後援を受け、身体障害者のスポーツ選手ためのイベントも行われている。

次のアラフラ大会は2011年で、5月14から21日まで。

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2009年07月13日

豪州の青空に希望を見つけながら

心の中の悪魔と戦っている…プレストン・キャンベル選手は、他の人たちにも鬱病を理解してもらうために、鬱と闘っていることを公言した。ゴールド・コースト・タイタンズ・ラグビーリーグクラブ所属の選手で、アボリジニー系のオーストラリア人選手だ。今年32歳。


プレストン・キャンベル選手は、高速で運転して故意に車を木にぶつけた日を覚えている。空は美しく晴れわたっていた。そして、夏の強い太陽が自分の肌に刺していた日だった。


それは、2002年のクリスマス休暇の日だった。ラグビーリーグのスター中のスターだったキャンベル選手は、シーズン前のトレーニングでノース・コーストの海岸を走っていた。そして、車で自宅に向かっている時に、彼は無気力感に襲われた。彼は、自殺を思いたった。彼の次の行動を止めるものは何もなかった。


「その日、何かうんざりして、直ぐそんな行動に走ってしまった」と、キャンベル選手は振り返る。彼のその次の記憶はリズモア基地病院に向かっているヘリの中で目が覚めたことだった。でも、心の闇は消えていなかった。

「悪い方向へ向かっていなくとも、大差はないという感じだった」とポツリ。うつ病になると、ほとんどの人が、死への思いを持つ。自殺は、鬱のどん底ではなく、その前後に起こりやすい。自分自身で最初から抑うつ状態だと自覚できる人はあまりいない。最初は、体の不調を感じるのが普通だ。


そして、現在も、キャンベル選手は、鬱と闘い続けている。彼は抗うつ薬を服用しない方を選択した。病気を消すためには他にもいくつか方法がある。彼の体に心の闇が忍び込んでいると感じた時、タイラ、ジェイデン、ジェイクの3人の子どもを連れて海岸に行くか、妻のリーに抱きしめてくれるように頼む。

 
ゴールドコースト・タイタンズのスターであるキャンベル選手。かつて自分の人生を苦しませる鬱病で、「恐怖を感じ、困っている」と言い、この病気を他の人にも知ってもらおうと、自分の闘病を公表することを希望していた。


キャンベル選手はこう言う。「今も、かつても、鬱との闘病をしている。鬱が来ると、何をすればいいか分かっている。なぜなら、いつも、鬱とつき合ってきたからだ。心を軽くするために、子供を連れて海岸に行きたいなと思い始めたり、子どもたちと遊びたくなり始めたりするので、分かる。或いは、家内を捕まえて自分の今の気分を話したりする。彼女は、私を抱きしめキスをしてくれる。そして、『もう大丈夫よ』と言ってくれる。やがてキャンベルは笑顔を見せ始めるか、または、強く抱きしめてと言う。私は、心を軽くできる方法を学んできた」



ラグビーリーグの大スターのアンドリュー・ジョーンズ選手は、自ら鬱病に悩み、鬱病の認識向上のために運動を起こした人だが、彼は、キャンベル選手が自らの病気を公言したことを褒め称える。

 
「私は、キャンベル選手が鬱に悩んでいたのを知っていた。彼はそのようには見えないだろう。彼は一種、明るい陽気な人物だ。しかし、そう見せているだけだ。外の人に分かって貰おうとする気持ちが素晴らしいと、私は思う。この病気は恥ずかしいことではなく、解決できる病気ということだ」と、ジョーンズ選手は話す。


キャンベル選手を鬱に追いやったものは、家族を食べさせていけないかもしれないという恐怖感、父親として、また家族の責任者としてうまくやっていかないのではないかという恐怖心だった。

 
2000年.家庭の財政が厳しかったので、妻のリーは、食事を作るお金もなかく、食事を間引いたのだった。

2001年に、キャンベル選手はクロヌラ・シャークスのスター選手になった。その年、名誉なダリーMメダルを獲得するまでに至った。選手生命に燃えた。ダリーMメダルは、ナショナルラグビーリーグの中で一番フェアでベストプレイヤーに贈られる賞だ。ナショナル・ラグビー・リーグの年間MVP賞に相当する。上記のアンドリュー・ジョーンズ選手も、このメダルを何回か獲得している。

 
ところが、2002年に、新監督クリス・アンダーソンになって、彼の運命は変わった。キャンベル選手は不要になったのだ。彼は、予備軍に落とされた。彼は、家族を養っていけるか再び心配し始めた。嫌な考えが彼の頭で回り始めた。

 
「多くの人々はクリス・アンダーソン監督を非難してくれた。しかし、私の立場では、その時そういうことは出来なかった。事態は、そんなことよりもう少し深刻だった。私がクロヌラ・シャークスの予備軍にいた時、家内が食事を抜くこともしばしばあった。私たちの生活が苦しかったからだ。でも、私はトレーニングへ行くこともできたし、なんとか食べることもできた。家内は、私自身のことを何回も大丈夫かと尋ねた。子供は大丈夫だった。私たちは経済苦だったので、妻は何回も食事を抜かした。2001年がやって来た。私は思った。『やあ、なんとか切り抜けたよ。やっと、皆食べられるようになった』と。状況は改善された。その時だ、アンダーソン新監督が就任したのは。そして、こう思った。『おいおい、俺たちは坂を滑り落ちるのか』と。私は、家内が食事を作れなかった時のことを思い出した。それしか思い浮かばなかった。悪い考えが悪循環していたのだ」と、キャンベル選手が言った。


2002年の末に、彼はシャークスを退団し、新しいクラブのペンリス・パンサーズに入団した。クリスマス休暇期間に何度か自殺を試みたが、クラブの人たちが無条件で支えてくれた。それから、パンサーズのシェーン・リチャードソン社長、仲間のスコット・サットラー選手、ジョン・ラング監督らが、最も苦しんでいる時に助け励ました。


「ランギー(ラング監督のこと)が、有無を言わせず車に押し込み、私をカウンセラーへ連れて行ってくれた。私のカウンセリングが終わるまで、彼は待合室で待っていた。それから、彼は私を家に送ってくれた。彼は、そういう心を持った人間だった。私は、その恩を決して忘れない。どんなに助けられたことか。私が基本的に必要だったのは、自分の話を聞いてくれる人だったと思う。私がアドバイスなど必要ないと思っていた。でも、誰かに聞いてもらいたかったんだな」と、キャンベル選手が振り返る。


「励ましてはけない」「"がんばれ"は禁句だ」などと言われているが、どんな言葉をかけたら良いかわからなくなる。心の病を持つ人との一般的な接し方としては、▼聞き上手になる。よく話を聞く。理解と共感を示す。▼会話の内容より、感情をくみ取る。▼人間的な温かさを持つと同時に、相手の問題に巻き込まれて、動揺したりしない。▼「私はあなたの味方です。常にあなたに関心があります」ということを伝える。▼病んでいる部分を指摘するのではなくて、健康な部分を評価する。などが挙げられる。


ゴールド・コーストのチーフ、マイケル・サール氏は、「彼は、自分が知っている最高の人間の一人だよ。彼は、鬱とは常に戦わなければならないだろう。でも、彼は人間的にすばらしい。彼が彼自身のポジションにいる時ですら、細かいことをし続けるという事実は尊敬に値する。能力に甘んじない選手だ。犠牲をいとわない。彼は、常に能力をフルに発揮して働く人だ」と評価して、No.1のレッテルを貼り、キャンベル選手の能力を絶賛する。


タイタンズは、キャンベル選手には選手生活を終えても、仕事を用意すると断言した。それでも、キャンベル選手は時々まだ心配だと言う。
「家族をもつ私自身のような男は、いつも心配なんだ。将来、家族の面倒をちゃんとみていけるのか・・・・? それが、私の鬱の原因だ。自分の家族を安定させてあげたい・・・そして、私のフットボール選手生活が終われば、自分は何をするのか・・。そういうわけで、鬱は時々、定期的にやって来る。タイタンズが自分のために何かをしてくれたことは分かっている。しかし、私はそれが何なのかはよくわからない。不確実なものが少しある。これからも、私の身にいつも付きまとうかもしれない。私はそれが鬱だと分かっている。それを克服するように努力する。ほんとうに自殺しようと思う場面はいくつもあった。なぜなら、それが鬱から抜け出る最良の方法だと思ったからだ。5年前なら、自分が鬱だなどと、あえて前に進み出て公言する人などいなかったろう。フットボール選手といえば、気丈であると思われているから」と、キャンベル選手は言う。


鬱になると、生活全般にやる気が失われる。仕事や勉強はやる気がないが、遊ぶことにはやる気があるというのなら、これは鬱病ではない。キャンベル選手の例をみても、鬱病になりやすい人は、まじめで、能力があり、責任感の強い人。物事を、順調に、そして完全に成し遂げようと考える人。鬱病の人を見ると、怠け者に見えることもあるが、実は全く正反対の働き者の人達だ。むしろ真面目に働きすぎたために、脳が疲労状態になっているとも言える。このようなまじめな人だからこそ、鬱状態で仕事のできないことが辛くてたまらないのだ。


鬱病を抱えながら、普通の社会生活を送っている人達は大勢いる。病気が治れば元の立派な人に戻れるのだと信じてあげる必要がある。キャンベル選手が苦労を背負ってきたアボリジニーの出身だけに、余計暖かく見守ってあげたい。



そして、長くスター選手であってもらいたい。

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2009年07月06日

サッカールーズ16位を読む

サッカールーズの16位にぬか喜びしないで、きちっと分析しておこう。


前回も書いたが、1999年5月のFIFAランクではオーストラリアは89位。10年後の2009年5月、つまり日豪の対戦の前月は32位だった。


10年の長い道のりだが、その背景も見ておく必要があると思うので書いてみた。


オーストラリアが加盟の203カ国が加盟するFIFAのランキングで、16位をつけたのは、ランクとしては同国史上最高位である。ポルトガル、ウルグアイ、チェコ共和国をも抜いた。


イングランドは、1位下がって第7位になった。


前サッカールーズ監督フース・ヒディンク監督率いるロシアは3位上がって6位になった。資格を得ているワールドカップ出場予選で完璧な記録をのこしたが、ファビオ・カペッロ監督のイングランドは一つ落ちた。


ブラジルは、南アフリカでのコンフェデ・カップでスペインを破り、首位を奪い取った。FIFAのトップ10は、以下の通り。1位ブラジル、2位スペイン、3位オランダ、4位イタリア、5位ドイツ、6位ロシア、7位イングランド、8位アルゼンチン、9位フランス、10位クロアチア。


サッカールーズは、開催国南アフリカを除外して、6月の初めにワールドカップ出場をきめたのは、日本に次いで2番目だった。最終予選の成績は、6勝2分でライバル日本、カタール、バーレーン、ウズベキスタンを抑えて、A組1位で終了した。


来年の開催国南アフリカへの旅行から戻ったオーストラリア・サッカー協会のバックリーCEOは、「素晴らしい大会になりそうだ。我々が訪問した施設、我々が会った人々、地元のサポーターが醸し出す雰囲気を言葉に出すことは出来ない」と、語った。



今年の12月4日には、ケープタウンで抽選会があり、グループステージの組み合わせが決まる。

 

さてここで、サッカールーズを16位に持ち上げた理由を考えてみたい。


堅固なディフェンスと選手層の幅と深さ=アジアで最も相手得点にケチな防御。かつてサッカルーズの弱点だったディフェンス。バックラインが、ワールドカップ予選の最後の14試合で奪われた得点は、日本に与えた1ゴールだけだった。ケチになった。その1ゴールも逆転で帳消しにした。もちろん、まだまだ完全ではないが、深さと幅が出てきた。ゲームの勝利に、ハリー・キューウェルやマーク・ビドゥカに頼らずとも、先が開けてきた。もちろん、彼らもまだ必要ではあることに違いはないが。



増した安定感=過去4年間同じ核を保ってきて、安定感が増した。サッカールーズのレギュラーである、シュウォーツァー、ウィルクシャー、ムーア、ニール、チッパーフィールド、エマートン、カリーナ、グレッラ、ブレッシアーノ、ケイヒル、キューウェルとケネディは、ワールドカップ最終予選でも中心となって闘った。彼らが、来年の南アフリカ大会での主軸であることにかわりはない。そこに、若手がどのくらい入るかだ。



強い敵の中でもまれたこと=力のない敵から離れて、アジアの力のある敵のいる土俵でもまれたことが幸いした。米領サモアとソロモン諸島など南太平洋から離れて、アジアと稽古相撲ができるようになったこと。それにより選手の意識が磨かれ、よりよい結果とより強い団結力が生まれた。大いなる土俵のAFC=アジアサッカー連盟に移籍したことは、大きな収穫だった。それは、オーストラリアのサッカーのためにピッチの内外に大きな利益をもたらした。



豪州の国際地位の向上=国際試合のために豪州国籍選手を出場させることに文句を言っていたイギリスのクラブとオーストラリアが、もはや対等に渡り合えるようになったこと。オーストラリアは、フットボール大国の手前まで来ている証拠だ。イングランドのランキングから9位下までつけてきた。イングランド所属クラブの言い分に互角以上に対応している。



ワールドカップ開催国として名乗りあげる意欲=力ある国だけが、ワールドカップ開催を申請できるという意識が多くの関係者に芽生えてきたことは、大きい。ラッド首相を含めて国あげての態勢で、2018年開催か2022年開催をめざす勢いは、選手にも熱く伝わっている。また、彼らも宣伝に大いに協力している。ピッチ外での大きな目標ができたのだ。



よりよき準備と流れの良い運営管理=重要なゲームに先立つキャンプの手配。相手国への偵察。何ヵ月前からアウェーの国へ乗り込む準備が、確実に行われている。数年前急遽NSL の選手をかき集めて、ニュージーランドに負けた悪夢は、今は昔だ。しっかりしたマネージメントが、選手をバックアップする。それを支えるオランダ色がある。Go-Dutchは、割り勘だが、そうではない。オランダ人の監督。オランダ人アシスタント。オランダ人のテクニカル・ディレクター。まさにOranjeオラニエだ。常にサッカーの未来型を見せてくれるオランダ代表のサッカーは、世界で最も影響力のあるものの一つだ。Oranje(オラニエ)とは、オランダ語でオレンジ色だ。サッカーオランダ代表チームの愛称だ。サッカールーズのグリーン&ゴールドの心の中は、ひょっとしてオレンジ色になっているのかもしれない。

 

FIFAランクの認識=サッカールーズがFIFAランク16位にあげられた。とにもかくにも、この1ヶ月間は16位だ。2006年のワールドカップドイツ大会で、16強に駆け上がった。今の16位の意識は、すでにあの時作り上げられていたとも言える。かといって、それほど甘い物でもないことは誰も承知している。しかし仮に滑り落ちることがあっても、あの16位にいたと言う意識は、選手意識の中で棄てがたい物になる。3年間汗水たらして勝ち取った16位だ。

 

人間をみてみよう。

 

ティムケイヒルの心=いわずもがなのサッカールーズの重要プレーヤーだ。一途なケイヒルの心が、彼を世界一流の選手にのしあげた。サッカールーズにとって、今や、彼は、押しも押されもせぬbox-to-boxプレーヤーになった。他国を見ても、なかなか得難いプレーヤーの一人である。両方のペナルティーエリア間を動き回る選手という点で、楽しみを秘めたミッド・フィルダーだ。ディフェンダーの前に位置し、ボール奪取することが主な役割とはいえ、「守り抜く」という意味で、ホールディング・ミッドフィールダーとも言える。ボールを奪った後に、攻撃参加もできる。目立つことの少ないMFだが、彼は目立つ。現代サッカーにおいて非常に重要なポジションで、彼は見事に演じまくる。豊富なスタミナを持ち、守備から攻撃、組み立てからフィニッシュまでこなすオールラウンドプレーヤーを指すケイヒル。少なくとも豪州サッカー2010=ケイヒルなのだ。



結果重視のフェルベーク監督=時として、おもしろくなく、疑問も残るゲームの指揮を批判する人は多い。色っぽいフットボールを見たいという声も多い。 しかし、間違いなく彼の作戦は機能している。1997年、フランス大会を前にして、豪代表がイランに対して75分の間どれくらい見事にプレーしたかについて忘れてはならない。そして、最後の15分で、どうして豪州は負けたのかは、もっとわすれてはならない。


アジア予選の3位決定戦で、日本に敗れアジア4位となったイランは、サッカールーズとホーム&アウエアー2回戦方式で最後の枠を競い合った。そして、この決定戦で、引き分けは、アウエアーチームの勝ち点がダブルポイントになったことだ。

初戦はイランで行われ、1対1の引き分け。イランが得点1、アウェーのサッカールーズが2点をとった。2回戦はホームで迎え撃つ豪州が、前半で2―0とイランを圧した。「フランスへの切符は固い」と誰もがそう信じていた。 


75分以降、サッカールーズの夢はうち砕かれ、フランス行きは夢に終わった。アジア人蔑視と言う人もいるが、そうではない。単に詰めが甘い国民なのだ。自信過剰と先のことを考えない甘い姿勢が出ただけだ。結果において何も得るものはなかった。そういうことを、フェルベーク監督はしてこなかった。



職人マーク・シュウォーツァー=GKとして体技ともに十分。イギリス国歌「God Save theQueen」に模してみれば、Schwarzer saves Australiaだ。シュワォーツァーは、神的存在か。ベテランのゴールキーパーは、予選の対中国戦で、2試合ともオーストラリアを救った。以後、彼が招集されたゲームでのゴールは堅固だった。



フース・ヒディンク監督=選手の心を引き出すヒディンク魔力は、ピッチの上にいるサッカールーズの選手の心の中に革命を起こし始めた。ロシアの奮起、チェルシーの蘇生・・・をみればよくわかる。



故ジョニーウォーレン=彼をあげておかなくてはならないだろう。まだまだ豪州が力の無い時代、豪州のサッカーに光明と魅力を与え、後に続く者に上昇志向を植え付けた彼とその仲間のすばらしい業績は、決して過小評価されてはならない。プレーヤーとしての彼の優秀性は、今の若い選手に受け継がれていると確信する。



フランク・ローウィ氏=オーストラリア・サッカー協会のフランク・ローウィ氏の貢献。



6年前を見てみると良い。Aリーグはない。お金もない。ワールドカップ出場の土台もないし、夢もなかった。


旧オーストラリアサッカー協会の経営・運営の失態を受けて2004年に政府が介入。協会自体の改革をする為に当時の協会幹部を全員解雇。その後、国内最大のショッピングセンター・グループ、ウェストフィールドの社長フランク・ローウィ氏(チェコ移民)が理事に就任し、新たな協会FFAが誕生。2001年ラグビーワールドカップ・オーストラリア大会を成功させたラグビー協会会長のジョン・オニール氏サッカー協会CEOに抜擢して、2005年の8月からニュージーランドも含む8チームによる新しいAリーグがスタートした。ベン・バックリー氏がCEOに就任したのは、2007年だ。



 
ちょっと長くなったが、16位の裏を垣間見てみた。

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2009年07月04日

サッカールーズ FIFAランキング16位へ

FIFAランキングは、もうすぐ始まる大相撲の力士の順位表に似たようなものだ。

相撲では、「番付表」という。7月のFIFAランキンが発表されて、驚いたのは、オーストラリアだ。16位だ。ワールドカップが始まる前から、16強入りをやっちゃった。いってみれば、前頭6~7枚目からいきなり小結か関脇に飛んだようなもので、まさに晴天の霹靂だ。


サッカールーズの世界ランクは、1999年と2000年のあたりは、世界ランク100位のあたりをうろうろしていた。100位の内側に入ることすら、きゅうきゅうとしていたんだな。一見箸にも棒にもかからない平凡な土俵で負けていたんだ。序二段とか三枚目で、客も入らない土俵でやっていた時の話だ。それが、2009年になると、早送りの状態で、するすると来てしまった。そして、現在、2010年のワールドカップ出場権を獲得し、トップ・トゥエンティの中に躍り出た。


FIFAが毎月更新する世界ランキング16位まであがったということは、オーストラリア代表チームの歴史上初めてのことである。6月の29位が最高で、そこから吹き上げたように16位まで上がってしまった。

驚くなかれ、オーストラリアは多くの突出したフットボール先進国を抜き去ってしまった。例えば、チェコ共和国、象牙海岸、スウェーデンとメキシコ。いやいや大変なことだ。もっと凄いことがある。クリスティアーノ・ロナウドを擁するポルトガルの上にでてしまったのだ。月が出た出た、月がぁでた・・・と、眺めも気分もよろしいはずだ。


サッカールーズは、第10位のクロアチアから、145ランキング・ポイント遅れをとっているところまできている。ところが、ぎっちょん、近い将来、簡単にこの差を詰められるほど十分な試合数をこなせるとは思えない。が、まあ、しかし・・そういうところまできたのだ。


2000年6月当時、92位と大低迷していたオーストラリアの上を行くと考えられていた国は、ナミビア、ブルキナファソ、ガボンとハイチなどだが、その時から今をみれば、遙か遠い先だった。

オーストラリア・サッカー連盟ベン・バックリーCEOは、最新ランキングを、オーストラリアの試合内容がどこまで進んだかを示す指標として歓迎した。


「われわれにとって、このニュースはうれしい。ランキングはサッカーの究極の目的ではない。しかし、ランキングは間違いなくわれわれの進歩の指標だ。われわれが強くなればなるほど、世界ランキングは上がり、チームは強固になっていく。新しいランキングは、ワールド・カップ最終予選を不敗で闘ってきたピム・フェルベーク監督とサッカールーズの勝利の結果であり、2010年のFIFAワールドカップ予選に勝ち抜いたサッカールーズに、大きな褒美だ。もう一度、われわれは、監督と選手たちの努力に、おめでとうと申し上げたい」と、バックリーCEOは語った。


オーストラリアは堂々とアジアで最高のランクを付けられた。今後も上下はあるだろうが、ランクに恥じない試合を見せて貰いたい。


6月17日、豪州に逆転負けを喫した日本は、9位下がって40位に。韓国は、二つ落として48位になった。


ほかでは、南アフリカでのコンフェデレーションズ・カップ南アフリカ大
会に優勝したブラジルは5位から1位に返り咲いた。2007年8月以来の返り咲きだ。そして、コンフェデ・カップの準決勝でアメリカ合衆国に負けたスペインは2位に転落した。

オセアニアのニュージーランドは、18位落ちて、100位になった。


次回は、少し違った角度からみてみたい。

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2009年07月02日

暴力事件続く オーストラリアのエリート・スポーツ選手

このところ、オーストラリアのスポーツ選手に、暴力事件が続いている。ほんとうに、残念なことだ。


北京オリンピック出場をふいにした水泳のニック・ダーシー選手は、もう一人の水泳選手の顔面を殴り、顔面骨折を含む大けがをさせた暴力行為は、発作的な行為として刑期を免れた。


ダーシー選手の相方であるカウリー選手は、あご、眼窩、硬口蓋、頬骨と鼻に骨折を受けた。


彼は、一生涯5枚のチタンプレートと20本のネジを頭の中にいれたまま過ごさなければならない状況なのだ。


その3ヵ月後に、ラグビーリーグ・インターナショナルのグレッグ・バード選手は、同じシドニーの法廷で、やはり発作的行為とされた暴力行為で、懲役16ヵ月の刑を言い渡された。


バード選手が暴力を振るったのは男性ではなく、ガールフレンドのケイティ・ミリガンさんだった。


エリート競泳選手のニック・ダーシー氏は、他の水泳選手の顔を殴って大けが負わせても、監獄行きを免れたというのに、ラグビー・リーグのスター、グレッグ・バード選手は、同じように発作的に殴って、16ヶ月の懲役刑を言い渡された。


ダーシー選手は、昨年、北京オリンピックの代表に選ばれた直後、ナイトクラブでサイモン・コーリー氏を殴り、オリンピック出場権を剥奪された。その後、懲役14ヶ月の判決を受けたものの、執行は保留となっている。問題を起こさなければ、服役する必要がない。


バード選手は、恋人のケイティ・ミリガン氏の顔面をグラスで殴り、やはり大けがを負わせている。彼女は眼窩に骨折を負い、まぶたと唇に数カ所の裂傷を負った他、さらに顔面にも切り傷を負った。
バード選手の被告弁護人は、怪我は「手術と治療」で直せたが、「損傷、障害または美貌を損ねた」という証拠はないと主張した。


この事件のため、同選手は当時所属していたクロヌラ・シャークスを解雇され、フランスのカタラン・ドラゴンズに移籍した。刑が確定すれば、バード選手は、最低8ヶ月は服役しなければならない。同選手は現在判決を不服として上告しており、保釈中。


二人とも、スポーツ界のスターで、これ以前に暴力沙汰を起こしたことはない。そして両者とも発作的に暴力をふるったという点で共通点は多い。


では、判決の違いは何によるものなのか?


比較してみると、ダーシー選手は自分の罪を認めたが、バード選手は一貫して無実を主張。ダーシー選手は反省している態度を見せたが、バード選手はそうした態度を見せず。ダーシー選手の場合、被害者が挑発したことが分かっており、ダーシー選手自身も自分は正当防衛に及んだと考えているのに対し、バード選手の場合、バード選手も被害者も、事件の状況をいまだに明らかにしていない。


しかし、決定的な違いは、バード選手のケースがドメスティック・バイオレンス(DV)にあたる、という点だ。


バード選手の事件は、同選手とミリガン氏が当時住んでいたクロヌラのアパートで起こった。家で起こったという点が重要で、パブなどの飲食店で起こった場合と罪の重さが全く異なる。


ロジャー・クリスデル判事によると、DVの判決には「(DVが起こるのを)抑止しようという要素が強く」伴う、という。


バーニーNSW州地域サービス担当相は、「バード選手の犯罪は、まさに政府が取り組んでいる典型的な例だ。この手の犯罪は、許容できない。家庭内暴力は犯罪だ。それ以外に表現する言葉はない」と語った。



全くの偶然だが、バード選手に判決がおりた翌日、ラグビー・リーグの選手達による反DVキャンペーンが始められた。


オーストラリア・ラグビー連盟(ARL)最高責任者ジェフ・カー氏は、「大多数のラグビーリーグプレーヤーがバード選手の判決にショックを受けたろう。まだこれから法廷があるので、グレッグのケースについてコメントすることは非常に難しい。しかし、私は99%のプレーヤーが、特に家庭内暴力で震え上がるだろうと思う。ラグビーリーグでこれ以上家庭内暴力事件を見たくない。」と言った。



エリート選手には、それなりの責任が伴うことを忘れてはなるまい。


社会に与える影響 子ども達に与える影響など、エリート選手による暴力は計り知れない物がある。AFLのホール選手もまた最近グランド上で暴力を行った。常習犯には、厳罰で臨むしかない。


ケースによっては、永久追放があってもいいのではないか。


 
選手の資質の問題が多きことは認めるが、他には、どうも、チームやクラブの管理姿勢に強いものを感じない。それが暴力の温床になっているのではないか。スポーツ精神を、クラブ・マネージメント側から厳しく教えていかなくてはいけないのではないか。それが基本である。



そんな気がする。

posted by buruta |06:38 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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